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2011-12-20

大川小の行方不明者捜索自衛官に勇気を与えた小学生の手紙


 東日本大震災では10万人もの自衛官が派遣された。救った人名は2万人にも上る。だが、彼らの奮闘はこうした数字だけでは推し量れないものも数多く存在する。そこでSAPIOは多くの自衛官にインタビューし、その埋もれたエピソードを発掘した。今回は宮城県石巻市立大川小学校で行方不明者の捜索に携わった自衛官たちに話を聞いた。



 石巻を襲った津波による最大の悲劇の一つが大川小学校の壊滅だった。石巻市立大川小学校は、児童108人のうち74人が死亡または行方不明となった。学校周辺や校舎内では、自衛隊による必死の不明者捜索が行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれた。そして震災から約1か月後。
「すいません!」
 4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、突如、背後から声を掛けられた。
 その可愛らしい声の主は、ワンピースを着た小さな女の子だった。少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでください……」
 石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
 そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。
〈じえいたいさんへ。
 げん気ですか。
 つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。
 日本をたすけてください。
 いつもおうえんしています。
 じえいたいさんありがとう。
  うみより〉
 石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。
「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」
 その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。
 井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」
 少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。
 東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。
 その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を捜し続けていたのである。

【※SAPIO 2011年8月17日・24日号

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TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録

写真集 THE DAYS AFTER東日本大震災の記憶

被災地で酔い潰れた自衛官
東日本大震災で記憶に残った写真
被災小学生が発行した壁新聞/『宮城県気仙沼発! ファイト新聞』ファイト新聞社

2011-12-21

東北地方太平洋沖地震 発生地点・規模・時刻分布図(2011/10/15)


2011年1月1日00:00~10月15日00:00に日本周辺で発生したM3.0以上の地震まとめ

 この分布図は個人が作成した非公式な情報です。気象庁が公表した資料を参照しています。M3.0以上の地震をまとめています。



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2018-10-13

東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて/『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・東日本大震災~「自衛隊への御嘉賞」は戦後初めて

『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 平成23年3月16日、天皇はすすんで東日本大震災に戦(おのの)く日本国民に向けて、御自分の言葉で、異例の呼びかけをビデオメッセージという形で行われた。
 しかも【「自分のメッセージの間に臨時ニュースが入ったら、メッセージを中断してニュースを優先するように」と指示】しておられたのだ。(中略)
 知る人ぞ知る、知らない人は知らない、民主党の人々、菅内閣の人々は多分誰も知らないだろうが、【戦後67年間、天皇の口から「自衛隊への御嘉賞」が出されたのはこれが初めて】である。
 しかも、順序が大きな問題なのだ。
 ふつう、総理や政府高官は、「警察、消防、自衛隊」と言う。長い間の自衛隊への複雑な感情を反映して、自衛隊は後回しにされる。
 警察と防衛庁で30余年を過ごした私は、真っ先に「自衛隊」とよびかけた天皇のお気持ちを忖度(そんたく)すると、日夜泥にまみれ、死臭、簡素な給食、風呂もシャワーもままならない中で汚れ仕事に愚痴ひとつ言わず国民に奉仕している自衛隊の姿をテレビでご覧になり、これは推測だが、菅内閣の仙谷前官房長官が昨年「暴力装置」などと貶(おとし)めたことに心を痛められ、その名誉回復のために意図的に「自衛隊」と真っ先によびかけられたものと拝察する。

【『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)】

「嗚呼(ああ)――」と頭(こうべ)を垂れた。大御心(おおみごころ)という言葉の意味がやっとわかったような気がする。直ぐ下の弟が航空自衛隊にいることもあって陛下の御心が一入(ひとしお)身にしみる。

 私の中で尊皇の精神が芽生えたのは、メッセージの内容によるものではなかった。何の気負いもなく淡々と国民に呼びかけるあのお姿であった。「ああ、ありがたいな」と心の底から思った。「日本人でよかったな」とも思った。まったく新しい感情であった。

 天皇陛下には基本的人権がない。苗字もなければ一片の自由もない。常人ではないという意味において「神」と考えてよかろう。「ただ国民のために生きる人生」を強いられるのだ。様々な祭祀(さいし)を司っていることももっと広く知られるべきだ。

ほんとに、彼らが日本を滅ぼす
佐々 淳行
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2016-07-18

東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 まず、数字から申し上げます。
 釜石市の小学生1927人、中学生999人のうち、津波襲来時に学校管理下にあった児童・生徒については全員が無事でした。ただし、学校管理下でなかった児童・生徒のうち、5名が犠牲となりました。生存率は99.8パーセントです。
 今、トータルな「数」を申し上げましたが、子どもたち一人ひとりについても、語り継ぎたい話がたくさんあるのです。逃げていくときに、保育園の子どもたちを抱きかかえて避難所まで走った子どもがいました。あるいは、おじいちゃん、おばあちゃんの手をとって逃げた子どもがいました。
 私が震災直後に釜石に入ったとき、「わしゃ、孫に助けられた」と、泣きながら学校の先生に俺を述べていたおじいちゃんがおられました。
 地震直後、釜石に出た津波警報の第一報は、予想される津波の高さ3メートルでした。この情報が、その後、6メートル、10メートルと更新されていくのですが、じつは、3メートルという第一報が出た後に、地域は停電してしまいました。したがって、6メートル、10メートルという続報は住民に届かなかった。そのおじいちゃんも、3メートルという情報だけを聞いて、「ウチの前の防波堤は6メートルだから、大丈夫」と思ったと言います。孫が「逃げよう、おじいちゃん」と言ってきたけれど、「3メートルだから大丈夫、大丈夫」と言ってとりあわなかった。そうしたら、孫が泣きじゃくりながら「じいちゃん、だめだ」と言って腕をつかんだというのです。そうなったら、おじいちゃんはしょうがないですよね。孫が泣いてまで言うのですから。「しょうがないな、じゃあ、行くか」と言って避難所へ歩き出し、しばらく行ったところですごい音がした。後ろを見たら、すぐそこまで津波が来ていた。もちろん、家は津波に破壊されていたそうです。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)以下同】

 同じような体験をした大人は他にもいた。

 釜石市では死者・行方不明者が1000人を超えた。8年間にわたる片田の防災教育がなければ被害はもっと大きくなったことだろう。「人が死なない防災」とは単なるスローガンではない。片田に「釜石の奇蹟」を誇る姿勢は微塵も見当たらない。むしろ「敗北である」として我が身を責めている。

 それにしても象徴的なエピソードだ。子供の声に耳を傾けない大人の姿を凝視する必要がある。「孫に助けられた」と泣いた爺さんは、その後、孫の話を聞く姿勢を改めただろうか? そもそも片田の防災講演に対して「いい加減にしてくれ」という住民からの反発があった。地域に対するマイナスイメージを嫌ったのだろう。人は自分の感情を生きる。そして他人の話に耳を閉ざすのだ。大災害ではほんのちょっとした判断ミスが生死を分ける。

 ほとんどの子どもが生き延びてくれたとはいえ、学校管理下になかった5人の子どもが亡くなっています。この子たちには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。命を守ってあげられなかったのですから。
 5人のうち、2人は病気で学校を休んでいました。1人は、避難している途中で親御さんが迎えに来て、引き渡さざるを得なかった。そして、親御さんと一緒に亡くなっていました。
 もう1人は、下校後に母親と買い物をしているときに被災しています。この子は事情がありまして、かわいそうなことになったと思っています。小学校6年生の女の子で、普段はお父さんと2人で暮らしていました。お母さんは、少し離れた町に住んでいた。そういう家庭環境でした。地震当日は3月11日ですから、中学校に上がる準備をする時期でした。やっぱり女の子ですから、女親と相談して買いたいものもいろいろあったのでしょう。そういうことで、久し振りにお母さんが来てくれることになった。この子は、喜んで職員室に来たそうです。先生も、「行っておいで、行っておいで。よかったね」と言って送り出してあげた。そして、お母さんと買い物中に亡くなっていました。
 そして、もう1人。中学2年生の女の子です。この子に対しては、私には自責の念があります。
 私は、中学生向けの講演でこう言っていたのです。
「中学生は、もう助けられる立場じゃない、助ける立場だ。お父さん、お母さんが仕事に行き、高校生が町の学校へ行ってしまうと、地域に残っているのはお年寄りと幼児ばかりだろう。だから、もう君らは助けられる立場じゃないんだ。地域を守っていく立場なんだ」
 この子は、それを実践して亡くなってしまったのです。しかも、津波ではなく、地震で亡くなりました。
 どういうことかというと、家の裏に、1人暮らしのおばあちゃんが住んでいました。女の子はその家に走っていって、おばあちゃんに「逃げるよ!」と声をかけた。おばあちゃんも、逃げる準備をしていた。それを待っているときに大きな余震が来て、箪笥(たんす)が倒れた。女の子は、その下敷きになってしまったのです。「助けられる立場じゃない、助ける立場だ」と教えられ、それを実行したために亡くなったのです。本当に無念であり、申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

「くれた」という言葉遣いがおかしいが、深く関わってきたがゆえの思い入れなのだろう。

 情況は異なるがいずれも大人が子供を殺したと考えてよかろう。よく覚えておこう。大人が子供を殺すのだ。たぶん日常においても同様である。子供の意見を封じ込め、躾(しつけ)と称して抑圧することで我々は子供をゆっくりと少しずつ殺している。そして殺され切った子供が大人になるのだろう。


