2015-11-28

憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れてマッカーサー』西鋭夫


『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ

 ・憲法9条に埋葬された日本人の誇り
 ・アメリカ兵の眼に映った神風特攻隊

『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 スタンフォード大学フーバー研究所出版から出た本のタイトルは Unconditional Democracy 日本の「無条件降伏(unconditional surender)」と「民主主義」をかけたもので、「有無を言わさず民主主義化された」という強い皮肉を含んだタイトル。アメリカでは、このタイトルだけでも有名になった本だ。
 この本は、アメリカで公開された生(なま)の機密文書を使って書かれた最初の本である。出版されたのは1982(昭和57)年。1991(平成3)年、廣池学園出版部からもペーパーバック版が刊行された。
 私が翻訳したのではないが、大手町ブックスから『マッカーサーの犯罪』として、1983年に出版されたのはこの本だ。その直後から、日本からもアメリカ国内からも、学者たちから電話や手紙が沢山あった。占領関係の資料についての「教えを請(こ)う」ものだった。
『國破れて マッカーサー』は Unconditional Democracy と『マッカーサーの犯罪』を基(もと)に、戦後日本の原点、「占領」という悲劇をさらに明らかにしようと、私自身が全面的に書き改めたものである。(「はじめに」)

【『國破れてマッカーサー』西鋭夫〈にし・としお〉(中央公論社、1998年/中公文庫、2005年)以下同】

 わかりにくい出自である。ひねくれた自慢が話を更にややこしくしている。しかも『マッカーサーの犯罪』は西の名前で刊行されているのだ。本書は確かに良書である。良書なんだが時折行間から嫌な匂いが放たれる。もともと保守とは穏健さに裏打ちされた政治姿勢であり、革新は暴力性を秘めた急進性を伴う性質のものだった。その意味から申せば西は保守ではない。右翼というべき人物だろう。真の保守とは武田邦彦のような人物である。

 ダイレクト出版株式会社で講演録を販売しているが、「無料」と謳っていたので注文したところ、届いたのは音声CDであった。しかも申し込みをした時点でサイトから動画をダウンロードできるため、多分「送料550円」で利益を出しているのだろう。動画を見れば一目瞭然だが時折大声を張り上げる虚仮威(こけおど)しともいうべき講演スタイルで、怒りっぽい年寄りにしか見えない。話しっぷりからも右翼であることが伝わってくる。

 我々の「誇り」は第9条の中に埋葬(まいそう)されている。

 確かにそうだ。民族としての誇りは既にない。GHQの占領政策で埋め込まれた戦争の罪悪感は、戦後教育を通して子供たちの血となり骨と化した。現在の国際情勢にあって日本は歴史的事実を開陳することも許されない立場となっている。従軍慰安婦捏造や南京大虐殺捏造に対して事実究明の反論をすることもできなければ、怒ることすら躊躇(ためら)われる雰囲気に覆われている。

 日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべし。マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。
 アメリカが恐れ戦(おのの)いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は戦後五十余年の今でさえ「平和教育」と呼び、盲目的に崇拝し、亡国教育に現(うつつ)を抜かしている。(中略)
 あの口五月蠅(うるさ)いアメリカ、自動車部品を1個、2個と数えるアメリカが、コダック、富士フイルムを1本、2本と数えるアメリカが、日本の「教育」に文句を言わない。一言も注文を付けない。
 日本の教育は今のままで良いと思っているからだ。アメリカは日本教育改革がここまで成功するとは思ってもいなかった。

 本書は前半が占領政策、後半が教育行政を描く。単なる機密文書の紹介にとどまらず、しっかりと構成されている。日本の近代史を知るためには不可欠の一書といってよい。ただし、マッカーシズムについて書きながらもヴェノナ文書(『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア)に関する記述がないのは腑に落ちない。またマッカーサーについては兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉著『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』を併せて読むと理解が深まる。

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西 鋭夫
中央公論新社
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2015-11-27

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
・『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄
・『武士の娘』杉本鉞子
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン

 ・会津戦争の悲劇

『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。

【『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人〈いしみつ・まひと〉編著(中公新書、1971年)以下同】

 柴五郎は会津藩の上級武士の家に生まれた。会津戦争に敗れ、斗南(となみ/下北半島)の地で少年時代を極貧のうちに過ごした。その後12歳で単身上京。陸軍幼年学校、陸軍士官学校で学ぶ。士官学校の同期に秋山好古〈あきやま・よしふる〉がいる。柴はフランス語・シナ語・英語に堪能。北清事変(義和団の乱)で8ヶ国の公使館連合で抜きん出たリーダーシップを発揮し世界各国から絶賛される。これがきっかけとなって日英同盟(1902-23年)が結ばれる。そして1919年(大正8年)に陸軍大将となる。

 冒頭「血涙の辞」はこう締め括られる。

 悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり。

 それは単なる形容詞ではなかった。柴五郎は大東亜戦争の敗北を見届け、85歳で割腹自殺を図る。だが衰えた力は止(とど)めを刺すに至らなかった。その怪我によって死亡したことを思えば自決は成功したと見るべきか。

 村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉の批判について一言書いておこう。

 少年時代の五郎の自筆回顧録は、ほとんど同じ内容の和綴じの3冊が遺されていることが判った。その1冊が底本となって、『ある明治人の記録』(石光真人著)もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠らなかった。(「あとがき」)

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)】

「潤色」との一言が嫌な匂いを放つ。せめて石光本人に確認すべきではなかったか。そもそも石光は「この書は柴五郎翁が、死の3年前に、私に貸与されて校訂を依頼された、少年期の記録である。その折、特に筆者保存を許され、さらに内容については数回お話をうかがった」(「本書の由来」)と記し、重ねて「内容があまりにもショッキングなものであったために、たびたびお会いして多くの補足的説明をしていただかねばならなかった。したがって本書は、草稿に、さらに聞きとったものを補足して整理したものである」と断っている。村上は「拠らなかった」としているが、実際読んでみると大きな相違は感じられない。私が気づいたのは犬の肉で父親に叱咤される場面くらいである。「潤色」は批判というよりも自著を高みに引き上げる宣伝文句と考えてよかろう。

 女子は祖母つね(81歳)、母ふじ(50歳)、太一郎妻とく(20歳)、姉そい(19歳)、妹さつ(7歳)の5名なり。これら女子の始末は、それぞれの家にまかせあり、去るもよし、籠城するもよしとのことなり。

 五郎少年は大叔母に誘われてキノコ狩りへ出掛けた。それが女家族との永訣となる。会津戦争(1868年)が勃発したのだ。

 戦闘に役立たぬ婦女子はいたずらに兵糧を浪費すべからずと籠城を拒み、敵侵入とともに自害して辱めを受けざることを約しありしなり。

 会津では男児に武士道を教えるのは女性の役割だった。「江戸時代は200年以上にわたって 戦乱のない世界史上では ミラクル・ピースと言われる 平和な時代だった」(『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり)。それゆえ武士道は「生きる規範」として伝えられた。死を覚悟する生きざまは日常的に教えられた。

 清助翁まず奥の部屋より難民を去らしめてのち、余を招き身じまいを正して語る。
「今朝のことなり、敵城下に侵入したるも、御身の母をはじめ家人一同退去を肯(き)かず、祖母、母、兄嫁、姉、妹の5人、いさぎよく自刃されたり。余は乞われて介錯いたし、家に火を放ちて参った。母君臨終にさいして御身の保護養育を委嘱されたり。御身の悲痛もさることながら、これ武家のつねなり。驚き悲しむにたらず。あきらめよ。いさぎよくあきらむべし。幼き妹までいさぎよく自刃して果てたるぞ。今日ただいまより忍びて余の指示にしたがうべし」
 これを聞き茫然自失、答うるに声いでず、泣くに涙流れず、眩暈(めまい)して打ち伏したり。幾刻経たるや知らず、肩叩かれて引きおこさるれば、すでに夜半なり。

 これが8歳の子供に起こった現実であった。『セデック・バレ』そのものである。会津藩はルワンダと化した。

 あれは何時のことだったろう……? 二人だけのとき、【さつ】が懐ろからそっと懐剣を出して見せ、
「いざ大変のときは、わたしもこれで黄泉路(よみじ)に行くのよ」と、誇らしげに五郎に言ったことがあった。
「ふん、生意気な……」
 五郎は、そんなことが起ころうなど、だいいち現実のこととは思えなかった。いや、はるかに遠い、遠い夢のできごと……といった感じで、妹の「たわごと」を聞いたような気もする。しかし、いま大叔父からの報知に接して、あのときの妹の顔が、【うっとり】とあどけない表情で、まざまざと脳裏に立ち戻ってくるのであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)】

 さつは7歳だった。村上本によれば母親が胸を突いたという。功成り名を遂げた柴五郎は晩年に至って書くことで再び会津戦争を生きたのだろう。「この一文を献ずるは血を吐く思いなり」――。その思いを肚(はら)で受け止めようと渾身の力で踏みとどまる。「勝てば官軍」の陰にはこれほどの悲劇があった。とてもじゃないが西郷隆盛を尊敬する気は起こらない。



日英同盟を軽んじて日本は孤立/『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯
死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

2015-11-26

幕末会津の生活誌/『武家の女性』山川菊栄


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一

 ・幕末会津の生活誌

・『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄
・『武士の娘』杉本鉞子
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

