2021-06-14

骨盤歩き/『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀

 ・「肉」ではなく「骨」を意識する
 ・骨盤歩き

『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン

身体革命

 ナンバ走りの「コツをつかむ」ための予備段階としては、まず歩きの中から習得するという方法がベストかもしれない。
 たとえば、階段や山を上る際、右足を踏み出したときに右手をその膝に添えるというやり方である。これは疲労困憊(こんぱい)したとき自然に出るポーズだが、体を楽にする意味で、しごく理に適った動きである。
 竹馬に乗って歩くのも、ナンバ的感覚を養う手段として有効である。竹馬は踏ん張ってはうまく前に進まない。スムーズに歩くためには前方へと一歩一歩倒すようにしなければならず、古武術で言う支点の崩しによるエネルギーの移動に通じるところがある。
 以上の動作を加味した上で、骨盤で走るという感覚を養うためには、俗に言う「骨盤歩き」の習得が有効になるだろう。この「骨盤歩き」は骨盤を形成する「仙骨」「腸骨」の分離感覚を促進し、それぞれの独立した動きを可能にしてくれる。第三章、第四章で後述する「骨盤潰し」による様々な技を可能にする予備段階としても、ぜひとも取り組んでもらいたいトレーニングである。


【『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦〈やの・たつひこ〉、金田伸夫〈かねだ・のぶお〉、織田淳太郎〈おだ・じゅんたろう〉(光文社新書、2003年)】

「そうか!」と膝を打った。まず膝に手を添えるというのは経験したことがなかった。更に小学生の時分に何度か竹馬に挑戦したことはあるが結局乗ることができなかった。飽きっぽい性格も手伝って直ぐに見向きもしなくなった。ただし骨盤歩きはストンと腑に落ちた。普段使っていない筋肉や骨を動かすことは明らかだ。しかも足を使えないため体幹勝負である。

 早速やってみた。直ぐにできた。これはいい。今まで動かすことのなかった体の深奥を揺さぶっている感覚がある。広いスペースで行えばもっと体が目覚めることだろう。

 問題は動かすことができるにもかかわらず動かしていない部位があまりにも多すぎることなのだろう。日常生活では手先や足先など末端を動かす営みが殆どだ。現代人は「体を使えていない」。つまりポルシェを時速30kmで運転しているような状態と言っていいだろう。

 ただし体はタイヤを回すような単純な構造ではない。複層構造の体幹に4台の油圧ショベルが据え付けられているような代物だ。

 ナンバ歩きや常歩(なみあし)を試すと筋肉よりも骨の重要さが自覚できる。例えば操り人形だ。傀儡子(くぐつし)が操る人形は関節部分を動かしているのだ。紐が筋肉だ。つまり筋肉の役割は骨を導くところにある。

 人工物が溢れる現代社会にあって体は人間に残された最後の自然である。コントロール不可能な自然であることを我々は不調や病によって知る。極端な運動は農業を行うような真似だ。そうではなく適度な運動で里山のような状態にすることが望ましいように思う。

2021-06-10

1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱/『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏


鋼の庖丁を選べ
鉄フライパンの焼き直し

 ・1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱

『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一

 インドのデリー市郊外の世界遺産クトゥプ・ミナールに、紀元4世紀に仏教国のグプタ朝期に建てられた鉄柱がある。直径42cm、高さ地上7m、重さ約7tで約1mは地中に埋まっていと言われている。鉄の純度は99.72%で、約1600年経つがほとんど錆が進行していない。このような大きな鉄の構造物を作った当時の技術はどのようなものであったであろうか。
 一方、我が国では、1400年前に建てられた法隆寺の修理の際、和釘が見つかっている。その和釘の表面は黒錆で覆われているが錆は進行しておらず、曲がりさえ直せば再度使えると言われている。1779年に作られた英国のアイアンブリッジや、1889年に完成したフランスのエッフェル塔も健在で、これらは前近代的製鉄法で製造された銑鉄(せんてつ)や錬鉄(れんてつ)でできている。

【『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏〈ながた・かずひろ〉(ブルーバックス、2017年)】

「グプタ朝期に建てられた鉄柱」とはデリーの鉄柱である。一般的にアショーカ・ピラーと呼ばれているようだが誤り。アショーカ王碑文が認(したた)められているのは摩崖・洞窟・石柱である。

