2021-12-18

母国の日本人移民差別政策に断固反対したアメリカ人女性/『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア


『逝きし世の面影』渡辺京二

 ・母国の日本人移民差別政策に断固反対したアメリカ人女性

『武家の女性』山川菊栄

日本の近代史を学ぶ

 彼女の人生の後半は、日米の赤十字活動や国際連盟の運営協力に費(つい)やされます。さらに晩年は自国の日本人に対する移民差別政策に断固反対してスイスに亡命、二度と故国へ戻ることなく昭和3年(1928)晩秋、ジュネーブの自邸で亡くなります。72歳でした。正義感に溢(あふ)れ武家の婦人のように凛(りん)とし、生涯を独身で通したシドモア女史、彼女を悼む元駐米大使・埴原正直〈はにはら・まさなお〉や外務省高官、さらに新渡戸博士夫妻、横浜市長、英米の外交官が多数参列し、国際社会に尽くした功績を称え、慈愛に満ちた面影(おもかげ)を偲(しの)びました。

【『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア:外崎克久〈とのさき・かつひさ〉訳(講談社学術文庫、2002年/初版は明治24年)】

 シドモアという女性の存在が逆にアメリカを見直すきっかけとなる。かような人物を生み出す土壌がアメリカにはあったのだろう。祖国を捨てることは並大抵の決意ではできない。

 エリザ・ルーアマー・シドモアは米国地理学協会初の女性理事でもある紀行作家。27歳で来日し、以後45年間にわたって日米友好を推進した。上野公園や隅田川の桜を見た彼女が、ポトマック河畔の植樹を実現に導いた。選りすぐりの苗木3000本がワシントンに贈られ、明治45年(1912年)3月、ポトマック公園で寄贈桜の植樹式が行われる。タフト大統領珍田〈ちんだ〉駐米大使夫人の手で植えられた。女史の悲願が20年越しにかなった瞬間であった。

 日本のあらゆる階層に子供の遊技や遠足が普及しています。学校は野外運動に熱心で、陽(ひ)当たりのよい朝は毎日子供たちが旗や色付き帽子で区分されて隊列行進し、公園や練兵場へ行って運動、訓練、競技にいそしみます。(中略)
 ある女学校では昔の和式作法を教え、女学生は伝統的礼法、茶の湯、刺繍(ししゅう)、俳諧(はいかい)、生け花、さらに三味線を学びます。最近、一度廃(すた)れかかった琴が人気復活し、甘美な音色の水平ハープを少女らは好んで弾(ひ)いています。

 一番驚いたのは亀戸天神の藤棚や葛飾の堀切菖蒲園が紹介されていたことだ。自分が暮した地域が出てくると、どうしても思いが深くなる。

 しかし、何といっても浜松の最も羨(うらや)むべき財産はオタツさんです。私たちが宿に到着すると、オタツさんは私たちの身につけている指輪、ピン止(ママ)め、ヘアピン、時計、ビーズ飾りに好奇心いっぱいで夢中になりながら、2階へ手荷物を運んでくれました。笑顔満面で手を叩き、澄んだ瞳がキラキラ輝き白い歯がまぶしここぼれるオタツさんは、まさに明眸皓歯(めいぼうこし)の女性です。夕食の際、高さ8インチ[20センチ]の膳が置かれ、傍(かたわ)らに座った愛らしいオタツさんが仕切って給仕をしました。彼女の美貌(びぼう)だけでなく、魅力的率直(そっちょく)さ、無邪気さ、機敏さ、さらに優雅さが私たち全員をいっそう虜(とりこ)にしました。私たちの賞賛に美しき乙女は限りなく欣喜(きんき)し、しばらくして真新しい青と白の木綿着に着替え、町で買った最高級の髪飾りをつけ、華麗な黒縮緬(くろちりめん)と金紐(きんひも)で青黒くふさふさした髪を蝶(ちょう)の輪(わ)に結んで戻ってきました。そしてオタツさんの発案で小さな踊り子を招きました。少女は一本のしなやかな細枝とお面で、天照大神(あまてらすおおみかみ)にまつわる踊り手・鈿女(うずめ)、さらに伝説やメロドラマに登場する有名なヒロインを演じました。
 浜松の宿を去る際、優しく愛らしいオタツさんから私の写真を送るよう請(こ)われました。強く懇願する瞳に、私は流暢(りゅうちょう)な彼女の日本語を理解せずには済まされぬ衝動にかられました。彼女は走り去り、また戻ってきて私にとび込み、1865年[慶応元]当時の服装をした外国美人の安価な彩色写真を見せました。茶屋を出発するときが、とうとうやってきました。しばらくの間、オタツさんは人力車に付き添い、別れ際、愛らしい眼に涙を浮かべ手を握り、最後の「サヨナラ」の声は啜(すす)り泣(な)きに変わりました。