 冒頭1分前後で二人が取り残されてその後、姿が消えている。釜石に津波が押し寄せたのは地震発生からちょうど30分後であった。

 東北地方太平洋沖地震の発生は14時46分18.1秒で、小さな第一波は数分後、青森で観測されている。気象庁は14時49分に大津波・津波警報を発表。大津波は15時15分~16時にかけて到達した。それは警報をはるかに上回る高さの波であった。

 関東大震災(1923年/死者・行方不明者10万5000人)は焼死、阪神・淡路大震災(1995年/死者6434人、行方不明者3人)は圧死、東日本大震災(2011年/死者1万5894人、行方不明者2561人)は水死が主な死因である。

 避けられない死と避けられる死がある。釜石の奇蹟が教えてくれるのはその事実である。

2011-05-17

遠くにある死


 東日本大震災直後から考え続けてきたことがある。まずはこの映像をご覧いただきたい。


 仙台市名取川河口付近に押し寄せた津波だ。ヘリコプターのカメラは明らかに配慮しており、逃げ惑う車をアップで撮ることはなかった。

 どうして誰も泣かないのだろう? なぜ誰も悲鳴を上げないのだろう? カメラマンもアナウンサーも私も。さっきまで走っていた車の中には人がいる。彼、あるいは彼女が目の前で死につつあるにもかかわらず、「まったく凄いもんだな」と津波を眺めているのだ。

 被災者が撮影した動画も同様だ。被害の惨状に悲鳴を上げることはあっても、流されている人や車を見て泣いた人はいなかった。

東日本大震災まとめ30本

 それどころか逃げ遅れた人々を見て「馬鹿だな」と言う声も聞かれた。

 不思議なもので閉ざされた空間には安心感を与える何かがある。車や家の中にいると何となく大丈夫なような気がする。たぶん母親の胎内にいた頃の記憶が喚起されるためなのだろう。パソコンやヘッドホンにも同じ効果があると思う。

 津波に流されたからといって死んだかどうかはわからない――心のどこかでそんなふうに誤魔化している自分がいる。そもそも「流された」という事実に対して想像力が及ばない。

 苦悶の表情、断末魔の叫び声、途絶える息……そうした情報からしか我々は死を感じ取れないのだろうか。

 もう一つ。我々は自分との距離に応じて悲哀の度合いが変わる。道端に見知らぬ人の遺体があっても、我々が泣くことはない。つまり、身内や友人など自我の延長線上にある人間関係の中で我々は悲しむのだ。

 私も実際に経験しているが、多くの死に接すると心のどこかが擦り切れてくる。そして涙が涸れ果てる頃には胸の奥で噴き上げたマグマが岩のように変質して何も感じなくなってしまうのだ。私の心は悲しむ機能を失った。

 例えば目の前で妻が死んだとしよう。それでも私は傍観者以外の立場をとることができない。なぜなら経験したことのない死を想像することは不可能だからだ。

 死は遠くにある。私の死も。

 永遠に続く物語。そんなものは誰も読まないことだろう。朝が夜となるように、そして夜が朝となるように物語には区切りがある。

 終わりはいつくるのだろう? 「今が終わりである」というのがブッダの教えである。止観(しかん)とは時間の連続性を断つ行為である。明日はない。あるのは今この瞬間だけだ。生は現在の中にしか存在しない。

 終わった生と流れる生とがある。そうであるならば、終わった死と流れる死もあることだろう。見える世界と見えない世界がある。実はまばたきするたびに新しい世界が立ち上がっているかもしれないのだ。

 死という現実と生という現実がある。豊かな生があるのだから、豊かな死だってあるはずだ。生の光で死者を照らすしか道はない。だから、苦しくとも生の焔(ほのお)を絶やしてはならない。亡くなった人々と共に生きてゆこう。

2012-03-11

東日本大震災から一年 死者1万5846人、行方不明者3317人


2012-03-22

ザ・特集:フクシマで死を見つめて 自殺防止活動に取り組む僧侶・中下大樹さんに聞く

 東京を拠点に自殺や孤独死の防止活動を続けてきた僧侶、中下大樹さん(36)。この1年は福島県の仮設住宅に通い、自ら命を絶った人の遺族らと交流を重ねてきた。これまでに2000人以上の死の現場に立ち会ったという中下さんは、「フクシマ」で失われゆく命をどう見つめているのか。

岩手・宮城との違いは将来が見えないこと。原発の恩恵を受けてきた地域では、不安、不満を口にできないつらさもある。

「それはお受けできません。僕は、あの方たちと一生、お付き合いをしていくつもりなのですから」。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の二重災害に見舞われた福島県。そこで死を選ぶまでに追い詰められた人たちの苦悩を知りたいと、無理を承知で「同行取材させてほしい」と中下さんに申し入れた。その答えだった。家族の自殺について遺族が本音を打ち明けてくれる関係を築くまでに、半年以上かかったこと。その事実を近所にも隠している人が多いこと。中下さんの穏やかな、だがきっぱりとした言葉にうなずくしかなかった。

 中下さんは大学院でターミナルケア(終末期の医療や看護)を学んだ後、「死の問題を突き詰めたい」と僧侶になった。新潟県のホスピスに勤務して末期がん患者数百人をみとり、07年からは東京に活動を移し、貧しさから葬式を出せない家庭や孤独死した人のために葬儀を執り行う「葬送支援」、孤独死を防ぐために一人暮らしの人の家を月に数回訪ねる活動、さらに「死にたい」と訴える人からの電話相談にも応じる。明治大学で死生学を教える非常勤講師も務めた。

 東日本大震災の直後から被災地に入り、遺体安置所で読経をしたり、がれき撤去の手伝いなどもしながら、家族を失った人たちの声に耳を傾けてきた。この1年間に被災3県に延べ190日間入り、うち約100日を福島で過ごした。当初は仮設住宅を訪れても「よそ者は帰れ」と拒絶されるばかりだったが、5回、6回と重ねるうちに「泊まって行くか?」と声をかけられるようになった。

 やがて、親しくなった人たちと雑談する中で、気になる話を聞くようになる。「あの家の人は急に死んじゃったけれど、きっと自殺だよ。酒ばかり飲むようになって、様子がおかしいと思っていたら……」。まるでろうそくの火が消えるように、仮設住宅からいなくなる人たちがいた。

「多い場合には、約200世帯の仮設住宅で、自殺とみられるケースが3件もあった」と中下さん。内閣府が統計を取り始めた昨年6月以降、「震災関連自殺」は3県で56人。うち福島は10人と決して突出しているわけではないが、「原発や放射能への考え方の違いや、ふるさとに帰れない苦しみなどが相まって、より深刻なケースが多い。酒に溺れ、体を壊しても治療せずに亡くなる“緩慢な自殺”など統計に反映されない死も多数あります」と指摘する。

 では、具体的にどんな悲話があるのか。

 木々が葉を落とし始めた昨秋、富岡町出身の50代の男性が、仮設住宅で命を絶った。以前、中下さんが一緒に酒を飲んだこともある人だった。自営業を営んでいたが、原発事故で町が警戒区域に指定され、新たな土地で事業を再開するには設備投資が1億円近くかかる。しかも移住先は決まっていない。一生をかけて築き上げた事業を一からやり直さねばならないことに絶望を深め、やがてアルコールに依存し、うつ状態になっていたという。

 妻は仮設住宅に中下さんを招き入れ、お茶をふるまいながら「夫が死んだことはつらいが、苦しんでいたからホッとしていると思う」と語り、さらに「もう家には帰れないとあきらめている。除染にお金を使うより、早く移住先を確保してほしい」と亡き夫に代わって訴えたという。

「福島と岩手・宮城の違いは、何よりも“将来”が見えないこと。また、原発の恩恵を受けてきた地域では、今も原発や放射能への不安や不満を口にできないというつらさがある。それを言った途端、周囲に白い目で見られ、仮設で居場所がなくなったという話もよく聞きます」

 昨夏、福島県の内陸部にある仮設住宅に近い火葬場で、中下さんは80代男性のひつぎに向かってお経を唱えた。家族はなく、参列して手を合わせたのは、一緒に避難している古くからの知人3、4人だけ。葬儀と呼ぶにはあまりに簡素な別れの場面だった。

 亡くなった男性は、原発事故前まで浪江町で農業を営み一人で暮らしていた。放射線量が高く、事故直後にバスに乗せられ避難して以来、「生まれ育った町で人生をまっとうしたい」と切望していたという。仮設住宅から近所の人の目を盗むように一人で浪江町の自宅に戻り、納屋でひっそりと首をつった。〈迷惑をかけてごめんなさい〉と書かれた遺書が仏壇の前に残されていた。

「ロシア語に『サマショール』という言葉があります。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で、強制退去を命じられた地域に勝手に戻って暮らす人のことで、言うことをきかないわがままな人という意味です。同じように、地縁を大事にする土地柄の人たちは近所の目を気にし、一人だけ違う行動をとることに罪悪感を抱きがち。この男性も、避難を続けるようにという周囲の説得に従えない自分を“邪魔な存在”と感じ、追い詰められていったようです」

