2019-07-31

アルツハイマー病に効く薬は存在しない/『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン


『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』佐藤眞一
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス

 ・アルツハイマー病に効く薬は存在しない

・『Dr.白澤の アルツハイマー革命 ボケた脳がよみがえる』白澤卓二
『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン

必読書リスト その二

 さようなら、
 アルツハイマー病。
 薬に頼らない治療と
 予防する時代へ。

【『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン:白澤卓二〈しらさわ・たくじ〉監修、山口茜〈やまぐち・あかね〉訳(ソシム、2018年)以下同】

 原書は2017年。ミヒャエル・ネールスを必ず先に読んでおくこと。専門用語が多いがそれほど難しい内容ではない。やはり正確な知識を広く知らしめるところに眼目を置いたのだろう。上記テキストは表紙見返しにある。

 本書で紹介されている「リコード法」は、ブレデセン医師らによって、この研究結果に基づき、アミロイドβが蓄積する原因となる「3つの脅威」(※炎症、栄養不足、毒素)を取り除くために考案された、画期的な治療法である。
 このリコード法が革命的である理由は、なんといっても、まずその非常に高い成功率にある。
 2014年にブレデセン博士らが、この方法により、アルツハイマー病の約9割に回復が認められたことを医学雑誌『Aging』で発表すると、このニュースは瞬く間に全世界に広がった。
 これは世界で初めて、人間のアルツハイマー病が回復したことを報告した論文だった。(山口茜〈訳者〉)

 リコード(ReCODE)法とは「回復(REverse)+認知機能の低下(COgnitive DEcline)」の造語。「再暗号」とも読める秀逸なネーミングだ。

 アルツハイマー病患者の脳内ではアミロイドβが沈着してアミロイド斑を形成する。2002年、アミロイドカスケード仮説が提唱され広く支持を集めた。製薬会社の標的はアミロイドとなった。アルツハイマー病の原因がアミロイド斑ならばアミロイドを退治すればアルツハイマー病は治癒するはずだった。ところが見事にこの目論見は頓挫した。


 政府機関や製薬企業、バイオテクノロジーの専門家たちにより、この治療薬の開発と試験には莫大な費用がつぎ込まれた。しかし、99.6%は見るも無残に失敗し、試験段階を終えることすらなかった。
 市場に出た0.4%の薬に期待して、「結局、効果がある薬が1剤あればいいじゃないか」と思った人は、もう一度考えてほしい。なぜなら米国アルツハイマー病治療薬は2003年以来、承認されておらず、現在承認されているアルツハイマー病治療薬4剤については「物忘れや混乱症状は軽減されるかもしれないが、その効果は期間限定的」だという厳しいものだからだ。

 すなわちアルツハイマー病に効く薬は存在しない。何ということか。衝撃の事実である。それでも何がしかの薬が処方されているのは需要の大きさに魅了された製薬会社のしみったれた戦略なのだろう。

 実際、アルツハイマー病と呼ばれるこの病気の原因は、べとべとしたアミロイド斑が生成されたためというより、むしろ脳の防御反応の結果なのだ。
 このことは繰り返し述べる必要がある。
 アルツハイマー病は、脳がうまく機能しないために起こるのではない。

 発想を転換すると新たな地平が見えてくる。脳は何を防御しようとしているのか?

 特に、アルツハイマー病は、脳が次の3つの代謝と毒物の脅威から身を守ろうとするときに起きる。

【脅威1 炎症(感染、食事またはそのほかの原因による)】
【脅威2 補助的な栄養素、ホルモン、その他脳の栄養となる分子の低下や不足】
【脅威3 金属や生物毒素(カビなどの微生物が産生する毒物)などの有害物質】
(中略)
「アルツハイマー病は、脳が炎症から身を守ろうとしたり、有益な物質が不足しているにもかかわらず機能しようとするときや、有害物質の流入と闘っているときに起こる」。
 ひとたびこう認識してしまえば、病気を予防し、治療する方法ははっきりする。

 つまりアルツハイマー病は生活習慣病であり文明病なのだ。特に1の炎症が注目されており、アルツハイマー病は「脳の糖尿病」とまで言われるようになった。簡単に言えば糖尿病は高血糖によって血管に炎症を起こしボロボロにする病気だ。とするとアルツハイマー病は糖尿病の合併症と考えることも満更的外れではあるまい。

