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2014-02-25

イギリス革命は税制改革に端を発している/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 イギリスこそがデモクラシーの元祖開山である。
 日本人は、大概こう思っている。
 その【イギリス革命は税制改革に端を発している】。
 1649年の清教徒革命。イギリス諸革命の中でも最初にして最も根本的(ラディカル)と言われる【清教徒革命は、1634年の建艦税(シップ・マネー)に始まった】。(中略)
 チャールズ1世は、絶対君主たる王の命令に依って、中世封建的税制を改革しようとした訳であった。
 が、この税制改革には、待ったが掛かった。
 地主達の猛反対に遭遇(そうぐう)する羽目(はめ)になったのであった。
 ジョン・ハムプデンは、20シリングの建艦税を支払う事を拒絶した。ハムプデンは、「建艦税は、違法なり」として、裁判所に訴えたのであった。
 過半数の判事は、王によって任命され、王の影響下にあった。建艦税は合法である。「非常の際に於いては、王の大権は制限を受ける事がない」
 こう判決が下った。
【この判決に、清教徒達は抗議した】。王の圧政に抵抗したと、ジョン・ハムプデンは、一躍英雄になった。
 この建艦税騒動が、1649年における清教徒革命の発端(ほったん)となったのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 もちろん税はきっかけであって、それだけでピューリタン革命が成ったわけではない。社会の歪みが税という形に極まり、民の怒りが沸点に達したのだろう。そして新しい思想(宗教)が興(おこ)る。

 先代のジェームズ1世の迫害から逃れたピルグリム・ファーザーズの渡米が1920年だから、ほぼ同時と見てよい。

 圧政や苛政は必ず税となって民を苦しめる。そして民の忍耐が限界に達すると革命が起こる。ただし日本の場合は江戸時代が長すぎて、黒船(=外圧)を待つ傾向が強い。

【清教徒革命のテーマは、「国民の同意抜きの税制改革には応じられない」ここにあった】。(中略)
 この際の【イギリス国民の同意とは、議会の議決と言う事である】。

 議会の議決にはこれほどの重みがある。ジョン・ハムデンはたった20シリングの税を拒むことでピューリタン革命の端緒を開いた。この4月から消費税は5%から8%にアップする。我々は3月までに駆け込みで大きな買い物を済ませ、4月から倹約するだけでよいのだろうか? 消費税は低所得者になればなるほど痛税感が高まる。その「痛み」を私が許した覚えはない。一方では法人税引き下げの検討が活発化している。孔子は政治を行う上で最も大切なものを「民信無くば立たず」と示した(『論語』)。立たねば倒れるのみ。

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―
小室直樹
ビジネス社
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2014-02-24

税金は国家と国民の最大のコミュニケーション/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

「消費税の呪(のろ)いに依(よ)って、日本資本主義は破綻(はたん)するだろう。デモクラシーも滅びるだろう」と小室は予告する。

 その理由は、第一に伝票(インヴォイス)方式を採用しなかったからである。
 伝票方式にすると、仕入れと販売のエッセンスは、丸(まる)でガラス張りになる。
 少なくともその重要な部分は見え見えになる。消費者にも税務署にもお金の流れがはっきりするから、税金を誤魔化(ごまか)す余地は非常に少なくなる。
 伝票方式の最大の良い処(ところは)、脱税がし難(にく)くなる事である。
 誰しも一番頭に来る事は、脱税のチャンスの不平等である。【クロヨン】(9-6-4)、【トーゴーサンピン】(10-5-3-1)と言う例のあれだ。
 サラリーマンや著述業などの所得が殆ど100パーセント透明ガラス張りなのに、中小企業は曇りガラス。農業等は雨戸張り。(中略)
 武田信玄は、租庸(そよう/税金)の取り方に付(ママ)いて言った。
【「租庸で大切な事は、重きにあらず軽きにあらず、公平にあり」】と。(中略)
 徴税(税金を取り立てる)の不公平となると、根本的に違ってくる。
 それは【不公平であるだけでなく、不正でもある】からである。
 特に、デモクラシー諸国に於いては致命的である。
【デモクラシー諸国に於いては、税金の遣(や)り取りこそ国と国民との最大のコミュニケーションである】からである。
【税金こそ、デモクラシーの血液】である。
 血液の循環に依って身体が保たれる様に、税金の循環に依ってデモクラシーは保たれる。
 血液の循環が詰まれば大変である。脳血栓(のうけっせん)、脳梗塞(のうこうそく)等の重病となる。町税が出来なくて税金の循環が詰まれば、デモクラシーは死に兼ねない。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 資本主義は資本を所有する者が強者となる世界だ。で、強者は自分に都合のよい仕組みをつくりだす。経団連を見れば一目瞭然だ。多分インボイス方式を採用しなかったのは竹下登首相(当時)による政治的配慮だろう。

 一方で国民はものわかりがよい。「ま、国も赤字で困っているようだから仕方がない」と財布を開くたびに消費税を支払う。一片の疑問を抱くこともなく。

 トータルの税金で日本は既にスウェーデンを抜いている。

消費税率を上げても税収は増えない

 実に所得の55.4%が税という名目で奪われているのだ。にもかかわらず福祉大国ではない事実がおかしい。富の再分配が偏っていることは明らかだろう。人体に例えるなら、きっと心臓から上の方にしか血液が回っていない状態だ。足はとっくに壊死状態だ。

 よき国家であれば、国民は税を支払うことに誇りをもつことだろう。だが資本主義はそれを許さない。なぜなら企業の目的は利潤の最大化にあるからだ。

 巨大資本は多国籍企業となり、タックス・ヘイヴン経由で租税を回避する。アメリカもイギリスも国内にタックス・ヘイヴンが存在する。資本は税を嫌うのだ。

 そして今や、ショック・ドクトリンによって発展途上国の予算やIMFからの融資金を一部の多国籍企業が簒奪(さんだつ)する。資本主義とは不平等の異名である。人類の限界に至るまで差別を助長するに違いない。

 たとえ世界大戦が起こったところでこの仕組みが変わることはない。なぜなら実際の資本は既に眼に映らぬオンライン上に存在するからだ。銀行にある現金は預金の20%程度といわれる。

 この邪悪な資本主義金融体制を倒すためには、スーパーリッチと呼ばれる連中を死刑にするしかない。私に浮かぶアイディアはそれくらいだ。


力の強いもの、ずる賢いものが得をする税金/『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎
マネーと言葉に限られたコミュニケーション/『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎

2014-02-23

下位文化から下位規範が成立/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 小室は消費税の簡易課税制度(※売上の20%を付加価値と見なし、これに消費税を課す。残りの80%は仕入れと原材料費と見なされる)が脱税の温床であると指摘する。それどころか「脱税制度そのもの」であると言い切る。

 そして企業間で脱税が日常茶飯の社会行動と化す時、事業計画の中で「重要な変数」として扱われる。脱税プログラミングが開発され、悪徳数学者と悪徳経済学者と悪徳弁護士らが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、手を組んで、やがて日本経済を危機に陥れる。これが小室の懸念だ。

【定常的な犯罪集団が形成されると、そこに下位文化(サブ・カルチャー)が生まれる。】
 犯罪者集団独自の下位文化だ。この下位文化は、確(しっか)りと成員の行動を規定する(縛り付ける)。
 そして、各成員は、斯くの如く規定された行動をする事が当然だと思い込む様になる。それが正しいと思ってしまうのである。【ここが恐ろしい】。
 ぞっとしても足りない程である。
 社会にとっては紛(まぎ)れもなく犯罪に違いない事も、犯罪者集団は全く正しい事だと思い込む様になってしまうのである。
 と言う事は、どう言う事か。
 犯罪者集団の成員は、堂々と犯罪行為を行なうと言う事だ。堂々と、良心の呵責(かしゃく)なんか何もなく。
 社会全体の人々にとって、これより恐ろしい事は、またと考えられない。
 だって、そうだろう。
 普通、犯罪者と雖(いえど)も良心の呵責に苛(さいな)まれる。こんな事、心ならずも仕出かしてしまったが、本心ではやりたくはなかったんだ。
 これこそ、犯罪に対する最大・最強の歯止め、バラバラな犯罪者の行為が、それほど恐ろしくないと言うのも、右の理由に因(よ)る。が、犯罪者集団が、定常的に、存在するとなると、事情は根本的に変わってくる。この犯罪者集団の中に下位文化が発生する事になると、尚更(なおさら)の事だ。
 そうなると、下位規範(サブ・ノルム)が成立するであろう。詰(つ)まり、社会全体の規範(ノルム)とは全く違った規範が成立してしまうんのだ。これは大変である。
 社会全体が正しいと思った事でも、この犯罪者集団では正しくない。社会全体が許さないと言ったところで、この犯罪者集団でなら許される。
 犯罪者集団の構成員は、確信を以(も)って犯罪行為を遂行する。
 決して、オドオドしたりしない。後悔を感じたりはしないものなのである。
 確信を以って、所謂(いわゆる)「犯罪行為」を遂行する。オール確信犯と言って良い。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 脱税が常態化した企業内部のメカニズム原理を見事に抽出している。小室の文体には独特の臭みとしつこさがあるが、何も考えずに慣れた方がよい。漢字表記についても同様だ。

 小室は学問の原理に忠実な人物であった。一切の妥協を許さなかった稀有な学者であった。弟子の一人である宮台真司は常々「天才」と絶賛している。あの宮台がである。

 このテキストが凄いのは、あらゆる閉鎖的集団の内部構造を説明しきっているところだ。例えば政治的談合、あるいは省益・庁益のために働く官僚、そしてコンプライアンスを無視して利益のみを追求する企業。はたまたブラック企業・健康食品のマルチ商法、更には宗教団体やテロリスト集団にまで適用可能だ。

