2018-10-01

李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 ・李承晩の反日政策はアメリカによる分断統治

『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘 2015年

 李承晩がアメリカの承認を得て大統領になった1948年当時は、当然のことながら韓国国民はみな日本統治時代のことを知っていたわけで、それゆえ過去を懐かしむということも多々あったわけですが、そうした親日的な人々が次々に投獄されることなった。李承晩が大統領に就任してからの2年間に、こうした政治的弾圧によって投獄された人々の数は、日本統治時代を通じて投獄された人々の総数を超えるほどだったといわれています。
 もちろん学校教育においては反日教育が徹底的に行われました。日本の出版物やテレビドラマ、歌謡曲などの大衆文化も「公序良俗に反する」として輸入や放送が規制されました。こうした規制は延々半世紀にわたって続き、部分的ながら開放されるようになったのはつい最近のことにすぎないのです。

【『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘(徳間書店、2014年)以下同】

 韓国の民主化・自由化が実現したのは金大中〈キム・デジュン〉大統領の時代で1997年のことである。李承晩の後を継いだ朴正熙〈パク・チョンヒ〉~全斗煥〈チョン・ドゥファン〉は軍事クーデター政権で、盧泰愚〈ノ・テウ〉も軍出身者だった。続く金泳三〈キム・ヨサンム〉は文民だが旧軍事政権と選挙協力をしていた。

 義務教育で反日教育を施しているのは中国と韓国であり、戦争を前提とした準備行動であると考えるのが妥当だ。反日デモや反日行動が報じられるようになり日本人の反中・反韓感情が一気に高まった。フリー・チベット運動によって眼(まなこ)を開いた人も多いことだろう。私もその一人だ。

 東アジアを不安定なまま維持するのがアメリカの防衛戦略である。自らの覇権のために他国を混乱させるのがアングロサクソン流だ。

 反共はともかく、なぜ李承晩はこれほどまで徹底して反日政策をとったのかといえば、それが取りも直さずアメリカの政策にほかならなかったからです。アメリカは朝鮮半島が日本の領土であることを認識していました。それゆえ日本と韓国を分割統治する上で、韓国における日本の残滓(ざんし)を一掃しなければならないと考えました。とりわけ韓国国民に染みついた過去の日本式教育をアメリカの意思にかなったものに改革しなければならない。そうでなければ日本と韓国を切り離すことができないからです。それにはまず徹底的に反日感情を植えつけて両国を離反させる、というのが当時のトルーマン大統領によるアメリカの韓国占領政策であり、それはまたディバイド・アンド・ルール(分割統治)の原則でした。そしてそれを忠実に実践したのが李承晩という傀儡だったわけです。

 分割統治は大英帝国のお家芸である。相手国の少数派を特権階級化して植民地経営を行うのを基本とする。反英感情を防ぐ盾(たて)のようなものだ。ルワンダで同じ民族の人々をツチ族とフツ族に分けたのもベルギーによる分割統治であった。それがあのルワンダ大虐殺にまで発展するのだ。

 韓国の建国が1948年(昭和23年)である。アメリカの反日政策はキッシンジャーの米中外交(1971年)にまで脈々と引き継がれた。周恩来に魅了されたキッシンジャーは在日米軍を「ビンの蓋(ふた)」に例え、飽くまでも日本の軍事的膨張を防ぐところに目的があると言明した。文化大革命を生き延びた周恩来からすればキッシンジャーなど青二才同然であったことだろう(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)。

 キッシンジャーはいまだ健在である。トランプ政権を陰で支えているのだ。現在アメリカでは軍産複合体を支配するユダヤ人旧勢力とユダヤ人新勢力の綱引きが激化している。米国内の主導権が変わったところでキッシンジャーが絵を描いている以上、東アジア戦略は変わることがないだろう。今後、韓国が北朝鮮に飲み込まれる形で統一されれば、日本の立ち位置はかなり危うくなる。台湾・フィリピン・ASEAN諸国と連携するしか道はない。

 韓国が埋め込まれた反日感情に自ら気づくことは難しいだろう。とすれば日清戦争と同じ状況が再びやって来るに違いない。

コミンテルンの物語/『幽霊人命救助隊』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・コミンテルンの物語

『ジェノサイド』高野和明

「私がここに来たのは他でもない。諸君に、天国へ行くチャンスを与えてやろうというのだ」神は、天を指して繰り返した。「天国だ。いい所だぞ」
「私たち、天国に行けるの?」と、美晴が胸の前で両手を組み合わせて訊いた。彼女の瞳は、信心深い尼僧(にそう)のようにきらめいていた。
「だがその前に」と神は一同を見廻した。「諸君に償いをしてもらいたい。粗末にした命の償いをな」
 4人は、不安げに顔を見合わせた。

