2015-11-22

明治維新は正しかったのか?/『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織


『逝きし世の面影』渡辺京二

 ・明治維新は正しかったのか?

『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ところが、日本人自身に自国が外国軍に占領され、独立を失っていたという“自覚”がほとんどないのである。従って、敗戦に至る道を「総括」するということもやっていないのだ。ただ単純に、昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立て、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった。
 実は、俗にいう「明治維新」の時が全く同じであった。あの時も、それまでの時代を全否定し、ひたすら欧化主義に没頭した。没頭した挙句に、吉田松陰の主張した対外政策に忠実に従って大陸侵略に乗り出したのである。つまり、私たちは、日本に近代をもたらしたとされている「明治維新」という出来事を冷静に「総括」したことがないのである。極端に反対側(と信じている方向)へぶれるということを繰り返しただけなのだ。

【『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織(毎日ワンズ、2012年/歴史春秋出版、2015年1月/毎日ワンズ改訂増補版、2015年)】

 明治維新に一石を投じる内容。司馬史観に物申すといった体裁である。専門家ではないからこそ大胆な見方ができる。ただし「総括」とは左翼用語であることに留意する必要がある。

 岸田秀が吉田松陰の小児的な自己中心性を指摘している(『ものぐさ精神分析』1977年)。原田伊織は松下村塾は私塾ですらなく、吉田松陰と高杉晋作らは単なるテロリスト仲間とまで断じる。

 原田の基調は「会津史観」ともいうべきもので、会津戦争(1868年:慶応4年/明治元年)の悲劇に寄り添う感情に傾く。良し悪しは別にしてその情緒こそ本書の読みどころであろう。

 本書が会津の罪に触れていないことも注意を要する。また左巻きの連中は会津を持ち上げる傾向が強いようだ。

 明治維新という大風は不思議な現象であった。攘夷派は将棋倒しのように開国派へと鞍替えし、西洋から買い入れた武器で内戦を行っていたのである。

 尚、戊辰戦争(1868-69)については薩長土の低い身分の者どもを士族に引き上げる報奨を与える目的があったと落合莞爾が指摘している(『逆説の明治維新』2015年)。

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
原田 伊織
毎日ワンズ
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2015-11-21

村上兵衛、他


 4冊挫折、1冊読了。

虹の戦士』北山耕平翻案(太田出版、1999年)/吉本ばななの序文で読む気が失せる。ダイオキシンの件(くだり)でやめた。北山は心情左翼か。

赤い右手』ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ:夏来健次訳(国書刊行会、1997年/創元推理文庫、2014年)/1ページで挫ける。私は文章を読みたいのであって謎解きに興味はない。

ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』杉山春(ちくま新書、2013年)/母親に寄り添いすぎて確かな視点を見失っている。ルポではなく、被害者救済のボランティアといったレベルだ。そのため文章が弱い。この分野も心情左翼の巣窟である。

偽札百科』村岡伸久(国書刊行会、2010年)/硬派なオタク本。紙も厚い。読み物としての工夫に欠ける。

筑摩現代文学大系 75 中村真一郎・福永武彦集』(筑摩書房、1984年)/活字が小さすぎる。

 155冊目『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)/昨日、徹夜で読み終える。そして風邪をひいた。村上は軍人上がりの作家。柴五郎は義和団の乱における北京籠城で世界に盛名を馳せる。軍事力を伴った大掛かりな『ホテル・ルワンダ』と考えてよい。事後、世界各国から勲章を授与される。この時の日本人の奮闘と柴の振る舞いが後の日英同盟につながる。柴は英・仏・シナ語に堪能で人生の多くを海外で過ごしている。最期には涙禁じ得ず。明治人といよりは会津藩士として生き抜いたと私は見る。

武田邦彦「テロではなく戦闘行為」「米英仏露の国連常任理事国こそテロ国家」


 国際法に基づく武田の主張。歴史的にも正当性があると思われる。佐藤優が絶対口にしない内容だ。武田邦彦の温厚な性質に保守の本領がある。












2015-11-20

円の戦争:「国際金融資本」に逆らった男=石原莞儞中佐



石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人 (双葉新書)戦争史大観 (中公文庫BIBLIO)最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

 ・会津藩の運命が日本の行く末を決めた

・『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ

 新政府軍は、警固をキビしくし、「脱走者は発見しだい斬り捨て」の命令を下した。藩主松平容保(かたもり)の謹慎している滝沢村妙国寺でも、警戒はいっそう厳重になった。万一に備えて、大砲の砲口を容保の居室に向けている、という噂もあった。
 そこに夜陰の暴風雨に乗じて、また5人の少年が脱走した。その中には山川健次郎、赤羽四郎、そして柴四朗ら、かつてのフランス語仲間もまじっていた。
 ――これは、じつは会津藩の重役たちの「命令」によるものだった。
 重役の関心事は、藩に下される罪の程度であった。彼らは、さすがに藩士全員が斬罪などということは考えなかったが、家老の何人かが切腹、あるいは斬罪は免れまい――と、覚悟していた。問題は、藩主容保に対する処分である。
 その寛厳をうらなうために、重役たちは少年たちを脱走させた。少年たちは若松城にある政府本営に出頭して、主君の助命嘆願をおこなう。そして、それに対する「敵」の出方をうかがってみよう、という目論見だった。
 まかり間違えば、斬り捨てである。あるいは脱走の罪に問われ、みせしめに切腹におよぶかも知れない。
 しかし、十五、六歳の少年たちには、よもやそこまでの厳科は下さないだろう。そして、その処罰の程度によって藩の将来をうらない、考えよう。……それが藩の重役たちの腹づもりであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)以下同】

 まだ読み終えていないのだが書き残しておく。文庫で774ページの大冊。読書日記としては155冊目の読了本ということにしておく。光人社は2012年に同系列の潮書房と合併し、現在は潮書房光人社となっている。潮書房は軍事雑誌『丸』で知られる。光人社NF文庫も殆どが戦争・軍事・戦記ものである。NFはノンフィクションの略だろう。

 柴四朗は五郎の兄で、白虎隊の一員であったが病で戦線から離れ生き永らえた。西南戦争では谷干城〈たに・たてき〉に目をかけられた。その後、岩崎弥太郎の援助を得てアメリカへ留学。帰国後、東海散士〈とうかい・さんし〉のペンネームで帝国主義と小国の民族解放を描いた小説『佳人之奇遇』(かじんのきぐう/4篇全16巻)を著しベストセラーとなる。1892年(明治25年)以降は長く政治家を務めた。

 山川健次郎は東京帝国大学・京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長。赤羽四郎は外交官となる。いずれも日新館出身の逸材といってよい。そして柴五郎は、乃木希典東郷平八郎に先んじて世界に勇名を馳せた日本軍将校である。

 参謀の乾退助(のち板垣)の部下、伴中吉が少年たちを引見した。「自分らは藩主の身を思うあまり、あえて規則を破って推参したものでございます。どうか主君の処置を寛大にして頂きたい」との申し立ては「聞きおく」にとどめられたが、彼らの命がけの行為には好感が寄せられた。長く待たされた後、贅(ぜい)を尽くした膳が供された。

「遠慮なく、食べるがよい」
 係の侍はそういって退いたが、頃を計って部屋に戻ってみると、誰一人箸をつけている者がない。
「いかが致した……?」
 山川健次郎が5人を代表してこたえた。
「謹慎中の藩士たちは、十分な食事も摂(と)らずにおります。せっかくのご好意ながら、私どものみが、このようなご馳走をいただくわけには参りませぬ」

 敗者であり、かつ力弱き少年たちの嘆願を知った瞬間、頭の中で閃光がほとばしった。「これは大東亜戦争に敗れた日本の姿そのものではないか!」と。日本の首脳陣は国体すなわち天皇陛下の処遇を最優先事項とし、提出した憲法草案は明治憲法と変わるところがなかった(『國破れてマッカーサー』西鋭夫、1998年)。京都守護職を務め、孝明天皇からも信頼されていた会津藩がなにゆえ朝敵となったのか? ここに明治維新の矛盾がある。新生日本を牛耳ったのは薩長閥で、やがて大東亜戦争を招き(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)、現在にまで影響を及ぼす(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人、2008年)。

 もともと朝敵であった長州藩がなにゆえ官軍となり得たのか? その疑問はまだ晴れていない。調べれば調べるほど南北朝の歴史、岩倉具視や徳川慶喜の役割がはっきりしなくなる(落合莞爾『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』2013年、『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』2012年)。

 更にたった今、驚くべき事実を知った。戊辰戦争を前にした会津・庄内両藩がなんとプロイセン(ドイツ)のビスマルクに北海道の一部売却を打診していたというのだ。

維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認

 東大史料編纂(へんさん)所の箱石大准教授らが、会津、庄内両藩が戊辰戦争を前にプロイセン(ドイツ)との提携を模索したことを物語る文書をドイツの文書館で確認した。日本にはまったく記録がないが、薩摩、長州を中心とした新政府軍に追いつめられた両藩が、外交に活路を求めていたことが明らかになった。

 ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。

 船便なので届くのに2カ月ほどかかったようだ。「軍港の候補になるが、断るつもりだ」と宰相ビスマルクは10月8日に海相に通知。この日は、新政府軍が会津若松の城下に突入した日に当たる。ほぼ1カ月後に会津、庄内は降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想していなかったのだろう。

◆顧みなかったビスマルク

 ビスマルクは欧米列強間の協調と戦争への中立という視点から、両藩の提案を退けた。それに対して海相は「日本が引き続き混迷の一途をたどった場合は、他の強力な海軍国と同様に領地の確保を考慮すべきだ」と10月18日に返信していた。

 箱石さんらは当時の政治状況や人間関係も調査、研究した。新政府の背後には英国がいて、新式の武器や弾薬は英国商人が供給していた。幕府が頼りにしてきた仏国は中立に転じていた。

「会津、庄内両藩は新政府軍の最大の標的であり、懸命に活路を見いだそうとしてブラントの意向と合致したのだろう」と箱石さんは見る。

 ドイツの公文書と同時に東大には貴重な資料がもたらされた。スイス在住のユリコ・ビルト・カワラさん(86)が長年調査したシュネル兄弟の記録だ。会津藩の奉行で戊辰戦争で戦死したカワラさんの曽祖父と親交があった。

 国学院大栃木短大の田中正弘教授によると、新潟港を拠点に東北諸藩に武器をあっせんしたシュネル兄弟は会津藩の軍事顧問をつとめたが、国籍不明で謎の人物とされてきた。兄が政治面を、弟がビジネス面を、分担したという。

 カワラさんの調査で兄弟の出自が判明。プロイセンの生まれで、父の仕事の都合でオランダの植民地だったインドネシアで育ち、開港直後に横浜にやってきていた。

 オランダ語ができたことが兄弟の強みだったようだ。プロイセンの外交文書は、ドイツ語の原文をオランダ語に訳し、2通そろえて幕府に出した。そうした文書が東大史料編纂所に残っており、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調べて、オランダ語への翻訳に兄のサインを見つけた。武器商人に転じるまで兄はプロイセン外交団の一員だったことが確認された。「会津、庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」と田中さん。

 一連の研究は明治維新に新たな視点をもたらした。「英―仏の対抗図式に目を奪われるあまり、維新や戊辰戦争をより広い世界の中に位置づけることや、東北諸藩が武器、弾薬をどのように調達したのか分析する視点が不足していた」と東大の保谷徹教授は話している。

朝日新聞DIGITAL 2011年2月7日

戊辰戦争の史料学』を読まねばなるまい。

 最後にもう一点だけ。村上兵衛は「あとがき」で「『ある明治人の記録』もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠(よ)らなかった」と記す。私が確認し得たのは、犬の肉に難儀する少年五郎を父が叱責する場面くらいだ。村上は「自著に潤色なし」と言いたいのであろう。表現者としてはいささか狭量の謗(そし)りを免れない。原文と違うから潤色では短絡が過ぎるだろう。老境の柴本人から聞いた可能性も考えられる。事実を重んるあまり想像力の翼を畳んでいる印象を全体から受ける。ただしそれで柴五郎という素材が曇るわけではない。

【付記】「お家存続」は日本の価値観のテーマたり得ると思う。山本七平が「日本において機能集団は共同体(擬制の血縁集団)と化す」と指摘している(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平、1980年)。小室直樹も同じことを主張する。これは日本全体が天皇陛下を中心とする「家」を形成しているためと考えてよさそうだ。血脈信仰といってよいかどうかは今のところ判断しかねる。女系天皇を巡る問題の本質もこのあたりにあるのだろう。尚、藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉によれば、血液型と性格には相関性があるという(『脳はバカ、腸はかしこい』2012年)。



マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

2015-11-18

石光真人、古谷文太、内藤国夫、水木しげる、兵頭二十八、藤原肇、他


 4冊挫折、6冊読了。

攘夷の幕末史』町田明広(講談社現代新書、2010年)/開国派も攘夷派も「尊王」という点では一致していた。尊王攘夷と公武合体の対立軸をずらすと別の側面が見えてくる。文章が冴えず。

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』落合莞爾〈おちあい・かんじ〉(成甲書房、2013年)/藤井厳喜〈ふじい・げんき〉おすすめ。忍耐力を総動員して1/3ほど読む。「さる筋」「その筋」による口伝情報を基に南北朝の裏面史に迫る「推理小説」と言ってよい。私は皇室の歴史には疎いので全く面白からず。この手法がまかり通るのであれば何でもありになるだろう。amazonレビューの評価が高いのが意外である。

ナイスヴィル 影が消える町(上)』カーステン・ストラウド:山中朝晶〈やまなか・ともあき〉 (翻訳(ハヤカワ文庫、2015年)/ホラー。スピード感を欠く。

記憶に自信のなかった私が世界記憶力選手権で8回優勝した最強のテクニック』ドミニク・オブライエン:梶浦真美訳(エクスナレッジ、2012年)/ツイッターで知った本。私はかなり物覚えが悪い。そのためメモ魔である。油性ペンで手に書くことも珍しくない。演習を真剣に行うことが必須である。私はやらなかったが。「演習2」でわかったのだが、記憶術とは「想像力を駆使して共感覚化を行う作業」なのだろう。情報をコード化しストーリー設定を行うジャーニー法を著者は編み出す。52枚のトランプを3分間で記憶できるという。

 149冊目『賢く生きる 藤原肇対談集』藤原肇(清流出版、2006年)/面白かった。やはり頭のいい人である。対談相手も多士済々。西原克成が森鴎外をクソミソにすると藤原が何とか持ち上げようと頑張るところで大笑い。首藤尚丈のダイヤモンドカット特許に目を瞠(みは)る。寺川正雄の会計工学は初耳。最後は池口恵観との対談で藤原が空海は過去にも入唐(にっとう)していたのではないかと推理。石油から宗教まで網羅する豪華対談。

 150冊目『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(光人社、2007年)/目から鱗が落ちる。確か藤原本で紹介されていた一冊。Q&A形式でありながら、日本の近代史を正確かつ精緻に辿る。本書を読まなければ単純な日本万歳という迷蒙に陥る。冴えない表紙に騙されることなかれ。ある程度近代史を踏まえた上で読むのがよかろう。「必読書」入り。

 151冊目『総員玉砕せよ!』水木しげる(講談社、1973年/講談社文庫、1995年)/宮崎哲弥がネットテレビで紹介していた一冊。水木本人の体験に基づく漫画作品。「あとがき」に90%は事実であると記されている。将校が威張り散らし、何かにつけて制裁を下す。ビンタ、ビンタの連続。小集団におけるいじめは日本文化か。ペリリュー島ものと併せて読むべきだ。軍隊の悪しき断面。兵卒の「はーい」という返事に違和感を覚える。作品としてはさほど評価できず。

 152冊目『公明党の素顔 この巨大な信者集団への疑問』内藤国夫(エール出版社、1969年)/新書サイズ。ある時期において朝日の本多勝一と毎日の内藤国夫が大学生の人気を二分していたことがある。驚くほど良心的な批判本である。たまげた。増長せる都議会公明党がトリッキーに議会運営を掻き回す様が克明に描かれている。当時の中心メンバーであった竹入義勝と竜年光〈りゅう・としみつ〉が後に創価学会を去ったことを思えば隔世の感あり。尚、藤原弘達〈ふじわら・ひろたつ〉よりも先んじて恐るべき出版妨害が行われたという。公明党が国民政党になり得なかった最大の理由は批判アレルギーであろう。

 153冊目『「値引きして売れるなら捨てるよりマシ」は本当か? 将来どちらのほうが儲かるかで考える損得学』古谷文太〈ふるや・ぶんた〉(ダイヤモンド社、2010年)/デビュー作とは思えないほど文章がこなれている。まるでテレビドラマか漫画作品のノベライズ化。現実感の乏しさよりも説明能力の高さを評価すべきだろう。会計学とは似て非なる「損得学」を提唱。実にわかりやすい。

 154冊目『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人〈いしみつ・まひと〉(中公新書、1971年)/魂の一書である。今頃になって読んだことを深く恥じ入る。明治人のハードボイルド文体が読者の背に鞭を振るう。襟を正さずして本書と向き合うことはできない。維新に翻弄された会津人の苦衷を思う。尚、村上兵衛は本書に「潤色あり」と断じているが具体的な説明がない。私にとって柴五郎はセネカとほぼ同じ高みに位置する。

2015-11-17

左翼とサヨクあるいは反日を巡って/『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり


 ・左翼とサヨクあるいは反日を巡って

・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

【日本の】個人主義者は国家が嫌いである 権力も嫌いである

 そしてこの平和が自明のものであり 税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている

 日本の個人はまるで消費者なのだ!!