 下位文化から下位規範が成立する。その規範とは「村の掟」だ。村人たちにとって「村の掟」は法律よりも重い。なぜなら彼らはそこに住み、生きてゆく他ないからだ。

 人間の脳は同調圧力に対して屈する傾向が強い。それを社会心理学的に証明したのがソロモン・アッシュの同調実験であった。

アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 ヒトの社会性は本能に同調を促し、集団生活に収まることで生き延びる確率を高めたのだろう。つまり「集団に属する」ことは「その集団に同調する」ことを意味すると考えてよい。

 我々は「皆がやっていることだから」という事実に基づいて自分自身をたやすく免罪する。営業マンを見れば一目瞭然だ。不自然なハイテンション、リスクに触れることのない説明、特定商取引法第16条を無視した営業トーク。あいつらは売れさえすればそれでいいのだ。自分のグラフを伸ばすためならどんなことでもやりかねない。

 規範というものはある行動を規制しながらも別の行動を強く促す。集団内のモラルは時に世間のインモラルと化す。しかも官僚や企業の場合、賃金という形で返ってくる。どうせ労働力を売るなら高い方がよい。しかも多少我慢すれば一生面倒を見てもらえる。

 結局のところ我々全員が損得で物事を判断しているのだろう。賃金の上昇を望む人は多いが、モラルの上昇を望む人を見たことがない。時折、正義感を発揮して内部告発をする勇者が登場すると、「馬鹿だよなー。おとなしくしていれば安全な人生を歩めたのに」などとテレビ越しに見つめる人も多い。

 ザル法が日本経済を破壊することを覚えておこう。この春から消費税が増税される。デフレ脱却前に増税を決定したのは致命的な判断ミスだ。ワーキングプアも放置されたままだ。また消費税と自殺者数には相関関係があることも忘れぬように(『消費税のカラクリ』斎藤貴男)。

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―
小室直樹
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読書人階級を再生せよ/『人間の叡智』佐藤優

2014-02-12

世界恐慌とテロに関する覚え書き
















腹切り問答


死のう団事件

2014-02-11

マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 怒りに駆られ眠ることができなくなった。そして今、脱力感に覆われている。不屈の闘士ネルソン・マンデラは27年半にわたって獄につながれた(1962年8月5日、逮捕~1990年2月11日、釈放)。マンデラを釈放し、アパルトヘイトを廃止したのはデクラーク大統領だった。1993年、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞している。1994年、マンデラ政権が発足。デクラークは副大統領として起用された。そしてデクラークはANC(アフリカ民族会議)が長年にわたって掲げてきた「自由憲章」を骨抜きにし、白人の資産を完璧に守り抜き、マンデラ大統領の手足に枷(かせ)をはめたのだ。南アフリカの希望は線香花火のようにはかないものだった。

ネルソン・マンデラ。人種差別主義を超えたアフリカの偉人

 ではなぜ偉大な大統領が誕生したにもかかわらず南アフリカの状況が変わらないのか?

南アフリカの若いチンピラたちがひとりの男を殺す一部始終(※18禁、閲覧注意)

 その答えが本書に書かれている。


 和解とは、歴史の裏面にいた人々が抑圧と自由の間の質的な違いを本当に理解したときに成立するものです。彼らにとって自由とは、清潔な水が十分あり、電気がいつでも使え、まともな家に住み、きちんとした職業に就き、子どもに教育を受けさせ、必要なときに医療を受けられることを意味します。言い換えれば、これらの人々の生活の質が改善されなければ、政権が移行する意味などどこにもないし、投票する意味もまったくないのです。
   ――デズモンド・ツツ大主教(南アフリカ真実和解委員会委員長、2001年)

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 多くの黒人が望んだのはたったそれだけのことだった。最低限の人間らしい暮らしといってよい。ANCは1955年、5万人のボランティアを各地へ派遣し、「自由への要望」を集めた。ここから「自由憲章」が起草された。そこにはアパルトヘイトで奪われた富の再分配が高らかに謳われていた。ANC政権は権力を手に入れた代わりに経済政策を譲った。デクラークは白人保護の網を巧妙に張り巡らせ、マンデラは国際舞台へ登場するたびにワシントン・コンセンサスを頭に叩き込まれ、南アフリカはマーケットの動きに翻弄された。


 新政権発足後の数年間、マンデラ政権の経済顧問を務めたパトリック・ボンドは、当時、政府内でこんな皮肉が飛び交ったと言う――「政権は取ったのに、権力はどこへ行ってしまったんだ?」。新政権が自由憲章に込められた夢を具体化しようとしたとき、それを行なうための権限は別のところにあることが明らかになっったのだ。
 土地の再分配は不可能になった。交渉の最終段階で、新憲法にすべての私有財産を保護する条項が付け加えられることになったため、土地改革は事実上不可能になってしまったのだ。何百万もの失業者のために職を創出することもできない。ANCが世界貿易機関(WHO)の前身であるGATTに加盟したため、自動車工場や繊維工場に助成金を出すことは違法になったからである。AIDS(エイズ)が恐ろしいほどの勢いで広がっているタウンシップに、無料のAIDS治療薬を提供することもできない。GATTの延長としてANCが国民の議論なしに加盟した、WTOの知的財産権保護に関する規定に反するためだ。貧困層のためにもっと広い住宅を数多く建設し、黒人居住区に無料で電気を提供することも不可能。アパルトヘイト時代からひそかに引き継がれた巨大な債務の返済のため、予算にそんな余裕はないのだ。紙幣の増刷も、中央銀行総裁がアパルトヘイト時代と同じである以上、許可するわけはない。すべての人に無料で水道水を提供することも、できそうにない。国内の経済学者や研究者、教官など「知識バンク」を自称する人々を大量に味方につけた世銀が、民間部門との提携を公共サービスの基準にしているからだ。無謀な投機を防止するために通過統制を行なうことも、IMFから8億5000万ドルの融資(都合よく選挙の直前に承認された)を受けるための条件に違反するので無理。同様に、アパルトヘイト時代の所得格差を緩和するために最低賃金を引き上げることも、IMFとの取り決めに「賃金抑制」があるからできない。これらの約束を無視することなど、もってのほかだ。取り決めを守らなければ信用できない危険な国とみなされ、「改革」への熱意が不足し、「ルールに基づく制度」が欠けていると受け取られてしまう。そしてもし、これらのことが実行されれば通貨は暴落し、援助はカットされ、資本は逃避する。ひとことで言えば、南アは自由であると同時に束縛されていた。一般の人々には理解しがたいこれらのアルファベットの頭文字を並べた専門用語のひとつひとつが網を構成する糸となり、新政権の手足をがんじがらめに縛っていたのだ。
 長年にわたる反アパルトヘイト逃走の活動家ラスール・スナイマンは、こう言い切る。「彼らはわれわれを自由にはしなかった。首の周りから鎖を外しただけで、今度はその鎖を足に巻いたのです」。


 目に見えない経済という名の牢獄だ。米英を筆頭とする世界はかくも残酷だ。ハゲタカファンドではなく、ハゲタカが世界を支配しているのだ。貿易によって国家は栄え、そして今度は貿易に依存せざるを得なくなる。アメリカは軍需・金融・メディア・穀物、カルチャー、そして学問の大国である。更にアメリカの購買力が世界経済を支えている。第二次大戦後の国際的な枠組みは殆どがアメリカ主導で形成されてきた。既にIMFもシカゴ・ボーイズが自由に踊る舞台となった。

 それでも政権に就いて最初の2年間、ANCは限られた資産を用いて富の再分配という約束を実行しようと努めた。立て続けに公共投資が行なわれ、貧困層向けの住宅10万戸以上が建設され、数百万世帯に水道、電気、電話が引かれた。だがご多分に漏れず債務に圧迫され、公共サービスの民営化を求める国際的圧力がかかるなか、政府はやがて価格を上昇させ始める。ANC政権発足から10年経った頃には、料金を払うことのできない何百万もの人々が、せっかく引かれた水道や電気を利用できなくなった。2003年には、新しい電話線のうち少なくとも40%が使用されていなかった。マンデラが国営化すると約束した「銀行、鉱山および独占企業」も、依然として白人所有の4大コングロマリットに所有されたままであり、これらのコングロマリットはヨハネスブルク証券取引所上場企業の80%を支配していた。2005年には、同証券取引所上場企業のうち黒人が所有するものはたった4%にすぎなかった。2006年には、いまだに南アの土地の7割が人口の1割にすぎない白人によって独占されていた。悲惨きわまりないのは、ANC政権が500万人にも上るHIV感染者の生命を救うための薬を手に入れるより、問題の深刻さを否定するほうにはるかに多大な時間を費やしてきたことだ(2007年初めの時点では、いくらか前進の兆しが見られるが)。もっとも顕著にこのことを物語るのは、おそらく次の数字だろう。マンデラが釈放された1990年以降、南ア国民の平均寿命はじつに13年も短くなっているのだ。

 後にマンデラの後継となるムベキは公の場で言った。「私をサッチャー主義者と呼んでください」と。ANCは玉手箱を開けてしまった。革命の夢が実現した直後に志は崩れ去った。現実は変わらないどころか悪くなる一方だった。

 本書で次から次へと繰り出される衝撃の事実に感情が追いつかない。本物の事実は所感を拒絶する。我々はただありのままにそれを見つめる他ない。


 そのうえ、債務が具体的に何に使われている金なのかという問題がある。体制移行の交渉の際、デクラーク大統領側はすべての公務員に移行後も職を保障すること、退職を希望する者については多額の生涯年金を支給することを要求した。これは社会的なセーフティーネットと呼ぶべきものが存在しない国においては、まさに法外な要求だったにもかかわらず、ANCはこの要求をはじめとするいくつかの要求を「専門的」問題としてデクラーク側に委ねてしまったのだ。この譲歩によって、ANCは自らの政府と、すでに退職した影の白人政府という二つの政府のコストを負うことになり、これが膨大な国内債務としてのしかかっている。南アの年間の債務支払のじつに40%は、この大規模な年金基金に振り向けられ、年金受給者の大多数は、かつてのアパルトヘイト政権の政府職員で占められているのである。
 最終的に南アには、主客が逆転したねじれた状況が生じることになった。つまりアパルトヘイト時代に黒人労働者を使って膨大な利益を得た白人企業は【びた】一文賠償金を支払わず、アパルトヘイトの犠牲者の側が、かつての加害者に対して多額の支払いをし続けるという構図である。しかもこの多額の金額を調達するのに取られたのは、民営化によって国家の財産を奪うという方法だった。それはANCが交渉に同意するにあたって、隣国モザンビーク独立の際に起きたことをくり返さないために断固として回避しようとした「略奪」の現代版にほかならなかった。もっともモザンビークでは、旧宗主国の政府職員が機械類を破壊し、ポケットに詰められるだけのものを詰めて去って行ったのに対し、南アでは国家の解体と資産の略奪が今日に至るまで続いているのだ。