 また錆びない理由については「『純度の高い鉄製だから』という説明がされることがあるが、これは誤りである。(中略)1500年の間風雨に曝されながら錆びなかった理由は、鉄の純度の高さではなくむしろ不純物の存在にあるという仮説が有力である」(Wikipedia)。永田の記述はギリギリのところで踏みとどまっている。

法隆寺 千年の釘 – MAQ設計事務所

 デリーの鉄柱同様、黒錆が美しい。

 人の寿命を超えるものに惹かれるのは永遠への憧れもさることながら、エントロピー増大則に反するあり方そのものが面白いのだろう。その意味では生物の方がずっと面白いわけだが。

 新石器は青銅器を経て鉄器に至った。鉄器は生産性を爆発的に増加させ、都市の形成につながる。枢軸時代の思想革命も鉄器による余剰と余暇が生んだものと武田邦彦は指摘している。

 永田和宏については、『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』(晶文社、2021年)に名を連ねているところを見ると、評価できる人物ではなさそうだ。

ロシアのサンボ選手は筋トレで反動を使う/『ロシアンパワー養成法』足立弘成


 ・ロシアのサンボ選手は筋トレで反動を使う

『新トレーニング革命 初動負荷理論に基づくトレーニング体系の確立と展開』小山裕史
『身体を芯から鍛える! ケトルベルマニュアル』松下タイケイ
『動ける強いカラダを作る! ケトルベル』花咲拓実

 技術練習は学生と一緒に何とかこなしましたが、大学でのトレーニングは綱上りや懸垂など、専門的体力を鍛える負荷の強いものが多く、指を骨折していた私には無理な内容でした。この時ばかりは、ひたすら見学するしかありませんでしたが、ふとあることに気づきます。
 「あれーっ、めちゃくちゃ反動使ってる!」
 私がウェイトトレーニングの本から得ていた知識では、例えば、懸垂をする際は広背筋に刺激を集中させるため、反動を使わないのが常識でした。しかし、反動を使った方法を行っている選手は一人だけではありません。
 「もしかすると、日本の常識は非常識なのではないのか」――そんな思いが、私の心の中に芽生え始めました。

【『ロシアンパワー養成法』足立弘成〈あだち・ひろしげ〉(英知出版、2006年/晋遊舎復刻版、2010年)】

 読んだ瞬間、腑に落ちた。ケトルベルスイングがまさしく反動を使っているのだ。ボディビルダーが腕立て伏せを解説する際に、「腕を伸び切らせると負荷が抜けてしまう」とよく言うが、運動の実際を踏まえると持続的な負荷は悪影響しかない。彼らの目的は筋肥大であって運動能力の向上ではないのだ。

 上記テキストは初動負荷理論をも示唆している。ただし本書ではチューブトレーニングを採用しており、折角の「反動理論」が台無しになっている。

 体操選手は筋トレをしないという。彼らの筋肉は体操で自然についたもので負荷と解放の減(め)り張りが、しなやかな身体性を支えているのだ。運動をリードするのは骨と腱であると私は考える。

2021-06-08

相模野カントリー倶楽部(相模原市)の激坂をトレッキング


 ふと長い坂道を歩きたくなった。突然、相模野カントリー倶楽部を思い出した。崩落した道はもう直っていることだろう。自転車で登坂したのは3年前のことだ。




 早速バイクで向かった。三嶋神社付近から歩いた。往復で6.2km。ほぼ休みなし。


 自転車では見えなかった風景が目に入ってくる。新緑が目に染みる。崩落箇所は直っていたが、まだダンプがうようよしていた。谷底を北の方角に向けて整地していた。

 以前は気づかなかったのだが、崩落箇所からもう一段結構な坂が待ち構えていた。自転車乗りにはいいトレーニングになると思う。歩いた感覚では三嶋神社方面からの方がきつい印象だ。

 山の中からウグイスの鳴き声が響き、ゴルフ場はカラスの完全支配下にあった。復路でアスファルトの上をのたくり回るでかいミミズを2匹助けてやった。ミミズは我が友である。

 トレッキング6kmは平地12kmほどの疲労換算である。上り道は息を喘がせるほどきつい。古(いにしえ)の日本人は舗装されていない道を草鞋(わらじ)で歩いた。歩く行為は歴史を確認する作業だ。我々の祖先は遠くアフリカの大地から極東の地まで歩いてきたのだから。