2015-03-21

幸せの意味/『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット


キリスト教を知るための書籍

 白衣をまとった研究チームが、天才科学者の指導のもとに勤しむものだけが科学ではない。たったひとりで苦闘し、困難な地において途方に暮れたり危険に直面したりしながら、新たな知識を果敢に探りだそうとすることで求められる科学もある。

【『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット: 屋代通子〈やしろ・みちこ〉訳(みすず書房、2012年)以下同】

 これがフィールドワークだ。ダニエル・エヴェレットは26歳の時にブラジルの先住民ピダハンのもとへ行き、「30年以上にわたってピダハンと共に暮らし、学んだ」。目的は言語学研究にあったが、彼は伝道師として赴いた。ピダハンでは麻疹(はしか)が流行したため、1950年代から伝道師を受け入れるようになった。


 経費と給料がアメリカの福音派教会から払われる。だからわたしは、わたしが信じている神を崇め、キリスト教の神を信仰することにともなう倫理や文化を受け入れるように、「ピダハンの心を変える」ことに専念するのだ。私はピダハンについて何ひとつ知らなかったけれども、きっとできるし、変えなければならないと思っていた。

 古来、キリスト教は宣教師を世界中に派遣して文化的侵略を為してきた。「あなた方を救ってあげよう」というわけだ。大人が子供を教育するのに似ている。「教育することは正しい行為だ」との思い込み。そして実際に家庭や学校で行われているのは「操作」であったりする。正しい方向にコントロールするのが教育の目的だ、と殆どの大人は信じ込んでいる。西洋キリスト教は輪をかけて凄い。彼らには「神からの使命」が託されているのだ。病的な誇大妄想としか言いようがない。

 初めて見たピダハンの印象を「それはそれは幸せそうに見えた」と記す。どの顔も微笑んでいて、暗い表情の者は一人もいなかった。


 驚いたことに、これらすべてにわたしは心を揺さぶられてしまったのだった。わたしが信じたほうがいいと言ったというだけの理由では信じようとしないピダハンの態度は、必ずしも予期しないものではなかった。伝道の仕事が楽なものだと考えたことは一瞬たりともない。けれども自分が受けた衝撃はこれだけではなかったのだ。ピダハンに福音を拒否されて、自分自身の信念にも疑問を抱くようになったのだ。それがわたしには驚きだった。わたしは決してひよっこではなかった。ムーディ聖書研究所を首席で卒業し、シカゴのストリートで説話もこなしたし、救済活動でも話をした。戸別訪問もやり、無神論者や不可知論者とも論争した。信仰弁護論や個人伝道の訓練も積んでいた。

 つまりエヴェレットは訓練されたエージェント(代理人)であったわけだ。そんな彼が未知の文化から衝撃を受ける。そこには自分の知らない豊かな世界が広がっていた。宗教は価値観を束縛する。束縛された価値観は世界を狭い視野で捉える。信仰と無縁な情報は無意識のうちに切り捨てられる。

 ピダハンが突きつけてきた難問のもうひとつの切っ先は、わたしのなかに彼らに対する敬意が膨らんでいたことだった。彼らには目を見張らされることが数えきれないほどあった。ピダハンは自律した人々であり、暗黙のうちに、わたしの商品はよそで売りなさいと言っていた。わたしのメッセージはここでは売り物にならない、と。
 わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。ピダハンからすればたんなる迷信であり、それがわたしの目にもまた、日増しに迷信に思えるようになっていた。
 わたしは信仰というものの本質を、目に見えないものを信じるという行為を、真剣に問い直しはじめていた。聖書やコーランのような聖典は、抽象的で、直観的には信じることのできない死後の生や処女懐胎、天使、奇跡などなどを信仰することを教えている。ところが直接体験と実証に重きをおくピダハンの価値観に照らすと、どれもがかなりいかがわしい。彼らが信じるのは、幻想や奇跡ではなく、環境の産物である精霊、ごく正常な範囲のさまざまな行為をする生き物たちだ(その精霊をわたしが実在と思うかどうかは別として)。ピダハンには罪の観念はないし、人類やまして自分たちを「矯正」しなければならないという必要性ももち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。わたしが自分の信仰に疑いをはさんだのはじつはこれが初めてではなかった。ブラジルの知識人や、ヒッピー暮らし、それにたくさんの読書のせいで亀裂が入ってはいたのだ。ピダハンはその最後の一石となった。
 そんなわけで1980年代の終わりごろ、わたしは少なくとも自分自身に対しては、もはや聖書の言葉も奇跡も、いっさい信じていないと認めるにいたっていた。

 本書の白眉をなす場面だ。ピダハンの言語には過去と未来の概念がなかった。「現在」に生きるピダハンは将来への不安や過去に対する後悔がなかった。そもそも言葉がないのだから悩みようがない(笑)。「心配する」という言葉もなかった。幸せな彼らにキリスト教は不要であった。

「学ぶ」とは「出会う」ことなのだろう。そこに劇的な変化が訪れる。魂が触れ合うようなコミュニケーションが人を自由にする。その瞬間を読者はまざまざと見ることができる。

 溌剌(はつらつ)さや瑞々(みずみず)しさを失った学問が多い。老人の手慰みのような知識に私は興味がない。学問も宗教も人間を自由にするのが目的であったはずだ。そんな当たり前のことに気づかされる。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット
みすず書房
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2015-03-20

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫


『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 ・グローバリズムと共産主義は同根
 ・キッシンジャーの軍歴

『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
菅沼光弘
『愛国左派宣言』森口朗

 今、世界にはグローバリズムという妖怪が徘徊しています。今から160年以上も前にカール・マルクスが、共産主義という妖怪の徘徊を宣言して以来、世界の歴史はこの妖怪に翻弄されてきました。東西冷戦が自由主義陣営の勝利で終了し、やっと共産主義の脅威が消滅し世界は平和になったと信じられていましたが、今またグローバリズムという新たな妖怪に世界が翻弄されているのです。
 ところが、このグローバリズムと共産主義は根は一つなのです。グローバリズムは、物、金、人の国境を超えた自由な移動を実現することによって、世界を自由主義経済で統一しようとする運動です。共産主義とは、世界各国に私有財産を否定する共産主義独裁政権を樹立することによって、世界を共産主義で統一しようとするイデオロギーです。一見すると、グローバリズムと共産主義は正反対のイデオロギーのように感じられます。
 グローバリズムの主役は、民間の国際銀行家やこれと結びついたグローバル企業であり、彼らは政府の規制を排して自由に経済活動を行うことを求めています。他方、共産主義は、労働者の前衛を自称する共産党が、国家の上にあって国家や人民を独裁的に支配する体制です。このように、双方とも国家や政府の規制の及ばない独占的権力を保持している点で、類似性があります。
 また、この二つのイデオロギーは国民国家を超えた世界全体を対象としていること、すなわち国際性を有していることに共通性があります。共産主義者もグローバリストも国際主義者なのです。加えて、共産主義者もグローバリストも唯物思想の権化です。唯物思想で世界を解釈しているため、市場競争であれ、権力闘争であれ、勝ったものが正義であり、すべてに君臨するという結論に行き着きます。私有財産は大富豪は所有できますが、貧困大衆は自らの自由になる私有財産を事実上所有していないのと同じです。共産主義体制の下では、特権的政治エリートは国富の形式的な所有権は保持していなくても、無制限的な使用権を持っていますが、被支配階級は富の使用権を持っていません。一握りの特権階級(富豪)と膨大な貧困大衆の二極に分裂した社会は、共産主義社会であれグローバル資本主義社会であれ、本質的に同じ支配構造にあるといえます。
 このように、共産主義もグローバリズムも、特権エリート階級と貧困大衆という超格差社会を生み出す点で同じものなのです。この超格差社会化が今世界的規模で進行しています。世界がグローバル経済化するということの究極的意味は、特権的民間資本による世界政府が樹立という想像を絶する世界の出現です。

【『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(ビジネス社、2014年)/総和社、2012年『国難の正体 日本が生き残るための「世界史」』改題】

