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2022-02-23

ユーザーイリュージョンとは/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦』デイヴィッド・J・チャーマーズ

必読書 その五

【ユーザーイリュージョンとは
パソコンのモニター画面上には「ごみ箱」「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザーはそれをクリックすると仕事をしてくれるとので、さも画面の無効に「ごみ箱」や「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す。】

本書で、著者は「ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私たちの意識とは、ユーザーイリュージョンなのだ……行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界も錯覚なのだ」という。(表紙見返しより)

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

視覚というインターフェース/『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン

 本書のパクリだったか。

2022-02-06

時間の矢の宇宙論学派/『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史


『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清
『科学と宗教との闘争』ホワイト

 ・『バッハバスターズ』ドン・ドーシー
 ・時間の矢の宇宙論学派
 ・アリストテレスとキリスト教会

『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』ブライアン・グリーン

時間論
必読書リスト その三

 時間・空間とはひとつの巨大な容器であると述べたが、まず容器があって、それから物がそのなかに入れられるのか。あるいは物が容器の形を決めるといったことがあるのか。伝統的な考えかたでは前者、つまり時間・空間がまず存在するという立場であった。ところが20世紀にはいってアインシュタインにより展開された一般相対論では、物が容器を決定するという立場をとる。また時間と空間は、それまではいちおう別々のものと考えられていたが、アインシュタインにより時空という一つの実体の二つの側面であることが明らかにされた。
 とはいえ時間と空間は完全に同質というわけではない。時間は一次元、空間は三次元ということのほかに、それらの間には重大な差が存在する。空間はあらゆる方向に対して対称である。つまり右に行くことができれば、左にい(ママ)くことも可能である。しかし時間についてはそうではない。過去と未来は非対称である。われわれに過去の記憶はあっても未来の記憶はないことは自明だ。時間は過去から未来に向かって一直線に流れているように見える。「光陰矢の如し」というように、時間の進行は矢に例えられる。だから時間の一方向性のことを【時間の矢】とよぶ。
 時間の矢の存在を物理学的に説明しようとすると、ぜんぜん自明のことではない。19世紀のボルツマン以来多くの学者がその答を求めてきた。本書では時間の矢の存在が宇宙論と深く関わっていることを示す。そして時間の矢が宇宙の初期条件によって規定されることを主張する。こういった立場を「時間の矢の宇宙論学派」とよぶ。われわれはその立場にたつ。

【『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也〈まつだ・たくや〉、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉(丸善フロンティア・サイエンス・シリーズ、1987年)】

 何とはなしに「宇宙開闢(かいびゃく)の歌」を思った。立川武蔵〈たちかわ・むさし〉も似たようなことを書いていた(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』)。

 時空の面白さは存在論と逆方向へ向かうところにあると勝手に考えている。西洋哲学は「神 vs. 自分」という思考の枠組みに束縛されて存在を希求する。「我思う、故に我あり」なんてのはキリスト教史においては事件かもしれないが、東洋人にとっては唯識(ゆいしき)の入り口でしかない。

 確か物理的には時間を逆方向にしても問題がないはずだと思った。しかし我々は逆転させた動画を見れば直ちにそれに気づく。私の理解では時間の矢を支えるのはエントロピー増大則である。名前の挙がっているボルツマンがエントロピーを解明した(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 少しばかり読み返したのだが滅法面白い。というわけで必読書に入れた。本書を読んだのは2016年のこと。松田卓也と二間瀬敏史を読み直す必要あり。

2021-06-10

1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱/『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏


鋼の庖丁を選べ
鉄フライパンの焼き直し

 ・1600年を経ても錆びることのないデリーの鉄柱

『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一

 インドのデリー市郊外の世界遺産クトゥプ・ミナールに、紀元4世紀に仏教国のグプタ朝期に建てられた鉄柱がある。直径42cm、高さ地上7m、重さ約7tで約1mは地中に埋まっていと言われている。鉄の純度は99.72%で、約1600年経つがほとんど錆が進行していない。このような大きな鉄の構造物を作った当時の技術はどのようなものであったであろうか。
 一方、我が国では、1400年前に建てられた法隆寺の修理の際、和釘が見つかっている。その和釘の表面は黒錆で覆われているが錆は進行しておらず、曲がりさえ直せば再度使えると言われている。1779年に作られた英国のアイアンブリッジや、1889年に完成したフランスのエッフェル塔も健在で、これらは前近代的製鉄法で製造された銑鉄(せんてつ)や錬鉄(れんてつ)でできている。

【『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』永田和宏〈ながた・かずひろ〉(ブルーバックス、2017年)】

「グプタ朝期に建てられた鉄柱」とはデリーの鉄柱である。一般的にアショーカ・ピラーと呼ばれているようだが誤り。アショーカ王碑文が認(したた)められているのは摩崖・洞窟・石柱である。

 また錆びない理由については「『純度の高い鉄製だから』という説明がされることがあるが、これは誤りである。(中略)1500年の間風雨に曝されながら錆びなかった理由は、鉄の純度の高さではなくむしろ不純物の存在にあるという仮説が有力である」(Wikipedia)。永田の記述はギリギリのところで踏みとどまっている。

法隆寺 千年の釘 – MAQ設計事務所

 デリーの鉄柱同様、黒錆が美しい。

 人の寿命を超えるものに惹かれるのは永遠への憧れもさることながら、エントロピー増大則に反するあり方そのものが面白いのだろう。その意味では生物の方がずっと面白いわけだが。

 新石器は青銅器を経て鉄器に至った。鉄器は生産性を爆発的に増加させ、都市の形成につながる。枢軸時代の思想革命も鉄器による余剰と余暇が生んだものと武田邦彦は指摘している。

 永田和宏については、『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』(晶文社、2021年)に名を連ねているところを見ると、評価できる人物ではなさそうだ。

2020-12-23

パラリンピックを3倍楽しむために/『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗


・『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗

 ・パラリンピックを3倍楽しむために

・『どもる体』伊藤亜紗
・『記憶する体』伊藤亜紗
・『手の倫理』伊藤亜紗
『ポストコロナの生命哲学』福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史『悲しみの秘義』若松英輔

 けれど、同じことをしたとしてもやはりそこには違いがあるはずです。「視覚なしで走るフルマラソン」や「視覚なしでするダイビング」がどんな経験なのかが気になる。たとえば、ある中途失明の女性が、「走るっていうのは両足を地面から同時に離す快楽なんです」と興奮ぎみに話してくれたことがありました。視覚なしの生活になって、常に摺(す)り足をする癖がついていた彼女にとって、それは大きな解放感をもたらしたそうです。それまで、私は走ることを「両足を地面から同時に離す行為」と捉えたことなどありませんでした。こうした「同じ」の先にある「違い」こそ、面白いと私は信じています。
 それは感情ではなく知性の仕事です。私たちの多くがいつもやっているのとは違う、別バージョンの「走る」や「泳ぐ」。それを知ることは、障害のある人が体を動かす仕方に接近することであるのみならず、人間の身体そのものの隠れた能力や新たな使い道に触れることでもあります。「リハビリの延長」でも「福祉的な活動」でもない。身体の新たな使い方を開拓する場であることを期待して、障害スポーツの扉を叩きました。

【『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗〈いとう・あさ〉(潮新書、2016年)以下同】

 恐るべき才能の出現である。2冊読み、思わずBABジャパン社にメールを送った。直ちに伊藤亜紗を起用して日野晃初見良昭〈はつみ・まさあき〉を取材させるべきである、と。単なる説明能力ではない。柔らかな感性から紡ぎ出される言葉が音楽的な心地よさを感じさせるのだ。その文体は福岡伸一を凌駕するといっても過言ではない。

 街や家はあくまで私たちが生活する場。最低限の法律やルールは用意されているけれど、基本的には個人がそれぞれの目的や思いにしたがって自由に動き回っています。不意に立ち止まって写真を撮る人もいれば、立ち止まったその人をよけて小走りで先を急ぐ人もいる。お互いの配慮は必要ですが、思い思いの活動が許されています。
 それに対して、スポーツが行われる空間は、圧倒的に活動の自由度が低い空間です。管理されているのです。物理的な意味でも地面や水面が線やロープで区切られていますし、ルールという意味でも明確な反則行為が規定されています。
「自由度が低い」というとネガティブな印象を与えますが、近代スポーツとはそもそもそういうものでしょう。つまり、運動の自由度を下げることで、競争の活性を高めるのです。
 このような「生活の空間」と「スポーツの空間」の違いを、「エントロピー」という言葉で説明するならこうなるでしょう。生活の空間はエントロピーが大きく、スポーツの空間は逆にエントロピーが小さい空間である、と。
 エントロピーとは「乱雑さ」を意味する熱力学の用語です。分子が空間内をあちこち自由に動き回っている気体のような状態は、分子が整列して結晶構造を成している固体の状態に比べると、エントロピーが大きいということになります。(中略)
 グラウンドやプールに引かれた空間的な仕切りや実施上の細かなルールは、いわばエントロピーを調節するためのコントローラーのようなもの。コントローラーのツマミをどのように設定するかによって、その空間で行われる競技の内容は変わってきます。