【『幽霊人命救助隊』高野和明(文藝春秋、2004年/文春文庫、2007年)以下同】

『ジェノサイド』の書評を既にアップしていたことを失念していた。どうもBloggerの検索は甘いような気がする。

 私が読んだのは降順である。つまり『ジェノサイド』から遡(さかのぼ)って『13階段』に至った。本書だけ読了していない。3分の1ほどで放り投げた。

 私はこれまでにおそらく万という桁の本を読んだはずである。そのなかで、この本はつまらない本とはいえない。でも読後につまらなかったと思うなら、だれかにプレゼントすればいい。それなら買っても損にならない。プレゼントした相手によっては、喜ばれると思う。なぜかというと――それは内容を読んでもらえばわかる。(文庫版解説:養老孟司〈ようろう・たけし〉)

 養老孟司といえばミステリの愛読者として知られる。著作は面白いのだが「解説」は実に下手くそで斜(しゃ)に構えた態度も様になっていない。それはともかくとして読み巧者の養老が評価するほどの「構成」と考えていいだろう。

 私が読んできた本の数は数千冊である。多分2000~3000冊の間だろう。今から毎年200冊読んだとしても1万冊に届くのは難しい。そんな私からしても本書は駄作であると思う。

 4人の幽霊は自殺をした人々だった。そんな彼らの前に神が姿を現し、「天国へゆきたいなら、自殺志願者100人を救え」と命じる。彼らには自殺志願者を見つけ出すための不思議な道具も用意される。ま、再生の物語なのだろう。幽霊たちは「救う」行為によって自分たちが「救われる」のだ。舞台設定や道具立てが安易なため再生の中身が問われることになる。読者は「癒(いや)し」という褒美(ほうび)にありつけるわけだ。

 ところが、である。『ジェノサイド』で高野和明の左翼史観に気がつけば、本書はコミンテルンの指示で共産主義国家を作ろうとする人々と同じ構図であることが見えてしまうのだ。全体主義を批判した『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著)とは逆のベクトルで「信頼」をテーマにした娯楽作品としたのは読みやすさで読者を獲得するためだろう。

 餌(えさ)に釣られて働くという点ではサラリーマンと変わりがないわけだが、「充実した仕事」そのものが一種の報酬として機能している。神と幽霊を戯画化して描いたのも実に左翼的である。

2018-09-29

チェーンとスプロケットの手入れ


歩道を走る勇気を持て

 ・チェーンとスプロケットの手入れ

【宮ヶ瀬湖 2018年9月28日】


「そういや、チェーンの手入れをしないとな」と、私は家にあったバイク用のグリス使った。ついでなのでスプロケットにもグリススプレーを吹き付けた。これが失敗だった。まあ汚れること汚れること。しかもネット上を調べたところ、グリスではチェーンの結合部に浸透しないことが判った。

 チェーンの手入れは「汚れを落とす」ことと「注油」の二つである。取り敢えず仕方がないので灯油で洗った。キッチンタオルだとボロボロになってしまうので穴の空いたリネンのシーツをウエス替わりにした。スプロケットは上手く掃除ができないので綿棒を使った。

 注油に関してはミシン油でいいようだ。安いクリーナーを見つけたので一緒に買った。いやはやこれは凄いよ。とてつもない勢いでクリーナーが噴射され、黒々としたグリスが一瞬で落ちた。室内で行うのはかなり危険である。周囲に油が飛び散るため。更にミシン油の容器が欲しかったので安いチェーンオイルも購入した。AZ(エーゼット)様々である。チェーンは一コマに一滴ずつ注油してゆく。愛車の手入れを喜んで行わない者は自転車に乗る資格がない。月に一遍程度は手入れを行いたい。

 ここのところ1週間があっという間に過ぎてゆく。そりゃそうだ。週に2回自転車に乗ったとしてもそれだけで10時間近くを費やしているのだから。私は一度に4~5時間、60~70km程度走り込む。今は体作りが中心なのでサイクリングというよりはペダリングを心掛けており、どこぞの目的地を目指すよりも一踏み一踏みのペダリングに意識を研ぎ澄ましている。

 昨日は64km走った。折からの雨で山陰には冷気が漂い、水郷田名の岩盤には沢のような水がここかしこに流れていた。蝉の声はもう無い。去りゆく夏を惜しむ間もなく台風がやって来る。

