2018-09-20

役の体系/『日本文化の歴史』尾藤正英


『勝者の条件』会田雄次

 ・役の体系

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
・『ニュー・アース』エックハルト・トール

 このような「家」の形成は、天皇や藤原氏に限らず、この時代の社会に広くみられる現象であって、その意味では、12世紀を画期とする古代から中世への移行は、「氏」の時代から、「家」の時代への移行として理解することができる。新しく台頭した武士の社会が、御家人といい、家来というように、「家」の組織で構成されていたことは、改めていうまでもない。ただし一般の庶民の間でまで「家」の形成がみられるのは、やや遅れて14~15世紀のころであり、その結果として全面的に「家」を単位とした近世の社会の成立をみることとなる。その意味では、12世紀から15世紀にかけての中世とは、「家」の形成にともなう社会変動の時代であったともいえよう。
 ところで、その「家」の形成が始まった12世紀のころから、いわば「家」の原理に基づく新しい文化の発展があったことに注目しなければならない。「家」の原理とは何か。古代の「氏」も、中世以降の「家」も、共同体的な性格をもつ社会組織であった点では共通しているが、地方豪族のヤケを基礎とした「氏」に比べると、家業のために協力する「家」の方が、成員の平等性と、それに基づく自発性という点で、一歩進んでいたとみることができるように思われる。「家」は、それを構成する人々が、血縁の有無にかかわらず、相互に信頼し、その家業のために必要な役割を、それぞれが分担して遂行することにより、永続性を目指そうとする組織であった。武士の家の主従の関係には、その信頼の関係が明確に示されている。この信頼という人間関係と、それに基づく職分(役割)の遂行とが、「家」の原理であったとすれば、「信」と「行」(ぎょう)を基本とした鎌倉仏教は、その原理の宗教的表現であったといえるのではあるまいか。

【『日本文化の歴史』尾藤正英〈びとう・まさひで〉(岩波新書、2000年)】

 安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉のブログで知った一冊である。

マイケル・ジャクソンの思想 福島原発:逃げたら怒る日本人・江戸時代の「役」システムは今も健在。
「東大話法」と「立場主義」 - Togetter

 リンクを貼って終わりにしてもいいのだが、それでは芸がなさすぎるので少しお茶を濁しておこう。

「ヤケ」とは初耳である。寡聞にして知らず。

吉田孝「イへとヤケ」『律令国家と古代の社会』岩波書店 1983年 71-122頁 - 益体無い話または文

 そう考えると『源氏物語』と『平家物語』というタイトルも意味深長に思えてくる。氏素性という言葉も廃(すた)れた。生き残っているのは藤原氏くらいか(『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛)。

 キリスト教は「天職」という言葉を発明した。

 労働は、神がアダムとイヴに与えた呪いだった。古代ギリシャ文化においては、死すべき人間(=奴隷)に課せられた罰だった。そして、宗教改革が「天職」という新しい概念をつくり出した。アウシュヴィッツ強制収容所のゲートには「働けば自由になれる」と書かれていた。

怠惰理論/『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』トム・ルッツ

 日本の「役」はもっと実務的で物語性が淡い。なぜなら日本人にとって労働は喜びであったからだ。

 これにより武士と百姓・町人との、三つの身分が区分された。これを士・農・工・商と表現したのは、中世の古語に基づく学者らの用語であって、幕府や大名の公用の表現ではない。この身分制度は、職業による区分であるところに特色があり、それはこの時代の社会を構成した「家」が、それぞれ家業を営むことを目的とした組織であって、その家業の種類によって身分が分かれたことの結果である。職業による身分であるから、血統などによる身分とは違って、その区別は厳格ではない。しかも双系制の家族の伝統があるから、娘婿などの形で養子になれば、血縁のない者でも家業を継ぐことが可能であった。

「実は江戸では、武士が皆の上に立つ者という意識もありませんでした。『士農工商』という四文字熟語が普及したのは、明治の教科書でさかんにPRされたからです」(『お江戸でござる』杉浦日向子)。

