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2008-11-09

嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

「嘘つきのパラドックス」は「自己言及のパラドックス」ともいう。

「私は嘘をついている」――この言葉、嘘つきのパラドックスは、何千年にもわたってヨーロッパの思索者たちを悩ませてきた。この言葉は、もし正しければ偽りになり、偽りなら正しくなる。自分が嘘をついていると主張する嘘つきは、真実を語っていることになるし、逆に、彼が嘘をついているのなら、そう主張したときには嘘をついていないことになってしまう。このパラドックスを特化させたものはいくらでもあるが、根本はみな同じで、自己言及は問題を来たすのだ。これは「私は嘘をついている」という主張にもあてはまるし、「有限の数の語句では定義できない数」という定義にもあてはまる。そうしたパラドックスは、じつに忌まわしい。その一つに、いわゆる〈リシャールのパラドックス〉という、数の不加算性にまつわるものがある。
 ゲーデルは、そうしたパラドックス(哲学者のお好みの言葉を使えば「二律背反」)を彷彿とさせる命題を研究することで、数学的論理の望みを断ち切った。1931年に発表された論文に、非数学的表現を使った文章は非常に少ないが、その一つにこうある。「この議論は、いやがおうにもリシャールのパラドックスを思い起こさせる。嘘つきのパラドックスとも密接な関係がある」ゲーデルが独創的だったのは、「私は証明されえない」という主張をしてみたことだ。もしこの主張が正しければ、証明のしようがない。もし偽りならば、この主張も立証できるはずだ。ところがこの主張が証明できてしまうと、主張の内容と矛盾する。つまり、偽りの事柄を立証してしまったことになる。この主張が正しいのは、唯一、それが証明不可能なときだけだ。これでは数学的論理は形無しだが、それは、これがパラドックスや矛盾だからではない。じつは、問題はこの「私は証明されえない」という主張が正しい点にある。これは、私たちには証明のしようのない真理が存在するということだ。数学的な証明や論理的な証明では到達しえない真理があるのだ。
 ゲーデルの証明をおおざっぱに言うとそうなる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ゲーデルの不完全性定理については、以下のページがわかりやすい――

不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか

 第1不完全性原理「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

 第2不完全性原理「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」

 ということは、だ。もし全知全能の神がいるとすれば、それは神が創った世界の外側からしか証明できないってことになる。それでも、ゲーデルは神の実在を証明しようとはしていたんだけどね。

 これは凄いよ。デジタルコンピュータが二進法で動いていることを踏まえると、数学は「置き換え可能な言語」と考えられる。そこに限界があるというのだから、人間の思考の限界を示したも同然だ。早速、今日から考えることをやめようと思う。エ? ああ、その通りだよ。元々あまり考える方ではない。

 ただし、ゲーデルの不完全性定理は、「閉ざされた体系」を想定していることに注目する必要がある。これを、「開かれた体系」にして相互作用を働かせれば、双方の別世界から矛盾を解決することも可能になりそうな気がしないでもないわけでもなくはないとすることもない(←語尾を不明確にしただけだ)。【※これは私の完全な記述ミスで「開かれた系」は系ではない。システムは閉じてこそ世界が形成されるからだ。例えば人体が開かれているとすれば、それはシャム双生児のようになってしまう。同じ勘違いをする人のために、この文章は敢えてそのままにしておく。 2010年9月3日】

 だけどさ、不完全だから面白いんだよね。物質やエネルギーを見ても完全なものなんてないしさ。大体、完全なものがあったとしても、時を経れば劣化してゆくことは避けようがない。成住壊空(じょうじゅうえくう)だわな。

「私たちには証明のしようのない真理が存在する」――そうなら、ますます生きるのが楽しみになってくるよ。科学も文明も宗教も、まだまだ発展する余地があるってことだもんね。



アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ

2017-04-10

マクロ歴史学/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ


物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・読書日記
 ・目次
 ・マクロ歴史学
 ・認知革命~虚構を語り信じる能力
 ・イスラエル人歴史学者の恐るべき仏教理解

・『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』ユヴァル・ノア・ハラリ
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