【水郷田名の小さな滝 2018年9月28日】




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玉に瑕ある傑作/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

『実際のところ、約600万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれした生物は、猿人、原人、旧人、新人と姿を変える過程で、進化の速度を明らかに加速させている。人類の進化は、明日にでも起こり得るのである。
 現生人類から進化を遂げた次世代のヒトは、大脳新皮質をより増大させ、我々をはるかに凌駕(りょうが)する圧倒的な知性を有するはずである。その知的能力を、オリヴィエはこのように想像する。「第四次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的特質の所有」
 このような次世代の人類が出現し得る場所は、文明国ではなく、周囲との交通が遮断された未開の地である可能性が高い。こうした地域に住む少数の集団では、個体レベルの遺伝子変異が集団間に定着しやすいためである。
 では、新たに誕生したヒトは、どのように行動するだろうか。間違いなく言えることは、我々を滅ぼしにかかるだろうということである。現生人類と次世代の人類、この二つの生物種は生態的地位(エコロジカル・ニッチ)が完全に一致するため、我々を排除しない限り、彼らの生息場所は確保されない。その上、彼らから見た現生人類とは、同種間の殺し合いに明け暮れ、地球環境そのものを破壊するだけの科学技術を持つに至った。危険極まりない下等動物なのだ。知的にも道徳的にも劣った生物種は、より高度な知性によって抹殺される。
 人類の進化が起これば、ほどなくして我々は地球上から姿を消す。北京原人やネアンデルタール人と同じ運命を辿るのである――』

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 私が初めて読んだ高野作品である。文章といい筋書きといい文句なしなのだが、如何せん自虐史観を披露してしまっている。20年前に出版されていたなら大ベストセラーとなっていたことだろう。「たまたま」とか「迂闊」(うかつ)で済ませるわけにはいかない。たぶん高野和明は真性の左翼だろう。

 それでも読む価値はある。ルワンダ大虐殺にも触れていてジェノサイドのメカニズムが巧みに説明されている。歴史認識のリトマス試験紙と考えれば有意な一冊といってよい。

 高野は満を持して本書を執筆したに違いない。自虐史観に対する批判も承知の上で書いたのだろう。そもそも大衆は近代史などに興味がない上、義務教育もマスコミも自虐史観を踏襲しているのだ。一定のファン層を拡大してしまえば、小さな嘘は見過ごされる可能性が高い。そんな思惑があったのではないか。

 無知な人々は嘘を見抜けない。そして人は漫然と見過ごす情報にマインドをコントロールされてゆく。「知は力」(フランシス・ベーコン)なのだがその力はプラスにもマイナスにも働く。

 ソ連が崩壊し冷戦構造に終焉を告げたわけだが左翼は死んでいなかった。驚くべき事実である。特に「新しい歴史教科書をつくる会」(1996年設立)や第一次安倍内閣(2006年)、第二次安倍内閣(2012年)に対して新聞・テレビを巻き込んで尖鋭的な動きが出てきた。

 就中、2017年5月3日、第19回公開憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで安倍首相が憲法改正に向けて踏み込んだ発言をするや否や、野党と新聞・テレビは森友学園問題~加計学園問題を執拗(しつよう)に取り上げ始めた。政権バッシングのキャンペーンともいうべき現象で国会は1年間にわたって空転を余儀なくされた。北朝鮮が核開発を行い、中国が領空・領海侵犯を繰り返す状況にありながら、国会では学校の許認可を巡る議論が継続されてきたのは異常事態といってよい。

 国を貶める行動や言論を放置し続けてきたツケが回ってきたのだ。スパイを取り締まる法律すら作ることなく、海外マネーが政党に流れるような国である。戦争でも起こらない限り目を覚ますことは難しいだろう。