 スポーツが「運動の自由度を下げることで、競争の活性を高める」との指摘自体が卓見であるが、更に続いてエントロピーの概念を引っ張り出すところが凄い。しかも正確な知識だ。エントロピーはしばしば誤って語られることが多い。

 障碍(しょうがい)は情報量を少なくする。眼や耳の不自由な人を思えば五感が四感になったと考えてよかろう。そんな彼らがエントロピーの小さな舞台で不自由な体を躍動させるのだ。障碍とルールという二重の束縛が競技を豊かなものにしていることがよく理解できる。

「パラリンピックを3倍楽しむために」というのは釣りタイトルであるが、明年のパラリンピックがあろうとなかろうとスポーツ観戦に興味がある人は必読である。

2019-07-03

文明とエントロピー/『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司


『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦

 ・石油とアメリカ
 ・文明とエントロピー

『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
『生物にとって時間とは何か』池田清彦

●文明とエントロピー

 ですから、環境問題の根本とは、文明というものがエネルギーに依存しているということです。そしてそのときに、議論に出ない重要な問題があります。それは、熱力学の第二法則です。
 文明とは社会秩序ですよね。いまだったら冷暖房完備というけれども、普通の人は夏は暑いから冷房で気持ちがいい。冬は寒いから暖房で気持ちがいいというところで話が止まってしまう。しかし根本はそうではない。夏だろうが冬だろうが温度が一定であるという秩序こそが文明にとっては大切なのだと考えるべきなのです。しかし秩序をそのように導入すれば、当然のことですが、どこかにそのぶんのエントロピーが発生する。それが石油エネルギーの消費です。
 端的に言えば文明とは、ひとつはエネルギーの消費、もうひとつは人間を上手に訓練し秩序を導入すること、このふたつによって成り立っていると言えます。人間自体の訓練で秩序を導入する際のエントロピーは人間の中で解消されるから、自然には向かいません。文明は必ずこの両面を持っています。さきほども述べたように、古代文明があったところでは、石油に頼らずとも文明が作れるという意識があったため、石油に対する意識は鈍かった。しかしアメリカは荒野だったし、そこに世界中からバラバラの人間が集まってきた。そういうところでなぜ文明ができたのかと言えば、まさに秩序を石油によって維持したためです。秩序を維持することは、エントロピーをどこで捨てるかという問題であり、それを1世紀続けたら炭酸ガス問題になったのです。アメリカ文明のいちばん端的な例は、アパートの家賃が光熱費込みだということです。これではエネルギーの節約に向かうはずがない。だから、恐ろしく単純な問題なんですよ。それを認めずに何かを言っても意味がない。
 僕が代替エネルギーを認めないというのは、どんな代替エネルギーを使おうが、エントロピー問題には変わりがないからです。(養老孟司)

【『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】

 一般的にエントロピーは「乱雑さの度合い」と解釈されている。厳密ではないが熱力学第一法則がエネルギー保存則で熱力学第二法則がエントロピー増大則と覚えておけばよい。

 熱いスープは時間を経るごとに冷める。熱が空気中に分散した状態を「乱雑さ」と捉えるのである。つまり冷めたスープはエントロピーが増大したのだ。コーヒーに入れたミルクは渦を巻きながら拡散し、掻き混ぜることで全体に行き渡る。このように秩序から無秩序への変化は逆行することがない(不可逆性)。

「ホイルは、最も単純な単細胞生物がランダムな過程で発生する確率は『がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる』のと同じくらいだという悪名高い比較を述べている」(Wikipedia)。フレッド・ホイルのよく知られた喩え話もエントロピーという概念に裏打ちされている。

 出来上がったカレーを元の材料に戻すことは不可能だ。混ぜた絵の具を分離することも無理だ。砂で作ったお城は波に洗われて崩れる。テーブルから落ちて砕け散った茶碗が元通りになることはない。「覆水盆に返らず」という言葉は見事にエントロピー増大則を言い表している。

 やがて太陽も冷たくなり、宇宙はバラバラになった原子が均一に敷かれた砂漠と化す(熱的死)。

 冷房を効かせると熱い部屋が涼しくなる。一見するとエントロピー増大則に反しているようだが室外機の排熱とバランスすれば、やはりエントロピーは増大している。




 武田邦彦はエントロピー増大則に照らしてリサイクルを批判しているが、養老孟司の代替エネルギー批判も全く一緒である。エントロピー増大則は永久機関を否定する。

 エントロピーに逆らう存在が生物であるが、熱や排泄物(≒エントロピー)を外に捨てている。

 物理世界の成住壊空(じょうじゅうえくう/四劫)・生老病死がエントロピーなのだろう。



エントロピー増大の法則は、乱雑になる方向に変化するというものではない。 | Rikeijin
エントロピーとは何か | 永井俊哉ドットコム日本語版
エントロピーとは何か(1) エネルギーの流れの法則
宇宙のエントロピー
槌田敦の熱学外論 | 永井俊哉ドットコム日本語版

2019-07-02

石油とアメリカ/『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司


『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦

 ・石油とアメリカ
 ・文明とエントロピー

・『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
・『生物にとって時間とは何か』池田清彦

石油とアメリカ

 僕は常々、文化系の人が書かない大切なことがいくつかあると思っています。そのひとつが、環境問題に関しては、アメリカとは何かということを考えざるをえないということです。実は環境問題とはアメリカの問題なのです。つまりアメリカ文明の問題です。簡単に言えばアメリカ文明とは石油文明です。古代文明は木材文明で、産業革命時のイギリスは石炭文明ですね。そしてその後にアメリカが石油文明として登場するのだけれども、一般にはそういう定義はされていませんよね。
 1901年にテキサスから大量の石油が出て、1903年にはフォードの大衆車のアイデアが登場した。アメリカはそれ以来、石油文明にどっぷりと浸かってきました。普通に考えたら、ジョン・ウェインの西部劇の世界とニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンとはまったくつながらないですよ。つながる理由が何かと言えば、石油なのです。(中略)
 石油問題に関しては、アメリカが世界の中で最も敏感で、ヨーロッパはそれより鈍かった。日本のほうはさらに鈍かった。そして最もにぶかったのが、古代文明を作った中国でありインドだった。文明というのは石油なしでも作れるという考えが頭にあった順に鈍かったということです。
 アメリカが戦後一貫して促進してきた自由経済とは、原油価格一定という枠の中で経済活動をやらせることをその実質としていました。原油価格が上がってはいけないというのは、上がった途端にアメリカが不景気になっちゃうからね。ものすごく単純な話なんですよ。自然のエネルギーを無限に供給してけば、経済はひとりでにうまくいっていた。それを自由経済という美名でごまかしてきたのが、20世紀だったわけです。ひとり当たりのエネルギー消費では、日米の差は、僕が大学を辞めることには2倍あった。ヨーロッパ人の2倍、中国人の10倍です。科学の業績などをアメリカが独占するのは当たり前でしょう。戦争に強いとか弱いとかにしてもね、日本は石油がないのに戦争をしたのだから。9割以上の石油を敵国に頼って戦争をするのがどれだけ不利だったか、ということです。それだけのことなのです。
 それからこれも文化系の人は書かないことですが、ヒトラーがソ連に侵入した理由が、歴史の本を読んでもどうも分からない。答えは簡単なことです、石油です。当時もソ連は産油国だったのですよ。コーカサスの石油が欲しかったから、ドイツはスターリングラードを攻めた。そこをはっきり言わないから色々なことが分からない。日本の場合も、「持たざる国」と言い続けてきたけれども、根本にあるのは石油、つまりエネルギーの問題です。古代文明を見てもそうでしょう。木材に依存した文明の場合、最も大量に消費できたのは始皇帝時代の秦ですからね。木を大量に伐採したから万里の長城が作られたわけですよ。現在の砂漠化の要因をたどれば、この時代になるでしょうね。(養老孟司)

【『ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)】

 文章から察すると書き下ろしならぬ語り下ろしか。池田清彦と養老孟司という組み合わせはその語り口の違いからすると泉谷しげると小田和正ほどの差がある。二人の共通項は虫採りだ。政治的な立場は池田が反権力で、養老はよくわからない。わからないのだが保守でないのは確かだろう。

「頭のよさ」は物事の本質を抉(えぐ)り出すところに発揮される。戦争とエネルギーと経済と歴史を「石油」というキーワードで解くのは実にすっきりとした方程式で、ストンと腑に落ちる。

 ここで新たな疑問が生じる。次のエネルギーシフトは石油から何に変わるのだろうか? またぞろ何かを燃やすのか? あるいは別の方法でコンプレッサーのように圧力を掛ける方法を開発するのか? いずれにせよそれは電気エネルギーに変換する必要がある。養老はエントロピーという観点から代替エネルギーに関しては否定的だ。燃焼から去ることができないのであれば効率化を目指すのが王道となる。

 科学は核分裂のエネルギー利用を可能にはしたがゴミの問題をまだ解決できていない。21世紀のエネルギー源として核融合による発電の開発が進められているが今世紀半ばに実現されるのだろうか?