世界史の教科書
必読書リストその五

歴史年表

 135億年前 物質とエネルギーが現れる。物理現象の始まり。
       原子と分子が現れる。化学的現象の始まり。
 45億年前 地球という惑星が形成される。
 38億年前 有機体(生物)が出現する。生物学的現象の始まり。
 600万年前 ヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先。
 250万年前 アフリカでホモ(ヒト)属が進化する。最初の石器。
(中略)
 30万年前 火が日常的に使われるようになる。
(中略)
 7万年前 認知革命が起こる。虚構の言語が出現する。
      歴史的現象の始まり。(中略)
 1万2000年前 農業革命が起こる。植物の栽培化と動物の家畜化。永続的な定住。
 5000年前 最初の王国、書紀体系、貨幣。多神教。
 4250年前 最初の帝国――サルゴンのアッカド帝国。
 2500年前 硬貨の発明――普遍的な貨幣。
       ペルシア帝国――「全人類のため」の普遍的な政治的秩序。
       インドの仏教――「衆生を苦しみから解放するため」の普遍的な真理。
 2000年前 中国の漢帝国。地中海のローマ帝国。キリスト教。
 1400年前 イスラム教。
 500年前 科学革命が起こる。
      人類は自らの無知を認め、空前の力を獲得し始める。
      ヨーロッパ人がアメリカ大陸と各海洋を征服し始める。
      地球全体が単一の歴史的領域となる。
      資本主義が台頭する。
 200年前 産業革命が起こる。
      家族とコミュニティが国家と市場に取って代わられる。
      動植物の大規模な絶滅が起こる。
 今日 人類が地球という惑星の境界を超越する。
    核兵器が人類の生存を脅かす。
    生物が自然選択ではなく知的設計によって形作られることがしだいに多くなる。
 未来 知的設計が生命の基本原理となるか?
    ホモ・サピエンスが超人たちに取って代わられるか?

【『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)】

 致し方なくラベルを「世界史」にしてあるが正確には「人類史」である。恐ろしく抽象度の高い視点で人類の歴史を振り返っても見通せる未来は短い。科学革命~産業革命を経て情報革命に至ると技術進化の速度は限界に近づく。シンギュラリティ(技術的特異点/※想定では2045年)を超えればヒトは主役の座から引きずり降ろされるに違いない。

 ユヴァル・ノア・ハラリが示すマクロ歴史学の視点は人類史を生老病死にまで圧縮する。人生において「虚構の言語が出現する」のは3歳前後であり、「歴史的現象」としての人の一生が始まる。それぞれの革命期は青壮年時代といってよい。今後のイノベーション(技術革新)は老化する肉体を補い、脳を生き永らえさせることが重視される。ヒトは情報として扱われダウンロードやアップロードさえ可能となる。

 人類の進化とは環境への適応だけにとどまるものではない。農業革命、都市革命、精神革命、科学革命という変遷は【むしろ環境をヒトに適応させる営みであった】。ポスト・ヒューマン(人間以後)の時代に到来するのは宇宙革命である。知性とコンピュータを融合し宇宙全体を地球化する壮大な営みが開始されることだろう。

 マクロ歴史学という壮大な時間スケールが自分の存在を一つの点にまで押し縮める。数百億の人々が生まれては死に、歴史は断続的に切り取り線上を進んでゆくのだろう。個々の動きはブラウン運動のようにバラバラでも少し離れて見れば一定の方向に流れているのがわかる。

 原子のような存在でありながらも歴史を自覚し得るのは人間だけである。

2019-05-12

神経系は閉回路/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 言い換えればこうなる。私たちに物が見えるのは、そもそも網膜からのメッセージ(これからしてすでに、たんに網膜が感知した光以上のもの)を受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナヴァレーラは、外界から何かが入ってくることをいっさい認めていない。全体が閉回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能の持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出――つまり感覚と行動――との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。とくにマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだがから、問答は無用という理屈だ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラはオートポイエーシス理論(1973年)の提唱者である。

「神経系は閉回路」であるとの指摘は、「世界は五感の中に存在する」という私の持論と親和性がある。閉回路と言い切ってしまうところが凄い。例えるなら池が私であり池に映った映像が世界である。映像は池そのものに接触も干渉もしない。つまり閉回路である。と言ってしまうほど簡単なものではない。

 私の乏しい知識と浅い理解で説明を試みるならば、まず宇宙が膨張しているのか静止しているのかという問題があって、そこからエントロピーに進み、どうして生物はエントロピーに逆らっているのかという疑問が生まれ、散逸系というアイディアが示され、自己組織化に決着がつくと思われたまさにその時、オートポイエーシス論が卓袱台(ちゃぶだい)を引っくり返したわけである。

