・『笑うカイチュウ』藤田紘一郎
・人がうつ状態になるのは感染症から身を守るため
・『9000人を調べて分かった腸のすごい世界 強い体と菌をめぐる知的冒険』國澤純
・『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
・『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
・『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子
・『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
・『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
・必読書リスト その三
ところが腸は脳のように、だましたり、だまされたり、勘違いなどはしません。なぜなのでしょうか。
それは腸と脳の発生の歴史が違うからでしょう。脳ができたのは生物にとってずいぶん最近の話なのです。地球上で最初に生物が生まれたのは約40億年前でした。生物にははじめに腸ができ、脳を獲得したのは現在から5億年くらい前のことです。つまり生物の歴史上、8~9割の期間は生物は脳を持っていなかったのです。
したがって、私たち人類は腸をうまく使っていますが、歴史の浅い脳をうまく使いこなせていないのです。脳は人間の身体にはまだ馴染んでいないということです。
【『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉(三五館、2012年/知的生きかた文庫、2019年)以下同】
「5億年くらい前」ということはカンブリア紀である。ここで、「ハハーン、そうか」と一つ腑に落ちる。『眼の誕生』(アンドリュー・パーカー、2006年)と脳の誕生はセットだな、と。「眼は、実は脳の一部なのだ」(『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・サイトウィック)から当然といえば当然か。
話を単純化してエイヤッと押し出すのが藤田紘一郎のプレゼンテーションの特徴だろう。わかりやすいのだがいささか浅い。読後の余韻に欠ける。それでも尚、腸の優位性について読者を納得させる気魄に満ちているのはさすがとしか言いようがない。マーケティング上手。
「人がうつ状態になるのは、感染症から身を守るための免疫システムの進化の結果」だと述べている研究者がいます。米国・エモリー大学のA・ミラー博士とアリゾナ大学のC・レイソン博士は、2012年の「モレキュラーサイカイアトゥリー」のオンライン版に、人間は病原体による感染から身を守るために、免疫システムが進化する過程でうつ状態を発症するようになったのではないか、との学説を発表しています。
彼らの研究班は、うつ状態になると感染症にかかっていなくても炎症反応が起きやすいことから、うつ状態が免疫システムと関係しているのではと考えました。また、アメリカではうつ病がありふれた精神疾患であることから、もともと脳内に組み込まれた反応なのではないかと仮定し、なぜ人間の遺伝情報の中でうつ状態と免疫システムが結びついたのかを考察しました。
私たちの人類史において、近代までは抗生物質もワクチンもない環境で生きてきました。人類の長い歴史の中で感染症は特に命を脅かすものであり、新たな感染症に罹患することは死を意味し、家族や集団システムの崩壊に直結するものでした。感染症から身を守り、大人になるまで生き抜き、遺伝子を子孫へと繋げることがとても重要だったのです。(中略)
ストレスを受けてうつ状態になると、動作が緩慢になり食欲も落ち、社会活動から疎遠になります。このうつ状態が、感染症に罹患している人に接触しないようにするため有効だったのではないか、ということです。
私は、これらの学説で言われていることにも腸が大いに関係しているのではないか、と考えています。なぜなら、腸は免疫システムの要であり、そしてストレスによるうつ状態では、胃腸疾患の症状を訴える人がとても多いからです。
食堂から胃、腸まで一本につながっている消化管は独自の神経系を有し、脳とは独立して機能しています。消化管は脳から指令を受けるだけではありません。逆に、消化管から脳への情報伝達量のほうがはるかに多いのです。この腸神経系は「腸の脳」と研究者の間で呼ばれています。腸の脳は神経を通じ、すい臓や胆のうなどの臓器をコントロールしていてい、消化管で分泌されるホルモンと神経伝達物質は肺や心臓といった臓器と相互作用しています。
つまり、ストレスによる食欲不振や胃痛、腹痛など消化管の不快な反応が、脳へうつ状態になるよう命令し、結果的に行動を緩慢にさせたり、社会的活動から疎遠にさせたりしているのではないか、と私は思っています。
「モレキュラーサイカイアトゥリー」は分子精神医学(Molecular Psychiatry)という雑誌名らしい。考え方は進化医学(『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ)に該当すると思われる。進化の果てに残っているのだから何らかの優位性があるのだろうという見方だ。
ただし「感染症回避」との理由に説得力はない。むしろストレスそのものを回避するシステムとして理解すべきだろう。もしも社会が歪んでいるのであれば、そこで耐えて生きてゆくことが死につながるかもしれない。事故・病気・怪我は死因たり得るし、自殺に追い込まれることも珍しくはない。狂った世界に対する正常な身体反応がうつ病だとすれば、うつ病には生存率を高める可能性がある。
健康な人でも極端に暑い日や寒い日は外に出る気が起こらない。同様に時代が戦争に向かいつつある時は外交的な人間よりも内向的な人間の方が生存率が高まるのだろう。戦時において勇敢な者は真っ先に死ぬ(『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』)。引きこもり、草食系男子、少子化、未婚の増加といった社会現象は戦争のサインであると私は考えている。
腸優位との指摘が我々にとって一定の説得力があるのは日本の文化が頭よりも腹(肚)に重きを置いているためか。それは「腹蔵なく」「肚(はら)を決める」という表現や、肝(きも)が心を表し(肝胆相照らす)、武士の切腹に極まる。更に相撲では腰の動きを重視し、そしてアルコールは五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡る。
「身」という漢字は妊婦の体を表したものだ。文字通り「中身の詰まった状態」を示す。つまり身とは腹なのだ。
頭はどちらかといえば位や礼儀にまつわる表現が多いように思う。頭部であれば頭よりも眼や口に関する表現の方が多彩だろう。ついでに言っておくと武道では筋肉よりも骨を重視する。
更に牽強付会を恐れず申し上げれば、腸はミミズなどの紐形動物を想起させ「脳なんかなくったって生きてゆける」(厳密にはあるのだが)という希望が湧いてくる。
尚、藤田は70代でありながら男性機能が健在だと豪語している。で、本書で紹介されている土壌菌とは「マメビオプラス」のことである。さて、こちらは中高年の希望となるか?(笑) 失われつつある機能を維持するためにはやはりカネがかかるようだ(ニヤリ)。