2017-11-17

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2017-11-12

400年周期で繰り返す日本の歴史/『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政


『国民の歴史』西尾幹二

 ・比類なき日本文明論
 ・400年周期で繰り返す日本の歴史

日本の近代史を学ぶ

《中西》もう一つ、こういう切り方もあると思います。国際関係や社会における戦争や暴力の頻度、人間の移動、社会的モビリティや文化の体質といった視点から見ていくと、400年ぐらいの周期を切り口として考えることもできるのではないでしょうか。(中略)
 戦国期は16世紀ですから、明治の近代化や日清・日露戦争までまさに400年になるわけです。
 そして、20世紀は前半が大概戦争の連続で、後半は高度成長です。いずれも、人間のエネルギーをほとばしらせ、また世の中がハイ・テンションに推移した世紀でした。こんな100年を、日本史はときどき経験するのです。戦国時代から400年遡ると12世紀で、これは古代社会の崩壊とか源平合戦の時代になります。さらに400年遡ると8世紀で、大宝律令をはじめ律令が取り入れられます。非常に論理的なかたちで社会の再構築が始まる時代です。さらに、その30年ほど前には、朝鮮半島から白村江の戦いで敗れた日本軍が引き揚げてきています。大陸から唐が攻めてくるかもしれないという危機感も高まります。戦乱の時代であり、古代の氏族社会が解体するという、内外ともに強い改革のインパクトが働いた時期というわけです。
 さらに400年遡ると、ちょうど弥生末期から古墳期へ移るころです。クニとクニとが争う「倭国大乱」の時代から、大和国家が確立してゆく時代であり、朝鮮半島に初めて出ていくのこのころです。3世紀末から5世紀にかけて応神朝、仁徳朝などがくり返し朝鮮へ進出してゆきます。
 このように日本の文明史的サイクルの一つとして、400年周期で歴史はくり返していると考えられるのではないか、というのが、私の「400年周期説」です。そして各400年の内訳を見ていくとおもしろいことがわかります。400年のうち、最初の約100年は先に見た戦国時代やこの20世紀のような「激動の世紀」になります。しかしその時代が終わると、次の100年は一気に「癒(いや)し」や「落ち着き」を求める働きが歴史をリードするようになる。

【『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)】

 ブログの「下書き」から引っ張り出した。半年以上前のもので何を書こうとしたのかすら覚えていない。たぶん巨視的な歴史スケールに感銘したのだろうが、今となっては印象もかなり変わって読める。

 歴史をマクロ視点で俯瞰する醍醐味は自分が極小化されるところにある。宇宙の場合はもっとスケールがでかいがそこを支配するのは物理現象であって人間はいない。

「歴史は繰り返す」(ローマの歴史家クルチュウス=ルーフス)――私もそう思う。でも本当は違うのだろう。我々の外部環境(地球の自転・公転、水の循環など)や体内メカニズム(心臓の鼓動や血液の循環、腸のぜん動など)に思考が引きずられて「サイクル」を見つけてしまうのだ。

 景気循環の波動も同様で我々の目にはそう「見える」だけの話だろう。

「歴史は繰り返すように見える」「歴史には相関性の強い動きがある」というあたりが真相ではないか。

 西尾著『国民の歴史』を読んで衝撃を受けた中西輝政から対談を申し出たという。古くから保守論客を代表する二人であるが実は初めての対談である。学生運動が鎮火した後も我が国では左翼が論壇を牛耳ってきた。1989年にベルリンの壁が、1991年にソ連が崩壊した。時節を符合するかのように日本ではバブル景気が崩壊した(1991年)。世界中で共産圏がドミノ倒しになる中で日本も価値観の転換を迫られた。そして「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれた(1996年)。西尾幹二は設立者の一人である。実に敗戦から51年後のことであった。設立当初は「右翼かぶれのオッサンたちが妙なことを始めたぞ」と世間から思われていた。つくる会はその後迷走を続けるが、戦後の自虐史観を打ち破った功績は広く語り継がれることとなろう。

2017-11-10

文章に創意がない/『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』伊藤公一朗


 文章が冗長で鋭さを欠く。例えもことごとくよくない。相関関係と因果関係の違いを説明しておきながら擬似相関に触れていないのも片手落ちだ。そもそも「ビッグデータが存在するだけでは、『因果関係』の見極めはできない」のは当然で、ビッグデータに関して誤った思い込みがあるとしか思えない(『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ)。認知バイアスヒューリスティクスの説明もせずに手垢まみれの例を引っ張り出してもしようがないだろう。数ページで挫ける。

データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)
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2017-11-09