 個人的には科学が唯識に追いついた瞬間を見た思いがする。人生は一人称である。縁起という関係性はあっても因果は自分持ちだ。

「私」は閉鎖系である。コミュニケーションというのは多分錯覚で実際は「自分の反応が豊かになる」ことを意味しているのだろう。人が人を理解することはない。ただ同調する生命の波長があるのだろう。ハーモニーは一つであっても歌う人がそれぞれ存在する状態を思えばわかりやすいだろう。違和感を覚えるのは音程やスピードが合わないためだ。

 私があなたの手を握ったとする。物理学的に見れば手と手は触れ合ってはいない。これは殴ったとしても同様である。必ず隙間がある。もしも隙間がなかったら私とあなたの手は合体するはずである。厳密に言えば「握られた圧力を脳が感じている」だけなのだ。つまり私とあなたが一つになることはない。

 これからヒトが群れとして進化するならば必ず「識の変容」があるはずだ。その時言葉を超えたコミュニケーションが可能となる。

2008-12-03

対話とはイマジネーションの共有/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 第2部のコミュニケーション論より。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「外情報」とは、トール・ノーレットランダーシュ独自の言葉で、意図的に割愛された情報という意味。多くの外情報があればあるほど、言葉のメッセージ性は深まるとしている。情報の余力といっていいだろう。あるいは奥座敷。

 言葉というものは大変便利であるが、自分が何かを話す時には単なる道具と化す。例えば、友人とレストランへ行ったとしよう。二人で口を揃えて「美味しい」と絶賛しても、言葉の内容は異なっているはずだ。また逆から考えてみれば、もっとわかりやすい。いかに美味なるご馳走であっても、それを言葉で表現するには限界がある。結局、「お前も一度食べてみろ」ってな結果となりやすい。なぜか? 感動が伝わらないからだ。

 わかり合えないからこそ、わかり合う努力が必要となる。だから人は意を尽くし、言葉を尽くす。それどころか、マルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)によれば、会話をしている人間同士は微妙なバイブレーションを起こしていて、ダンスを踊っている事実が検証されている。

 確かに、対話とはイマジネーションの共有といえそうだ。豊かな言葉と表現力と共に、「外情報」を増やすという奥床しさを説いているのが斬新。「理解し合える」ことは、ある種の「悟り」に近いものだと私は考えている。



飯島和一作品の外情報
コミュニケーションの第一原理/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー
死線を越えたコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

2010-05-01

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「論理の限界」、「言葉の限界」を見事に言い当てている。固有の経験を論理化することはできない。人間が持つコミュニケーション能力は無限の言葉でそれを相手に伝えようとしてきた。哲学がわかりにくいのは経験を伴っていないためであろう。ただ、思考をこねくり回しているだけだ。一人の先達の「悟り」を言葉にしたのが宗教であった。とすれば、教義という言葉の中に悟りは存在しないことになる。そこで修行が重んじられるわけだが、今度はスタイルだけが形式化されて内実が失われてしまう。

 もっとわかりやすくしてみよう。例えば自転車を知らない人々に「自転車に乗る経験」を伝えることが果たして可能だろうか? ブッダやクリシュナムルティが伝えようとしたのは多分そういうことなのだ。



脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

2012-02-13

宗教とは何か?


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

 忘れないうちに記録しておく。いきなり読んでも理解に苦しむことと思われるので、せめてキリスト教の知識を身につけてから読むことが望ましい。

『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『イスラム教の論理』飯山陽
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『唯脳論』養老孟司
『カミとヒトの解剖学』養老孟司
『死生観を問いなおす』広井良典
『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』高橋昌一郎
『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』高橋昌一郎
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎
『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ
『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『マインド・コントロール』岡田尊司
『宗教で得する人、損する人』林雄介
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『サバイバル宗教論』佐藤優
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ
『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ
『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳

 ・宗教とは何か?/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
 ・宗教とは何かを理解するための6つの諸類型かんたんなまとめ
 ・宗教とは何か
 ・宗教とは何か?
 ・「宗教とは何か」真宗大谷派 福壽山 圓光寺

