2018-10-21

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2018-10-18

「精神障害の診断と統計マニュアル」は児童虐待の役に立っていない/『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク


『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ

 ・「精神障害の診断と統計マニュアル」は児童虐待の役に立っていない

『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美
『心と体を強くする! メガビタミン健康法』藤川徳美
『最強の栄養療法「オーソモレキュラー」入門』溝口徹
『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
『オーソモレキュラー医学入門』エイブラハム・ホッファー、アンドリュー・W・ソウル
『パワー・オブ・エイト 最新科学でわかった「意識」が起こす奇跡』リン・マクタガート
『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』ローン・フランク

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍

『精神疾患の診断・統計マニュアル』の主要な診断のそれぞれには作業グループがあって、新しい版のための改訂を提案する責務を負っていた。私はこのフィールドトライアルの結果を、自分の所属する『精神疾患の診断・統計マニュアル』第4版のPTSD作業グループに示し、私たちは、対人的なトラウマ犠牲者のための、新たなトラウマ診断を作ることを決議(賛成19票、反対2票)した。「他に特定不能の極度のストレス障害」、略して「複雑性PTSD」だ。それから私たちは、1994年5月の第4版の刊行を待ち焦がれた。ところが、じつに意外にも、私たちの作業グループが圧倒的多数で承認した診断は、最終的にでき上がった本には載らなかった。しかも、私たちの一人として、事前に意見を求められることはなかった。
 この診断が除外されたのは、なんとも不幸だった。多数の患者が正確な診断を受けられず、臨床家や研究者が彼らのための適切な治療法を科学的に開発できないということだからだ。存在しない疾患のための治療法など、開発しようがない。現在、診断がないために、セラピストは深刻なジレンマに直面している。虐待や裏切り、ネグレクトの影響に対処している人々を、うつ病、あるいは、パニック障害、双極性障害、境界性パーソナリティ障害などと診断せざるをえないとき、いったいどう治療すればいいのか。そうした診断は、彼らが取り組んでいる問題を対象としたものではないのだから。
 養育者による虐待やネグレクトの結果は、ハリケーンや交通事故の影響よりもはるかに頻繁に見られ、複雑だ。それにもかかわらず、私たちの診断システムの在り方を決める意思決定者たちは、そのような事実を認めないという判断を下した。それ以来、『精神疾患のための診断・統計マニュアル』は20年の歳月と四度の改訂を経たというのに、今日に至るまでこの手引きとそれに基づくシステム全体は、児童虐待と児童ネグレクトの犠牲者の役に立っていない。1980年にPTSDの診断が導入される前は、帰還兵たちの苦境が無視されていたのと、まさに同じ状況だ。

【『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳、杉山登志郎〈すぎやま・としろう〉解説(紀伊國屋書店、2016年)】

 これは買いだ。4000円を超える値段だが600ページのボリュームを考えれば良心的な価格といえるだろう。表紙はアンリ・マティスの『ジャズ』より「イカルス」。センスがいい。

 一冊の本には起伏があり、読む速度の変化がリズムを作る。ところが本書は最初から上り坂で中盤に至っても下りが現れない。読み手の噛む力が相当試される。まだ読み終えていないのだが、どうしても記録しておかねばならない情報が出てきたので紹介しておこう。

 一般的には「精神障害の診断と統計マニュアル」と表記され、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)と省略されることが多い。既に第5版(DSM-5)となっているが、第4版(DSM-IV、1994年)の編集委員長を務めたアラン・フランセスがDSM-5を徹底的に批判している。

精神医学のバイブルが新たな患者を生み出す/『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス

 既に何度も書いた通り、現代医学は裁判と酷似しており、過去の判例に基づいて判決の相場観が決められる。また臨床という個人的経験の限界を自覚する医師は少ない。製薬会社のロビー活動により厳密なデータ収集も難しい。二重盲検を経れば確実かといえば決してそんなことはない。治療を巡る因果関係が科学的に導かれると思ったら大間違いだ。

 精神疾患に関する六法全書や経典ともいうべき存在が「精神障害の診断と統計マニュアル」である。そのマニュアルがデタラメだとすれば、医師が処方する様々な薬は必ず深刻な副作用を伴い、広範な被害を及ぼすに違いない。それが社会の表面に浮かび上がってこないのは相手が精神疾患患者であるからだ。極論を述べればDSMが患者を薬の捨場(すてば)にしている可能性すらある。

 簡単な事実を申し上げよう。薬の種類とDSMの版を重ねるに連れて精神疾患は増えている。もちろん社会の複雑性が人々の心理に何らかの影響を落としていることは確かだろう。しかしながら、ちょっとした落ち込みや落ち着きのなさに名前をつけて病気に格上げしたのも彼らなのだ。

 個人的には精神医学を科学だとは考えていない。人の心がそんなに簡単にわかってたまるかってえんだ。その辺にいる医者だって科学とは無縁である。人の体を少しばかりいじって薬を処方するだけの仕事だ。