 東日本大震災以降、尊皇攘夷の雰囲気が強まっている。最初のきっかけは北朝鮮による拉致被害者の帰国であった(2002年)。中央情報機関を持たぬ日本政府の無能と無責任を国民は思い知らされた。次は2008年4月26日に長野で行われた北京五輪の聖火リレーであった。フリー・チベット運動がリレーを妨害したのだ。この行為によって中国共産党によるチベット弾圧が明るみに出た。そして2005年には竹島を巡って韓国で反日運動が激化。これを受ける格好で中国においても日本の国連安保理常任理事国入り反対の署名活動が大々的に行われた。2010年には尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こる。

 この間に、中国で四川大地震(2008年)、日本では東日本大震災(2011年)、韓国ではフェリー転覆事故(2014年)などの災害や事故も関係改善の一助とはならなかった。

 ウェブ上にはネトウヨが出現し、ニュースではヘイトスピーチ問題が取り上げられるようになった。私が歴史認識に目覚めたのは昨年のことだ。20~30冊の本を読んで完全に目から鱗(うろこ)が落ちた。どっさりと。

 結局、第二次世界大戦の延長線上に今日の世界の枠組みがあり、戦争に勝利を収めたアメリカを中心とする連合国が大手を振って歩いているのだ。国際連合は「United Nations」の訳語だが直訳すれば連合国でもある。

 朝日新聞が大好きな「地球市民」や「世界市民」なる言葉も、左翼が掲げる天皇制打倒を思えば、日本人の民族性を漂白するところに目的があるのだろう。



大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

2015-03-19

宗教とは




 かっぱ君は私の妹分である。若くはないことを断言しておこう。彼女は意図しないで書いたのだろうが、実はここに宗教機能のメカニズムがある。価値観は元より【判断】や【感情】のバックグラウンドで機能するアプリケーションが宗教なのだ。すなわち宗教は腹話術師であり、信者は人形といえる。ご親切に頼んだ覚えのない聖教新聞が配達されるわけだよ。信仰とは飛んでいるかいないかわからぬWi-Fiを信じる行為だ。その意味では電波系と言ってよい。新聞が届くという点では共産党も一種の宗教と考えるべきだろう。特定の思想・信条・宗教は喜怒哀楽を操作する。直ちにアンインストールせよ。部分的な真実だけを採用するのが正しいと思われる。

宗教OS論の覚え書き

2015-03-18

新世界秩序とグローバリズムは単一国を目指す/『われら』ザミャーチン:川端香男里訳


『木曜の男』G・K・チェスタトン

 ・新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す
 ・ディストピア小説の元祖

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳

必読書リスト その五

   覚え書 1

      要約――ある布告。最も懸命なる線。ポエム。

 今日の【国策新聞】にのっている記事を、一語一語そのまま書き写しておく。

「120日後に宇宙船《インテグラル》の建造が完成する予定である。最初の《インテグラル》が宇宙空間へ高高と飛翔(ひしょう)する偉大なる歴史的時間はせまっている。今を去る1000年前、諸君らの英雄的な先祖は全地球を征服して【単一国】の権力下においた。さらにより光栄ある偉業が諸君の眼前にある。ガラスと電気の、火を吐く《インテグラ》によって、宇宙の無限の方程式がすべて積分(インテグレート)されるのである。他の惑星に住んでいる未知の生物は、おそらくまだ【自由】という野蛮な状態にとどまっていようが、諸君は理性の恵み深い【くびき】に彼らを従わせねばならない。数学的に正確な幸福をわれらがもたらすことを彼らが理解できぬとしたら、われらの義務は彼らを強制的に幸福にすることである。しかしながら、武力に訴える前に、われらは言葉の威力をためしてみよう。
【恩人】の名において、【単一国】の全員数成員(ナンバー)に布告する――
 自ら能力ありと自負するものは、すべて、【単一国】の美と偉大さに関する論文、ポエム、宣言(マニフェスト)、頌詩(オード)、その他の作品を作成せねばならぬ。
 これは《インテグラル》が運搬する最初の積荷となる。
【単一国】万歳! 員数成員万歳! 【恩人】万歳!」

 これを書いていると頬がほてってくるのを感ずる。そうだ、全世界の壮大な方程式を積分(インテグレート)するのだ。野蛮な曲線を伸ばし、真っ直ぐにし、切線・漸近線・直線に近づけるのだ。なぜなら、【単一国】の線は直線だからである。偉大で神聖な、正確で賢明な直線は、最も賢明なる線なのである……

【『われら』ザミャーチン:川端香男里〈かわばた・かおり〉訳(講談社、1970年/講談社文庫、1975年/岩波文庫、1992年:小笠原豊樹訳 集英社、1977年/原書、1927年)】

 読書日記にも書いた通り、@taka0316y7氏のアドバイスに従い、川端訳を選んだのが正解であった。あまりにも素晴らしいので、冒頭部分をそっくり抜粋した次第である。

 ディストピアの代表作を原著刊行年代順に列挙しよう。

・『「絶対」の探求』バルザック、1834年
・『木曜の男』G・K・チェスタトン、1908年
・『絶対製造工場』カレル・チャペック、1922年
・『われら』ザミャーチン、1927年チェコ(ソ連で発表できず)
・『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー、1932年
・『動物農場』ジョージ・オーウェル、1945年
・『一九八四年』ジョージ・オーウェル、1949年
・『華氏451度』レイ・ブラッドベリ、1953年

 バルザックとチャペックは敢えて加えておいた。

 ディストピア(ユートピア〈理想郷〉の反意語)の特徴は完全な管理社会にあると一般的には考えられているが、合理性を突き詰めた世界と捉えるのが正しいと思う。

 自由を主体性と置き換えてみよう。個人の意志や情念は理不尽なものだ。その理不尽が信仰に辿り着く。信仰は情念を満たすが人を蒙昧(もうまい)にする。一方、人々が完全に合理的な行動をとるようになれば、全ての人々は置き換え可能となる。いずれにしても主体性は喪失する(※と宮台真司が話していた)。

 合理性を極めると人間は「全員数成員(ナンバー)」となる。単なる数字(員数〈いんずう〉)だ。これは決して別世界の話ではない。例えば兵士・得票数・視聴率・交通事故の死者数、世論調査などの平均値・数値・比率は我々一人ひとりをナンバー(数字)として扱っているではないか。


「【恩人】」とは絶対的権力者である。浦沢直樹作『20世紀少年』の「ともだち」(世界大統領)だ。オーウェルの『一九八四年』は社会主義国家を風刺した作品と紹介されるが、システムへの絶対的信頼という点において宗教的でもある。「【恩人】」(本書)、「ビッグ・ブラザー」(『一九八四年』)、「ナポレオン」(『動物農場』)、「ムスタファ・モンド」(『すばらしい新世界』)は政治的には独裁者であり、宗教的には教祖である。

 私は数年前から組織宗教と社会主義国家の類似性に気づいた。熱烈な信者と熱烈な中国共産党員は同じ表情をしている。彼らは情熱的であり、ファナティックでもある。スターリン統治下のソ連でも、魔女狩りが行われていたヨーロッパでも、密告が奨励されていた。異端や裏切りに対する苛烈さも完全に一致する。

 新世界秩序(ニューワールドオーダー)という言葉はグローバリズムに置き換えられた。諸外国で大使を務めた馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉が国際主義というキーワードで、アメリカの政府首脳が左翼であったと驚くべき指摘をしている。しかもその根底にはユダヤ人の価値観が見て取れるという(『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』ビジネス社、2014年/総和社、2012年『国難の正体 日本が生き残るための「世界史」』改題/『世界を操る支配者の正体』講談社、2014年)。彼らが憎み、唾棄し、嫌悪するのはナショナリズムである。その筆頭がプーチン大統領と安倍首相だ。

 TPPもこうした流れで捉えるとよく理解できる。今後の流れとしては今年あたりからドルが下がり始め、数年でドル崩壊のレベルにまで下がり続け、そのタイミングで世界単一通貨(通貨統合)のテーマが出てくるはずだ。詳細については宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉の書籍を参照せよ。

 これからもイスラム国のような過激派およびテロを誘引しながら世界の危機を演出し、世界統一政府すなわち「単一国」を目指す動きが止まることはないだろう。そのエポックメイキングとなるのはたぶん日中戦争である。

「ポエム」は芸術を象徴しており、人々の感情を礼賛で覆い尽くし、その反動で憎悪を駆り立てる。現代社会でいえば映像と音楽だ。「ポエム」を恐れよ。そこに「ポイズン」(毒)が隠されている。