2014-04-28

情報とアルゴリズム


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

『リサイクル幻想』武田邦彦
養老孟司特別講義 手入れという思想 (新潮文庫)
『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』マックス・テグマーク
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド
『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン

2018-09-04

人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄

 ・人間は世界を幻のように見る

『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

必読書リスト その四

 私は長いあいだ人間の心の動きを驚(おどろ)き怪(あや)しんできた。その謎(なぞ)を解きたいと願っていたのだったが、その正体もはっきりとは摑(つか)めず、どこから手をつけていいかも分からない。ただ茫然(ぼうぜん)として手をこまねいている間に年月は奔(はし)って、もはや日暮(ひぐ)れである。
 この謎は、まだ学問の領域(りょういき)ではとりあげられていないのではないか、という気がする。私にはそれを解くことはできず諦(あきら)める他はないのだが、今までにああではないかこうではあるまいかと思いあぐんだ段階のことを記しておきたい。
 その人間の心の不可解とは、だいたい、客観世界(きゃっかんせかい)についての人間の認識とはどういうものなのだろうか、というようなことである。
 人間はナマの世界に自分で直接にふれることはあまりないのではなかろうか。むしろ、世界についてのある映像(えいぞう)の中に生きているのではないのだろうか。
 そして、その人間の世界に対する映像(えいぞう)のもち方は、自分の直接の経験(けいけん)から生れたものよりも、むしろおおむね他から注ぎこまれたものではないだろうか? 「このように見よ」という教条(きょうじょう)のようなものがあって、人間はそれに合せて世界を見る。人間の対世界態度は他から与えられ、これが基本になって世界像がえがかれ、人間はその世界像にしたがって行動する。この際に理性はほとんど参与しない。(「人間は世界を幻のように見る ――傾向敵集合表象――」)

【『歴史的意識について』竹山道雄(講談社学術文庫、1983年)以下同】

 竹山道雄の著作を貫いてやまないのは「イデオロギーに対する不信感」である。その筆鋒(ひっぽう)はナチス・ドイツ、軍国ファッショ、社会主義・共産主義に向けられた。時代を激しく揺り動かすのは煽動されたファナティックな大衆である。大衆は他人から与えられた結論を自分の判断と錯覚し、時代の波に飲み込まれ、次の波を形成してゆく。

 岸田秀が『ものぐさ精神分析』で唯幻論(ゆいげんろん)を披露したのが1977年のこと。注目すべき見解ではあったが学問的な裏づけが弱い。西洋の認識論はプラトンからデカルトまでの流れがあるが、より具体的な進展は人工知能分野における認知科学まで待たねばならなかった。

 1976年に『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』(ジュリアン・ジェインズ)の原書が出ている。ジェインズの衣鉢を継いだ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ)の原書が1991年である。同年には『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』(トーマス・ギロビッチ)も刊行されている。その後、コンピュータの発達によって脳科学が一気に花開く。アントニオ・R・ダマシオもこの系譜に加えてよい。

 宗教分野では『解明される宗教 進化論的アプローチ』( ダニエル・C・デネット)、『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』(ニコラス・ウェイド)、『神はなぜいるのか?』(パスカル・ボイヤー)、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース)と豪華絢爛なラインナップが勢揃いした。

 そしてコンピュータ文明論ともいうべき『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(レイ・カーツワイル)にまでつながるのである。

 傾向敵集合表象はナマの客観世界からは独立して、人間精神の中だけで成立した世界像であるが、ほとんど絶対の権威(けんい)をもって支配する。それが風のごとく来ってまた去ってゆくのを私は幾度(いくど)も経験した。それが一世を覆(おお)うのをいかんとも解することができず、ついには国運をも傾けてゆく中にただ怪訝(かいが)の念をもって揉(も)まれていた。

 大東亜戦争は冷静に考えれば確かに勝ち目のない戦争であった。講和をするのも遅すぎた。黒船襲来不平等条約三国干渉人種的差別撤廃提案の否決と国民的鬱積は60年以上にも及んだ。軍国主義に至った背景を思えば、当時の政治家や国民を軽々しく批判することは難しい。ドイツは第一次世界大戦後に敗れて法外な賠償金を求められ、国民の溜まりに溜まった怒りがヒトラーを誕生させたのと似ている。しかし日本に独裁者は存在しなかったし、大量虐殺の計画も実施もない。