 先日、武田邦彦が言っていた。「故障した自動車を修理に出して、もし直せなかったら修理会社は料金を請求するでしょうか? もちろんしません。では、どうして病院は体の修理ができなくても料金を請求するのか。ここに現代医学の根本的な問題がある」(趣意)と。

 医師は現代の宗教家である。誰もが医師の言葉を鵜呑みにし、ありがたがり、言いなりになる。処方される薬は聖水だ。そして巨額のカネが医学界と医療産業を潤すのだ。

【追記】10月19日

 尚、著者を中心とするグループがDSM-5に「発達性トラウマ障害」を盛り込むよう勧告したが敢えなく却下された。この件(くだり)については264~266、274~277ページに詳細がある。100万人もの患者を無視してDSMは製薬会社の営業マンとなりつつあるのだろう。


朝日新聞に抹殺された竹山道雄/『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之:『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之


 ・朝日新聞に抹殺された竹山道雄

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
竹山道雄

 朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如(ごと)く無謬(むびゅう)というわけだ。
『ビルマの竪琴(たてごと)』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタープライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
 朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘(すけひろ)・東大教授が書いていた。
 南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)も従軍慰安婦も沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。

【『変見自在 スーチー女史は善人か』高山正之(新潮社、2008年/新潮文庫、2011年)】



 渡部先生がなぜ狙われたかと言えば、朝日新聞の望まないことを主張したからだ。似たようなケースは、それ以前にもあった。例えば『ビルマの竪琴』で知られる竹山道雄は1968年、米空母エンタープライズの佐世保寄港について、朝日社会面で5名の識者の意見を紹介した中、ただ一人だけ賛成した。これに対して、朝日の煽りに乗せられた感情的非難の投書が殺到し、「声」欄に続々と掲載された。東京本社だけで250通を越す批判の投書が寄せられる中、朝日は竹山の再反論をボツにして、対話を断った形で論争を終結させた。朝日「声」欄の編集長は当時の『諸君!』に、担当者の判断で投書の採用を選択するのはどこでも行われていることと強弁した。
 竹山道雄をやっつけて、「朝日の言うことを聞かないとどうなるか、思い知らせてやる」という尊大さをにじませた。朝日に逆らう者は許さないという思考が朝日新聞にはある。その特性は、そのまま現在まで続いている。

【『渡部昇一の世界史最終講義 朝日新聞が教えない歴史の真実』渡部昇一、髙山正之(飛鳥新社、2018年)】

 渡部昇一は40年にも渡って朝日新聞と戦い続けたという。渡部の寄稿を改竄(かいざん)し、あたかも作家の大西巨人と対談したかのように見せかけ、あろうことか「劣悪遺伝の子生むな 渡部氏、名指しで随筆 まるでヒトラー礼賛 大西氏激怒」との見出しを打った。今時のポリコレ左翼と全く同じ手口である。インターネットがなかった時代を思えば、竹山道雄は社会的に葬られたといっても過言ではあるまい。

『変見自在』はかなり前に読んだのだが、私が竹山の名前を心に留めたのは百田尚樹が虎ノ門ニュースでこのエピソードを語った時であった。人のアンテナは季節に応じて感度が変わる。かつてはキャッチできなかったものが歳月を経て心を振動させることがあるのだ。ニュース番組の何気ない一言が私を竹山道雄へと導いた。

『世界史最終講義』で高山は朝日新聞にまつわる数々の罪状をあげつらう。朝日新聞の誤報を正す記事を産経新聞で大々的に報じたところ、朝日の幹部社員が産経に怒鳴り込んできたエピソードを紹介している。「なぜ殴らなかったのか?」というのが私の疑問である。朝日の横暴もさることながら、その横暴を許す環境があったことも見逃すわけにいかない。

 新聞の読者は所詮大衆である。事実を吟味する精神性もなければ、おかしな理窟に気づくほどの知性も持ち合わせていない。メディアが垂れ流す情報を鵜呑みにし、扇情されることに快感を覚えるようなタイプの人間である。まともな大人であれば芸能人に憧れることはないし、お笑いタレントのギャグで笑うこともなければ、わけのわからない選挙のためにCDを買うこともない。

 1968年といえば私が5歳の頃だ。東京オリンピックを終えて、大阪万博に向かう日本は高度経済成長の坂をまっしぐらに走っていたが、学生運動の炎はいまだ消えるに至っていなかった。マスコミはこぞって学生に甘い顔をした。ものわかりのいい大人を演じたのだろう。進歩的文化人は挙(こぞ)って学生運動を支持し、アメリカのベトナム戦争反対運動と結びついてローカルとグローバルがつながる心地よさも確かにあった。

 景気がいい時に過去を振り返る人はいない。財布に十分なカネがあれば未来しか見えない。さあ、買い物にゆこう。

 日本は軍事的な責任を放棄したままアメリカにくっついてゆくだけで金儲けができた。二度のオイルショックも技術革新で乗り切った。飽食の時代はバブル景気で極まった。一億総中流意識という手垢のついた言葉が不安なき日本社会を象徴していた。レールの方向性が正しければ人々はただ走るだけである。