 環境の激変そのものがストレスとなり、死を選ぶ人もいる。中下さんによると、あるお年寄りの男性は、温暖な浜通りから、冬には雪が降り積もる内陸の会津地方に避難した。だが慣れない雪に外出しづらくなって家にこもるようになり、酒と睡眠薬を同時に飲むようになった。そしてある日、吐いた物をのどに詰まらせて死亡。「事故死」として処理されたが、中下さんは「自殺」とみる。

 寝る間も惜しみ被災地の自殺防止に奔走する中下さんだが、取材の最後に「でもね……」と言葉を切り、少しためらうように言った。「病気などで亡くなる方に比べ、自殺された方の死に顔は、安らかに見えることが多いんです。眉間(みけん)もきれいに開いていてね。不謹慎かもしれませんが、活動を続ければ続けるほど、自殺が本当に悪いことなのか、分からなくなってくるような気がして……」

 そして、こう続けた。「裏を返せば、(安らかな死に顔は)生きているのが地獄の苦しみだったということ。被災者を支えるセーフティーネットが未整備だったり機能していないために、死ななくてもいいのに死を選ばざるを得ない人がたくさんいる。苦しむ人を孤立させないため、すべきことはまだあるはずです」

 中下さんは今、家族を亡くした人に声をかけ、仮設住宅の集会所などで同じ痛みを抱えた人同士が思いを分かちあう会を開いている。震災後、「絆」の大切さが叫ばれているが、福島で今、起きていることは従来の地縁や血縁に頼るだけでは解決できないと考えるからだ。

 悩み、苦しむ人を救うことは難しい。けれども、隣でうなずくことで、生きる力が回復するのを支えることはできるのかもしれない。

 時に迷い、時に共に涙を流しながら、中下さんは福島で痛みを抱える人の傍らに立ち続けようとしている。

◆主な相談先や関連サイト

◇寄り添いホットライン
 電話0120-279-338
 一般社団法人・社会的包摂サポートセンターが運営。自殺、仕事、住居、お金などの悩みに対応する電話相談。24時間対応、通話無料。

◇いのちと暮らしの相談ナビ
 http://lifelink-db.org
 自殺対策のNPO法人・ライフリンク(東京)が運営。失業、多重債務などの悩み別に、地域ごとの相談窓口を検索できるサイト。

毎日新聞 2012年3月22日 東京朝刊


悲しむ力 2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉

2016-07-23

津波のメカニズム/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

気づき(アウェアネス)に関する考察
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 津波は、断層が動いて、海の中で海底の地形が変化することで起きます。よく、10メートルとか15メートルの津波が来たといいますね。なぜそんなに大きな波が起こるのかということについて説明します。
 海の中で断層ができますね。例えば、3メートルの断層ができる。すると、そのまま海面の水も3メートルの段差がつきます。この段差が津波そのものとなります。これがそのまま移動していくわけです。ただ、普通の波は周期が短いので、海がしけたときに「今日の海上は5メートルの波です」ということを聞きますが、家を壊すほどのものではありません。波長が短いので、ザバッと来て、それで終わりです。ところが津波の高さ5メートルというのは、もはや波ではないわけですね。波だけれども、ものすごく周期が長い。無尽蔵の水が一挙に入ってくる。そうすると、陸地に、海から水の壁が大挙して押し寄せてくる。海からの大洪水となって、家々を全部壊し、瓦礫にして流していく。それが津波の恐さです。
 例えば、海底の段差が3メートルなら最初の津波は3メートルです。ところが実際に陸地に上がってくるときには、これが5メートル、7メートル、10メートルと、大きい波になる。
 津波は、海底の深いところでは時速800キロぐらいのスピードで伝播していくので、チリ津波は丸一日あれば日本に来てしまうわけですね。けれども、浅くなると急ブレーキがかかります。水深500メートルで新幹線並み、100メートルで電車並み、10メートルで人間が走るぐらいのスピードになる。そうなると、津波は背後からすごいスピードで来るのに、進む前面で急ブレーキがかかってしまう。そのため次から次へと津波が積み重なって、どんどん高くなっていく。向こうの沖合に白波が立ったと思ったら、目の前に来たときに波が急に立ち上がってくるのは、こうしたメカニズムに則(のっと)ったことなのです。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)】

 無知は恐ろしい。波浪と津波が全くの別物だったとは。チリ津波の場合、ハワイにぶつかることで内側に角度をつけた波が日本で収束するという。


 被災地を飲み込んだ大津波のメカニズムを初めて知った。片田の防災教育が「知は力なり」(フランシス・ベーコン)を証明した。知ることは備えることでもある。知っていれば対処できる。

 動物は恐怖を感じると闘争か逃走かを迫られる(ウォルター・B・キャノン)。安全に慣れきって本能の力が弱まると立ちすくんでしまう。東日本大震災の教訓は「逃げ遅れたら死ぬ」という単純な事実である。

 そして助かるべくして助かった人々と、たまたま助かった人々が存在する。多くの証言集は運のよさを示すだけで学べることが少ない。むしろ迂闊さを際立たせる内容となっている。本書が稀有なのは災害に対する正しい姿勢が即座の行動を生み、ほぼ100%といってよい人々が大災害を生き延びた事実にある。そんな小中学生たちが必ずや東北の未来を照らすことだろう。

人が死なない防災 (集英社新書)

2015-03-20

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫


『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 ・グローバリズムと共産主義は同根
 ・キッシンジャーの軍歴

『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫
菅沼光弘
『愛国左派宣言』森口朗

 今、世界にはグローバリズムという妖怪が徘徊しています。今から160年以上も前にカール・マルクスが、共産主義という妖怪の徘徊を宣言して以来、世界の歴史はこの妖怪に翻弄されてきました。東西冷戦が自由主義陣営の勝利で終了し、やっと共産主義の脅威が消滅し世界は平和になったと信じられていましたが、今またグローバリズムという新たな妖怪に世界が翻弄されているのです。
 ところが、このグローバリズムと共産主義は根は一つなのです。グローバリズムは、物、金、人の国境を超えた自由な移動を実現することによって、世界を自由主義経済で統一しようとする運動です。共産主義とは、世界各国に私有財産を否定する共産主義独裁政権を樹立することによって、世界を共産主義で統一しようとするイデオロギーです。一見すると、グローバリズムと共産主義は正反対のイデオロギーのように感じられます。
 グローバリズムの主役は、民間の国際銀行家やこれと結びついたグローバル企業であり、彼らは政府の規制を排して自由に経済活動を行うことを求めています。他方、共産主義は、労働者の前衛を自称する共産党が、国家の上にあって国家や人民を独裁的に支配する体制です。このように、双方とも国家や政府の規制の及ばない独占的権力を保持している点で、類似性があります。
 また、この二つのイデオロギーは国民国家を超えた世界全体を対象としていること、すなわち国際性を有していることに共通性があります。共産主義者もグローバリストも国際主義者なのです。加えて、共産主義者もグローバリストも唯物思想の権化です。唯物思想で世界を解釈しているため、市場競争であれ、権力闘争であれ、勝ったものが正義であり、すべてに君臨するという結論に行き着きます。私有財産は大富豪は所有できますが、貧困大衆は自らの自由になる私有財産を事実上所有していないのと同じです。共産主義体制の下では、特権的政治エリートは国富の形式的な所有権は保持していなくても、無制限的な使用権を持っていますが、被支配階級は富の使用権を持っていません。一握りの特権階級(富豪)と膨大な貧困大衆の二極に分裂した社会は、共産主義社会であれグローバル資本主義社会であれ、本質的に同じ支配構造にあるといえます。
 このように、共産主義もグローバリズムも、特権エリート階級と貧困大衆という超格差社会を生み出す点で同じものなのです。この超格差社会化が今世界的規模で進行しています。世界がグローバル経済化するということの究極的意味は、特権的民間資本による世界政府が樹立という想像を絶する世界の出現です。

【『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(ビジネス社、2014年)/総和社、2012年『国難の正体 日本が生き残るための「世界史」』改題】

 東日本大震災以降、尊皇攘夷の雰囲気が強まっている。最初のきっかけは北朝鮮による拉致被害者の帰国であった(2002年)。中央情報機関を持たぬ日本政府の無能と無責任を国民は思い知らされた。次は2008年4月26日に長野で行われた北京五輪の聖火リレーであった。フリー・チベット運動がリレーを妨害したのだ。この行為によって中国共産党によるチベット弾圧が明るみに出た。そして2005年には竹島を巡って韓国で反日運動が激化。これを受ける格好で中国においても日本の国連安保理常任理事国入り反対の署名活動が大々的に行われた。2010年には尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こる。

 この間に、中国で四川大地震(2008年)、日本では東日本大震災(2011年)、韓国ではフェリー転覆事故(2014年)などの災害や事故も関係改善の一助とはならなかった。

 ウェブ上にはネトウヨが出現し、ニュースではヘイトスピーチ問題が取り上げられるようになった。私が歴史認識に目覚めたのは昨年のことだ。20~30冊の本を読んで完全に目から鱗(うろこ)が落ちた。どっさりと。

 結局、第二次世界大戦の延長線上に今日の世界の枠組みがあり、戦争に勝利を収めたアメリカを中心とする連合国が大手を振って歩いているのだ。国際連合は「United Nations」の訳語だが直訳すれば連合国でもある。