 共同幻影は集団の中に暗示(あんじ)によって触発され、さながら女が衣装(いしょう)の流行から免(まぬか)れることができないのと同じ強制力(きょうせいりょく)をもつ。それはさながら水が大地に浸(し)みるように拡(ひろ)がってゆくのだが、それに対して、個人の理性をもってしては歯が立たない。

 大正期や戦後の赤化(せっか)が正しくそうだった。かつての大本教創価学会もそうだったのかもしれぬ。

 傾向敵集合表象はつねに論理化して説かれる。そして、理屈(りくつ)はみな後からつく。どのようにもつく。
 その幻影と狂信を正当化する理屈のつけ方には、さまざまなパターンがある。
 もっともしばしば行われるのは「部分的真理の一般化」ということである。

 いわゆる理論武装である。特にキリスト教世界から誕生した共産主義はディベートの流れを汲(く)んでいて自分たちへの批判を想定した問答をマニュアル化する。現実の否定、あるべき理想、論理の構築が三位一体となって脳内情報を書き換える。

 人間はごく身のまわりの事や昨日とか今日の事についてならともかく、すこし離れたことについては、自分が主体になってナマの経験に即して判断することは、ほとんどない。むしろ、集団がいだいている社会表象とでもいうべき、あたえられた枠組(わくぐみ)にしたがって判断する。これは個人が主体であるといわれるヨーロッパ人でもやはりそうである。

 時代の波をつくるのは人々の昂奮や熱狂だ。理性ではない。群れを形成することで生き延びてきた我々の脳(≒心)は他人に同調しやすい。なぜなら同調することが生存確率を高めたのだから。

 いちじるしいことであるが、「第二現実」のみが、人間のエモーションをはげしく動かす。ナマの現実によって激情(げきじょう)が触発(しょくはつ)されることはあまりない。ナマの現実に異変があったときには、むしろそれへの対応(たいおう)にいそがしく、戦中もいかにして食物を手に入れるとか疎開(そかい)するとかに集中して、われわれはむしろプラクチカルになり、悲観(ひかん)とか絶望(ぜつぼう)という情動(じょうどう)はなかった。敗戦のときには虚脱(きょだつ)してむしろ平静だったが、やがて宣伝(せんでん)がはじまってから激動(げきどう)した。戦時中には自殺はなく、敗戦翌年にはおどろくべき数にのぼった。

 私が「物語」と呼び、バイロン・ケイティが「ストーリー」と名づけたものを、竹山は「第二現実」といっている。創作された映画や小説が「第二現実」であるように、我々は「自分」というフィルターを通して世界を見つめる。そこに喜怒哀楽が生まれる。人の感情の多くは誤解や錯誤から生じているのだ。「見る」という行為をブッダは如実知見と説き、智ギ天台は止観とあらわし、日蓮は観心本尊抄を認(したた)め、クリシュナムルティは徹底して「見る」ことを教えた。

 私の眼は節穴なのだろうか? その通り。人間の五感の中で視覚情報が圧倒的に多いのは脳の後ろ1/3を視覚野が占めているためである。ところがだ、実際の視覚情報は我々が感じているような細密なものではなく脳が補完・調整をしているのだ。しかも知覚は準備電位より0.5秒遅れて発生し、視覚の場合は更に光速度分の遅れが加わる。例えば北極星でサッカーが行われたとしよう。我々が超大型電波望遠鏡で見るのは434年前に行われたゲームだ。

 そして見る行為には必ず見えないものが含まれている。表が見えている時、裏は見えない。中も見えない。前を見る時、後ろは見えない。遠くを見る時、近くは見えない。美人を見る時、その他大勢は見えない。見るとは見えない事実を自覚することである。ま、無知の知みたいなもんだ。

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2013-09-23

ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』の手引き


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

 やっと半分読み終えたところだ。568ページの大冊。いきなり取り掛かっても理解に苦しむことと思われるので、併読すべき関連書を示しておく。

■(サイ)の発見/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽




ソマティック・マーカー仮説/『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(『生存する脳 心と脳と身体の神秘』改題)アントニオ・R・ダマシオ





「意識の誘引」→「意識への誘因」に訂正



 まずは外堀から埋めてゆこう。

ネオ=ロゴスの妥当性について/『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 次に物語の意味を学ぶ。

物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一

 続いて歴史の本質を知る。

世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 で、『ユーザーイリュージョン』へ進みたいところだが、基本的な科学知識がない場合は以下を読む。

