2019-05-05

型破りな天才/『評伝 小室直樹』村上篤直


 卒業が近づくにつれて、進路指導が始まる。
 二人きりの職員室で、小林(貞治)と向かい合って、小室はいった。
「大学へ行かねいし」
「大学へ行かないでどうするんだ」
磐梯山(ばんだいさん)の麓に庵(いおり)を結んで、三顧の礼をもって首相に迎えられるまで動かないつもりだし」
(中略)
 小林は、ちょっと聞いてみたくなった。
「一応、聞くが、もしお前に頼みに来たとして、首相になって何をするのだ」
「新憲法を数年間停止して独裁政治をやるし。この憲法では日本中がテンヤワンヤになってしまうし。そして会津に大学を創って小林先生を学長に任命するつもりだし」

【『評伝 小室直樹』村上篤直〈むらかみ・あつなお〉(ミネルヴァ書房、2018年)以下同】

 小室直樹は小学校低学年にして辞書・漢籍の類いまで読み漁り、学校でも神童振りを発揮していた。幼い頃に父が逝去。女手ひとつで育てられるがその母親も中学生の時に亡くなる。親友の渡部恒三〈わたなべ・こうぞう〉を始めとする支援者が現れ、小室は学業を成し遂げることができた。

 高校時代にあっては数学・物理で教師を凌(しの)ぐほどの知識を有していた。実際に教えることもあったという。そんな小室が唯一人信頼するのが小林先生だった。若き天才の野望は常人とスケールが違った。そして小室の魂には会津人の恨みと敗戦の屈辱が刻み込まれていた。

 進学した京都大学で弁論部が結成される。小室も勇んで馳せ参じた。

 所定の時間となると、内田の司会のもと、各自、自己紹介をした。
 小室の番となった。
「小室直樹です。理学部1回生。物理学科志望です。高校は会津高校です。日本は戦争には勝っていたが、原子爆弾で敗けました。だから、湯川さんの研究室に入って原子力を研究し、もっとすごい原爆をつくって“アメリカ征伐”に行く。そのために京都大学に来ました」
 これには皆、驚いた。その上、小室は続けてマルクス批判もした。
 小室の自己紹介を聞きながら真砂泰輔(まさごたいすけ)は「ごっついのがおるなぁ」と感心した。
 他の参加者も同じ思いだった。

 小室は終生、型破りの人であった。天才は枠に収まらない。世間の常識を軽々と超えるところに天才の個性が輝く。奇抜な人物ではあったが学問の基本にはどこまでも忠実で国際的に通用する方法論を示し続けた。

 もしも小室があと20年遅れて生まれたならば、アメリカか中国が三顧の礼をもって迎えたに違いない。

 良書であるがフォントの大きさと改行の多さを思えば4800円はチト高い。

評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才
村上篤直
ミネルヴァ書房 (2018-09-18)
売り上げランキング: 16,509

評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう
村上篤直
ミネルヴァ書房 (2018-09-18)
売り上げランキング: 114,590

読み始める

ヒマラヤ聖者の超シンプルなさとり方
相川圭子
徳間書店
売り上げランキング: 160,961

脳が壊れた (新潮新書)
鈴木 大介
新潮社
売り上げランキング: 8,601

ハリー・クバート事件〈上〉 (創元推理文庫)
ジョエル・ディケール
東京創元社
売り上げランキング: 427,325

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)
ローラン・ビネ
東京創元社
売り上げランキング: 64,526

ハリー・クバート事件〈下〉 (創元推理文庫)
ジョエル・ディケール
東京創元社
売り上げランキング: 399,237

窓から逃げた100歳老人

西村書店
売り上げランキング: 194,797

ペナンブラ氏の24時間書店 (創元推理文庫)
ロビン・スローン
東京創元社
売り上げランキング: 145,036

書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫)
ガブリエル ゼヴィン
早川書房
売り上げランキング: 52,699

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)
アンディ・ウィアー
早川書房
売り上げランキング: 60,187

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

早川書房
売り上げランキング: 35,065

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)
ケン リュウ
早川書房
売り上げランキング: 5,289

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)
J. クリシュナムルティ
平河出版社
売り上げランキング: 266,245

自由とは何か
自由とは何か
posted with amazlet at 19.05.05
J. クリシュナムルティ
春秋社
売り上げランキング: 1,014,542

2019-05-04

時のない状態/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


 ・自由の問題 1
 ・自由の問題 2
 ・自由の問題 3
 ・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
 ・教育の機能 1
 ・教育の機能 2
 ・教育の機能 3
 ・教育の機能 4
 ・縁起と人間関係についての考察
 ・宗教とは何か?
 ・無垢の自信
 ・真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

クリシュナムルティ著作リスト
必読書リスト その五

 誰にも依存してはいけません。私や他の人が、時のない状態があると言うかもしれません。しかし、それがあなたにとって何の価値があるのでしょう。お腹が空いているなら食べたいし、単なる言葉をあてがわれたくはないでしょう。重要なのは、あなた自身で見出すことなのです。まわりのあらゆるものごとが腐敗して、滅んでゆくのが見えるのです。いわゆる文明ももはや集団的意志ではまとまってゆかないし、バラバラになろうとしています。刻々と生は挑戦してきます。そして、単に習慣のわだちから挑戦に応答するなら、それは受け入れという形で応答することになり、そのときあなたの応答は妥当性を持ちません。時のない状態、「もっと」とか「まだ」という動きのない状態があるのかないのかは、「私は受け入れない。究明し、探究してゆこう」と言うときにだけ、見出だせます。それが、一人で立つことを恐れていないということなのです。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 私が最も多く贈本している作品なのだがとにかく反応が芳しくない。どいつもこいつも「難しい」と言う。理窟(りくつ)で捉えるから難しく感じるのだろう。ただ風に吹かれ、雨に打たれるように読めばいいのだ。クリシュナムルティの言葉を通して私の心には恐るべき振動が起こる。しかしながら私自身の音を奏でるまでには至っていない。

科学の限界/『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン

 科学が限界を悟ったのは物理的な時間であるが、人生にとって最大事は心理的な時間である。一生という時間をどう生きるか。そこに一人ひとりの個性がある。

 クリシュナムルティの言葉がわかりにくいのは言葉の圧縮度が高いためだ。例えば上記テキストであれば、「なぜ心は衰退し、老けて、重く、鈍くなるのか?」(176頁)を読めばストンと腑に落ちる。また、「なる」(ビカミング)という理想や目標が将来性を目指して時間を必要とするのに対し、自分自身がただ「ある」(ビーイング)という姿は現在性の中にしか見出せない。我々は成長や向上を目指した途端に社会の奴隷(「習慣のわだち」)となってしまうのだ。

 自転車で走っていると何となく「時のない状態」を感じることがある。




「時のない状態」とは死であろう。「私」という自我を死なすことができれば現在の中に無限を見出すことが可能となる。それはまた過去と未来の否定でもある。「ただ、ある」時、うごめく森羅万象が、生の潮流が眼前に立ち現れるのだろう。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)
J. クリシュナムルティ
平河出版社
売り上げランキング: 194,873

科学の限界/『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン


『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス

 ・科学の限界

『生物にとって時間とは何か』池田清彦
『死生観を問いなおす』広井良典
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 当然ながら、瞬間には時間の経過は含まれない(少なくとも、私たちが知覚しているこの時間の場合には)。なぜなら、瞬間とは時間の素材であり、ただそこに存在するだけで変化しないからである。どれかの瞬間が時間のなかで変化できないのは、どれかの場所が空間のなかで移動できないのと同じことだ。ある場所が空間のなかで移動すれば、別の場所になるだけのことだし、時間のなかである瞬間を移動したとすれば、別の瞬間になるだけのことだろう。このように、映写機の光が次々と新しい「今」に生命を与えていくという直観的なイメージは、詳しい吟味には耐えないのである。どの瞬間も、今このときに照らし出されており、いつまでも照らし出されたままだ。どの瞬間も、今このときに【実在している】のである。こうして詳しく吟味してみれば、時間は流れていく川というよりもむしろ、永遠に凍りついたまま今ある場所に存在し続ける、大きな氷の塊に似ている。
 この時間概念は、ほとんどすべての人が慣れ親しんでいる時間概念とはかけ離れている。アインシュタインは、この時間概念が彼自身の洞察から導かれたものであるにもかかわらず、これほど大きな考え方の変化をきちんと理解することの難しさに無理解ではなかった。ドイツの論理学者で科学哲学者でもあるルドルフ・カルナップは、このテーマでアインシュタインと交わした素晴らしい対話について次のように述べている。「アインシュタインは、今という概念をめぐる問題は彼をひどく悩ませると言った。そして彼は、人間にとって今という経験は特別なものであり、過去と未来とは本質的に異なるが、この重要な差異は物理学からは出てこないし、出てくることはありえないと説明した。彼にとって、科学が今という経験を捉えられないことは、辛いけれども諦めなければならないことであるらしかった」

【『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン:青木薫訳(草思社、2009年/草思社文庫、2016年)】

 主人公は時空である。宗教と科学が時間という軸によって接近することは何となく察しがついた。宗教を尻目に科学は相対性理論や量子論によって時間の本質に迫りつつある。ブッダは現在性を開き、キリスト教は永遠を説いたが宗教の足並みはそこで止まったままだ。

 時間の矢が逆転しても物理的には問題がないという。ところが我々の思考では割れた卵が元通りになることは考えにくい。時間に方向性を与えているのはエントロピー増大則だ。乱雑さは増大し形あるものは成住壊空(じょうじゅうえくう)のリズムを奏でる。

 瞬間に時間の経過は含まれない――とすれば瞬間の中にこそ永遠があるのだろう。そして科学は瞬間において自らの限界を弁えた。ここに科学の偉大なる自覚がある。教団は万能だ。あらゆることを可能にすると宣言し、無謬(むびゅう)であるかのように振る舞う。そこに自覚はない。汝自身を知らずして信者には夢だけ見させているのだ。薬事法を無視した健康食品さながらだ。

 瞬間という現在性に立脚するのが真の宗教性だ。ブッダが道を示し、クリシュナムルティが道を拓き、「悟りを開いた人々」がその後に続く。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静(三法印)のみが真実なのだろう。

 

2019-04-29

アラン・チューリングの計算概念/『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント


『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー

 ・アラン・チューリングの計算概念

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 これは逆説的に見えるかもしれない。人類は明らかにチューリング以前から存在していたのに、チューリングの計算概念はそれまで認識されていなかった。すると、チューリングの理論が、それまでは、その痕跡すら思いもよらなかったというのに、人類にとって根本的なものであるとは、いったいどういうことになるのだろう。
 これに対する私の答えは、チューリング以前の時代にも、実は生命が始まって以来ずっと、あらゆる生命形態の内部で、この世を支配する力は計算だったということだ。しかしその計算は非常に特殊な種類のものだった。この計算は、今のノートパソコンの能力と比べれば、ほとんどどの時点でも負けている。それでも、ある一点、つまり適応に関しては、きわめて優れていた。こうした計算のことを、私はエコリズムと呼ぶ――つまり、その処理能力を自分が住み着いている環境からの学習によって導き、そこで有効な行動ができるようにするアルゴリズムである。これを理解するには、チューリングの言う意味での計算を理解する必要がある。しかし、その定義を精密にして、学習、適応、進化という特定の現象を捉えることも必要となる。

【『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント:松浦俊輔〈まつうら・しゅんすけ〉訳(青土社、2014年)】

 計算の概念を変えたのはチューリングの論文であった。進化すら y=f(x) に置き換えることが可能なのだ。自然環境も人間も変数として扱われる。人生とは生き永らえるための計算(手順、戦略)と考えてよい。我々がマネーの価値を絶対的に信用するのも多分計算しやすいためなのだろう。

 結婚のアルゴリズムを思えばわかりやすい。恋愛感情、家柄、資産、年収、学歴、能力、容姿、性格など様々なチェック項目があるが、誰もが遺伝子を残すために最も有利な選択をする。「チッ、計算高い女だな」と言うなかれ。皆が皆、それぞれ計算をしているのだ。

 政治も宗教もこうした計算の範疇(はんちゅう)に収まる。ただし科学や情報技術の進歩に対して政治や宗教の遅々とした歩みは腑に落ちない。

生命を進化させる究極のアルゴリズム
レスリー・ヴァリアント
青土社
売り上げランキング: 510,201