 朝日新聞が大好きな「地球市民」や「世界市民」なる言葉も、左翼が掲げる天皇制打倒を思えば、日本人の民族性を漂白するところに目的があるのだろう。



大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

2020-08-01

高砂義勇隊員は糧秣を届けた直後に餓死した/『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい


・『高砂族に捧げる』鈴木明

 ・高砂義勇隊員は糧秣を届けた直後に餓死した

 私は帰還した朝鮮人特別志願兵を韓国に訪ねた。
 日本軍は敵の物量作戦による徹底的な攻撃にさらされた。熱帯特有の人間を寄せつけない自然環境による病気、そして飢餓で兵士はバタバタと倒れていった。戦闘よりも大部分の兵士が、病気と飢餓で命を落としたのであった。
 いよいよ食べる物がなくなるにつれて、自分の小便を飲んだり、友軍の兵士を殺して食べたと、元皇軍兵士たちは告白した。
「敵兵よりも友軍の日本兵のほうが怖かった。将校でさえも例外ではなく、殺人集団に入って戦友を射殺して食った」といった。
 それまで射殺した敵兵の人肉を食べた話が戦友会で語られているということは聞いたことがある。しかし、友軍の日本兵の人肉を食べたとは、私にはとても信じられないことだった。飢餓に陥ると、人間は最後の一線さえも越してしまうものかと、戦争のもたらした悲劇に息をのんだ。飢餓は人間を変えてしまうものだ。もし自分自身が、生か死かの極限の状況に置かれた場合、あえて死を選ぶ勇気が果たして自分にあるのだろうかと自問した。
 ソウルの張炳黙さんの第二十師団第七十八連帯では、千数百人のうち二人しか帰還しなかったという。彼は五十余回の戦闘で、負傷二十五個所、貫通傷五個所、盲貫二十余個所、体は蜂の巣のように穴だらけ、いまも銃弾や破片が残っている。まさに生きていることが不思議である。
 糧秣がなくなった時、張さんは同胞が友軍の人肉を飯盒で煮て食べているのを見た。食べたい誘惑にかられて、つい手を出そうとして止めた経験を語ってくれた。
「台湾の高砂義勇隊がわが部隊に糧秣を担送していたが、彼らの律儀さには驚いたよ。自分は食べないで、担送してきた途端に死んじゃった」
 と、全羅南道の金在淵は語るのだった。
 その高砂義勇隊員は、ジャングルの湿地帯を通り、険しい山を越えて四十キロの行程を、何日もかけて背負子で担送してきて、飢えのために死んだと説明した。
「俺なら自分で食ってしまうよ。日本軍に義理立てして死ぬことはない。馬鹿馬鹿しいったらないよ。とにかく高砂義勇隊は正直というか、日本の国のためにといって死んでいったよ。朝鮮人の志願兵なら、まず自分が生きることを先に考える」
 自分は飢えても、担送した糧秣を届けて死んだという話に、私は深い感動を覚えた。

【『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい(草風館、1998年)】

 わざわざ「元皇軍兵士たち」と書いたのは林の父親が特高警察に拷問されて死んだことに対する恨みが込められているのだろう(Wikipedia)。日本を愛することはできなかったに違いない。国家の誤ったハンドリングが敵対者を作ることは決して少なくない。戦時中の思想取り締まり、シベリア抑留の放置、水俣病患者の補償問題、野放し状態の学生運動、薬害問題、災害対策、そして拉致被害など、この国はきちんと国民を守る気があるようには見えない。その延長線上にいじめ被害がある。

 高砂義勇隊軍属であった。原住民ということで何らかの差別があったのかもしれない。優れた五感、抜きん出た身体能力で高砂族は行き詰まった日本軍を強力にサポートした。そんな彼らに対して日本は無保証・給与未払いで応じた(Wikipedia)。こんな国は戦争に敗れて当然だ。私はどうしても大東亜戦争を賛美する気になれない。

 台湾には今でも「日本精神」(リップンチェンシン)という言葉がある(日本精神│日本台湾平和基金会)。そして高砂族は戦後も大和魂のままに生きた。東日本大震災の時は人口2350万人の台湾が253億円もの義捐(ぎえん)金を寄せてくれた(データで見る東日本大震災の台湾からの義援金250億円 | nippon.com)。先日物故された李登輝元総統や蔡英文総統は常々日本語でメッセージを送ってくれている。そんな世界一の親日国である台湾と日本は国交すら結んでいないのだ。中国に侵略されるのは時間の問題だろう。安全保障はアメリカに依存し、経済は中国に依存するというだらのしない国に落ちぶれてしまった。「自主・独立」といった言葉を気安く語る政治家を絶対に信用してはならない。

 日本は直ちに台湾と国交を結び、重ねて安全保障条約を締結すべきである。

2016-07-08

集団同調性バイアスと正常性バイアス/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠

 ・集団同調性バイアスと正常性バイアス
 ・エキスパート・エラー

『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 実験を集計すると以下のとおりだった。(中略)
 つまり、【部屋に1人でいた場合は、全員が火災報知機が鳴ってからすぐドアを開けて何か起きていないか確認行動を起こしている。しかし、部屋に2人でいた学生は、1組だけが行動を起こし、ほかの部屋に2人でいた計6人は、火災報知機が鳴っても何の行動も起さず煙に気づいていから行動を起こしている】のである。食堂にいた学生に至っては3分の間、何の行動も起さなかった。
 避難が遅れた部屋に2人でいた学生に聞くと「多分誤報か点検だと思っていた。【まさか火災とは思わなかった】」がほとんどだった。これは食堂にいた学生たちも同じような答えだったが【「皆いるから大丈夫だと思った」】という言葉が付け加えられていた。

 緊急時、人間は1人でいるときは「何が起きたのか」とすぐ自分の判断で行動を起こす。しかし、複数の人間がいると「皆でいるから」という安心感で、緊急行動が遅れる傾向にある。これを【「集団同調性バイアス」】と呼ぶ。先の実験の食堂のように人間の数が多いと、さらにその傾向が強くなる。【集団でいると、自分だけがほかの人と違う行動を取りにくくなる】。お互いが無意識にけん制し合い、他者の動きに左右される。【自分より集団に過大評価を加えている】ことが読み取れる。結果として逃げるタイミングを失うことにもなりかねない。

【『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦(宝島社、2015年/宝島社、2005年『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』改訂・改題)】

 山村は「防災心理を知っているか知らないか、その違いが生死を分ける」と訴える。本書を読んでいれば東日本大震災を生き延びることができた人々もたくさんいたに違いない。読みながら痛恨の思いに駆られた。災害心理学は新しい学問だが、認知科学に基づいており信頼性は高い。生存者の手記やインタビューの多くは愚行と偶然性に支配されていて読めたものではない。単なる僥倖(ぎょうこう)から他人が学べることは耳かきほどもあるまい。

 人は関係性の中で生きる動物であるため必ず他人からの影響を受ける。集団で生きることが進化的に有利であったとすれば集団に同調することは人間らしさといってよい。行列に連なり、流行のファッションを取り入れ、観光地を旅するのが大衆の姿である。納豆が健康によいとテレビ番組が告げれば、我々は慌ててスーパーに向かう。で、各店舗で納豆が品切れになった頃、番組の捏造(ねつぞう)が発覚するという寸法だ。

 日常会話においても同調は明らかで、話が合う人同士は微細な体の揺れ(ダンス)が一致している。特に若い女性に顕著で双方が頷き合いながら「そうそう」と語る場面を時折目にする。

 そして集団が大きくなればなるほど烏合の衆と化す。一人ひとりの役割が小さくなり無責任になるためだ。

「逃げる」という行為は非日常的である。そこに躊躇(ためら)いが生じる。日本人の場合、みっともないという価値観も混入する。一瞬の遅れが取り返しのつかない過ちとなる。

 加えて、非常時には「こんなことは起こるはずがない」と捉え、現実ではなくヴァーチャルではないかと考える【「正常性バイアス」】が働くことがある。韓国の地下鉄火災に巻き込まれた人々は口々に「まさか火災だとは思わなかった」「みんながじっとしているので自分もじっとしていた」と話していた。まさに、正常性バイアス、多数派同調バイアスに捉われていたものと思われる。

 韓国で起こった大邱(テグ)地下鉄放火事件(2003年2月18日)では立ち込める煙の中でじっと座り続けている乗客の姿が撮影されている。


 思考が日常の延長線上から抜け出ることは難しい。しかも五官が捉えるのは部分情報である。全体情報は神の視点に立たなければ見えない。スポイルされた空間は安心感を生む。東日本大震災ではクルマで逃げてそのまま流された人々が多かった。建物や乗り物が認知を歪める。大邱地下鉄放火事件では192人が死亡した(再現動画)。

 人間の知覚には歪み(バイアス)がある。集団同調性バイアスと正常性バイアスは何も災害に限ったことではない。人間関係が濃いコミュニティほどバイアスは強くなることだろう。例えば運動部のしごきや集団暴行、マルチ商法グループの暴走、宗教組織の反社会性など。またあらゆるハラスメントは距離の近い人間に対して行われる。

 異常な集団に身を置けば異常であることが正常となる。そして異常なコミュニティには必ず強い同調圧力がある。出来るだけ多くのコミュニティに所属することが望ましいが、もっと手っ取り早いのは異なる価値観を知ることである。その意味で人と会うことと読書は最大の武器となる。

