2021-02-26

人間が「マシン化」する未来/『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド


『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本

 ・人間が「マシン化」する未来

『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

 コートニー・S・キャンベルを中心とする生命倫理学者の研究グループは、2007年にCambridge Quarterly of Healthcare Ethics誌に論文を投稿して、次のように述べている。
「ある時点まで来ると、おそらく『他者』であるマシンと、それが埋め込まれている『自己』との区別をつけることが、ますます困難になるだろう。マサチューセッツ工科大学人工知能研究所のディレクター、ロドニー・A・ブルックスの見解によると、『人は過去50年ほどの間にマシンに【頼る】ようになったが、今世紀になってからは、人が【マシン化】しつつある』」。

【『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド:佐藤やえ訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)】

 現代人が眼鏡や靴を文明の恩恵と感じることはない。「あるのが当たり前」で思い出すのはなくした時くらいだろう。例えば義歯がなければ健康を維持することは難しい。あるいは鬘(かつら)によって人間心理ががらりと変わる場合もあるだろう。デバイスや周辺機器が脳内や体内に埋め込まれれば人類はポストヒューマンへと進化する。マンマシンシステムが構築されると我々の視界もターミネーターのようになるはずだ。


 すでに、障害を持つ人たちにコンピュータチップや半導体アレイを植え込んで、視覚や聴覚、運動能力、記憶力などを修復しようとする試みは、もう準備が整いつつある。この流れでいくと、いずれ私たちが現在持っている「標準」的な能力をはるかに超えて、知覚を増幅させたり、記憶力や学習能力を強化したりするテクノロジーへと進化することは間違いない。

 知識や記憶は既にパソコンかウェブ上に存在する。思い出す営みは検索という作業に変わり果てた。知識は記憶するよりも、ラベルやタグで検索に紐づける方が効果的だ。完璧なライフハックがあれば記憶や性格のアップロード、ダウンロードも可能になるはずだ。人間は情報的存在と化して死んでも尚ウェブ上で生き続けることだろう。

 この事態が避けられないと見る理由のひとつは、「標準」という概念の定義のしにくさにある。科学者と哲学者の間では「標準」の定義についての議論が続いているが、いつか私たちが能力増強テクノロジーを幅広く受け入れるようになれば、何を「標準」とするかの考え方も変わってくることだろう。

 既に高性能の義足は陸上競技において健康な脚を上回るポテンシャルを秘めている。ゆくゆくはタイヤ付きの義足が登場するかもしれない。更にモーターやエンジンがつけば年老いた人々もどんどん外に出ることができる。

 ただしユートピアを想像するのは間違いだ。国家が国民に対して常に求めるのは賦役(ふえき)と徴兵である。ロボットが不得手なのは肉体労働である。知的労働のスキルを持たない多くの人々はやがて肉体労働に従事する羽目となる。社会は形を変えた貴族と奴隷に分かれる。こうした未来を察知すればこそ発達障害や自閉傾向が顕著になってきているのだろう。貧困層は炭水化物中心の食事となり生活習慣病や慢性疾患、あるいはアレルギー疾患や知的障碍を持つ子供たちが生まれてくる。

2021-02-23

炎症が現代病の原因/『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー


『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー
『「食べもの神話」の落とし穴 巷にはびこるフードファディズム』高橋久仁子
『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『伝統食の復権 栄養素信仰の呪縛を解く』島田彰夫
・『本当は危ない植物油 その毒性と環境ホルモン作用』奥山治美
『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美
『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁
『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス

 ・炎症が現代病の原因
 ・食物に含まれる反栄養素
 ・意志力は限りある資源
 ・炭水化物は夕食で摂る

・『HEAD STRONG シリコンバレー式頭がよくなる全技術』デイヴ・アスプリー
・『運動ゼロ空腹ゼロでもみるみる痩せる ガチ速“脂"ダイエット』金森重樹
・『食べても太らず、免疫力がつく食事法』石黒成治
・『世界のエグゼクティブを変えた超一流の食事術』アイザック・H・ジョーンズ
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『大豆毒が病気をつくる 欧米の最新研究でわかった!』松原秀樹
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン

必読書リスト その一

 原因を調べていくうちにわかった。弱った手、スペアタイヤ、二重あご、むくんだ肌、男のおっぱいを引き起こしていたのは脂肪ではなかった――【これらは炎症のせいだった】(もっとも、炎症の下に脂肪がたっぷり隠れてはいたけれど)。アンチエイジングのバイオハッカーである僕は、炎症が老化の原因というのは知っていたものの、自分の生態に起こっている他のほぼすべても炎症に関係していたは気づいていなかった。

【『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー:栗原百代〈くりはら・ももよ〉訳(ダイヤモンド社、2015年)以下同】

 20年前に体重140kgだった億万長者が10年で50kgの減量に成功した。30万ドルを費やしてあらゆるダイエット法を試したという。ダイエットの原義は「食習慣」である。食事制限による痩身術と誤解している人が多い。本書はデイヴ・アスプリーが編み出した「バターコーヒー」で一躍世界的な脚光を浴びたベストセラーである。

「慢性炎症は生活習慣病とがんに共通する基盤病態」(真鍋研究室)であり、「2型糖尿病患者は一般に肥満で,慢性の炎症を患い,インスリンに抵抗性がある(インスリンは血中の糖を取り込んでエネルギーとして保存するために働くホルモン)」(日経サイエンス2010年2月号)。自己免疫疾患アトピー性湿疹は順序が逆だが症状として炎症反応が起こる。最近ではアルツハイマー病も「脳の炎症」と考えられている(『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン)。

【調査研究の結果、多くの病気の中心には高度の炎症があることが何度も示されてきた】。心疾患(しんしっかん)、がん、糖尿病はアメリカの全死因の70%近くを占めるが、これらの病気すべてに共通しているのが炎症だ。また炎症は、多くの自己免疫疾患や一部の精神衛生上の問題ともつながっている。
 僕もそうだったが自分では炎症の症状をあまり感じていなくても、脳は体のどの部位の炎症にもきわめて敏感で集中力を弱められてしまうから、炎症を放っておくと、体の痛みや不調を感じだすよりずっと前に、頭のキレが鈍る。そう、ぼんやり頭と、いつものむくみにいますぐ対処すべき理由は、これらがその先のもっと深刻な問題の危険信号だからなのだ。

 痛みの伴わない炎症が厄介なのだ。肥満は既に病気として捉えられているが、肥満そのものを炎症状態と考えてよかろう。外傷以外のあらゆる炎症の原因は食べ物にある。口から入った毒に対する免疫反応が炎症なのだ。そしてまた過剰な栄養も毒と同じ作用をもたらす。人類史を振り返っても食べるのに困らなくなったのは第二次世界大戦からの復興以降のことだ。まだ100年に満たない期間である。

 近代化によって文明病が、近代化が行き渡ることで現代病が生まれた。栄養学は最も学問の名に値しない学問だが、摂取カロリーを全て燃料と考え、脂質は体の脂肪になると錯覚してミスリードし続けてきた。コンピュータによって分子科学が発達したことで栄養学の誤謬(ごびゅう)が次々と明らかになりつつある。栄養学は土下座をして出直すべきだろう。

【大切なのは、反栄養素を含む食品はなるべく摂らないで、免疫系を刺激する食品は完全に避けて、免疫反応を抑制することだ】。  たいていの人は食品に添加されていそうな保存料、農薬、着色剤など、反栄養素の一形態である毒素には注意しているのに、これらが食物への渇望をかきたて、脳のパフォーマンスを低下させることを理解している人はほとんどいない。日常生活に隠れている「自然由来の反栄養素」のことをわかっている人は、さらにわずかしかいない。
 この毒素は、植物および植物製品の栽培や貯蔵中に形成されるもので、その主な機能は、植物が繁殖するために動物、昆虫や微生物、菌類に食べられ愛ようにすること。そう、植物は、僕らが食べるために進化したんじゃない。僕らに食べ【られない】ために、複雑な防御システムを発展させてきたのだ!(中略)
 自然由来の反栄養素の主なものには、レクチン、フィンチ酸、シュウ酸、カビ毒(マイコトキシン)がある。