 日本の認知症患者数は462万人(2012年)で前段階の軽度認知障害は400万人と推計されている(認知症の人はどれくらいいるのですか? | 認知症フォーラムドットコム)。そして糖尿病患者数は328万人となっている(2017年/糖尿病患者数が過去最多の328万人超に増加 【2017年患者調査】| 糖尿病リソースガイド)。認知症と糖尿病は国民の二大疾病であり、認知症の半分程度をアルツハイマー病が占めている。

 3の金属は水銀・ヒ素・鉛など。水銀濃度が比較的高い水産物にはマグロ・サメ・深海魚・鯨がある(魚介類・鯨類の水銀についてのQ&A)。海藻やヒジキにはヒ素が含まれている。有害金属が蓄積されると疲労が抜けなくなる(その不調「有害金属」が原因かも?: 日本経済新聞)。

 生活習慣病・文明病の最大の原因は運動不足である。「椅子に坐る」行為が健康を蝕む。人体は基本的に「歩く・走る」ことを目的に設計されている。ヒトが世界中に棲息しているのは他のどの動物よりも長距離の移動が可能であったからだ。認知症と糖尿病は人類に「動け」と命じている。

アルツハイマー病 真実と終焉
デール・ブレデセン
ソシム
売り上げランキング: 5,085

2019-07-30

武田邦彦「日本は独立国ではない」


読み始める

サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃
ヴァイバー・クリガン=リード
飛鳥新社 (2018-12-20)
売り上げランキング: 73,982

偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る
岩田 温
イースト・プレス (2019-05-17)
売り上げランキング: 8,251

プラットフォーム革命――経済を支配するビジネスモデルはどう機能し、どう作られるのか
アレックス・モザド ニコラス・L・ジョンソン
英治出版 (2018-02-07)
売り上げランキング: 7,278

「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)
山本 夏彦
文藝春秋
売り上げランキング: 437,416

誰が国賊か―今、「エリートの罪」を裁くとき (文春文庫)
谷沢 永一 渡部 昇一
文藝春秋
売り上げランキング: 210,064

虜人日記 (ちくま学芸文庫)
小松 真一
筑摩書房
売り上げランキング: 109,899

流転の海 第9部 野の春
宮本 輝
新潮社
売り上げランキング: 10,572

失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!
大野 正人
文響社
売り上げランキング: 110

いつもの料理にかけるだけ おからパウダーダイエット
岸村康代
セブン&アイ出版 (2018-04-27)
売り上げランキング: 137,383

音と文明―音の環境学ことはじめ ―
大橋 力
岩波書店
売り上げランキング: 151,555

2019-07-28

金儲けのための策略/『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司


『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦
『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司

 ・金儲けのための策略

・『生物にとって時間とは何か』池田清彦

 あるタイプの前立腺がんは手術も何もしないで、様子を見るのが最善だそうだが、これでは医者は儲からない。儲けたい医者は手術を勧めるだろう。京都議定書を守って、CO2削減に莫大な税金を注ぎ込んでも、温暖化を止めるための貢献度はほぼゼロに等しい。しかし、税金は誰かのふところに入るわけだから、特定の人だけは儲かる。そう考えれば、CO2の削減キャンペーンは誰かの金儲けのための策略に決まっている。誰かとは、排出権取引で儲けたいトレーダー、脱炭素利権に群がる官僚、学者、起業家などである。
 ほんとうの危機が来れば、偽問題の化けの皮がはがれてしまう。洞爺湖サミットでCO2の削減が実質的にどうでもよくなったのは、石油と食糧の価格高騰により、CO2の削減などという瑣末(さまつ)な問題にかまけているヒマはないことが、自明になったからである。(池田清彦)

【『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】

 計上された予算は分配される。一部の人々に。特定の利権は国民にとって損失を意味する。ところがそこに政治家が口を挟むと襲撃されることがある(『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎/石井紘基刺殺事件動画)。

 国や自治体が「分別せよ」と命じるとゴミの分別が新たな常識となる。唯々諾々(いいだくだく)と従う国民は指定された有料のゴミ袋を購入し、ペットボトルやプラスチック容器を洗浄する。つまり自治体はゴミ袋という新たな税金と余分な水道料金をまんまと手に入れることができたわけだ。

 私は当初上手く行くはずがないと楽観していた。至る所ににゴミが散乱し結局元通りになると踏んでいた。ところがそうはならなかった。

 環境問題は大衆の善意につけ込んだ悪行を許す大義名分となってしまった。しかも行き場を失った左翼勢力が新たな飯の種にした経緯がある(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。

