・再解釈という息吹
・『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール
・『エスリンとアメリカの覚醒』ウォルター・トルーエット・アンダーソン
・『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
ニューソート(新思考)とは、歴史的宗教の伝統的な諸教理を再解釈しようとする根本的な試みである、と言えよう。私の古い友人であるチャールズ・S・ブレイデンが1963年出版の『反抗者たち』(Spirits in Redellion)の中で強調したように、ニューソートの代表者たちは自分たちを元来のキリスト教の真の擁護者と見做しながらも、実際に正統派のキリスト教に反抗したし、また現在も反抗している。そして確かに衝突や迫害が起こっている。
【『ニューソート その系譜と現代的意義』マーチン・A・ラーソン:高橋和夫、木村清次、鳥田恵、井出啓一、越智洋訳(日本教文社、1990年)以下同】
神智学協会が西洋における比叡山であれば、ニューソートは神仏習合といってよい。宗教的天才は社会の常識を否定しながら大いなる一歩を踏み出す。ところが大衆が求めるのは「肯定の論理」である。徹底した否定の厳しさについてゆけないためだ。いかなる「教え」も時を経るにつれて形骸化してゆく。そこで「再解釈という息吹」が吹き込まれるのだろう。大乗や神仏習合、はたまたプロテスタントやニューエイジについても同様だと思われる。
宗教そのものにはとくに共鳴しなかった数多くの著名な人びとがニューソートの思想を認め採り入れたことは注目に値する。こうした人びとのうちには、ブルック農場のグループ、ラルフ・ウォルドー・エマソン、および、父のほうのヘンリー・ジェームズがいた。サミュエル・テイラー・コールリッジ、ブラウニング夫妻はスウェデンボルグ主義者であり、ニューソートの擁護者であった。クィンビーが精神療法を始めたとき、彼はにせ医者と呼ばれた。しかし彼は、自分に向けられた批判に多大な成果をもって応え、その成功で彼は不動の座についた。
「受け容れられた思想」は時代の中で拡がってゆく。人と人とがシナプスのように結合され新しい回路を形成する。人類の意識はこのようにして少しずつ変わってゆくのだろう。
言葉(教義)に束縛されると言葉が指し示すものを見失う。悟りは言語化し得ない。つまり言葉を手繰って悟ることはできないのだ。宗教には教義がある。そしてその教義が宗教性を失わせるのだ。幸福とは感情である。立派な論理をいくら積み重ねても幸せにはなれない。
ニューソートは文献が少ない。その意味では貴重な作品だが読み物としてはつまらない。クリスチャン・サイエンスから何と生長の家までを網羅する射的距離の長さには驚かされた。アラン・ワッツがクリシュナムルティの影響を受けた事実にも触れている。