 マンデラの苦衷を思う。獄舎から放たれた後の方が苦しい人生だったのではあるまいか。

 昨夜から今朝にかけて私は密かに復讐を誓った。もちろん蟷螂の斧であることは自覚している。蟷螂の小野と呼んでくれ給え。寒い朝が白々と明けるなかで今日が2月11日であることに気づいた。24年前にマンデラが釈放された日だ。悲惨を生き続けるアフリカに太陽が昇る気配はまだない。地獄は続くことだろう。だが永遠に続く地獄は存在しない。マンデラの夢がかなうのはいつの日か。そして実現させるのは誰か。

2014-02-09

人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 フリードマンはキャメロンと同様、「生まれながらの」健康状態に戻すことを夢のように思い描き、それを使命としていた。人間の介入が歪曲的なパターンを作り出す以前の、あらゆるものが調和した状態への回帰である。キャメロンは人間の精神をそうした原始的状態に戻すことを理想としたのに対し、フリードマンは社会を「デパターニング」(※パターン崩し)し、政府規制や貿易障壁、既得権などのあらゆる介入を取り払って、純粋な資本主義の状態に戻すことを理想とした。またフリードマンはキャメロンと同様、経済が著しく歪んだ状態にある場合、それを「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。そうした歪みや悪しきパターンは「荒療治」によってのみ除去できるというのだ。キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。彼は苦境にある国の政治家に、政策という名のショック療法を行なうよう駆り立てた。だがキャメロンとは違って、フリードマンが抹消と創造という彼の夢を現実世界で実行に移す機会を得るまでには、20年の歳月といくつかの歴史の変転を要した。

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)】

 ドナルド・ユーイン・キャメロンとミルトン・フリードマンに共通するのは「漂白」という概念だろう。人間も経済も真っ白にできるというのだ。そのためには洗濯機でグルグル回す必要があるわけだが。

 彼らが説く「ショック療法」は神の怒りに由来しているような気がする。なぜなら自分を神と同じ位置に置かなければ、そのような発想は生まれ得ないからだ。彼らは裁く。誤った人間と誤った経済を。そして鉄槌のように下されたショックは部分的な成功と多くの破壊を生み出す。

 人間をコントロール可能な対象とする眼差しを仏典では他化自在天(たけじざいてん)と説く。「他人を化する」ところに権力の本性があるのだ。親は子を、教師は生徒を、政治家は国民を操ろうとする。広告媒体と化したメディアが消費者の欲望をコントロールするのと一緒だ。マーケティング、教育、布教……。

 ミルトン・フリードマンはニクソン政権でチャンスをつかみ、レーガン政権で花を咲かせた。この間、シカゴ学派による壮大な実験が激しく揺れる南米各国で繰り広げられる。CIAの破壊工作と歩調を揃えながら。

 自由の国アメリカは他国を侵略し、彼らが説く自由を強制する。その苛烈さはスターリン時代のソ連を彷彿とさせる激しさで、オーウェルが描いた『一九八四年』の世界と酷似している。

 社会の閉塞感が高まると政治家はショック・ドクトリンを求める。新自由主義は津波となって我々に襲いかかり、瓦礫(がれき)だらけの世界を創造することだろう。

2014-02-07

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 禁を破り、まだ読み終えていない作品を紹介しよう。第二次大戦後、アメリカが世界で何を行ってきたのかが理解できる。情報の圧縮度が高いにもかかわらず読みやすいという稀有な書籍。2冊で5000円は安い買い物だ。

 少なからぬ人々が中野剛志〈なかの・たけし〉の紹介で本書を知り、翻訳を心待ちにしていたことだろう。


【5分7秒から】

 ナオミ・クラインについては『ブランドなんか、いらない』を挫折していたので不安を覚えた。それは杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 書評の禁句を使わせてもらおう。「とにかく凄い」。序章と第一部「ふたりのショック博士」だけで普通の本1冊分以上の価値がある。CIAMKウルトラ計画で知られるドナルド・ユーイン・キャメロン(スコットランド生まれのアメリカ人でカナダ・マギル大学付属アラン研究所所長。後に世界精神医学会の初代議長〈※本書ではユーイン・キャメロンと表記されている。なぜドナルド・キャメロンでないのかは不明〉)と、マネタリズムの父にしてシカゴ学派の教祖ミルトン・フリードマンがどれほど似通っているかを検証し、同じ種類の権威であることを証明している。

ジェシー・ベンチュラの陰謀論~MKウルトラ

 枕としては巧妙すぎて私は首を傾(かし)げた。だが南米の国々を破壊してきたアメリカの謀略を読んで得心がいった。

 壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義」(ディザスター・キャピタリズム)と呼ぶことにした。

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 フリードマンはその熱心な追随者たちとともに、過去30年以上にわたってこうした戦略を練り上げてきた。つまり、深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだそのショック状態にたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、「改革」を一気に定着させてしまおうという戦略だ。
 フリードマンはきわめて大きな影響力を及ぼした論文のひとつで、今日の資本主義の主流となったいかがわしい手法について、明確に述べている。私はそれを「ショック・ドクトリン」、すなわち衝撃的出来事を巧妙に利用する政策だと理解するに至った。

 ショック・ドクトリンというレンズを通すと、過去35年間の世界の動きもまるで違って見えてくる。この間に世界各地で起きた数々の忌まわしい人権侵害は、とかく非民主的政権による残虐行為だと片づけられてきたが、じつのところその裏には、自由市場の過激な「改革」を導入する環境を考えるために一般大衆を恐怖に陥れようとする巧妙な意図が隠されていた。1970年代、アルゼンチンの軍事政権下では3万人が「行方不明」となったが、そのほとんどが国内のシカゴ学派の経済強行策に版愛する主要勢力の左翼活動家だった。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の目的も「アメリカのための市場開放」であることは間違いない。しかもフリードマン一派が常に待望している惨事(東日本大震災)がこれ以上はないというタイミングで発生した。あとは枠組みを作って根こそぎ奪うだけのことだ。

 利権が民主主義を脅かしている。政治は経済に侵略され、思想よりも損得で動くようになってしまった。既に巨大な多国籍企業は国家を超える力をもつ。富は均衡を失い富裕層へと流れ、先進国では貧困化が拡大している。このまま進めば庶民は確実に殺される。

 本書のどのページを開いても資本主義経済崩壊の警鐘が鳴り響いてくる。

 私も以前からミルトン・フリードマンに嫌悪感を覚えていたが、そんな彼でさえクリシュナムルティを称賛していたことを付記しておく。(ミルトン・フリードマンによるクリシュナムルティの記事




資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(前編)
資本主義の問題に真っ向から挑むマイケル・ムーアの新作 『キャピタリズム~マネーは踊る』(後編)

キャピタリズム~マネーは踊る プレミアム・エディション [DVD]

『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代
環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人
モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子
『ザ・コーポレーション(The Corporation)日本語字幕版』
帝国主義大国を目指すロシア/『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優
パレートの法則/『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
アメリカ礼賛のプロパガンダ本/『犬の力』ドン・ウィンズロウ
官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
グローバリズムの目的は脱領土的な覇権の確立/『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人
シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫
汚職追求の闘士/『それでも私は腐敗と闘う』イングリッド・ベタンクール
ネイサン・ロスチャイルドの逆売りとワーテルローの戦い/『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
TPPの実質は企業による世界統治
近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない/『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃
ヨーロッパの拡張主義・膨張運動/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
新自由主義に異を唱えた男/『自動車の社会的費用』宇沢弘文
フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘
「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎

2014-01-12

今、一番大きなバブルは、日本円の購買力

2013-11-04

マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人


米軍による原爆投下は人体実験だった
明治維新は外資によって成し遂げられた
・マネーサプライ(マネーストック)とは

 預貯金のカラクリは、マネーサプライという経済用語を吟味すると、わかってきます。
 マネーサプライは、市中に供給されたお金のことをさす言葉だと一般に理解されていますが、これだけではそれが私たちにどう関係することなのか、本当の姿を把握することはできないでしょう。
 経済の虚飾をそぎ落としていえば、マネーサプライとは借金の総額である、ということができます。お金の供給が増える、つまりマネーサプライが増えるとうのは、いわば見せかけのお金、それも借金が増えるということなのです。

【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)以下同】

マネーサプライの定義について
マネーサプライの減少-借金の返済/マネーサプライの増加-国民にお金を配る

 これぞ複式簿記原理。誰かの資産は必ず誰かの負債なのだ。資本主義の原動力は借金である。否、資本主義は借金から誕生したのだ。

資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦

 マネーサプライは通貨基準でマネーストックは銀行基準と考えてよいと思う。が、いずれも借金である事実に変わりはない。

 では銀行の機能を見てみよう。

◆信用創造のカラクリ

 さて、信用創造を行うために必要な銀行が保有する預金額のパーセンテージを預金準備率(支払準備率)といいます。銀行はこの準備率に見合うお金を、日銀の当座預金に預けるよう義務づけられています。要するに、銀行が貸し出しを行うための証拠金ということです。(中略)
 いまの日本の準備率はといえば、定期性預金ならば、0.05~1.2パーセント、その他の預金なら0.1~1.3パーセントにすぎません。驚くほどわずかな証拠金といえます。
 話を簡略化するために、日本のすべての預金の準備率が1パーセントだったと仮定しましょう。とすると、銀行は100万円を預かると、全額を日銀に預け、9900万円を借り手の口座に創設することができます。つまり合計の預金残高は1億円になります。1パーセントの準備率でマネーサプライは100倍に増えるのです。日本の現在の準備率は0.1パーセント程度ですから、100万円の預金があれば10億円が創造されるということです。
 これが、マネーサプライが増えるカラクリです。

 おわかりだろうか? 銀行が行う信用創造とは、レバレッジが100~1000倍の安全なギャンブルといってよい。わかりやすく単純にいえば、1万円の預金があれば100~1000万円貸し出していいよ、というお墨付きが準備率だ。一般市民の感覚からすれば「不信用創造」そのものだ。

信用創造のカラクリ/『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン

 1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領はドル紙幣と金(ゴールド)の兌換(だかん)を停止した。これがニクソン・ショックである。


 その後、1985年9月22日、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)によりプラザ合意が発表される。ま、世界規模で行われたドル安談合だ。なかんずく貿易赤字が顕著であった日本が狙い撃ちされた。これがバブル景気をもたらす。

 ニクソン・ショックを経て1973年から為替の変動相場制が始まった。金本位制度は死んだ。そして何の裏づけもない紙切れが「マネー」という怪物に変貌した。資本主義は信用創造に支えられる新時代の宗教に格上げされた。つまり紙は神となったわけだ。



官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎

2013-09-01

消費を強制される社会/『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード


 ・消費を強制される社会
 ・機能の廃物化、品質の廃物化、欲望の廃物化

『メディア論 人間の拡張の諸相』マーシャル・マクルーハン
『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン

 電通の戦略十訓は本書によって作られたという。

1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3.無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10.混乱をつくり出せ

Wikipedia

電通過労自殺事件/『自殺のコスト』雨宮処凛
小田嶋隆による『広告批評』批判 その一/『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
ハゲ頭に群がるカツラメーカー/『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆

 その昔、味の素が売り上げを伸ばすために穴を大きくしたという都市伝説があった。同社公式サイトによれば「湯気による目詰まりを防ぐために、従来の“卓上瓶”に比べて口の面積を広くし、穴の数を増やしました。このことが、おもしろおかしく伝えられたものだと思われます」とのこと。

 戦略十訓は統治者の言葉遣いである。電通は消費者を「支配される者」として捉えている。広告代理店の仕事は大衆の欲望をコントロールすることなのだろう。

 生産をつづけるために消費を人工的に刺激しなければならないような社会は、屑やむだの上につくられた社会である。そして、そのような社会は砂上の楼閣である。
  ――ドロシー・L・セイヤーズ

【『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード:南博、石川弘義訳(ダイヤモンド社、1961年/原書、1960年)以下同】

Portrait Round Robin

 ドロシー・L・セイヤーズはただの推理小説作家ではなかった。キリスト教人道主義者だったらしい。とすると上の言葉は複雑度を増す。プロテスタントの労働倫理が絡んでいる可能性が高い。

 明日の世界は、どういうものになるのだろうか?
 この本で、われわれは現在の潮流から想像されるいくつかの可能性を検討することにしよう。産業界のスポークスマンたちは、とりわけ明日について空想したがる。彼らは地平線の彼方をのぞきこんで、マーケティングの専門家がわれわれのために考えてくれるすばらしい製品を眺めるように、われわれに呼びかけている。われわれは彼らと同じ夢をみるようすすめられる。そうして、音声タイプライター、壁いっぱいのテレビ・スクリーン、リモートコントロールでハイウェイをすべるように走る自動車等が使えるようになることをうずうずしながら待つようにさせられる。

 蝶が舞うような文章である。予測し得ない優雅な動きが視覚を快感へ導く。

 広告代理店は明日の青写真を提供する。現代においては戦争のシナリオまで書いている。

『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』高木徹
湾岸戦争へと導いたナイラの証言

 旧ソ連を始めとする社会主義国は滅んだわけだがプロパガンダは生き延びた。より強靭な体質となって。

 欲望がコントロール可能である事実は行動経済学でも明らかとなっている。

比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 それどころか社会心理学の実験では人々の判断も容易にコントロール可能であることが判明している。

アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
服従心理のメカニズム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス

 アメリカ国民は、ある意味で、虎にまたがった国民になりつつある。彼らはますます消費することを学ばなければならない。さもないと、彼らの巨大な経済のからくりが、彼らに刃向い、彼らをむさぼり食らうかもしれないと警告されているのである。彼らは、もっともっと個人としての消費を高めるように要求され、しむけられなければならない。それは、彼らが商品にたいして差し迫った要求をもっているかどうかには関係ない。日に日に拡大する経済が、それを要求するのである。

 消費は加速することでしか満足を得られない。「日に日に拡大する経済」とは減ることのない利子によって構成される世界だ。

利子、配当は富裕層に集中する/『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』河邑厚徳、グループ現代

 もっと意味を広げれば、大部分のアメリカ人が、「浪費をつくり出す人々」になりつつあると言ってもいいだろう。

 ここに環境破壊の根本要因がある。もともと硬貨を鋳造するためには膨大な樹木を燃やす必要があった。鉄鋼生産が更に拍車をかける。

 今日、アメリカの平均的な市民は、第二次大戦直前に比べると2倍の消費をしている。

 これが1960年のアメリカだ(原著刊行年)。既に半世紀以上が経っている。消費が行き着く先は金融と戦争である。そろそろ「地球環境を消費している」事実に気づいてもいい頃合いだろう。



図表で読み解く ニッポンのゴミ(PDF)
失業と破産こそ資本主義の生命/『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
煩悩即菩提/『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー

2013-04-28

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏


「こらえにこらえてやっている」。88年4月19日、農相の佐藤隆は国会で交渉の難しさを明かした。同じ日、農協は「米国の高圧的な態度は憤激に堪えない」として都内で集会を開いた。だが米国の攻勢は表に出ているよりずっと苛烈だった。
 交渉が大詰めを迎えるなか、米通商代表部(USTR)次席代表のスミスが九段の分庁舎に入った。野球帽を横向きにかぶり、ノーネクタイ姿で農水次官の後藤康夫らの正面に座ると、円卓に足を乗せて言い放った。「議論の余地はない。自由化だ」。

【日曜に考える 牛肉・オレンジ自由化決着(1988年) 日米構造協議の前哨戦/日本経済新聞 2013年4月7日付】

日米通商交渉の歴史(概要):外務省【PDF】

 白人の傲(おご)りはアフリカ人を奴隷にした時代やインディアンを虐殺した頃から変わっていないように感ずる。キリスト教に由来する人種差別は、神を信じぬ者を人間としては認めない。だから連中は面白半分で虐殺することができたのだ。

 彼ら(※キリスト教徒)は、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)】

 日経新聞の腰砕けぶりは「スミス」をフルネームで表記していないところに現れている。ウェブで調べたところ「マイク・スミス」のようだが情報らしい情報が殆ど見当たらず。

 日本が礼節を重んじる国であることがわかっていればこそ、スミスは芝居がかったパフォーマンスをしてみせたのだろう。やはり軍事力を持たねば一人前の国家として扱われないのだ。

 一方でこういう声もある。

アメリカが恐れる日本の通商交渉力:山下一仁

 交渉に携わった人々が国民に対して情報発信していない以上、我々は想像する他ない。

 その後の日米構造協議年次改革要望書という流れを見れば、太平洋戦争はおろか日米修好通商条約から何も変わっていないように思える。

 日本の保守がなぜ反米に向かわないのかが不思議でならない。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之

2012-06-25

貿易黒字は失業を輸出していることに等しい/『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史


◎ビッグマック指数の嘘
◎貿易黒字は失業を輸出していることに等しい

 この数字が大きいとはどういうことかというと、失業の輸出をしているということですよね。分かります? 例えばアメリカにどんどんどんどん自動車を輸出している。アメリカの自動車工場が閉鎖されてしまう。アメリカで失業者が増加する。そういうときにもっと円安にしろと言っちゃまずいんです。おとなしくしていなくてはいけない。ただでさえ多く輸出しているのに「もっと円安にしろ」って言っちゃいけないんです。
 ところが現在は、モノ+サービスの黒字が減ってきているわけです。今、日本の経常収支が大きいというのは利息と配当収入なのです。これは別に失業を輸出しているわけでもないし、もっと悪い言葉で言えば労働搾取をしているわけでもないですね。こういう状態の時は円安にしろと主張してもおかしくないと私は思います。モノ+サービスの黒字が大きい時には、大声で円安にしろって言ってはいけないんですが、今は状況が昔とは違うんです。

【『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史〈ふじまき・たけし〉(光文社新書、2003年)】

 経済活動の本質は交換である。投資におけるトレードとプロスポーツ選手のトレードは共に交換を意味する。ところが資本主義経済は否応(いやおう)なく資本の獲得が目的化するため、あらゆるマーケットで搾取が行われる。奪ったモン勝ちというのが資本主義原則であろう。これを「利益」と名づける。

 社会が高度に情報化されると自由競争という前提は崩壊する。広告によって消費行動がコントロールされるためだ。衣食住の心配がなくなると人は刺激を求め始める。広告会社は消費を浪費へと誘導する。

 アイゼンハワー大統領は、記者会見で、後退を防ぐために、国民はなにをすべきかを質問されたことがあったが、そのときの会話のやりとりは次のようである。
 答「買うことだ」問「なにを買うのですか」答「どんなものでも」

【『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード:南博、石川弘義訳(ダイヤモンド社、1961年)】

 大統領が発した二言は権力者の本音をあらわしたものだ。

「2014年までに米国の輸出を倍増し、国内の雇用を増加する」とオバマ大統領は公約した。これに伴いRBS証券の西岡純子チーフエコノミストは「米輸出の増減を世界経済成長と為替相場に要因分解すると、今後5年間に必要なドル相場の下落は、対円では2010年に1ドル=84円、14年には70円になる」とと推計している(Bloomberg 2010年2月10日)。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の目的はアメリカの失業を日本へ輸出することだ。そしてゆうちょマネーを始めとする日本の資産が太平洋を渡り始める。資本主義の暴力性が窺えよう。

◎自由貿易協定に脅かされるコロンビアとペルー
◎目撃された人々 26

藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義 (光文社新書)

2011-08-19

戦時中に構築された日本のシステム/『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄


 構成に難あり。とにかく読みづらい。「これについては後ほど触れる」の連発だ。プレゼンテーション能力に問題がある。文章も硬くて面白みがない。着想のみの勝利といえよう。

 現在の日本経済の中核的な企業は、何らかの意味で戦時経済と深く結びついている。例えば、日本経済を代表する企業であるトヨタ自動車や日産自動車は、軍需産業として政府軍部の強い保護を受けて成長した。また、電力会社は、戦時経済改革の結果誕生した企業である。
 ただし、問題なのは、こうした誕生の経緯だけではない。企業経営理念の基本に、市場経済を否定する考えがあることだ。

【『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄(東洋経済新報社、1995年/増補版、2010年)以下同】

 戦争を行うためには金がかかる。つまり戦争とは経済問題でもあるのだ。ナポレオン以降の戦争についてはロスチャイルド家を中心とするユダヤ資本が必ず絡んでいる。

明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
ロスチャイルド家がユダヤ人をパレスチナへ送り込んだ/『パレスチナ 新版』広河隆一

 あるいは徴税するか、国民の預金を運用するという選択肢しかない。

郵貯・簡保・厚生年金で戦費調達/『「お金」崩壊』青木秀和

 莫大な金額が動く以上、企業は必ず分け前に預かろうと動く。国家と基幹産業は持ちつ持たれつの関係だ。

 本書で描きたいと思うのは、この建物(※大蔵省本庁舎)に象徴される日本の姿である。つまり、「現在の日本経済を構成する主要な要素は、戦時期に作られた」という仮説である。私は、日本の経済体制はいまだに戦時体制であることを指摘し、それを「1940年体制」と名付ける。

 経済体制を国家体制と読み換えてもいいだろう。国家は言語や文化による共同体であるが、現実には経済的な関係性が強い。国家を賭場(とば)に例えればわかりやすい。外国人参政権の問題は、賭場に参加するのは構わないが運営には口を出す権利はないということだ。これは軍事的視点に立った考え方だ。

 制度の連続性は驚くべきものだが、さらに重要なのは、官僚や企業人の意識の連続性である。

 これがいわゆる「社内文化」だ。明文化されない不文律ほど支配性が強い。人々は暗黙の了解に束縛されやすい。エリート意識が更に「俺たちのルール」を強化することは容易に想像できる。

 歴史研究とは、実際に生じたことのみを取り上げ、「起こらなかったこと」は、研究の対象にしないもののようだ。戦後改革についてもそうである。農地改革や財閥解体など、実際になされたことについては多くのことが書かれてきた。その半面で、「何がなされなかったか」についての研究は、驚くほど少ないのである。
 しかし、戦後改革で最も重要なことは、そこで手をつけられなかったことなのである。とりわけ、官僚制度と金融制度の連続性が重要である。なぜなら、それらが現在の日本経済の中枢を構成しているからである。

 これは大事な視点だ。「何をしなかったのか」。人物を見る際にも必要である。

 他の7社においても、自動車生産は、戦時中の軍用機や戦車生産からのスピンオフであるケースが多い。(※ダワーの指摘)

 ダワーとはジョン・ダワーのことだと思われる。自動車メーカーが戦争で財をなしたのは気づかなかった。重工業ばかりかと思っていた。

 実際、戦前の自動車産業はきわめて弱体で、米国企業に支配されていた。(中略)乗用車の分野では、フォードとGMが組み立て工場をもち、ほぼ完全に市場を支配していたのである。

 戦前にタクシーを運転していた人が外車に乗っていたのはこういう理由だったのね。

 彼(※ダワー)はさらに、新聞においても戦時期の影響が無視できないことを指摘している。すなわち、読売、朝日、毎日の三大紙の起源は19世紀に遡れるものの、発行数と影響力を格段と増したのは戦時期の現象であるという。

 国家の意思を統一するためには当然ともいえる。それにしても大政翼賛の片棒を担いできた新聞社がジャーナリスト面(づら)するのだから忌々(いまいま)しい限りだ。

 1940年の税制改革で、世界ではじめて給与所得の源泉徴収制度が導入された。所得税そのものは以前からあったが、これによって給与所得の完全な捕捉が可能になった。また、法人税が導入され、直接税中心の規制が確立された。さらに、税財源が中央集権化され、それを特定補助金として地方に配るという仕組みが確立された。

 これにはびっくりした。日本人が大人しいとか馬鹿だとかいった問題ではあるまい。ファシズムそのものを示す証左と考えるべきではないか。「進め一億火の玉だ」、「欲しがりません勝つまでは」。

 企業、金融と並ぶ現代日本のいま一つの重要な構成要素は、官僚機構である。とくに、民間経済活動に対して広く官僚統制が行われていること、税財政が中央集権的なシステムとなっていることが特徴である。

 我が国は三権が分立していない。立法と行政を官僚が担っているためだ。本来であれば法律をつくるのは国会議員の仕事であるが、あまりにも稀(まれ)なため「議員立法」という言葉があるほどだ。新しい首相や大臣は必ず官僚からレクチャーを受ける。こうして官僚が全ての情報をコントロールしているわけだ。

 カレル・ヴァン・ウォルフレンが名づけた「システム」は1940年に構築されたとするのが野口悠紀雄の主張だ。それなりに説得力があると思う。

 新たなシステムを築くには、東大法学部を頂点とする選抜システムにメスを入れるしかない。また企業の競争原理を蘇らせるには電通と東京電力の解体が必要だ。

1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済

2011-08-15

日本の食糧自給率は限りなくゼロに近い


 食糧自給率39%というが、化学肥料やトラクターに使われる燃料(石油製品)をほぼ100%輸入に頼っているということを考えれば、日本の食糧自給率は限りなくゼロに近いんだ。これからは食糧自給率を高めることが、国民的な課題になるだろう。

【『ドンと来い! 大恐慌』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ジョルダンブックス、2009年)】

ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス)

2011-08-08

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『伝統食の復権 栄養素信仰の呪縛を解く』島田彰夫
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三

 ・モンサント社が開発するターミネーター技術

『タネが危ない』野口勲
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 世界はカラクリで動いている。金融というゼンマイを巻くことで経済という仕掛けが作動する仕組みだ。そもそも資本主義経済は壮大なねずみ講といってよい。消費者に損をしたと思わせないために広告代理店がメディアを牛耳っている。テレビCMは五感を刺激し欲望を掻(か)き立てる。経済通は口を開けばGDPの成長を促す。生産と消費は食物摂取と排泄(はいせつ)みたいなものだ。あ、そうか、我々は無理矢理エサを食べさせられるガチョウってわけだな。

フォアグラができるまでアヒルのワルツver.

 ローマクラブが『成長の限界』で人類の危機を指摘したのが1972年のこと。これが椅子取りゲームの合図であった。エネルギーと食糧を先進国で支配し、発展途上国が豊かになることを未然に防ごうとしたわけだ。

世界中でもっとも成功した社会は「原始的な社会」/『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト

 先物相場で取引されるものをコモディティ(商品)というが、貴金属と非鉄金属以外は食糧とエネルギーである。元々生産者を保護するための先物相場は大阪の堂島米会所から始まったものだ。ところが現在は完全に投機の対象となっている。

 日本の食糧自給率はカロリーベースで40%、生産額ベースで70%となっている(2009年)。これは多分、アメリカの戦後支配によって誘導されてきた結果であろう。敗戦の翌年(1946年)、学校給食にパンが用いられた。アメリカ国内で小麦が余っていたためだ。

戦後の食の歴史を学ぶ:「日本侵攻 アメリカ小麦戦略」
現在のアレルギー性疾患増加は戦後の「栄養改善運動」と学校給食、そしてアメリカの小麦戦略によって作られた

 食糧とエネルギー、はたまた軍事に至るまで外国頼みである以上、日本が国家として独立することは極めて困難だ。

 そしてアメリカはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という新ルールを日本に課すことで、カラクリを一層強化しようと目論んでいる。

中野剛志

 アグロバイオ(農業関連バイオテクノロジー〔生命工学〕)企業が、特許をかけるなどして着々と種子を囲い込み、企業の支配力を強めています。究極の種子支配技術として開発されたのが、自殺種子技術です。この技術を種に施せば、その種子から育つ作物に結実する第二世代の種は、自殺してしまうのです。次の季節にそなえて種を取り置いても、その種は自殺してしまいますから、農家は毎年種を買わざるを得なくなります。
 この技術は別名「ターミネーター・テクノロジー」と呼ばれています。『ターミネーター』という映画(1985年、米国)をご覧になった方もあるでしょう。(中略)次の世代を抹殺する自殺種子技術の非道さは、まさに映画の殺人マシーン〈ターミネーター〉と重なります。
 この技術の特許を持つ巨大アグロバイオ企業が、世界の種子会社を根こそぎ買収し、今日では、出資産業が彼ら一握りのものに寡占化されています。彼らは、農家の種採りが企業の大きな損失になっていると考え、それを違法とするべく活動を進めているのです。

【『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子(平凡社新書、2009年)以下同】

 検索したのだが、創業者であるジョン・F・クイーニーの情報がネット上に見当たらない。完全支配の発想がユダヤ的だと思うのだがどうだろうか。種の生殺与奪を握る権限という考え方はアジアからは生まれそうにない。砂漠で生きてきた民族の思考に由来するものだろう。