 医療や介護が保険報酬で動くように学問の世界もまた予算で動く。その結果多くの科学者は京都議定書に沿った研究を行う。初めに地球温暖化というドグマ(教条)が設定されているわけだから後は都合のよいデータを集めるだけだ。

 国際的には気候変動と言われるのだが、なぜか日本では地球温暖化という言葉が大手を振って歩いている。京都議定書は現代のワシントン海軍軍縮条約であるというのが私の見立てだ。目覚ましい日本の近代化に恐れをなしたアングロ・サクソンは米・英・日の主力艦の総トン数比率を5:5:3にすることを決めた。この数字には何の根拠もない。何の根拠もなくルールを変えるのがアングロ・サクソン流の手口である。そして散々口を挟んだアメリカが京都議定書を批准しなかったのは国際連盟の設立を思わせる。いずれにせよ21世紀を睨んだ米英の戦略であることは間違いない。

 武田邦彦は「ヨーロッパ諸国はアジア諸国にエネルギーの使用制限をかけることによって経済発展を抑制しようとした」と指摘する(武田教授が暴く、「地球温暖化」が大ウソである13の根拠 - まぐまぐニュース!)。EUの厳しい排ガス規制はトヨタのハイブリッド潰しを目的にしているのではないか?

 日本では一方的な情報しかメディアは伝えないが、イギリスでは国営放送のBBCが「地球温暖化詐欺」なる番組を放映した。


正義で地球は救えない
池田 清彦 養老 孟司
新潮社
売り上げランキング: 637,656

チャーチルを冷やかした辻政信はラオスで殺害された/『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編


 ・チャーチルを冷やかした辻政信はラオスで殺害された

『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

小室●だから、イギリス軍というのは、日本軍だけに関しては口惜しがって怒るわけね、そうでしょう。

倉前●シンガポールで、英国軍10万人、日本軍3万人で、3万の軍隊に10万の軍隊が降伏したんだから。今までの英国の歴史ではそういうことはあり得ないですよね。それで、それをチャーチルは『第二次大戦回顧録』に、10万の英国軍が3万の日本軍に降伏したと書いていないですよ。それを辻政信が言わんでもいいのに、おまえさんの回顧録には、10万のイギリス軍が3万の日本軍に降伏したことが書いていないじゃないか、とひやかしの手紙を出したんです。それでチャーチルが怒ったそうです、ものすごく。
 そのときに辻政信と同期生の特務機関長だった人が、おまえ、いらんことをするな、イギリスはこわいんだぞ、何されるかわからんぞ、イギリスは何十年後でも仕返しするんだからと忠告したそうですが、辻政信は、そんなこと大丈夫だと言っていましたら、案の定、ラオスで行方不明になったでしょう。あれはそういうことからすると、イギリスの特務機関に殺されたんだとその筋の人は言っている。イギリスという国は必ず仕返しをする。その辻政信と同期だった人も、わしはイギリスがやったと思っとる、それはチャーチルをひやかしたからだ、と言っています。

小室●イギリスは普通、相手が何百倍だって勝つんだから。ところが、日本軍に関しては何分の一かの日本軍に……。

倉前●負けて降参しちゃった(笑)。

【『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編(世界戦略研究所、1985年)】

 ハイレベルな床屋談義といった内容である。大東亜戦争の戦略ミスに関しては驚くほど見解が一致している。

 多分読み返すことはないと思うが、本書によって倉前盛通を知ったのは大きな収穫であった。あの小室直樹が「先生」と呼ぶのだからその学識に間違いはなかろう。

世界戦略を語る
世界戦略を語る
posted with amazlet at 19.07.28
倉前 盛通 小室 直樹 世界戦略研究所
世界戦略研究所
売り上げランキング: 1,237,452

2019-07-27

小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな
 ・仮説の陥穽
 ・海洋型発想と大陸型発想
 ・砕氷船テーゼ

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 悪人とは何も邪悪な人間という意味ではなく、国際社会の非情冷酷さを知らず、デモクラシーとか人権とか人民解放なぞというような上っ面の飾り文句で、国際社会が動いているかのように思いこんでいる善人に対比して、人間と社会、ことに国際社会のみならず、力関係の入り乱れた社会の狡智と冷酷さを十分わきまえた上で、それに対応する手をうつことのできる強い人間のことを悪人と称してみただけのことである。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)以下同】

 小室直樹との対談本で倉前盛通を知った。あの小室御大が「先生」と呼ぶ人物である。そこそこ本を読んできたつもりであったが見落としている人物の大きさに気づいて愕然とした。学生運動のピークが1969年(昭和44年)であったことを踏まえれば、地政学を説いた先見の明に畏怖の念すら覚える。「人民解放」という言葉が古めかしく感じるが当時の大学生は大真面目でこれを叫んでいた。