 アメリカはシェール革命をきっかけに世界の警察官を辞めた(オバマ大統領のテレビ演説、2013年9月10日/トランプ大統領、2018年12月26日)。警察官が不在になれば悪者がはびこる。つまり中東と東アジアが安定することはあり得ない。

 つくづく残念なことだが革新的な技術は戦争を通して生まれる。利権なきエネルギーが誕生するまで人類は戦争を行い続けるのだろう。

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2019-05-12

神経系は閉回路/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦』デイヴィッド・J・チャーマーズ

必読書 その五

 言い換えればこうなる。私たちに物が見えるのは、そもそも網膜からのメッセージ(これからしてすでに、たんに網膜が感知した光以上のもの)を受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナヴァレーラは、外界から何かが入ってくることをいっさい認めていない。全体が閉回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能の持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出――つまり感覚と行動――との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。とくにマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだがから、問答は無用という理屈だ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラはオートポイエーシス理論(1973年)の提唱者である。

「神経系は閉回路」であるとの指摘は、「世界は五感の中に存在する」という私の持論と親和性がある。閉回路と言い切ってしまうところが凄い。例えるなら池が私であり池に映った映像が世界である。映像は池そのものに接触も干渉もしない。つまり閉回路である。と言ってしまうほど簡単なものではない。

 私の乏しい知識と浅い理解で説明を試みるならば、まず宇宙が膨張しているのか静止しているのかという問題があって、そこからエントロピーに進み、どうして生物はエントロピーに逆らっているのかという疑問が生まれ、散逸系というアイディアが示され、自己組織化に決着がつくと思われたまさにその時、オートポイエーシス論が卓袱台(ちゃぶだい)を引っくり返したわけである。

 個人的には科学が唯識に追いついた瞬間を見た思いがする。人生は一人称である。縁起という関係性はあっても因果は自分持ちだ。

「私」は閉鎖系である。コミュニケーションというのは多分錯覚で実際は「自分の反応が豊かになる」ことを意味しているのだろう。人が人を理解することはない。ただ同調する生命の波長があるのだろう。ハーモニーは一つであっても歌う人がそれぞれ存在する状態を思えばわかりやすいだろう。違和感を覚えるのは音程やスピードが合わないためだ。

 私があなたの手を握ったとする。物理学的に見れば手と手は触れ合ってはいない。これは殴ったとしても同様である。必ず隙間がある。もしも隙間がなかったら私とあなたの手は合体するはずである。厳密に言えば「握られた圧力を脳が感じている」だけなのだ。つまり私とあなたが一つになることはない。

 これからヒトが群れとして進化するならば必ず「識の変容」があるはずだ。その時言葉を超えたコミュニケーションが可能となる。

2019-05-04

科学の限界/『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン


『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス

 ・科学の限界

『生物にとって時間とは何か』池田清彦
『死生観を問いなおす』広井良典
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 当然ながら、瞬間には時間の経過は含まれない(少なくとも、私たちが知覚しているこの時間の場合には)。なぜなら、瞬間とは時間の素材であり、ただそこに存在するだけで変化しないからである。どれかの瞬間が時間のなかで変化できないのは、どれかの場所が空間のなかで移動できないのと同じことだ。ある場所が空間のなかで移動すれば、別の場所になるだけのことだし、時間のなかである瞬間を移動したとすれば、別の瞬間になるだけのことだろう。このように、映写機の光が次々と新しい「今」に生命を与えていくという直観的なイメージは、詳しい吟味には耐えないのである。どの瞬間も、今このときに照らし出されており、いつまでも照らし出されたままだ。どの瞬間も、今このときに【実在している】のである。こうして詳しく吟味してみれば、時間は流れていく川というよりもむしろ、永遠に凍りついたまま今ある場所に存在し続ける、大きな氷の塊に似ている。
 この時間概念は、ほとんどすべての人が慣れ親しんでいる時間概念とはかけ離れている。アインシュタインは、この時間概念が彼自身の洞察から導かれたものであるにもかかわらず、これほど大きな考え方の変化をきちんと理解することの難しさに無理解ではなかった。ドイツの論理学者で科学哲学者でもあるルドルフ・カルナップは、このテーマでアインシュタインと交わした素晴らしい対話について次のように述べている。「アインシュタインは、今という概念をめぐる問題は彼をひどく悩ませると言った。そして彼は、人間にとって今という経験は特別なものであり、過去と未来とは本質的に異なるが、この重要な差異は物理学からは出てこないし、出てくることはありえないと説明した。彼にとって、科学が今という経験を捉えられないことは、辛いけれども諦めなければならないことであるらしかった」

【『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン:青木薫訳(草思社、2009年/草思社文庫、2016年)】

 主人公は時空である。宗教と科学が時間という軸によって接近することは何となく察しがついた。宗教を尻目に科学は相対性理論や量子論によって時間の本質に迫りつつある。ブッダは現在性を開き、キリスト教は永遠を説いたが宗教の足並みはそこで止まったままだ。

 時間の矢が逆転しても物理的には問題がないという。ところが我々の思考では割れた卵が元通りになることは考えにくい。時間に方向性を与えているのはエントロピー増大則だ。乱雑さは増大し形あるものは成住壊空(じょうじゅうえくう)のリズムを奏でる。

 瞬間に時間の経過は含まれない――とすれば瞬間の中にこそ永遠があるのだろう。そして科学は瞬間において自らの限界を弁えた。ここに科学の偉大なる自覚がある。教団は万能だ。あらゆることを可能にすると宣言し、無謬(むびゅう)であるかのように振る舞う。そこに自覚はない。汝自身を知らずして信者には夢だけ見させているのだ。薬事法を無視した健康食品さながらだ。

 瞬間という現在性に立脚するのが真の宗教性だ。ブッダが道を示し、クリシュナムルティが道を拓き、「悟りを開いた人々」がその後に続く。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静(三法印)のみが真実なのだろう。

 

2019-03-12

自己組織化、適応的、ダイナミズム/『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ


 ・自己組織化、適応的、ダイナミズム

『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル

必読書リスト その三

 たとえば、
(中略)
● 1987年10月のある月曜日、たった1日で株式市場が500ポイントも急落したのはなぜか。コンピュータ化した株取引に原因があったとする説が多い。だがすでにコンピュータが登場して何年も経っていた。はたして、急落がその特定の月曜日に起こった特別な理由はなかったか。
● 太古の種やエコシステムが、しばしば、化石の記録中に何百万年間と安定した姿をとどめているのはなぜか。その後それらが、地質学的には一瞬のうちに死滅するか新しいものに進化するのはなぜか。恐竜の絶滅は小惑星の衝突によるものかもしれない。だが、当時それほど多くの小惑星は存在しなかった。何かほかのことが進行してはいなかったか。
(中略)
● アミノ酸などの単純な分子からなる最初の液体は、約40億年前、どのようにして最初の細胞にその姿を変えたのか。分子がランダムに組み合わさってそうなったとは考えられない。特殊創造論者が好んで指摘するように、それが起こる確率はばかばかしいほど小さい。では、生物の創造は奇跡だったのか。それとも原初の液体の中でわれわれの理解を超える何かが起きていたのか。
(中略)
● つまるところ、生命とはなにか。それは特別に複雑な炭素化合物にすぎないのか。それとも、もっと精妙なものか。またコンピュータ・ウイルスのような創造物を、われわれはどう解釈したらよいのか。人騒がせな生命の模倣にすぎないのか。それともある根本的な意味で、本当に生きているのか。
● 心とは何か。脳という3ポンドのただの物質の塊はどのようにして感情、思考、目的、自覚といった、言葉にしがたい特質をもたらすのか。
● そしておそらくもっとも根本的なことだろうが、なぜ無ではなく何かが存在するのか。宇宙はビッグバンという無形の爆発体からはじまった。そしてそれ以来、熱力学第二法則が説くように、宇宙は無秩序、崩壊、衰退へと向かう無情な傾向に支配されつづけている。にもかかわらず、宇宙はさまざまな規模の構造を生み出してもいる。銀河、恒星、惑星、バクテリア、植物、動物、脳。いったいどのようにして? 無秩序への宇宙の欲求は、秩序、構造、組織への同じぐらい力強い欲求と釣り合っているのだろうか。もしそうなら、どうしてその二つのプロセスは同時に進行し得るのか。