春秋左氏伝』に「安(やす)きに居(お)りて危(あやう)きを思う。思えば則ち備え有り、備え有れば患(うれ)い無し」とある。備えるとは注意を払うことだ。災害心理学を学ぶことは、安きにいて危機を思うことに通じる。



「戦うこと」と「逃げること」は同じ/『逃げる力』百田尚樹

2016-08-06

日英同盟を軽んじて日本は孤立/『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯


『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義』北野幸伯
『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯
『プーチン最後の聖戦  ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは?』北野幸伯

 ・日英同盟を軽んじて日本は孤立

『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯

菅沼光弘

 第一次世界大戦が始まる時、日本とイギリスは同盟国、イギリスとアメリカは同盟国ではありません。
 つまり、日本とイギリスのほうが、米英よりも近い関係にあった。
 しかし、第一次世界大戦の態度の違いにより、日英関係は冷え込み、米英は「もっとも重要な同盟国」になってしまいます。
「味方が苦しんでいるのを見捨てた」日本の「武士」らしからぬ行動は、すぐに悪い結果となって現れてきました。
 米英は、日本を強く警戒するようになり、以後「日本の力を削ぐ」ことが重要な目標になっていきます。
【1921年、日英同盟破棄が決定】されました。
 1922年に締結された「ワシントン海軍軍縮条約」で、日本の戦艦保有は、米英の6割と定められました。
 日本は7割を主張しましたが、米英は一体化して、これを拒否しています。
【1923年、日英同盟が失効。】
 このように、【日本の孤立は、第一次世界大戦時、日英同盟を軽んじたところから始まった】のです。

【『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2013年)】

 改行まみれである(笑)。女子中学生の日記みたいだ。ロシアで失脚したプーチンが日本に柔道留学する。日本の無能な政治家がプーチンにアドバイスを求める。つまりプーチンであればどのような日本の舵取りをするか、とのテーマで国家としての自立を示す内容となっている。

 ヨーロッパ列強の中で「栄光ある孤立」を貫いてきた大英帝国が翳(かげ)りを帯びた。日英同盟は大英帝国の覇権が弱まったことを意味した。

 同盟の直接的なきっかけとなったのは義和団の乱(1900年)であり、柴五郎とジョージ・アーネスト・モリソンの邂逅(かいこう)が両国を結ぶに至った(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人、『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス瑛子)。そしてモリソンは日本とロシアを戦争にまで誘導する(『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス瑛子)。

 日英同盟破棄には伏線があった。第一次世界大戦後にパリ講和会議で日本による人種的差別撤廃提案が否決されたことである(1919年)。

白人による人種差別/『国民の歴史』西尾幹二

 19世紀末から日本が歩んだ半世紀を振り返ってみよう。

(1868年 明治元年
 1894-95年 日清戦争
 1896年- 欧米豪で黄禍論が台頭  1900年 義和団の乱
 1902年 第一次日英同盟
 1904-05 日露戦争
 1905年 第二次日英同盟
 1911年 第三次日英同盟
 1921-22年 ワシントン海軍軍縮条約  1921年 四カ国条約  1931年 満州事変
 1933年 日本が国際連盟を脱退
 1937年 支那事変
 1941-45年 太平洋戦争(日本は支那事変を含めて大東亜戦争と称した)

 武士が刀を置き、チョンマゲを落として(散髪脱刀令 明治4年/1871年)からわずか23年で戦争に突入した。日本の近代化は文字通り戦争の歴史であった。

 幕末の知識人は阿片戦争(1840-42年)に衝撃を受けた。幕府は外国船に対して宥和政策を執らざるを得なくなった。そこに黒船が来航(1853年)する。迫りくる帝国主義に対する国家改造が明治維新であった。日本が遅れて帝国主義の波に乗ろうとした。だが当時の世界はそれを許さなかった。

 戦後の日本は安全保障を米軍に肩代わりさせて、まんまと経済発展を遂げた。辛うじて国体は護持したものの国家観を見失った。GHQの占領期間が終わっても尚、自国の歴史を教えることがなかった。日教組の教員は堂々と国旗掲揚を非難し、君が代斉唱を拒んだ。義務教育では戦前を暗黒史として教えた。マルクス史観を貫く進歩というテーマのために古い時代は悲惨と位置づけられた。


 日本の領土問題は北方領土竹島尖閣諸島の三つである。GHQが意図的に島嶼(とうしょ)部の扱いを曖昧にして混乱要因を残したという説もある。そして中国・ロシアが領空・領海を日常的に侵犯している。こうした状況にありながら平和憲法にしがみつくのは一種の教条主義であろう。日本の安全を保障してきたのは憲法第9条ではなくアメリカの核の傘であった。理想を見つめるあまり脅威を無視できる人々が多いことに暗澹(あんたん)たる思いがする。彼らにとってはチベットやパレスチナは他人事なのだろう。

 1990年代にようやく自虐史観を乗り越える動きが始まり、東日本大震災を通して尊皇の気風が回復しつつある。

 しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
 困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。

東日本大震災5年 追悼式の天皇陛下お言葉全文 2016年3月11日

 このお言葉を政治家は真剣に受け止めているだろうか? 右も左も関係ない。幕末にあって攘夷派も開国派も尊皇という一点は共通していた。日本が世界最古の国(【ギネス認定】日本は世界最古の国)たり得たのは天皇陛下の存在があったからだ。天皇という国家の軸を失えば「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」(「果たし得ていない約束」三島由紀夫/サンケイ新聞 昭和45年7月7日付夕刊)という三島の予言が現実のものとなる。

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2012-03-22

神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件

 ・神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」

元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って

 神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で亡くなった山下彩花(あやか)さん(当時10歳)の母京子さん(56)が、23日の命日を前に毎日新聞に手記を寄せた。全文は次の通り。



 竜が台小学校の正門前にたたずんでいる彩花桜が、今年も小さな蕾(つぼみ)をつけはじめています。自分の命よりも大切な彩花を亡くして以来、つらい季節になってしまった春が、彩花桜の成長とともにようやく優しい姿で身近なところに戻って来ました。

 あの日から丸15年。

 5年、10年、15年……。数字の上ではそれを区切りと呼ぶのでしょうが、大切な人を亡くした遺族にとっては心の区切りなどないような気がします。でも、一歩一歩積み重ねてきた時間がもたらす恩恵は、想像以上に大きく、苦しかった五千数百日の道のりを俯瞰(ふかん)できる力を与えてくれました。そして、彩花が居た時のように屈託なく笑うことや心の底から喜ぶことを思い出させてもくれました。

 突然、我が身に起きたあまりにも理不尽な出来事。身を切られるような苦しさと悲しみ。そのうえ、自宅で生活できないほどのマスコミの過熱報道……。まるで、真っ暗な闇に放り出されたような絶望的な日々が続き「彩花のところに行きたい」と何度願ったことでしょう。夫や息子がいなければ、そして、人との絆が無ければ、私はあの地獄のような日々を、とても耐えることはできなかったでしょう。

 その後、二度も病魔に襲われ死を覚悟した時にも、多くの支えの中で病気に立ち向かうことができました。ふり返れば、私たち家族を見守り、寄り添い、励まし、支え続けてくれたたくさんの温かい真心のおかげで今日という日があるのだと、あらためて感謝の思いがこみ上げてきます。

 昨年3月11日、東日本で未曾有の大震災が起きました。

 大切な人を突然亡くされ深い悲しみを抱えた人。家族の行方がわからず探し続ける人。生き残ったことに罪悪感を持っている人。家や仕事を失い途方にくれる人。住む家があるのに原発の影響で帰ることができない人。美しいふるさとを奪われた人……。津波や原発事故は私たちの国にあまりにも大きな爪(つめ)痕を残しました。決して取り戻すことができない尊い命を奪い、穏やかな生活を踏みにじってしまいました。

「どんな困難に遭ったとしても、心の財(たから)だけは絶対に壊されない」という大好きな言葉があります。

 この15年間、私たち家族は、日常の中で揺れ動きながら、時に絶望して泣きながらも目の前の壁に挑んできました。どんなに苦しくても、あきらめなければ必ず笑顔と幸せを取り戻すことができる。心の財さえ壊されなければ、人は再び、いえ、何度でも立ち上がることができる、ということを東日本大震災で被災された全ての人たちに身を持ってお伝えします。そして、私に出来る支援をこれからも続けていきたいと思っています。

 大きくなった彩花桜を見上げたら「ずっとそばに居るよ、姿は見えなくても」と、彩花の弾むような声が聴こえたような気がしました。

 山下京子

毎日新聞 神戸版 2012年3月21日

2014-06-02

バフェット氏はなぜタンガロイを選んだ?


