・『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤
・真のエリートとは
・『果断 隠蔽捜査2』今野敏
・『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
・『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
・『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
・『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
・『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
・『去就 隠蔽捜査6』今野敏
・『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
・『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏
・『惣角流浪』今野敏
・ミステリ&SF
・必読書リスト その一
東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。
【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)以下同】
主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。
彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。
それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。
「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。
これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。
省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。
偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。
ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。
かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス』近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。