 一見すると、これらの問いに共通する唯一のことは、答えはみな同じ、「だれにもわからない」ということであるように思える。中にはまったく科学的とは思えないような問いさえある。しかし、少しくわしく見てみると、じつはそこに多くの共通点がある。たとえば、これらの問いのすべてが〈複雑な〉システムと関連しているということ。(中略)
 さらに、どの場合も、まさにこうした相互作用の豊穣さが、システム全体の自発的な自己組織化を可能にしているということ。(中略)
 さらに、こうした複雑な自己組織化のシステムは〈適応的〉である。(中略)
 最後にもう一つ、こうした複雑で自己組織的な適応的システムには一種のダイナミズムがあり、それによってそのシステムは、コンピュータ・チップや雪片のようにただ複雑であるだけの静的な物体とは質的にちがったものになっている。複雑系(Complex System)はそうしたものより、より自発的、より無秩序的、そしてより活動的である。

【『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ:田中三彦〈たなか・みつひこ〉、遠山峻征〈とおやま・たかゆき〉訳(新潮文庫、2000年/新潮社、1996年『複雑系 生命現象から政治、経済までを統合する知の革命』改題)】

 著者の名前は英語だと「M. Mitchell Waldrop」となっている。「M」は何なのだろう。気になるが判明せず。

 複雑系といえば、自己組織化や非平衡、散逸系、非線形、カオス理論といった専門用語で行き詰まりやすいが、大雑把にエントロピー増大則を理解すればそれでよろしい。「覆水盆に返らず」である。そしてコーヒーに入れたミルクは広がってゆく。更に風呂のお湯は時間が経つと冷める。形あるものは必ず滅びる。宇宙全体で見ればエントロピーは増大しているのだが、ミクロレベルでおかしな現象が生じる。生命体だ。生物は外部からエネルギーを取り込み平衡状態を保つ。これが自己組織化である。

 フレッド・ホイルは単細胞がランダムな過程で発生する確率は「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」ようなものだと言った。批判を目的とした極言ではあるが自己組織化を巧く言い表している。

非線形非平衡系の物理学 非平衡統計力学から見る生命現象

 複雑系ではゆらぎが未来を大きく変える。「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」(エドワード・ローレンツ)。ビッグバンも生命誕生もゆらぎから生まれた。何もないところから何かが生まれる時、相転移というダイナミズムが働く。

 サンタフェ研究所そのものが天才たちが織りなす複雑系に見えてくる。

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)
M.ミッチェル ワールドロップ Mitchell M. Waldrop 田中 三彦 遠山 峻征
新潮社
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2019-02-19

トイレ掃除は高度な動き/『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫


『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成

 ・トイレ掃除は高度な動き

『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命
必読書リスト その二

 おそらく大半の人が、掃除や洗濯は好きではないでしょう。
 私は毎日必ず、自宅の洗面所とトイレの掃除をしています。日によっては私が使うたび、多いときには1日に4~5回も掃除をすることがあります。
 そのたびに何をやっているかというと、便器の内側をブラシでササッと掃除するのです。1日4~5回もやると、洗剤を使わなくても水だけで汚れが落ちてしまいます。そして、トイレットペーパーのミシン目1間隔分だけを使ってトイレの床をすみずみまでふき掃除するのです。これを使ってサッサッサとふくだけで、床一面がピカピカになります。なぜかというと、床が汚れていないからなのです。
 ほこりはすみっこにたまりがちですが、毎日ふき掃除をしていればまったく汚れません。現実には汚れていないけれど、そうやってふいていくのです。
 突然トイレ掃除の話になって、何がいいたいのかとお思いでしょうが、もう少しおつきあいください。
 トイレ掃除はほとんどの人がイヤがることですよね。汚れやすいし、狭く、そのうえ便器の形が複雑だから、体をクネクネさせないと、便器の億までうまく掃除ができません。
 床のふき掃除だって、変に力んで力まかせにこすり過ぎるとトイレットペーパーが破れてしまいますし、便器もきれいになりません。
 つまり、トイレ掃除は、力加減を考えながら手を動かす、けっこう高度な動作なのです。あざやかに体をくねらせて、サッサとやるこの動作自体は、ゴルフでボールを打ったり、テニスでサーブを打ったりする難しい動きと同じぐらい、もしかすると勝るかもしれないほど高度な動きなのです。
 体を魚のようにくねらせるこの動作は、健康だけでなく、さらにはスポーツや高度な機能を開発していく体操に自然となっている。毎日、便器の複雑なところに、いかに鮮やかに体をサッと差し入れて、いかに短い時間の中できれいにするか。さっとふいて、さっとトイレから抜け出してくるか。こうしたことが自分の健康にも、若返りにも、高能力にも役立っているわけなのです。
 そう考えたら、トイレ掃除をやらないなんて、なんてもったいないことだろうと思うのです。

【『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫(マキノ出版、2005年)】

 掃除は努力が100%報われる稀(まれ)な行為だ。掃除はやった分だけ必ずきれいになる。物理世界ではエントロピーが増大し続けるが、これに逆らう唯一の存在が生命体である。乱雑さを整える(=エントロピーを逆行させる)掃除はその象徴的な行為といってよい。ブッダの弟子チューラパンタカ(周利槃特〈すりはんどく〉)は掃除をきっかけにして悟りを得たと伝えられる。

 掃除には体をゆるめるだけではなく、心をゆるめる効用もあります。汚いものに積極的にかかわっていきますから、そのぶんだけ心のバランスがとれてくる。人間としてのバランスがとれてくるから、周囲との人間関係もよくなります。
 人間には汚い部分、きれいごとではすまない部分がたくさんあります。
 そうした自分の汚いところに自分自身で触れないで、気がつかないようにフタをしてしまうのが、いまの社会のあり方だと思うのです。
 ですから、きれいごとですませるというか、とにかく汚いことには触れない、汚いものは避けて通るという人生を子どものころから送っていると、人としてのバランスが失われていきます。

 巧みな説明だが言い過ぎだ。清掃会社に勤める人々全員が善人というわけでもあるまい。それでも尚、心を打たれるのは部分的な真理があるためだろう。

 面接をするよりも部屋を見た方がその人物を理解できるという。ただし言いわけをさせてもらうと男は汚れに対する耐性が高い。いかに乱雑な家に住んでいたとしても悪臭が漂わなければ大目に見るべきだ。いや、大目に見てくれ(笑)。

 今日から喜んでトイレ掃除をすることをここに誓うものである。

2018-01-21

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2017-10-12

可用性バイアス/『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ


『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ:田中三彦訳
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 ・可用性バイアス

『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎
・『しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ

 しかしたとえ、確率論者は一流数学者に値する、と信じるギリシア人がいたとしても、広範な記録がなされる以前の当時にあっては、なかなか一貫した理論をつくれないで困ったかもしれない。なぜなら話が過去の出来事の頻度の評価――それゆえ確率の評価――ということになると、人間の記憶力はあまりにもお粗末だからだ。
 5番目にnがくる6文字の英単語と、ingで終わる6文字の英単語では、どちらの数が多いだろうか。ほとんどの人間がingで終わる6文字の英単語を選ぶ。なぜだろうか。ingで終わる単語は、5番目にnがくる6文字の英単語より思いつきやすく、数が多いように思えるからだ。
 しかし、その推測が間違っていることを証明するのに『オックスフォード英語辞典』を調べる必要はないし、勘定の仕方を知る必要さえない。というのは、5番目にnがくる6文字の英単語のグループには、ingで終わる6文字の単語が含まれるからだ。心理学者はこの種の間違いを「可用性バイアス」と呼んでいる。われわれは過去を再構築する際、もっとも生き生きした記憶、それゆえもっとも回想しやすい記憶に、保証のない重要性を授けてしまうのだ。
 可用性バイアスの好ましくないところは、過去の出来事や周囲の状況に対するわれわれの認識をゆがめることで、いつのまにか世の中の見方をゆがめてしまうことだ。