 東京電力福島第1原子力発電所の南40キロメートル余りに本社・工場を構える超硬工具大手のタンガロイ(福島県いわき市)。米国の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏が3月下旬の初来日の場所として選んだ会社だ。震災と原発事故で来日はキャンセルになったが、世界の経済人が「オマハの賢人」と敬愛するバフェット氏は、なぜわざわざタンガロイに足を運ぼうとしたのだろうか。

 IHI相馬工場と同じく、タンガロイも東日本大震災の被害に遭ったが早期の復旧を遂げた。そこには親会社であるイスラエルの切削工具メーカー、イスカルを中核とするIMCグループの強力な支援があった。「小さな家族経営」。IMCのエイタン・ベルトマイヤー会長は、何よりも社員の気持ちを大切にする経営理念を掲げる。バフェット氏はこの考え方を高く評価し、IMCに巨額の投資をしている。ベルトマイヤー会長の経営がいかにタンガロイの現場の人々を励まし危機を乗り切るための支えとなったのか。そこには、窮地にある日本企業が学ぶべき教訓がある。

 今回、バフェット氏は3月21日から2日間、タンガロイを訪れる予定だった。まずは、バフェット氏とタンガロイ、そしてIMCのベルトマイヤー会長、この3者の関係について詳しく紹介しよう。

 タンガロイは2008年11月、超硬工具で世界2位のIMCに買収された。その2年前の2006年、IMCにはバフェット氏が当時の邦貨換算で4800億円を投じて、8割の株式を取得している。

バフェットが驚いた「小さな家族」経営

 これは当時、バフェット氏にとって初めての米国以外での大型投資だった。決断の裏にはIMCのベルトマイヤー氏が実践している優れた経営があった。その極意は「社員の1人ひとりを大切にする、思いやりのある『小さな家族主義』経営」だ。目先のことよりも、社員の気持ちを大切にし、100年先を見据えて会社を動かす。バフェット氏は当時、「こんなすばらしい経営はみたことがない」と驚き、巨額投資を決断した。

 もともと、投資話はベルトマイヤー会長から持ちかけたものだ。イスカルは非上場のため企業買収が難しいという悩みを抱えていた。世界最大手であるスウェーデンのサンドビックを追撃するためにはアジアなどでのM&A(買収・合併)は急務。バフェット氏のグループに入ることができれば、世界戦略は大きく前進する。バフェット氏は巨額投資をしても、経営そのものはベルトマイヤー会長に任せてくれた。そして同社にとって空白地帯に近かった日本で手に入れたのが、かつて「東芝タンガロイ」として知られたタンガロイだった。

 ベルトマイヤー会長がバフェット氏の初来日に際してぜひとも見せたかったものがあった。タンガロイの新工場のオープニングセレモニーだ。単なる工場の竣工(しゅんこう)式ではなく、「タンガロイ復活の象徴」のイベントだったからだ。

 IMCがタンガロイを買収したのはリーマン・ショック直後の2008年11月。主力顧客の自動車業界が設備投資を一斉に凍結し、注文した部品はキャンセルの嵐に見舞われた。タンガロイは大赤字に転落し、競合他社のような大規模なリストラは避けられそうにない状況に陥っていた。

 東芝の子会社時代には業績悪化のたびに本社からの要請を受けて何度も人員削減した。しかし、リーマン・ショック後の危機を受けた打開策はこれまでとは全く異なるものだった。ベルトマイヤー会長はタンガロイの上原好人社長が温めていた新工場の建設計画をすぐに実行するように指示する。09年春のことだ。投資額は100億円強。売上高の2割以上に相当する額だ。

イスラエルから放射能の専門家派遣

 危機こそ好機――。この決断がタンガロイの復活を後押しする。上原社長は「他社に先行して設備を発注できたため、古い工場建屋に導入して、2010年からの需要回復に対応できた。本当に良い会社に買収してもらったと思う」と語る。最新鋭の建屋は今年1月に完成し、大震災にもびくともしなかった。古い工場建屋から設備を移し、生産の早期回復にもつながっている。ベルトマイヤー会長が同社を家族のように扱ってくれるため、現場の士気が高まっていることも大きい。

 上原社長は「震災でもイスラエルからの支援は素早かった。社員も喜んでいる」と話す。タンガロイのいわき工場は東電福島第1原発から40キロメートル程度しか離れていない。そのため、タンガロイ製品についての「風評被害」が出ていた。IMCはイスラエルの政府系機関から放射能測定の専門家を4月11日に派遣してきた。世界から認められた公的機関が製品の放射能を測定し、問題ないことを示す認証を与える。さらに、設備内に入る放射能を遮断するためにどんな方策が必要なのかを細かく教えてくれた。例えば、「工場内の芝生には入らないように」ということ。靴に放射能物質が付着しやすいからだという。IMCは主力輸出先である欧州でも、ベルギーの公的機関に依頼して、物流倉庫で製品の放射線量を調べ、顧客の心配の芽をすばやく取り除いた。

 こんなこともあった。超硬工具の生産工程で重要なのがタングステンなどの原料を焼き固める焼結炉だ。新工場ではドイツの機械メーカーから購入し、4月にも据え付ける予定だった。だが、原発事故でドイツ人技術者が来日を拒否した。上原社長らが困っていると、イスラエルの本社から「タンガロイの技術者をすぐに送ってこい」との指示があった。焼結炉の据え付けや試運転に詳しいIMCの社員が2週間かけてすべてのノウハウを教えてくれる、というのだ。上原社長は5月中旬から2人の技術者を送り込んだ。「困ったことがあれば、なんでも面倒を見てくれる。子会社とはいえ、ここまで親身な親会社があるのか」と、上原社長も舌を巻いた。

 ベルトマイヤー会長がタンガロイを全面支援するのは単なる「優しさ」だけからではない。そこには長期を見据えた深い戦略がある。

 タンガロイが成長すれば欧米や韓国などにあるグループ企業との競争が激しくなる。そして各社による切磋琢磨(せっさたくま)によって企業グループはより強くなれる、という計算があるのだ。中核のイスカルは、複雑な形状の超硬工具を生産できる世界有数のプレス技術を持つ会社。360度すべての角度から圧力をかけて、切削する先端部を増やすような技術だ。こうした秘伝のノウハウもすべて、グループ会社には伝授される。タンガロイの新工場にはすでに、イスカルが使う独自のプレス機械が入れられている。

お金持ちでも「ランチは1日1度」

 ベルトマイヤー会長とはいったいどんな人物なのだろうか。会長は創業者であるステフ・ベルトマイヤー名誉会長の息子。ステフ名誉会長はイスラエルの英雄として、尊敬を集める経済人であり、政治家でもあった。その創業者の経営哲学を息子が受け継いでいるのだ。

 ステフ氏は1930年代後半、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害から逃れ、現在のイスラエルに渡ってきた。48年にイスラエルが独立を宣言した後の第1次中東戦争で義勇兵となる。ただ、名誉会長は手先が器用だったため、工作機械で使う超硬工具の開発を志した。武器を製造する基盤技術として重要だったからだ。現在のレバノンから近い北部の町テフェンの自宅で、52年にイスカルを創業した。

 この会社の存在を一挙に世界に知らしめたのが67年の第3次中東戦争だった。アラブ諸国に配慮したフランスが、戦闘機「ミラージュ」のイスラエルに対する禁輸を決定した。イスラエル空軍は頭を抱えた。戦闘機エンジンを開発していくにはタービンブレードの加工が必要だが、その技術は極めて難易度が高いからだ。だがエンジン部品を削るために世界でも最高レベルの超硬工具を名誉会長らの技術チームは見事に開発した。

 エイタン会長は「イスカルが長年成功できたのは父の存在が大きい。父は常に従業員を家族のように大切にしてきた」と語っている。何度も経営危機に直面したが、雇用にはほとんど手をつけていない。例えば、2008年秋のリーマン・ショックでも業績は一時的に悪化したが、従来と比べて単位時間当たりの切削量を3倍に増やした旋盤の超硬工具など強力な新製品を相次いで投入し、危機を乗り越えた。

 ベルトマイヤー会長が社員を大切にするエピソードは数多い。同会長はバフェット氏にイスカルの8割の株式を売却したが、その売却益は1952年の創業以降、イスカルに所属していた従業員すべてに還元された。草創期からの従業員には亡くなっている人も多いが、それでも会長の指示で子供や孫を捜し出して、多額の「感謝金」を支払った。ベルトマイヤー会長は言う。「お金をたくさん持っても、ランチは1日に1度しか食べられない。1度しか寝られない。大切なのはポケット(お金)よりもハート(心)だよ」と。

【日経産業新聞 2014年5月31日】

最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 世界恐慌への序章

2019-01-28

天皇陛下はエンペラーに非ず/『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖


・『自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由』伊藤祐靖

 ・天皇陛下はエンペラーに非ず
 ・日本国憲法の異常さ

『とっさのときにすぐ護れる 女性のための護身術』伊藤祐靖
・『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克 2021年
『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克

