・『「豆朝日新聞」始末』山本夏彦
・『崩壊 朝日新聞』長谷川煕
・『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温
・『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力
・朝日新聞の変節
・『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
・『激しき雪 最後の国士・野村秋介』山平重樹
・『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫
・日本の近代史を学ぶ
ことに、朝日新聞社を中心とした、マスコミのこれまでの無節操さについては、我慢も限度にきている。戦前はあれほど日本の戦争の正義を謳い、アジア解放の大義を説き、「聖戦だ、聖戦だ」と喚きちらしたくせにして、日本が負けるやいなや、豹変して占領軍に媚(こび)を売り、GHQ(連合国軍総司令部)による日本民族の弱体化政策の片棒を担ぐどころか率先して日本批判に転じた。
最近では韓国人の従軍慰安婦問題で、まるで鬼の首でも取ったかの如き騒ぎである。私は日本のエリート階層である東大出の朝日の幹部3名に、面と向かって言ってやった。百歩譲ってだ、日本軍のその行為がそれほど悪逆非道だったとするなら、君ら「朝日」にも一半の責任があるのではないのか? 他人(ひと)事のようにいっているが、中国へ渡った関東軍百万の兵士を、君らは“神兵”とさえ称賛し、歓呼の声を持(ママ)って送り出した事実を、知らぬとは言わせぬ。
倫理的意味で、それが正しいと強弁するつもりはない。しかし、1945年までは、そのときのパワー・ポリティックスの価値観で世界は動いていた。日本が、ヤルタ・ポツダム宣言を受諾する1週間前、旧ソ連軍は「日ソ不可侵条約」があるにもかかわらず、ソ連国境を越えて侵入してきた。条約を破ったことは一応置くとして、その際、日本人婦女子に彼らが何をしたか、これも知らぬとは言わせぬ。銃で威嚇(いかく)し、公衆の面前で、それも路上で、次々と強姦し、輪姦し、どれだけ無法をはたらいたか、朝日も進歩的文化人と称する連中も、なぜそれをいわぬ。(中略)
かかる史実を知りながら、朝日新聞社は、日本のみの戦争犯罪を得々として喋りまくった。それも半世紀にわたってである。GHQの占領政策が、日本のショナリズム(ママ)の解体と弱体化にその眼目があるのを十分知りながら、「極東国際軍事裁判」(昭和23年11月判決)という、“暗黒裁判”の判決を是とし、日本悪玉論を執拗に展開し続けた。反面ソ連に媚を売ることも久しく、ベトナム戦争においては、まるでアメリカ軍が撤退さえすれば、明日にでもインドシナは平和になると、うそぶき続けた。その後のインドシナが、いかに悲惨であったかは、私が説明するまでもあるまい。ポル・ポトは全人口の半分、350万人もの人びとを虐殺している。
【『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介〈のむら・しゅうすけ〉(二十一世紀書院、1993年)】
600ページ近い大著である。飛ばし読みするつもりであったが引き込まれた。野村秋介は民族派では括り切れない人物だ。交友が広く、左翼とも親交を結んだ。獄中の永田洋子〈ながた・ひろこ〉にまで会っている。
東条英機は陸軍の主戦派であったが首相に就任すると天皇陛下の意に従い戦争回避の道を模索する。軍首脳の大半と政治家はアメリカとの戦争を何としても避けようと考えていた。戦争を煽ったのは新聞と国民であった。この歴史的事実を決して忘れてならない。日米和平の道はハル・ノートによって閉ざされてしまう。窮鼠(きゅうそ)と化した日本はアメリカという大猫に襲い掛かった。
ソ連に敗れたドイツでも目を覆うような強姦が行われた。幼女から老婆に至るまでが犠牲となった。その惨状は『ベルリン終戦日記 ある女性の記録』が詳しい。
左翼が仰ぐソ連は終戦のどさくさに紛れて鬼畜の所業を繰り返した。私はこれを絶対に許すべきではないと考える。故にロシアが謝罪するまでは平和条約を結んではならない。北方領土を取り返すために下手に出る必要はない。日本政府は昂然(こうぜん)と構えるべきだ。
野村は明らかに理論武装をしている。左翼と闘うためには致し方ないとはいえ、理窟(りくつ)だけでは人の心をつかむことはできない。野村を直接知る人々は情を汲み取ったのだろうが、その影響力はやはり一部の人に限られたように思う。
野村は「風の会」から参院選に立候補する。これを『週刊朝日』(「山藤章二のブラック・アングル」)が「虱(しらみ)の党」と揶揄した。
野村は猛然と抗議をした。翌年、経営陣からの謝罪を受けるため朝日新聞東京本社を訪れる。一連のやり取りも本書に収録されている。野村はその場で拳銃自殺を遂げた。最も朝日新聞を批判し、最も朝日新聞に期待していた男の見上げた最期であった。
朝日新聞の偏向報道については野村が完膚なきまでに鉄槌を下している。その真剣な声が朝日新聞に届かなかったことが無念でならない。