【『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ:田中三彦訳(ダイヤモンド社、2009年)】

 ランダムネス(偶然性、雑然性、不作為性)を解き明かす好著。株価の値動きは予測不可能であるとするのがランダム・ウォーク理論だ。株価は酔っ払いの千鳥足の如く次の一歩を予測することができない。仮に予測できる人がいたとするならば、世界の富をあっという間に独り占めできる。予言者に対して「だったら株価を当ててみせろ」と反論するのは本質を衝いている。

 元々確率論の世界で注目されていたランダム性だが2001年前後から量子力学や情報理論のトピックとして大きく扱われるようになった。もちろん熱力学におけるエントロピー増大則も関連している。

 日本語だと偶然性が一番ピンとくるように感じるが、エントロピーを考えると雑然性の方が正確だし、運命や宿命に対しては不作為性がしっくり来る。というわけでランダムネスに巧く対応する日本語がないので「ランダム性」と表記するのがよかろう。接尾辞の「‐ness」は性質や状態を表す。

 ヒューリスティクスソマティック・マーカー仮説ジェームズ=ランゲ説などの知識があれば面白さが倍増する。

 ロボット工学でにわかにヒューリスティクス(直感的な意思決定)が注目された。当初、ロボットが目的に沿った行動をするためにはあまりにも多くの情報が必要とされた。ドアを開けて部屋に入るだけでも、「ドアを壊さない」ことをプログラミングしなければならない。こうして「学習するロボット」が誕生した。

 ところがどうだ。認知心理学はヒューリスティクスの誤りを暴いてしまった。身も蓋もないとはこのことだ(笑)。我々の先祖は直感に頼って逃げなければ猛獣に食べられてしまったことだろう。文明が未発達な時代において「考える人」は死ぬ。だが差し迫った生命の危険が日常から薄れた現代社会においては「考えない人」が貧乏くじを引くのだ。

 宗教が往々にして「生きる実感」を人々に与えるのは可用性バイアスを強化するためだ。功徳と罰、祝福と断罪(=「保証のない重要性」)といった幸不幸の線引を自覚することで生活体験に重みを与えているのだ。

 美しい思い出は風化しない。ハハハ、そんなこたあ嘘だよ(笑)。美しい思い出は脳内で更に美しく脚色され、再構成を施され、全く別の物語になってゆく。昨日の記憶でさえ感情によって歪められ、事実から懸け離れているのだ。

 バイアス(歪み)は英知の欠如から生じる。我々の人生が労働と消費についやされる間はバイアスを免れることはないだろう。

たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する
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偶然か、必然か/『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ

2016-07-15

ダニエル・チャモヴィッツ、三枝充悳、稲垣栄洋、岡ノ谷一夫、堀栄三、他


 21冊挫折、13冊読了。これ以上のペースで読むと読書日記も書けなくなりそうだ。

生物はなぜ誕生したのか 生命の起源と進化の最新科学』ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク:梶山あゆみ訳(河出書房新社、2016年)/文章が肌に合わず。もったいぶった姿勢を感じる。

森浩一対談集 古代技術の復権』森浩一〈もり・こういち〉(小学館ライブラリー、1994年)/良書。「鋸喩経」(こゆきょう)を調べて辿り着いた一冊。ノコギリの部分はしっかり読んだ。

絶対の真理「天台」 仏教の思想5』田村芳朗〈たむら・よしろう〉、梅原猛(角川書店、1970年/角川文庫ソフィア、1996年)/シリーズの中では一番面白みがない。最後まで目を通したものの半分ほどは飛ばし読み。説明に傾いて閃きを欠く。

日本の分水嶺』堀公俊(ヤマケイ文庫、2011年)/文体が合わず。

ブレンダと呼ばれた少年 性が歪められた時、何が起きたのか』ジョン・コラピント:村井智之訳(扶桑社、2005年/無名舎、2000年、『ブレンダと呼ばれた少年 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか』改題)/武田邦彦が取り上げていた一冊。双子の赤ん坊の一人がペニスの手術に失敗する。性科学の権威ジョン・マネーが現れ、性転換手術を勧める。男の子はブレンダと名づけられ少女として育てられる。ところが思春期になるとブレンダは違和感を覚え始める。後に逆性転換手術をして力強く生きていった。ところが訳者あとがきで驚愕の事実が明らかになる。これは読んでのお楽しみということで。神の位置に立って勝手な創造を行うのが白人の悪癖である。尚、扶桑社版の編集に対する批判があることを付け加えておく。

(日本人)』橘玲〈たちばな・あきら〉(幻冬舎、2012年/幻冬舎文庫、2014年)/文章の目的がつかみにくく行方が知れない。

リベラルの中国認識が日本を滅ぼす 日中関係とプロパガンダ』石平、有本香(産経新聞出版、2015年)/有本香の対談本は出来が悪い。

「朝日新聞」もう一つの読み方』渡辺龍太〈わたなべ・りょうた〉(日新報道、2015年)/これも武田邦彦が紹介していた一冊。文章が軽すぎて読めない。ネット文体といってよし。

紛争輸出国アメリカの大罪』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(祥伝社新書、2015年)/文章に締まりがない。

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』小谷賢(講談社選書メチエ、2007年)/とっつきにくい。後回し。

はじめての支那論 中華思想の正体と日本の覚悟』小林よしのり、有本香(幻冬舎新書、2011年)/本書では「小林さん」と呼んでいるが、有本は動画だと「小林先生」と呼ぶ。ある種の芸術家に対する尊称なのか、個人的敬意が込められているのかは判断がつかない。有本同様、小林の対談本も一様に出来が悪い。「わし」という言葉遣いが示すように公(おおやけ)の精神が欠如している。

川はどうしてできるのか』藤岡換太郎〈ふじおか・かんたろう〉(ブルーバックス、2014年)/変わった名前である。まるで北風小僧(笑)。文章がよくない。

カウンセリングの理論』國分康孝〈こくぶ・やすたか〉(誠信書房、1981年)/『カウンセリングの技法』(1979年)、本書、『エンカウンター 心とこころのふれあい』(1981年)、『カウンセリングの原理』(1996年)が誠信書房の4点セット。國分康孝は実務的な文章でぐいぐい読ませる。ただし今の私に本書は必要ないと判断した。

法句経講義』友松圓諦〈ともまつ・えんたい〉(講談社学術文庫、1981年)/初出は『法句経講義 仏教聖典』(第一書房、1934年)か。初心者向きの解説内容である。宗教を道徳次元に貶めているように感じ、読むに堪えず。

これでナットク!植物の謎 植木屋さんも知らないたくましいその生き方』日本植物生理学会編(ブルーバックス、2007年)/ホームページに寄せられた質問に学者が丁寧に答えたコンテンツの総集編である。続篇『これでナットク! 植物の謎 Part2』(2013年)も出ている。

〈税金逃れ〉の衝撃 国家を蝕む脱法者たち』深見浩一郎(講談社現代新書、2015年)/パラパラとめくって食指が動かず。

タックス・イーター 消えていく税金』志賀櫻〈しが・さくら〉(岩波新書、2014年)/「タックス・イーター」をスパっと説明していないのが難点だ。具体的に個人を特定するほどの執念がなければ、ただの解説書である。

パナマ文書 「タックスヘイブン狩り」の衝撃が世界と日本を襲う』渡邉哲也(徳間書店、2016年)/これも渡邉本としては出来が悪い。文章に人をつかむ力が感じられない。

いちばんよくわかる!憲法第9条』西修(海竜社、2015年)/良書。これはおすすめ。歴史的経緯を辿ると自衛隊の役割がくっきりと浮かび上がってくる。しかも西は自ら海外を訪れ、直接資料に当たり、関係者に取材している。半分だけ読んだが、それでもお釣りがくる。

日本人よ!』イビチャ・オシム:長束恭行訳(新潮社、2007年)/話し言葉ほどの切れ味が文章にはない。

怪獣使いと少年ウルトラマンの作家たち』切通理作〈きりどおし・りさく〉(増補新装版、2015年/JICC出版局、1993年宝島社文庫、2000年)/編集した町山智浩からの申し出で復刊した模様。読み手を選ぶ本だ。オタク目線が強く、一般よりは特殊に傾く。切通本人の心情も湿り気が濃い。