日本の近代史を学ぶ

「何て書いてあるの? 訳してよ」
「本気で訳すから、一日待て」
 翌日、その詔書を英語に翻訳したものを印刷し、仰々しく額に入れて渡した。読み終えた彼女は、「この時の日本の人口は、何人?」と訊いてきた。
「6000万弱かな」
「これ、本当にエンペラーが書いたものなの?」
「そうだよ。エンペラーというか、TENNOU・HEIKA」
「あぁ、HIROHITOね」
「違う。先代だ」
「すごいね、本当にすごい」
「何がすごいんだ?」
「あなたの国は、すごい」
「だから何が、すごいんだ?」
「あなたは、これは、エンペラーが書いた命令文書だと言った。でも、違うわよ」
「何を言ってんだ。これは確かにエンペラーが書いたものだ」
「でも、命令なんかしてないじゃない。願ってるだけじゃない。“こいねがう”としか言ってないわよ」
「そういう言葉を使う習慣があるんだよ」
「エンペラーは、願うんじゃなくて、命令するのよ。エンペラーが願っても、何も変わらないでしょ。願うだけで変えられるのは、部族長だけよ」
「部族長? 天皇陛下は部族長だって言うのか?」
「“こいねがう”と言ってるんだから、これを書いた人は部族長なの。これは、部族長が書いた、リクエストなのよ」
「部族長か……、願うだけで変えられるか……」
「6000万人全部が一つの部族で、それに部族長がリクエストを出すっていうのがすごい。私のところとは、規模が違う」
 あまりのショックで、私はしばらくしゃべれなかった。
 6000万人全部が一つの部族――。エンペラーではなくて部族長――。エンペラーが願っても何も変わらない――。“こいねがう”と言っているから部族長――。
 すべてが腑に落ちた。
 同時に激しい自己嫌悪を感じた。
 なぜ、ミンダナオ島の二十歳そこそこの奴から、詔書の真意と日本という国の本質を教えられてしまうんだ。日本に生まれて、日本語を母語としていて、40年以上日本で生きていたのに、なぜ、それが見えなかったのだろう。どうして、こいつは一瞬で見抜いたのだろう。“こいねがう”というたった一つの単語で、彼女は断言した。部族長であってエンペラーではないし、命令文書でもない、と。
 だが、自己嫌悪の裏側には、喜びと高ぶりもあった。この島にいることで、自分の祖国の実相が見えてくるかもしれないという予感が、正しかったのだ。(中略)
 つい最近まで国家元首が“こいねがう”ことによって、国家が動いていた。ここに私の祖国日本の本質があるように思えた。

【『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖〈いとう・すけやす〉(文春新書、2016年)】

 弟子のラレインが海底60メートルで拾ったのは額入りの「国民精神作興ニ関スル詔書」であった。「関東大震災などによる社会的な混乱を鎮(しず)めるために大正天皇が発したもの」と書かれているが、社会的な混乱とは「民本主義や社会主義などの思想」を指す(小学館 日本大百科全書〈ニッポニカ〉)。

 エンペラーの語源はインペラトルで「インペリウム(命令権)を保持する者」(Wikipedia)との意。司令との訳語が実際的であるが「司」だと少し弱い。我々日本人にとって命令権者という概念を理解するのは難しい。

 ラレインは詔勅から「日本の呪術性」を見抜いた。私がいう呪術性とは合理性の埒外(らちがい)にあるものを指す。呪術性と聞いて直ちに否定する輩は合理性の奴隷で人の感情(情動)を理解していない。何歳であろうと人が人生を振り返った時に心の中を流れるのは感情だ。合理性ではない。ここに人間理解の鍵がある。

 天皇は祭祀王(さいしおう)である(『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり)。神と人の間に立って祭祀を司(つかさど)り、ひたすら祈りを捧げる存在が天皇なのだ。その天皇の「願い」に国民が身を寄せるところに日本の民族性がある。もちろん明治維新が天皇を神格化した歴史的経緯は見逃せないが、代々続いてきた天皇システムを軽んじるのも誤っている。

 呪術性とは以心伝心であり阿吽(あうん)の呼吸である。民族特有の「気」といってもよい。理窟よりも意気や気魄(きはく)を重んじるのが日本のエートス(気風)であろう。

 当時は既に詔勅で世の中が動く時代ではなかった。いつの時代も自由とは過去の否定を意味する。大正デモクラシーも例外ではなかった。政党政治という大輪の花は咲いたがかつての王政復古を支えた志や武士道は廃(すた)れた。昭和に入るとその空隙(くうげき)を軍政が衝(つ)くのである。

 東日本大震災を通して天皇は再び日本の中心に据(す)わった感がある。この事態に逸(いち)早く反応したのが左翼勢力で団塊の世代を中心に日本を貶(おとし)める工作活動が激化して今日に至る。

「兵隊は国家の意思を具現化するために命を捨ててもいいと自ら志願してきた人です」(小林よしのり×伊藤祐靖 新・国防論 日本人は国のために死ねるのか 2)と伊藤は言い切る。憲法9条が自衛隊の軍事性を否定する以上、命を捨てる覚悟が強ければ強いほど不毛な結果が見えてくる。日本が普通の軍隊を持つことができないのは「守るに値する国民」がいないためだ。

2016-07-19

釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 大槌湾(おおつちわん)の近くに、この地域唯一の中学校である釜石東中学校があります。その隣には、鵜住居(うのすまい)小学校があります。
 釜石東中学校は、当日、校長先生が不在でした。教頭先生が、すごい揺れのなか、床を這(は)うようにして放送卓まで行ったのですが、停電のために放送できなかった。だけど、そのときすでに、生徒たちがダダダダダーッと廊下を駆け抜けていく音が聞こえたといいます。
 教頭先生は、やっとの思いでつかんだハンドマイクで校庭にいる子どもたちに指示を出そうとして立ち上がったら、すでに子どもたちは全力で走っていました。ある先生が「逃げろ!」と叫んだのを聞いて、最初に逃げたのはサッカー部員たちだったそうです。グラウンドに地割れが入ったのを見た彼らは、校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と大声を張り上げ、そのまま走りはじめて、鵜住居小学校の校庭を横切ります。そして小学校の校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と声をかけながら、「ございしょの里」という避難場所に向かって全力で走っていきました。(中略)
 この地域では、津波にいちばん詳しいのは中学生ということになっていました。学校の近所に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんたちも、その中学生たちが血相変えて逃げていく光景を見て、それに引き込まれるようにして、一緒に逃げはじめました。(中略)
 ところが、「ございしょの里」の裏の崖(がけ)が地震で崩れかけていた。それに気づいたある中学生がこう言ったそうです。「先生、ここ、崖が崩れかけているから危ない。それに揺れが大きかったから、ここも津波来るかもしれない。もっと高いところへ行こう」。(中略)
 本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。それは、中学生が「先生、ここは危ない。次へ行こう」と言った、このひと言に始まったと思います。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)】

 以下のページに地図と写真が掲載されている。

地域防災に関する実践的研究 岩手県釜石市 津波犠牲者ゼロを目指した地域づくり

 もしも学校の屋上に避難したり、ございしょの里にとどまっていたならば彼らは助からなかった。

 以下のページには避難をしている中学生を撮影した写真があるが、既に町が津波に飲み込まれている様子がわかる。

臨機応変に行動する力が培われていたことで、生徒全員が生き延びることができた

「率先避難者たれ」という片田の教えを守り、まずサッカー部が全力疾走で逃げた。この行動が集団同調性バイアスと正常性バイアスを打ち破った。彼らは地震発生から30分以上避難し続けたことになる。上記ページの地図から察すると、約1.5kmに渡る上り勾配(こうばい)だ。釜石は最も早く大津波が到達した地域と思われるが、地震発生からの30分間は決して余裕のある時間ではないことがわかる。

 中学生の一言はこれまた片田の「想定にとらわれるな」という教えによるものだった。釜石の奇蹟は防災教育の勝利であった。





人が死なない防災 (集英社新書)

2013-08-03

佐村河内守、震災犠牲者への追悼ソナタが完成


 作曲家・佐村河内守氏が、東日本大震災の犠牲者へ追悼の思いを込めて作曲した新作「ピ­アノ・ソナタ第2番」完成発表会を開いた。佐村河内氏は、30代半ばで聴力を失い、絶­対音感を頼りに創作を続ける作曲家。震災後、自身の「交響曲第1番 HIROSHIMA」が被災地で"希望のシンフォニー"と呼ばれていることを知り、音­楽家として力になりたいと考えていたところ、母を津波で失った少女との出会いがきっか­けとなり「ピアノのためのレクイエム イ短調」を作曲。その作品をベースに、すべての被災者にささげる長大なピアノソナタを­完成させたという。韓国のピアニスト、ソン・ヨルムを招き、曲の一部を披露した佐村河­内氏は、「通常のレクイエムとは逆に、亡くなった人の苦しみ、悲しみ、怒りを聞いても­らいたいと思った」と、曲に込めた思いを語った。


佐村河内守:魂の旋律~HIROSHIMA×レクイエム [DVD]

魂の旋律 ~音を失った作曲家~
NHKオンデマンド
佐村河内守

2014-10-08

菅沼光弘


 1冊読了。

 74冊目『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘(徳間書店、2011年)/東日本大震災による福島原発事故を通して、日本が原発を導入するに至った歴史的・政治的経緯に始まり、GHQの占領政策が戦後の日本をどのように破壊してきたかを様々な角度から説く。その膨大な知識と情報に圧倒される。しかも金融・経済にまで目配りが行き届いている。菅沼は原発を憂慮する国民が多いことをわかりながら、敢えて核武装の必要性を提言する。私自身は数年前から核武装に賛成の立場だ。理由は単純である。もともと民主主義というのは類人猿時代に始まる。それは弱い者が力を合わせてアルファオス(ボス猿)を暴力的に排除することに由来している。人類が起こしてきた革命はすべてこれに該当する。ところが金融の電子化と原子爆弾の発明によって民主主義は滅んだと私は考える。なぜなら国民の大半が蜂起したとしても、これらを奪うことができないためだ。米よこせ運動は可能だが、マネーよこせ運動や核よこせ運動は不可能だ。そもそも銀行には一部の資産しか存在しないのだ。行間に憂国の情がほとばしり、結論で日本人への信頼を述べている件(くだり)は胸に込み上げてくるものがある。手引きとしては、『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之→『戦後史の正体 1945-2012』孫崎享→『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン→『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー→菅沼光弘と進めば理解が深まることだろう。