【『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり(幻冬舎、1998年)以下同】

 漫画吹き出しのためテキストの改行は無視した。日本の古代が『古事記』というフィクションによって成り立ち(『官僚病の起源』岸田秀、1997年)、明治維新という擬装を通して近代化された(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)ことを思えば、この国はたぶん理念を欠いている。ただし四方を海に囲まれた地理的優位さが歴史と伝統の形成を可能にした。

 近代日本において左翼と右翼を定義することは難しい。江戸末期では攘夷派も開国派も尊王を標榜しており(『攘夷の幕末史』町田明広、2010年)、倒幕という運動性と残虐な急進性からすれば攘夷派は完全な左翼である。ところが右翼の原点は西郷隆盛の精神にあり、玄洋社(1881-1946年)が道を開いたのである。昨今では「過激な」右翼と「穏健な」左翼という顛倒(てんとう)した事態となっている。

 1922年(大正11年)に日本共産党が結成される。度重なる弾圧を経て、しばしば破壊活動を起こし、同党は敗戦の後に合法化される。これをもって「左翼とは『天皇制』打倒を目論み、日本文化を否定しかつ破壊へと導く思想・行動」と認められるか。

 スターリンが言い始めた「天皇制」(emperor system)とのキーワードは左翼用語であり、個人的には「いわゆる天皇制」(「いわゆる従軍慰安婦」に倣〈なら〉う)と表現したい。制度を導入したというよりは自然発生的であったと考えるためだ。文脈によっては「天皇制」と鍵括弧を付けることにする。

 わしは戦後180度転換したこの日本の「空気」をすべて疑う(中略)

 日本を覆うその「空気」とは…(中略)

 新聞のほとんどに彼らはいる

 テレビ 雑誌 マスコミ内に いる

 教育界にかなりいる

 司法関係者にいる

 国外にまで暗躍している

 この「残存左翼」に操られやすいのが「うす甘いサヨクの市民グループ」だ

 明確な左翼思想を持つわけでなく…人権・平等・自由・フェミニズム・反戦平和などの思想が彼らを突き動かす(中略)

「うす甘いサヨク市民グループ」の周りには 大多数の「うす甘い戦後民主主義の国民」がいるわけである

 つまり「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を揚げれば「残存左翼から「うす甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう

 要するに戦後民主主義は「サヨク」なのだ!

 それが「空気」の正体である

 次に紹介するのはニコニコ大百科(仮)の「サヨク」という項目である。

 サヨクとは、本来の左翼思想と「人権・平等・環境」といった理念を振りかざす左翼シンパシー的な立場を区別する上で、用いられる用語である。

 現在はネット言論(2ch、ブログなど)において広く用いられている。レッテル・蔑称としても用いられる。

概要

 明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。

 カタカナ表記の「サヨク」は小説のタイトルとしてつかわれることもあったが、漫画家の小林よしのりによって、従来の左翼と区別される思想・政治的立場を示す語として積極的に用いられるようになった。小林は、「サヨク」という語を、イデオロギー的な議論を避け、表面的なスローガンに論点をすりかえる方法論を、カタカナ表記のフランクさによって揶揄する意味で用いたと考えられる。

「サヨク」の背景

 冷戦下の政治工作の一環として、共産主義陣営は資本主義国内部の批判勢力を組織・支援した。こうした工作はマスコミや「進歩的知識人」「市民団体」などを通して行われたが、このときに用いられたのが「平和・民主主義」といったスローガンであった。

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が失敗をみたことが知れ渡ると、イデオロギーとしての左翼は求心力を失ったが、これらの批判勢力は口当たりのよいスローガンに身を隠しつつ、活動を継続していった。

「サヨク」はこうしたイデオロギー的ルーツを表面に出すことなく(または自覚することなく)現在も根強く活動している。

ニコニコ大百科(仮)

 左翼はフランス革命の急進派(ジャコバン党)に始まり、共産主義・社会主義を経て、リベラル派への変態を辿る。日本においては東京裁判史観に基づく戦後教育が、昭和期に至るまでの伝統を消し去った。経済成長を遂げるにつれ武士道という節度も溶解した。愛国心は鼻で笑われ、国民は国体を見失った。

 日本の近代史は奥が深い。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識洗脳プログラム)や薩長土肥によって綴られた明治維新以降は、飽くまでも「官軍の歴史」であると理解すべきだろう。

 佐藤優が小林を批判していた。気をつけなければならないことは佐藤の指摘は歴史認識としては正しいのだが、GHQによる占領政策から人々の目を逸(そ)らさせてしまう点にある。彼はそれを計算ずくで行っているのだろう。私としては小林の漫画は読むに堪(た)えないし、「わし」という言葉づかいが社会性を無視して鼻持ちならないが、小林の書籍や言動から少なからず影響を受けており、敬意を表するものである。

 民主制(※デモクラシーを民主主義とするのは誤訳)は情報公開(ディスクロージャー)によって作動する。私が民主制よりも貴族制を重んじるのは、あらゆる国家において100%の情報が公開されることはないと考えるためだ。

 左翼という政治性、サヨクという知的欺瞞、反日という民族嫌悪は平和という名の温室で栽培された。戦争は経済問題に起因する。そして経済は気温に左右される。すなわち地球の寒冷化が戦争を生むのだ。国内情勢を見るだけでも地球温暖化の嘘が知れよう。温暖で作物が豊富にとれれば人々は争わない。石油の確認埋蔵量も増えているからエネルギー確保が戦争要因となることも考えにくい。いずれにせよ2020年の東京オリンピックまでには明らかとなるに違いない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉

アンサイクロペディア:左翼
左翼有名人リスト
日本共産党が機関紙「赤旗」紙上で32年テーゼを発表

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2015-11-15

神保哲生×佐藤優×萱野稔人 特別対談「新・世界地図」


 ほぼ佐藤優の講義状態。遠慮なし(笑)。それでも萱野〈かやの〉が全体像を描くことに腐心しており、その全てに対して佐藤が賛同を表明する。萱野の健闘が光る。萱野は『マル激トーク・オン・デマンド』(神保、宮台)の準レギュラーを務める。

2015-11-14

田原総一朗×佐藤優×宮崎学「今なぜ"資本論"なのか!? 日本の未来とアベノミクス パート2」


 佐藤優の歴史認識は極めて正確である。特に大東亜戦争の件(くだり)では私が最近、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』(兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉、光人社、2007年)で初めて知った歴史的経緯もきちんと踏まえている。佐藤は返す刀で小林よしのりを批判するが、こうした印象付けの巧みさはスパイさながらだ。しかも田原が小林と親しい関係性にあることも知っているのだろう。また一貫して孫崎享〈まごさき・うける〉を小馬鹿にしているが稀に持ち上げることがある。持ち上げることで落差が際立つ。そのあたりも多分計算済みなのだろう。彼の言動がプロパガンダに見えてしまう瞬間である。どうせやるなら正面からきちんと批判すべきだろう。びっくりしたのだが宮崎学の劣化ぶりが酷い。新橋の呑み屋にいるサラリーマン以下に感じた。



資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

SDRに人民元


人民元、基準通貨入りへ=30日決定-IMF

 国際通貨基金(IMF)は13日、準備資産「特別引き出し権(SDR)」の算定基準となる通貨に中国・人民元を加えるのが妥当との報告を正式発表した。IMF加盟国から大きな反対の声は上がっておらず、元は30日の理事会で、ドル、英ポンド、日本円、ユーロに続き、5番目の基準通貨に決定される見通しだ。
 元が基準通貨入りすれば、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国が、国際金融で一段と存在感を強めることになる。  基準通貨への採用は「貿易での利用量」や「取引の自由度」が条件。IMFは報告で、中国が取り組む市場改革を評価し、理事会に「元は(量だけではなく)自由度でも条件を満たした」との見解を伝えた。
 ラガルドIMF専務理事は「報告を支持する」と明言。加盟国代表で構成する理事会に承認を仰ぐ意向を示した。
 元の基準通貨入りを要求する中国に対し、米国や日本は当初、警戒姿勢を示していた。しかし、中国との経済緊密化を狙う欧州諸国が賛成に傾いたため、日米も「基準を満たせば支持する」などと姿勢を軟化させた。
 SDRはIMF加盟国に出資額に応じて配分される仮想通貨で、外貨不足に陥った国は、手持ちのSDRを米ドルなどと交換できる。今年は5年ごとの構成通貨の見直し作業が行われた。

2015-11-14 時事通信



SDRに人民元:国際金融でも中国が「主要国」の地位に

 中国の人民元が、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に採用される見通しになったのは、日米欧が主導権を維持してきた国際金融の面でも、中国が「主要国」の地位を得ることを意味する。中国は存在感が拡大する一方で、人民元の為替相場を一定の変動幅に抑えていることや海外への持ち出し制限など依然残る規制について、一層の改革を求められることになる。
 人民元をSDRに採用することに関して、日米は当初慎重姿勢だったが、英国など欧州勢や新興国が支持を表明する中、IMFが妥当と判断すれば賛同する方向に姿勢を軟化させていた。実際に採用されるには、各国政府や中央銀行の準備が必要で、実施は来年10月になるとみられる。
 人民元の構成通貨入りは、主要国際通貨としての「お墨付き」を得るのに加えて、各国が外貨準備として人民元を持ちやすくなり、貿易取引に人民元を使う機会も増えるなど、中国が推進する人民元の国際化の追い風になるのは確実だ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国はSDR入りをテコに、人民元の国際化を進め、ドル依存からの脱却を目指すとみられ、第二次世界大戦後のドル基軸通貨体制にとって転機になる可能性を秘める。また、円は相対的に存在感が低下する可能性がある。
 一方、人民元が名実ともに主要通貨として認められるためには、国際社会の期待に沿って、為替取引などの人民元改革や資本規制改革を進めることが求められる。海外からの資金の出入りが増えれば、先進国と同様、バブル経済を呼び込んだり、金融危機を招いたりするリスクは高まる。中国国内には改革を遅らせようとする動きもあり、世界は改革の行方を注目している。