太陽系の本当の大きさ/『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 そして意識を巡る探究においては本書と双璧を成す神本(かみぼん)。

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ここまで読めば多くの人々が「自分は天才になってしまった」と錯覚することができるだろう(笑)。だが本気で英知を磨きたいのであれば更に以下へと進む。

『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)
脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム:渡会圭子〈わたらい・けいこ〉訳(インターシフト、2011年)
宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
指数関数的な加速度とシンギュラリティ(特異点)/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 以上である。「ざまあみやがれ」というほど頭がよくなる。我ながら素晴らしいラインナップだ。「さすが本読み巧者」と褒めてくれ給え。



言語的な存在/『触発する言葉 言語・権力・行為体』ジュディス・バトラー
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
『歴史的意識について』竹山道雄

2014-05-12

情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック


・情報理論の父クロード・シャノン

『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

通信というものの本質的な課題は、ある地点で選択されたメッセージを、別の地点で精確に、あるいは近似的に再現することである。メッセージはしばしば、意味を有している。
     ――クロード・シャノン(1948年)

【『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(新潮社、2013年)以下同】


 巻頭のエピグラフは「通信の数学的理論」からの引用で最も有名な部分である。クロード・シャノンはこの論文で情報理論という概念を創出した。同年、ベル研究所によってトランジスタが発明される。「トランジスタは、電子工学における革命の火付け役となって、テクノロジーの小型化、偏在化を進め、ほどなく主要開発者3名にノーベル物理学賞をもたらした」。ジョージ・オーウェルが『一九八四年』を書いていた年でもあった(刊行は翌年)。

 もっと深遠で、科学技術のもっと根幹に関わる発明は、《ベル・システム・テクニカル・ジャーナル》7月号及び10月号掲載の、計79ページにわたる論文として登場した。記者発表が行なわれることはなかった。『通信の数学的な一理論』という簡潔かつ壮大な表題を付けた論文は、たやすく要約できるような内容のものではない。しかし、この論文を軸に、世界が大きく動き始めることになる。トランジスタと同様、この論文にも新語が付随していた。ただし、“ビット”というその新語を選んだのは委員会ではなく、独力で論文を書きあげた32歳の研究者クロード・シャノンだった。ビットは一躍、インチ、ポンド、クォート、分(ふん)などの固定単位量、すなわち度量衡の仲間入りを果たした。
 しかし、何の度量衡なのか? シャノンは“情報を測る単位”と記している。まるで、測定可能、軽量可能な情報というものが存在するかのように。

 bitとはbinary digit (2進数字)の略でベル研究所のジョン・テューキーが創案し、シャノンが情報量の単位として使った。

「シャノンは電信電話の時代に、情報を統計分析に基づいてサンプリングすることにより、帯域幅が拡大するにつれてCD、DVD、デジタル放送が可能になり、インターネット上でマルチメディアの世界が広がることを理論的に示していた」(インターネット・サイエンスの歴史人物館 2 クロード・シャノン)。そして科学の分野では量子情報理論にまで及んでいる。

 電信の土台となる仕組みは、音声ではなく、アルファベットの書き文字を短点(・)と長点(―)の符合に変換するというものだが、書き文字もまた、それ自体が符合の機能を備えている。ここに着目して、掘り下げてみると、抽象化と変換の連鎖を見出すことができる。短点(・)と長点(―)は書き文字の代替表現であり、書き文字は音声の代替表現であって、その組み合わせによる単語を構成し、単語は意味の究極的基層の代替表現であって、この辺まで来ると、もう哲学者の領分だろう。


 情報伝達の本質が「置き換え」であることがよくわかる。私が常々書いている「解釈」も同じ性質のものだ。そして情報の運命は受け取る側に委ねられる。

(※自動制御学〈サイバネティクス〉、1948年)と時期を同じくして、シャノンは特異な観点から、テレビジョン信号に格別の関心を寄せ始めた。信号の中身を結合または圧縮することで、もっと速く伝達できないかと考えたのだ。論理学と電気回路の交配から、新種の理論が生まれた。暗号と遺伝子から遺伝子理論が生まれたように。シャノンは独自のやりかたで、何本もの思索の糸をつなぐ枠組みを探しながら、情報のための理論をまとめ始めた。

