2020-11-20

鍛原多惠子


 ・身の毛
 ・鍛原多惠子
 ・文明の発達が国家というコミュニティを強化する

 灰皿は煙草の吸い殻だらけで、あちらこちらにお酒がこぼれているようなパーティーに、子どもを連れてきてしまったと思いたい人はいない。楽観的になる気持ちもわからなくはないが、それを合理的な思考と勘違いしてはいけない。(44ページ)

【『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン:鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(河出書房新社、2020年)】

身の毛」に続いてこれだ。三度読んでも理解できず。四度目でやっと「しまった」を鉤括弧で括っていないことがわかった。続く文章も「なくはないが~ない」と打ち消しの三重奏で読みにくい。杜撰(ずさん)な校正が言葉の乱れを招き、やがては社会の混乱に至る。孔子が「名を正す」と言った理由もそこにある。

2020-11-19

ザッカーバーグ、ドーシー(Twitter CEO) アメリカ合衆国上院司法委員会 ヒアリング 不公正な情報操作について


ドキュメンタリー映画『ドラゴンに乗って バイデン家と中国の秘密』【日本語字幕版】

 ・ザッカーバーグ、ドーシー(Twitter CEO) アメリカ合衆国上院司法委員会 ヒアリング 不公正な情報操作について

連邦司法委員会公聴会 なぜTwitterは検閲して言論の自由を封殺するのか?
ドミニオン化されたアメリカ選挙

「92.8%のフェイスブックのスタッフたちは民主党に献金しています。Twitterのスタッフはもっと大きい割合で99.3%が民主党に献金しています。彼らによって行われた間違いは、一時的ではなく、共和党に対して継続的ではないでしょうか」

身の毛


 ・身の毛
 ・鍛原多惠子
 ・文明の発達が国家というコミュニティを強化する

 この物語によれば、私たちの祖先は身の毛のよだつような浅ましい暮らしをしていた、身の毛のよだつような浅ましい生き方だった。(25ページ)

【『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン:鍛原多惠子〈かじはら・たえこ〉訳(河出書房新社、2020年)】

「身の毛【も】よだつような」というのが普通だろう。「も」以外の助詞を初めて見た。「身の毛がよだつ」(Weblio辞書ルーツでなるほど慣用句辞典)、「身の毛立つ」(goo国語辞書)との表現を今検索して知った。ついでながら、「よだつ」は「弥立つ」と書き、「いよだつ」の音変化(goo国語辞書)。いずれにしても、「身の毛【の】よだつような」という表現は見当たらない。不正確な言葉が読書のリズムを狂わせる。2400円の割には紙質が悪く、河出書房新社のフォントはやや太めで読みにくい。

2020-11-18

物々交換/『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰


・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰

 ・物々交換

『心晴日和』喜多川泰
『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰
『書斎の鍵  父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
『ソバニイルヨ』喜多川泰
『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰

 私は、やはり欲しいものを手に入れる方法の基準は、

『物々交換』

 じゃないかと思っているんです。
 貨幣が流通の中心である、現代社会に住んでいる私たちは、そのことを忘れがちですが、やはり私たちが毎日やっているのは単純な『物々交換』でしかないのです。
 こんな話をすると、「今の日本で物々交換で手に入れられるものなんてないよ」とか「最近そんなのしたことない」と感じるかもしれませんね。でも今も昔も、そして世界中のどこであっても、私たちが欲しいものを手に入れる方法というのは、『物々交換である』というのが事実なんです。
 驚きましたか? わかるように説明しましょう。
 私たちがしている行為は、以下のように説明できます。ゆっくり読んでみてください。

『相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがあるものとを、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』
(中略)
『相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがる“お金”とを、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』
(中略)
『会社が持っているものの中で自分が欲しい“お金”や“安定”と、自分が持っているものの中で相手が欲しがる“労働力”や“時間”を、お互いがちょうどいいと思う量で交換している』

【『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007年)】

 就職活動中の大学生が喫茶店で奇妙な広告を見つける。「手紙屋」を名乗る広告主は10通の手紙で「あなたが人生で実現したいことを実現するお手伝いをさせていただきます」と書いていた。

 今となっては古いコミュニケーション手段と思われがちな手紙だが、CC(カーボンコピー)ができない個別性の価値が失われることはないだろう。

 私の世代だと小学生の頃から年賀状を書く作業はかなり重要な仕事だった。大学進学で東京や地方へ旅立っていった友人とも手紙でつながっていた。そもそも1990年代まで愛の告白は専らラブレター(恋文)で行われていたのだ。私が上京してからは弟妹にも手紙を認(したた)めたことがある。最後に書いたのは昨年だ(仲好しだったオバアサンへの手紙)。

 私より前の世代だと月刊誌で文通相手(ペンパル)を募集することは日常的な光景だった。見知らぬ人であっても、書く時間は相手へ真っ直ぐに向かっている。その時間と行為が手紙という結晶になる。

 喜多川泰が意図的に「物々交換」や「量」と書いたのは、決して質や情を無視したわけではなく「時間」に重きを置いたのだろう。利他とは誰かのために割いた時間の具体性を意味する。無私の人は欲望という様々な色を脱ぎ捨て、光のように透明化して他人を照らす存在となる。

 戦没学生や特攻隊の遺書が時代を経ても我々の心を打ち続けるのは、それが「後世に対する手紙」であるからだ。

『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編
『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

 喜多川のメッセージは、「欲しければ施せ」「施せば得られる」と解釈することも可能だろう。では特攻隊が差し出した命と引き換えに彼らが得られたものは何だったのか。それを想わずにはいられない。

 対価を求めれば損得の関係性にとどまる。我々の幸福は経済的価値に引きずられ過ぎている。だが、「百年の後に知己を待つ」生き様がもっとあっていいのではないか? 無理解に苦しむのは対価を求めているためだ。仕事で苦労や悩みが絶えないのは賃金に支配されている証拠である。もっと超然と軽やかに生きればいい。対価など求めるな。施せる限り施し、分け与え、すってんてんになって死ぬのが望ましい。裸で生まれてきたのだから裸で死ぬのが正しい生き方だ。

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