毎日新聞 2015-11-14

国旗の重み 海洋国家日本の海賊退治

2015-11-13

渡辺美里シングルヒストリー


 パンチのあるストレートな声が懐かしい。元気印を絵に描いたような歌い手だった。もう一度、小室哲哉に作曲を依頼してはどうだろう。





Song is BeautifulM・Renaissance~エム・ルネサンス~

2015-11-12

ロシア革命の実態はユダヤ革命/『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫


『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 ・ロシア革命の実態はユダヤ革命

 ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。

【『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)以下同】

 アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は新生ソ連に対して「素晴らしい民主主義国家が誕生した」と賛美した。ウィルソンといえばパリ講和会議(1919年)で日本が提案した人種的差別撤廃提案に対して、唐突に「全会一致が望ましい」と言い出し、国際連盟の議長権限で否決した人物である。さしずめ有色人種の人権は軽くユダヤ人の人権は重いといったところか。

「ユダヤ系国際金融」と聞けば陰謀論めいているが、キリスト教が利息を禁じていたため金融業はユダヤ人が行ってきたヨーロッパの歴史がある。信用創造や株式による投資を編み出したのも彼らであった。

 では、ウィルソン大統領はなぜロシア革命を礼賛したのでしょうか。その理由は、彼の周囲を固めていた側近たちが皆社会主義者であったということです。ウィルソン大統領が第二の自分とまで呼んで信頼していたエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義者でした。ハウス大佐は一介のユダヤ系民間人にすぎませんが、ホワイトハウス内に執務室を与えられていました。ウィルソン大統領の側近中の側近の補佐官であったのです。このように、議会の承認を必要としない、いわば令外官(りょうげのかん)がアメリカ大統領に最も影響を与える地位に就くことができるのです。
 この方程式は現在まで続いています。有名なヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(1923年~)は、私人の身分でニクソン大統領の外交政策を牛耳りました。カーター大統領の安全保障担当補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキー(1928年~)は、オバマ大統領の外交顧問を務めたほど、長期にわたり民主党の外交政策に影響を与え続けました。


「エドワード・マンデル・ハウス」で検索したところこの動画を見つけた。どうやら社会主義よりも国際主義に重きがあるようだ。

 当時の米ソを理解するために欠かせないのはアーマンド・ハマー(1898-1990年)だろう。共産主義のシンボルである「鎌とトンカチ」がそのまんま名前となっている(アーム・アンド・ハンマー)。



「ハマーの父親ジュリアスはロシアから移住してきたユダヤ人医師で、アメリカで最初に『共産党』を組織した男だった」(石油王Dr.ハマー 米ソ貿易で巨利を得たユダヤ大富豪)。正確には「アメリカ共産党の元となった社会主義労働党の創設者」である。「冷戦時代に東西両陣営を股にかけて活躍し、米ソ外交の“影の主役”として歴史に名を残した」(アメリカで活躍するユダヤ人)。更に中国への出入りも自由であった。彼は自家用ジェット機で晩年に至るまで世界を飛び回った。

 ソ連建国が1922年。ウッドロー・ウィルソン政権下でFRB(連邦準備制度)の設立が1913年である。「J・P・モルガンが所有するジキル島クラブで秘密会議が開かれ」「多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した」(Wikipedia)。きな臭い匂いがプンプンする。

 後にソ連のスパイであったハリー・デクスター・ホワイトによってIMFが設立された(『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男、2000年)ことを考えると、FRB設立はユダヤ人によるアメリカ乗っ取りシステムの構築と考えていいだろう。ハマーの資金が投じられたという説もあるが年齢を踏まえると父親によるものか。

 アーマンド・ハマーは池田大作中丸薫とも親交を重ねた。まったくユダヤ人は恐ろしいものだ。



元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史
ロシア・ユダヤ人実業家の興亡
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

兵頭二十八講演会 in 宇都宮







文庫 「日本国憲法」廃棄論 (草思社文庫)文庫 日本人が知らない軍事学の常識 (草思社文庫)日本の戦争Q&A―兵頭二十八軍学塾ニッポン核武装再論

2015-11-11

国産発のジェット旅客機MRJが初飛行/『始祖鳥記』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一

 ・時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語
 ・国産発のジェット旅客機MRJが初飛行

『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

 暮し向きが定まれば、所帯を持つことを人は考える。子をもうけ、妻子を養うために日々を送って年老いてゆく。腕のいい表具師と言われ、他国木綿の移入で財をなした商才のある者と呼ばれ、あるいは運がいいと噂される。通常人が望むものが目の前にあっても、その時に幸吉がまず感じたものは耐えがたい腐臭だった。

【『始祖鳥記』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2000年/小学館文庫、2002年)以下同】

 日本で初めて空を飛んだとされるのは備前岡山の浮田幸吉〈うきた・こうきち〉(1757-1847年)である。7歳で父を亡くし傘屋へ奉公に出され、のち表具師となる。後年には晒(さら)し木綿商人となり、更には時計の修繕と義歯の製作も行った。

 一度目は失敗。幸吉は足を骨折した。初めて飛んだのは旭川にかかる京橋で天明5年(1785年)8月21日のこと。それ以降、「岡山の幸吉」「鳥人幸吉」と呼ばれた。折しも天明の大飢饉で各藩は世情の動向に目を光らせていた。幸吉の飛行は「天狗が出た!」と大騒ぎになり、当局はこれを見逃さなかった。世を騒がせ人々を不安に陥れたとして所払いの処分を受ける。

 人々にとって空は眺めるものであった。だが幸吉にとって空は翔(か)けるものであった。飛ぶ情熱は埋み火のように胸の底で燃え続けた。幸吉が感じた腐臭は、敗戦後の日本が国家として独立する力を奪われ、平和という名の下で高度経済成長を遂げてきた姿と重なる。平和は澱(よど)み、腐臭を放っている。

 マッカーサーは日本の再軍備を認めなかった。それだけではない。零戦(ぜろせん)の技術力を恐れたGHQは日本に飛行機をつくることも許さなかった。70年という歳月を経て、やっとジェット旅客機が日本の空を飛んだ。戦後レジームからの確かな脱却といってよい。ひょっとするとイランの核合意と同じ文脈にあるのかもしれない。


 50歳になった幸吉は再び空を目指した。

 飛ぶことは、すべてを支配している永遠の沈黙に抗(あらが)う、唯一の形にほかならなかった。

「飛ぶことは、すべてを支配しているアメリカに抗う、一つの形にほかならなかった」と思いたいところだが現実はそれほど甘いものではない。アメリカの国防戦略は日本を軍事化し、南沙諸島で中国軍にぶつける方針なのだろう。核保有国同士が戦争をすることは考えにくい。日本の世論はぬるま湯に浸かった状態から抜け切れないので、米軍はゆくゆく沖縄から撤収するに違いない。

 アメリカのジャパン・ハンドラーズに操られているだけなのか、それともアメリカの手のひらに乗ったと見せかけておいて実は別の戦略があるのかは、5年以内に判明することだろう。

 尚、幸吉初飛行の2年後の1787年には琉球国で飛び安里(あさと)が断崖から飛んだとされている。二宮忠八がゴム動力による模型飛行器を製作したのが100年後の1890年(明治23年)で、ライト兄弟の初飛行は1903年である。

2015-11-10

マーク・グリーニー、水間政憲、石原結實、他


 5冊挫折、2冊読了。

模倣の殺意』中町信〈なかまち・しん〉(創元推理文庫、2004年/江戸川乱歩賞応募原稿、1971年「そして死が訪れる」改題/雑誌『推理』掲載、1972年「模倣の殺意」改稿/双葉社、1973年『新人賞殺人事件』改題)/久々の推理小説。40年前の作品が今頃になって35万部のベストセラーになっているらしい。富山の女性が東京山の手の言葉づかいをしている時点でやめた。謎解きは一級品らしいが読み物としては今ひとつ。中町のデビュー作である。

猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2015年)/北欧ミステリの傑作警察小説との謳い文句に疑問あり。父親と娘の動きが交互に綴られるが、父親の方が全く面白くない。

知覧からの手紙』水口文乃〈みずぐち・ふみの〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)/知覧ものでは有名な穴沢利夫少尉。彼の婚約者であった伊達智恵子さんからの聞き書きを編んだもの。女学生が桜の枝を振りながら特攻機を見送る有名な写真があるが、それに搭乗していたのが穴沢であった。若い女性は読むといいだろう。