 92冊目『日本人だけが知らない戦争論』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2015年)/久し振りの苫米地本である。右傾化への警鐘が巧みで一読の価値あり。サイバー戦争の具体的な解説が圧巻。

 93冊目『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』大栗博司〈おおぐり・ひろし〉(幻冬舎新書、2012年)/大栗はカリフォルニア工科大学ウォルター・バーク理論物理学研究所所長を務める人物だ。場の量子論や超弦理論で国際的な評価を得ている大物である。読みやすい教科書本。いくつかの蒙(もう)が啓(ひら)いた。

 94冊目『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』ダニエル・チャモヴィッツ:矢野真千子訳(河出書房新社、2013年)/良書。200ページ弱の小品。著者はイスラエルの学者。後半にわずかなダレがあるが、しっかりとニューエイジ系の誤謬を撃つ。

 95冊目『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』堀栄三(文藝春秋、1989年/文春文庫、1996年)/上念司〈じょうねん・つかさ〉が毎年繰り返し読む本である。登場人物に精彩がある。原爆を大本営参謀は知らなかったと書いている。陸軍中野学校と情報が共有されていないことがわかる。「日本の近代史を学ぶ」に追加。

 96冊目『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング』内藤国夫(日新報道、1989年)/往時、内藤国夫は本多勝一と人気を二分するジャーナリストであったが、その晩節は暗く寂しいものであった。福島源次郎著『蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか』と本書を併せ読めば、内藤国夫の下劣さが理解できる。基本的にジャーナリストは人間のクズだと考えてよい。

 97冊目『裏切りの民主党』若林亜紀(文藝春秋、2010年)/面白かった。若林は文章はいいのだが性格が暗い。表情や声のトーンからもそれが窺える。たぶん生真面目なのだろう。若林はクズではない稀有なジャーナリストである。事業仕分けの経緯と舞台裏がよくわかった。本書に登場する民主党参議員の尾立源幸〈おだち・もとゆき〉が先日落選した。

 98冊目『言葉の誕生を科学する』小川洋子、岡ノ谷一夫(河出ブックス、2011年/河出文庫、2013年)/小川洋子の前文は読む必要なし。対談は上手いのだが科学的知識の理解に誤謬がある。言葉の発生は歌であったと岡ノ谷は主張する。おお、我が自説と一緒ではないか。岡ノ谷の博識に対して小川の反応がよく一気読み。

 99冊目『言葉はなぜ生まれたのか』岡ノ谷一夫:石森愛彦・絵 (文藝春秋、2010年)/まあまあ。岡ノ谷は手抜き本が多そうだ。これも執筆なのか語り下ろしなのか微妙なところ。

 100冊目『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 仏教と植物の切っても切れない66の関係』稲垣栄洋〈いながき・ひでひろ〉(幻冬舎新書、2015年)/見事な教科書本である。稲垣は植物学者でありながら仏教の知識もしっかりしている。これはおすすめ。

 101冊目『結局は自分のことを何もしらない 役立つ初期仏教法話6』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/このシリーズでは一番よくまとまっていると思う。ただしエントロピーに関する記述は完全に誤っている。社会的信用のためにも削除すべきだろう。スマナサーラは小さな誤謬が多いので要注意。

 102冊目『初期仏教の思想(上)』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(レグルス文庫、1995年)/難しかった。三枝ノートといってよい。研究者の凄まじさがよくわかる。

 103冊目『あべこべ感覚 役立つ初期仏教法話7』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/サンガ新書のスマナサーラ本は慣れてくると1時間ほどで読める。やや牽強付会な印象はあるが、相変わらず読ませる。

 104冊目『ぼくは13歳 職業、兵士。 あなたが戦争のある村で生まれたら』鬼丸昌也、小川真吾(合同出版、2005年)/良書。ただし終わり方がよくないので必読書には入れず。読者を誘導しようとする魂胆が浅ましい。「自分は正しい」という感覚が目を見えなくする。たとえ目的が正しいものであったとしてもプロパガンダはプロパガンダである。コンゴの少年兵の悲惨と彼らが語る夢に心を打たれる。「チャイルド・ソルジャー」だから子供兵・児童兵が正しい訳語か。

2016-07-12

人間の営為が災害を増幅する/『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠


 ・人間の営為が災害を増幅する

『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝

 より豊かで快適な生活を求める人間の営為が、それまでそこにあった自然を変えていく。このようにして集積された自然に対する人為のインパクトが大きくなっていくと、反作用としての新しいタイプの災害が、次々と現われてくる。私たちは、それらに一つひとつ対応していかなければならないのである。いかに激しく自然が猛威をふるったとしても、そこに人間の営みがなければ災害はない。けれども、そこに人間の営みがあれば、とどまることなく不断に自然に働きかけるその営みそのものが、新たな災害の原因になりうるのである。効率化をはかるために、自然環境を無思慮に改造していくと、緩衝機能をうしなった大自然は、たとえわずかな変動であっても、それを増幅して私たちにかえしてくる。

【『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠(集英社新書、2004年)以下同】

 災害という概念そのものが人間の「勝手な都合」である。大地や海に悪意はないし、火や水に殺意があるわけでもない。人は死ぬ存在である。転んだり、血管が1本切れたり、餅が喉に詰まっただけでも死んでしまう。他人の死を呑気に眺めながら、自分の死を見失うのが我々の常である。

 文明は農耕に始まり、近代に至るまで治水の攻防が続いた。川の氾濫を防ぎ、ダムを造ることで水をコントロールし、居住地域を拡大してきた。経済の発展を支えるのは道路である。私が子供の時分はまだ舗装されていない道路があったが、現在は路地でもない限り、ほぼアスファルトに覆われている。線路や高速道路も日本中に行き渡っている。

 自然は長大な歳月をかけて少しずつ変化してゆくが、人間の営みは環境を一気に変えてしまう。抑えつけたエネルギーは蓄積する。自然を整備するという発想は人類の大いなる錯覚である。エントロピーは増大する。秩序は必ず無秩序へ向かうのだ。

 それだけではない。ライン河を筆頭にヨーロッパの国際河川では、19世紀より水運の便宜と洪水対策のため、河川の蛇行部分を削り、まっすぐにする“整形工事”が行われてきた。流に“遊び”がなくなったため、かつてはゆっくりと流れていた大河の流速が、それまでの2倍にもなってしまったのである。そして川岸を堤防で固めたことによって、流域の氾濫原が洪水時の貯水機能をうしなってしまった。加えて、森林の乱伐と道路のアスファルト舗装によって、大地の保水力に頼ることができなくなってしまった。そのため、降った雨が、猶予なしに河川に流れこむことになったのである。ドイツ、フランス、ベルギー、オランダなどを毎冬のように襲う大洪水には、このような人為的な原因が関わっている。河川の改修や護岸の整備など、本来は防災を目的にした行為自体が、逆に洪水の脅威を増幅してしまったのである。

 人類は平野を好む。土地が肥沃である上に住みやすい。日本の都市はどこも平野部にある。

Googleマップ

 北海道・四国・九州はドラッグせよ。

 人間が造った人工物は自然の循環機能を阻害する。そして時に手痛いしっぺ返しを食らう。

 東日本大震災の後に残ったものは瓦礫(がれき)の山と放射能であった。異変が起こっても自然はわずかな時間で修復する。人間がつくったものはゴミと化し、更なる人為を必要とする。

 防波堤や防潮堤よりも、津波の感知システムにカネを掛けるべきだろう。地震を予知することはできないが、津波は何らかの形で観測可能だと思う。

 後は逃げる能力を磨くだけだ。

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)

2015-08-01

手塚治虫、田中正明、金森重樹、藤原肇、他


 14冊挫折、6冊読了。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』『戦争論争戦』『朝日新聞の正義 対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任』『教科書が教えかねない自虐』小林よしのり/やはり漫画は読めた代物ではない。まず自分を美化して描く感性が信じ難い。ただし小林の先見性は評価されるべきで、『戦争論争論』は田原総一朗との対談だが、東京裁判史観に毒された田原の姿がくっきりと浮かぶ。

百物語』杉浦日向子(新潮文庫、1995年)/杉浦の漫画作品を初めて読んだ。絵もストーリーもしっくりとせず。これは好みの問題である。

「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛』稲垣武(文藝春秋、1997年)/『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』とは異なり感情が前面に出ている。その苛立ちが読者を不快にする。イデオロギーや反イデオロギーに基づく著書は少し時間を置いてから読むと紙価がおのずと判明する。保守論壇はマチズモに傾きやすい。これを知性とユーモアにまで高める必要があろう。