 おじいさんは十二、三から十四、五くらいのあどけない娘たちが、一日ろくに口もきかずにせっせと針を動かしているのを見て、いじらしくて堪(たま)らなくでもあったのでしょう。そして何とかしてくつろがせ、慰めてやりたくて堪らなかったのでしょう。ときどき余興を始めます。
 「ねえお師匠さん、いいでしょう、あれを出して下さいよ、ね、お師匠さん」
と、大きなおじいさんが小さなお師匠さんのそばに来て、何かしきりにせがみます。
 「まあ今日はおやめになった方がようございましょう」
とお師匠さんは相手にならず、針を放そうともしません。おじいさんは赤ん坊のようにお師匠さんの傍ににじりよって、おねだりして離れません。
 「まあそんなことをいわないで、あれを出して下さいよ、ねえお師匠さん、ねえ」
いつまでもやめないので、お師匠さんも仕方なしに立っていって、奥の長持をあけて何やら出す様子です。やがておじいさんは、郡内(ぐんない)の表にお納戸甲斐絹(なんどかいき)の裏をつけた客夜具(やぐ)を着て――それがうちかけのつもりなのです――右の手には用心棒という六尺の樫(かし)の棒を杖につき、猟にでもいく時のものでしょう、大きな竹の皮の笠(かさ)を左手にもち、一生懸命細い、かわいらしい声を出して、
 「もうしもうし、関を通して下さんせ」
と関寺の小町姫になって現われます。裃(かみしも)に大小でもささせたら御奉行様くらいには見えそうな、目の大きな、鼻の高い、立派な顔だちの人ではありましたが、何しろ酒やけの赤ら顔で、頭は禿げ上がり、紫色の大きな厚い唇をした大入道のこと、それが半幅の袖口のついた郡内縞の大夜着(やぎ)を着て、精一杯かわいらしい声を振りしぼって小町姫を踊るのですから、若い娘たちは、お腹を抱えて笑わずにはいられません。座敷中、仕立物もそっちのけにして、笑いどよめくのを見ておじいさんは大得意、嬉しくて堪らないのでした。

【『武家の女性』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(三国書房、1943年/岩波文庫、1983年)以下同】

「おじいさん」は石川富右衛門という老藩士、「お師匠さん」は細君である。水戸藩士青山延寿〈あおやま・のぶとし〉の娘・千世(ちせ)が山川菊栄の母。幕末会津の生活誌を生き生きとした筆致で綴る。当時、「自分の着物を自分で縫えるようになること」が女性の嗜(たしな)みであったという。

 それにしても、まるで実際に見てきたような描き方である。母が語る過去の鮮やかな精彩が読者にまで伝わってくる。菊栄は婦人問題研究家、夫の山川均はマルクス主義者であった。初版は戦時中に刊行されており思想色は見られない。藤原正彦がお茶の水女子大の読書ゼミで採用し、広く知られるようになった(『名著講義』2009年)。

 石川富右衛門があずかった少女たちを可愛がる様子は、それこそ目に入れても痛くないといった風で微笑ましい。娘たちが縫った着物に少しでもケチがつくと大変な剣幕で抗議をしたという。何も知らない千世のもとに客が詫びを入れにわざわざ訪れたことが書かれている。

 この石川さん夫婦は烈公以前の哀公時代、すなわち文化文政の、のんびりした華やかな時代に青年期を送り、芝居も遊芸も自由に楽しめた時代に育った人でした。したがって芸ごとにも明るく、人柄ものびのびしていました。とはいってもこのおじいさんはただの好々爺(こうこうや)ではなく、きかん気で有名な人だったのです。この人がまだ若い自分たいそう尿やで意地悪の役人があり、新参の下役をコキ使ったり、苦しめたりして嫌われていました。その人の下役にこのおじいさんがなった時には、さてあのきかん気の石川が無事にすむだろうか、とみな心配しました。間もなく、その意地悪の上役と石川さんとが一所に御殿に宿直することになりましたが、翌朝、上役は例の通り、いばりくさって、石川さんに洗面のお湯をもってこいと命じました。持ってきたお湯は、いつもやかましくいうことですから、熱からず、ぬるからず、ちょうどいい加減のものと思ったのでしょう、上役はいきなり両手を突込みました。ところがグラグラ煮立っていたのですから堪りません。
 「アツツ」
と叫んで取り出した両手はただれたように赤くなっています。すると傍で見ていた石川さんは、
 「ヤアやけどか、やけどなら灰がいい」
というかと思うと、いきなり火鉢の灰をパッとかぶせました。居合わせた者は気をのまれて声も立てず、やけどの上に灰まみれになった相手も、大男で力持ちの石川さんが仁王立ちになっているのを見て、刀をぬこうともしませんでした。その上役にはみな困りぬいていたこととて、一人の同情者もなく「石川はよくやった」、「石川でなければああはできない」などという者ばかり。石川さんは何のお咎(とが)めもなく他の役に転勤を命ぜられて、その意地悪の上役とは無関係の地位におかれただけ、儲(もう)けものをしたのでした。このことがあってから、身分はいたって低いのでしたが、石川富右衛門といえば誰知らぬ者もなくなったそうです。
 石川さんに会っては、さすがの藤田東湖もこっぱみじんです。
 「何あの古着屋が」
と、てんで問題にしません。

 烈公とは徳川斉昭〈とくがわ・なりあき〉(1800-60年)で最後の将軍・慶喜〈よしのぶ〉の実父。哀公は斉昭の養父・徳川斉脩〈とくがわ・なりのぶ〉(1797-1829年)である。藤田東湖は斉昭の腹心で明治維新を染め抜いた水戸学の大家。

 会津には名君・保科正之(1611-73年)が定めた「会津家訓(かきん)十五箇条」が伝わる。また10歳未満の子弟には「什(じゅう)の掟」が脈々と叩き込まれる。「ならぬことはなならぬものです」というあれだ。寄り合いでは必ず前日に「掟を守ったかどうか」を確認し合う。そして破った者には制裁が加えられる。「什」はきわめて民主的に運営されており、判断が難しい場合は年長者に知恵を借りた。陪審員裁判の先駆か。現在は「あいづっこ宣言」として児童が唱える。

 石川の大暴れには「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」「弱い者をいぢめてはなりませぬ」の精神が垣間見える。悪を許さぬ激情と少女たちへの愛情は表裏一体だ。石川の真剣さは明確な殺意となって相手に伝わったことだろう。

 私が幼かった頃はまだ「弱きを助け強きを挫(くじ)く」気風が残っていた。陰湿ないじめを見たことがない。やがて戦後教育の成れの果てが校内暴力・家庭内暴力を引き起こす。長幼の序は崩壊した。1970年代後半のことである。

 社会におけるタテの関係がズタズタになったまま日本はバブル景気へ向かう。バブルが弾けた後、オウム真理教によるテロ事件や女子中高生による援助交際が露見した。かつての日本にはあり得ない変化であった。

 千世刀自(とじ)のように生き生きと語るほどの過去が私にあるだろうか? 豊かな時代になればなるほど些末な人生を生きる羽目に陥る。都会で育てば「兎追ひし彼の山」も「小鮒釣りし彼の川」もない。祖国を思う心を否定した挙げ句、郷土を愛する気持ちすら失いつつあるような気がしてならない。

武家の女性 (岩波文庫 青 162-1)
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2015-11-25

【佐藤優】くにまるジャパン 2015年11月20日(金)

小林よしのり


 1冊読了。

 160冊目『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)/靖国神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼した。一気に読むこと能(あた)わず。私は北海道で生まれ育った。北海道民の多くは移住者や引揚者で住んでから4世代ほどしか経っていない。先祖や家という概念が稀薄で、離婚率が高い理由もそこにあるのだろう。その私が生まれて始めて「父祖の思い」を知った。靖国神社に祀られている英霊は国事に殉じた人々で、ペリー来航から大東亜戦争までの期間に及ぶ。これすなわち日本の近代化に殉じた人々と言い換えてもよかろう。私は敢えて本書を薦めない。特攻隊や死刑となった人々の生きざまが台風のごとく読み手の感情を翻弄する。その激しい風に耐え、両足を知性という大地に下ろすことのできる者のみが読むべきであろう。まして本書の言葉を声高に吹聴する輩など断じて信用すべきではない。飽くまでも自分が向き合う言葉なのだ。併せて読むべきは『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編、『今日われ生きてあり』神坂次郎、『月光の夏』毛利恒之、『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編、『保守も知らない靖国神社』小林よしのり、『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

上野正彦、周東寛、他


 2冊挫折、2冊読了。

金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』田中宇〈たなか・さかい〉(朝日新聞出版、2015年)/ウェブサイトの記事をまとめたもの。恐ろしく読みにくい。ページ下の余白も気になる。

ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー:宇佐川晶子〈うさがわ・あきこ〉訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2014年)/「もしもし」(13ページ)は致命的な翻訳ミス。翻訳というよりは日本語の問題である。「もしもし」は電話を掛けた人が使う言葉で、受けた人が言うのは誤り。「もしもし、道をお尋ねしますが」のもしもしと一緒だ。もともとは「申し申し」。早川書房の校正の甘さを嗤(わら)う。

 158冊目『糖尿病・高血圧・脂肪太り ぜんぶよくなるタマネギBOOK』周東寛〈しゅうとう・ひろし〉監修(GEIBUN MOOKS、2010年)/芸文社の月刊誌『はつらつ元気』から派生したムック本。画像とフォントのバランスがよい。記事も及第点。最近読んできたタマネギ本の中では一押し。周東寛は南越谷健身会クリニック院長。書籍タイトルや体験談が薬事法を踏み越えているが、ま、ご愛嬌ということで。