偽りの幕末動乱』星亮一(だいわ文庫、2009年)/星は仙台市生まれだが、福島民報記者、福島中央テレビ報道政策局長との経歴からもわかるように「会津寄り」の人物である。それは構わないのだが新聞記者やテレビマンにありがちな誤謬が各所に散見される。例えば「ペリーは断固、江戸湾での交渉を主張し、拒否すれば砲撃を加える覚悟だった」(22ページ)などという記述はデタラメ極まりない。ミラード・フィルモア大統領は戦争を避けるよう厳命し、自衛以外の砲撃も禁じた。黒船が使用したのは空砲だけである。来航中に変わったフランクリン・ピアース大統領は更なる穏健派であった。星亮一だけ読むと歴史認識を誤る。意外と見落としがちだが、ペリー来航(1853年)、南北戦争(1861-65年)、明治元年(1868年)との流れは覚えておくべきだ。

いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉監修(角川SSCムック、2007年)/飛ばし読み。おすすめ。写真が大きい。大きすぎか。タマネギは切ってから15分以上空気にさらすことで栄養価が高まるそうだ。早速実践。

 147冊目『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲〈みずま・まさのり〉(PHP研究所、2015年)/水間はチャンネル桜でお馴染みの人物。絡みつくような話しぶりが好きになれない。写真は星五つ、文章は星三つと評価する。Kindleを持っている人は迷わずKindle版を。朝日新聞を嫌うことでは私も人後に落ちないつもりだが、水間の批判は拙(つたな)すぎる。大本営体制という時代背景の説明が弱く、キャプションの一部も実に短絡的だ。それでも尚、本書に掲載されている写真の数々は日本人であれば必ず見ておくべきである。

 148冊目『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(ハヤカワ文庫、2012年)/読ませる。デイヴィッド・マレル風の国際謀略もの。主人公のグレイマンが超人すぎるのが難点。あと子供の場面に大人の視点が混じるのが気になった。翻訳の問題かも。

2015-11-09

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫


 ・ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた

『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思

渡部●ルーズベルトは社会主義的なものに惹(ひ)かれ、共産主義とソ連に寛容でした。大恐慌後の不況対策として打ち出したニューディール政策には財産権を侵害するものも含まれ、最高裁で無効とされたものもあります。また、夫人のエレノアとともに社会運動に熱心なあまり、コミンテルンの工作員や共産党同調者の影響を受けてしまい、国務省や大統領周辺には、500人に及ぶ共産党員とシンパがいたと言われています。

馬渕●ですから、歴史の真実は、まだまだ明らかになっていない。アメリカで公文書が公開されるにつれ、ルーズベルトの政策を再検討する動きが出ています。有名なチャールズ・ビーアドさんという歴史学会の会長が書いた本(『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか』藤原書店)も、ようやく日の目を見るようになりました。ルーズベルトは一体何をしたのか。今までは英雄でしたけれども、現にアメリカの中から、それを見なおそうという機運が熟し、英雄像にほころびが出てきた。
 アメリカ人はあれほどの犠牲を払いながら、いまだに戦争の本当の理由を知らされていないと言えるでしょう。

【『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(飛鳥新社、2014年)】

 アメリカは世論の国である。いかに権限のある大統領といえども世論には逆らうことができない。ゆえに「世論をつくり上げる」。

 やり方は至って簡単だ。自国民をわざと犠牲にした上で国民感情を復讐に誘導するのだ。

アラモの戦い」(1836年)では当時メキシコ領であったテキサス州でアメリカ義勇軍が独立運動を起こした。義勇軍は何度も援軍を頼んだが合衆国軍はこれを無視。200人の義勇軍は全滅した。アメリカは惨殺の模様を誇大に宣伝し、「アラモを忘れるな!(リメンバー・アラモ)」を合言葉にテキサス独立戦争(1835-36年)に突入した。メキシコ合衆国は半分の領土を失った。テキサス共和国はアメリカに併合される。

 19世紀後半になるとスペイン帝国が弱体化した。フィリピンではホセ・リサール(1861-96年)が立ち上がり、キューバではホセ・マルティ(1853-95年)がゲリラ戦争を展開。この頃アメリカの新聞は読者層を伸ばそうと激しい競争を繰り広げていた。「1897年の『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』という新聞記者による捏造記事をきっかけに、各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した」(Wikipedia)。「ピュリッツアーは、『このときは戦争になってほしかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを』と公然と語っている」(「死の商人」と化した新聞)。嘘にまみれた新聞の演出によって参戦の機運が国民の間で高まる。アメリカ海軍は最新鋭戦艦メイン号をキューバに派遣。ハバナ湾でメイン号は原因不明の爆発を起こし、260人余りのアメリカ人が死亡した。アメリカの新聞は「メイン号を忘れるな!」と連呼し米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)に至る。アメリカはキューバ、フィリピン、グアム、プエルトリコを手中にし、世界史の表舞台に登場する。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてアメリカはモンロー主義(孤立主義)を貫いた。1915年、米客船ルシタニア号がドイツ軍のUボートによる魚雷で攻撃され沈没した。乗客1200名に128名のアメリカ人が含まれていた。アメリカ世論の反独感情は沸騰し第一次世界大戦に参戦する。後にルシタニア号が173トンの弾薬を積載していることが判明。当時の国際法に違反しており、ドイツ軍の攻撃は正当なものと考えられている。

 フランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目の大統領選に出馬。「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約した。ルーズベルトは日本に先制攻撃をさせるべく、ありとあらゆる手を尽くした。大東亜戦争における日本軍の紫暗号は当初から米軍に解読されていた。日本はその事実も知らないまま真珠湾攻撃を行う。この時不可解なことが起こる。日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」をコーデル・ハル国務長官に渡すのが遅れたのである。攻撃開始の30分前に渡す予定だったのが、実際は攻撃から55分後となってしまった。本来なら責任があった駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官は切腹ものだが、何と敗戦後、吉田茂によって外務省で事務次官に任命され、キャリアを永らえている。ルーズベルトは議会で「対日宣戦布告要請演説」を行う。「日本は太平洋の全域にわたって奇襲攻撃」「計画的な侵略行為」「卑劣な攻撃」との言辞を弄してアメリカ国民を欺いた。米軍は真珠湾から空母2隻と新鋭艦19隻は攻撃前に避難させていたのだ。「真珠湾を忘れるな!(リメンバー・パールハーバー)」を合言葉にアメリカは第二次世界大戦に加わる。ルーズベルトは日本に対する最後通牒ともいうべきハル・ノートの存在を国民に知らせなかった。


 1964年、トンキン湾事件によってアメリカはベトナム戦争(1960-75年)に介入する。1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者がペンタゴンの機密文書を入手し、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

 こうして振り返ると自作自演こそアメリカという国家の本性であり、「マニフェスト・デスティニー」(明白なる使命)に基づくハリウッド国家、ブロードウェイ体制と考えてよい。

 そのアメリカがソ連にコントロールされていたというのだから、やはり歴史というのは一筋縄ではゆかない。マッカーシズムの嵐が起こるのは1950年のことである。

  

建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

2015-11-07

あなたならどうする?


 これは社会実験だがアメリカには文字通り「What Would You Do?(あなたならどうする?)」(ABC放送)という番組がある。




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マッカーシズムは正しかったのか?/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫
『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男
・『ハリウッドとマッカーシズム』陸井三郎

 ・マッカーシズムは正しかったのか?

『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
・『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫

 さらに重大なのは、驚くほど多くの数のアメリカ政府高官がソ連とつながっていたことが、「ヴェノナ」解読文によって判明したことだった。彼らは、そうと知りつつソ連情報機関と秘密の関係をもち、アメリカの国益をひどく損なう極秘情報をソ連に渡していたのである。アメリカ財務省におけるナンバー2の実力者で、連邦政府の中でも最も影響力のある官僚の一人であり、国際連合創立のときのアメリカ代表団にも参加していたハリー・デクスター・ホワイトが、どのようにすればアメリカの外交をねじまげられるかをKGBに助言していたこともわかってきた。
 また、フランクリン・ルーズベルトの信任厚い大統領補佐官だったラフリン・カリーは、ソ連のアメリカ人エージェントとして重要な地位にあったグレゴリー・シルバーマスターをFBIが調べ始めたとき、そのことをKGBに通報していた。このため、米政府内の大変有益なスパイ一団を指揮していたシルバーマスターは、捜査を逃れてスパイ活動を続けることができた。当時のアメリカの主要なインテリジェンス機関であったOSS(戦略事務局)で調査部長の地位についていたモーリス・ハルパリンは、数百ページものアメリカの秘密外交通信をKGBに渡していたのであった。
 アメリカ政府のすぐれた若手航空科学者だったウィリアム・パールは、アメリカのジェット・エンジンやジェット機についての極秘の設計試験結果をソ連に知らせており、彼の裏切りのおかげで、ソ連はジェット機開発でアメリカが技術的にリードしていた大きな格差を克服し、早期に追いつくことができた。朝鮮戦争で、米軍指導部は自分たちの空軍力なら戦闘空域で敵を制圧できると考えていたが、これは北朝鮮や共産中国の用いるソ連製航空機がアメリカのものにはとうてい太刀打ちできない、と考えていたからである。しかし、ソ連のミグ15ジェット戦闘機はアメリカのプロペラ機よりはるかに速く飛行できただけでなく、第一世代のアメリカのジェット機と比べても明らかに優っていたため、米空軍は大きな衝撃を受けた。その後、アメリカの最新ジェット機のF-86セイバーの開発を急ぐことででやっと、アメリカはミグ15の技術的能力に対抗することができた。アメリカ空軍はようやく優位を得たが、それはアメリカ航空機の設計よりも大部分、米軍パイロットの技量によるものであった。

