・『昭和の精神史』竹山道雄
・『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
・『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
・『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
・小善人になるな
・仮説の陥穽
・海洋型発想と大陸型発想
・砕氷船テーゼ
・『新・悪の論理』倉前盛通
・『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
・『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
・『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
・『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
・『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
・『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
地政学は、その他の科学と同じように、いくつかの仮説によって構築された理論体系である。米国民主主義もソ連式共産主義も、虚構論理の代表例であるが、地政学も、それに劣らぬほどの虚構論理といえる。しかも、虚構論理というものは、一章の中にも述べたとおり、その「仮説性の大きさ」ゆえに、つねに人を陶酔させる作用を持っている。それは両刃(もろは)の剣であり、毒にも薬にもなる。
科学はすべて仮説群のうえに成立するものであることは、科学を学ぶ者の基本的な常識である。たとえば、ユークリッド幾何学は五つの公理群を前提として成立しているもので、それを別な公理群におき変えたリーマンが19世紀末に非ユークリッド幾何学を提示してみせた。また、絶対時間、絶対空間という大仮説の上(ママ)に構築されたニュートンの力学体系に対し、アインシュタインは時間と空間の概念を変えただけで相対性理論をみちびき出した。このように前提となる仮説を変更しさえすれば、科学の体系は根底から変わり得るものである。
社会科学の論理も例外なく大仮説のうえに構築されているものであるから、われわれは複雑な世界の動きを分析し、その中から、最適と思われる道を選択する際の武器として、さまざまの理論をためしてみてよいのであって、単なる道具にすぎないものを絶対視することは、人間としての智恵の浅さを示すものといえる。
地政学も、いうまでもなく、いくつかの仮説群から構成される地理科学、もしくは政治科学の一分野であるが、そのテーゼは、確かに国際的な政治戦略を策定する上で強力な武器として役立つ。したがって、地政学を知る者と、知らない者とでは、国際政治力学への理解度において雲泥(うんでい)の差が生じてくるであろう。
それゆえ、人間という愚かな生きものに対する洞察(どうさつ)の浅い軽率な人間は、地政学のといこになりやすい。「たとえ、地政学が虚構論理であろうとも、これに賭(か)ける」などという者が出現する。これが戦前のドイツや日本の一部の指導者がおちいった陥穽(かんせい)なのである。戦後になると丸山眞男氏のように、「たとえ戦後民主主義が虚構であろうとも、それに賭ける」という人が現われた。いずれも、科学の仮説群をわきまえていない小善人たちの自己陶酔というべきであろう。
【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)】
ブログ内検索対応で「丸山真男」は正字(旧字)に変えた。また「うえ」と「上」が混在しているがテキスト通りである。
かつて「学問」は「労働」と反対に位置するものであった。昭和初期の頃は庶民や女性にとっては不要とされた。現在のアフガニスタンとさほど変わらぬ情況であった。高度経済成長を通して「学問」は「学歴」という通行手形となった。1990年代から始まったデジタル革命によって世界の高度情報化が推進されたが、学問が生かされているのは専門職に限られており、社会の推進力となるには至っていない。これが日本に限った実状であるとすれば、文部科学省と教科書の問題であろう。
例えば法学部や経済学部を卒業した善男善女は多いが、彼らが法律問題や経済問題を鋭く論及し、現状打開の方途を指し示し、規制改革や法改正に言及するという場面を私は見たことがない。憲法改正が遅々として一向に進まず、バブル崩壊後の失われた20年を漫然と過ごしたのも、学問の無力を見事に証明していると考える。
第二次大戦後、日本とドイツでは地政学を学ぶことを禁じられたという。アメリカを中心とする連合国は復讐を恐れたのだろう。第一次大戦の苛烈な制裁がヒトラーを誕生せしめた事実はまだ記憶に新しかった。アメリカは地政学が牙となり得ることをよく理解していたのだろう。
茂木誠が常々指摘するように地政学は生物学に近い。地理的条件とは国家が置かれた環境であり、国家という生きものはそこに適応するしかない。戦乱が続いたヨーロッパが落ち着いたのはウェストファリア体制(1648年)以降のことである。これに先んじていた「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)で植民地獲得は進んでいたゆえ、「戦争を輸出した」と考えることもできよう。
特に好戦的なアングロサクソン系やアーリア系をどう扱うか、あるいは封じ込めるかが平和の肝である。
科学の強味は「仮説の自覚」がある点に尽きる。宗教には「絶対性の自覚」しかないゆえに独善を修正することが敵わない。