 159冊目『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦(カンゼン、2012年)/良書。ラストメッセージの味わいあり。上野は1929年生まれ。もの言わぬ死体のメッセージを上野が翻訳する。いじめ自殺に寄り添う心が胸を打ってやまない。

2015-11-23

朝倉慶、落合莞爾、井上章一、他


 3冊挫折、2冊読了。

つくられた桂離宮神話』井上章一(弘文堂、1986年/講談社学術文庫、1997年)/批判のあり方としては王道を歩む本である。「桂離宮の発見者」と目されているブルーノ・タウトだが、その前後の美術界における言動を詳細に検証する。この手法は歴史や宗教にも応用されてしかるべきだ。中ほどまで読むも、同じような話の繰り返しが目立つ。併読する書籍が少なければ読み終えたことだろう。

フライパンでつくる 美腸 グラノーラ』小林暁子〈こばやし・あきこ〉(角川SSCムック、2014年)/本の構成が悪い。判型も妙に横幅が長い。テキストのバランスが悪く読むに堪えないクソ本である。やたらと店の紹介をするのもおかしい。立ち読みで十分だ。

堕ちた庶民の神 池田大作ドキュメント』溝口敦(三一書房、1981年)/『池田大作 「権力者」の構造』の増補版であった。池田の会長辞任を巡って再商品化したのだろう。

 156冊目『逆説の明治維新』落合莞爾監修(別冊宝島、2015年)/なかなか面白かった。明治維新の全体的な流れがよくわかった。落合は徳川慶喜を高く評価する。戊辰戦争(1868-69)については薩長土の低い身分の者どもを士族に引き上げる報奨を与える目的があったと指摘。いくばくかの疑問あり。

 157冊目『もうこれは世界大恐慌 超インフレの時代にこう備えよ!』朝倉慶〈あさくら・けい〉(徳間書店、2011年)/この人の情報は部分的に読むのが正しいと思われる。とにかく芸風が酷い。ひたすら投資家の不安を煽る手口で怪文書並みの文体となっている。「奥さん、大変ですよ!」ってな感じだ。その軽さが信用ならない。まして巻末で船井幸雄を持ち上げるに至っては何をか言わんやである。炎上商法の亜流か。

歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織

 ・歴史という名の虚実

『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

 私はこの世に歴史はないと思っている。
 電車は通過しても線路の上に存在するが、事象は通過したとたんに消えてなくなる。残るのは、怪しげな書簡と危うい遺跡と心許(こころもと)ない口伝(くでん)だけだ。それもごくわずか、米粒のごときである。国の支配者はそれをいいことに好き放題料理する。虚を実にし、実を虚にして都合よく造っていくのだ。小説家もまたしかりだ。その陽炎(かげろう)にも似た米粒を拾い集めて、自分の歴史などというものを描くのである。

【『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一〈かじ・まさかず〉(祥伝社文庫、2009年/祥伝社、2006年『あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』改題)以下同】

 E・H・カーが「すべての歴史は『現代史』である」とのクローチェの言葉を挙げ、「歴史とは解釈である」と言い切る(『歴史とは何か』1962年)。また「歴史は武器である」(『歴史とはなにか』2001年)という岡田英弘の指摘も見逃せない。つまり「歴史は勝者によって書かれる」(『中国五千年』陳舜臣、1989年)のだ。

 偽勅と偽旗(錦の御旗の偽造)によって成し遂げられた明治維新は薩長なかんずく長州の歴史といってよい。その後「陸の長州、海の薩摩」といわれ日本は戦争へ向かう。

 明治維新を決定づけたのが薩長同盟であり、その立役者が坂本龍馬であった。本書では龍馬暗殺についても驚くべき想像を巡らせている。龍馬を英雄に持ち上げたのは司馬遼太郎であるが、最近の明治維新ものでは極めて評価が低い。「グラバー商会の営業マン」「武器商人」といった見方をされている。余談になるが勝海舟もさほど評価されていない。

「薩摩藩など新政府側はイギリスとの好意的な関係を望み、トーマス・グラバー(グラバー商会)等の武器商人と取引をしていた。また旧幕府はフランスから、奥羽越列藩同盟・会庄同盟はプロイセンから軍事教練や武器供与などの援助を受けていた」(Wikipedia)。苫米地英人は「もっとはっきりいえば、当時の財政破綻状態のイギリスやフランスの事実上のオーナーともいえたイギリスのロスチャイルド家とフランスのロスチャイルド家が、日本に隠然たる影響力を行使するため、薩長勢力と徳川幕府の双方へ資金を供給したと見るべきなのです」(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』2008年)と指摘する。

「ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の兄弟の母は、戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対して『心配にはおよびませんよ。息子たちがお金を出さないかぎり戦争は起こりませんからね』と答えたという」(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉、1996年)。戦争の陰にロスチャイルド家あり。

 本書はロスチャイルド家については触れていないが、イギリス諜報部が青写真を描き、フリーメイソンが志士たちをバックアップした様子が描かれる。

 この時代、すなわちボストン茶会事件からフランス革命までの間に、ゲーテが『若きヴェルテルの悩み』でドイツ人のハートをつかみ、ハイドンが「交響曲ハ長調」を発表。イギリスの歴史家ギボンが、かの勇名な『ローマ帝国衰亡史』を著(あらわ)し、モーツァルトが「交響曲39、40、41番」で、ヨーロッパの貴族たちを酔わせている。
 一見、なんの関係もない歴史的事実の羅列のようだが、そこにはある共通した結社が一直線に駆け抜けている。
 フリーメーソンである。
 ボストン茶会事件は、大勢のフリーメーソンが「ロッジ」と呼ばれる彼らの集会場から飛び出して引き起こしたものだし、意外かもしれないが、ゲーテ、ハイドン、ギボン、モーツァルト、彼らはみなまぎれもない、フリーメーソンである。
 アメリカの独立戦争、およびフランス革命。
 世界の二代革命の指導者層には、圧倒的多数のメンバーが座っており、ジョージ・ワシントンはフリーメーソン・メンバーの栄(は)えあるアメリカ初代大統領である。こう述べれば眉に唾を付ける人がいるが、私がフリーメーソンだという裏付は公式文書である。それ以外の人物は断言しない。

 ブログ内検索の都合上「フリーメイソン」と表記する。フランス革命のスローガンである「自由・平等・博愛」は元々フリーメイソンのスローガンであった(『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代、2000年)。

 本書によれば本来の石工組合を実務的メイソン、その後加入してきた知識人たちを思索的メイソンと位置づける。西洋社会を理解するためにはキリスト教と結社の歴史を理解する必要がある。フリーメイソンはキリスト教宗派を超えた結社であったという。となれば当然のようにユダヤ人的国際派志向が窺えよう(『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫、2014年)。キーワードは金融か。

 読み物としては十分堪能できたが、如何せん誤謬がある。本書ではグラバーをフリーメイソンと断定してはいないが、グラバー邸にあるフリーメイソンのマークが刻まれた石柱を傍証として挙げる。ところがこれは後に移設されたものである(Wikipedia)。瑕疵(かし)とするには大きすぎると思う。

野生動物の自己鏡像認知


 鏡に映った自分を認識できる能力を自己鏡像認知という。これができる動物としてはヒト(2歳児未満を除く)、ボノボ、チンパンジー、オランウータン、バンドウイルカ、アジアゾウ、カササギなど。ブタやイカにもある。マークテストやルージュテストで判断する。眠っている間に顔などへマーキングをし、マークに対する反応を見るもの。「但し、鏡像認知が自己意識の指標であるのか、低次な自己身体の認識の指標であるのかについては議論がある」(森口佑介、板倉昭二、2013年)。私は社会性の上から捉えることが正しいと思う。「鏡に映った自分を認識できる」ことは他人の目を意識できることを示す。ここに学習の可能性があるのではないか? 我々が日常生活の中で鏡を前にして身だしなみを整えるのも社会性の現れである。西洋においては他人の目どころか神の目まで設定した。群れ+学習を社会性といってよいだろう。






人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見
高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

2015-11-22

明治維新は正しかったのか?/『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織


『逝きし世の面影』渡辺京二

 ・明治維新は正しかったのか?