東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎(文春新書、2012年)/著者はテレビマン。文章が気取っていて中々本題に入らない。「アンリ・ベルナールはパルより凄い」としながらも手の内を隠してもったいぶっている。決してよいテキストではないが「日本の近代史を学ぶ」には入れておく。

街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎(朝日新聞社、1994年/朝日文庫、2009年)/高砂族の件(くだり)を確認。あとは飛ばし読み。改行が目立つ。宮城谷昌光の文体は司馬遼太郎の影響を受けているようだ。

サンカ 幻の漂泊民を探して』『幻の漂泊民・サンカ』沖浦和光、『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎』礫川全次/ひょっとして高砂族は山窩(サンカ)となって日本に居ついたのではないかと考えたのだが、当て推量が外れた。三角寛〈みすみ・かん〉という人物による創作が大きいらしい。

日本と台湾』加瀬英明(祥伝社新書、2013年)/テーマがやや曖昧で総花的に感じた。鋭さを欠く。

風の書評』風(ダイヤモンド社、1980年)/「風」を名乗る匿名書評。昔、一度読んでいる。谷沢永一が絶賛していた。その後、書評子は朝日新聞記者であった百目鬼恭三郎〈どうめき・きょうざぶろう〉と判明した。博覧強記から下される批判は手厳しく、鉄槌を思わせる。衣鉢(いはつ)を継ぐのは高島俊男あたりか。ただし百目鬼の舌鋒がどんなに鋭くても、彼が小説を物することはなかったことを忘れてはなるまい。評者は作り手に依存するのだ。

 88冊目『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』藤原肇(山手書房新社、1991年)/天才本。インテリジェンスものの嚆矢(こうし)か。エントロピーにまで目配りをしているとは藤原恐るべし。政界の裏情報にも通じていて理論だけではなく実践の裏付けがある。唯一の瑕疵は自画自賛癖。やはり世間からの評価の低さが気になっているのだろう。アメリカ暮らしに由来する自己主張とは思えない。私が読んできた藤原本の中では断然1位。

 89冊目『借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記』金森重樹〈かなもり・しげき〉(大和書房、2009年)/「フリーターといっても東大卒だろ?」と思ってしまえばそれまでである。確かに片っ端から行政書士などの資格を取得するところなどは常人の及ばぬところであるが鍵は違うところにある。結局、資本主義では「借金を回して投資で増やす」者が勝利を収め、勝った者は更なる投資を続けて富を蓄積する。原理は『金持ち父さん貧乏父さん』と一緒だが、金森はロバート・キヨサキをも批判してみせる。田舎から出てきた若者を騙す大人がいるという現実が恐ろしい。私だったら相手を手に掛けていることだろう。

 90冊目『パール判事の日本無罪論』田中正明(慧文社、1963年/小学館文庫、2001年)/感動した。感動のあまりアンリ・ベルナール本を読めなくなった。インドから受けた恩を日本人は忘れてはならない。日本の法学部はパール意見書を中心に据えて国際法を学ぶべきだ。パール判事の名を高らしめる責務がある。

 91-93冊目『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』『きりひと讃歌 3』手塚治虫(COMコミックス増刊、1972年/小学館文庫、1994年)/文庫だと読みにくいので『きりひと讃歌 1』『きりひと讃歌 2』のビッグコミックススペシャル版をおすすめする。ただし小学館文庫版には養老孟司の解説がある。町山智浩が『セデック・バレ』のレビューで「高砂族を知ったのは手塚治虫先生の『きりひと讃歌』という傑作漫画」と語っていた。正直に告白しよう。私は手塚治虫の絵があまり好きじゃない。それでも何とか最後まで読んだ。容貌が犬のようになってしまうモンモウ病という奇病をめぐる物語である。そこに日本医師会を巡る政争と陰謀が絡む。強姦シーンもあって少々たじろいだ。結局のところ見た目に左右されてしまう差別観を描くだけにとどまっているように感じた。私みたいな乱暴者からすれば復讐の仕方も甘すぎる。そして何よりもタイトルが示している通り、キリスト教を賛美する姿勢に嫌悪感を覚える。

2015-06-14

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃


 ・Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄

 最近知ったエニグマのヒット曲「リターン・トゥ・イノセンス」のコーラスが耳に引っかかった。順を追って説明しよう。エニグマは元アラベスクのサンドラ・アン・ラウアーと元夫の二人が中心となって結成したバンドらしい。では懐かしいので1曲紹介しよう。真ん中のリードボーカルがサンドラである。


 このまったりしたダンスが当時は斬新であった。私が中学の頃だ。で、エニグマである。動画の出来が素晴らしいのでロングバージョンも併せて紹介する。出だしの男性コーラスに注目せよ。




 最初の動画が公式動画と思われるが、「リターン・トゥ・イノセンス」(無垢に還れ)のイノセンスには「無罪」という意味もあり、ユニコーン(一角獣)の角には「蛇などの毒で汚された水を清める力がある」とされる(Wikipedia)。時間軸を反転させているのは、熱力学第二法則に反してエントロピーが減少する世界を示す。生老病死を逆転させ老いから生へと向かうベクトルは創世記を目指したものだろう。

 Wikipediaによれば「この『リターン・トゥ・イノセンス』については、サンプリング元の音源になった台湾アミ族の歌い手であるDifang(郭英男)らに、1998年、音源の無断使用につき訴訟を提訴され」、後にロイヤリティを支払うことで和解したとのこと。こうして私は「Difang(郭英男)」の名を知った。当初はモンゴル人かインディアンだと思っていたのだが実は台湾先住民であった。

 モンゴルといえばホーミーである


 この番組でホーミーを知った時、「ああ、ここから浪曲に至るわけだ」と日本のダミ声ミュージックに初めて得心がいった。もちろんアジアの歌はアリューシャン列島を渡ったインディアンにも伝わる。


 今の日本で対抗できるのは竹原ピストルくらいしか思い浮かばない。




 Difang(ディファン/郭英男)の衝撃に私はたじろいでいる。何がこれほど心を揺さぶるのか。なぜ涙が込み上げてくるのか。




 更なる共通項を探せば縄文時代にまで行き当たる。


歌詞

 これらの歌に流れているのはモンゴロイドの民俗宗教的感情なのだろう。更にツイッターで関連情報を教えてもらった。


 人生は驚きに満ちている。Difangの「酒飲む老人の歌」は私が聴いてきた音楽の中で頂点に位置する。

Difangの歌声~Voice of Life Difang(CD+DVD)The World of Difang

アミス台湾先住民の音楽

2015-05-27

浜島書店編集部、杉浦日向子、他


 7冊挫折、2冊読了。

月と篝火』パヴェーゼ:河島英昭訳(岩波文庫、2014年)/文章が馴染めず。どうも頭に入ってこない。

生命とは何か 物理的にみた生細胞』シュレーディンガー:岡小天〈おか・しょうてん〉、鎮目恭夫〈しずめ・やすお〉訳(岩波新書、1951年/岩波文庫、2008年)/二度目の挫折。必要があってエントロピーの章だけ読む。

クリスマスに少女は還る』キャロル・オコンネル:務台夏子〈むたい・なつこ〉訳(創元推理文庫、1999年)/務台夏子は『鳥 デュ・モーリア傑作集』を翻訳している。ひょっとすると加齢のため私の頭が悪くなっているのかもしれない。文章が全く頭に入らず。創元推理文庫は活字が悪くてびっくりした。

吊るされた女』キャロル・オコンネル:務台夏子〈むたい・なつこ〉訳(創元推理文庫、2012年)/それにしてもフォントが酷い。昔の講談社文庫みたいだ。創元推理文庫はしばらく避けることにしよう。

マネーの進化史』ニーアル・ファーガソン:仙名紀〈せんな・おさむ〉訳(早川書房、2009年)/中ほどでやめる。宋鴻兵〈ソン・ホンビン〉を軽く嘲笑っている。ドイツのハイパーインフレの件(くだり)で不当な賠償額に対する言及がないのは明らかにおかしい。文章が巧いインチキ野郎と判断した。ジョン・グレイと同じ匂いを感じる。

「声」の秘密』アン・カープ:梶山あゆみ訳(草思社、2008年)/出だしは快調なのだが話が中々進まない。興味深い記述も多いが根拠が示されず。結局、ジャーナリストということなのだろう。科学本ではない。思わせぶりな文章が並ぶだけで実がない。