「家業」という言葉がわかりやすい。血筋・遺伝子よりも業に重きを置く。これを進化論的に考えるとどうなるのか? DNAよりも技術や経済性を重んじるということか。

 犬の血統は形質的なものだと思うが、サラブレッドの場合はどうなのか? 「近年の研究によれば、競走馬の競走成績に及ぼす両親からの遺伝の影響は約33%に過ぎず、残りの約66%は妊娠中の母体内の影響や生後の子馬を取り巻く環境によることであるとされているが、それでもなお競走馬の能力に血統が一定の大きな割合で寄与している事実がある」(競走馬の血統 - Wikipedia)。33%だって影響はでかいだろうよ。

 血を重んじる文化は世界中にあるのだろうが、遺伝子が見つかる前から男系遺伝子をのこそうとする人類の本能が実に不思議である。

「役」という文字は、古代に中国から伝来したが、右のような役人や役所といった熟語は中国語にはない。役人という語はあっても、それは単に労働を強制される人という意味であるらしい。その意味での用法は、現代の日本語にもあって、労役・懲役などがそれであるが、その場合には漢音で「エキ」と訓(よ)んで区別している。これに対し古来の呉音(ごおん)による「ヤク」は、前記のように国家や地域、あるいは企業の一員としての自覚に基づき、その責任を主体的に担おうとする際の任務を表現するもので、誇りある観念である。このような自覚ないし自発性に支えられた役割分担の組織を、「役の体系」とよぶことができるとすれば、それこそが16世紀に成立した新しい国家の特色をなすものであるとともに、歴史の歩みの中で日本人が作り上げてきた独特の生活文化であったといえよう。

 発展する社会を支えるのは役割分担の巧拙に掛かっているのだろう。ただし日本の場合、合理性よりも情緒に配慮して組織が機能停滞する傾向が強い。その上、社会の各階層に閥(ばつ)がはびこっている。自由競争という言葉はあるが実態は存在しない。

 大東亜戦争に敗れてから自民党を中心とする政治家は自らの「役」を果たしてこなかった。官僚は東大閥が支配し国益よりも省益のために働いてきた。マスコミは商業主義に堕し、平然と嘘を垂れ流してきた。学者は文部官僚の顔色を覗いながら予算の分配にありつき、安泰の道を求めて御用学者に転身する。この国の武士やエリートは死んだ。そして親子ですらその「役」を見失ってしまった。夫婦別姓ともなれば「家」は完全に崩壊するだろう。宗教的バックボーンを欠いた我々が「個人」(『翻訳語成立事情』柳父章)になることは難しい。役という役がパートタイマー化して、ただバラバラにされた無表情な大衆と成り果てるに違いない。

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2018-09-19

自転車~幅寄せ対策と保険について


ペダリング革命の覚え書き

 ・自転車~幅寄せ対策と保険について

歩道を走る勇気を持て

 ロードバイクに乗り始めてから間もなくふた月になる。この間、二度ほど大型トラックに幅寄せされた。最初は箱車に5cmほどまで接近された。直ちに追い掛けてボコボコにしてやろうと思ったのだが上り坂で逃げられてしまった。以下の動画では幅寄せされた後で自転車が右から追い越す際に接触している。


 怒るのは当たり前だ。怒らない方がどうかしている。とはいえ私も既に55歳だ。相手の体が私よりも大きくて、そこそこ場数を踏んだ若者なら逆襲される可能性が高い。タクティカルペンは普段から持ち歩いているが少々心許ない。武器になりそうなものといえばCO2インフレーター(ボンベ)とABUS(アブス)のチェーンロックくらいだ。ま、捨て身で闘うしかない。

 相手を捕まえることができれば戦いようもあるわけだが如何せん逃げられるケースが多いと思われる。また、こちらが手を出した場合、向こうのドライブレコーダーに記録されることを覚悟する必要がある。するってえと、やはり動画で記録しておくのが一番だ。悪質な運転については暴行罪が成立する。「事が起こってから」では遅い。2017年に東名高速で煽り運転を繰り返された挙げ句に追越車線で停止させられたクルマが大型トラックに追突されて死亡する事件があった。これ以降、全国的に煽り運転の取り締まりが強化された。この流れを是非とも自転車にまで手繰り寄せたい。というわけで、自転車にアクションカメラを搭載して、どしどし警察に訴え出る運動を展開して参りたい。



 次に保険である。自転車保険の義務化が進捗(しんちょく)中である(自転車保険の義務化の動向|都道府県・自治体別まとめ | FPほけん相談室)。TSマーク付帯保険は「自転車に付帯されているので、自転車の所有者に限らず、友人や知人、家族がTSマーク付帯保険が付帯された自転車を運転する場合には補償されます」(自転車保険はTSマーク付帯保険加入で大丈夫? | FPによる生命保険・損害保険の選び方講座)。ただし、「TSマーク付帯保険には対物賠償の補償や、示談交渉サービスがない」(同ページ)。「自転車保険に加入する場合、この保険だけはやめましょう。なぜならこの保険は、保険金を支払う意思がないとしか思えないからです」(TSマーク保険をおすすめしない理由 | FPほけん相談室)との批判もある。

 更に重複加入している場合があるので注意が必要だ。

自転車保険(個人賠償責任補償)の重複(二重)加入に注意!保険料がムダになる? | FPによる生命保険・損害保険の選び方講座

 色々と調べた結果、au保険が一番いいようだ。

au保険

 掛け金が安い(月額360円から)上にロードサービスまで付いている。

 どれほど注意しても相手がデタラメな運転をしていれば事故に遭ってしまう。自分の努力だけでは防ぐことができないのが事故である。備えあれば患(うれ)いなしで平時の態度が賢愚を分ける。我々は被害者にも加害者にもなり得るのだ。

本日提訴します | 自転車に家族を殺されるということ

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日本人の農民意識/『勝者の条件』会田雄次


『アーロン収容所』会田雄次
『敗者の条件』会田雄次
・『決断の条件』会田雄次

 ・日本人の農民意識

 私たち日本人は、世界でも稀といってよいほど純粋に農民的な歴史を持っている。日本人は歴史の中で狩猟段階を持っていない。原始は拾集(しゅうしゅう)で生きていたようだ。したがって遊牧も知らない。有畜産業はもちろん存在しない。砂漠や草原や粗林帯や、さらにはヨーロッパのように下生えの灌木や草などがなく、騎馬軍が自由に通行できる森林から成り立っているところには、大規模な隊商隊が活躍する。しかし、日本の商業ではそれらが見られない。馬やロバなど貴重品で、上級武士の使用品で、町人や百姓が自由に使えるものとならなかったからである。馬や牛は家族のように養う。何十頭もを家畜として取り扱う習性は、日本人には与えられないからである。会場取引も、応仁期から瀬戸内や日本海には見られたが、表日本では寥々(りょうりょう)たるものだ。海外通商にいたっては荒波と大洋にさえぎられ、ヨーロッパ封建時代とくらべてはほとんど問題とするに足りぬ量である。
 こういう国だから、商人精神や商人文化はいっこう自立できない。日本人の商人根性とか町人根性とかいわれたものは、実は農民根性を色づけしただけのことである。ヨーロッパでは、この農民根性と商人根性が、近代では生産者意識と流通関係者の意識が、それぞれ独自な理論と価値体系を持って両立し、対立し、争い、補充しあっている。しかし日本では、今日もなお、この商人意識は、独立し完結した体系を作るにはいたっていない。それに刺激されない生産者意識は、今もなお、農民根性そのままである。はっきりいえば、現在の日本人の意識も文化も、いまだに農民意識であり文化であるに過ぎぬ。最高技術を駆使する技師も、超高層ビルで電子計算機のつくりあげた数字にとりくむサラリーマンも、その精神の本質は、水田に腰をまげて対していた徳川時代の農民そのままである。国内では、何かというと、商社が仇敵視される。海外でのこの商社の行動は、農民のように不決断でいやしいとして嫌がられるのもそのためだ。変わったのは、火打石がガス・ライターに、もも引きと草鞋(わらじ)が、細手のズボンと編革の靴になっただけに過ぎぬ。

【『勝者の条件』会田雄次〈あいだ・ゆうじ〉(雷鳥社、1976年/中公文庫、2015年)】

 文章に苛立ちが見えるのは、やはり戦争に負けたためだろう。現在では商人を科学と言い換えた方がわかりやすい。要は個人意識の問題である。

 英語のindividualは「神と向き合う個人」を意味すると柳父章〈やなぶ・あきら〉が指摘している(『翻訳語成立事情』1982年)。私は長らくキリスト教由来の文化と考えてきたのだが間違っていた。古代ギリシャに淵源があるようだ(『木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット、2004年)。トマス・アクィナス(1225頃-1274年)がキリスト教をアリストテレスで味付けしたわけだが、これをギリシャ化と見立ててもよさそうだ。キーワードは交易、主体性、討論である。