 旅先で擦れ違うような出会いにも心を留(とど)めている。やはり人と人とは理解し合えるのだ。今更ながらその事実に感動する。人柄は振る舞いという反応に表れる。言葉が通じなくとも心は通う。こうした出会いが日本への愛情と育ち、日米親善の道を開き、そしてアメリカの人種差別を許さぬ行為につながったのだろう。類書に『イザベラ・バードの日本紀行』がある。

2021-12-15

歯周病菌が心筋梗塞を招く/『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之


『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『新健康法 クエン酸で医者いらず』長田正松、小島徹
『あなたの人生を変えるスウェーデン式歯みがき 1日3分・ワンタフトブラシでお口から全身が健康になる!』梅田龍弘

 ・歯周病菌が心筋梗塞を招く

『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
『ずっと健康でいたいなら唾液力をきたえなさい!』槻木恵一
『免疫力を上げ自律神経を整える 舌(べろ)トレ』今井一彰
『舌をみれば病気がわかる 中医学に基づく『舌診』で毎日できる健康セルフチェック』幸井俊高
『あなたの老いは舌から始まる 今日からできる口の中のケアのすべて』菊谷武
『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』西山耕一郎
『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』西山耕一郎
『つらい不調が続いたら 慢性上咽頭炎を治しなさい』堀田修

身体革命
必読書リスト その二

 1gの「歯垢」(デンタルプラーク)の中にいるバイ菌は、1000億個あまり。
 大便1g中のバイ菌の数倍だと言われています。
 つまり、歯を磨かないということは、口の中でバイ菌を育てるようなもの。
 だから、1日1回はしっかりブラッシングして歯垢を落とすことが大切なのです。

【『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之〈あんどう・まさゆき〉(自由国民社、2018年)以下同】


 内容は薄いのだが必読書に入れた。意外と知られていない大事なことが書かれているためだ。ブラッシングのコツはペンと同じ握り方で力を込めず、細かく振動するように磨く。歯茎の際(きわ)は少し差し込むようにして斜めにブラシを向ける。

 安藤は微生物・生理学・解剖学・生化学などの基礎研究も行ってきたと書かれているが、「バイ菌」という言葉遣いが感心しない。もっと言ってしまえば不真面目だと思う。細菌のことをバイ菌と呼んだのは私が子供の時代だ。

 虫歯や歯周病が悪化して「虫歯菌」や「歯周病菌」が大増殖すると、
 粘膜による生体防御バリアを突き破って毛細血管の中に入り、
 全身を巡ってさまざまな不調や病気の原因になることがわかっています。

 たとえば、虫歯菌の多くは、抜歯など出血をともなう治療の際に血液と一緒に
 体内に侵入し、全身にたまって「絨毯爆撃」をしかけてきます。

 一方、歯周病菌は、死んだ後に悪さをする「内毒素」を持っている「自爆テロ」タイプ。
 比較的毒性は弱いのですが、長期に亘って体のあちこちで悪影響を及ぼし、
 心筋梗塞などを招くこともあります。


 吃驚仰天(びっくりぎょうてん)だわな。果糖は唾液や食物で流されてしまうので単体だと虫歯になりくいという(果物と虫歯 | 我孫子の歯医者さん|なかむら歯科)。するってえと、やっぱり砂糖(ショ糖)が問題なわけだよ。もっと凄い話がある。

 実際、歯周病菌や虫歯菌が心臓や腎臓にたまりやすいことはよく知られています。

 また、切迫早産妊婦の30%の羊水から、
 歯周病菌が見つかったという研究報告もあります。

 妊娠34週より前に破水した場合は自発呼吸ができない赤ちゃんもいるそうだ(早産・切迫早産|公益社団法人 日本産科婦人科学会)。妊婦の皆さんは速やかに歯周病の確認を願いたい。

 また、アマルガム(銀歯の詰め物)の悪影響についても詳しく紹介されている。アトピーの原因となることもあるという。安藤はセラミックを推奨しているが高価であることに留意(セラミック歯の種類・値段・相場価格)。保険は適用できない。増え続ける社会保障費を思えば、厚生労働省は保険適用にするべきだろう。

櫻井翔とウィリアム・フォーブス=センピル/『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介


『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

 ・櫻井翔とウィリアム・フォーブス=センピル

『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 昭和13年2月14日、日中戦争の緒戦で岩城邦広大尉(海兵59期、戦後空将)指揮の水上機8機が広東南雄飛行場上空で中国軍の英国製戦闘機12機と空中戦になり、8機を撃墜している。
 この年12月、渡英した前原謙治中将(海兵32期)が恩師センピル大佐を表敬し、謝罪するつもりで会見に臨んだ。ところが、センピル大佐は、「自分の教え子が、かかる戦果を挙げたのは無上の喜びだ」と発言し、杯をあげて祝福してくれたという。
 しかし、孫のイアン・チャン・センピル陸軍中佐の証言によると、日本海軍による真珠湾奇襲の報道を聞いたとき祖父は、日本海軍のポテンシャルの高さに驚愕したという(平成16年6月、ロンドンで取材)。

【『敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉(草思社、2006年/草思社文庫、2014年)】

 読書中。ロバート・センピルは大正10年、海軍航空隊の訓練を指導するため英海軍から招待した30名の団長で、当時の長距離飛行の世界記録保持者であった。「大正9年4月当時、日本海軍航空隊のレベルは稚拙で、佐世保から追浜までの無着陸飛行をしただけで『有史以来の大壮挙』と自画自賛するぐらいであった」(116ページ)。厳しいスパルタ指導に最初は目を白黒させたようだ。


 タレント風情がジャーナリストを気取るからこうなるのだ。寺澤有というジャーナリストが擁護しているのだが、「聞きにくいことを敢えて聞くのがジャーナリズム」とでも思っているのだろうか? 取材やインタビューは自分から依頼して行うものだ。そこで礼儀を無視すればジャーナリストはペンを持った裁判官となる。ひょっとして取材相手をレシピのニンジンやジャガイモみたいに考えているんじゃないだろうな?

 櫻井翔は食肉工場へ行ったら、「動物を殺す時の気分は?」とでも質問するのだろうか? 食肉処理は屠畜(とちく)が前提になっているし、戦争は手段としての殺人を正当化する。日本国民を守ってくれたことに感謝を述べるわけでもなく、「戦時中というのはもちろんですけど、アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?」と訊(たず)ねることができたのは、礼儀知らずというよりは、言っていいことと悪いことの是非もわからないのだろう。長らくテレビ業界にいたために精神のどこかが病んでしまったのではあるまいか。父祖に対する恩を見失ったところに日本社会がデタラメになった根本原因がある。センピル大佐の発言は戦争の非情さを示してあまりある。

 Wikipediaの「センピル教育団」を見ると、名前が「ウィリアム・フォーブス=センピル」となっており、後年日本のスパイとなったことが記されている。惠隆之介がなぜ「ロバート・センピル」としたのかは不明である。スパイであった事実も伏せられている。武士の情けか。尚、孫のイアン・チャンも検索してみたが情報は皆無だ(ユアンか?/センピル卿家の系図)。意図的に伏せたのであれば文筆家として問題がある。

2021-12-14

民主政の欺瞞/『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思


『国家の品格』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 ・左翼と保守の顛倒
 ・米ソ冷戦後、左右の構図が変わった
 ・民主政の欺瞞

・『反・幸福論』佐伯啓思 2012年
・『さらば、資本主義』佐伯啓思 2015年
・『さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす』佐伯啓思 2017年
・『「脱」戦後のすすめ』佐伯啓思 2017年
・『「保守」のゆくえ』佐伯啓思 2018年
・『死と生』佐伯啓思 2018年
・『死にかた論』佐伯啓思 2021年

日本の近代史を学ぶ

 結局、民主主義的な討論の場では、ひとたびある方向に流れができると、誰もなかなか反対できない、いかにももっともらしい言葉だけが通用し、流通することになります。たいていの場合、表層的に立派なことや、情緒的なことが、まかり通っていきます。一見反対しづらい形だけの正論がまかり通る、あるいは、声の大きいものの意見が通っていきます。
 これが、私が民主主義を信頼できない大きな理由です。その意味で私は、民主的な政治の「公的」な場面で発せられる言辞よりも、「私」の微妙な感情や事情のほうが気になるのです。

【『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(幻冬舎新書、2008年)以下同】

 何度も書いてきたが「民主主義」という誤訳がまずい。デモクラシーに「イズム」は付いていない。民主政あるいは民主制とするのが当然だ(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。佐伯は具体例として政治とカネや談合を挙げている。言いたいことはわかるが、まずは政策本位で投票するエートスを涵養するのが先だ。選挙が政策競争となっていないところに最大の問題がある。地盤・看板・カバンを投票する側が無視しないことには始まらない。

 世の中には「非合理的なものの効用」ということがあります。「あいまいなものの効用」もあるのです。大声では言えないが、大事だと思うことがある。私には、非合理的なものを改めれば世の中が豊かになるという、近代主義的・進歩主義的な考え方ですべてがうまくいくとは、とても思えませんでした。

 規制緩和をした後に言うべきことだ。自由競争を阻む規制を一掃し、既得権益を全部潰してからの話である。

 イギリスに入ってすぐ感じるのは、イギリスが、いかに近代なるものを警戒しているかということです。「近代」や「進歩」なるものを、無視こそしないものの、軽信する姿勢を、可能なかぎり避けようとする。逆に、古いものや伝統的なものをいかに守るか、それぞれの時代に合わせてどううまく活かすか、そのことに非常に腐心している。

 イギリスには古いものを尊(たっと)ぶ伝統がある。ご存じのようにイギリス車はモデルチェンジすることも少ない。よい物を長く使う文化がある。一方同じ島国でありながら日本の場合はどうか? 温故知新という言葉はあるが生活空間に占める物は新しいものばかりだろう。新奇なもの(特に舶来品など)を好む性質もあるが、雨の多さと湿度の高さが影響しているように思う。建物もそうだが100年単位で保つことは難しい。カビや腐敗には逆らえない。

 価値観が多様化すると「非合理さ」や「曖昧さ」はコミュニケーションの妨げとなる。「察する」ことも大切だが、「はっきり言いたいことを述べる」技術も必要だろう。

 民主政の欺瞞は左翼政党の政策に現れる。平和を説きながら他国を利し、人権を主張しながら外国人に行政サービスを受けさせようとする。彼らが「日本を破壊したい」「天皇制を妥当したい」と率直に語ることはない。

米ソ冷戦後、左右の構図が変わった/『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思


『国家の品格』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 ・左翼と保守の顛倒
 ・米ソ冷戦後、左右の構図が変わった
 ・民主政の欺瞞

・『反・幸福論』佐伯啓思 2012年
・『さらば、資本主義』佐伯啓思 2015年
・『さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす』佐伯啓思 2017年
・『「脱」戦後のすすめ』佐伯啓思 2017年
・『「保守」のゆくえ』佐伯啓思 2018年
・『死と生』佐伯啓思 2018年
・『死にかた論』佐伯啓思 2021年

日本の近代史を学ぶ

 この図式が意味することは何なのでしょうか。
 憲法にせよ、教育基本法や戦後教育システムによせ、戦後日本の体制の基軸です。戦後日本の国の柱は、公式的に言えば、国民主権、基本的人権、平和主義を三本柱とする憲法、そして、自由と平等、個性尊重を掲げる戦後教育です。
「左翼」は、この戦後体制を守ろう、もしくは、その理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識について言えば、左翼は徹底して「体制派」です。いわば「戦後体制」の優等生が「左翼」ということになります。
 これに対して、むしろ、「保守」のほうが「反体制的」と言えます。少なくとも心情的には、戦後社会に強い違和感を持ち、憲法や戦後教育に対して批判的です。
 左翼=反体制派、保守=体制べったり、と多くの人が思っています。だが、これはかつての話、冷戦体制時代のことです。冷戦体制のもとでは、確かに、左翼は、あわよくば革命でも起こして社会主義を実現したい、と考えていた。これは確かに反体制的でしょう。これに対して、保守のほうは、自由主義的な資本主義陣営を守りたい、と考えている。その意味では、体制派でした。
 しかし、冷戦は終わりました。すなわち、もうこのような図式は成り立たない、ということです。実際、「左翼」が「サヨク」に変わったとき、進歩主義運動は、もはや、体制を変革して、社会主義のような新たな社会をつくり出すのではなく、自由や民主主義、人権、平和主義などを謳(うた)った戦後日本を全面的に肯定し、ともかくも、戦後日本というその枠組みを守っていくという体制的なものへと変わってしまったのです。
 それに比べ、冷戦以降、いわゆる「保守」の側からこそ、戦後日本を変えていこうという様々な問題が提示されてきました。近年、もっとも真正面から「保守」と唱えた安倍元首相の掲げたテーマからして、「戦後レジームからの脱却」だったのです。
 これは、「戦後体制」の根本的変革、ということです。これほどまでに正面から、「現体制」の変革を唱えた政治家はいません。しかも政権政党の党首で、一国の首相が、「現体制」の変革を訴えるという、驚くべき提案です。
 しかし、「左翼」はこれに反対した。ある左翼のコメンテーターが、テレビで「いったい、体制を変える、などということをしてもいいのでしょうか」などというコメントをしていました。左翼と言えば「反体制」の代名詞だった時代を思うと、冗談のような話です。

【『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(幻冬舎新書、2008年)】

 テキストは前回の続き。戦後教育は「日本を嫌いにするための教育」だった。特に愛国心はタブーであった。愛国は右翼の看板だった。で、右翼とは街宣右翼を意味した。民族派の台頭も功を奏したとは言い難い。

 GHQによる占領期間が日本史の空白期間であったとしても、それだけで戦後の動きを全部GHQにするのはお門違いだ。戦前に大いなる嘘があったのだろう。そう考えなければ平仄(ひょうそく)が合わない。「戦後体制」を敷いたのはGHQだが、それをよしとしたのは戦後の日本人である。

 政府与党は、日教組や日弁連、あるいは新聞社やテレビ局を長らく放置してきた。竹島も放置し、尖閣諸島も放置しつつある。極めつけは拉致被害者の放置だ。そして今、虐殺され、生きながら臓器を抜かれるウイグル人をも放置しようとしている。

左翼と保守の顛倒/『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思


『国家の品格』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 ・左翼と保守の顛倒
 ・米ソ冷戦後、左右の構図が変わった
 ・民主政の欺瞞

・『反・幸福論』佐伯啓思 2012年
・『さらば、資本主義』佐伯啓思 2015年
・『さらば、民主主義 憲法と日本社会を問いなおす』佐伯啓思 2017年
・『「脱」戦後のすすめ』佐伯啓思 2017年
・『「保守」のゆくえ』佐伯啓思 2018年
・『死と生』佐伯啓思 2018年
・『死にかた論』佐伯啓思 2021年

日本の近代史を学ぶ

 今日の両者(※左翼と保守)の争点は、しいて言えば、憲法問題、あるいはナショナリズムや歴史問題と言ってよいでしょう。ある意味、奇妙なことなのですが、冷戦後、90年代のグローバリズムの時代になって、ナショナリズムや歴史認識が人々の大きな関心事になってきたのです。
 憲法改正を含めて、日本の国の防衛問題をどうするのか。国際社会で日本がバカにされずに責任を果たすにはどうすればよいのか。90年代の後半あたりから、こうしたテーマが浮上します。
 また、中国、韓国の動きとも連動した形で、あらためて、「あの戦争」についての解釈問題が出てきます。アジアへの謝罪をどうするか、という問題が提示され、それとともに、「あの戦争」についての歴史観論争、さらには、歴史教育の問題、と続いていきます。
 むろん、「左翼」は憲法改正に反対、歴史教科書の見直しにも反対です。これに対して、「保守」は、憲法を改正して集団的自衛権を認めよ、と言う。歴史認識の見直しを要求して、「新しい歴史教科書」を作ったりします。
 なんとも、妙な構図ができてしまったものです。もともとは「革新」や「進歩」を唱えていた「左翼」が、徹底して新しい動きに抵抗し、憲法にせよ、教育によせ、基本的に現状維持を訴える。むしろ、「保守」の側が変革を唱える、というねじれた図式です。

【『自由と民主主義をもうやめる』佐伯啓思〈さえき・けいし〉(幻冬舎新書、2008年)】

 わかりやすい文章で丁寧に説くのが佐伯流である。保守にありがちな威勢のよさは全く見受けられない。真のリベラルは静かだ。竹山道雄中西輝政の間に位置する印象を受けた。

 1990年代の時代の動きを簡潔に素描(そびょう)している。無論、これは2000年代から振り返って初めて見える風景である。私が気づいたのは2010年代のこと。90年代はまだまだ左翼が優勢であった。新しい歴史教科書をつくる会は右翼扱いされていたし、私なんぞは友人と「谷沢永一も変わり果ててしまったな」と嘆いたものだ。保守反動という感覚はそれほど根強かったのだ。90年代のテレビ番組の動画を見れば一目瞭然である。筑紫哲也〈ちくし・てつや〉や本多勝一、加藤周一が、まだもてはやされていた。『週刊金曜日』の創刊が1993年である。94年には村山富市が首相となり、村山内閣総辞職に伴い社会党は社民党に名前を変える。1989年参院選(土井ブーム)と1990年衆院選あたりを絶頂期と見ていい。

 当時、私は6人の後輩を喪ったこともあり、世情のことはよく覚えていない。テレビを持っていなかったし、寝しなのアルコールが記憶を洗い流した感がある。きっと多忙すぎたのだろう。

 ネトウヨ(ネット右翼)という言葉を目にするようになったのは2000年代に入ってからのことである。多分、新しい歴史教科書をつくる会の動きを理解する人々が増え初めた頃だろう。ほぼ同時に自虐史観というキーワードが散見されるようになったと記憶している。第一次安倍政権の「戦後レジームからの脱却」というメッセージも大きな影響を及ぼした。

 その後、2005年の中国における反日活動が報じられると、日本人の反中国感情が一気に高まった。嫌韓本が次々と発行されたのもこの頃からだ。中韓の反日行動が、日本人を覚醒させ近代史に目を向けたさせたのだ。

 2000年代になり左翼はサヨクと変質しリベラルを名乗り始める。90年代の混乱は米ソ冷戦構造の終焉(91年、ソ連崩壊)がもたらした結果であった。それから10年を経て、左翼は環境・人権・フェミニズムに舵を切る。その有り様は「言論のゲバ棒化」といってよい。理論武装というヘルメットを着用しながら。左翼弁護士や活動家は国連や中国・韓国を焚き付け、日本の戦争責任を追求させる。そうした反日行動を全面的にバックアップしてきたのが朝日新聞であり岩波書店であった。

2021-12-13

ナポレオン率いるフランスは人口で勝った/『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄


『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
『愛国左派宣言』森口朗
茂木誠:皇統の危機を打開する方法

 ・ナポレオン率いるフランスは人口で勝った

『〔復刻版〕初等科國史』文部省

世界史の教科書
必読書リスト その四

 一方、フランスでは、上流階級とブルジョワの妥協が成立しませんでした。ブルジョワは上流階級よりも、下層階級と協調する道を選んだのです。フランス王室が残らなかった最大の理由がここにあります。
 フランスでは、イギリスと異なり、下層階級の勢力が革命後も大きな役割を果たしました。フランス革命でルイ16世が処刑されると、周辺の王国は、革命が自国に波及することを恐れて、フランスに軍事介入しようとします。イギリスのような島国には、革命後、他国の介入がありませんでしたあ、大陸国のフランスは違います。
 フランスは、自国に介入しようとするプロイセン王やオーストリア帝国の軍を排斥するために強力な陸軍を必要としました。この陸軍兵士を構成していたのが下層階級の民衆でした。戦場で命を懸けて戦う彼らは強い政治的発言を持ち、誰も彼らを軽視できませんでした。クロムウェルは革命後、容赦なく、下層階級を弾圧しましたが、こんなことはフランスでは、絶対にできないことでした。
 他国の侵攻という危機に晒されていたフランスでは、下層階級の兵士たちこそが革命国家の第一の守護者であり、その権利や主張は絶対的なものでした。こうした兵士たちに担ぎ出され、のし上がったのが軍人のナポレオンなのです。ナポレオンは下層階級の代表者です。
 ブルジョワ勢力もナポレオンら下層階級の勢力を支援しました。フランスのブルジョワにとって、下層階級と手を組むことは必然であり、その意味において、王制が存続できる余地はありませんでした。
 ナポレオン時代の19世紀初頭において、陸軍の兵士の数が戦争の勝ち負けを左右しました。19世紀後半からは兵士の数よりも、装備や兵器の質が勝ち負けの主な要因になります。ナポレオンの強さの源泉は、ヨーロッパ随一を誇るフランスの人口でした。徴兵できる兵力数が他国を圧倒していたのです。そして、フランスの強大な軍事力を支えたのが下層階級の民衆だったのです。

【『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄〈うやま・たくえい〉(悟空出版、2019年)】

 日本が今後、他国から攻められた場合を想定すると、「兵士の数よりも、装備や兵器の質」を格段に上げておく必要があろう。とはいうものの、人口減少時代に戦争となるリスクを思わざるを得ない。

 高度経済成長からバブル景気に至るまで、「今さえよければいい」との姿勢が政府と国民の間に蔓延していた。「今さえよければいい」から国防の備えを怠った。「今さえよければいい」から超高齢社会や少子化社会の手を打ってこなかった。そして今尚、現状維持・現状肯定の罠から抜け出すことができない。

 次の戦争で目を醒まさなければ日本の未来はない。