【『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:中西輝政監訳、山添博史〈やまぞえ・ひろし〉、佐々木太郎、金自成〈キム・ジャソン〉訳(PHP研究所、2010年/扶桑社、2019年)以下同】

 ほぼ学術書である。中西輝政は自著で「ヴェノナ文書によってマッカーシズムが正しかったことが証明された」と言い切っているが、私にその確信はない。ただ明らかなのは米国首脳部にまでKGB(カーゲーベー)の手が及んでいた事実である。はたまたルーズヴェルト本人が左翼であったという説もある(『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫、2015年)。

 日本の読者がこの本の中でとくに関心をもつのは、ソ連がアメリカの原爆開発「マンハッタン・プロジェクト」に多くのスパイを送り込んでいたため、アメリカの原爆開発の実態を非常によく知っていた、という部分だと思います。事実、1945年の7月にポツダムでトルーマン大統領はスターリンに会い、アメリカは非常に強力な新兵器をすぐに日本に対して使用することができる、と話しましたが、そのときスターリンには驚いた様子は全くありませんでした。おそらくスターリンは原爆について、トルーマンよりも早く、そしてより多くのことを知っていたのでしょう。(日本語版に寄せて)

 また、今日読み終えた『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』(水間政憲、2015年)によれば、実は長崎に原爆は2発落とされていて、もう1発の不発弾はソ連に渡った可能性があるという。証拠として瀬島龍三元中佐が署名した「原子爆弾保管ノ件」という機密文書を掲載している(ロシア国防省中央公文書館所蔵)。

 冷戦前夜の第二次世界大戦は米ソのスパイが暗躍する時代であった。日本だとソ連の手先としてはリヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉が知られる(いずれも死刑)。

 ひょっとすると帝国主義を葬ったのはコミンテルンの指示を受けた工作員の活躍によるところが大きいのかもしれない。彼らに下された使命は国家転覆を狙った破壊と混乱であった。

 マッカーシズムを否定的に篤かった書籍に陸井三郎著『ハリウッドとマッカーシズム』(1990年)がある。個人的に読み物としてはどちらもあまり評価できない。

 これだけだと「ヴェナノ文書」を理解することはできないと思われるので動画と関連書を紹介する。








憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れて マッカーサー』西鋭夫

台湾の教科書に載る日本人・八田與一/『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三


『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲
『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
特集『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督

 ・台湾の教科書に載る日本人・八田與一

『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎

 以来、八田與一〈はった・よいち〉の名前は、嘉南60万の農民の心に刻み込まれ、永遠に消えることはなかった。
 不毛の大地として、見捨てられていた広大な嘉南平原の隅々にまで灌漑用水が行き渡るのを見届けて、八田與一は思い出多い烏山頭の地を後にし、家族と共に台北へ去っていった。八田技師と共に工事に携わっていた人々は、作業服姿で大地に腰を下ろした八田技師の銅像を作り、起工地点に据えてその功績を称えた。
 素朴な嘉南の農民は、「嘉南大圳(かなんたいしゅう)の父」という畏敬の念に満ちた言葉を贈り、終生八田與一への恩を忘れないようにした。
 嘉南大圳の完成は、世界の土木界に驚嘆と賞賛の声を上げさせた。
 烏山頭(うさんとう)ダムは東洋では随一の湿式土壌堤であり、その規模において世界に例を見ない。このため、アメリカ合衆国の土木学会は、特に「八田ダム」と命名し学会誌上で世界に紹介した。八田與一の技術の勝利であり、日本の灌漑土木工事の優秀さを、世界に証明するのに十分な土木工事の一大金字塔であった。
 嘉南平原が絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたような緑の大地に甦り、台湾最大の穀倉地帯と呼ばれるようになった頃、八田與一は勅任官技師になり「台湾に八田あり」と言われるようになる。やがて、戦雲が世界を覆い包んだ。昭和16年、台湾からも零戦が飛び立ち嘉南平原を軍歌が音をたてて通り過ぎて行った。昭和17年5月5日、フィリピンの綿作灌漑調査を、軍より命ぜられた八田與一は広島県宇品港で大洋丸に乗船し、日本を後にした。
 5月8日、五島列島の南を航行中、大洋丸が撃沈された。アメリカ海軍の潜水艦による魚雷攻撃であった。八田與一は、56歳の生涯を東シナ海で終えた。それから3年後、太平洋戦争は敗戦で幕を閉じた。

【『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三〈ふるかわ・かつみ〉(改訂版、2009年/青葉図書、1989年『台湾を愛した日本人 嘉南大圳の父八田与一の生涯』改題)以下同】

 古川勝三は教員である。文部省海外派遣教師として台湾の日本人学校に3年間勤務。その時初めて八田與一を知った。日本では全く無名の八田を世に知らしめたのが本書である。司馬遼太郎が称賛した。

 八田の仕事が偉大な壮挙であったのは言うまでもないことだが、台湾の人々の心をつかんだのは八田の振る舞いであった。大東亜戦争においても日本の軍人がアジアの人々の心をつかんだのは武士道もさることながら、やはり人種差別のない振る舞いが大きかったことだろう。


 古川は作家でないせいか、冒頭部分で手の内を全てさらす。八田の死は更なる悲劇を招いた。

 八田與一が青春を捧げた台湾は中華民国に返還され、日本人はことごとく台湾を去らねばならなくなった。
 愛する夫を戦争で奪われた外代樹(とよき)は今また夫と共に過ごした台湾を去らねばならぬ苦しみに打ちひしがれ、虚脱したからだを夫の終生の事業であった烏山頭ダムの放水口に踊らせて、45歳の生涯を閉じた。
 日本人が去り、日本人の銅像や墓が次々と壊されていく中で、嘉南の人々は御影石を買い求め、日本式の墓石を造り八田技師の銅像のすぐ後に建てた。昭和21年12月15日のことである。以来、嘉南の人々は八田與一の命日になると、烏山頭ダムから一斉に放水して、その功績を偲び嘉南の大地と農民を愛し続けた若き技師の「追悼式」を、毎年欠かすことなく行ってきた。


『セデック・バレ』そのものである。しかも烏山頭ダムが完成した1930年に霧社事件が起こっているのだ。古い時代と新しい時代の波がぶつかり合う時、過去の歴史は恐るべき様相で飛沫を散らす。外代樹夫人が入水(じゅすい)した9月1日は烏山頭ダムの着工記念日であった。

八田技師の妻、外代樹夫人の銅像除幕式/台湾・台南

「台湾を愛した日本人」は台湾で発行されていた日本人会報に連載。大きな反響があり後に書籍化される(ダムインタビュー 45 古川勝三さんに聞く「今こそ、公に尽くす人間が尊敬される国づくり=教育が求められている」)。八田の生きざまが古川の胸を響かせ、その余韻が多くの読者にまで伝わる。心を打つのはやはり心なのだ。



台湾人に神様レベルで感謝されてる日本人がいた

2015-11-06

古川勝三


 1冊読了。

 146冊目『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三〈ふるかわ・かつみ〉(改訂版、2009年/青葉図書、1989年『台湾を愛した日本人 嘉南大圳の父八田与一の生涯』改題)/書き忘れていた。8月に読了。今書評を書いているところ。「必読書」入り。

2015-11-05

星亮一、藤田紘一郎、土師守、久野譜也、藤原弘達、西鋭夫、他


 2冊挫折、6冊読了。

GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画』西尾幹二(徳間書店、2008年/徳間文庫カレッジ、2004年)/息の長い仕事のためスピード感に欠ける。1と比べると見劣りすると言わざるを得ない。

方法 1 自然の自然』エドガール・モラン:大津真作訳(叢書・ウニベルシタス、1984年)/ツイッターで薦められたのだがチンプンカンプン。ボードリヤールの数段上を行っている。

 140冊目『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)/こんな凄い本を見落としていたとはね。西は「スタンフォード大学フーヴァー研究所教授」を名乗っているが、「Postdoctral Fellow」との記述もある。ポスドクか。アメリカで公開された極秘資料を元にマッカーサーの日本占領政策を見つめ直すドキュメント。教育行政についても詳しく触れている。やや物足りなかったのはヴェナノ文書について全く触れていないところ。本は文句なしで素晴らしいのだが、怪しげな商売に手を染めている。例えばこれ。「講演録」が書籍であると思っていたら、届いたのはDVDに見せかけたCD-ROMだった。収録されているのは音声のみ。しかも申し込んだ直後、サイトからダウンロードできるのと同じもの。つまり「送料手数料550円」は丸ごと利益になっているのだろう。もちろん更なる高額商品を購入させるべく、山ほどメールが送られてくる。で、致命的なことに話が下手だ。虚仮威しに近い大声を時折張り上げる。そこはかとなく新興宗教の香りが漂う。余命の短さを思えば、本を書くのが馬鹿らしくなってきたのかもね。

 141冊目『この日本をどうする 2 創価学会を斬る』藤原弘達〈ふじわら・ひろたつ〉(日新報道、1969年)/かつて創価学会が起こした言論出版妨害事件でターゲットにされたのが本書である。最後は自民党の田中角栄幹事長(当時)までもが圧力をかけてきた。出版妨害としては今尚これに過ぎる事件はないだろう。マンモス教団と化しつつあった創価学会を藤原は「民主主義の落ち穂拾い」と嘲る。批判本はどうしても小人物の印象を与えてしまう。ただし、昭和44年の時点で自公連立を予見したのはさすがというべきか。

 142冊目『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』久野譜也〈くの・しんや〉(飛鳥新社、2014年)/良書。久野は筑波大学院教授でインナーマッスルとして知られる大腰筋(※画像)に初めて注目した人物。きっかけは高野進のMRI撮影であった。太腿の筋肉を撮影したところ大学の陸上選手と変わらぬ太さ。ついでにあちこち撮影したところ高野の大腰筋が異様に太いことがわかったという。イスさえあれば直ぐにできるトレーニングメニューも紹介。40歳以上の善男善女は必読のこと。

 143冊目『』土師守〈はせ・まもる〉(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)/山下京子著『彩花へ 「生きる力」をありがとう』が1997年だから、翌年に出たことになる。結果がわかっているだけに読み進むのが辛い。山下が母としての立場からメッセージを送ったのに対し、土師は父として厳しい見方を示す。私も少年法は改正して、犯罪によってはきちんと刑事罰を与える仕組みが必要であると考える。びっくりしたのだが犯人である少年Aの母親が何度か登場する。非常識な姿がスケッチされている。

 144冊目『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉(三五館、2012年)/傑作。これは必読書ですな。バイセクシュアルの一休禅師を肯定的に捉えるあたりが素晴らしい。タイトルそのまんまの内容である。生物にとって腸の歴史は古く、脳の歴史は浅いため「まだ脳が身体に馴染んでいない」とまで言い切る。セックスレスの風潮にも警鐘を鳴らす。あと、幼児の英才教育は子供をダメにするとも。早速、私は本日より糖質制限に挑戦している。もちろん腸のために。

 145冊目『偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実』星亮一〈ほし・りょういち〉(だいわ文庫、2008年)/微妙。視点がふらつくのが気になる。会津戊辰戦争に至るアウトラインはわかりやすい。「あとがき」の中途半端さが本書を雄弁に語っている。

2015-11-03

琉球漂流民殺害事件と台湾出兵/『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎


『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三

 ・琉球漂流民殺害事件と台湾出兵

 1868年に、アジアに異変が起こった。日本が明治維新をおこし、近代国家に変容したのである。
 周辺の中国・朝鮮は、儒教という超古代の体制のままだったから、この衝撃波をうけた。
 近代国歌である手はじめは、国家の領土を、アジア的「版図」の概念から脱して、西洋式の領土として明確にすることだった。ただし、国際法など法知識については、明治初期政権は、御雇(おやとい)外国人から借りた。
 たとえば琉球は、両属(清の版図と日本の版図)だった。
 たまたま明治4年(1871)、琉球国の島民66人が台湾の東南海岸に漂着し、そのうち54人が山地人に殺された。山地人は、西海岸の漢人だとおもったという。
 日本はあざやかすぎるほどの手を打った。まずその翌明治5年9月、琉球王国を琉球藩にし、国内の一藩とした。清はのどかにもこれに対し、抗議を申し入れなかった。
 殺された琉球の島民は、日本人になった。この基礎の上で、使者を北京に送り、清朝に抗議した。
 清側は口頭でもって、「台湾の蛮民は化外(けがい)の者で、清国の政教はかれらに及ばない」と答弁した。
 日本はその後、一貫してこの口頭答弁を基礎とし、台湾東半分は無主の地であるという解釈をとった。
 その後、清国は表現を変えた。両国のあいだで水掛け論がかさねられた。
 この時期、明治維新の主勢力だった旧薩摩藩(鹿児島県)が、新政府に不満で、半独立を維持し、他の府県の不平士族とともにいつ暴発するか、きわどい状態にあった。
 日本政府は、国内に充満したガスを抜くべく、まったく内政的配慮から、兵を台湾東部に出した。明治7年(1874)のことである。
 清国は、おおらかだった。
 ほどなく、清国はこの討伐費を日本に支払ったのである。支払うことによって、清国は台湾東部が自国領であることを証拠づけた。
 さらに清国は台湾が自国領であることを明確にするために、明治18年(1885)、台湾を台湾省に昇格した。つまり、“国内”になった。“国内”は、10年つづいた。
 明治27~28年(1894~95)、日清戦争がおこり、下関条約の結果、台湾は日本領になった。

【『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎(朝日新聞社、1994年/朝日文庫、2009年)】

 琉球と台湾がチベットやウイグルと重なる。帝国主義の大波が小国を呑み込む。戦争の勝敗を分けたのは戦術よりも武器の進化であった。科学の進歩は戦争によって花を開かせてきた。第一次世界大戦(1914-1918年)では迫撃砲・火炎放射器・毒ガス・戦車・戦闘機が登場した。第二次世界大戦(1939-1945年)は空中戦の様相を示し、ドイツの弾道ミサイル「V2ロケット」が生まれ、アメリカの原爆が日本に止(とど)めを刺した。二度の大戦は戦争を国家の総力戦に変えた。

 台湾に漂着した琉球民は首を狩られた。「出草」(しゅっそう)である。これを「琉球漂流民殺害事件」という。悲惨ではあるが異なる文明の衝突が生んだ事故であったのだろう。

 映画『セデック・バレ』を観てから私の内側で台湾への関心が高まった。それから八田與一〈はった・よいち〉を知り、高砂義勇隊を知った。

 戦争を経験した台湾の老人たちには、いまだ大和魂が受け継がれているという。

2015-11-02

自殺は悪ではない/『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑


『知的唯仏論』宮崎哲弥、呉智英

 ・自殺は悪ではない
 ・わかりやすい入門書

『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』アルボムッレ・スマナサーラ、南直哉
『ただ坐る 生きる自信が湧く一日15分坐禅』ネルケ無方

 たとえば、「自殺は決して罪悪ではない」(本書第40話)ということを書いたところ、それに対しては、何通かの批判の投書と、多くの方からの丁寧なお礼状を頂戴した。礼状はもちろん、身近な人を自殺で亡くされた方々からの封書である。
 1通読むたびに涙があふれた。そして、私の発する言葉が、良し悪しはともかく、こうして大勢の人たちの心に様々な思いを呼び起こすのだと知って、襟を正したのである。メディア上で発言するということは、その言葉に対して無条件に責任を負うということだ。まして人の生き方にかかわる言葉なら、なおさらである。

【『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑〈ささき・しずか〉(ちくま新書、2009年)以下同】

 朝日新聞に連載された仏教エッセイ。佐々木は仏教史と戒律の研究で知られる。

 そのような人が、もし仮に、自分で自分の命を絶ったとしたら、それは悪事であろうか。一部のキリスト教やイスラム教では、せっかく神が与えてくださった命を勝手に断ち切るのだから、それは神への裏切り行為として罪悪視される。自殺者は犯罪者である。
 では仏教ならどうか。仏教は本来、我々をコントロールする超越者を認めないから、自殺を誰かに詫びる必要などない。確かに寂しくて悲しい行為ではあるが、それが罪悪視されることはない。仏教では煩悩と結びつくものを「悪」と言うのだが、自殺は煩悩と無関係なので悪ではないのである。ただそれは、せっかく人として生まれて自分を向上させるチャンスがあるのに、それをみすみす逃すという点で、「もったいない行為」なのだ。
 人は自殺などすべきではないし、他者の自殺を見過ごしにすべきでもない。この世から自殺の悲しみがなくなることを、常に願い続けなければならない。しかしながら、その一方で、自分の命を絶つという行為が誇りある一つの決断だということも、理解しなければならない。人が強い苦悩の中、最後に意を決して一歩を踏み出した、その時の心を、生き残った者が、勝手に貶(おとし)めたり軽んじたりすることなどできないのだ。
 自殺は、本人にとっても、残された者にとっても、つらくて悲しくて残酷でやるせないものだが、そこには、罪悪も過失もない。弱さや愚かさもない。あるのは、一人の人の、やむにやまれぬ決断と、胸詰まる永遠の別れだけなのである。

「一部」ではなく「全部」である。アブラハムの宗教において自殺は罪と認識されている。「自殺は煩悩と無関係」との根拠も不明で、全体的には腰砕けの印象を拭えない。それでも救われた人々が多いという事実が重い。

