2019-07-27

小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通


『昭和の精神史』竹山道雄
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編

 ・小善人になるな

『新・悪の論理』倉前盛通
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想 文明の根底を成すもの』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 悪人とは何も邪悪な人間という意味ではなく、国際社会の非情冷酷さを知らず、デモクラシーとか人権とか人民解放なぞというような上っ面の飾り文句で、国際社会が動いているかのように思いこんでいる善人に対比して、人間と社会、ことに国際社会のみならず、力関係の入り乱れた社会の狡智と冷酷さを十分わきまえた上で、それに対応する手をうつことのできる強い人間のことを悪人と称してみただけのことである。

【『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(日本工業新聞社、1970年/角川文庫、1980年)以下同】

 小室直樹との対談本で倉前盛通を知った。あの小室御大が「先生」と呼ぶ人物である。そこそこ本を読んできたつもりであったが見落としている人物の大きさに気づいて愕然とした。学生運動のピークが1969年(昭和44年)であったことを踏まえれば、地政学を説いた先見の明に畏怖の念すら覚える。「人民解放」という言葉が古めかしく感じるが当時の大学生は大真面目でこれを叫んでいた。

 巻頭のドキュメント・フィクションはロッキード事件を仕組んだCIAの手口を推察したもので「さもありなん」と思わせる説得力がある。

 日本人は昔から「悪」という言葉に、強靭で、しぶとく不死身という意味を持たせていた。つまり「ええ恰好しい」ではなく、世の毀誉褒貶や、事の成否を意に介せず、まっすぐに自己の信念を貫いた人の強烈な荒魂を、崇め安らげる鎮魂の意味で「悪」という文字を使用してきた。これは日本人の信仰の深淵に根ざすものかもしれない。
 日本の社会は昔から女性的で優美な「もののあはれ」という美学を、生活の規範としてきた社会であり、男性的な硬直した儒教論理や、キリスト教、マホメット教のような一神教的男性原理によって支えられている社会ではない。それゆえ、男性的な行動原理に身をおくとき、日本の伝統美学から、やや遠ざかっているという美意識が生じてくる。それゆえ、一種の「はにかみ」をもって、「悪」とか、「醜(しこ)」と自称したのであろう。

 明治の男たちが愛した「狂」の字と同じである(狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次)。現在辛うじて残っているのは力士の呼び名である「醜名(しこな)」くらいか。「醜(しこ)」については、「本来は、他に、強く恐ろしいことの意もあり、神名などに残る」(デジタル大辞泉)。

 よく指摘されることだが日本のリーダーに求められるのは母親的要素が強く、度量や鷹揚さが示すのは優しさに他ならない。これは親分や兄貴分を思えば直ちに理解できることだ。原理原則で裁断する男性性は日本人の精神風土と相容れない。

「愛」という言葉も元々は小さなものに対する感情で「可愛い」という表現と同じ心理である。日本人の美的感覚が雄大なものより繊細に向かったのは当然というべきか。

 脆く、はかないものを美しいとする日本の伝統的美学の中では、強靭で不死身なものは、醜になり、悪になるのである。ここのところの日本の美学的発想がまだ外国の人々には、よく理解されてないようである。
 たとえば30年間、南海の小島のジャングルの中で戦い続けていた小野田少尉のような人こそ「醜の御楯」であり「醜のますらを」とよばれるにふさわしい人物といえよう。地政学は、その意味で、まさしく「悪の論理」であり、「醜の戦略哲学」である。
 これからの国際ビジネスマンは、人の見ていないところで、国を支えてゆく「醜のますらを」であり、「悪源太」であることを、ひそかに誇りとすべきであろう。そして小善人になり上がることをもっとも恥とすべきである。

 万葉集に「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれは」とあるようだ。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の帰還は1974年(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎)なので増補された内容か。「悪源太」とは源義平〈みなもと・の・よしひら〉のことらしい。楠木正成〈くすのき・まさしげ〉も悪党と呼ばれた。こうして見るとはかなさの対局にある太々(ふてぶて)しい様を示すのが「悪」や「醜」であることがよくわかる。

 1970年(昭和45年)に三島由紀夫が割腹し、その4年後に小野田寛郎が帰ってきた。私はこの二人を心より敬愛する者であるが、それを差し引いても二人のあり方は「潔さからしぶとさへ」という精神性の変化を象徴する事件であったと思われてならない。つまり腹を切って責任を取るよりも、もっと難しい選択を迫られる時代に入ったのだ。しかもこの「難しい選択」は容易に避けることが可能で、避けたとしても後ろ指をさされることがない。

 だからこそ「小善人になるな」とのメッセージが胸に突き刺さる。真面目や善良は尊ぶべき資質ではあるが、世間に迎合することを避けられない。真面目な官僚は省益のために働き、善良な組員は鉄砲玉となって抗争する組長の殺傷に手を染める。

 要は世間の評価や他人の視線を歯牙にも掛けない「悪(にく)まれ役」が求められているのだ。山本周五郎著『松風の門』で池藤八郎兵衛〈いけふじ・はちろべえ〉は主君の命に背いて百姓一揆の首謀者3人をあっさりと斬り捨てた。八郎兵衛は謹慎(閉門)を言い渡された。彼は言い訳一つせず、ただ畏(かしこ)まっていた。八郎兵衛の深慮が明らかになるのは後のことである。義を前にして己を軽んじてみせるのが武の魂であろう。いつ死んでもよいとの覚悟が壮絶な生きざまに表れる。

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内気な人々が圧制を永続させる/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

2019-07-24

死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二


『国民の歴史』西尾幹二
『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二

 ・「戦争責任」という概念の発明
 ・岡崎久彦批判、「つくる会」の内紛、扶桑社との騒動
 ・死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね

岡崎久彦

 一般に戦後のある時期まで、社会の中にある野生の暴力が役立っていた。必ずしも非合法組織の事ではない。村には青年団があり、上級生は生意気な下級生に鉄拳制裁を加えた。教師の体罰も有効な抑止力だった。街角で「いじめ」を見て、普通の市民が介入し、叱責した。
 いつの頃からか「刺されるから止めておこう」に変わった。教師も見て見ぬ振りで、事なかれ主義になった。その頃から「いじめ」は学校の中で密室化し、陰惨になり、何が起こっているのか見えにくくなった。
 昔は「いじめ」はいくら激しくても、それで自殺する者はいなかった。「いじめ」は子供が大人になる通過儀礼のようなものであった。そこで心が鍛えられ、友情や裏切りを知り、勇気や卑劣の区別も悟り、社会を学ぶ教育効果もあった。
 暴力を制するには暴力しかない。教師の体罰を許さないような今の学校社会が「いじめ」による自殺を増加させている。「いじめ」の密室化を防ぐには社会の中の野生の暴力をもう一度甦らせるしかなく、「生命を大切にしてみんな仲良く」といったきれいごとの教訓では、見て見ぬ振りの無責任と同じである。
 追い込まれた子供が自殺するのは復讐のためであると聞く。一度死んだら蘇生できないという意識がまだ幼くて希薄で、死ねば学校や社会が騒いでくれて仕返しができると考えての自殺行為であるという。
 であるとすれば、死んだら仕返しも何もないということを広く教育の中でまず教える事である。それから、これが何より大切だが、死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね、と教える事である。
 仕返しや復讐の心に囚われている子供、しかも社会の中に自分を助けてくれる有効な暴力がない子供に(だから自殺に追い込まれたのだろうが)、仕返しや復讐はいけないことだという人道主義や無抵抗主義を教えるのは、事実上自殺への誘いである。
 まずは正当防衛としての闘争心を説く。学校の先生がそれを教える。いじめられっ子に闘争心が芽生えれば、もう自殺はしない。防衛は生命力の証である。

【『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(徳間書店、2007年)】

 私は1963年(昭和38年)生まれで中学生の時に校内暴力が社会問題化し、二十歳(はたち)になる頃は新人類と呼ばれた世代である。昭和40年代に入ると三世代同居がなくなり核家族化が進んだ。共働きの家はほとんどなかったと記憶するが、片親で家の鍵を持つ児童は「鍵っ子」という寂しい蔑称で呼ばれていた。西尾幹二は1935年(昭和10年)生まれだから私の父親よりも年上である。

 今時は殴り方も知らないような教師がいるので体罰を容認するのは危険だ。介護と同様、閉ざされた世界で振るわれる暴力はちょっとした弾みでどんどん過激になる。私の世代だと拳骨やビンタは珍しいことではなかったが教育効果があったようには思えない。あまり怖くもなかったし、かえって大人のくせにみっともないなと見下していた。

 高校の先生は大半が運動部OBということもあってそれは恐ろしかった。「オウ、大人をナメてんじゃねーぞ!」と言うなりボコボコにされることもあった。運動部の1年生はほぼ毎日ヤキを入れられるのでこれは堪(たま)ったものではない。OBと先輩には絶対服従というのが運動部の伝統であった。

 私の父親も手が早かった。二十歳を過ぎても殴られていたよ。友人の前でやられたことも何度かある。確かにブレーキにはなるのだがただ怖いだけだ。警察につかまるよりもオヤジにバレるのが怖いというのが本音だった。それくらい怖かった。10年ほど前に死んだが今でも怖いよ(笑)。

 当然ではあるが私は外で喧嘩をし、家では弟妹をいじめた。こうなるから暴力はダメなんだよね。

 江戸時代までは武士道があった。幼い頃から死ぬ覚悟を叩き込まれ、責任を取る時は腹を切るのが当たり前とされた。柴五郎〈しば・ごろう〉の幼い妹は懐剣を見せて「いざ大変のときは、わたしもこれで黄泉路(よみじ)に行くのよ」と語った。その妹は会津戦争のさなか母親に胸を突かれて7歳で死んだ(『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛)。