われら (岩波文庫)[新装版]国難の正体 ~世界最終戦争へのカウントダウン世界を操る支配者の正体

2015-03-15

馬渕睦夫、池田清彦、養老孟司、田中英道、他


 5冊挫折、1冊読了。

編集狂時代』松田哲夫(本の雑誌社、1994年/新潮文庫、2004年)/松田哲夫は「ちくま文学の森」を編んだ人物。蒐集(しゅうしゅう)と編集の遍歴。文章は読みやすく、滲み出る狂気も好ましい。しかしこちらのギアがはまらず。

一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平(朝日新聞出版、1983年/文春文庫、1987年)/山本の文章が苦手である。老獪(ろうかい)な体臭を感じる。読み手をコントロールしようとする意図が透けて見える。帝国陸軍の病巣を自己の体験から捉えた作品だが小室直樹ほどの合理性がない。体験は認知の歪みをはらむ。部分から全体を描くのは困難な作業だ。

決算書はここだけ読め!』前川修満〈まえかわ・おさみつ〉(講談社現代新書、2010年)/これは後回し。今読んでも頭に入らないため。

戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』田中英道(展転社、2011年)/学者のせいか文章が読みにくい。チャンネル桜の討論に登場するが、あの語り口を思わせる文章である。独り言っぽい雰囲気で、相手を説得しようとする意志が感じられない。たぶん論証に重きを置いているためなのだろう。ルーズベルト大統領は左翼であるとの指摘あり。馬渕睦夫をフォローする人は読んでみるといい。

ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司(新潮社、2008年)/粗製濫造気味。養老の部分はインタビューだろう。話し言葉となっている。『正義で地球は救えない』がよかっただけに精彩を欠く。

 20冊目『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)/書評でも触れたがアメリカが左翼に支配されている構造を歴史的に辿る。国際主義はユダヤ人の価値観に基づくもので、米ソが同根から生まれたとする見方が斬新だ。ただし物語としては大変面白いのだが、回顧録などの書籍情報に拠(よ)っているため、絵としてのオリジナリティが色褪せる。そしてややもすると筆致が陰謀論に傾く悪い癖が見受けられる。馬渕もチャンネル桜でお馴染みだが、やはり彼の話しぶりがそのまま文章に反映している。言葉が弱い。内容は駐ウクライナ兼モルドバ大使が綴るウクライナ問題となっていて時宜を得た一冊。

2015-03-14

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 ・神を討つメッセージ
 ・都市革命から枢軸文明が生まれた

『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治

 イスラエルのヘブライ大学の日本研究者であるS・N・アイゼンシュタットは、超越的秩序と現世的秩序の大な水の中で、日本文明の特質を解明しようと試みた(『日本比較文明論的考察』梅津〈うめつ〉順一、柏岡富英訳、岩波書店、2004年)。アイゼンシュタットは日本文明の歴史的経験の大きな特徴は、「現在にいたるまで持続的・自律的に波瀾に満ちた歴史をもつ」ことだという。
 カール・ヤスパース(1883-1969)は、文明と呼べるのは超越的秩序としての巨大宗教や哲学をもった「枢軸文明」だけであると指摘した(『歴史の起源と目標』ヤスパース選集9、重田英世〈しげた・えいせい〉訳、理想社、1964年)。その代表がユダヤ・キリスト教のイスラエル文明、ギリシャ哲学のギリシャ文明、仏教のインド文明、儒教の中国文明だ。それは伊東俊太郎氏(『比較文明』東京大学出版会、1985年)のいう精神革命を成しとげたところでもある。
 伊東氏は、こうした精神革命をな(ママ)しとげたところは古代の都市革命の誕生地に相当しており、これらの超越的秩序は、都市文明の成熟を背景として成立したと指摘した。したがって、伊東氏の説を逆に解釈すれば、超越的秩序を生み出す精神革命を体験しなかったところでは、都市文明は誕生しなかったことになる。

【『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲〈やすだ・よしのり〉(ちくま新書、2006年)】

 日本を独自文明とするかシナの衛星文明とする二つの見方がある。尚、今後当ブログでは社会主義化以降を中国、それ以前をシナと表記する。理由については以下のリンクを参照されたい。

シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
支那呼称問題・「中華」「中国」は差別語、「支那」「シナ」が正しい・「支那」は世界の共通語・【私の正名論】評論家の呉智英・「中華主義」と「華夷秩序」という差別文明観を込めた「中国」を日本にだけ強要

 中華思想は「世界の中心地」を意味するゆえ、日本人が安易に「中国」と呼べば、精神的・文化的に属国となりかねない。

「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一

 シナ文明が中国共産党によって途絶えたことと、日本の200年以上に及ぶ鎖国(1639-1854)の歴史を踏まえると「独自文明」の色合いが強まる。

 このテキストについては元々紹介するつもりはなかったのだが、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉著『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』『世界を操る支配者の正体』を補強する内容であることに気づいた。馬渕はソ連をつくったのはユダヤ人であり、建国当初からアメリカ国内に左翼勢力がうごめいていた事実を指摘。そこから国際主義者=左翼であることを示し、思想的な背景にユダヤ教の影響があると考察する。つまり世界各地に離散(ディアスポラ)したユダヤ人がユダヤ的価値観に基いて国際主義を鼓吹(こすい)した結果が現在のグローバリゼーションに至るわけだ。

 儒教が都市から生まれたことは養老孟司〈ようろう・たけし〉がよく指摘するところである(『養老孟司の人間科学講義』)。「子、怪力乱神(かいりきらんしん)を語らず」とは孔子が自然を相手にしなかったことを意味すると。

 都市革命という視点を私は欠いていた。郷村から人々が自由に移動を始め、ある地域に集まった時、ローカル(地方)を超えた概念が必要となる。つまり「脱民俗」というベクトルが結果的に世界へと向かったわけだ。ヒト社会における群れから都市への革命は脳内をも一変させたことであろう。言葉も書き換えられたことは容易に想像がつく。

 思想的に捉えると日本の都市化が始まったのは日本仏教が花開いた鎌倉時代とするのが妥当かもしれない。


シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2015-03-13

目撃された人々 62


「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった
 ・右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか?
 ・意思決定そのものがストレスになる

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この説によれば、意識は何ら活動しておらず、実際、何もすることはできないという。ハーバート・スペンサー(訳注 1820-1903、イギリスの哲学者)は、厳密な進化論と矛盾しないためにはこのように意識を一段低く見るしかないとした。現実的な実験主義者の多くは今なお彼と意見を同じくしている。動物は進化し、その過程で神経系やその機械的反射作用の複雑性が増す。神経がある一定の複雑性に達すると、意識が生まれ、この世界の出来事をただ傍観者として眺めるだけの、救いのない行動を始めるというのだ。
 私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 トマス・ヘンリー・ハクスリーは王立協会の会長を務めた人物で、オルダス・ハクスリーの祖父に当たる。彼もまたダーウィンの進化論を支持した。この文章は意識に対する様々な見解を紹介している件(くだり)なのだが、実は意識が「何であるのか」すらもわかっていない。

 ともすると意識を高等なものと考えがちだが、ただ単に意識という反応があるだけなのかもしれない。

 私は毎度書いている通り、「生とは反応である」との持論をもつゆえに異論はない。ただし教育と努力の可能性を考える必要があろう。

 チンパンジーの社会では力の強い者がボスとして君臨する。ボスが老いたり、弱ったりすれば若いオスがボスをこてんぱんにする。文字通り暴力が支配する世界だ。時には2位とそれ以下のチンパンジーが徒党を組んで襲うケースもある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 ヒトの場合ももちろん体が大きくて力の強い者が優位である。子供社会を見れば一目瞭然だ。しかしながらヒトの場合、努力で力に対抗し得る。例えば空手・柔道・システマなどを習えば、その【技術】によって生まれついた力の差を克服できるのだ。

 そして高度に発達した社会では力よりも知性の優れた者が後世に遺伝子をのこす確率が高まる。具体的には人々を動かす政治力であり、時には人を騙す能力となる。「嘘をつく」というのは知的に高度な行為であることを見逃してはなるまい。