 病的な発想だ。きっと宗教的な妄想に取り付かれているのだろう。こんな連中が世界を支配しているのだから、貧困がなくなるわけもない。というよりはむしろ、彼らによって貧困が維持されていると考えるべきだろう。

 途上国はおしなべて農業国といえるのですが、農業国でなぜ飢えるのか。それは世界銀行が指南してきた開発モデルに従い、債務を返済するために地場の自給農業をやめて、農地ではもっぱら先進国向けの換金作物を生産しているからです。バナナ、サトウキビ、綿花、コーヒー、パーム椰子などを生産し輸出する、穀物は米国やフランスなど先進国からの輸入に依存するという構造を押しつけられてきました。
 世界銀行やIMF(国際通貨基金)の「助言」に従って自給農業を犠牲にした結果、主食を金で買うしかない、こうした貧しい国々が穀物高騰の直接的影響を蒙ったといえます。

 世界銀行を知るには以下の2冊が参考になる。

世界銀行の副総裁を務めた日本人女性/『国をつくるという仕事』西水美恵子
経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 世界銀行とIMFの仕事は発展途上国を債務超過にすることである。つまり借金漬けにした上でコントロールするのだ。これを親切に涼しい顔でやってのけるのが白人の流儀だ。

 経済とは交換(trade,swap)である。その取引(deal)においてインチキがなされているのだ。アフリカがいつまで経っても貧困と暴力に喘いでいるのは、ヨーロッパが植民地化し、アメリカが奴隷化した歴史のツケが回っているためだ。彼らは有色人種や異教徒を同じ人間とは見なさない。

 いまでは全米のトウモロコシの3割がバイオエタノール用に降り向けられた結果、食用向けが逼迫して高騰しました。トウモロコシが高値で取引されることから、農家は大豆や小麦の生産をやめ、トウモロコシへ転換するようになりました。生産量の減少で小麦と大豆も価格が上がりました。
 原油の値上がりもバイオ燃料ブームを引き起こした一因です。

 食べ物が工業用エネルギーに化けた。経済的合理性は利潤を追求するので、生産者はより高い作物を育てようとする。政治や市場はこのようにして人々の生活を破壊する。過当競争が終われば必要な物が不足している。

 特定の方向に傾きやすいのは不安に根差しているのだろう。これがファシズムの温床となる。アメリカの農業は既に工業の顔つきをしている。

 モンサント社は遺伝子組み換え技術を使った牛成長ホルモンrBST(recombinant Bovine Somatotoropin' 商品名「ポジラック」)を開発し、米国では1994年より大人の乳量増加のために使用されてきました。「ポジラック」を乳牛に注射すると、毎日出す乳の量が15~25%増えるうえに、乳を出す帰還も平均30日ほど長くなるといいます。(EUはrBSTに発ガン性があるとして輸入禁止。カナダ政府保健省はrBSTによって牛の不妊症、四肢の運動麻痺が増加すると報告した。日本には規制がないためフリーパスで入ってきた。)

 生産性を上げるためなら、こんな残酷な真似までするのだ。我々人類は。

家畜の6割が病気!

 日本の場合、屠畜上で検査されて、抗菌性物質の残留や屠畜場法に定められた疾病(尿毒症、敗血症、膿毒症、白血病、黄疸、腫瘍など)や奇形が認められることが頻発しています。その場合、屠殺禁止、全部廃棄、また内蔵など一部廃棄となるのですが、その頭数は牛・豚ともに屠殺頭数の6割にも達します(2006年度)。出荷される家畜の多くが病体であるという現実はほとんど知られていません。疾患のある内装は廃棄されるとはいいえ、その家畜の肉が健康な肉といえるでしょうか。
 私たちの身体は食べたものでできており、何を食べるかで健康は大きく左右されます。この意味からも、病体の家畜を大量に生み出す生産方式を問い直す必要があるのです。

 元々食肉業界は闇に包まれている部分が大きい。

アメリカ食肉業界の恐るべき実態/『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー

 ターミネーター技術とは、作物に実った二世代の種には毒ができ、自殺してしまうようにする技術のことです。この技術を種に施して売れば、農家の自家採種は無意味になり、毎年種を買わざるを得なくなります。この自殺種子技術を、「おしまいにする」という意味の英語 terminate から、RAFI(現ETC、カナダ)がターミネーターと名づけました。

 更にこの技術を進化させているそうだ。

 また業界はターミネーター技術をさらに進化させた、トレーター技術も開発しています。植物が備えている発芽や実り、耐病性などにかかわる遺伝子を人工的にブロックして、自社が販売する抗生物質や農薬などの薬剤をブロック解除剤として散布しない限り、それらの遺伝子は働かないようにしてあります。農薬化学薬品メーカーでもあるこれらの企業の薬剤を買わなければ、作物のまともな生育は期待できないのです。RAFIが、この技術を指す専門用語 trait GURT にかけて traitor (裏切り者)技術と名づけました。自社薬剤と種子のセット売りは、除草剤耐性GM作物の「自社除草剤と種子のセット売り」戦略と同じです。ターミネーター技術やトレーター技術を開発するのをみれば、アグロバイオ企業の真の狙いは種子の支配なのだと思わされます。

 最終的に彼らは太陽の光や空気も支配するつもりなのだろうか?

 遺伝子組み換え作物に導入した特性は、次世代にも引き継がれます。そのためモンサント社の種子を購入する農家は、特許権を尊重するテクノロジー同意書に署名させられ、どんな場合でも収穫した種子を翌年に播くことは許されません。毎年種会社から種を買うことが求められます。

 これをパテント(特許)化することで完全支配が成立する。実際に行われている様子が以下。

 2003年7月、市民団体が招いたシュマイザーの講演によると、北米で、農民に対してモンサント社が起こした訴訟は550件にも上るといいます。モンサント社は、組み換え種子の特許権を最大限に活用する戦略を展開しています。遺伝子組み換え種子を一度買った農家には、自家採種や種子保存を禁じ、毎年確実に種子を買わせる契約を結ばせます。そうでない農家には、突然特許権侵害の脅しの手紙を送りつけるというものです。農家の悪意によらない、不可抗力の花粉汚染であるなら、裁判では勝てると常識的に思うのですが、法廷に持ち込まれることはほとんどないといいます。農民は破産を恐れ、巨大企業モンサント社との裁判を避けるために、示談金を払うしかないのだそうです。

 こうしてモンサント社は訴訟をもビジネス化した。

 モンサント社は特許権を守るというより、損害賠償をビジネスとして展開しています。ワシントンにある食品安全センター(FSC)の2007年の調査によると、モンサント社は特許侵害の和解で1億700万~1億8600万ドルを集め、最高額はノースカロライナ農民に対しての305万ドル(約3億500万円)だったそうです。モンサント社は訴訟分野を強化するため、75人のスタッフを擁する、年間予算1000万ドルの新部門を設置したといいます(03年)。

 なぜ、これほど悪辣な企業が大手を振って歩いているのだろうか? それは多額の政治献金を行っているからだ。そして天下りも受け入れている。抜かりはない。

 また次の改定では、研究機関の新品種へのアクセスは、10年間禁止し、その後、登録とロイヤリティの支払いを求めるとしています。そしてこれを実行ならしめるため、種子銀行システムを構築するとしています。品種育成のために使用できる合法種子は、種子銀行から正式な手順に従って許可された種子だけとなり、それにはロイヤリティの支払いを伴うことになります。

 文字通り農業を根こそぎ私物化し、自分たちの言い値で販売する戦略だ。もはや戦略というレベルではなく、世界全体の植民地化といってよい。

 彼らは何を目指しているのか?

 この種子銀行システム構想の下敷きになっているのが、国際農業研究協議グループ(CGIAR)の遺伝子銀行やノルウェー領に建造された週末趣旨貯蔵庫ではないでしょうか。
 ビル・ゲイツのビルアンドメリンダゲイツ基金、ロックフェラー財団、モンサント社、シンジェンダ財団などが数千万ドルを投資して、北極圏ノルウェー領スヴァールバル諸島の不毛の山に終末趣旨貯蔵庫を建造し、2008年2月に活動を開始しています。ノルウェー政府によれば、それは、核戦争や地球温暖化などで趣旨が絶滅しても再生できるように保存するのが目的といいます。
 この貯蔵庫は、自動センサーと二つのエアロックを備え、厚さ1メートルの鋼鉄筋コンクリートの壁で出来ています。また爆発に耐える二重ドアになっています。北極点から約1000キロメートル、摂氏マイナス6度の永久凍土層深くに建てられた終末種子貯蔵庫には、さらに低温のマイナス8度の冷凍庫3室があり、450万種の趣旨を貯蔵できます。
 核戦争や自然災害など深刻な災害に世界の農業が見舞われたとき、果たして各国はこの貯蔵庫から種子を取り出し、食料生産を再開することができるのでしょうか。

終末の日の要塞 スヴァールバル世界種子貯蔵庫

 種子のマネー化である。農業の金融化。利息が利息を生んで自動的に増殖する仕組みだ。

信用創造のカラクリ
「Money As Debt」

 グローバリゼーションがニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)を目指したものであるならば、彼らは用意周到に恐るべき忍耐力を発揮しながら、それを必ず実現させることだろう。

 世界の仕組みを理解するための必読書であることは確かだが、如何せん最初から最後まで市民的な正義が全開となっており疲れを覚える。



モンサント社の世界戦略が農民を殺す
巨大企業モンサント社の世界戦略 遺伝子組換 バイオテクノロジー
遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国
「遺伝子組換食品の脅威」ジェフリー・M・スミス
穀物メジャーとモンサント社/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン
アメリカの穀物輸出戦略/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘

2011-06-15

マネーゲームの作法/『騙されないための世界経済入門』中原圭介


 ・マネーゲームの作法

『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介

 投資本は大仰(おおぎょう)なタイトルで人目を惹きつけ、欲望を煽り立て、甘く囁く。「一攫千金(いっかくせんきん)を願うならば、まずはこの本に投資しなさい」と。「普通預金の金利が0.02%だから、それ以上のリターンがあるなら一つやってみるか」となりやすい。

 こうしてカモのご来店となる。「いらっしゃいませ、賭場(とば)へようこそ」。ビギナーズラックは強烈な快楽となって脳内に刻印される。性的快感と同じ部位が反応することが医学的に明らかになっている。

 詐欺まがいの投資本が多い中で、中原圭介はいぶし銀のような光を放っている。経済の原則から合理性を追求する姿勢は信頼に値する。わけのわからん勝率や利益率とも無縁だ。彼は2007年のサブプライムショックを事前に予測した人物の一人でもある。

 住宅ローンの不良債権化が一服し、貸倒引当金の計上を減らしたことが好決算を支えています。
 これを明るい材料と見なし、あたかも米国の危機は去ったかのように報じられることが多いのですが、私はそうではないと考えています。
 なぜなら、【金融機関の業績回復は、単に民間の赤字が政府へ移転された結果にすぎない】からです。

【『騙されないための世界経済入門』中原圭介(フォレスト出版、2010年)以下同】

 これを「リスクの付け替え」と称する。簡単にいえば政府の赤字は国民の黒字ということであり、アメリカの借金は世界の財産を意味する。

日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信

 つまりサブプライムショック、リーマンショックを経てアメリカは金融緩和政策を行ってきたが、リスクが政府に移動しただけで問題解決になっていないという指摘だ。すると、世界経済そのものがサブプライム化していると考えるべきなのだろう。これぞ、資本主義のインフレマジック。

 1980年代初頭には、米国の企業収益に占める金融機関の割合は全体の10%にすぎませんでしたが、2000年には全体の45%を金融機関が稼ぎ出すまでになりました。

 絶対におかしい。いつの間にか昔は株屋と蔑まされた証券会社がいっぱしのエリート面をしている時代になっている。銀行だって所詮金貸しだ。他人の褌(ふんどし)で相撲を取っているだけで、何ひとつ生産しているわけではない。右から左へお金を動かすだけで利益が出る商売なのだ。

 堀江貴文村上世彰〈むらかみ・よしあき〉が世間の耳目を集めた頃、「マネーゲームはダメだ。やはり額に汗して稼ぐことが正しい」という声がメディアに溢れた。

 馬鹿丸出しである。しかも、スタジオのスポットライトで額に汗する連中が市民面をして言うのだから、開いた口が塞がらない。経済行為はその全てがマネーゲームだ。労働と賃金を交換しようが、先月買った株を売却しようが本質は一緒である。経済行為とは交換の異名であることを弁える必要があろう。

 ヨーロッパを見ればもっとわかりやすい。富豪とは働かない人々を指すのだ。彼らは先祖から譲り受けた資産を運用しているだけだ。

 更に具体的に申し上げよう。我々が労働で得た賃金は預金となって必ずどこかへ投資されているのだ。だからマネーゲームを批判するのであれば、まず最初に銀行を槍玉に挙げることが正しい。

 話を戻そう。では1980年代に何があったのか? アジア諸国で準固定相場制度が普及したことと、プラザ合意(1985年)が大きな要因だと思われる。プラザ合意は日本をバブル景気へと導いた。1980年代後半には東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという話まで出たが、失われた10年で資産はアメリカに全部持っていかれた。実は日本から流れたマネーがアメリカの住宅インフレを支えていたのだ。

固定相場制以前、固定相場制時代、変動相場制時代の主な出来事

 財政を引き締めるということは、その国の経済が弱まることを意味しますから、通貨安の要因となります。
 また、金融緩和で市中に供給されるマネーの量が増えれば、需要と供給の関係で通貨の価値は下がります。
 よって、2011年に入っても、ごく自然な形でドル安傾向が維持されることになるわけです。

 これはアメリカの話。ま、貧血みたいな状態と考えてよかろう。円高ドル安は止まらない。

 ほかの国々は、このままの一方的なドル安を容認しないでしょう。
【今後は新興国を中心に、ドル買い自国通貨売りの為替介入が進み、ドル安を押し戻す動きが強まる】はずです。

 実際に世界的な通貨安競争となったわけだが日本は何もしなかった。指をくわえて眺めていただけだ。

【「経済の本質」から言って、物価が上がらない最大の原因は、労働者の賃金が上がらないところにあります】。私は「この本質」が、他のあらゆる経済理論に対して優先されるべきであると確信しています。
 健全なインフレは「労働者の賃金上昇→消費の拡大→物価の上昇」というプロセスで起こります。悪性のインフレは論外ですが、年2%程度の物価上昇が続く健全なインフレは、持続的な経済成長するためには不可欠なものです。

 中野剛志〈なかの・たけし〉が散々指摘しているように日本経済の最大の問題はデフレである。供給過剰で物が売れない状態がデフレだ。で、売れないものだから値下げ競争に拍車がかかる。当然、賃金も下がる。企業は安い労働力(派遣労働者、外国人労働者など)を確保する。軽自動車、ユニクロ、100円ショップが国内を席巻する。

【経済の本質では、財政再建を進めれば、景気は悪くなります。】
 それがわかっていれば、「景気が上向く」という予測などできないはずなのです。

 カンフル剤を打つべき時に政府は国民に献血しろと促している。TPPや増税は「臓器を提供しろ」と言っているようなものだ。

600兆円の政府紙幣を発行せよ/『政府貨幣特権を発動せよ。 救国の秘策の提言』丹羽春喜

【経済が成熟した国では、通貨安がインフレを招くことはありません】。輸入物価が上昇しても、消費減少による物価下落圧力が相殺してしまうからです。

 これはTPPへの反論にもなっている。

 私が高度情報化社会の弊害だと感じているのは、【人々のマインドの振れを大きく、かつ深化させてしまう】という点です。要するに、溢れるように流れ込んでくる情報の洪水が私たちの頭の中に蓄積され、いつしかそれが概念そのものになってしまう危険性があるということです。

 これは違う。なぜなら概念は情報であるからだ。行動情報化社会の弊害は、政府や広告代理店による情報操作だ。ディスクロージャー(情報公開)を問うべきであって、スピードを戒めるべきではない。

 総じて中原はマネーゲームの作法を誠実に教えいてる。

2011-06-05

40代後半の人口構成が景気を左右する/『最悪期まであと2年! 次なる大恐慌 人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ』ハリー・S・デント・ジュニア


「歴史は繰り返す」と喝破したのは古代ローマの歴史家クルティウス=ルーフスであった。人間の愚かさをものの見事に衝いている。更に人間が過去に束縛されることをも示している。

 歴史とは権力者の事跡である。私が結婚したとか、ウチの親父が死んだとかは全く関係がない。これが文化や学問、宗教などの場合は「権威の移り変わり」と見ればよい。つまり過去の権力者の政治手法、経済体制、軍事行動を学んでいるうちに思考がパターン化してしまうのだろう。将棋でいえば定跡だ。

 歴史は繰り返すとなれば、そのサイクルに注目するのは当然の流れだ。ハリー・S・デント・ジュニアは人口トレンドによって景気サイクルを読み解こうとしている。

【だが、人間はやがて、世の中のいろいろな場面で一定のパターンが繰り返されていることに気がついた。そして、そのサイクルを理解することで将来を予測する能力を高め、以前よりも人生をコントロールできるようになった。社会が複雑になり、人口が増えて都市化が進み、コンピューターやナノテクノロジーが発達し、グローバル化が進むようになっても、この過程は続いている。】

【『最悪期まであと2年! 次なる大恐慌 人口トレンドが教える消費崩壊のシナリオ』ハリー・S・デント・ジュニア:神田昌典監訳、平野誠一訳(ダイヤモンド社、2010年)以下同】

 一言でいえば「お金のコントロール」である。貯蓄を始め、保険や投資によって人生の経済リスクをコントロールできるようになった。戦後、先進国においては避妊によって出産も制限可能となった。

【つまり私は、長期的な成長とサイクルの変化を生み出しているのはシンプルなトレンドであること、そして事業や経済のトレンド予測では人口と科学技術(テクノロジー)のサイクルが決定的に重要であることをこの仕事で学んだのである。】

 補足しておくと著者は、全体の複雑さはシンプルなサイクルが数多く集まって形成されているとしている。トレンドとは傾向や趨勢(すうせい)を意味する言葉であるが、川の流れに例えるとわかりやすい。中央の流れは速く岸辺は遅い。上と下でも速度や温度が微妙に異なる。しかし川全体としては海を目指して下ってゆくのだ。

 ここにいたって私は、経済の最大の原動力は「人口トレンド」であると、そしてその経済の基礎を変えるのが「画期的な新技術」であり、そうした事実は「革新(イノベーション)─成長─淘汰─成熟」という4段階から成るライフサイクルに従うことを理解しはじめた。また消費者がしだいに裕福になってきた結果、消費者の行動が経済に及ぼす影響は昔よりはるかに大きくなっており、それを背景に人口統計学的な要因が新技術の革新と普及をますます推進しているように見えることにも気がついた。

 人口トレンドとは消費者数で、イノベーションは消費性向を示す。「新しいものが欲しい」というストレートな欲望が景気を上昇させる。例えばミシン、自動車、ラジオ、三種の神器(じんぎ/白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)など。最近だと携帯電話やパソコン、ゲーム機器といったところ。そして高度情報化社会となりメディアが視聴者を扇動し、広告会社が人々の欲望に火を点ける。

 過去のバブル・ブームから教訓を学ぶとしたら、それは「すべての資産が値下がりして銀行が巨額の不良債権を抱え込み、それが償却されることで不況になるというパターン」でかならず終わるということである。