「死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね」とのメッセージはまったくもって正しい。どんな手を使っても構わない。知恵と悪知恵の限りを尽くして悪人を叩き伏せることが社会の向上につながる。「理不尽ないじめをすれば殺される可能性がある」となれば、いじめは激減することだろう。

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大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

2019-07-23

岡崎久彦批判、「つくる会」の内紛、扶桑社との騒動/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二


『国民の歴史』西尾幹二
『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二

 ・「戦争責任」という概念の発明
 ・岡崎久彦批判、「つくる会」の内紛、扶桑社との騒動
 ・死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね

岡崎久彦

 この日は珍しい来賓があった。岡崎久彦氏である。
 岡崎氏は私が名誉会長であった間は(※「新しい歴史教科書をつくる会」の)総会に来たことがない。多分気恥かしいひけ目があったからだろう。彼は「つくる会」創設時にはスネに傷もつ身である。すなわち最初の頃はずっと理事に名を出していたが、会発足の当日に会に加わるものはもの書きの未来に災いをもたらすと見て、名を削ってくれと申し出て来た。つまり夏の夜のホタルのように甘い水の方に顔を向けてフラフラ右顧左眄(うこさべん)する人間なのだ。それならもう二度とつくる会に近づかなければいいのに、多少とも【出世した】つくる会は彼には甘い水に見えたらしい。こんど私が会場に姿を見せなくなったら、厚かましくも突然現れた。

【『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(徳間書店、2007年)以下同】

「必読書」から「資料本」に変えた。カテゴリーとしての資料本(しりょうぼん)とは必読書を鵜呑みにしないためのテキストである。謂わばワクチン本といってよい。

(※米議会で靖国神社遊就館の展示に変更を求めたハイド委員長〈共和党〉の意見は)靖国とナチスの墓地を同列に置くような低レベルの内容であるが、戦史展示館「遊就館」の展示内容を批判し、「次期首相」の参拝中止を求めている記事(毎日新聞、9月15日付)内容は、岡崎久彦氏が8月24日付産経コラム「正論」で、「遊就館から未熟な悪意ある反米史観を廃せ」と先走って書いたテーマとぴったり一致している。やっぱりアメリカの悪意ある対日非難に彼が口裏を合わせ、同一歩調を取っていたというのはただの推理ではなく、ほぼ事実であったことがあらためて確認されたといってよいだろう。岡崎久彦氏は「親米反日」の徒と昔から思っていたが、ここまでくると「媚米非日」の徒といわざるを得ないであろう。

 政治的な意味のリベラルは地に落ちた。かつては是々非々を表したこの言葉は既に左翼と同義である。ポリティカル・コレクトネスという牙で日本の伝統や文化を破壊するところに目的がある。その後、リアリズム(現実主義)という言葉が重宝されるようになった。そしてリアリズムが行き過ぎると岡崎久彦のような論理に陥ってしまうのだろう。国家の安全保障を米軍に委ねるのが日本国民の意志であるならば、用心棒に寄り添い、謝礼も奮発するのが当然という考え方なのだろう。

 かつてのコミンテルン同様、CIAも日本人スパイを育成し第五列を強化している。大学生のみならず官僚までもが米国留学で籠絡(ろうらく)されるという話もある。学者や評論家であれば米国内で歓待して少しばかり重要な情報を与えれば感謝感激してアメリカのために働く犬となることだろう。日本人には妙なところで恩義を感じて報いようとする心理的メカニズムがある。

 岡崎久彦がアメリカに媚びるあまり歴史の事実をも捻じ曲げようとしたのが事実であれば売国奴といってよい。しかも日本民族の魂ともいうべき靖国神社に関わることである。リアリストというよりは第五列と認識すべきだろう。

 中西輝政氏は直接「つくる会」紛争には関係ないと人は思うである。確かに直接には関係ない。水鳥が飛び立つように危険を察知して、パッと身を翻(ひるがえ)して会から逃げ去ったからである。けれども会から逃げてもう一つの会、「日本教育再生機構」の代表発起人に名を列(つら)ねているのだから、紛争と無関係だともいい切れないだろう。(中略)
 中西氏は賢い人で、逃げ脚が速いのである。いつでも「甘い水」を追いかける人であることは多くの人に見抜かれている。10年前の「つくる会」の創設時には賛同者としての署名を拒んだだけでなく、「つくる会」を批判もしていたが、やがて最盛時には理事にもなり、国民シリーズも書き、そして今度はまたさっと逃げた。

 本書には「つくる会」の内紛、扶桑社との騒動にまつわる詳細が書かれている。月刊誌に掲載された記事が多いこともあるが、よくも悪くも西尾幹二の生真面目さが露呈している。私の目には政治に不慣れな学者の姿が映る。それゆえに西尾は不誠実な学者を許せなかった。自分との距離に関係なく西尾は批判を加えた。

 西尾はチャンネル桜でも昂然と安倍首相批判を展開している。年老いて傲岸不遜に見えてしまうが、曲げることのできない信念の表明である。そこには周囲と巧く付き合おうという姿勢が微塵もない。

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2019-07-21

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