2019-01-22
五百旗頭真
ローズベルトとハルの確執。アメリカは権力闘争が政治向上の機能として働いている(『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図(上)』67ページ)。当時の日本は政党政治が力を失い藩閥・軍閥がまかり通っていた。日本における集団は共同体と化す(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平)。そこに初めてメスを入れたのが小室直樹だ(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』『日本「衆合」主義の魔力 危機はここまで拡がっている』)。
2019-01-21
日本近代史にピリオドを打った三島の自決/『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
・『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫
・『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか』中条省平
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・日本近代史にピリオドを打った三島の自決
・『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
・『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
・必読書リスト その四
三島から徳岡への手紙は、彼の判断で全文が「サンデー毎日」に掲載され、さらに徳岡の著書『五衰の人』にも引用されている。
前略
いきなり要用のみ申上げます。
御多用中をかへりみずお出でいただいたのは、決して自己宣伝のためではありません。事柄が自衛隊内部で起るため、もみ消しをされ、小生らの真意が伝はらぬのを怖れてであります。しかも寸前まで、いかなる邪魔が入るか、成否不明でありますので、もし邪魔が入つて、小生が何事もなく帰つて来た場合、小生の意図のみ報道関係に伝はつたら、大変なことになりますので、特に私的なお願ひとして、御厚意に甘えたわけであります。
小生の意図は同封の檄に尽されてをります。この檄は同時に演説要旨ですが、それがいかなる方法に於て行はれるかは、まだこの時点に於て申上げることはできません。
何らかの変化が起るまで、このまま、市ヶ谷会館ロビーで御待機下さることが最も安全であります。決して自衛隊内部へお問合せなどなさらぬやうお願ひいたします。
市ヶ谷会館三階には、何も知らぬ楯の会会員たちが、例会のために集つてをります。この連中が警察か自衛隊の手によつて、移動を命ぜられるときが、変化の起つた兆であります。そのとき、腕章をつけられ、偶然居合わせたやうにして、同時に駐屯地内にお入りになれば、全貌を察知されると思ひます。市ヶ谷会館屋上から望見されたら、何か変化がつかめるかもしれません。しかし事件はどのみち、小事件にすぎません。あくまで小生らの個人プレイにすぎませんから、その点御承知置き下さい。
同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に御発表下さい。檄は何卒、何卒、ノー・カットで御発表いただきたく存じます。
事件の経過は予定では二時間であります。しかしいかなる蹉跌が起るかしれず、予断を許しません。傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも、小生らとしては、純粋に憂国の情に出でたるものだることを、御理解いただきたく思ひます。
万々一、思ひもかけぬ事前の蹉跌により、一切を中止して、小生が市ヶ谷会館へ帰つて来るとすれば、それはおそらく、十一時四十分頃まででありませう。もしその節は、この手紙、檄、写真を御返却いただき、一切をお忘れいただくことを、虫の好いお願ひ乍らお願ひ申上げます。
なほ事件一切の終了まで、小生の家庭へは、直接御連絡下さらぬやう、お願ひいたします。
ただひたすら一方的なお願ひのみで、恐縮のいたりであります。御厚誼におすがりすばかりであります。願ふはひたすら小生らの真意が正しく世間に伝はることであります。
御迷惑をおかけしたことを深くお詫びすると共に、バンコク以来の格別のご友誼に感謝を捧げます。怱々
十一月二十五日 三島由紀夫
徳岡孝夫様
二伸 なお同文の手紙を差し上げたのは他にNHK伊達宗克氏のみであります。
【『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介〈なかがわ・ゆうすけ〉(幻冬舎新書、2010年)以下同】
字下げがあったりなかったりするのもテキスト通りである。三島の原文を忠実に再現したものか。
三島は自分が何をするのかを伏せた上で、徳岡にカメラと腕章を持ってくるよう伝えた。計画は用意周到であり細心の注意が払われていた。三島は自らの決起が自衛隊を動かすとは考えていなかった。時期尚早というよりも三島自身が戦後日本に見切りをつけてしまったのだろう。彼は自分の死と引き換えにメッセージを残した。嘘偽りのない誠を示すために切腹までしてみせた。その凄絶な死から50年を迎えるのが明年である。
120人に及ぶ証言や記録を収録している。荒井由実や丸山健二まで出てきて驚いた。因(ちな)みに丸山の反応は実に底の浅いもので、後々アナーキズムを礼賛するようになる萌芽を見る思いがした。折に触れて三島を批判したのも三島の丸山評が本質を衝いていたためだろう。
その日、永山則夫〈ながやま・のりお〉は「日本人民を覚醒させる目的で以(もっ)て、天皇一家をテロルで抹殺しろ!」と東京地裁の法廷で叫んだ。永山は審理中に左翼理論を学び、徹底して無罪を訴える。4人もの人々を射殺した犯罪者が生き永らえて、天皇中心の日本を再建しようとした三島が死ぬ不思議に思いを致さざるを得ない。
後に後藤田は、「何とも気持ちのわるい事件だった。思い出すのも厭だ」という印象を語る。
後藤田正晴はわかりにくい政治家である。「河野洋平を非常に可愛がり、与党の対中外交に影響を与えた。また、『つくる会』の新しい歴史教科書(扶桑社発行)の採択には、一貫して反対の立場をとった」(Wikipedia)。高度経済成長の中で政策が社会主義化した自民党を体現する人物なのかもしれない。アメリカの戦争で日本が発展するというぬるま湯に浸かりすぎたのだろう。現実は見えていても将来を見通すことのなかった政治家であるように感じる。
「サンデー毎日」の徳岡孝夫は三島の演説をしっかり聞いた。「声は、張りも抑揚もある大音声で、実によく聞こえた」と彼は回想する。この演説については、ヘリの音がうるさく聞こえなかった、三島はハンドマイクの用意をするべきだったとの批判や揶揄が後にされるが、徳岡はそれを否定する。徳岡が演説内容をメモできたということは、聞こえたということだ。さらに徳岡には垂れ幕に書かれた要求書の文言を書き移(ママ)す余裕と、そのうえさらに感想を持つ時間的余裕があった。事件直後の「サンデー毎日」に徳岡はこう書く。
《三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直感した。最後の瞬間にそなえて、彼はノドの力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ。畢生の雄叫びをあげるときに、マイクやスピーカーなどという西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。》
参集した自衛官は群衆と化した。野次を飛ばした連中はその事実すら覚えていないことだろう。そこに群衆・大衆の無責任がある。三島が命懸けで発した言葉を彼らは嘲笑した。戦争から遠ざかり、軍隊の名にも値しない自衛隊もまた政治家同様、敗戦の屈辱を忘失していた。
私は東亜百年戦争にピリオドを打ったのが三島の自決であったと考える。三島由紀夫の存在は時を経るごとに大きな影を残してゆくに違いない。鍛え上げた腹筋に突き立てた短刀に込められた力を想う。ただ想う。ただ想え。
2019-01-20
単純な史観/『陸奥宗光』岡崎久彦
・『日米・開戦の悲劇 誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ
・『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦
・『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
・単純な史観
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
・『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
・『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
・『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
・『村田良平回想録』村田良平 ・『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克
大衆的な歴史小説に限らず、専門家の方々の学問的な著作の中にも、違和感を持たざるを得ないものも多々ある。
ある人物や時代について、特定の部分の引用は必ずしも間違っていなくても、その人物や歴史の全体像から見てバランスを失しているような引用は、やはり、歴史をゆがめてしまうと思う。
戦前の歴史は、偉人をほめるために、しばしばその人物の全体像と関係のないような片言隻句を取り上げては、「尊皇の志があった」と書いた。そして、戦後の反体制運動華やかなりし頃は、個人でも社会の集団でも、「権力に抵抗した」ときのことだけを、他の事実と較べてアンバランスに大きく取り上げて、その意義を強調している。こういうことも、気になるのである。
これほど単純でわかり易い史観もない。むしろそうなれば、もう、歴史を読む必要さえもないのではないかと思う。読む前から、「尊皇の志をもつのは偉い」、あるいは「権力に抵抗するのは良い」ということだけ覚えていれば、それ以上、歴史から学ぶものがないからである。
反体制史観のようなものは、戦後のある時期のあだ花に過ぎなかったのであろうが、平和主義は、戦後史観の一貫した金科玉条であり、また人類の思想の一部としてしばしば歴史の中にそれなりの意義ある役割を果たしている。
だからといって、戦前の歴史は豊臣秀吉の帝国主義を讃えたから悪いけれども、戦後の歴史は、たとえば、最近のテレビ・ドラマのように徳川家康を一方的に平和主義と描写して、その平和主義をほめているのだから、良いのだ、などと言うのは、やはりおかしいのではないかと思う。
【『陸奥宗光』岡崎久彦(PHP研究所、1987年/PHP文庫、1990年)】
『陸奥宗光とその時代』を開けば自ずから本書を読まずにはいられなくなる。書かれた本が書いた著者を動かし、編集者をも動かしたのだろう。本書によって「外交官とその時代シリーズ」が誕生するのである。
尊皇史観は同調圧力で、反体制史観は思想のための歴史流用に過ぎない。日本人は生活において実利を追求する傾向が強いにもかかわらず、ものの考え方には合理性を欠くところがある。明治維新における攘夷(じょうい)から開国への変わり身の早さが日本人の政治態度をよく示しているように思う。たぶん「祭り的体質」があるのだろう。
大東亜戦争の敗因もここにある。日本は帝国主義の甘い汁にありつこうとした(当時この目的自体が誤っていたわけではない)。アメリカは開戦前から戦後世界のグランドデザインを描いていた。具体的な戦闘においてアメリカはオペレーションズ・リサーチ(OR)を採用し、日本は玉砕と特攻をもって兵士とエリート学生を犠牲にした。【徒(いたづら)に】それを繰り返した。「こうすれば勝てた」という議論が石原莞爾〈いしわら・かんじ〉以降、現在に至るまで盛んであるが欺瞞も甚(はなは)だしい。そもそも「勝つためのシステム」すら構築していないのだから負けるべくして負けたと断言してよい。当時の精神論は確かに崇高であった。それを嘲笑う資格は誰にもない。だからこそ尚更悔やまれるのである。
戦後70年以上に及ぶ精神的鬱積が中国・北朝鮮・韓国を導火線として爆発する可能性が高まりつつある。歴史を知らない若者であっても「なぜこれほど虚仮(こけ)にされないといけないのか」との疑念を覚えるような出来事が次々と起こっている。自衛隊という擬制の軍隊を有する擬制の国家が限界を迎えつつある。
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2019-01-18
人生の目的/『中国古典名言事典』諸橋轍次
・『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋
・狂者と狷者
・人生の目的
・「武」の意義
・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・必読書リスト その五
朝(あした)に道を聞(き)けば、夕(ゆう)べに死すとも可なり。(『論語』「里仁」〈りじん〉)
もしも、朝、真実の人の道を聞き、これを体得しえたならば、その夕べに死んだとしても、それで悔いはないのだ。
人間のあり方、生き方を知ることは、それほどにも重大事なのである。
【『中国古典名言事典』諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉(新装版、2001年/座右版、1993年/講談社、1972年/講談社学術文庫、1979年)】
漢字の力が文語体を通して十全に発揮される。中国古典の名言が胸に迫ってくる理由はここにある。寺子屋の素読に四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)五経(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)が採用されたのもひとえに文語体の雄勁(ゆうけい)によるものと考える。
孔子の言葉は雪山童子(せっせんどうじ)の精神そのものである(雪山堂~店名由来物語)。普通、道は目的地までの経路と考えられる。ところが東洋思想は道そのものを目的に変えた。日本では技を極めることよりも人としての格を錬成するところに価値を見出した。仏道に始まり武士道・柔道・茶道に至るまで生き方を問う世界となっており、道は自(おの)ずから法(真理)へと向かう。
「今何が欲しいか?」と尋ねられて即答する内容にその人の真価が現れる。男の場合、往々にしてクルマ・美女・不動産の類いを欲し、年を重ねると地位・名誉・資産を求める。努力する人は才能を、戦う人は力を、抑圧されている人は解放を望む。幸福とは自由の度合いであろう。やがては自らの自由よりも人々を自由に扱える政治力・権力へと欲望は向かう。
私が「夕べに死す」ことを覚悟できないのはなぜか? そこに私の課題と行き詰まりがあるのだろう。欲望に衝き動かされる人生は決して満たされることがない。全てを手に入れた暁に訪れるのは虚(むな)しさである。やがては得た物を失う恐怖に取りつかれ、静かに迎えつつある死にたじろぐことは避けようがない。悩みは欲望から生まれるのだ。
この世で絶対なるものは光の速度と生きとし生けるものの死である。死は真理である。ただしそれを解き明かすことは至難である。
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