科学哲学』ドミニック・ルクール:沢崎壮宏〈さわざき・たけひろ〉、竹中利彦、三宅岳史〈みやけ・たけし〉訳(文庫クセジュ、2005年)/「訳者あとがき」で嫌な予感がした。2~3行置きに「その」が出てくる。白水社という企業は原稿チェックをしないのか? 本文も気取った文章で内容が乏しい。

 55冊目『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成(新潮文庫、2006年/ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)/上の本が読めなかったのは本書のせいである。まあ面白かった。小うるさい私から見て、一つの瑕疵(かし)もない傑作だ。読むだけで心が豊かになる。高島俊男の『漢字雑談』で紹介されていた一冊。こいつあ必読書ですな。文庫から深笛の名が消えたのはエロ小説を書いているためか。

 56冊目『ニューステージ世界史詳覧』浜島書店編集部(浜島書店、1997年/改訂版、2012年)/もちろん読み終えていない。これは凄い。とにかく凄い。「他の出版社は何をやっているんだ?」と思うほど凄い。一家に一冊、いや一人一冊必携といってよい。1000円以下の値段でこれほどの本が作れる事実に感嘆せざるを得ない。開いた瞬間からシナプスが発火しっ放し。こちらも必読書

2015-05-10

限られた資源をめぐる競争/『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン


『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 ・限られた資源をめぐる競争

 現実世界に見られる複雑性は、多くの場合、系の構成要素が限られた資源――たとえば、食べ物、空間(スペース)、エネルギー、権力、富――をめぐって互いに競争を繰り広げているという状況がその核心をなしている。このような状況では、群集の出現が非常に重要な実際的影響を及ぼすことがある。金融市場や住宅市場を例にとると、手持ちの金融商品や物件を売りたい群集――彼らは互いに買い手を求めて競争している――が自然に形成されると、暴落につながって市場価格が短期間のうちに劇的に下がってしまうことがある。同じような群集現象は、同じ時間帯に通る道路上の空間をめぐって競争している車通勤者たちでも生じる。その結果が交通渋滞で、これは市場の暴落の道路交通版なのだ。このほかの例としては、インターネットにおける過負荷、停電をあげることができる。前者は利用者のアクセスが一時に集中したために特定のコンピューター・システムが使えなくなった状況だし、後者もやはり電気の利用が一時的に集中して、電力網による供給が追いつかなくなった状況なのである。戦争やテロさえも、異なる勢力どうしの暴力的な集団行動であり、同じ資源(たとえば、土地や領土や政治的権力)の支配をめぐって競争が繰り広げられていると見なせる。

 複雑性科学の究極の目標は、こうした創発現象――とりわけ重要なのは、恐ろしい結果をもたらしかねない市場の暴落、交通渋滞、感染症の世界的流行、癌をはじめとする病気、武力衝突、環境変化など――を理解し、その予測と制御を行なうことである。これらの創発現象の予測は可能なのだろうか。それとも、これらの現象は何の前触れもなく、どこからともなく姿を現わすのだろうか。さらに、いったん生じてしまったとき、われわれはその現象を制御したり操作したりできるのだろうか。

【『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン:阪本芳久訳(インターシフト、2011年)】

 1+1が2+αというよりは、2xになるような事象を創発という。「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」(フレッド・ホイル)確率と似ている。分子を並べただけでDNAはできないし、同じ数の細胞を並べただけで人体とはならない。創発という概念は自己組織化散逸構造非線形科学などとセットになっている。

 生命も宇宙も熱力学第二法則に従う。エントロピーは増大するのだ。コーヒーの中に落としたミルクは拡散し、風呂の湯は必ず冷める。逆はあり得ない。時間の矢は過去から未来へ向かう。やがて人は死に、宇宙も死ぬ。分子は乱雑さを増し、一切が平均化してゆく。

 群集現象による創発は人文字を思えばよい。一人ひとりは色のついたパネルをめくっているだけだが、全体で見ると文字や絵が浮かぶ。先に書いた1+1=2xがおわかりいただけるだろう。

 交通渋滞と戦争やテロを同列に見なす視点が鋭い。特定秘密保護法や集団的自衛権に関する安倍政権批判は相変わらず「古い物語」を踏襲していて、平和を賛美する叙情的な文学のようにしか見えない。中華思想に弾圧されるチベットやウイグルの問題を正面から見据えれば、武力の裏づけを欠いた外交が実を結ぶとは思えない。戦争もできないような国家は国家たり得ない。そんな当たり前のことがこの国では忘れられているのだ。拉致問題が進展しないのも憲法の縛りがあるためだ。

 戦争はない方がいいに決まっている。だからといって反戦・平和を叫べばそれで済むというものではない。人類は数千年にわたって戦争を行ってきたわけだから、まず戦争は起こるという前提で考えるべきだろう。そして戦争に至る要因や条件を科学的に検証することで、戦争回避の手立てが見えてくるに違いない。

 複雑系科学は仏教の縁起を立証しているようで実に面白い。阪本芳久が訳した作品は外れが少ない。

複雑で単純な世界: 不確実なできごとを複雑系で予測する

2015-04-03

情報という概念/『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ


『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ
『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー

 ・情報という概念

『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
情報とアルゴリズム

 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。

【『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2007年)】

 驚愕の指摘である。熱力学の法則と相対性理論と量子論を「情報」の一言で結びつけている。「振る舞い」とのキーワードが腑に落ちれば、エントロピーで読み解く手法に得心がゆく。『異端の数ゼロ』で見せた鮮やかな筆致は衰えていない。

 ロルフ・ランダウアーが「情報は物理的」と喝破し、ジョン・ホイーラーが「すべてはビットから生まれる」と断言した。マクスウェルの悪魔に止めを刺したのはランダウアーの原理であった。

 よくよく考えるとマクスウェルの悪魔自身が素早い分子と遅い分子という情報に基いていることがわかる。思考実験恐るべし。本物の問いはその中に答えをはらんでいる。

 調べものをしているうちに2時間ほど経過。知識が少ないと書評を書くのも骨が折れる。熱力学第二法則とエントロピー増大則がどうもスッキリと理解できない。この物理法則が社会や組織に適用可能かどうかで行き詰まった。結局のところ新たな知見は得られず。

物質界(生命系を含め)の法則:熱力学の第二法則

 エントロピー増大則は諸行無常を志向する。自然は秩序から無秩序へと向かい、宇宙のエントロピーは時間とともに増大する。コップの水にインクを1滴たらす。インクは拡散し、薄く色のついた水となる。逆はあり得ない(不可逆性)。つまり閉じたシステムでエントロピーが減少すれば、それは時間が逆行したことを意味する。風呂の湯はやがて冷める。外部から熱を加えない限り。

 生物は秩序を形成している点でエントロピー増大則に逆らっているように見えるが、エネルギーを外部から摂取し、エントロピーを外に捨てている。汚れた部屋に例えれば、掃除をすれば部屋のエントロピーは減少するが、掃除機の中のエントロピーは増大する。乱雑さが移動しただけに過ぎない。

 ゲーデルの不完全性定理は神の地位をも揺るがした。

 ニューヨーク州立大学の哲学者パトリック・グリムは、1991年、不完全性定理の哲学的帰結として、神の非存在論を導いている。彼の推論は、次のようなものである。

 定義 すべての真理を知る無矛盾な存在を「神」と呼ぶ。
 グリムの定理 「神」は存在しない。

 証明は、非常に単純である。定義により、すべての真理を知る「神」は、もちろん自然数論も知っているはずであり、無矛盾でもある。ところが、不完全性定理により、ゲーデル命題に相当する特定の多項方程式については、矛盾を犯すことなく、その真理を決定できないことになる。したがって、すべての真理を知る「神」は、存在しないことになる。
 ただし、グリムは、彼の証明が否定するのは、「人間理性によって理解可能な神」であって、神学そのものを否定するわけではないと述べている。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

神の存在論的証明

 では熱力学第二法則はどうか? 仏教東漸の歴史を見れば確かに乱雑さは増している。ブッダの時代にあっても人を介すほどに教えは乱雑になっていったことだろう。熱は冷め、秩序は無秩序へ向かう。しかしその一方で人間の意識は秩序を形成する。都市化が典型である。そして生命現象という秩序は、必ず死という無秩序に至る。

 宇宙的な時間スケールで見た時、生命現象にはどのような意味があるのか? それともないのか? 思考はそこで止まったまま進まない。

宇宙を復号する―量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号
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ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)
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