『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ところが、日本人自身に自国が外国軍に占領され、独立を失っていたという“自覚”がほとんどないのである。従って、敗戦に至る道を「総括」するということもやっていないのだ。ただ単純に、昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立て、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった。
 実は、俗にいう「明治維新」の時が全く同じであった。あの時も、それまでの時代を全否定し、ひたすら欧化主義に没頭した。没頭した挙句に、吉田松陰の主張した対外政策に忠実に従って大陸侵略に乗り出したのである。つまり、私たちは、日本に近代をもたらしたとされている「明治維新」という出来事を冷静に「総括」したことがないのである。極端に反対側(と信じている方向)へぶれるということを繰り返しただけなのだ。

【『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織(毎日ワンズ、2012年/歴史春秋出版、2015年1月/毎日ワンズ改訂増補版、2015年)】

 明治維新に一石を投じる内容。司馬史観に物申すといった体裁である。専門家ではないからこそ大胆な見方ができる。ただし「総括」とは左翼用語であることに留意する必要がある。

 岸田秀が吉田松陰の小児的な自己中心性を指摘している(『ものぐさ精神分析』1977年)。原田伊織は松下村塾は私塾ですらなく、吉田松陰と高杉晋作らは単なるテロリスト仲間とまで断じる。

 原田の基調は「会津史観」ともいうべきもので、会津戦争(1868年:慶応4年/明治元年)の悲劇に寄り添う感情に傾く。良し悪しは別にしてその情緒こそ本書の読みどころであろう。

 本書が会津の罪に触れていないことも注意を要する。また左巻きの連中は会津を持ち上げる傾向が強いようだ。

 明治維新という大風は不思議な現象であった。攘夷派は将棋倒しのように開国派へと鞍替えし、西洋から買い入れた武器で内戦を行っていたのである。

 尚、戊辰戦争(1868-69)については薩長土の低い身分の者どもを士族に引き上げる報奨を与える目的があったと落合莞爾が指摘している(『逆説の明治維新』2015年)。

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト
原田 伊織
毎日ワンズ
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2015-11-21

村上兵衛、他


 4冊挫折、1冊読了。

虹の戦士』北山耕平翻案(太田出版、1999年)/吉本ばななの序文で読む気が失せる。ダイオキシンの件(くだり)でやめた。北山は心情左翼か。

赤い右手』ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ:夏来健次訳(国書刊行会、1997年/創元推理文庫、2014年)/1ページで挫ける。私は文章を読みたいのであって謎解きに興味はない。

ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』杉山春(ちくま新書、2013年)/母親に寄り添いすぎて確かな視点を見失っている。ルポではなく、被害者救済のボランティアといったレベルだ。そのため文章が弱い。この分野も心情左翼の巣窟である。

偽札百科』村岡伸久(国書刊行会、2010年)/硬派なオタク本。紙も厚い。読み物としての工夫に欠ける。

筑摩現代文学大系 75 中村真一郎・福永武彦集』(筑摩書房、1984年)/活字が小さすぎる。

 155冊目『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)/昨日、徹夜で読み終える。そして風邪をひいた。村上は軍人上がりの作家。柴五郎は義和団の乱における北京籠城で世界に盛名を馳せる。軍事力を伴った大掛かりな『ホテル・ルワンダ』と考えてよい。事後、世界各国から勲章を授与される。この時の日本人の奮闘と柴の振る舞いが後の日英同盟につながる。柴は英・仏・シナ語に堪能で人生の多くを海外で過ごしている。最期には涙禁じ得ず。明治人といよりは会津藩士として生き抜いたと私は見る。

武田邦彦「テロではなく戦闘行為」「米英仏露の国連常任理事国こそテロ国家」


 国際法に基づく武田の主張。歴史的にも正当性があると思われる。佐藤優が絶対口にしない内容だ。武田邦彦の温厚な性質に保守の本領がある。












2015-11-20

円の戦争:「国際金融資本」に逆らった男=石原莞儞中佐



石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人 (双葉新書)戦争史大観 (中公文庫BIBLIO)最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

 ・会津藩の運命が日本の行く末を決めた

・『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ

 新政府軍は、警固をキビしくし、「脱走者は発見しだい斬り捨て」の命令を下した。藩主松平容保(かたもり)の謹慎している滝沢村妙国寺でも、警戒はいっそう厳重になった。万一に備えて、大砲の砲口を容保の居室に向けている、という噂もあった。
 そこに夜陰の暴風雨に乗じて、また5人の少年が脱走した。その中には山川健次郎、赤羽四郎、そして柴四朗ら、かつてのフランス語仲間もまじっていた。
 ――これは、じつは会津藩の重役たちの「命令」によるものだった。
 重役の関心事は、藩に下される罪の程度であった。彼らは、さすがに藩士全員が斬罪などということは考えなかったが、家老の何人かが切腹、あるいは斬罪は免れまい――と、覚悟していた。問題は、藩主容保に対する処分である。
 その寛厳をうらなうために、重役たちは少年たちを脱走させた。少年たちは若松城にある政府本営に出頭して、主君の助命嘆願をおこなう。そして、それに対する「敵」の出方をうかがってみよう、という目論見だった。
 まかり間違えば、斬り捨てである。あるいは脱走の罪に問われ、みせしめに切腹におよぶかも知れない。
 しかし、十五、六歳の少年たちには、よもやそこまでの厳科は下さないだろう。そして、その処罰の程度によって藩の将来をうらない、考えよう。……それが藩の重役たちの腹づもりであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)以下同】

 まだ読み終えていないのだが書き残しておく。文庫で774ページの大冊。読書日記としては155冊目の読了本ということにしておく。光人社は2012年に同系列の潮書房と合併し、現在は潮書房光人社となっている。潮書房は軍事雑誌『丸』で知られる。光人社NF文庫も殆どが戦争・軍事・戦記ものである。NFはノンフィクションの略だろう。

 柴四朗は五郎の兄で、白虎隊の一員であったが病で戦線から離れ生き永らえた。西南戦争では谷干城〈たに・たてき〉に目をかけられた。その後、岩崎弥太郎の援助を得てアメリカへ留学。帰国後、東海散士〈とうかい・さんし〉のペンネームで帝国主義と小国の民族解放を描いた小説『佳人之奇遇』(かじんのきぐう/4篇全16巻)を著しベストセラーとなる。1892年(明治25年)以降は長く政治家を務めた。

 山川健次郎は東京帝国大学・京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長。赤羽四郎は外交官となる。いずれも日新館出身の逸材といってよい。そして柴五郎は、乃木希典東郷平八郎に先んじて世界に勇名を馳せた日本軍将校である。

 参謀の乾退助(のち板垣)の部下、伴中吉が少年たちを引見した。「自分らは藩主の身を思うあまり、あえて規則を破って推参したものでございます。どうか主君の処置を寛大にして頂きたい」との申し立ては「聞きおく」にとどめられたが、彼らの命がけの行為には好感が寄せられた。長く待たされた後、贅(ぜい)を尽くした膳が供された。

「遠慮なく、食べるがよい」
 係の侍はそういって退いたが、頃を計って部屋に戻ってみると、誰一人箸をつけている者がない。
「いかが致した……?」
 山川健次郎が5人を代表してこたえた。
「謹慎中の藩士たちは、十分な食事も摂(と)らずにおります。せっかくのご好意ながら、私どものみが、このようなご馳走をいただくわけには参りませぬ」

 敗者であり、かつ力弱き少年たちの嘆願を知った瞬間、頭の中で閃光がほとばしった。「これは大東亜戦争に敗れた日本の姿そのものではないか!」と。日本の首脳陣は国体すなわち天皇陛下の処遇を最優先事項とし、提出した憲法草案は明治憲法と変わるところがなかった(『國破れてマッカーサー』西鋭夫、1998年)。京都守護職を務め、孝明天皇からも信頼されていた会津藩がなにゆえ朝敵となったのか? ここに明治維新の矛盾がある。新生日本を牛耳ったのは薩長閥で、やがて大東亜戦争を招き(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)、現在にまで影響を及ぼす(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人、2008年)。

 もともと朝敵であった長州藩がなにゆえ官軍となり得たのか? その疑問はまだ晴れていない。調べれば調べるほど南北朝の歴史、岩倉具視や徳川慶喜の役割がはっきりしなくなる(落合莞爾『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』2013年、『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』2012年)。

 更にたった今、驚くべき事実を知った。戊辰戦争を前にした会津・庄内両藩がなんとプロイセン(ドイツ)のビスマルクに北海道の一部売却を打診していたというのだ。

維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認

 東大史料編纂(へんさん)所の箱石大准教授らが、会津、庄内両藩が戊辰戦争を前にプロイセン(ドイツ)との提携を模索したことを物語る文書をドイツの文書館で確認した。日本にはまったく記録がないが、薩摩、長州を中心とした新政府軍に追いつめられた両藩が、外交に活路を求めていたことが明らかになった。

 ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。

 船便なので届くのに2カ月ほどかかったようだ。「軍港の候補になるが、断るつもりだ」と宰相ビスマルクは10月8日に海相に通知。この日は、新政府軍が会津若松の城下に突入した日に当たる。ほぼ1カ月後に会津、庄内は降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想していなかったのだろう。

◆顧みなかったビスマルク

 ビスマルクは欧米列強間の協調と戦争への中立という視点から、両藩の提案を退けた。それに対して海相は「日本が引き続き混迷の一途をたどった場合は、他の強力な海軍国と同様に領地の確保を考慮すべきだ」と10月18日に返信していた。

 箱石さんらは当時の政治状況や人間関係も調査、研究した。新政府の背後には英国がいて、新式の武器や弾薬は英国商人が供給していた。幕府が頼りにしてきた仏国は中立に転じていた。

「会津、庄内両藩は新政府軍の最大の標的であり、懸命に活路を見いだそうとしてブラントの意向と合致したのだろう」と箱石さんは見る。

 ドイツの公文書と同時に東大には貴重な資料がもたらされた。スイス在住のユリコ・ビルト・カワラさん(86)が長年調査したシュネル兄弟の記録だ。会津藩の奉行で戊辰戦争で戦死したカワラさんの曽祖父と親交があった。

 国学院大栃木短大の田中正弘教授によると、新潟港を拠点に東北諸藩に武器をあっせんしたシュネル兄弟は会津藩の軍事顧問をつとめたが、国籍不明で謎の人物とされてきた。兄が政治面を、弟がビジネス面を、分担したという。

 カワラさんの調査で兄弟の出自が判明。プロイセンの生まれで、父の仕事の都合でオランダの植民地だったインドネシアで育ち、開港直後に横浜にやってきていた。

 オランダ語ができたことが兄弟の強みだったようだ。プロイセンの外交文書は、ドイツ語の原文をオランダ語に訳し、2通そろえて幕府に出した。そうした文書が東大史料編纂所に残っており、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調べて、オランダ語への翻訳に兄のサインを見つけた。武器商人に転じるまで兄はプロイセン外交団の一員だったことが確認された。「会津、庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」と田中さん。

 一連の研究は明治維新に新たな視点をもたらした。「英―仏の対抗図式に目を奪われるあまり、維新や戊辰戦争をより広い世界の中に位置づけることや、東北諸藩が武器、弾薬をどのように調達したのか分析する視点が不足していた」と東大の保谷徹教授は話している。

朝日新聞DIGITAL 2011年2月7日

戊辰戦争の史料学』を読まねばなるまい。

 最後にもう一点だけ。村上兵衛は「あとがき」で「『ある明治人の記録』もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠(よ)らなかった」と記す。私が確認し得たのは、犬の肉に難儀する少年五郎を父が叱責する場面くらいだ。村上は「自著に潤色なし」と言いたいのであろう。表現者としてはいささか狭量の謗(そし)りを免れない。原文と違うから潤色では短絡が過ぎるだろう。老境の柴本人から聞いた可能性も考えられる。事実を重んるあまり想像力の翼を畳んでいる印象を全体から受ける。ただしそれで柴五郎という素材が曇るわけではない。

【付記】「お家存続」は日本の価値観のテーマたり得ると思う。山本七平が「日本において機能集団は共同体(擬制の血縁集団)と化す」と指摘している(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平、1980年)。小室直樹も同じことを主張する。これは日本全体が天皇陛下を中心とする「家」を形成しているためと考えてよさそうだ。血脈信仰といってよいかどうかは今のところ判断しかねる。女系天皇を巡る問題の本質もこのあたりにあるのだろう。尚、藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉によれば、血液型と性格には相関性があるという(『脳はバカ、腸はかしこい』2012年)。



マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

2015-11-18

石光真人、古谷文太、内藤国夫、水木しげる、兵頭二十八、藤原肇、他


 4冊挫折、6冊読了。

攘夷の幕末史』町田明広(講談社現代新書、2010年)/開国派も攘夷派も「尊王」という点では一致していた。尊王攘夷と公武合体の対立軸をずらすと別の側面が見えてくる。文章が冴えず。

南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』落合莞爾〈おちあい・かんじ〉(成甲書房、2013年)/藤井厳喜〈ふじい・げんき〉おすすめ。忍耐力を総動員して1/3ほど読む。「さる筋」「その筋」による口伝情報を基に南北朝の裏面史に迫る「推理小説」と言ってよい。私は皇室の歴史には疎いので全く面白からず。この手法がまかり通るのであれば何でもありになるだろう。amazonレビューの評価が高いのが意外である。

ナイスヴィル 影が消える町(上)』カーステン・ストラウド:山中朝晶〈やまなか・ともあき〉 (翻訳(ハヤカワ文庫、2015年)/ホラー。スピード感を欠く。

記憶に自信のなかった私が世界記憶力選手権で8回優勝した最強のテクニック』ドミニク・オブライエン:梶浦真美訳(エクスナレッジ、2012年)/ツイッターで知った本。私はかなり物覚えが悪い。そのためメモ魔である。油性ペンで手に書くことも珍しくない。演習を真剣に行うことが必須である。私はやらなかったが。「演習2」でわかったのだが、記憶術とは「想像力を駆使して共感覚化を行う作業」なのだろう。情報をコード化しストーリー設定を行うジャーニー法を著者は編み出す。52枚のトランプを3分間で記憶できるという。

 149冊目『賢く生きる 藤原肇対談集』藤原肇(清流出版、2006年)/面白かった。やはり頭のいい人である。対談相手も多士済々。西原克成が森鴎外をクソミソにすると藤原が何とか持ち上げようと頑張るところで大笑い。首藤尚丈のダイヤモンドカット特許に目を瞠(みは)る。寺川正雄の会計工学は初耳。最後は池口恵観との対談で藤原が空海は過去にも入唐(にっとう)していたのではないかと推理。石油から宗教まで網羅する豪華対談。

 150冊目『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(光人社、2007年)/目から鱗が落ちる。確か藤原本で紹介されていた一冊。Q&A形式でありながら、日本の近代史を正確かつ精緻に辿る。本書を読まなければ単純な日本万歳という迷蒙に陥る。冴えない表紙に騙されることなかれ。ある程度近代史を踏まえた上で読むのがよかろう。「必読書」入り。

 151冊目『総員玉砕せよ!』水木しげる(講談社、1973年/講談社文庫、1995年)/宮崎哲弥がネットテレビで紹介していた一冊。水木本人の体験に基づく漫画作品。「あとがき」に90%は事実であると記されている。将校が威張り散らし、何かにつけて制裁を下す。ビンタ、ビンタの連続。小集団におけるいじめは日本文化か。ペリリュー島ものと併せて読むべきだ。軍隊の悪しき断面。兵卒の「はーい」という返事に違和感を覚える。作品としてはさほど評価できず。

 152冊目『公明党の素顔 この巨大な信者集団への疑問』内藤国夫(エール出版社、1969年)/新書サイズ。ある時期において朝日の本多勝一と毎日の内藤国夫が大学生の人気を二分していたことがある。驚くほど良心的な批判本である。たまげた。増長せる都議会公明党がトリッキーに議会運営を掻き回す様が克明に描かれている。当時の中心メンバーであった竹入義勝と竜年光〈りゅう・としみつ〉が後に創価学会を去ったことを思えば隔世の感あり。尚、藤原弘達〈ふじわら・ひろたつ〉よりも先んじて恐るべき出版妨害が行われたという。公明党が国民政党になり得なかった最大の理由は批判アレルギーであろう。

 153冊目『「値引きして売れるなら捨てるよりマシ」は本当か? 将来どちらのほうが儲かるかで考える損得学』古谷文太〈ふるや・ぶんた〉(ダイヤモンド社、2010年)/デビュー作とは思えないほど文章がこなれている。まるでテレビドラマか漫画作品のノベライズ化。現実感の乏しさよりも説明能力の高さを評価すべきだろう。会計学とは似て非なる「損得学」を提唱。実にわかりやすい。

 154冊目『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人〈いしみつ・まひと〉(中公新書、1971年)/魂の一書である。今頃になって読んだことを深く恥じ入る。明治人のハードボイルド文体が読者の背に鞭を振るう。襟を正さずして本書と向き合うことはできない。維新に翻弄された会津人の苦衷を思う。尚、村上兵衛は本書に「潤色あり」と断じているが具体的な説明がない。私にとって柴五郎はセネカとほぼ同じ高みに位置する。

2015-11-17

左翼とサヨクあるいは反日を巡って/『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり


 ・左翼とサヨクあるいは反日を巡って

・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

【日本の】個人主義者は国家が嫌いである 権力も嫌いである

 そしてこの平和が自明のものであり 税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている

 日本の個人はまるで消費者なのだ!!

【『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり(幻冬舎、1998年)以下同】

 漫画吹き出しのためテキストの改行は無視した。日本の古代が『古事記』というフィクションによって成り立ち(『官僚病の起源』岸田秀、1997年)、明治維新という擬装を通して近代化された(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)ことを思えば、この国はたぶん理念を欠いている。ただし四方を海に囲まれた地理的優位さが歴史と伝統の形成を可能にした。

 近代日本において左翼と右翼を定義することは難しい。江戸末期では攘夷派も開国派も尊王を標榜しており(『攘夷の幕末史』町田明広、2010年)、倒幕という運動性と残虐な急進性からすれば攘夷派は完全な左翼である。ところが右翼の原点は西郷隆盛の精神にあり、玄洋社(1881-1946年)が道を開いたのである。昨今では「過激な」右翼と「穏健な」左翼という顛倒(てんとう)した事態となっている。

 1922年(大正11年)に日本共産党が結成される。度重なる弾圧を経て、しばしば破壊活動を起こし、同党は敗戦の後に合法化される。これをもって「左翼とは『天皇制』打倒を目論み、日本文化を否定しかつ破壊へと導く思想・行動」と認められるか。

 スターリンが言い始めた「天皇制」(emperor system)とのキーワードは左翼用語であり、個人的には「いわゆる天皇制」(「いわゆる従軍慰安婦」に倣〈なら〉う)と表現したい。制度を導入したというよりは自然発生的であったと考えるためだ。文脈によっては「天皇制」と鍵括弧を付けることにする。

 わしは戦後180度転換したこの日本の「空気」をすべて疑う(中略)

 日本を覆うその「空気」とは…(中略)

 新聞のほとんどに彼らはいる

 テレビ 雑誌 マスコミ内に いる

 教育界にかなりいる

 司法関係者にいる

 国外にまで暗躍している

 この「残存左翼」に操られやすいのが「うす甘いサヨクの市民グループ」だ

 明確な左翼思想を持つわけでなく…人権・平等・自由・フェミニズム・反戦平和などの思想が彼らを突き動かす(中略)

「うす甘いサヨク市民グループ」の周りには 大多数の「うす甘い戦後民主主義の国民」がいるわけである

 つまり「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を揚げれば「残存左翼から「うす甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう

 要するに戦後民主主義は「サヨク」なのだ!