 こう考えてみると、教育の本質が「技の獲得」にあることが見えてくる。

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 近代の歴史とも見事に符合する。中世以降、宗教が後(おく)れをとったのもここに理由があると思われる。科学的視点を欠いた宗教は「秘伝」を重んじて、「技能」を軽視したのだろう。キリスト教においてはプロテスタントが登場するまで聖書すら「秘伝」であった。これまた16世紀の歴史である。

術とはアート/『言語表現法講義』加藤典洋

 そして中世に「マネー」が生まれた。

マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康

 もちろん貨幣経済は古くから存在したが信用創造という概念はなかった。ユダヤ人の金貸しが発行した預り証が紙幣の原型であり、彼らは更に為替・証券・債権を誕生させ、銀行・保険・株式会社をつくり上げる。

 資本主義は資本がすべてであり、あらゆるものが商品化されるシステムだ。欲望まみれの社会で生き残るのはカネを掴んだ者だ。幸福は金額と化す。我々の生き方や脳はマネーに支配されている。マネーこそは中世以降、完全に世界を征服した宗教といっても過言ではない。単なる約束事であるにもかかわらず、誰もがその存在と価値を信じ込んで疑うことがないのだから。

 現代社会はマネーに対する反応で動いている。そしてグローバリゼーションという名の下で、明らかに経済が政治よりも優位性を強めている。多国籍企業が持つ力は既に国家を凌駕しつつある。

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

「意識を持つ自動人形」をやめることは可能だろうか? 極めて困難だ。我々が小説や映画やドラマ、漫画などを好むのは、「感情を操られたい」願望がある証拠だろう。学校や企業では「自動」の速度や合理化を競っている節すら窺える。

 ではどうするのか? 「止まる」ことだ。動くのをやめて止まればいい。そして心の動きまで止めてしまう。これを止観(しかん)という。そう。瞑想だ。本当に生きるためには死の淵まで降りる必要がある。瞑想は時間を止める行為でもある。三昧に至れば欲望は洗い落とされる。ま、至っていない私が言うのも何だが。


あたかも一角の犀そっくりになって/『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

2015-03-12

勉強用BGM


 これはいいものを見つけた。書評を書く時に流す。シナプスの発火を促進してくれることだろう。







小室直樹、デイヴィッド・マレル


 3冊読了。

 17冊目『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹(講談社、2000年/講談社+α文庫、2001年)/こういう本が読みたかったのだよ。日本がなぜ大東亜戦争に敗れたのか、そしてどうすれば勝てたのかを緻密に検証する。組織論・システム論・戦術論からゼロ戦に至るまでが考察されている。検証はロシア戦争にまで及び、かの戦争が奇蹟的な勝利であったことまで明かす。小室直樹はゴリゴリの合理主義者であってイデオロギーとは無縁の人物だ。文章の臭みは相変わらずだが、天才的な観察力を遺憾なく発揮している。『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』で示した小室理論がわかりやすく展開されている。

 18冊目『一人だけの軍隊 ランボー』デイヴィッド・マレル:沢川進訳(ハヤカワ・ノヴェルズ、1975年/ハヤカワ文庫、1982年)/再読。20年以上前に一度読んでいる。電車に持ち込み、あまりの面白さに降りる駅を通り過ぎてしまったことを覚えている。マレルが大学教授だったとはね。今読むとそれほどでもないのだが、1972年刊行(原著)という時期を思えば、やはり後続に与えた影響は大きい。ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』だってランボーのスケールを小さくしたようなものと見えなくもない。ティーズルという片田舎の警察署長は昔のシェリフ(保安官)そのものであり、アメリカを体現しているように感じた。特筆すべきはランボーが「禅の精神」を会得していることで、ラストに至りティーズルとの奇妙な一体感が生まれる。それでも尚、神の物語から脱却できていないところにアメリカの宿痾(しゅくあ)が見える。

 19冊目『ランボー/怒りの脱出』デイヴィッド・マレル:沢川進訳(ハヤカワ文庫、1985年)/こちらも再読。2冊とも1日で読了。映画『ランボー/怒りの脱出』のノベライゼーション。巧みだ。荒唐無稽な展開を支える材料がしっかりしている。ランボー独特の瞑想シーンまで描かれている。ま、映画が先行しているため細かいことは言うまい。大体、ランボーは前作で死んでいるのだから(笑)。プロットはCIA官僚vs.ランボーである。トラウトマン大佐が組織人の哀しさを象徴している。だがランボー自身も最後はマードックを殺さなかった。ここは絶対に殺さなければいけない場面である。自分になされた仕打ちへの報復ではない。この人物がいる限り犠牲者が出るためだ。舞台はベトナムで前作同様、アジアへの憧れが匂い立つ。

2015-03-11

認識と存在/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった
 ・右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか?

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 何世紀にもわたって人々は考察と実験を重ね、時代によって「精神」と「物質」、「主体」と「客体」、「魂」と「体」などと呼ばれた二つの想像上の存在を結びつけようと試み、意識の流れや状態、内容にかかわる果てしない論考を行ない、様々な用語を区別してきた。そうした用語には「直観」(訳注 論証を用いないで対象を一挙に捉えること)、「センス・データ」(訳注 感覚を通じて意識に上るもの。イギリスの哲学者ジョージ・ムーアや同じくイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの用語)、「所与」(訳注 外界から直接与えられるもの)、「生(なま)の感覚」(訳注 経験そのものから受ける主観的な感覚)、「センサ」(訳注 感覚のこと。イギリスの哲学者C・D・ブロードの造語)、「表象」(訳注 頭の中に現れる外的対象の像)、「構成主義者」(訳注 ドイツの心理学者ヴィルヘルム・ヴントなど)の内観における「感覚」や「心像」や「情緒」、科学的実証主義者(訳注 フランスの哲学者オーギュスト・コントなど)の「実証データ」、「現象的場」(訳注 アメリカの心理学者カール・ロジャース(ママ)が唱えた経験の主観的現実)、トマス・ホッブズ(訳注 1588-1679、イギリスの政治思想学者)の「幻影」(訳注 ホッブズは著書『リヴァイアサン』の中で、人が眠っていると気づかずに見る幻や幻影の話をしている)、イマヌエル・カント(訳注 1724-1804、ドイツの哲学者)の「現象」(訳注 カントは、私たちが経験するのは物ではなくその現象であるとし、現象に客観的現実を認めようとした)、観念論者の「仮象」(訳注 ドイツ観念論の頂点に立つ哲学者W・F・ヘーゲルは、カントの主観的な仮象と客観的な現象の二分法を退け、仮象も本質の現れであるとした)、エルンスト・マッハ(訳注 1838-1916、オーストリアの物理学者、哲学者)の「感性的諸要素」(訳注 マッハは、世界は色や音などの感覚的諸要素から成り立っていると考えた)、チャールズ・サンダース・パース(訳注 1839-1914、アメリカの論理学者)の「ファネロン」(訳注 パースの造語で、現象を意味する)、ギルバート・ライル(訳注 1900-76、イギリスの哲学者)の「カテゴリー・ミステイク」(訳注 ライルは、別のカテゴリーに属するものを同等に論ずることはできないとした)などがある。しかし、これらすべてをもってしても、意識の問題はいまだに解決されていない。この問題にまつわる何かが解決されることを拒み、しつこくつきまとってくる。
 どうしても消え去らぬのは差異だ。それは他者が見ている私たちと、私たち自身の内的自己観やそれを支える深い感覚との差異、あるいは、共有された行動の世界にいる「あなたや私」と、思考の対象となる事物の定めようのない在りかの差異だ。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 哲学の世界では近代から現代にかけて「認識論から存在論へ」という流れがあり、第一哲学へと回帰した。ところが1990年代に花開いた脳科学からは認知科学が実を結び、心理学もこれを追随している。

「『在る』とはどういうことか?」とパルメニデス(紀元前500年か紀元前475年-?)は考えた。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)。変化するものを「在る」とすることはできない。彼はそう考えた。まったく厄介なことを考えたものだ。そこからイデアや創造神に向かうのは必定である。「在るものがあるはずだ」ってなことだ。

 仏教において人間の存在は五蘊(ごうん/色・受・想・行・識)という要素が構成するものとして見る。考えるのではない。見るのだ。色蘊(しきうん)は肉体、受・想・行・識はそれぞれ、感受・表象・意志・認識作用を意味する。自我を構成するのは五蘊であり、更に深く潜ると無我に至る。そして世界は無常を奏でる。一生という限られた時間の運動は認識に極まる(唯識)。ということは何もないのか? いや、ある。縁起という関係性があるのだ。