 不況とは供給過剰によって物価が下落することだから必ず不良債権が発生する。というよりは、むしろ「債権の不良化」が進むと見るべきなのだろう。物の価値が下がるので相対的にお金の価値は上がる。しかし賃金も下がるのでお金は貯蓄に回される。で、みんなが買い物をしなくなるからデフレスパイラルに陥る。

 若者たちは何かとコストがかかるうえに、たいした生産活動は行わないため、現代社会ではそれをもたらす最大の要因になっている。一方、40代後半の働き盛りは先進国では最も生産性が高く支出も多いため、生産性向上や経済成長のけん引役となっている。
 米国のベビーブーム世代のように人口の多い新世代は、年を重ねるごとに世帯所得や支出、生産性といった予測可能なサイクルを押し上げ、好況を長期化させる。1942年から68年にかけての好況の背景にはボブ・ホープ世代がいたし、1983年から2008年までの好況期にはベビーブーム世代がいる。

 これが骨子となっている。つまり40代後半の人口構成が景気を左右するというのだ。単純にいってしまえば、大学生の子を持つ親と考えてよろしい。

 日本のバブル景気を支えたのも実は団塊の世代(1947-1949年生まれ)であった。だからハリー・S・デント・ジュニアの予測は当たっている。

 米労働省の調べによれば、平均的な世帯がポテトチップスに最もお金を使うのは、親が42歳のときである。なぜか。平均的に言えば、親は28歳の時(ママ)に第一子をもうける。そして複数の研究によれば、子どものカロリー摂取量は14歳のときにピークを迎える。したがって、子どもは親が42歳のときに最も多くため、親の財布に最も大きなダメージを与える傾向があるのだ。

 技ありのネタ(笑)。ま、エンゲル係数的視点といってよい。

 本書の後半において世界各国の未来予想図が描かれている。一人っ子政策を実施してきた中国は翳(かげ)りを見せ始め、2050年に向けて世界を牽引(けんいん)するのはインドとブラジルらしいよ。また世界経済は2023年まで不況と予測している。長期的視野に立てば、人口が多いアジア・アフリカ地域に発展の可能性があるとも。

 このイノベーションと人口トレンドという視点は、歴史を分析する場合にも有効だと思う。

2011-06-04

行間に揺らめく怒りの焔/『自動車の社会的費用』宇沢弘文


『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳

 ・行間に揺らめく怒りの焔
 ・新自由主義に異を唱えた男

『交通事故学』石田敏郎
『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

必読書リスト その二

「生きた学問」は偉大なる感情に裏打ちされている。そのことを思い知った。宇沢は1964年にシカゴ大学経済学部教授に就任した人物。門下生の中にジョセフ・E・スティグリッツがいる(2001年ノーベル経済学賞受賞)。市場原理主義の総本山で、宇沢はシカゴ学派を批判した。気骨の人という形容がふさわしい。

 宇沢の怒りが青い焔(ほのお)となって行間で揺らめいている。本物の怒りは静かなものだ。熱い怒りは長続きしない。読み手はおのずから襟を正さずにはいられなくなる。

 しかし、このように歩行者がたえず自動車に押しのけられながら、注意しながら歩かなければならない、と言うのはまさに異常な現象であって、この点にかんして、日本ほど歩行者の権利が侵害されている国は、文明国といわれる国々にまず見当たらないと言ってよいのである。

【『自動車の社会的費用』宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉(岩波新書、1974年)以下同】

 文明が人間を押しのける。我々はテクノロジーの前にひれ伏す。昔であればきれいに舗装されたばかりの道路を歩くと、何となく遠慮がちになったものだ。

 日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。(中略)ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、特に低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の家庭のひとつの特徴でもあるということができる。そして、自動車は、まさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。

 これが本書のテーマである。社会的費用とは公害や環境破壊などにより社会が被る損失を意味する。

「低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたち」とは、国が税金でカーユーザーを経済的に支援してきたということであろう。

 ま、普通に道路を歩いていれば誰もが実感していることだ。歩行者優先は掛け声だけで、実際は邪魔だといわんばかりにクラクションを鳴らされる。

 近代市民社会のもっとも特徴的な点は、各市民がさまざまなかたちでの市民的自由を享受する権利をもっているということである。このような基本的な権利は、単に職業・住居の選択の自由、思想・信条の自由という、いわゆる市民的自由だけでなく、健康にして快適な最低限の生活を営むことができるという、いわゆる生活権の思想をも含むものである。このような基本的権利のうち、安全かつ自由に歩くことができるという歩行権は市民社会に不可欠の要因であると考えられている。
 近代市民社会の特徴はさらに、他人の自由を侵害しないかぎりにおいて、各人の行動の自由が認められるという基本的な原則が守られているということであるが、自動車通行によってまさにこの市民社会における最も基本的な原則を破られている。

 生活権という言葉に目から鱗(うろこ)が落ちる思いがする。そして、この国がいかに法の精神を蔑ろにしてきた実体がよく見えてくる。

 時折、真夜中にオートバイの爆音が聞こえると私は殺意を抱く。前もって来る時間がわかっていれば、バットか木刀を持って待ち受けるところだ。彼らは自分の好き勝手のために、病人や障害者に迷惑をかけている自覚すらないのだろう。っていうか、大体どうしてあんな騒音を撒(ま)き散らす物の販売が認められているのか? バイクショップやメーカーに規制をかけるべきだと思う。それから病人の生活権を守るために、オートバイの免許取得は30歳以上に引き上げるべきだ。

 カーユーザーの自由のために、他の人々の自由が損なわれている。その原因はどこにあるか?

 というのは、近代経済学の理論的支柱を形成しているのは新古典派の経済理論であるが、新古典派の理論的フレームワークのなかでは、一般に社会的費用を発生するような経済現象を斉合的に分析することは、その理論的前提からの制約によってすでに不可能であると言ってもよいからである。

 経済理論に穴が空いていたのだ。それでも人の健康や命に重い価値を置いていれば、賠償請求によって社会は軌道修正してゆくことができるはずだ。つまり、この国は人間を軽んじているのだ。それゆえ国策に乗じた大手企業は絶対に潰れることがない。原発や製薬会社を見れば一目瞭然だ。特に製薬会社は名前を変えて生き残っている。石井部隊の末裔(まつえい)は断じて死なない。

 自動車の普及のプロセスをたどってみると、そのもっとも決定的な要因のひとつとして、自動車通行にともなう社会的費用を必らずしも内部が負担しないで自動車の通行が許されてきたということがあげられる。すなわち自動車通行によって、さまざまな社会的資源を使ったり、第三者に迷惑を及ぼしたりしていながら、その所有者が十分にその費用の負担をしなくてもよかったということである。

 道路・信号・標識・横断歩道と排気ガス・騒音など。本来であれば、自動車税やガソリン税をもっと高くすべきなのだろう。結果的に自動車所有者が得をする仕組みになっていたわけだ。持てる者と持たざる者の間にアスファルトの道路が存在する。

 自動車の普及を支えてきたのは、自動車の利用者が自らの利益をひたすら追求して、そのために犠牲となる人々の被害について考慮しないという人間意識にかかわる面と、またそのような行動が社会的に容認されてきたという面とが存在する。

 利便性と所有欲が人間を犠牲にしてきたという指摘だ。そして車を所有できない人々は沈黙を強いられてきた。

 要するに、ホフマン方式によって交通事故にともなう死亡・負傷の経済的損失額を算出することは、人間を労働提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定することによって、交通事故の社会的費用をはかろうとするものである。
 このホフマン方式によるならば、もし仮りに、所得を得る能力を現在ももたず、また将来もまったくもたないであろうと推定される人が交通事故にあって死亡しても、その被害額はゼロと評価されることになる。また、こう所得者はその死亡の評価額が高く、低所得者は低くなることも当然である。したがって、老人、身体障害者などが交通事故にあって死亡・負傷したときにはその被害額は小さくなるのである。

 このような急速方法が得られるのは、人間をひとつの生産要素とみなすからである。労働サーヴィスを提供して、生産活動をおこない、市場で評価された賃金報酬を受取る、という純粋に経済的な側面にのみに焦点を当てようとする考え方が、その背後には存在する。この考え方はじつは、人間のもつさまざまな社会的・文化的側面を捨象して、純粋に経済的な側面に考察を限定し、希少資源の効率的配分をひたすらに求めてきた新古典派の経済理論の基本的な性格を反映するものである。

 蒙(もう)が啓(ひら)かれる。真の学問は光を発して周囲の世界を照らす。GDP(国内総生産)という発想も同様であろう。国家が最も必要とするのは労働者と兵隊である。生産要素とは納税者の異名でもある。すなわち国家は国民を搾取対象と見なすのだ。

 官僚が経済論を基準に法律を作成し、政治家が業界の意向を汲んで修正を加え、法律ができあがる。そこに人権への配慮はない。こうやって法の精神は魂を抜かれ、試験のために記憶するだけの条文と化すのだろう。

 法律が本当に機能しているのであれば、国家賠償訴訟などで世の中がよくなっているはずだ。しかしそんな気配は微塵もない。そもそも法律や憲法なんぞは宗教の教義みたいなもので、信じる人々の間で有効に働く程度の代物であろう。いつの時代にもアウトローは存在する。

 本当なら、大学が最後の砦(とりで)として世の中を正してゆくべきだと思うが、既に産学協同で大学は企業の下部組織となりつつある。「一緒にポーカーをやろうぜ」ってわけだよ。大学は優良企業へ就職するための通過点にすぎない。

 資本主義経済は人の命にまで値段をつけて差別をするのだ。経済学が欺瞞(ぎまん)の笛を鳴らし、国家はそれに合わせて踊るという寸法だ。世界経済を牽引(けんいん)するアメリカも中国も恐るべき格差社会となっている。極端な集中が崩壊の引き金となる。先行投資として社会保障を手厚くしておかなければ大変な事態に陥る。

 このままグローバリゼーションの波に乗っていれば、日本の優良企業や一等地はアメリカと中国に買われてしまうことだろう。

「パックス・アメリカーナの惨めな走狗となって」宇沢弘文