 日本人が議論を苦手とするのも同じ理由である。我々は個人である前に役(身分)を自覚する(『日本文化の歴史』尾藤正英、2000年)。そして合理性よりも道理を重んじるのだ。会議が予定調和になるのも当然である。意見や批判は「出る杭」として扱われて打たれることが珍しくない。

 農民感覚に基づく村意識は責任の所在を曖昧にする。武士の切腹は一見すると責任を取っているように思えるが、実際は「誰かの首を差し出している」犠牲的な側面がある。私がつくづく不思議に思うのは国民に対して最も影響力が強いと考えられる官僚や教員の責任が不問に付されている現実だ。天下りは平然と行われ、それどころか斡旋・手配をしてきたトップが退官後に政府を批判してマスコミにもてはやされている。教員はいじめによる自殺があっても名前すら報じられることがない。また国旗や国歌を拒否する日教組教員が児童に偏った教育を施しても吊るし上げられることがない。きっと「役目であって本意ではない」との言いわけが通用するのだろう。

 日本人に必要なのは「和を以て貴しとなす」(聖徳太子)と「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(孔子)を両立させることではないか。

勝者の条件 (中公文庫)
会田 雄次
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2018-09-17

異常な経験/『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次


 ・異常な経験

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『敗者の条件』会田雄次
『勝者の条件』会田雄次

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 この経験は異常なものであった。この異常ということの意味はちょっと説明しにくい。(中略)

 想像以上にひどいことをされたというわけでもない。よい待遇をうけたというわけでもない。たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。私刑(リンチ)的な仕返しをうけたわけでもない。それでいて私たちは、私たちはといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはそのことである。

【『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次〈あいだ・ゆうじ〉(中公新書、1962年/中公文庫、1973年/改版、2018年)以下同】

 若い頃に何度か読んでは挫けた一冊である。その後、何冊もの書籍で引用されていることを知った。竹山道雄も本書に触れていたので直ちに読んだ。やはり読書には季節がある。それなりの知識と体力が調(ととの)わないと味わい尽くすのが難しい本がある。何気ない記述に隠された真実が見えてくるところに読書の躍動がある。

 会田雄次は敗戦後、1年9ヶ月にわたってビルマでイギリス軍の捕虜となった。その経験を元に「西欧ヒューマニズム」の欺瞞を日本文化から照らしてみせたのが本書である。

 それはとにかくとして、まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を両手にぶらさげ女兵舎に入る。私たちが英軍兵舎に入るときには、たとえ便所であるとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。ところがそうではないのだ。ノックされるととんでもない恰好をしているときなど身支度をしてから答えねばならない。捕虜やビルマ人にそんなことをする必要はないからだ。イギリス人は大小の用便中でも私たちは掃除しに入っても平気であった。

 一読して理解できる人がいるだろうか? 特に我々日本人は汚れ物に対する忌避感情が強く、トイレを不浄と表現することからも明らかなように、人目を忍ぶのは当然である。今、無意識のうちに「人目」と書いた。私なら幼子に見られるのも嫌だね。「人の目」であることに変わりはないからだ。つまり白人にとって有色人種の目は「人目」ではないのだ。きっと「人目」に該当する語彙(ごい)もないことだろう。

 会田が「異常」と記したのは、人種差別の現実が日本人の想像も及ばぬ奇っ怪な姿で目の前に現れたためだ。私の世代だと幼い頃にウンコを踏んだだけで周りから人が去ったものだ。かくもウンコには負のパワーがある。それがウンコをしている姿を見られても平気だと? すなわち彼らにとって有色人種の人間は文字通り「動物以下の存在」なのだ。これが「喩(たと)え」でないところに彼らの恐ろしさがある。

 その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終ると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。
 入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。
 このような経験は私だけではなかった。

 有色人種は白人女性の性行為の対象にすらなり得ないということなのだろう。インドのカースト制度を軽々と超える差別意識である。無論、彼女たちは「差別」とすら感じていないことだろう。人種の懸隔は断崖のように聳(そび)える。まさに犬畜生扱いだ。

 はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。

 イギリス兵にとって最大の侮辱は日本軍が優勢であった時に、捕虜として市中を行進させ、便所の汲み取りを行わせたことだった。七つの海を支配してきた大英帝国の威信は地に墜(お)ちた。黄禍(おうか/イエロー・ペリル)が現実のものとなったのだ。イギリスがアメリカを引きずり込んで第二次世界大戦の戦況は大きく動いた。勝った側となったイギリス人が日本人に思い知らせてやろうとするのは当然である。この流れは現在にまで引き継がれている。イギリス・フランス・オランダは自分たちを潤す植民地を失ってしまったのだ。戦前と比べて貧しくなった状況を彼らが簡単に忘れることはない。

 こうした文脈の上に南京大虐殺や従軍慰安婦というストーリーが作成されていることを日本人は知る必要がある。憲法9条もそうだ。アメリカは玉砕するまで戦う日本軍を心底から恐れた。二度と戦争に立ち上がることができないように埋め込まれたソフトが憲法9条なのだ。アメリカは原爆ホロコーストを実行しておきながら、日本の報復を恐れいているのだ(『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)。

 その人種差別の頂点にいるイギリス女王やローマ教皇ですら天皇陛下に対しては敬意を払わざるを得ないところに日本の不思議がある。

アーロン収容所 改版 - 西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書)
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2018-09-16

苛烈にして酷薄なヨーロッパ世界/『敗者の条件』会田雄次


『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次

 ・苛烈にして酷薄なヨーロッパ世界

『勝者の条件』会田雄次

 ヨーロッパ人というものは、勝者となりえたのちもなお闘争の精神を失わない。かれらは復讐でも何でも、ここまで執拗に、計画的に、そして徹底的に実行するのである。

【『敗者の条件』会田雄次〈あいだ・ゆうじ〉(中公新書、1965年『敗者の条件 戦国時代を考える』/中公文庫、1983年)以下同】

 大東亜戦争敗戦直後のビルマでイギリス人中尉がこう語った。「ジャップは、死ぬことを、とくに天皇のために死ぬことをなんとも思っていない。おれたちは、ジャップの英軍捕虜への残虐行為と大量殺害に復讐する。戦犯(ワー・クライムド)の処刑はその一つだ。だが、信念を持っている人間は殺されても平気だし、信念を変えようとも思わない。そういう人間に肉体的苦痛を与えても、なんの復讐にもならない。だからおれたちは、ジャップの精神を破壊(デストロイ)してから殺すのだ」。

 会田雄次が戦地で直接聞いた言葉である。具体的には死刑を宣告した上で一旦減刑し、時間を置いてからまた死刑の宣告をした。「再び家族と会える」「帰れないと思っていた祖国に戻ることができる」――何ものにも代え難い喜びに全身を震わせたことだろう。その希望を英軍は絶(た)つのだ。イギリス兵は甘美な復讐の味に酔い痴れた。

 敵を倒すにはその弱点をつけ。油断は大きい弱点である。相手に好意を持つものは、相手に対してどこか油断し、すきを見せるものだ。そこを見破り、突いて倒せ。自分を愛し信頼する叔父、自分に好意を持つ飯番――それが第一の餌食となる人間なのである。
 私が示した2例は、この論理を忠実に実行し、成功したある男の姿なのだが、ここにも、さきに言及した、ヨーロッパ人のうちに流れる勝負への徹底性を読みとることができる。
 このようにはげしく執拗な闘争の精神は、別に西ヨーロッパ人だけのものではない。アメリカ人やロシア人を含む白人全部に共通するものだ。それは彼らの住む風土と歴史の産物なのである。ヨーロッパの歴史をちょっとひもとくなら、そのことはすぐ理解できるだろう。

 自分が助かるためなら味方をも犠牲にする酷薄極まりない例が挙げられている。殺すか殺されるかという苛烈な世界だ。会田は事実を示すだけで批判をしているわけではない。かくの如きヨーロッパに立ち向かうだけの気構えが日本にあるのかと問い掛けているのだ。本書はヨーロッパ世界に比較的近いと思われる戦国武将のエピソードがメインである。戦乱のさなかから逞しい精神が立ち上がる。後に長過ぎる江戸時代の平和が日本人から逞しさを奪っていったのだろう。

