「玉音」とは天皇陛下のお声のこと。我が国の歴史の中で天皇陛下が全国民に向けて玉音を発せられたのは歴史上3回しかない。(中略)一つが終戦の時の玉音放送、二度目が東北地方太平洋沖地震に関するビデオメッセージ、三度目はご譲位を表明されたメッセージ。
【玉音放送】わかりやすく解説 日本人なら知っておくべき昭和天皇による『終戦の詔勅』の意味|小名木善行(ねずさん)
堀はここで生れて初めて情報電報に目を通す身となった。大多数の電報は、枢軸国といわれた独、伊、ルーマニヤや中立国の武官、大公使からの電報で、右肩に親展、極秘という朱肉の大きな角印が目にしみた。その他は内外の通信社の速報ニュース、外国系ラジオ放送、新聞などが机の上に並べられていた。
家に帰った堀はその晩、父堀丈夫〈たけお〉に情報をやることになった旨を話した。父は晩酌の盃を置いて、一瞬考えてから、
「俺も40年近く軍人生活をしてきたが、情報だけはやったことがない。強いて言えば大佐時代に2年間フランスに航空の勉強にいったのが、情報といえばいえるだけ。情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。相手といっても、第一線の指揮官には自分の正面の敵の指揮官になるし、大本営だったら国家の主権の中枢が相手ということになろう。主権の中枢から直接聞くことが出来たら一番良いが、それは至難であって、時には嘘もつかれる。そうなるといろいろ各場面で現われる仕草を集めて、それを通して判断する以外にはないようだな」
父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語でいう徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。
【『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三〈ほり・えいぞう〉(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)】
すると先生は声をはげまして「いや、その狙うということがいけない。的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」と答えられた。そう言って先生は弓を執り、引き絞って射放した。矢は的のまん中にとまっていた。それから先生は私に向かって言われた。――「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想(めいそう)にふっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私と仏陀が一体になれば、矢は有(う)と非有(ひう)の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在る――これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」
【『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル述:柴田治三郎〈しばた・じさぶろう〉訳(岩波文庫、1982年/原講演は1936年〈昭和11年〉)】
9時ごろ私は先生の家へ伺った。先生は私を招じて腰かけさせたまま、顧みなかった。しばらくしてから先生は立ちあがり、ついて来るようにと目配(めくば)せした。私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い1本の蚊取線香に火をともして、それを垜(あずち)の中ほどにある的の前の砂に立てた。それから私たちは射る場所へ来た。先生は光をまともに受けて立っているので、まばゆいほど明るく見える。しかし的は真っ暗なところにあり、蚊取線香の微(かす)かに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。先生は先刻から一語も発せずに、自分の弓と2本の矢を執った。第一の矢が射られた。発止(はっし)という音で、命中したことが分かった。第二の矢も音を立てて打ちこまれた。先生は私を促して、射られた2本の矢ををあらためさせた。第一の矢はみごと的のまん中に立ち、第二の矢は第一の矢の筈(はず)に中たってそれを二つに割(さ)いていた。私はそれを元の場所へ持って来た。先生はそれを見て考えこんでいたが、やがて次のように言われた。――「私はこの道場で30年も稽古をしていて暗い時でも的がどの辺にあるかは分かっているはずだから、1本目の矢が的のまん中に中たったのはさほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかも知れない。しかし2本目の矢はどう見られるか。これは【私】から出たのでもなければ、【私】が中てたものでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持になろうではありませんか」――
それ以来、私は疑うことも問うことも思いわずらうこともきっぱりと諦めた。