 それが「空気」の正体である

 次に紹介するのはニコニコ大百科(仮)の「サヨク」という項目である。

 サヨクとは、本来の左翼思想と「人権・平等・環境」といった理念を振りかざす左翼シンパシー的な立場を区別する上で、用いられる用語である。

 現在はネット言論(2ch、ブログなど)において広く用いられている。レッテル・蔑称としても用いられる。

概要

 明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。

 カタカナ表記の「サヨク」は小説のタイトルとしてつかわれることもあったが、漫画家の小林よしのりによって、従来の左翼と区別される思想・政治的立場を示す語として積極的に用いられるようになった。小林は、「サヨク」という語を、イデオロギー的な議論を避け、表面的なスローガンに論点をすりかえる方法論を、カタカナ表記のフランクさによって揶揄する意味で用いたと考えられる。

「サヨク」の背景

 冷戦下の政治工作の一環として、共産主義陣営は資本主義国内部の批判勢力を組織・支援した。こうした工作はマスコミや「進歩的知識人」「市民団体」などを通して行われたが、このときに用いられたのが「平和・民主主義」といったスローガンであった。

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が失敗をみたことが知れ渡ると、イデオロギーとしての左翼は求心力を失ったが、これらの批判勢力は口当たりのよいスローガンに身を隠しつつ、活動を継続していった。

「サヨク」はこうしたイデオロギー的ルーツを表面に出すことなく(または自覚することなく)現在も根強く活動している。

ニコニコ大百科(仮)

 左翼はフランス革命の急進派(ジャコバン党)に始まり、共産主義・社会主義を経て、リベラル派への変態を辿る。日本においては東京裁判史観に基づく戦後教育が、昭和期に至るまでの伝統を消し去った。経済成長を遂げるにつれ武士道という節度も溶解した。愛国心は鼻で笑われ、国民は国体を見失った。

 日本の近代史は奥が深い。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識洗脳プログラム)や薩長土肥によって綴られた明治維新以降は、飽くまでも「官軍の歴史」であると理解すべきだろう。

 佐藤優が小林を批判していた。気をつけなければならないことは佐藤の指摘は歴史認識としては正しいのだが、GHQによる占領政策から人々の目を逸(そ)らさせてしまう点にある。彼はそれを計算ずくで行っているのだろう。私としては小林の漫画は読むに堪(た)えないし、「わし」という言葉づかいが社会性を無視して鼻持ちならないが、小林の書籍や言動から少なからず影響を受けており、敬意を表するものである。

 民主制(※デモクラシーを民主主義とするのは誤訳)は情報公開(ディスクロージャー)によって作動する。私が民主制よりも貴族制を重んじるのは、あらゆる国家において100%の情報が公開されることはないと考えるためだ。

 左翼という政治性、サヨクという知的欺瞞、反日という民族嫌悪は平和という名の温室で栽培された。戦争は経済問題に起因する。そして経済は気温に左右される。すなわち地球の寒冷化が戦争を生むのだ。国内情勢を見るだけでも地球温暖化の嘘が知れよう。温暖で作物が豊富にとれれば人々は争わない。石油の確認埋蔵量も増えているからエネルギー確保が戦争要因となることも考えにくい。いずれにせよ2020年の東京オリンピックまでには明らかとなるに違いない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉

アンサイクロペディア:左翼
左翼有名人リスト
日本共産党が機関紙「赤旗」紙上で32年テーゼを発表

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2015-11-15

神保哲生×佐藤優×萱野稔人 特別対談「新・世界地図」


 ほぼ佐藤優の講義状態。遠慮なし(笑)。それでも萱野〈かやの〉が全体像を描くことに腐心しており、その全てに対して佐藤が賛同を表明する。萱野の健闘が光る。萱野は『マル激トーク・オン・デマンド』(神保、宮台)の準レギュラーを務める。

2015-11-14

田原総一朗×佐藤優×宮崎学「今なぜ"資本論"なのか!? 日本の未来とアベノミクス パート2」


 佐藤優の歴史認識は極めて正確である。特に大東亜戦争の件(くだり)では私が最近、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』(兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉、光人社、2007年)で初めて知った歴史的経緯もきちんと踏まえている。佐藤は返す刀で小林よしのりを批判するが、こうした印象付けの巧みさはスパイさながらだ。しかも田原が小林と親しい関係性にあることも知っているのだろう。また一貫して孫崎享〈まごさき・うける〉を小馬鹿にしているが稀に持ち上げることがある。持ち上げることで落差が際立つ。そのあたりも多分計算済みなのだろう。彼の言動がプロパガンダに見えてしまう瞬間である。どうせやるなら正面からきちんと批判すべきだろう。びっくりしたのだが宮崎学の劣化ぶりが酷い。新橋の呑み屋にいるサラリーマン以下に感じた。



資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

SDRに人民元


人民元、基準通貨入りへ=30日決定-IMF

 国際通貨基金(IMF)は13日、準備資産「特別引き出し権(SDR)」の算定基準となる通貨に中国・人民元を加えるのが妥当との報告を正式発表した。IMF加盟国から大きな反対の声は上がっておらず、元は30日の理事会で、ドル、英ポンド、日本円、ユーロに続き、5番目の基準通貨に決定される見通しだ。
 元が基準通貨入りすれば、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国が、国際金融で一段と存在感を強めることになる。  基準通貨への採用は「貿易での利用量」や「取引の自由度」が条件。IMFは報告で、中国が取り組む市場改革を評価し、理事会に「元は(量だけではなく)自由度でも条件を満たした」との見解を伝えた。
 ラガルドIMF専務理事は「報告を支持する」と明言。加盟国代表で構成する理事会に承認を仰ぐ意向を示した。
 元の基準通貨入りを要求する中国に対し、米国や日本は当初、警戒姿勢を示していた。しかし、中国との経済緊密化を狙う欧州諸国が賛成に傾いたため、日米も「基準を満たせば支持する」などと姿勢を軟化させた。
 SDRはIMF加盟国に出資額に応じて配分される仮想通貨で、外貨不足に陥った国は、手持ちのSDRを米ドルなどと交換できる。今年は5年ごとの構成通貨の見直し作業が行われた。

2015-11-14 時事通信



SDRに人民元:国際金融でも中国が「主要国」の地位に

 中国の人民元が、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に採用される見通しになったのは、日米欧が主導権を維持してきた国際金融の面でも、中国が「主要国」の地位を得ることを意味する。中国は存在感が拡大する一方で、人民元の為替相場を一定の変動幅に抑えていることや海外への持ち出し制限など依然残る規制について、一層の改革を求められることになる。
 人民元をSDRに採用することに関して、日米は当初慎重姿勢だったが、英国など欧州勢や新興国が支持を表明する中、IMFが妥当と判断すれば賛同する方向に姿勢を軟化させていた。実際に採用されるには、各国政府や中央銀行の準備が必要で、実施は来年10月になるとみられる。
 人民元の構成通貨入りは、主要国際通貨としての「お墨付き」を得るのに加えて、各国が外貨準備として人民元を持ちやすくなり、貿易取引に人民元を使う機会も増えるなど、中国が推進する人民元の国際化の追い風になるのは確実だ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国はSDR入りをテコに、人民元の国際化を進め、ドル依存からの脱却を目指すとみられ、第二次世界大戦後のドル基軸通貨体制にとって転機になる可能性を秘める。また、円は相対的に存在感が低下する可能性がある。
 一方、人民元が名実ともに主要通貨として認められるためには、国際社会の期待に沿って、為替取引などの人民元改革や資本規制改革を進めることが求められる。海外からの資金の出入りが増えれば、先進国と同様、バブル経済を呼び込んだり、金融危機を招いたりするリスクは高まる。中国国内には改革を遅らせようとする動きもあり、世界は改革の行方を注目している。

毎日新聞 2015-11-14

国旗の重み 海洋国家日本の海賊退治

2015-11-13

渡辺美里シングルヒストリー


 パンチのあるストレートな声が懐かしい。元気印を絵に描いたような歌い手だった。もう一度、小室哲哉に作曲を依頼してはどうだろう。





Song is BeautifulM・Renaissance~エム・ルネサンス~

2015-11-12

ロシア革命の実態はユダヤ革命/『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫


『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 ・ロシア革命の実態はユダヤ革命

 ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。

【『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)以下同】

 アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は新生ソ連に対して「素晴らしい民主主義国家が誕生した」と賛美した。ウィルソンといえばパリ講和会議(1919年)で日本が提案した人種的差別撤廃提案に対して、唐突に「全会一致が望ましい」と言い出し、国際連盟の議長権限で否決した人物である。さしずめ有色人種の人権は軽くユダヤ人の人権は重いといったところか。

「ユダヤ系国際金融」と聞けば陰謀論めいているが、キリスト教が利息を禁じていたため金融業はユダヤ人が行ってきたヨーロッパの歴史がある。信用創造や株式による投資を編み出したのも彼らであった。

 では、ウィルソン大統領はなぜロシア革命を礼賛したのでしょうか。その理由は、彼の周囲を固めていた側近たちが皆社会主義者であったということです。ウィルソン大統領が第二の自分とまで呼んで信頼していたエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義者でした。ハウス大佐は一介のユダヤ系民間人にすぎませんが、ホワイトハウス内に執務室を与えられていました。ウィルソン大統領の側近中の側近の補佐官であったのです。このように、議会の承認を必要としない、いわば令外官(りょうげのかん)がアメリカ大統領に最も影響を与える地位に就くことができるのです。
 この方程式は現在まで続いています。有名なヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(1923年~)は、私人の身分でニクソン大統領の外交政策を牛耳りました。カーター大統領の安全保障担当補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキー(1928年~)は、オバマ大統領の外交顧問を務めたほど、長期にわたり民主党の外交政策に影響を与え続けました。


