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『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
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『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
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『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
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『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
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『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
・偶然の一致が人生を開く扉
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『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
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『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
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『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
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『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
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『人生を変える一番シンプルな方法 セドナメソッド』ヘイル・ドゥオスキン
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必読書リスト その五
奇跡は日常生活に現れる流れ星のようなものです。めったに見ることはできず、見つけると、何か不思議なものに出会ったような気がしてきます。しかし、流れ星はいつも空を横切っています。日中は日差しがまぶしくて気づかないだけですし、雲ひとつない暗い夜も、たまたま見上げた場所が星の通り道とは違っているから、見つからないにすぎません。
流れ星と同じように、奇跡もわたしたちの意識を毎日のように横切っています。自分の運命がこれからどうなるのかわらからなくても、奇跡に気づくか無視するかの、どちらかを選ぶことはできます。結果は歴然としています。奇跡にきちんと目を配ってさえいれば、夢にも思い描けなかったほど驚きと刺激に満ちた人生が始まり、素晴らしい体験も増えていくのです。(中略)
あなたの内面には、肉体や歯垢や感情を超越した純粋な可能性の「場」が存在しています。この場には不可能の文字はありません。奇跡を起こすこともできます。いえ、ここでこそ奇跡が起きているのです。あなたの内面に存在するこの場は、存在するあらゆるものだけでなく、まだ形として現れないすべてのものと関連しあっています。
【『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ:住友進〈すみとも・すすむ〉訳(サンマーク文庫、2007年/サンマーク出版、2004年『迷ったときは運命を信じなさい すべての願望は自然に叶う』改題文庫化)以下同】
奇蹟はいつだって偶然訪れる。奇蹟に原因を求めれば不思議さは失われるだろう。目が見えることも不思議だ。耳が聴こえることも奇蹟だ。しかし我々はそのように感じない。感性が汚れているためだ。
奇蹟は人生に光彩を与える。瞬時に驚きが歓びが満ち溢れ、過去も未来も洗い流して現在を見つめさせ、欲望や迷いを一掃する。「不思議だなあ」と思える瞬間こそが幸福なのだろう。
流れ星の喩(たと)えもわかりやすい。そもそも日中に星が見えない不思議すらも我々は失念している。
わたしは10年以上もの間、偶然の一致(シンクロニシティ)こそ人生を導き、形づくっていく原動力であるという考えに魅了され続けてきました。
通常は「共時性」と訳されるシンクロニシティだが「偶然の一致」の方が腑に落ちる。コンピューティングとは計算の謂(いい)であるが、脳がこれほど計算外のことを喜ぶ事実を思えば、脳は単なる計算機ではないのだろう。
五感もまた計算するために働いているが、美しい絵画を見たり、好きな音楽を聴く時、我々の感覚は明らかに計算から外れている。統合された情報が生み出す創発現象か。
偶然の一致の意味を理解して、人生を送るようになれば、心の奥に横たわっている無限の可能性の場につながることができます。つながった瞬間、奇跡が起こりはじめるのです。これが「シンクロディスティニ(運命を変える偶然の一致)」と呼ばれる状態です。この状態に置かれると、すべての願望が、花が咲くように、自然に実現するようになります。しかしシンクロディスティニを起こすには、物質的な世界に出現する複雑な“偶然の一致のダンス”に気づくだけでなく、心の奥深い場所にも赴かなくてはいけません。ものごとの性質を深く理解し、わたしたちの宇宙をたえず創(つく)り出している知性の泉に気づかなくてはなりません。奇跡が訪れたときには、自分を変えていくチャンスを、どこまでも追い求める意思をもつことが肝心なのです。
本書を読んで私の中で一番変わったのは
浄土宗・
浄土真宗(念仏)に対する評価である。ま、この歳になって勉強する気は更々ないが、「他力」を侮ってきたことを反省した。
ただし私の場合、還暦を前にしてまだまだ血気盛んなところがあるため、「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」(諸葛孔明)姿勢に変わりはない。
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マラソンで成功するのは「計算ができる」ランナー/『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー