2020-01-13

社会学を騙る悪書/『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮


「ネット右翼」という語にしても、1990年代後半に成立した彼ら独自の言説の場「ネット右派理論」ではすでにしばしば用いられていたものだ。たとえば99年4月に結成されたネット上の右翼団体「鐵扇會」に関連し、この語が用いられていたことを示す記録も現存している。当時、「J右翼」「サイバー右翼」など、いくつかの類語の間を揺れ動きながらも次第にこの語が、そしてこの現象が定着していったという経緯がある。

【『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮〈いとう・まさあき〉(青弓社、2019年)以下同】

 社会学を騙(かた)る悪書だ。最初のページで露見している。

 はじめに

   「ネトウヨの妄言」を軽蔑する前に

 書籍のタイトルは出版社が会議で決めるのが普通だ。とすれば冒頭の表題に伊藤昌亮の本音が出たと考えてよい。

 しかし1991年ごろからそこでは右寄りの論調の記事が徐々に目につくようになる。やがて数々の特集とともにそれらが前面に押し出されるようになり、それに伴って雑誌全体としても、あたかも保守派の新しいオピニオン誌であるかのような趣が強く打ち出されるようになった。特に90年代半ば以降は、小林(よしのり)をはじめとする保守派の新しい論者の一大拠点となるに至る。こうして90年代を通じて徐々に「右傾化」していき、2000年代になるころには新種の「タカ派」雑誌として広く認知されるに至った『SAPIO』だが、ではそうした変化はどのような経緯で引き起こされたものだったのだろうか。

 本来であればその背景を探るのが社会学の仕事なのだが、伊藤にとっては「ネトウヨ」こそが問題であり、一部の行き過ぎた差別発言をあげつらうことで、保守層から安倍首相を支持する人々までをこき下ろすところに目的があるのだろう。

 そもそも高々20~30年の出来事を「歴史社会学」とは言わない。国政を俯瞰すると自民党こそが実は社会民主主義を実践してきた歴史がある。国際基準で見れば自民党は中道左派といってよい。それが証拠に小泉政権が誕生するまで日本は「大きな政府」であり続けた。また実際自民党内には右から左までの政治家を網羅しており、政策を決定する段階の議論で国会質疑以上に政策が練られてきた。改憲勢力ではない公明党が与党入りしてからは更にブレーキの効きが強くなった。

 ネット右派の功績は敗戦以降、ひた隠しにされてきた日本の近代史に目を開かせたことであろう。そして1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、1998年には『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小林よしのり作)が刊行された。当時は「保守=右翼」と見られていた。私自身そう思っていた。圧倒的な逆風が取り巻いていた。

 2004年にはチャンネル桜が開局。保守系論壇の人材を結集した功績は見逃せない。チャンネル桜が「虎ノ門ニュース」や「報道特注(右)」に道を開いたといっても過言ではない。

 伊藤昌亮は致命的な勘違いをしている。今語るべきは左翼である。左翼の鬱屈した感情を満たすだけの学問は恐ろしく不毛である。

2020-01-12

トレイルランニング/『ランニング・サイエンス』ジョン・ブルーワー


『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり

 ・トレイルランニング

・『サブスリー漫画家 激走 山へ!』みやすのんき
『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー

 もしあなたが体幹、やる気、バランス、スピード、持久力を1回のランニングで鍛えたいなら、スポーツジムの会員になることは忘れて、トレイルに出かけよう。オフロードのランニングは新しいスキルを丸ごと習得することでもあるが、同時に細かい距離や精確なスピードを気にするのを一切やめることでもある。絶景を楽しんだり、急峻な上りを制覇したり、野生動物を見つけたりしているときに、誰がペースなんか知りたいだろう? トレイルランニングとは体力を鍛えるだけでなく、減速して周囲のものを吸収する営みとも言える。ある意味では、わだちのついた柔らかな、予測のつかないでこぼこの地面を走るという行為の副産物として、体幹の強さ、足関節の可動性、全身のバランスの向上があるとも言える。足関節の可動性がすぐに向上し、地勢の読みかたや姿勢の変えかたが身につく。上りのゆっくりしたペースに対処し、下りの恐いほどのスピードに対処するために、走る速さを調整することも学ぶ。バランス、筋肉協調運動、反応速度の向上はすべて、定期的なトレイルランニングから生まれる。

【『ランニング・サイエンス』ジョン・ブルーワー:菅しおり〈すが・しおり〉訳(河出書房新社、2017年)】

 舗装していない道をトレイルという。一般的には登山道・遊歩道を指す言葉だ。類語にオフロードクロスカントリーなどがある。

 自転車で坂を目指した以上、ランニングでも坂に向かうのは当然である。最終的には丹沢周辺を走り回りたいと夢見ている。

 私にとって走る目的は二つしかない。まず汗をかくこと。次に煙草を減らすことである。健康や体力の増進はどうでもいい。今だからわかるのだが自転車に乗ろうと思ったのも結局汗をかきたかったからだろう。

 ランニングに関しては速度と距離もさほど気にしていない。とにかく長い時間走れるようになりたいのだ。そうすれば煙草の本数を減らせる。それゆえ私が目標とするのは12時間ランニングである。帰宅して12時間寝てしまえば5~6本の煙草で済みそうだ。「いっそのことやめてしまったらどうなんだ?」という声が聞こえてきそうだが、それができたら誰も苦労しない。

 私にとってランニングは瞑想である。家にいればどうしても本を読んでしまう。本から離れるためには運動が一番手っ取り早い。老境は晴走雨読で行こう。

進歩的文化人の仄めかし話法/『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 ・反日売国奴の原型・藤原惺窩
 ・進歩的文化人の仄めかし話法

『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 そこで進歩的文化人はそろって暗示論法を用いた。いわゆる仄(ほの)めかしの語法である。絶対に揚(あ)げ足をとられない口ごもりの発声である。天皇制打倒などとは口がさけても言わない。ひたすら皇室をあてこする。遠まわしに皮肉を並べる。用心深いことこのうえなしであった。
 たとえば大塚久雄(おおつか・ひさお/経済史学者、東大名誉教授)は、社会主義とも共産主義とも言いたくなかった。それらの言葉を用いた途端に底が割れるからである。そこで、よく考えた戦術として、「近代化」という聞こえのいい名称を活用することにした。日本はまだ近代化していない、と国民を叱りつけたのである。
 言葉面(づら)だけを受けとれば、そんな無茶苦茶な話はない。しかしこの近代化というあいまいなめいじは符牒(ふちょう)であった。のちに自分で解説するところによれば、彼の言う近代化なる用語は、実は、「社会主義への移行をも含めるようなものだったのである」そうな。大塚久雄が唱えた近代化のすすめとは、本当は、社会主義化のすすmであったのだ。それをかくして近代化、近代化とふりまわすのが、暗示論法の身上なのである。

【『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1995年/ワニ文庫、1999年)】

 肚(はら)の底から唸るように「ウム」と私は首肯した。顎が胸にのめり込んだほどだ(ウソ)。「仄めかし話法」とは言い得て妙だ。念頭に浮かぶのは佐藤優、姜尚中〈カン・サンジュン〉、森達也など。筑紫哲也〈ちくし・てつや〉はそのものと言ってよい。衣鉢を継ぐのは金平茂紀〈かねひら・しげのり〉か。TBSの「サンデーモーニング」も典型だ。彼らは答えを隠して疑問を口にする。「おかしいのではないでしょうか?」「疑問があると言わざるを得ません」「果たして国民は納得するのでしょうか?」ってな具合である。

 敗戦から21世紀に至るまで「愛国心」は禁句となった。他方、レッドパージ(1950年/昭和25年)以降、左翼は表立って共産主義革命を叫ぶことができなくなった。ゾルゲ事件シベリア抑留の影響も見逃せない。

 学生運動は終戦前後に生まれた若者たちによる一過性の暴発であった。それが証拠に60年安保(日米安保改定)後の選挙では自民党が圧勝している。国民は暴れ回る大学生ではなく岸信介を支持したのだ。とはいうものの新聞・テレビは学生運動に理解を示し、好意的な報道を続けた。こうしたムードの中で赤軍派によるよど号ハイジャック事件(1970年/昭和45年)が起こり、北朝鮮への拉致につながるのである(『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』高沢皓司)。

 簡単なリトマス試験紙を用意しよう。

 1.憲法改正をするべきではない。
 2.女系天皇を容認する。
 3.外国人参政権を認める。
 4.国旗・国歌に反対する。
 5.夫婦別姓に賛成する。

 すべて該当すれば真性左翼であり、純粋シンパといってよい。その他、政治家に関しては親中派・親韓派と親米派に大きく分かれる。独立派・自立派は今のところ現実的ではない。もしも有力代議士の中でそんなのがいたら田中角栄のように葬られることだろう。

2020-01-11

多すぎる指示詞・代名詞/『ウイルスは生きている』中屋敷均


『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『生命とはなにか 細胞の驚異の世界』ボイス・レンズバーガー

 ・多すぎる指示詞・代名詞

 このことは二つの大きな疑問を我々に突きつける。一つは、我々ヒトとは一体、何者なのか? という深刻な問いだ。その昔、シンシチンを提供したウイルスと我々の祖先はまったく別の存在で、無関係に暮らしていたはずである。しかし、ある時、そのウイルスは我々の祖先に感染した。そしてシンシチンを提供するようになり、今も我々の体の中にいる。そのウイルスがいなければ胎盤は機能せず、ヒトもサルも他の哺乳動物も現在のような形では存在できなかったはずである。つまり我々の体の中にウイルスがいるから、我々は哺乳動物の「ヒト」として存在している。逆に言えば、ウイルスがいなければ、我々はヒトになっていない。少なくとも今とまったく同じヒト科ヒトではなかったであろう。我々は親から子へと遺伝子を受け継ぐだけでなく、感染したウイルスからも遺伝子を受け継いでいるのだ。もう一度言おう。我々はすでにウイルスと一体化しており、ウイルスがいなければ、我々はヒトではない。それでは我々ヒトとは、一体、何者か? 動物とウイルスの合いの子、キメラということなのだろうか?

【『ウイルスは生きている』中屋敷均〈なかやしき・ひとし〉(講談社現代新書、2016年)】

 帯に「成毛眞氏絶賛!」とある。見事に騙された。15ページに「その」が6ヶ、「それ」が4ヶ、「この」が1ヶ出てくる。たった15行に指示詞・代名詞がてんこ盛りで講談社の編集者は無能と評価せざるを得ない。どんなに内容がよくても、文章が悪いと思考力が揺れる。

 上記テキストもくどくてイライラさせられる。