「エドワード・マンデル・ハウス」で検索したところこの動画を見つけた。どうやら社会主義よりも国際主義に重きがあるようだ。

 当時の米ソを理解するために欠かせないのはアーマンド・ハマー(1898-1990年)だろう。共産主義のシンボルである「鎌とトンカチ」がそのまんま名前となっている(アーム・アンド・ハンマー)。



「ハマーの父親ジュリアスはロシアから移住してきたユダヤ人医師で、アメリカで最初に『共産党』を組織した男だった」(石油王Dr.ハマー 米ソ貿易で巨利を得たユダヤ大富豪)。正確には「アメリカ共産党の元となった社会主義労働党の創設者」である。「冷戦時代に東西両陣営を股にかけて活躍し、米ソ外交の“影の主役”として歴史に名を残した」(アメリカで活躍するユダヤ人)。更に中国への出入りも自由であった。彼は自家用ジェット機で晩年に至るまで世界を飛び回った。

 ソ連建国が1922年。ウッドロー・ウィルソン政権下でFRB(連邦準備制度)の設立が1913年である。「J・P・モルガンが所有するジキル島クラブで秘密会議が開かれ」「多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した」(Wikipedia)。きな臭い匂いがプンプンする。

 後にソ連のスパイであったハリー・デクスター・ホワイトによってIMFが設立された(『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男、2000年)ことを考えると、FRB設立はユダヤ人によるアメリカ乗っ取りシステムの構築と考えていいだろう。ハマーの資金が投じられたという説もあるが年齢を踏まえると父親によるものか。

 アーマンド・ハマーは池田大作中丸薫とも親交を重ねた。まったくユダヤ人は恐ろしいものだ。



元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史
ロシア・ユダヤ人実業家の興亡
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

兵頭二十八講演会 in 宇都宮







文庫 「日本国憲法」廃棄論 (草思社文庫)文庫 日本人が知らない軍事学の常識 (草思社文庫)日本の戦争Q&A―兵頭二十八軍学塾ニッポン核武装再論

2015-11-11

国産発のジェット旅客機MRJが初飛行/『始祖鳥記』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一

 ・時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語
 ・国産発のジェット旅客機MRJが初飛行

 暮し向きが定まれば、所帯を持つことを人は考える。子をもうけ、妻子を養うために日々を送って年老いてゆく。腕のいい表具師と言われ、他国木綿の移入で財をなした商才のある者と呼ばれ、あるいは運がいいと噂される。通常人が望むものが目の前にあっても、その時に幸吉がまず感じたものは耐えがたい腐臭だった。

【『始祖鳥記』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2000年/小学館文庫、2002年)以下同】

 日本で初めて空を飛んだとされるのは備前岡山の浮田幸吉〈うきた・こうきち〉(1757-1847年)である。7歳で父を亡くし傘屋へ奉公に出され、のち表具師となる。後年には晒(さら)し木綿商人となり、更には時計の修繕と義歯の製作も行った。

 一度目は失敗。幸吉は足を骨折した。初めて飛んだのは旭川にかかる京橋で天明5年(1785年)8月21日のこと。それ以降、「岡山の幸吉」「鳥人幸吉」と呼ばれた。折しも天明の大飢饉で各藩は世情の動向に目を光らせていた。幸吉の飛行は「天狗が出た!」と大騒ぎになり、当局はこれを見逃さなかった。世を騒がせ人々を不安に陥れたとして所払いの処分を受ける。

 人々にとって空は眺めるものであった。だが幸吉にとって空は翔(か)けるものであった。飛ぶ情熱は埋み火のように胸の底で燃え続けた。幸吉が感じた腐臭は、敗戦後の日本が国家として独立する力を奪われ、平和という名の下で高度経済成長を遂げてきた姿と重なる。平和は澱(よど)み、腐臭を放っている。

 マッカーサーは日本の再軍備を認めなかった。それだけではない。零戦(ぜろせん)の技術力を恐れたGHQは日本に飛行機をつくることも許さなかった。70年という歳月を経て、やっとジェット旅客機が日本の空を飛んだ。戦後レジームからの確かな脱却といってよい。ひょっとするとイランの核合意と同じ文脈にあるのかもしれない。


 50歳になった幸吉は再び空を目指した。

 飛ぶことは、すべてを支配している永遠の沈黙に抗(あらが)う、唯一の形にほかならなかった。

「飛ぶことは、すべてを支配しているアメリカに抗う、一つの形にほかならなかった」と思いたいところだが現実はそれほど甘いものではない。アメリカの国防戦略は日本を軍事化し、南沙諸島で中国軍にぶつける方針なのだろう。核保有国同士が戦争をすることは考えにくい。日本の世論はぬるま湯に浸かった状態から抜け切れないので、米軍はゆくゆく沖縄から撤収するに違いない。

 アメリカのジャパン・ハンドラーズに操られているだけなのか、それともアメリカの手のひらに乗ったと見せかけておいて実は別の戦略があるのかは、5年以内に判明することだろう。

 尚、幸吉初飛行の2年後の1787年には琉球国で飛び安里(あさと)が断崖から飛んだとされている。二宮忠八がゴム動力による模型飛行器を製作したのが100年後の1890年(明治23年)で、ライト兄弟の初飛行は1903年である。

始祖鳥記 (小学館文庫)

2015-11-10

マーク・グリーニー、水間政憲、石原結實、他


 5冊挫折、2冊読了。

模倣の殺意』中町信〈なかまち・しん〉(創元推理文庫、2004年/江戸川乱歩賞応募原稿、1971年「そして死が訪れる」改題/雑誌『推理』掲載、1972年「模倣の殺意」改稿/双葉社、1973年『新人賞殺人事件』改題)/久々の推理小説。40年前の作品が今頃になって35万部のベストセラーになっているらしい。富山の女性が東京山の手の言葉づかいをしている時点でやめた。謎解きは一級品らしいが読み物としては今ひとつ。中町のデビュー作である。

猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2015年)/北欧ミステリの傑作警察小説との謳い文句に疑問あり。父親と娘の動きが交互に綴られるが、父親の方が全く面白くない。

知覧からの手紙』水口文乃〈みずぐち・ふみの〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)/知覧ものでは有名な穴沢利夫少尉。彼の婚約者であった伊達智恵子さんからの聞き書きを編んだもの。女学生が桜の枝を振りながら特攻機を見送る有名な写真があるが、それに搭乗していたのが穴沢であった。若い女性は読むといいだろう。

偽りの幕末動乱』星亮一(だいわ文庫、2009年)/星は仙台市生まれだが、福島民報記者、福島中央テレビ報道政策局長との経歴からもわかるように「会津寄り」の人物である。それは構わないのだが新聞記者やテレビマンにありがちな誤謬が各所に散見される。例えば「ペリーは断固、江戸湾での交渉を主張し、拒否すれば砲撃を加える覚悟だった」(22ページ)などという記述はデタラメ極まりない。ミラード・フィルモア大統領は戦争を避けるよう厳命し、自衛以外の砲撃も禁じた。黒船が使用したのは空砲だけである。来航中に変わったフランクリン・ピアース大統領は更なる穏健派であった。星亮一だけ読むと歴史認識を誤る。意外と見落としがちだが、ペリー来航(1853年)、南北戦争(1861-65年)、明治元年(1868年)との流れは覚えておくべきだ。

いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉監修(角川SSCムック、2007年)/飛ばし読み。おすすめ。写真が大きい。大きすぎか。タマネギは切ってから15分以上空気にさらすことで栄養価が高まるそうだ。早速実践。

 147冊目『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲〈みずま・まさのり〉(PHP研究所、2015年)/水間はチャンネル桜でお馴染みの人物。絡みつくような話しぶりが好きになれない。写真は星五つ、文章は星三つと評価する。Kindleを持っている人は迷わずKindle版を。朝日新聞を嫌うことでは私も人後に落ちないつもりだが、水間の批判は拙(つたな)すぎる。大本営体制という時代背景の説明が弱く、キャプションの一部も実に短絡的だ。それでも尚、本書に掲載されている写真の数々は日本人であれば必ず見ておくべきである。

 148冊目『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(ハヤカワ文庫、2012年)/読ませる。デイヴィッド・マレル風の国際謀略もの。主人公のグレイマンが超人すぎるのが難点。あと子供の場面に大人の視点が混じるのが気になった。翻訳の問題かも。

2015-11-09

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫


 ・ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた

『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫

渡部●ルーズベルトは社会主義的なものに惹(ひ)かれ、共産主義とソ連に寛容でした。大恐慌後の不況対策として打ち出したニューディール政策には財産権を侵害するものも含まれ、最高裁で無効とされたものもあります。また、夫人のエレノアとともに社会運動に熱心なあまり、コミンテルンの工作員や共産党同調者の影響を受けてしまい、国務省や大統領周辺には、500人に及ぶ共産党員とシンパがいたと言われています。

馬渕●ですから、歴史の真実は、まだまだ明らかになっていない。アメリカで公文書が公開されるにつれ、ルーズベルトの政策を再検討する動きが出ています。有名なチャールズ・ビーアドさんという歴史学会の会長が書いた本(『ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか』藤原書店)も、ようやく日の目を見るようになりました。ルーズベルトは一体何をしたのか。今までは英雄でしたけれども、現にアメリカの中から、それを見なおそうという機運が熟し、英雄像にほころびが出てきた。
 アメリカ人はあれほどの犠牲を払いながら、いまだに戦争の本当の理由を知らされていないと言えるでしょう。

【『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(飛鳥新社、2014年)】

 アメリカは世論の国である。いかに権限のある大統領といえども世論には逆らうことができない。ゆえに「世論をつくり上げる」。

 やり方は至って簡単だ。自国民をわざと犠牲にした上で国民感情を復讐に誘導するのだ。

アラモの戦い」(1836年)では当時メキシコ領であったテキサス州でアメリカ義勇軍が独立運動を起こした。義勇軍は何度も援軍を頼んだが合衆国軍はこれを無視。200人の義勇軍は全滅した。アメリカは惨殺の模様を誇大に宣伝し、「アラモを忘れるな!(リメンバー・アラモ)」を合言葉にテキサス独立戦争(1835-36年)に突入した。メキシコ合衆国は半分の領土を失った。テキサス共和国はアメリカに併合される。

 19世紀後半になるとスペイン帝国が弱体化した。フィリピンではホセ・リサール(1861-96年)が立ち上がり、キューバではホセ・マルティ(1853-95年)がゲリラ戦争を展開。この頃アメリカの新聞は読者層を伸ばそうと激しい競争を繰り広げていた。「1897年の『アメリカ婦人を裸にするスペイン警察』という新聞記者による捏造記事をきっかけに、各紙はスペインのキューバ人に対する残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の人道的感情を刺激した」(Wikipedia)。「ピュリッツアーは、『このときは戦争になってほしかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを』と公然と語っている」(「死の商人」と化した新聞)。嘘にまみれた新聞の演出によって参戦の機運が国民の間で高まる。アメリカ海軍は最新鋭戦艦メイン号をキューバに派遣。ハバナ湾でメイン号は原因不明の爆発を起こし、260人余りのアメリカ人が死亡した。アメリカの新聞は「メイン号を忘れるな!」と連呼し米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)に至る。アメリカはキューバ、フィリピン、グアム、プエルトリコを手中にし、世界史の表舞台に登場する。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけてアメリカはモンロー主義(孤立主義)を貫いた。1915年、米客船ルシタニア号がドイツ軍のUボートによる魚雷で攻撃され沈没した。乗客1200名に128名のアメリカ人が含まれていた。アメリカ世論の反独感情は沸騰し第一次世界大戦に参戦する。後にルシタニア号が173トンの弾薬を積載していることが判明。当時の国際法に違反しており、ドイツ軍の攻撃は正当なものと考えられている。

 フランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目の大統領選に出馬。「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約した。ルーズベルトは日本に先制攻撃をさせるべく、ありとあらゆる手を尽くした。大東亜戦争における日本軍の紫暗号は当初から米軍に解読されていた。日本はその事実も知らないまま真珠湾攻撃を行う。この時不可解なことが起こる。日米交渉打ち切りの最後通牒である「対米覚書」をコーデル・ハル国務長官に渡すのが遅れたのである。攻撃開始の30分前に渡す予定だったのが、実際は攻撃から55分後となってしまった。本来なら責任があった駐ワシントンD.C.日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官は切腹ものだが、何と敗戦後、吉田茂によって外務省で事務次官に任命され、キャリアを永らえている。ルーズベルトは議会で「対日宣戦布告要請演説」を行う。「日本は太平洋の全域にわたって奇襲攻撃」「計画的な侵略行為」「卑劣な攻撃」との言辞を弄してアメリカ国民を欺いた。米軍は真珠湾から空母2隻と新鋭艦19隻は攻撃前に避難させていたのだ。「真珠湾を忘れるな!(リメンバー・パールハーバー)」を合言葉にアメリカは第二次世界大戦に加わる。ルーズベルトは日本に対する最後通牒ともいうべきハル・ノートの存在を国民に知らせなかった。


 1964年、トンキン湾事件によってアメリカはベトナム戦争(1960-75年)に介入する。1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者がペンタゴンの機密文書を入手し、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

 こうして振り返ると自作自演こそアメリカという国家の本性であり、「マニフェスト・デスティニー」(明白なる使命)に基づくハリウッド国家、ブロードウェイ体制と考えてよい。

 そのアメリカがソ連にコントロールされていたというのだから、やはり歴史というのは一筋縄ではゆかない。マッカーシズムの嵐が起こるのは1950年のことである。

  

建国の精神に基づくアメリカの不干渉主義/『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

2015-11-07

あなたならどうする?


 これは社会実験だがアメリカには文字通り「What Would You Do?(あなたならどうする?)」(ABC放送)という番組がある。




催涙スプレー(防犯スプレー)

マッカーシズムは正しかったのか?/『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫
『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男
・『ハリウッドとマッカーシズム』陸井三郎

 ・マッカーシズムは正しかったのか?

『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
・『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫

 さらに重大なのは、驚くほど多くの数のアメリカ政府高官がソ連とつながっていたことが、「ヴェノナ」解読文によって判明したことだった。彼らは、そうと知りつつソ連情報機関と秘密の関係をもち、アメリカの国益をひどく損なう極秘情報をソ連に渡していたのである。アメリカ財務省におけるナンバー2の実力者で、連邦政府の中でも最も影響力のある官僚の一人であり、国際連合創立のときのアメリカ代表団にも参加していたハリー・デクスター・ホワイトが、どのようにすればアメリカの外交をねじまげられるかをKGBに助言していたこともわかってきた。
 また、フランクリン・ルーズベルトの信任厚い大統領補佐官だったラフリン・カリーは、ソ連のアメリカ人エージェントとして重要な地位にあったグレゴリー・シルバーマスターをFBIが調べ始めたとき、そのことをKGBに通報していた。このため、米政府内の大変有益なスパイ一団を指揮していたシルバーマスターは、捜査を逃れてスパイ活動を続けることができた。当時のアメリカの主要なインテリジェンス機関であったOSS(戦略事務局)で調査部長の地位についていたモーリス・ハルパリンは、数百ページものアメリカの秘密外交通信をKGBに渡していたのであった。
 アメリカ政府のすぐれた若手航空科学者だったウィリアム・パールは、アメリカのジェット・エンジンやジェット機についての極秘の設計試験結果をソ連に知らせており、彼の裏切りのおかげで、ソ連はジェット機開発でアメリカが技術的にリードしていた大きな格差を克服し、早期に追いつくことができた。朝鮮戦争で、米軍指導部は自分たちの空軍力なら戦闘空域で敵を制圧できると考えていたが、これは北朝鮮や共産中国の用いるソ連製航空機がアメリカのものにはとうてい太刀打ちできない、と考えていたからである。しかし、ソ連のミグ15ジェット戦闘機はアメリカのプロペラ機よりはるかに速く飛行できただけでなく、第一世代のアメリカのジェット機と比べても明らかに優っていたため、米空軍は大きな衝撃を受けた。その後、アメリカの最新ジェット機のF-86セイバーの開発を急ぐことででやっと、アメリカはミグ15の技術的能力に対抗することができた。アメリカ空軍はようやく優位を得たが、それはアメリカ航空機の設計よりも大部分、米軍パイロットの技量によるものであった。

【『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:中西輝政監訳、山添博史〈やまぞえ・ひろし〉、佐々木太郎、金自成〈キム・ジャソン〉訳(PHP研究所、2010年/扶桑社、2019年)以下同】

 ほぼ学術書である。中西輝政は自著で「ヴェノナ文書によってマッカーシズムが正しかったことが証明された」と言い切っているが、私にその確信はない。ただ明らかなのは米国首脳部にまでKGB(カーゲーベー)の手が及んでいた事実である。はたまたルーズヴェルト本人が左翼であったという説もある(『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する』馬渕睦夫、2015年)。

 日本の読者がこの本の中でとくに関心をもつのは、ソ連がアメリカの原爆開発「マンハッタン・プロジェクト」に多くのスパイを送り込んでいたため、アメリカの原爆開発の実態を非常によく知っていた、という部分だと思います。事実、1945年の7月にポツダムでトルーマン大統領はスターリンに会い、アメリカは非常に強力な新兵器をすぐに日本に対して使用することができる、と話しましたが、そのときスターリンには驚いた様子は全くありませんでした。おそらくスターリンは原爆について、トルーマンよりも早く、そしてより多くのことを知っていたのでしょう。(日本語版に寄せて)

 また、今日読み終えた『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』(水間政憲、2015年)によれば、実は長崎に原爆は2発落とされていて、もう1発の不発弾はソ連に渡った可能性があるという。証拠として瀬島龍三元中佐が署名した「原子爆弾保管ノ件」という機密文書を掲載している(ロシア国防省中央公文書館所蔵)。

 冷戦前夜の第二次世界大戦は米ソのスパイが暗躍する時代であった。日本だとソ連の手先としてはリヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉が知られる(いずれも死刑)。

 ひょっとすると帝国主義を葬ったのはコミンテルンの指示を受けた工作員の活躍によるところが大きいのかもしれない。彼らに下された使命は国家転覆を狙った破壊と混乱であった。

 マッカーシズムを否定的に篤かった書籍に陸井三郎著『ハリウッドとマッカーシズム』(1990年)がある。個人的に読み物としてはどちらもあまり評価できない。

 これだけだと「ヴェナノ文書」を理解することはできないと思われるので動画と関連書を紹介する。








憲法9条に埋葬された日本人の誇り/『國破れて マッカーサー』西鋭夫