「自殺は煩悩と無関係」よりも「自殺は不殺生とは無関係」(仏教は自殺を本当に禁じているのか?)の方がすっきりしてわかりやすい。とすると、やはり「自殺」という言葉よりも、「自死」「自裁」が相応(ふさわ)しいのだろう。


 かつてこう書いた。

 事実を見つめてみよう。「自殺した人がいる」「自殺という選択をした人がいる」――それだけの話だ。そこに「余計な物語」を付与してはいけない。

無記について/『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元

 身近な人々が「なぜ自殺をしたのか?」と問うことは「毒矢の喩え」と似た陥穽(かんせい)におちいる。


 9.11テロの直後、カリフォルニアでは流産件数が跳ね上がったという。しかも増加分はすべてが男児であった(『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス、2007年)。胎児が五感情報を通して生まれ来る世界が戦争状態であると認知すれば、男であることは生存率の低さを意味する。その瞬間、遺伝子は死のスイッチを押すのではあるまいか。

 少子化も無関係ではないだろう。「この世は生きるに値しない世界だ」と認識すれば、自分の遺伝子を残そうとは思わない。病んだ社会は人々を緩慢な自殺へといざなうことだろう。飽食や運動不足を始めとする不健康さが、我々の人生そのものにべったりと貼り付いている。

「なぜ自殺したのか?」と問うなかれ。ただ「その人と出会えたこと」を喜べるかどうかを問うべきだ。



「生きる意味」を問うなかれ/『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
マラソンに救われる/『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛

2015-10-31

子供を虐待するエホバの証人/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
エホバの証人の輸血拒否

 ・読後の覚え書き
 ・子供を虐待するエホバの証人

『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの島』目黒条
『杉田』杉田かおる
『マインド・コントロール』岡田尊司

エホバの証人批判リンク集

 エホバの証人には細かい儀式や規則がなく「自由な民である」という主張とは裏腹に、実際にはさまざまな抑圧の決まりごとがあった。誕生日、クリスマス、正月など全ての行事はご法度。学校では体育の武道の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず校歌を歌うのも禁止。タバコはもちろんダメで、さらに乾杯の行為そのものまで禁止された。(中略)
 婚前交渉はおろか、思春期のデートも禁止である。エロ本は見てはならないし、男子であればオナニー禁止という異常な規則が敷かれる。陶然、結婚相手は信者同士でなくてはならない。

【『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅〈さとう・のりまさ〉(河出文庫、2017年/河出書房新社、2013年『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』改題)以下同】

 宗教とは「タブー(禁忌)を共有するコミュニティ」を意味する。仏教だと戒律、キリスト教だと十戒となる。

「してはならない」「せよ」との命令に宗教の本質がある。アブラハムの宗教は性的抑圧が顕著で、その反動と考えられる犯罪――聖職者による児童強姦など――が後を絶たない。イスラム教過激派は「天国に行けば72人の処女とセックスしまくることができる」と囁いてジハードを勧める。イスラム法で禁じられているアルコールも飲み放題だ。「♪天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」(「帰ってきたヨッパライ」)というわけだ。

 幼い子供は親を批判し得るほどの知識を持ち合わせていない。動機を欠いたまま彼らは信仰を強要される。私はエホバの証人が格闘技や武道を禁じていることを知っていた。それが戦争参加を拒んできた長い歴史に基づく考えなのだろうと勝手に称賛の思いを抱いてきた。だが上記の細かい禁止事項の数々を知ると、やはり首を傾(かし)げざるを得ない。型によって成型された異形の人間が見える。24時間にわたってレフェリーが見つめるような生活から伸び伸びと子供が育つわけがない。

 少なからずエホバに抱いてきた共感が木っ端微塵となったのは、母親たちが喜び勇んで子供を虐待する事実を知った時であった。

 でもやっぱり子供たちだから、集会時間が長くなると退屈になりぐずることになる。子供がじっと座っていないと恐怖のムチが待っていた。80年代は熱血的な証人たちの親が多く、スパルタ教育を行っていた。集会には小学生の子供がたくさんいた。集会中に悪さをすると、親が耳を引っぱってトイレに連れていった。そしてしばらくして「パシン!」と音が一発する。いつものことなので、講演者も何事もなかったかのように話を淡々と進める。トイレの扉が開いて顔を拭いながら友達が出てくるとそのまま席に戻る。
 ある時、2歳か3歳ぐらいの小さな子供がぐずりはじめた。何度か注意されたが止まらなかった。それで母親は子供をつかんで、立ち上がった。子供はもっと叩かれると分かっているので、大騒ぎをした。その子の母親は、暴れる我が子をトイレまで腕に抱えて連れていった。すぐに子供の泣きわめく声が響きわたる。それから「ピシ!」と音がする。子供はもっと大きい声で叫んだ。それでまた「ピシ!」と音がする。母親が子供に怒鳴っているのが分かる。子供の叫び声はもっと大きくなる。今度は「ピシャン!」というより大きい音がする。10分間ぐらいトイレからピシャ!ピシャ!と叩く音と、子供の泣き叫び声と親の怒鳴り声が続く。この間、同席している子供たちはみんな気まずくなり、神妙な顔をしてお互い見合わせた。大人たちは普通にメモ帳に、講演者の講話をペンでメモし続けている。
 やがてトイレのドアが開き、親子が出てくる。泣きじゃくったあとの子供が、ヒクヒク言いながら母親に抱えられて帰ってくる。集会が終わると、姉妹たち(※女性信者)がそのお母さんのところに寄っていく。
「姉妹、子供をしっかりとムチで教えることは、子供の救いのためよ」
「本当に頑張っておられて偉いわね。エホバも喜んでくださるわ」
「クリスチャンの子供はこうやってお行儀がよくなるから立派よね」
 といった励ましの言葉をお互いかけあっていた。
 こういった光景は日常的であった。日本の会衆ではムチ用にゴムホースが会衆に置かれていたところもあった。この懲らしめも子供を愛していれこそである。箴言22章15節の聖句には、『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』と書いてある。さらに、箴言13章24節では『むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり、子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』と宣言している。
 だから子供を叩かない親は、「子を愛していないわよ」と姉妹たちから諭される。子供が叩かれると、集会の終わりに姉妹たちが嬉しそうにその母親のもとにやってくる。

 思わず私は唸(うな)った。「ここに宗教の神秘を解明する鍵がある」と。昨今、認知科学や行動経済学によって他人の感情や感覚は操作可能であることが判明しているが、宗教の目的は「認知の書き換え」にあるのだろう。宗教的正義や信仰の情熱が小さな暴力を容認する。戦争に反対する彼女たちが勇んで子を殴る姿はおぞましいと言わざるを得ない。

 姉妹たちは聖書の文言に額(ぬか)づき、神の意志に沿うべく、あらゆる工夫を惜しまない。

 ムチをしない親は子供を愛していないのである! だから親同士でしょっちゅうどのムチが効くか話し合っていた。
「姉妹のところ、ちゃんとムチしてる? しないとダメよ」
「スリッパは音がするだけで、痛くないわよ」
「うちなんて定規で叩いたら折れちゃったから」
「ベルトが結構効くわよ」
「ちゃんとズボンを脱がさないと効かないわよ」
 そして一人の熱心な姉妹は、ゴムホースにマジックで『子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』という聖句を書いて配り歩いていた。
「日本の姉妹たちはこれを使っているのよ。音がしないうえにとっても効くからどうぞ」
「あら姉妹、ありがとう。助かるわ!」
 そうして彼女が集会に持ってきた10本ぐらいのホースがすぐになくなった。私の母親も喜んでそのゴムホースを持って帰ってきた。このゴムホースは30センチぐらいなのだが、叩いても音がしない。それで力加減が分からず、思いっきり叩くことになる。木の棒やベルトとちがってゴムは皮膚にめりこむので、これが一番痛い。実際に、ある医療サイトには、体の内側の血管が切れるのでゴムで人を叩かないようにと記載されていた。

 中学生になった佐藤は弟と二人で母親から鞭を振るわれる。しかもケツを出してだ。既に抑圧傾向が見て取れる。普通の中学生男子なら母親の前でズボンを下げる真似はしないし、できないものだ。もし私だったら、甘んじてケツを出しておいて、その後直ちに反撃をし、母親をゴムホースで滅多打ちにすることだろう。以前書いたが私は小学5年生くらいから、理不尽に母親から叩かれると、思いきり足に蹴りを入れてやった。翌日、母の足には大きな青あざができていた。暴力に対抗し得るのは暴力のみだ。

 エホバの証人は邪教である。子供を虐待する宗教はやがて子供たちから手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。

 ルワンダ大虐殺においてフツ族のエホバ信者がツチ族を匿(かくま)ったというエピソードを聞いたことがある。その時は痛く感心したものだが、ひょっとするとそのフツ族も子供を虐待していた可能性があることを思うと、まったく興(きょう)が冷める。弱い者、小さき者をいじめる宗教は信ずるに値しない。


ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