 しりぞくことは死を意味する闘争の世界――それがヨーロッパである。それは同時に与えることが餓死を意味する世界でもある。このような条件下で数千年間鍛えられた人間性が、現在のヨーロッパ人のなかに生きている。いわば彼らは、ヨーロッパの歴史的風土のなかでそれを骨肉化してきたものなのだが、勝負に関し、かれらが私たちには想像外の徹底さと執拗さを持ちつづけているのは当然といわねばならない。

 更に神の計画を元とした欧米人の計画性を挙げておくべきだ。国際条約の恣意的な運用、世界銀行や国際通貨基金を通した経済支配、メディアを通じた世論操作、人種差別や奴隷文化の歴史的漂白など、第二次世界大戦~ソ連崩壊を経た後は完全にアングロサクソン・ルールが罷(まか)り通っている。

 大東亜戦争の歴史認識は少しずつ正しい方向に向いつつあるが国民的な気運の上昇には至っていない。学者やジャーナリストの影響力はそれほど大きくないのだろう。カリスマ性をまとった天才政治家の出現を待つ他ないのかもしれない。しっかりとした史観を持つ人なら、我が子の担任が日教組教員であればこれを断乎拒否すべきである。迂遠な道のりに見えるができることを一つひとつやってゆくしかない。

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ペダリング革命の覚え書き


ペダリングの悟り

 ・ペダリング革命の覚え書き

自転車~幅寄せ対策と保険について

 動画はシクロクロスという競技である。巡航性を基準にすると、TT(タイムトライアル)バイク→ロードレーサー(ロードバイク)→エンデュランスロード→シクロクロス→グラベルロードとなる。エンデュランスは長距離向きで、シクロ・グラベルは舗装路以外も走るため太いタイヤとディスクブレーキに特徴がある。空気抵抗を考慮する必要がないのでポジションはアップライト。タイヤが太くなればサスペンションの機能を果たすので乗り心地がよくなる。でもまあ、乗り心地の悪い道を走るので相殺(そうさい)されてしまうわけだが(笑)。


 年をとると用意周到になる。私は自転車に乗ることを決意してから直ぐにストレッチを開始した。頭は柔らかいのだが体が硬い。前屈すると床に手が届かない。10cmほどの距離があった。ふた月ほどで床に親指が着くようになった。長く険しい道のりだった。そして週に二度エアロバイク(フィットネスバイク)を30分ほど漕(こ)いでいる。

 エアロバイクにはモニターがあり、距離、ケイデンス、心拍数、負荷などの数値が表示される。自転車に乗るのは風を感じるのが目的だ。風がないわけだから視覚情報で誤魔化すしかない。いつもだと負荷は最低の1で、ラスト10分になると2分間隔で5まで上げてゆく。ところがどうだ。ペダリングのコツを掴んでしまった私は勢い余って負荷を10まで上げてしまった。変われば変わるものである。なぜ回せるか? ふくらはぎに力を入れないためだ。より太い腿の筋肉を使うことで効率がよくなっているのだ。

 ここで慌ててはいけない。自転車に乗っても調子に乗ってはダメだ。オーバーワークが怪我の原因となる。そこで逸(はや)る脚を抑えて近所のパトロールに向かった。坂はいくらでもある。

 忘れないうちに覚え書きを残しておこう。まず「泥こそぎペダリング」だが、足指を軽く曲げて指の付け根でペダルの前方を掴み、拇指球で前に回す感覚で行う。こうすると1時の位置で力が加わる。股関節の動きも自然に大きくなる。私はギョサン以外で漕いだことがないのでスニーカーを履いたら再検証する。

 登坂の土踏まずペダリングは何も考える必要がない。斜度に合わせて頭を前方向に傾けるだけだ。重心を前に掛けても手には体重を乗せない方がいいと思う。ハンドルには手を添える程度で、残酷な上り坂に対してはハンドルを引いて立ち向かう。

 少し前までなら絶対に避けて通った坂道を次々とクリアした。輪っかの坂(真空コンクリート舗装のO型滑り止め)も辛うじて制覇した。上り坂はもはや敵ではない。きっと人生も上り坂となるはずだ。