 発展する社会はやがて行き詰まり、停滞の中から新しい時代が産声を上げる。社会が変化し時代が揺れ動き時こそ知性は必要とされる。1968年であれば確かに竹山道雄を死なすことはできただろう。だがそれからちょうど半世紀を経て私が竹山を必要としている。本物の人物は埋もれることが決してない。死後であろうとも必ず輝き始める。金(きん)は地中にあっても尚金なのだ。

 そしてかつて竹山を葬った朝日新聞が凋落の憂き目を見ている。既に常識のある社会人からすれば、赤旗や聖教新聞と同じ類(たぐい)のプロパガンダ紙と化した。そろそろ朝日新聞の墓を作っておいてもいいだろう。

2018-10-17

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 ・日米安保条約と吉田茂の思惑

 思わず語気を強めて詰め寄った。
「憲法改正して再軍備をするのだと、そうおっしゃっていたじゃないですか。今後自衛隊をどうなさるおつもりですか」
「今は経済再建が第一である。経済力が復活しなくて再軍備などあり得ない。経済力がつくまで、日米安保条約によってアメリカに守ってもらうのだ」
 明確な返答には説得力があった。
 たしかに現在の経済力では、実効性のある自衛軍などとても持てない。経済は平和が確保できてこそ発展することは論を俟(ま)たない。冷静に国際情勢を考慮し、経済力に思いを至らせながら判断すると、平和の確保にはアメリカの力を借りるほかはないと理解できた。
 安保条約には反対していたわれわれは、「経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。それまでの間は身を潜めていなくてはいかん」という吉田氏の言葉に納得して、安保条約支持派になったのだった。

【『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)】

 伊藤隆に請われて佐々が90冊の手帳を国会図書館の憲政資料室に寄贈した。その佐々メモが元になっている。上記テキストは確か大学生の佐々が吉田茂と面会した時のやり取りである。

 吉田茂は二枚腰ともいえる粘り強い外交でマッカーサーを翻弄した。外部要因としては朝鮮特需(1950-55年)があったわけだが高度経済成長への先鞭(せんべん)をつけたのは吉田茂である。ところが自主憲法制定を党の綱領に謳った自民党は経済成長を遂げても憲法に手をつけようとはしなかった。タイミングとしては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年/昭和28年)あたりでもよかったように思うが経済的にはまだまだ脆弱だった。日米安保が結ばれたのが1951年(昭和26年)のこと(発効は翌年)。そうすると学生運動の嵐が過ぎた頃からバブル景気の前くらいの時期で憲法改正するのが筋だろう。

 本来であれば憲法改正をする時に自民党は不祥事で揺れ続けた。その結果対米依存を強める羽目となり、大蔵省や郵便局の解体をアメリカの言いなりで行った。憲法改正を掲げて安倍晋三が登場したものの、敗戦から70年以上を経て国民の平和ボケは行き着くところまで行き着いた感がある。

 たとえ憲法が改正されなくとも戦争は起こる。既に中国が仕掛けてきているのだから時間の問題だ。その時に国民が目を覚ますのか、あるいは寝たフリをするのかが見ものである。



憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子/『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行

 ・二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子

『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 有名なエピソードがある。1936年(昭和11年)の二・二六事件のときだ。神奈川県湯河原町の別荘として借りていた伊藤旅館の別棟にいた牧野伸顕のところに、早朝、反乱軍がなだれ込んできた。反乱軍から逃れ、庭続きの裏山に脱出しようとした彼が、銃殺されそうになったとき、和子さんは祖父を救うためにハンカチを広げて銃口の前に立ちはだかったという。
 彼女は聖心女子学院の出身だが、在学中に週刊誌主催のミス日本に選ばれたくらいの美人である。反乱軍兵士は、銃口の前に飛び出して祖父をかばった美女にさぞ驚いたに違いない。孫娘の気迫に気圧(けお)されて、牧野伸顕は命拾いしたといわれている。

【『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年)】

 麻生和子吉田茂の娘で、麻生太郎の母。武家の育ちであるとはいえ、いざという時に行動できるかどうかは日常の覚悟の賜(たまもの)といってよい。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)との寸言は、命の捨て時に迷わぬ精神を示す。ここにおいて「捨てる」とは「最大限に燃焼し尽くす」ことと同義である。日常の中で死を意識することが生の深き自覚となる。武士が望むのは長寿や安穏ではない。名を上げることこそ彼らの望みであり、名を惜しむためには死をも辞さない。

 江戸時代において武家の子女は必ず懐剣(かいけん)を持っていた。用途は二つ。護身と自決である。自決する場合は喉内部や心臓を突いた。

 残念なことに立派な女性が立派な母親になるとは限らない。野中広務〈のなか・ひろむ〉(魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』)が引退してから麻生太郎はタガが外れたように態度がでかくなった。公私を弁えぬ言葉遣いは肥大した自我の為せる業でみっともないことこの上ない。

私を通りすぎたマドンナたち (文春文庫 さ 22-20)
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