2016-08-23

武田邦彦、小室直樹、伊藤貫、佐々淳行、他


 14冊挫折、6冊読了。

私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年)/『政治家たち』と比べると内容が格段に劣る。

ソトニ 警視庁公安部外事二課 シリーズ1 背乗り』竹内明(講談社+α文庫、2015年)/登場人物の名前が陳腐すぎて、まるで漫画みたいだ。そのセンスのなさに落胆。

ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』おおたとしまさ(幻冬舎新書、2016年)/サピックス小学部と鉄緑会という私塾が日本の頭脳を担っているらしい。学歴ではなく塾歴の光と闇。

「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』大沼保昭(中公新書、2007年)/姿勢のいい左翼か。アジア女性基金の理事という立場が主張をわかりにくくしていると思う。

オウム的!』小林よしのり、竹内義和(ファングス、1995年)/小林の古い作品は読めた代物ではない。単なる放談。

歴史問題は解決しない 日本がこれからも敗戦国でありつづける理由』倉山満(PHP研究所、2014年)/文体が肌に合わず。

無援の抒情』道浦母都子〈みちうら・もとこ〉(雁書館、1980/同時代ライブラリー、1990年/ながらみ書房新装版、2015年)/飛ばしながら半分ほど読む。私が唾棄する全共闘運動の歌集である。知っている歌を確認するために読んだ。どのような世界であれ「生きる現実」がある。主義主張は異なれど共通する感情が通う。青春とは錯誤の異名であろう。そして歳月が錯誤を正すと純粋さが失われる。

日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎〈たけむら・こうたろう〉(PHP文庫、2013年)/竹村は国土交通省河川局長を務めた人物。狙いはいいのだが、思いつきのレベルに感じる。

日本文明の謎を解く 21世紀を考えるヒント』竹村公太郎〈たけむら・こうたろう〉(清流出版、2003年)/第12章「気象が決める気性」だけ読む。気象変化が激しいために日本人は原則を立てられなかった、という指摘が斬新だ。

いますぐ読みたい 日本共産党の謎』篠原常一郎〈しのはら・じょういちろう〉、筆坂秀世〈ふでさか・ひでよ〉監修(徳間書店、2009年)/佐藤優が寄稿している。内容も文章も中途半端。創価学会に関する記述が目を惹いた。

ともしび 被災者から見た被災地の記録』シュープレス編著(小学館、2011年)/「悲しい思い出」を読むのは無駄だと思う。津波てんでんこの言い出しっぺである山下文男が逃げなかったという話には大笑い。いかにも左翼らしい。

ペリリュー島玉砕戦 南海の小島七十日の血戦』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、2010年)/文章が冗長なのか、頭に入らず。

ニッポン核武装再論』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(並木書房、2008年)/専門性が高すぎて読み物としては微妙だ。概念と技術を立て分けて書くべきだと思う。文体に臭みがあって読みにくい。

日本人が知らない軍事学の常識』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2012年/草思社文庫、2014年)/やはり文章が肌に合わない。気取りやポーズがある。

 123冊目『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)/民主党政権批判の書。一々説得力がある。

 124冊目『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(幻冬舎、2011年)/こちらは東日本大震災直後に書かれたもの。記憶を確認するためにも読まれてしかるべきだ。

 125冊目『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2014年)/いやはや面白かった。佐々の祖父は幕末の志士で後に衆議員となる。父は参議員を務めた。石原慎太郎を持ち上げすぎるきらいがあるが、きちんと根拠を述べている。加藤紘一に事務次官の道を断たれたことも赤裸々に綴る。佐々は武士道の流れを汲む最後の世代か。

 126冊目『自滅するアメリカ帝国 日本よ、独立せよ』伊藤貫〈いとう・かん〉(文春新書、2012年)/アメリカの保守層を中心とした要人の発言集といった感がある。確かに自滅しそうだが、その経路は書かれていない。内容は文句なしだが、やや感情の異常さが窺える。「(笑)」はともかく、「(苦笑)」との表記は文筆家として問題がある。しかも苦笑できる内容ではない。伊藤の話し方には妙に甘ったるいところがあり、永六輔のような寄りかかった姿勢を感じる。悪い意味での言文一致といったところか。

 127冊目『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった』小室直樹(ビジネス社、2016年/文藝春秋、1986年『天皇恐るべし 誰も考えなかった日本の不思議』改題、脚註加筆)/天才というべきか、奇才とするべきか。一番相応しいのは鬼才かもしれぬ。小室の力と技は日本人離れしている。「天皇とはキリスト教的神である」と断言するまでに用意周到な根拠を列挙する。ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教、教育勅語、そして栗山潜鋒の『保建大記』。全く関係ないのだが私は本書を読んで、日蓮の『立正安国論』が仏儒習合であることがわかった。崇徳天皇の呪いが末法思想に影響を及ぼした可能性もある。

 128冊目『武田教授の眠れない講義 「正しい」とは何か?』武田邦彦(小学館、2013年)/インターネット放送を編んだためか、やや散漫に流れてはいるが十分お釣りがくる内容だ。正しいとは、自分とは別の正しさを知ることである。

2019-06-07

小室直樹に予言されていた私/『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹


『評伝 小室直樹』村上篤直

 ・小室直樹に予言されていた私

『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹

 さて、以上の分析によって、私たちが直面している校内暴力・家庭内暴力の何たるかを、いっそう明確に分かっていただけたと思う。それは新左翼や行動右翼、構造的汚職犯罪人、そして戦前の軍事官僚や戦後の高級官僚、エリート・ビジネスマンなどに連なる一大アノミー症候群の一つの峰であって、それ自身で存在するものではない。(中略)
 では、前人未到の程度にまで激甚化した暴力は、今後どこへ行く。かかる暴力を生み出したアノミーは、どこまで昂進する――それを考えるには、差し当って、若者がもう一度イデオロギーを取り戻した時が、一つのメルクマールとなろう。
 この2~3年、日本のイデオロギー状況は、大転換をみせた。左翼イデオロギーが、人びとの間で、完全に魅力を失ってしまったのである。それとともに、従来は左翼イデオロギーに出口を求めてきた若者のアノミーは、行き場を失い、無イデオロギーの暴力に結集することになった。
 これが、校内暴力・家庭内暴力だ。校内暴力・家庭内暴力が、この2~3年、急速に猖獗をきわめるようになった理由も、まさにここにある。
 しかし、若者は理想を求める。永年、イデオロギー無き状態に放置されていることはできない。イデオロギーこそは、若者にとって、生活必需品の一つなのだ。
 では、イデオロギー無き現代の若者に、再びイデオロギーが帰ってくるとすれば、それはどんなものだろうか。
 そこで最後の予言。
 それはおそらく、三島由紀夫であろう。マルキシズムが再び青年の心をとらえることはできない。在来の右翼思想は、すっかり古色蒼然たるものになってしまったし、虚妄の戦後デモクラシーに惹力はない。
 が、より根本的理由は、右の思想のいずれもが、戦後日本の基礎となった、急性(アキュート)アノミーとの対決を回避しているからである。
 この急性アノミーは、敗戦と天皇の人間宣言によって発生したものであったが、三島由紀夫のみが自著『英霊の声』(ママ)において、これとの対決をみごとになしとげた。

【『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』小室直樹(太陽企画出版、1982年)】

 この箇所は『評伝 小室直樹』で知った。私が三島由紀夫に辿り着いたのは一昨年のことである。つまり36年前の予言が的中したわけだ。恐るべき慧眼(けいがん)と言わざるを得ない。

 アノミーとはエミール・デュルケームが用いた社会学的概念で通常は「無規範」と訳されるが小室は「無連帯」とした。ヒトが社会的動物であれば無連帯は孤独や不安を醸成する。元々は敗戦~天皇陛下の人間宣言が日本に国家的規模の集団アノミーを発生させた。その真空領域にマルクス主義が侵入し、新興宗教が蔓延(はびこ)った。小室が指摘する校内暴力・家庭内暴力が芽生えたのは私の世代(1963年生まれ)である。北海道で一番最初に校内暴力が報道されたのは私の中学で、教員に暴力を振るったのは私の友人であった。

 当時、我々の世代は三無主義(無責任・無関心・無感動)とか新人類などと呼ばれた。バブル景気が弾けるとフリーターはニートや引きこもりとなり、援助交際から一転して自傷行為が目立ち始めた。就職氷河期に遭遇した「失われた世代」(団塊ジュニアとも。1971-1974年生まれ)が抱いた社会不信も後々深刻なダメージとなって社会を毀損した。

 新しい歴史教科書をつくる会(1996年)や小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』などを中心とする近代史の見直しを背景に、東日本大震災(2011年)で国内には再び尊皇のエトス(気風)が復活した。問題は令和となったこれからである。

 三島由紀夫の問題意識は現在の日本をも射抜いている。憲法改正の機会を失ったと判断した三島は自衛隊員に呼びかけてクーデターを目論んだ。ところが二・二六事件の頃とは違って日本は高度成長を遂げていた。義務教育ではアメリカがデモクラシーを与えてくれたと教えていた。三島は割腹自決を遂げることで不朽の存在となった。明年は三島の死からちょうど半世紀となる。三島の演説は今もなお私の魂を振動させる。



時間の連続性/『決定版 三島由紀夫全集36 評論11』三島由紀夫