2018-10-11

佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行

 ・佐々弘雄の遺言

『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 父は、そのあとも、我々の知らない人名を挙げては、くどくどと説明していく。泥酔し、自宅でもさらに飲んで酒杯を離さず、母が止めても大声をあげて怒鳴る。
「大事なことを話しているんだ」と、
「尾崎がソビエト(ゾルゲ)のスパイだった、という情報がある。そんなばかげたことがあるはずがない。でっちあげもはなはだしい」「しかし、万一そうであるならば、よしんば、それがでっちあげであっても、国防保安法とか治安維持法、軍機保護法と、いろいろな法律があって、これは重大な犯罪になる。もう、近衛は退陣した。当局がひっかけようと思えば、近衛公でさえもあぶない」「そこでもし、お父さんの身におよぶようなことがあれば、ほかの理由ならば取調べに応ずるが、スパイ容疑ということの場合には、身の潔白を証明するため、腹を切る。いいな」と。
 父の目はすで「すわっていた」。尾崎が「ソビエトのスパイ」、つまりゾルゲと共にソ連のために日本を裏切った。もし、自分がその仲間であったとでっちあげられたりしたら、父は本気で切腹するかもしれない。
 そう思ったのか、母は、こっそりと台所に行くようなふりをして、家宝でもあったいくつかの日本刀をいつものところからどこかへ隠しにいった。
 そのあと、さとすような口調で、「(あなたが)腹を切ったりしたら、かえって潔白を証明する機会がなくなってしまうのではありませんか」と父をたしなめる。
 すると父は、武士のように「黙れ、男の気持ちがわからんのか」と母を一喝し「検挙されるまえに自害すれば、おまえたちが、スパイの家族とうしろ指をさされずにすむ。みんなの名誉を守るためなんだぞ」と。
 武士の末裔(まつえい)である佐々家の主としては、「家名を汚してはならない」という思いにかられての、跡継ぎである兄と、私への「遺言」 のつもりだったのかもしれない。

【『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2016年)】

 著者は佐々弘雄〈さっさ・ひろお:1897-1948年〉の次男である。弘雄は美濃部達吉吉野作造の薫陶を受けた法学者・政治学者で、後に朝日新聞編集委員、参議院議員を務めた人物。何よりも近衛文麿の私的ブレーン「昭和研究会」の一人として知られる。尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉とは朝日新聞社の同僚であり、尾崎を昭和研究会に招じ入れたのも弘雄であった。

 佐々淳行はインテリジェンス・オフィサーである(初代内閣安全保障室長)。上記テキストは「スパイというものがどれほど卑劣な存在であるかを思い知らされた」との文脈で書かれているのだが、額面通りに受け止めるかどうかは読み手次第だろう。その後、尾崎秀実がソ連のスパイであったことが判明する(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)が、父親の不明に関する考察はなかったように記憶している。また親中派の後藤田正晴に長く仕えたことも私の中では燻(くすぶ)り続ける疑問の一つである。

 それでも「危機管理」という意識を日本社会に定着させた佐々淳行の功績は大きい。日本のインテリジェンスはいまだに黎明期すら迎えていないが、佐々と菅沼光弘が一条の光を放ったことは歴史に刻印されるだろう。

 あの柔らかな口調、ダンディな物腰、そして険しい眼差しを見ることはもうできない。昨日、日本の情報機関創設を見ることなく逝去した。

私を通りすぎたスパイたち
佐々 淳行
文藝春秋
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2018-10-10

西洋至上主義/『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一


『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

 ・西洋至上主義

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 16世紀のポルトガルの年代記作家、ジョアン・デ・バロスは「元来、海は航海する者すべてに共有されるが、それはローマ教会の信仰を受け入れ、ローマ法で統治されるキリスト教徒にのみ適用される権利で、東洋では守る必要はない」として、ポルトガル艦隊が軍事力により、東洋の海の支配者になっていることの正当性を述べている。

【『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一(カナリアコミュニケーションズ、2015年)以下同】

 本年度のベスト10に入る一冊である。小さな出版社から刊行されているため声を大にして推(お)しておく。著者の山口洋一は元外交官である。文章・構成・内容ともに文句なしで、一読後視野が広がることを実感できる。

 それまでは小競り合い程度しかなかった平和な世界がヨーロッパ人の航海によって一変した。彼らは文字通り世界を蹂躙(じゅうりん)し、略奪し、虐殺した。やがて植民地主義は帝国主義へと成長し二度の大戦に至る。

 やがてオランダ、次いでイギリス、フランスによる海外制覇の時代になると、宗教改革の進展もあり、ローマ法王庁のお墨付き万能の時代ではなくなり、キリスト教の布教という大義名分に代わる錦の御旗が必要となってきた。
(中略)
 ここで大義名分として、浮上してきたのが、西洋文明の絶対的な価値を認め、西洋的価値観に至上の優位的位置づけを与えんとする考え方である。価値観ばかりか、言語、生活様式、風俗習慣、礼儀作法など、西洋のものはすべて優れているとの確信が持たれ、植民地の土着文化を抹殺して、あまねくこれを押し付けようとしたのである。未開の地に西洋文明の光をもたらすことこそ植民者の重要な使命であるされ、これが大義名分となった。
 しかもこの時代、遅れをとって植民地獲得競争に参入した国々は、スペイン、ポルトガルに対抗するために、「国際法の父」と呼ばれるオランダのグロティウスが考え出した「先占」(occupation)の原則を大いに活用した。それは、「たとえその地域を事実上支配する住民がいても、国際法の主体たり得る国家によって支配されていない限り、無主の地であり、最初に実効支配した国家の領有が認められる」とする原則で、ヨーロッパ諸国が植民地を拡大する際の論拠とされた。なんのことはない、「西洋文明の国に非ずんば、国家に非ず」というわけで、たとえ現地の王様が統治していようが、西洋文明の国でない限り、そんなものはお構いなく植民地にしてしまえというのである。これ又、西洋文明だけにしか価値を認めない立場を国際法という形に体現したに過ぎない。
 やがて彼らのこの考え方は、ダーウィンの進化論の影響を受けて、「文化進化論」へと理論化され、体系化された。

 白人は強力な武器を持つ泥棒だった。世界はスペインとポルトガルで二分された(トルデシリャス条約、1494年)。コロンブスが「新大陸を発見」したのが1492年のことである。つまりヨーロッパ人は国内で魔女狩りを行いながら同時に世界で虐殺に手を染めていたわけだ。戦闘と殺戮こそが彼らの流儀である。

 第二次世界大戦後、文化相対主義が登場した。次いで文芸批評の世界でポスト・コロニアル理論が生まれ、この流れが1970年代のフェミニズム、そして80年代のポリティカル・コレクトネス(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)へとつながる。過去に対する反動であるのは確かだが、そこに罪の意識があるかどうかは定かではない。

 西洋の価値観を至上主義とする風潮は今尚衰えることがない。自由と民主主義(※正しくは民主政)がそれだ。自由は最重要の権利であるが他国から強制される性質のものではない。アメリカが民主政を吹聴するのはメディアをコントロールすれば世論は簡単に操作可能であるためだ。大衆に正しい政治家を選択する能力はない。そもそも制作や国家予算のバランスシートを知り得る機会もほぼない。せいぜい、声の大きさや見てくれで投票を決めるのが関の山だろう。

 文化進化論を思い知らせたのが東京裁判であった。アメリカは原爆投下と東京大空襲の戦争犯罪を隠蔽するために裁判という舞台装置を必要とした。そして白人に歯向かった唯一の有色人種である日本人に鉄槌を下した。日本は犯罪国家として裁かれ、今日までその呪縛を解くことができないでいる。

 尚、ほぼ同一のテキストが『〈思いこみ〉の世界史 外交官が描く実像』(2002年)にもあることを付け加えておく。

植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす
山口洋一
カナリアコミュニケーションズ
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2018-10-08