 情報が計測可能になった意味はこういうところにあるのだろう。考えようによっては芸術作品も圧縮された情報だ。またマンダラ(曼荼羅)は宇宙を圧縮したものだ。

 やがて、一部の技師が、特にベル研究所の所員たちが、“情報”(インフォメーション)という単語を口にし始めた。その単語は、“情報量”“情報測定”などのように、専門的な内容を表わすのに使われた。シャノンも、この用法を取り入れた。
“情報”という言葉を科学で用いるには、特定の何かを指すものでなくてはならなかった。3世紀前に、物理学の新たな研究分野が拓かれたのは、アイザック・ニュートンが、手あかのついた曖昧な単語に――“力”“質量”“運動”、そして“時間”にまで――新たな意味を与えたおかげだった。これらの普通名詞を、数式で使うのに適した計量可能な用語にしたのだ。それまで(例えば)“運動”は“情報”と同じく、柔軟で包括的な用語だった。アリストテレス哲学の学徒にとって、運動とは、多岐にわたる現象群を含む概念だった。例えば、桃が熟すこと、石が落下すること、子が育つこと、身体が衰えていくことなどだ。あまりにも幅が広すぎた。ニュートンの法則が適用され、科学革命が成し遂げられるには、まず、“運動”のさまざまなありようの大半がふるい落とされなくてはならなかった。19世紀には、“エネルギー”も、同じような変容の道をたどり始めた。自然哲学者らが、勢いや強度を意味する単語として採用し、さらに数式化することで、“エネルギー”という言葉を、物理学者の自然観を支える土台にした。
“情報”にも、同じことが言える。意味の純度を高める必要があった。
 そして、意味が純化された。精製され、ビットで数えられるようになると、情報という言葉は至るところで見出された。シャノンの情報理論によって、情報と不確実性のあいだに橋が架けられた。


 情報理論は情報革命であった。シャノンの理論はものの見方を完全に変えた。宗教という宗教が足踏みを繰り返し、腰を下ろした姿を尻目に、科学は大股で走り抜けた。

 この世界が情報を燃料に走っていることを、今のわたしたちは知っている。情報は血液であり、ガソリンであり、生命力でもある。情報は科学の隅々まで行き渡りつつ、学問の諸分野を変容させている。

 我々にとっての世界が認知を通じた感覚器官の中に存在するなら、感覚が受け取るのは情報であり、我々自身が発するのもまた情報なのだ。この情報世界をブッダは「諸法」と説いたのであろう。ジョウホウとショホウで音も似ている(笑)。

「各生物の中核をなすのは、火でもなく、神の呼気でもなく、“生命のきらめき”でもない」と、進化理論を研究するリチャード・ドーキンスが言い切っている。「それは情報であり、言葉であり、命令であり……(中略)……もし生命を理解したいなら、ぶるぶる震えるゲルや分泌物ではなく、情報技術について考えることだ」。有機体の細胞は、豊かに織りあげられた通信ネットワークにおける中継点(ノード)として、送受信や、暗号化、暗号解読を行なっている。進化それ自体が、有機体と環境とのあいだの、絶えざる情報授受の現われなのだ。
「情報の環(わ)が、生命の単位となる」と、生物物理学者ヴェルナー・レーヴェンシュタインが、30年にわたる細胞間通信の研究の末に語っている。レーヴェンシュタインは、今や“情報”という事おばがもっと奥深いものを意味していることを、わたしたちに気づかせる。「情報は、宇宙の組成と秩序の原理を内に含み、またその原理を測る精確な物差しとなる」。

「ぶるぶる震えるゲルや分泌物」とは脳や血液・ホルモンを示したものだろう。「情報の環(わ)が、生命の単位となる」――痺れる言葉だ。『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』でレイ・カーツワイルが出した答えと一致している。

 生命それ自体は決して情報ではない。むしろ生命の本質は知性、すなわち計算性にあると考えられる。つまり優れた自我をコピーするよりも、情報感度の高い感受性や統合性を身につけることが正しいのだ。尊敬する誰かを目指すよりも、自分のCPUをバージョンアップし、ハードディスク容量を増やし、メモリを増設する人生が望ましい(宗教OS論の覚え書き)。

インフォメーション―情報技術の人類史
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情報エントロピーとは/『シャノンの情報理論入門』高岡詠子
無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
「物質-情報当量」