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2018-09-28

臨死体験/『死 私のアンソロジー7』松田道雄編集解説


安楽死と臨死体験を巡る議論
身体感覚の喪失体験/『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保

 ・臨死体験

 10日の深夜から意識がもどってきたが、それと共に苦痛が来た。それは怒涛といってよかった。それに襲われると、眼の前も頭の中も、真赤になった。血の色である。私はふんづけられ、くちゃくちゃにまるめられ、ひきちぎられ、たたきつけられ、うなり声をあげた。その極限で意識はもうろうとなり、幻影じみたものをたびたび眺め、そして昏睡した。また意識がもどってきて、私をふみくだく。私の胸からつき出しているドレンの管に、私が、うっ、と言うたびに血がふき出しているらしい。私は胸の中にたまっている血が喉へつきあげてくるのがわかるが、咳をすることが全く苦しくてできない。そして、熟練したおばさんが私の胸をかるくおしながら血を吐かせる。おばさんが隣のおばさんに、囁くように言う声が、眼を閉じてうめいている私の耳にとてつもなく大きく聞える。
 ――血がとまらないのよ、ドレンの管へびゅっびゅっと、ほら、こんなに、こんなにたまってしまって。
 そして痛みの極みに達した時、私はすうっと飛びはじめたのを感じたのだ。いまにして思えば、これは多分幻覚だろうと思うのだが、私は、その時、私の姿をはっきり見た。私がこなごなに割れて、燃えつきた黒いかたまりになって、果てしない空間を、とてつもない速さで飛んでいくのである。私は地球を離れたと感じていた。ガガーリンは、地球は青かった、という言葉を人間の歴史に刻んだ。私は空間を飛びながら、ああ、おれの地球はあたたかだった、と思っていた。ほんとにあたたかい星である地球の大地、そこから私は離れて、いまとても寒い、と思った。とてもつめたい。いっそうつめたいところへ飛んでいく。そして私の前方は無限の宇宙空間であり、うす青い色からしだいに濃い青へ、そして黒々とした色へとつづいていた。そうだ、このまま飛びつづけてあそこへおちこんだ時、あの手術室のマスクの中で、突然、何もなくなってしまったように、おれは、パタッとなくなってしまうのだ。こうやっていって、そしてパタと。これが死なんだ、と私ははっきり思った。
 その時、私はもう自分の苦痛すら感じ得ないもうろうたる状態にあったらしい。
 ――そうか、こんなぐあいなのだな、苦しくて苦しくて、というのはあるところまでで、そして、そこを越えるとこんなふうにぼうっとしてきて、そして飛びはじめて、飛びつづけて、あの青黒く果てしもない空間の中でパタと、と私は思った。
 そうか、かつて、手術を受けても死んだ人たちは、いまのおれと同じここまで来て、そして、ここから先へ、あの黒い空間の淵へ行ったんだな、そうか、こんなぐあいだったのか。それが、死だったのか。
 そこから不意に私は、全く強引に、荒々しくつれもどされた。私は全然知らなかったが、レントゲンの器械をおして技師が入ってきていたのだ。私の、手術直後の内部の状態を正確に見るために、深夜、ベッドの上で写真をとるのである。これは、私をひきもどす人間の手だった。私の襟をしっかりつかみ、彼は少しばかり私を起こしたらしい。しかし、私は、肉と皮をばりばりはがれるような痛みで悲鳴をあげた。それはどうも声になっていないらしかった。斜めに起こされた私の背中にかたい大きな板がさしこまれ、そして、写真をうつされると、私はもとのようにねかされた。私はもうあのつめたい空間にはいなかった。地球の上で、ベッドの上で、身動き一つできずにうなっていた。私はまた苦痛にひきちぎられていた。(中略)
 しかし、そこを体験し、くぐったために、私は、私が予想していたものとはちがった、新しい事実にぶつかることとなったのである。
 その第一は、これまで述べてきたように、たとえ幻影であろうと何であろうと、私は死の影を見、それを具体的に感じ得た、ということだ。苦痛の果ての死を具体的に考える一つの手がかりを私は得た、ということだ。つまり、苦痛というものも、その極限に達しはじめると、私は苦痛を感ずる能力を失っていったのだ。それは苦痛というものとは別の次元であるように感じた。つまり、苦痛に襲われている間は、私はまぎれもない一個の生命体としてその生の状況を苦しんでいたのだ。そのような状態に追いつめられている傷ついた生そのものを苦しんでいたのである。
 そこを過ぎると死との間の中間帯の次元が現れる。そこでは苦痛を感じ反応し、さまざまの信号を脳が発する能力はしだいに弱まり、あいまいになってしまう。そこに入っていった時、私は、あたたかい地球から離れてしまった、と思ったのである。このまま行けば、いっそう私自身も周囲の空間もつめたくなり、そして、そのきわみに、一切が突然なくなってしまう世界がある、と思ったのである。なるほどこういうものだったのか、というぐあいに私が思った、そのことが鮮明に残っている。
 そこにはもう、ただ一つのことを除いては、どのような人間感情も存在しなかった。おれはいま、燃えつきようとする一個の物体だ、と私は思い、そして私の親しい人々に対しても、また私自身についてすら、喜んだり悲しんだりするすべての感情はもはや消滅していた。これはいまにして思えば全く予想しないことであった。親しい多くの人々と別れて、淋しいとかつらいとか悲しいとか、そういった感情はここにくると、もう存在しなかったのである。
 ただ一つだけ、最後まで残っていた感情がある。それは、何とも言えない無念な思いであった。こうやってついに生命に別れを告げるのか、という確認と同時に、かつて人間であり、ただ一度の生を生きたというその証拠を、自分がこうしてパタッと消えるとしても、やはりつづいていくであろう人間の歴史の上に、たとえどんなかすかな爪あととしてでも刻むことなくして飛び去らなくてはならないという無念さであった。
 これは意外だった。自分なりに精いっはい生きてきたつもりだったのに最後にそんなものが残るとは夢にも思わなかった。どうせ死んだらどんな人間もみな同じだ、と思ったりする人も世の中にほあるが、一回きりの生命というものは、一回きりの名において、最後のどたん場で、私を責めたのである。このことについては、これが出発点となって、それ以後私はその内容をさぐっていくようになるのであるが、それは第3章で追究していくことにする。ただ私なりの考えの一端を書いておくと、どうせ一度きりのいのちだ、どう生きようと自由だ、という考え方は、それはそれで、私は別にどう干渉するつもりもないが、生のまさに終えんとするそのどたん場で、はじめて愕然(がくぜん)として、言い知れぬ無念な思いを抱いて死に突入するほど、凝縮された絶望はほかにあるまいと思えるのである。(『生命の大陸 生と死の文学的考察』小林勝〈こばやし・まさる〉、三省堂新書、1969年)

【『死 私のアンソロジー7』松田道雄編集解説(筑摩書房、1972年)】

 抜き書きの3分の1ほどを紹介する。それでも引用の範疇(はんちゅう)を超えているが(笑)。

「安楽死と臨死体験を巡る議論」を参照してもらえばわかるように、私は2001年の時点では「生命は三世にわたって永遠の存在である」との認識に立っていた。天台三諦論の中諦が永遠に続くと信じていたのだ。

 梵網経で説かれる六十二見(外道の邪見)に常見断見がある。我(アートマン)が死後も続くと考えるのが常見で、死ねば終わりと思うのが断見である。

 キリスト教世界には「パスカルの賭け」という有名な詭弁がある。だったらさっさと死ねよ、と言いたくなる。

 生命とか我とか言ったところで所詮「意識」の問題であろう。私は死とは眠りのようなものだと考える。眠りに落ちた瞬間、意識は消える。「夢はどうなんだ?」という声が出そうだが、夢は半覚醒状態で意識が彷徨(さまよ)っているのだろう。ま、幽霊みたいなもんだ。脳が完全に休まれば夢は見ない。

 小林勝の体験――というよりは覚醒後に構成された体験で、バラバラの脳内情報を夢としてストーリーを付与するのと似ている――は劇的で実に面白い。だからこそ鵜呑みにするべきではないのだ。「科学者は、体験談を証拠とはみなさない」(『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー)。

 若い頃にエリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間 死とその過程について』(1971年)も読んだが、私が納得できたのは当時の信念と共鳴したためだ。今となっては読む気も起こらない。

 私は数人の後輩を喪っているが、もちろん彼らは私の胸の中で生きている。父も亡くしたが、やはり胸の中で生きている。疎遠になった友人以上に生き生きと生きている。願わくは死後も生命が続いてどこかで再会したいとは思う。だが思うだけだ。決してそれを信じることはない。いるのだったら化けてでもいいから出てきて欲しい。

 臨死体験は脳内現象である。脳を離れた臨死体験はあり得ないのだ。例えば天井から自分の体を見下ろしたとか、病院内で行ったことのない場所の物を言い当てたりするような事例が報告されているが、それは幽体離脱を証明するものではなく千里眼によるものと考える。ま、私にとっては千里眼よりも眼前の物が見える方がはるかに不思議であるが。

 記憶は脳に保管されている。時折過去世を思い出した子供の話があるが、脳は別物だから記憶が引き継がれるわけがない。それが事実であるとすれば認知症や記憶喪失などの説明がつかなくなる。それに過去世を思い出したから何だと言うのだ? 来世を予測できるのならばまだしも、昨日を思い出すのと五十歩百歩ではないか。

 来世があろうとなかろうと死ねば今世(こんぜ)の終わりである。人は今世に生きるべきであり、更に言えば現在只今を生きるべきである。死後の世界については無記の態度が正しい。

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