 植物は動くことができない。このため昆虫や動物に襲われると毒を放って身を守る。シュウ酸は聞いたことのある人が多いだろう。ホウレンソウを茹でるのはシュウ酸を取り除くためだ。野菜を煮た時に出る灰汁(あく)を毒と考えればよい。

 不健康は糖質の摂(と)り過ぎによってもたらされる。要は穀物と砂糖だ。糖質は血糖値を一気に上昇させ、インスリン反応が起こる。血中のブドウ糖が過剰になるとインスリンが効きにくくなり(インスリン抵抗性)、膵臓のインスリン分泌能力が低下する。尿にまで糖が出るから糖尿病というのだ。しかも糖質の中毒性(依存性)はコカインよりも高いというデータがある。甘いものは多幸感を招くが、少し経つとボーッとしてくることが多い。上昇した血糖値がインスリンで一気に下がると今度は低血糖状態になるためだ。

 個別が普遍に通じるわけではないが、デイヴ・アスプリーの努力は多くの人に新しい知識と賢明なヒントを与えてくれるだろう。



インターバル速歩/『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博

2021-02-19

重商主義は世界商業の覇権をめぐる戦争の時代/『時計の社会史』角山榮


・『超訳「国富論」 経済学の原点を2時間で理解する』大村大次郎
『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』奥村正二

 ・重商主義は世界商業の覇権をめぐる戦争の時代

『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

世界史の教科書
必読書リスト その四

 こうしてまず16世紀の世界を支配したのは、新大陸を発見したスペイン、および東洋への海上ルートを掌中に収めたポルトガルであった。ところが17世紀になると、世界史の舞台に登場したのはオランダとイギリスである。両者はスペイン・ポルトガルに代わって覇権をめぐって激しく争い、17世紀末にはルイ絶対王権を背景にフランスが一枚加わって、海上の覇権争いはいっそう熾烈となった。
 17世紀初めから18世紀中ごろにいたる時代は、経済史上これを重商主義とよんでいるが、重商主義という表現からくる平和な商業競争のイメージとはまったく異なり、オランダ、イギリス、フランス、スペインを中心に周辺諸国もまきこんで、世界商業の覇権をめぐって戦争につぐ戦争、海戦また海戦といった動乱の時代を迎えた。
 海上制覇を左右した要因はいくつかある。まず決め手になるのは、軍事力としての強力な海軍の保有である。だから各国とも軍艦の数、大きさ、備砲数、大砲の性能、造船技術に力を入れたことはいうまでもない。しかしこうした軍事力とは直接結びつかないまでも、各国とも解決を迫られていた共通の課題があった。しかもその解決が海上制覇にとって、ある意味で決め手になるような重要な課題を抱えていたのである。その難題というのは正確な経度の測定である。というのは、正確な経度が測定できなければ船の位置を知ることができず、いわば眼の不自由な人が勘だけに頼って自動車を運転するようなものだからである。そのためにガリヴァが南洋で座礁したような海難事故は、今日では考えられないくらい頻繁に起こっていた。それがもし軍艦であるなら、敵以上にこわいのは海難による自滅である。その心配されていたことが実際に起こったのである。

【『時計の社会史』角山榮〈つのやま・さかえ〉(中公新書、1984年/吉川弘文館、2014年)】
 私の手元にあるのは新書版で、「ザ・新書」という敬称で呼びたくなるほどの一冊。川勝平太著『日本文明と近代西洋 「鎖国」再考』で本書を知った。このように面白くない本が面白い本につないでくれることがあるので読書には無駄がないと考えてよろしい。しかも、『超訳「国富論」』と併読していたため、上記テキストで理解が深まった。

 更に本テキストが重要なのはワシントン海軍軍縮条約(1922年)をも示唆しているためだ。つまり軍の暴走や五・一五事件にまでつながる話なのだ。

 私は全く時計に興味がないし、腕時計も持っていない。携帯電話すら持ち歩くことが少ないため、今でも道行く人に時間を尋ねることがある。そんな私でも本書の内容には引きずり込まれた。時計と社会を巡る見事な近代史となっている。文章、内容ともに完璧な新書といっていいだろう。