藤原ていの覚悟/『夫の悪夢』藤原美子


・『流れる星は生きている』藤原てい
・『旅路』藤原てい
『妻として母としての幸せ』藤原てい
『劒岳 点の記』木村大作監督
・『我が家の流儀 藤原家の闘う子育て』藤原美子
・『家族の流儀 藤原家の褒める子育て』藤原美子

 ・藤原ていの覚悟

・『藤原家のたからもの』藤原美子
・『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩藤原正彦、藤原美子

 まだ新婚生活がスタートしたばかりのころ、私が物干し竿に洗濯物を広げていると、私の姿を見つけた母が嬉しそうに庭に下りてきた。
「いい光景だねえ。お日様がさんさんと降り注いで、洗いたての洗濯物が風に揺れている。美子さんは若くて溌剌(はつらつ)としている。この幸せがいつまでも続くように思っているでしょうけど、私たちの時代にはある日、いきなり夫が戦地へ連れていかれたりしたのですよ」
 と言った。母は柿の若葉をまぶしそうに見上げた。そして「いま戦争が起きたら、美子さん、どうしますか」と聞いた。
 戦争が起きたら、なんて考えたこともなかった。(中略)
「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、召集されることはありません。右手さえあればなんとか生きていけますから」
 と毅然として言った。ばっさり腕を切り落とす。まだ若い息子の白い腕をばっさりと。母と一緒に見上げていた柿の枝が夫の腕に見えてきた。私は柔らかな葉の隙間から洩れる光の中で、軽いめまいがした。微塵の迷いもない母の強い語気に、まだ若い私はしばらく言葉を継げずにいた。
「それにしてもお母様、よく幼い3人を満州から無事に連れ帰ることができましたね」とやっとの思いで言うと、
「引き揚げてきたときに一番弱かったのは独身男性ですよ。守るべき者がいない人は簡単に首をくくってしまう。私には命がけで守らなければいけない子供たちがいましたからね。しかしあのような状況のときには、溢れるように出ていたお乳もぴたりと止まってしまうんですよ。赤ん坊には噛み砕いた大豆を口移しで与えたりしてどうにか連れ帰ってきたけれども、日本にたどり着いたときには1歳2ヶ月になる娘の髪は真っ白、顔はしわくちゃ、おなかばかりが膨らんで身体は私の掌に乗るほど小さかったですよ」
 と言った。引き揚げの話になると、母はいつにもまして言葉に力こもるのだった。
 修羅場ともいえる世界をくぐってきた母は、その後の平和な世になっても常にいざという事態に備えているように見えた。

【『夫の悪夢』藤原美子〈ふじわら・よしこ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2012年)】

 藤原美子の名前は『月の魔力 バイオタイドと人間の感情』(1984年)で知っていた。よもやこんな美人だとは思わなかった。藤原正彦の顔を知っていれば、二人が夫婦であることに群雲(むらくも)のような疑問が湧く(笑)。しかも文章がよい。まさに才色兼備。

 藤原正彦は若い時分から父・新田次郎(本名は藤原寛人〈ふじわら・ひろと〉)の原稿を読み、美子は正彦の原稿を読み、文体が継承されている。そんな家族のつながりも興(きょう)をそそる。

 敗戦後に3人の子らと1年以上にわたる決死の逃避行(徒歩で700km以上)をした藤原ていの言葉には千鈞の重みがある。しかも子を守らんとする激しい愛情がいかにも女性らしい。戦う場所が男と女では違うのだ。

 私は後になって知ったのだが実は新田次郎よりも藤原ていの方が作家デビューが早い。しかも第一作がベストセラーとなった。新田は自分が書いた原稿を妻に見てもらっていたが、必ずクソミソに貶(けな)されたという。そうして次男の正彦に原稿が渡されるようになった。正彦に「書く」ことを勧めたのも新田である。

 藤原夫妻は既に日本を代表するエッセイスト(ユーモリストでもある)として知られるが、親子、夫婦、家族のつながりがしっかりとした軸になっており、更には戦前と戦後のつながりまでがよく見渡せる。それを一言で申せば「昭和」ということになろうか。

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2018-10-07

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2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

日本教の社会学
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