 西洋哲学が存在に固執するのは神(≒自我)への愛着から離れることができないためだろう。言葉をこねくり回して難しさを競うよりも、素直に仏教を学ぶべきだ。

2015-03-10

風は神の訪れ/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

 ことばの終りの時代に、神話があった。そして神話は、古代の文字の形象のうちにも、そのおもかげをとどめた。そのころ、自然は神々のものであり、精霊のすみかであった。草木(くさき)すら言(こと)問うといわれるように、草木にそよぐ風さえも、神のおとずれであった。人々はその中にあって、神との交通を求め、自然との調和をねがった。そこでは、人々もまた自然の一部でなければならなかった。
 人々は風土のなかに生まれ、その風気を受け、風俗に従い、その中に生きた。それらはすべて、「与えられたるもの」であった。風気・風貌・風格のように、人格に関し、個人的と考えられるものさえ、みな風の字をそえてよばれるのは、風がそのすべてを規定すると考えられたからである。自然の生命力が、最も普遍的な形でその存在を人々に意識させるもの、それが風であった。人々は風を自然のいぶきであり、神のおとずれであると考えたのである。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 風は変化を告げる。季節を巡る大きな風には春一番・青嵐(あおあらし)・台風・木枯らしなどがある。日本語には驚くほど豊かな風の名称がある(「風の名称辞典」を参照せよ)。その時々に神々を感じ、見出したのだろう。

「草木(くさき)すら言(こと)問う」というのは『日本書紀』に書かれているようだ。問うは「ものを尋ねる」というよりも「主張する」との意味であろう。古代人の不安が浮かび上がってくる。それゆえに「自然との調和をねがった」のだ。

 余談ではあるが「言(こと)問う」という耳慣れぬ言葉は東京墨田区の橋の名前(言問橋〈ことといばし〉)として辛うじて残る。「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(在原業平)の歌に由来する。

 自然は音で溢(あふ)れている。芸能山城組を主宰する大橋力〈おおはし・つとむ〉は、都会よりも森の方が賑やかな音で溢れている事実を明らかにした(『音と文明 音の環境学ことはじめ』)。風も音も振動である。耳と皮膚を直接刺激する。風と音に包まれた世界は神を皮膚感覚で捉えた世界でもあった。

 中国では古くから「気」を重んじた(陰陽五行説、気功など)。気はエネルギーであり、伝わる性質を有する。「気」と「風」の共通点や違いも考察に値するテーマだ。

 明日で東日本大震災から4年が経つ。まだまだ心の傷や経済的な打撃から立ち直るのが困難な人も多いことだろう。我々は大自然の猛威の前に為す術(すべ)を持たない。もちろん天罰などというつもりはないが、祝福ではないこともまた確かだ。文明の進歩は自然に対する畏敬の念を薄れさせた。震災が伝えたのは、「海と大地を畏(おそ)れよ」「海と大地を敬え」とのメッセージではなかったか。政府にも東電にも責任はある。だが根本的には一人ひとりが自然と向き合う姿勢を変える必要があるように思えてならない。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

2015-03-09

言霊の呪能/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

 古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。文字は、ことだまの呪能をそこに含め、持続させるものとして生まれた。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

「呪」には「のろう」と「いわう」の二義がある。「祝」の字が作られたのは後のこと。最古の漢字である甲骨文字は占いとその結果を記録している。つまり神意を占った王の正しさを残すものであった。王は神と交通する存在である。神(精霊)は自然を通して人間を寿(ことほ)ぎ(※いわい)、そしてある時は罰する(※のろう)。自然の変化は神々の意志を伝えるものであった。我々日本人には馴染みのある世界観である。ここが西洋とは決定的に異なるところだ。

 文字には力がある。文字は人を動かす。神札は力を失ったように見えるが、セコムやアルソックのステッカーは効果を発揮している。誰だって好きな相手からラブレターをもらえば有頂天になるし、「壱万円」と印刷された紙切れを万人が大切に扱う。自衛隊がイラクへ派遣された際、車両に「毘」の文字がマーキングされた。武神である毘沙門天から取ったものだ。時代は変わり様式は変わっても呪能は確かに息づいている。

 日蓮は絵像・木像を徹底的に斥(しりぞ)け、自ら文字によるマンダラを創作した。


 絵像・木像は偶像(アイドル)である。偶像はアイコンとして機能する。偶像は神仏を象徴するものであって神仏そのものではない。だが人々の感情が偶像を実体化へ導く。偶像崇拝とはフェティシズム(呪物崇拝)を意味する。つまり目的と手段の混同である。

 日蓮は鎌倉時代にあって最も多くの書簡を残したことでも知られる。彼は言葉の呪能を知悉(ちしつ)していたのだろう。そうであったとしてもマンダラがアイコンを超脱することにはならない。日蓮はわかりにくいマンダラを創作したがために、わかりやすい現世利益を説いた可能性もある。尚、日蓮のマンダラには梵字(サンスクリット文字)まで書かれている。

 甲骨文字は亀の甲や牛・鹿などの肩甲骨に書かれた。書かれたというよりは刻印されたとするべきだろう。そうした行為を促した力そのものが呪能とも考えられる。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

機械の字義/『青雲はるかに』宮城谷昌光

神話には時間がなかった/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

 神話は、このようにしてつねに現実と重なり合うがゆえに、そこには時間がなかった。語部(かたりべ)たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、いま、かくあることの根拠として、それを示すためのものであった。しかし古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、王が現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。王の権威は、もとより神の媒介者としてのそれであったとしても、権威を築きあげるには、その根拠となるべき事実の証明が必要であった。神意を、あるいは神意にもとづく王の行為を、ことばとしてただ伝承するのだけでなく、何らかの形で時間に定着し、また事物に定着して、事実化して示すことが要求された。それによって、王が現実の秩序者であることの根拠が、成就されるのである。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 つまり民俗宗教から王朝型(≒都市型)宗教へと変遷する過程で「文字」が必要となったということなのだろう。すなわち「文字」とは歴史そのものである。権力の正当化を後世に示す目的で生まれたと理解することができる。

 それにしても神話には「時間がなかった」という指摘が鋭い。神話は現在進行形のメディアであった。そこに「再現可能な時間」を付与したのが文字なのだ。こうして神話は歴史となった。ヒトの脳は伝統に支配され、人類は歴史的存在と化したわけだ。

 ヒトの群れは文字によって巨大化した。文字の秘めた力が国家形成を目指すのは必然であった。インターネット空間も文字に覆(おお)われている。世界宗教も文字から生まれたと見てよい。

 文明を象(かたど)っているのも文字である。であれば英語化による文化的侵食を食い止める必要があろう。言葉の衰退が国家の衰亡につながる。英語教育よりも日本語教育に力を注ぐべきだ。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

2015-03-08

言葉と神話/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。そこでは、すべての重要ないとなみは、神話的な事実を儀礼としてくりかえし、それを再現するという、実修の形式をもって行なわれた。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 碩学(せきがく)が60歳で著した第一作である。その独自性ゆえ学界の重鎮たちから非難の声が上がった。白川学は異端として扱われた。

 しかしたとえば立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的閉鎖の際も、それまでと全く同様、午後一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。
 団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。
 その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。たった一人の偉丈夫の存在が、その大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。

【『わが解体』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(河出書房新社、1971年/河出文庫、1980年)】

 高橋和巳を立命館大学の講師として採用したのは白川であった。尚、白川本人は「殴られたのではない。殴られかけて逃げたというのが真相だ」と語っている。「象牙の塔」は悪い意味で用いられるが、一道に徹する姿勢が凄まじい。

 西洋キリスト教世界においては「言葉が全て」である。彼らは「言葉にならない世界」を断じて認めない。それゆえ言葉は形而上を目指して人間から遠ざかっていったのだ。フロイトが着目した深層心理が目新しいものとして脚光を浴びたのも、こうした背景があるためだ。あんなものは唯識の序の口のレベルである。

 書くことは、欠く、掻く、画く、描くに通じるかくこと。土地をかくことが「耕」。「晴耕雨読」は、耕すことが書くことを含意し、東アジア漢字(書)言語圏に格別の言葉である。