 巻頭のドキュメント・フィクションはロッキード事件を仕組んだCIAの手口を推察したもので「さもありなん」と思わせる説得力がある。

 日本人は昔から「悪」という言葉に、強靭で、しぶとく不死身という意味を持たせていた。つまり「ええ恰好しい」ではなく、世の毀誉褒貶や、事の成否を意に介せず、まっすぐに自己の信念を貫いた人の強烈な荒魂を、崇め安らげる鎮魂の意味で「悪」という文字を使用してきた。これは日本人の信仰の深淵に根ざすものかもしれない。
 日本の社会は昔から女性的で優美な「もののあはれ」という美学を、生活の規範としてきた社会であり、男性的な硬直した儒教論理や、キリスト教、マホメット教のような一神教的男性原理によって支えられている社会ではない。それゆえ、男性的な行動原理に身をおくとき、日本の伝統美学から、やや遠ざかっているという美意識が生じてくる。それゆえ、一種の「はにかみ」をもって、「悪」とか、「醜(しこ)」と自称したのであろう。

 明治の男たちが愛した「狂」の字と同じである(狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次)。現在辛うじて残っているのは力士の呼び名である「醜名(しこな)」くらいか。「醜(しこ)」については、「本来は、他に、強く恐ろしいことの意もあり、神名などに残る」(デジタル大辞泉)。

 よく指摘されることだが日本のリーダーに求められるのは母親的要素が強く、度量や鷹揚さが示すのは優しさに他ならない。これは親分や兄貴分を思えば直ちに理解できることだ。原理原則で裁断する男性性は日本人の精神風土と相容れない。

「愛」という言葉も元々は小さなものに対する感情で「可愛い」という表現と同じ心理である。日本人の美的感覚が雄大なものより繊細に向かったのは当然というべきか。

 脆く、はかないものを美しいとする日本の伝統的美学の中では、強靭で不死身なものは、醜になり、悪になるのである。ここのところの日本の美学的発想がまだ外国の人々には、よく理解されてないようである。
 たとえば30年間、南海の小島のジャングルの中で戦い続けていた小野田少尉のような人こそ「醜の御楯」であり「醜のますらを」とよばれるにふさわしい人物といえよう。地政学は、その意味で、まさしく「悪の論理」であり、「醜の戦略哲学」である。
 これからの国際ビジネスマンは、人の見ていないところで、国を支えてゆく「醜のますらを」であり、「悪源太」であることを、ひそかに誇りとすべきであろう。そして小善人になり上がることをもっとも恥とすべきである。

 万葉集に「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれは」とあるようだ。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の帰還は1974年(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎)なので増補された内容か。「悪源太」とは源義平〈みなもと・の・よしひら〉のことらしい。楠木正成〈くすのき・まさしげ〉も悪党と呼ばれた。こうして見るとはかなさの対局にある太々(ふてぶて)しい様を示すのが「悪」や「醜」であることがよくわかる。

 1970年(昭和45年)に三島由紀夫が割腹し、その4年後に小野田寛郎が帰ってきた。私はこの二人を心より敬愛する者であるが、それを差し引いても二人のあり方は「潔さからしぶとさへ」という精神性の変化を象徴する事件であったと思われてならない。つまり腹を切って責任を取るよりも、もっと難しい選択を迫られる時代に入ったのだ。しかもこの「難しい選択」は容易に避けることが可能で、避けたとしても後ろ指をさされることがない。

 だからこそ「小善人になるな」とのメッセージが胸に突き刺さる。真面目や善良は尊ぶべき資質ではあるが、世間に迎合することを避けられない。真面目な官僚は省益のために働き、善良な組員は鉄砲玉となって抗争する組長の殺傷に手を染める。

 要は世間の評価や他人の視線を歯牙にも掛けない「悪(にく)まれ役」が求められているのだ。山本周五郎著『松風の門』で池藤八郎兵衛〈いけふじ・はちろべえ〉は主君の命に背いて百姓一揆の首謀者3人をあっさりと斬り捨てた。八郎兵衛は謹慎(閉門)を言い渡された。彼は言い訳一つせず、ただ畏(かしこ)まっていた。八郎兵衛の深慮が明らかになるのは後のことである。義を前にして己を軽んじてみせるのが武の魂であろう。いつ死んでもよいとの覚悟が壮絶な生きざまに表れる。



内気な人々が圧制を永続させる/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム