・『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
・『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
・『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
・『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
・『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
・『北海道が危ない!』砂澤陣
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
・『自治労の正体』森口朗
・『戦後教育で失われたもの』森口朗
・『日教組』森口朗
・『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
・陰謀説と陰謀論の違い
・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
・関東軍「陰謀論」こそウソ
・新型コロナウイルス陰謀説
・皇室制度を潰す「女系天皇」
・『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎
・必読書リスト その四
では、「柳条湖事件」が関東軍の陰謀だったという「陰謀論」の方は、なぜ、学校教育に定着したのでしょう。当時の国際連盟がそのように判断した訳ではありません。むしろ国際連盟から派遣されたリットン調査団は、当時の満州の発展は中華民国ではなく日本の努力によるものだと認め、柳条湖事件が起きた夜の日本側の軍事行動は正当防衛とまでは認め得なかったけれども、将校達が自衛のために考え行動した(つまり誤想防衛をした)のは仕方がないとしたのです。その上で、日本の主張を一部認め、日本軍に今後の満州における匪賊(ひぞく)の討伐権を認めました。
日本は第二次世界大戦に負けたのですから「関東軍が全面的に正しかった」と教えることは難しいでしょう。でも、せめて国際連盟から派遣されたリットン調査団の調査内容が正しい、つまり「柳条湖事件の真相は不明だが、当時の関東軍は正当防衛と考えて軍事行動を起こした」と教えるのが、正しい歴史教育のはずです。
ところが、学校で「関東軍の陰謀により満州事変は起こった」と教え、大学でもマスコミでもあらゆるところで、それを前提にして議論しているのです。その根拠は、たった一人、花谷正(はなやただし)が戦後に語った、いかがわしい発言だけです。
花谷が言うには、昭和6(1931)年に関東軍高級参謀(大佐)板垣征四郎と関東軍作戦参謀(中佐)石原莞爾(いしは〈ママ〉らかんじ)と、少佐だった花谷が中心となって、この陰謀を実行したそうです。全く信用できません。何故なら、板垣征四郎と石原莞爾は極めて有能で、現役時代から「陸軍の巨星」とまで呼ばれた二人でした。これに対して花谷正は、多くの作戦に失敗し部下の命を失わせたことで、また人格面においても問題の多い人物でした。彼が死んだ時には、盛大な葬儀が営まれましたが、部下は誰一人会葬(かいそう)しませんでした。
そんな男が、両雄である板垣征四郎(昭和23(1948)年12月23日、死刑執行)も石原莞爾(昭和24(1949)年8月15日に病死)も亡くなった後の昭和30(1955)年に『満州事変はこうして計画された』(「別冊知性」昭和30年12月号 河出書房)において秦郁彦氏の取材に答える形で、「あの2人と自分が中心になって、柳条湖事件を起こしました」と発言しただけなのです。彼は、さらに関東軍司令官本庄繁中将(昭和20(1945)年11月19日GHQから戦犯に指名され翌日自決)、朝鮮軍司令官林銑十郎中将(昭和18(1943)年2月4日病死)、参謀本部第1部長建川美次(たてかわよしつぐ)少将(昭和20(1945)年9月9日死去)が、この謀略に賛同していたと言いふらしているようですが、この方々も全員が1955年までには亡くなっていました。
花谷が「謀略に賛同した」幹部の1人と指名した中で1955年段階で唯一生き残っていたのは橋本欣五郎(当時、参謀本部ロシア班長で中佐)でした。彼は、昭和31(1956)年の第4回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補し落選しているのですから、彼が「花谷の言うとおり」と発言していない限り、花谷の発言は、自分を大物に見せたいだけの「ウソ」と判断すべきでしょう。もちろん、橋本から「花谷の発言は正しい」といった発言はありません。
常識で考えれば、花谷の証言こそが「ウソ」なのですが、昭和時代は戦前の日本を悪者にして自分だけが「いい人」ぶる行為が流行っていました。保守言論では「従軍慰安婦」なるものを創った吉田清治が有名ですが、花谷の発言こそ最大のウソではないでしょうか。
【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】
驚愕の事実である。腰を抜かす人がいてもおかしくないほどだ。あまりにも驚いてしまったので少し調べた。どうやら工藤美代子著『絢爛たる醜聞 岸信介伝』(『絢爛たる悪運 岸信介伝』改題文庫化)に書かれている内容のようだ。同書には「(※板垣、石原の)両者ともその事実を否定したまま故人となった」との記述がある。
著者が言いたいことは、教科書で教える歴史は事実に基づくべきであり、日本の戦争だけを詳細に取り上げて、わざわざ舞台裏まで記述し、意図的に自国を貶めることに何の意味があるのか? ということだ。「昨今の陰謀論を嘲笑う風潮」に対する批判という文脈の中で書かれているテキストであることを失念してはなるまい。
つくづく人の脳が物語に支配されやすい事実を思い知らされた。明らかな因果関係を示されると脳は「疑う」ことを忘れる。おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと桃が流れてくることになっている。いじめられている亀は助けなければならないし、わらしべは取り敢えず大事にしておく。神話、昔話、宗教はその物語性によって社会を維持する装置である。
自虐史観という言葉は既に手垢まみれとなっているが、日本を貶める左翼の行状(ぎょうじょう)を詳(つまび)らかにして、その罪状を一々論(あげつら)うことなくして、正常な歴史を知ることはないだろう。