自分の手に病を取り戻す営み/『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男

 ・自分の手に病を取り戻す営み

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

「当事者研究」とは何か

 浦河で「当事者研究」という活動がはじまったのは、2001年2月のことである。きっかけは、統合失調症を抱えながら、“爆発”を繰り返す河崎寛くんとの出会いだった。入院していながら親に寿司の差し入れや新しいゲームソフトの購入を要求し、断られたことへの腹いせで病院の公衆電話を壊して落ち込む彼に、「一緒に“河崎寛”とのつきあい方と“爆発”の研究をしないか」と持ちかけた。「やりたいです!」と言った彼の目の輝きが今も忘れられない。
「研究」という言葉の何が彼の絶望的な思いを奮い立たせ、今日までの一連の研究活動を成り立たせてきたのだろう。その問いを別のメンバーにすると、「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、『研究』と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる」と答えてくれた。
「研究」のためには、「実験」が欠かせない。そして、その成果を検証する機会と、それを実際の生活に応用する技術も必要になってくる。その意味で統合失調症などの症状を抱える当事者の日常とはじつに数多くの「問い」に満ちた実験場であり、当事者研究で大切なことは、この「問う」という営みを獲得することにある。(向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉)

【『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家(医学書院、2005年)以下同】

「精神科や心療内科ほどデタラメな仕事はない」――精神疾患となった十数人を見てきてた私の結論である。とにかく医師に何の見識もなく、ただ症状に薬を当てはめるだけの作業だ。これほど気楽な稼業もない。患者が通院先を変更すると薬の種類がガラリと変わることも珍しくない。しかも病状によっては数十種類の薬が処方される。エリオット・S・ヴァレンスタイン著『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』を読んで私の所感は確信となった。

 ソーシャルワーカーの向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉はべてるの家を設立した一人でそのユニークさが異彩を放つ。浦河べてるの家は労働・生活・ケアを共有する精神障碍者のコミュニティである。自治を病状の寛解に結びつけた稀有な試みで、「先進的な取り組みがなされており、世界中から毎年2500人以上の研究者・見学者が訪れる」(Wikipedia)。

“「問う」という営みを獲得すること”は自分の手に病を取り戻す営みである。被害者意識にとらわれた浅い疑問であれば病院や医師あるいは薬物に依存することを避けられない。深刻な悩みを抱えた者同士であれば現実的な対応が可能となる。当事者研究は精神疾患を抱える者が自らの足で立ち上がろうとする行為であり、病院の無力さを郵便に物語っている。では具体的にご覧いただこう。

 今回、べてるしあわせ研究所では、経験者10名(男性2名、女性8名)による「摂食障害研究班」を立ち上げ議論を重ねた。その結果浮かび上がってきたのが、「どうしたら摂食障害になれるか」という視点であった。
 いままで、「いかに治すか」に腐心しながらも結果として食べ吐きに走り、罪悪感に苛まれてきた経験者たちにとって、「どうしたらなれるか」という視点は大いに受け、議論も盛り上がった。

 べてるを特徴づけているのはこの「センス」である。ユーモアは現実を笑い飛ばす精神の力から生まれる。エリート官僚が発想の転換を苦手とするのは彼らの精神が貧しいからだ。

 浦河ではみんなが自己病名をつけているので、ぼくも自分の苦労に合わせて「統合“質”調症・難治性月末金欠型」と名づけた。
 この“質”というのは「質屋」の質からとった。ぼくが浦河に来ていちばん最初にデイケアの仲間に聞いたのが「浦河って質屋はあるんですか?」だったのが、すっかり有名になってしまった。

 いかなる名医であってもこれほど秀逸な病名は思い浮かばないだろう。いつも金欠病の彼は借金の仕方をレクチャーする。マイナスをプラスに捉え直すのがべてる流だ。幼い子をもつ親御さんに是非とも読んで欲しい所以である。

 幻聴さんにジャックされる人とされない人の違いについて、仲間同士の議論のなかから出た意見を★2にまとめてみた。
 幻聴ジャックに苦しむ人は、左欄のような状態に陥っている人たちであるというのが、わたしたちの経験から出た結論である。このような話し合いができるところに、幻聴さんレスキュー隊の存在意義がある。(※以下左欄のみ)

【ジャックされる人】
 自分に自信がない人
 つけこまれるスキがある人
 幻聴とのなれあい状態……依存
 自分に無関心
 いつも自分を責める
 理解者がいない
 人間関係が悪い
 自分を大事にできない
 淋しさや孤独感が強い
 対処方法を知らない
 自分が嫌い

 幻聴は統合失調症に顕著な症状であるが、他人の意見に左右されやすい人も参考になるのではないか。ま、私からすればテレビを見て泣いたり笑ったりしているような人々はテレビに心をジャックされたも同然で、知らぬ間に価値観までテレビに毒される。

 この項目の反対ならよいのかというと決してそうではあるまい。精神が統合された状態は中庸を目指す。

 べてるが精神疾患を笑いと研究にまで高めた功績は大きい。多数のイラストも実に素晴らしい。文章がこなれているのは編集をした医学書院の白石正明の功績だろう。

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