【『一日一書』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(二玄社、2002年)】

 尚、神話と意識のメカニズムについては、ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』が詳しい。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)一日一書

2015-03-04

2015-03-03

中村元


 1冊読了。

 16冊目『東西文化の交流 日本の思想I 中村元選集〔決定版〕別巻5』中村元〈なかむら・はじめ〉(春秋社、1998年)/春秋社から刊行されている「中村元選集〔決定版〕 全32巻/別巻8」の1冊。旧版だと「中村元選集全10巻」の第9巻となる。日本文化に及ぶインドの影響、華厳経の諸法実相についてなど。専門的な内容なので一般人には不向きだ。「華厳経は法華経より後に成立したらしい」との指摘がある。結論を述べると諸法実相は縁起を意味している。ただし三法印との関連については触れてないためかなり物足りない。

本物の歌/「おばぁ」下地勇


 @taka0316y7さんのツイートで下地勇〈しもじ・いさむ〉を知った。タイプは全く異なるが「本物の歌」という点では新井英一〈あらい・えいいち〉に伍すると思う。和製フォルクローレというよりも、宮古フォークとストレートに表現すべきかもしれない。どの芸術においても本物は単独のジャンルとして際立つ。下地の声は笛の音を思わせる。甘いマスクなのでもっと人気が出ていい。「おばぁ」は古謝美佐子〈こじゃ・みさこ〉の「童神」(わらびがみ)に匹敵する名曲だ。

クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」


クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
・クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」

 神経が冴えて眠ることができない。注意深く聴くとわかるが、クリシュナムルティは対談においても講話においても全く同じ話しぶりである。彼にとっては講話もまた対話なのだろう。時折、自分の内側を見つめるかのように目を閉じるのも同じである。講話の際、クリシュナムルティは自らのことを常々「スピーカー」(話し手)と称した。彼の存在を一言でいえば、「そこに清らかで情熱的な振動がある」としか言いようがない。彼は波動である。


(※字幕表示と字幕の日本語への自動翻訳




断片化の要因/『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ

2015-03-02

クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」


クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
・クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」

 ここで繰り広げられているのは「語る瞑想」であり「聴く瞑想」である。傾聴とは完全なコミュニケーションを意味するのだろう。クリシュナムルティは専門用語や難解な言葉を一つも使わずに「生の全体性」を解き明かす。

クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」


クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
・クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」

 鮮烈な「問い」が放たれる。クリシュナムルティの前では超一流の科学者であるデヴィッド・ボームやルパート・シェルドレイクでさえ、我々と同じ凡人に見えてしまう。ブッダもまた「問う人」であった。クリシュナムルティが説く「イメージ」は、トール・ノーレットランダーシュが解明した「利用者の錯覚」(ユーザーイリュージョン)と一致する。

2015-03-01

クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」


・クリシュナムルティ:心の本質 第1部「心理的無秩序の根源」
クリシュナムルティ:心の本質 第2部「心理的苦痛」
クリシュナムルティ:心の本質 第3部「安心の必要性」
クリシュナムルティ:心の本質 第4部「健全な心とは?」

 デヴィッド・ボーム(理論物理学者)、ルパート・シェルドレイク(生物学者)、ジョン・ヒドレー(精神科医)との座談会。いやあ凄い時代になったものだ。自動翻訳がここまで正確になるとは(公式サイトの動画らしい)。会話が慎重に行われるため、ややもたついた印象を受けるが決してそうではない。真のコミュニケーションはスピードを嫌う。傾聴には一定の速度があるのだ。クリシュナムルティは対談で熱が入ると額にうっすらと汗をかき、神々しいほどの光を発する。「私は伝承を拒絶する」「宗教的信念は束縛である」との言葉が雷のように轟く。「安全への欲求」に対する考察が深められ、そして最後の一言で聴く者は木っ端微塵となる。


自分が変わると世界も変わる/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

2015-02-28

悟りとは


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清
『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド
『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明
『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

密教の原風景/『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド


 ・密教の原風景

『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド
『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン
『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明
・『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

悟りとは

「さて、友人たちよ」
 ローリング・サンダーが口を開いた。
「私はこれからあなたがたにできるだけ明快にお話ししようと思う。私にとって、白人たちとスピリチュアルな問題についての交わりを持つのはこれが最初の機会であり、また私がここに来ることをためらった大きな理由もそこにある。われわれインディアン同士でなら、スピリチュアルなことについて一晩中でも腰をおろして語り合うことはままあることだ。しかしあらかじめここではっきりさせておきたいのだが、私はここでどんな儀礼や聖なる儀式についても、いささかたりとも明らかにするつもりはない。そうしたものは、もともと明らかにされるようなものではないからだ。当然この場でもそれを明らかにするようなことはできない。アメリカ・インディアンには、秘密とされていて一般に明らかにしてはならないようなものがたくさんあるのだ」

【『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳(平河出版社、1991年)】

 ローリング・サンダーの講演から幕が開く。聴衆は精神分析医、心理学者、医師である。ローリング・サンダーは鮮烈なメッセージを放ち、最後に奇蹟を一つ起こしてみせた。

「儀式」と「秘密」とくれば密教である。ローリング・サンダーはメディスンマン(呪術医)であった。

ほんもののメディスンマン: Native Heart

 物事には段階がある。どのような世界でも秘儀や奥義を初心者に教えることはない。誤解や悪用を避けるためだ。


 ローリング・サンダーの言葉から密教の原風景が浮かぶ。拈華微笑(ねんげみしょう)や以心伝心はさほど不思議なことではない。理解は一瞬にして訪れる。

 秘密を権威づけたところに仏教系密教の凋落(ちょうらく)要因がある。密教僧にはメディスンマンほどの自己抑制がなかったのだろう。尚、私は以前から密教には否定的であるが、インディアンのスピリチュアリズム(密教)には惹かれるという奇妙な二面性を持っている。

ローリング・サンダー―メディスン・パワーの探究 (mind books)

2015-02-26

養老孟司、エードゥアルト・フックス


 1冊挫折、1冊読了。

ユダヤ人カリカチュア 風刺画に描かれた「ユダヤ人」』エードゥアルト・フックス:羽田功〈はだ・いさお〉訳(柏書房、1993年)/「表現の自由とテロ」で田中英道が紹介していた書籍。著者は『風俗の歴史』を書いた人物。2巻欠けで私も持っていた。商品としてではあるが。最初は重要だと思った。金融に関して詳しく書かれていたためだ。ところが全編これユダヤ人の悪口である。信憑性にやや疑問あり。原著は1921年刊。語尾の断定調が目立ち、知性を欠いているように見受けられる。たぶん再読することもないだろう。

 15冊目『人間科学』養老孟司〈ようろう・たけし〉(筑摩書房、2002年/『養老孟司の人間科学講義 』ちくま学芸文庫、2008年)/天才本。まったくもって迂闊であった。こんな近くに答えが転がっていたとは。私が長らく抱いてきた疑問・関心・興味に答えてくれる一冊だ。「必読書リスト」と「情報とアルゴリズム」に追加。『カミとヒトの解剖学』の続篇として読むことも可能だ。並みの宗教学者よりも養老の方が格段に上だ。閃きの度合いが違う。情報・言葉・シンボルなどのテーマがずらりと並ぶ。最後の2章はやや蛇足気味ではあるが。

どんなに眠れなくても1分で眠ってしまう方法が凄い!

2015-02-23

認知科学の扉を開く稀有な対談 養老孟司×押井守


 気難しい養老が微笑んでいる。波長のほぼ完全な一致。まず話しぶりがそっくりだ。どちらかというと独り言タイプ。ま、オタクと言い換えてもよろしい。つまり説明能力は高いが対話には向いていない性格だ。2000年に行われたようだが認知科学の扉を開く稀有な対談となっている。この短い時間(45分)で映画論・時間論・哲学論・宗教論にまで言及している。終盤に至って養老は言葉少なである。まるで「話す必要もない」ほどのコミュニケーションが成立しているかのようだ。押井の深き問いは、その中に答えをはらんでいる。かつて何度も見た動画であるが、昨夜再び見て衝撃を新たにした。



脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡ユーザーイリュージョン―意識という幻想意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

2015-02-21

ハクキンカイロが若者に人気


 この冬に使用する「貼るカイロ」は既に購入済みのため、来年手に入れようと思う。

昔懐かしい金属製オイル式カイロ 「燃費性能」で若者に人気│NEWSポストセブン

ハクキンカイロ ハクキンウォーマー スタンダード 1個入 【保温約24時間】ハクキンカイロ ハクキンウォーマー ミニ 1個入 【保温約18時間】
(左がスタンダードで右がミニ)

ハクキンベンジン カイロ用オクダ化学工業 カイロ用ベンジン 500mlx6個 (4971159011567)

ハクキンカイロ 換火口 1個入ハクキンカイロ ピーコック用 取換綿

「カイロベルト チャック付 アソート(ブルー・イエローいずれかとなります)カイロベルトマジック
(左が金具、右がマジックテープ)

ケンコーコム:カイロ用ベルト

 私は腰に着用するので、amazonのレビューを読む限りでは「ミニ」でいいような気がする。そしてかなり熱くなることを考慮すれば、燃焼能力の劣る他社製ベンジンを使えばちょうどよさそうだ。交換部品も紹介したが最初に必要なのは本体とベンジン(1シーズン2本が目安)のみである。

米英情報機関が不正侵入か SIMカード最大手が調査


 米英の情報機関がSIMカード世界最大手の欧州企業「ジェムアルト」(本社オランダ)のコンピューターシステムに不正侵入し、携帯電話による通話やデータ通信の傍受を可能にする暗号化情報を入手していた疑惑が浮上、同社が20日までに調査を始めた。

 同社は年間約20億枚のSIMカードを製造、米国や日本を含め世界中の通信会社の携帯端末に採用されている。疑惑が事実であれば、米英の盗聴活動が広範囲に及んでいた可能性があり、批判が再燃しそうだ。

 米国家安全保障局(NSA)による個人情報収集の調査報道を続けるネットメディア「インターセプト」が19日、米中央情報局(CIA)元職員のスノーデン容疑者が入手した機密文書に基づき疑惑を報じた。

 NSAと英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)の合同チームが2010年ごろ、ジェムアルトのシステムに不正プログラムを埋め込み、いつでも情報を引き出せる仕組みを作っていたという。(共同)

産経ニュース 2015-02-21

SIMカードを標的に - 米NSAと英GCHQ、ゲマルト製品の暗号キーを不正入手(The Intercept報道) - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)
小龍茶館|スノーデンの暴露:米英連合諜報機関が世界中の携帯SIMを根こそぎモニタリングする方法とは

ロバート・ラドラム、馬渕睦夫、池田清彦、養老孟司


 4冊読了。

 11、12冊目『狂気のモザイク(上)』『狂気のモザイク(下)』ロバート・ラドラム:山本光伸訳(新潮文庫、1985年)/琴似駅(札幌市)の隣りにあった三省堂で買ったはずだ。あれから30年も経つのか。これは多分4度目である。前作『暗殺者』は「追われる者」が「追う者」へと変貌する物語であった。本書は逆のパターンになっているが決して焼き直しで終わっていない。追う者がマイケル・ハブロックで、追われる者はかつての恋人でソ連に寝返ったジェンナ・カラス。物語は彼女の殺害シーンから始まる。失意の果てにハブロックはCIAを去る。ところがローマの駅で死んだはずのジェンナ・カラスを目撃する。『暗殺者』よりも構成が複雑な分だけ面白い。ただし主役の二人はやはり個性を欠いて平板。これはラドラムが舞台の仕事をしていたことに起因するものだと思う。つまりプロット(筋書き)優先。一方、脇役は粒揃いだ。かつてレジスタンスの女闘士であったレジーヌ・ブルーサックが特に素晴らしい。これは多分あと何度か読むことになるだろう。

 13冊目『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(総和社、2012年/新装版、ビジネス社、2014年)/馬淵の著書は以前から目に止まっていたのだが、ずっと民主党の代議士だと思っていた(笑)。因みに政治家の方は「馬淵」である。菅沼光弘とほぼ同じ主張である。総和社版を読んだのだが、まあ編集が杜撰だ。編集していない可能性すらある。言葉の重複が目立ち、文章もちょっとあやふやなところがある。序盤でやめようかと思ったほど。が、中盤からギアが入る。やや結論への導き方が強引だが、日本人の目を覚醒させるだけの迫力がある。ロシアとの友好を説くところまで菅沼と一致している。菅沼・馬淵・孫崎享・佐藤優で動画鼎談を行えば、佐藤の正体が判明するのではあるまいか。

 14冊目『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)/文庫化されていないところを見るとまだ売れているのだろう。この二人は本当に頭がよい。前半は「ニセモノの環境問題」というテーマのエッセイで、後半には養老との対談が収録されている。合理的思考の教科書といってよい。科学的視座の鋭さに脱帽。準必読書。

2015-02-20

目的は手段の中にある/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一


世界中の教育は失敗した
手段と目的
理想を否定せよ
創造的少数者=アウトサイダー
公教育は災いである
日本に宗教は必要ですか?
・目的は手段の中にある

 間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。

【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 LSD(幻覚剤)を服用すると悟りとほぼ同じ状態が現れる。側頭葉が活性化するのだ。


 1960年代前半までアメリカではLSDを取り締まる法律がなかった。ヒッピーによって1960年代半ばから始まるサイケデリック・ムーブメントは薬物から生まれたものだ。

 1960年代のロック・ミュージシャンの中には瞑想、ヨガ、ボディ・ビルを始めた人たちが多い。それにも理由がある。それは朝早く起きて、食生活に気を使いながら、坐禅、瞑想、呼吸法などをやると、ドラッグより求めていた同じ効果をよりコントロールした状態で得られると気が付いたからだ。

Ayuo.net 「何故1960年代のドラッグが無意味になったか。」

 クリシュナムルティは時折、嘲笑うかのように「LSDですか?」と言う。また、「“それ”をどうやって手に入れますか? お金を払いますか?」とも聴衆に訊ねる。たった今気づいたのだが、クリシュナムルティは「瞑想せよ」とは言ったことがない。どちらかというと「生そのものを瞑想の次元にまで深化させよ」とのメッセージ性が強い(『瞑想』J・クリシュナムルティ)。

 目的と手段が一致しないところに現代社会の不幸があるのだろう。クリシュナムルティの論理に従えば戦争を正当化することは不可能だ。「他人を殺す」という手段が正しくないのは明らかだ。

 バラ色の理想を示して人々に苦労を強いるのが指導者の役割である。そして苦役の果てに不毛な結果が待ち受けている。我々は皆が労働者であり兵士なのだ。一将功成りて万骨枯る。

 ブッダはテキストを否定した。彼が経典を書くことはなかった。クリシュナムルティは弟子をも否定し、「方法」をも否定した。「方法」を修行と戒律と言い換えてもよいだろう。元々は「行為を修める」のが修行の謂(いい)であるが、修行が規定化されると単なる義務の次元に堕してしまう。掃除や洗濯のレベルだ。

 瞑想をするから悟れるのか? 多分違うだろう。注意力が漲(みなぎ)るところに悟りの地平が現れるのだ。つまり瞑想は手段に過ぎない。

 人生とは不思議なもので「死ぬために生きている」ような節(ふし)がある。我々は「常に死につつある」のだ。その現実から目を背けて日常の中に没頭している。「今死ぬ」となれば脳は一変するだろう。「」の訓読みは「くら-い」である。「暗い」と同じ意味だ。そして「死」という意味もある。すなわち瞑想とは「今死ぬ」ことである。

 検索して初めて知ったのだが、「『冥福』という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない」(「ご冥福をお祈りします」の意味と正しい使い方)そうだ。

クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2015-02-19

「愛」という言葉/『未来の生』J・クリシュナムルティ


恐怖なき教育
・「愛」という言葉

「愛」という言葉は愛ではない。

【『未来の生』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1989年)】

 新しいキーボードが届いた。腱鞘炎の痛みをこらえて恐る恐る入力している。

「愛」という言葉は、「愛」を指し示しているが「愛」そのものではない。言葉の本質をたった一言で見事に射抜いている。言葉に基づく思考の欺瞞性もここにあるのだ。言葉はサインでありシンボルだ。当のものではない。

「慈悲」という言葉は慈悲ではないし、「悟り」という言葉も悟りそのものではない。


 行為を欠いた言葉は観念でしかない。仮想と言い換えてもよい。思考は仮想を現実化する。仮想現実(バーチャルリアリティ)とはインターネットやゲームを指して使われることが多いが、結局は「言葉と刺激」が支配する世界を意味する。

「愛」を言葉で説明することは可能だろうか? 愛の定義は果たして「愛」なのだろうか?

「悟り」もまた同様である。ニルヴァーナ(涅槃)に至ったブッダは真理(法)を説くことをためらう。「きっと誰一人理解する者はいないであろう」と。そこにこの世界を司る梵天(ブラフマー)が訪れ、説法を勧める。「梵天勧請」といわれる故事は、「悟りを言語化することの困難さ」を示したものだろう。私はクリシュナムルティの「プロセス」体験(『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス)を通してそのような理解に至った(『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティも参照せよ)。

 瞑想とは「言葉から離れ」「言葉を死なせる」行為である。思考のシャットダウンを行うことによって自我は解体され、新しい生の水脈が流れ通う。そこにしか真の現実(リアリティ)は存在しないのだろう。

未来の生

2015-02-16

「石を拾って」有罪のパレスチナ14歳少女、イスラエルが早期釈放


 イスラエルは13日、イスラエル人への攻撃を企てたとして6週間にわたって収監していたパレスチナ自治区の14歳の少女を釈放した。自治区の子どもを有罪とし、収監したことについて、イスラエルに対する怒りの声が上がっている。

 パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区(West Bank)のトルカレム(Tulkarem)で活動するAFPカメラマンによると、同地で釈放されたマラク・アルハティブ(Malak al-Khatib)さんは両親や親族、自治体の首長らの出迎えを受けた後、約40キロ離れた自宅のあるベイティン(Beitin)村に戻った。

 マラクさんは昨年12月31日に学校から帰宅する途中で身柄を拘束され、軍事裁判で禁錮2か月の刑が言い渡されたが、イスラエルで拘束されているパレスチナ人の代理人を務める非政府組織「パレスティニアン・プリズナーズ・クラブ(Palestinian Prisoners' Club)」によると、年齢を考慮して2週間ほど減刑され、13日に釈放されたという。

 起訴状によると、マラクさんは自宅のある村の近くでイスラエル人の入植者たちが運転していた複数の車に向かって投げ付けるため「石をひとつ拾った」ほか、身柄を拘束された場合に備え、保安要員を傷つけるための刃物を所持していたという。

 釈放後、マラクさんはAFPの取材に対し、すべての罪を否定した。

 イスラエルは西岸地区で毎年、およそ1000人の子どもの身柄を拘束している。人権団体「ディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル・パレスタイン(Defence for Children International Palestine)」 によると、理由は投石である場合が多い。

 また、前出のプリズナーズ・クラブによれば、イスラエルで収監されているパレスチナ人の未成年者は推定200人。そのうち女子はわずか4人で、マラクさんは最年少だった。

 イスラエル軍の報道官はマラクさんが収監された当時、有罪判決の確定前、マラクさんには司法取引の機会が与えられたと述べていた。だが、マラクさんの父親は、自白した内容にはほとんど意味がないと話している。

 父親は苦々しく、「14歳の子どもがイスラエル兵に取り囲まれれば、何の罪でも認めてしまう」、「核兵器の保有だって認めさせることができるだろう」と語った。

AFP 2015年02月15日

2015-02-15

村上陽一郎


 1冊読了。

 10冊目『奇跡を考える 科学と宗教』村上陽一郎(講談社学術文庫、2014年/『叢書現代の宗教7 奇跡を考える』岩波書店、1996年)/良書。「キリスト教を知るための書籍」に追加。森島恒雄3部作の後で読み、岡崎勝世へと進むのがいいだろう。初めて村上の著書を開いたが文章がよい。ルネサンス期における魔術の受容はニュートンに至るまでの科学にまで影響を与えている。魔術と奇跡の間にカントという線を引いてわかりやすく説く。ややテクニカルな内容となっているが、ヨーロッパ人の脳の変化を知るためには避けて通れない地点であるように思う。脳科学や情報論的な視点を欠いているのが物足りなかったが、元の版が1996年ということもあって納得した次第。

2015-02-13

上村勝彦、池上彰、金成浩


 2冊挫折、1冊読了。

アフガン戦争の真実 米ソ冷戦下の小国の悲劇』金成浩〈キム・ソンホ〉(NHKブックス、2002年)/ソ連の機密解除された資料をもとにアフガン戦争の舞台裏を描いた力作。池上彰の本で紹介されていたと記憶する。時間的な余裕がなく、50ページほどで挫ける。

池上彰と考える、仏教って何ですか?』池上彰(飛鳥新社、2012年/文庫化、2014年)/初心者向き。中級者以上には不要。ダライ・ラマ法王のインタビューも収められているが個人的には全く興味がない。飛鳥新社の文庫は紙質が悪い。

 9冊目『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』上村勝彦〈かみむら・かつひこ〉(NHKライブラリー、1998年/ちくま学芸文庫、2007年)/上村訳『バガヴァッド・ギーター』の手引書。一度挫けているので再挑戦を決意した。後期仏教(いわゆる大乗仏教)のヒンドゥー教化がよく理解できる。これは案外簡単な話で、仏教流布後のインドでヒンドゥー教が復興した。結果的に見れば仏教は滅びたわけだが、仏教界の一部が大衆迎合したことは容易に想像できる。きっかけは「わかりやすさ」であったのかもしれない。が、プロパガンダ工作による教義書き換え-上書き更新といった構図を否めない。前にも書いた通り、クリシュナムルティが小馬鹿にする『バガヴァッド・ギーター』は驚くほど初期仏教と似ている。まるでユダヤ教とキリスト教を見ているような感覚に陥る。併せて長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集『世界の名著 1 バラモン教典、原始仏典』もオススメである。

写真・映像で振り返るパレスチナの歴史

カーラ・ウィーロック「8000mを超える静寂の中では、耳を傾けるべきは自分の声であることがわかる」

女子高生北海道南幌町祖母・母殺害事件は正当防衛


家裁調査官も認めた「壮絶な虐待」。祖母・母殺害の少女が入る医療少年院とは - NAVER まとめ
生ゴミを食べさせられ…祖母・母殺害事件で分ってきた虐待の連鎖【女子高生北海道南幌町祖母・母殺害】 - NAVER まとめ

 どう考えても正当防衛である。過剰防衛ですらない。彼女は殺される寸前であったのだろう。彼女を医療少年院送りにする法律はあまりにも無力である。かような裁判システムが虐待やいじめを支えているのだろう。連中は正義を歪めている自覚すらないに違いない。


【追記 2月15日】もっと具体的に述べよう。進化論的に見れば彼女は文字通り「適応」したのである。彼女に暴力を教えたのは祖母と母であった。彼女は学んだ。そして実行した。ただそれだけのことだ。「事件は防げなかったのか」(朝日新聞デジタル 2015年2月9日21時41分:花野雄太、光墨祥吾)などと記す連中は馬鹿丸出しである。お前たちも同じ目に遭ってみるがいい。二人の記者がどれほど心を痛めたとしても、結局のところ他人事に過ぎない。

大阪産業大学付属高校同級生殺害事件

2015-02-10

戸田正直


 1冊挫折。

感情 人を動かしている適応プログラム』戸田正直〈とだ・まさなお〉(東京大学出版会、1992年)/「認知科学選書 24」。テキスト(教科書)を気取って横書きにしたものか。読みにくくて仕方がない。巻頭の「はしがき」で戸田は分量的および時間的制約を口実にして「『アージ・システム』の全体像を盛り込むのはやはり出来ない相談だった」と記す。200ページで説明し得ない理論が果たして理論の名に値するであろうか? 私はしないと思う。E・H・カーが「(民衆は)歴史の一部であるよりは、自然の一部だった」と指摘しているが、感情は自我意識や文化に支えられており情動とは異なる。それは恋愛結婚という言葉が戦後になってから流布したことを見ても明らかであろう。ゆえに私は現代人と古代人の感情は一致するものではないと考える。不安定な群れと安定した社会では個々の反応も当然異なる。1992年に「認知科学選書」を刊行したのは時期尚早ではなかったか。やはり感情よりも意識を取り扱った本の方が面白い。『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ、『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ、『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマンなど。