2020-06-14

生態系を支える微生物/『土と内蔵 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー


『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『免疫の意味論』多田富雄
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
・『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 ・生態系を支える微生物

・『土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて』藤井一至
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『ミミズの農業改革』金子信博
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ

 結論から言えば、微生物は木の葉、枝、骨など地球上のありとあらゆる有機物をくり返し分解し、死せるものから新しい生命を創りだしてきた。それでも隠された自然の半分との私たちの関わり方は、その有益な面を理解して伸ばすのではなく、殺すことを基準としたままだ。過去1世紀にわたる微生物との戦いの中で、私たちは知らず知らずのうちに自分たちの足元を大きく掘り崩してしまった。
 そして、すばらしく革新的な新製品や微生物療法が、農業と医学の両分野に姿を現そうとしていること以外にも、隠された自然の半分に関心を持つべき実に単純な理由がある。それは私たちの一部であって、別のものではないのだ。微生物は人体の内側から健康を引き出す。その代謝の副産物は私たちの生命現象に欠かせない歯車となる。地球上でもっとも小さな生物たちは、地質学的時間の進化の試練を経て、すべての多細胞生物と長期的な協力関係を築いた。微生物は植物に必要な栄養素を岩から引き出し、炭素と窒素が地球を循環して、生命の車輪を回す触媒となり、まわりじゅう至るところで文字通り世界を動かしている。
 今こそ微生物が私たちの生命にとって欠かせない役割を果たしていることを、認識するときだ。微生物は人類の過去を形作った。そして微生物をどう扱うかで未来が決まり、それがどのような未来か私たちはわかり始めたばかりだ。なぜなら私たちは微生物というゆりかごから抜け出すことはないからだ。私たちは隠された自然の半分に深く埋め込まれており、同じくらい深くそれは私たちに埋め込まれている。

【『土と内蔵 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー:片岡夏実〈かたおか・なつみ〉訳(築地書館、2016年)】

 関連書を辿ってゆくうちに、腸~細菌~ウイルス~土という流れになったわけだが意外なほど知的刺戟(しげき)に満ちている。

 人体のスケールは約2メートルだが視力を踏まえれば我々が認識できるのは1mmから数千メートル、つまり山の大きさ程度だろう。科学が発達するに連れてマクロ(天体物理学)やミクロ(量子力学)の世界は我々の常識とは異質な作用が働いている。生態系を支える微生物の世界を知ると、とてもじゃないが人間が地球に君臨しているとは言い難い。本気で戦えば多分ヒトは昆虫や微生物に敗れることだろう。否、植物すらヒトよりも強い可能性がある。

 仏教に依正不二(えしょうふに)という言葉がある。湛然(たんねん/妙楽大師)が立てた解釈である十不二門(じっぷにもん)の一つだ。依報(えほう/環境)正報(しょうほう/主体)は密接不可分にして一体不二であることを説いたものだ。ここで私が注目したいのは「報」の字である。環境も自己も過去の業(ごう/行為)によって形成されており、それを「報い」として受け取る。因縁果報(いんねんかほう)のサイクルは瞬間瞬間織り成してとどまることがない。それでも尚、環境から感受する情報は「報い」となり、受け取る生命主体の感覚や判断は過去の業に引きずられて、これまた「報い」となる。

 ともすると環境とは自己の外部と考えがちだが、意識からすれば肉体もまた環境である。普段は自分の意思で好き勝手に動かしているつもりになっているが、病気や怪我をすればその不自由さにたじろぐ。「体は自然である」と養老孟司が常々言っている通りだ。そう考えると脳すら環境なのかもしれない。

 結局、自我は意識から生まれているわけだが意識なんぞは当てにならない。一日の中で意識が立ち上がっている時間は意外と短い。何か上手く行かなかったり、頭に来たり、褒められたり、威張ったりする時にしか意識は芽生えない。クルマの運転も初心者の時は一つ一つの操作を強く意識するが、慣れてしまえば完全に無意識である。生活の実態は「ただ反応している時間」が最も長い。

 トール・ノーレットランダーシュは意識を「ユーザーイリュージョン」(使用者の幻影)と名づけた。脳は理性・感情・本能を駆使して生き延びるための計算をしているわけだが、一朝(いっちょう)事がある時は命を空しくすることは決して珍しくはない。英雄的な行為は自己犠牲とセットだ(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー)。人助けは常に条件反射で行われる。

 意識が幻影だとすれば私は環境であり世界だ。それが証拠に私もまた多くの微生物によって成り立っている。

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