・『黄金を抱いて翔べ』高村薫
・『神の火』高村薫
・『わが手に拳銃を』高村薫
・『リヴィエラを撃て』高村薫
・『マークスの山』高村薫
・『地を這う虫』高村薫
・『照柿』高村薫
・鑑とは
・創作された存在
・『李歐』高村薫
・『半眼訥訥』高村薫
・『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド
・ミステリ&SF
《ところで、半田さんから聞いた。仲間に入れてほしい》
「理由は何だ」
《理由が要るのか》
「そういうわけではないが、君もいろいろ考えていることがあるだろう」
《人生に踏ん切りをつけたいだけだ》
「何のための踏ん切りだ」
《俺の人生を見たら、分かるだろう》
「君の人生か。腕のいいドライバーで、月に六、七十万の稼ぎがあって、嫁さんが病気で、娘が障害児だ。それがどうした。そんな人生は世間にごまんとある」
物井は、布川が気分を害して電話を切ってしまうだろうと思ったが、電話は切れなかった。代わりに、全身から噴き出したような、ほとんど悲鳴のような《ああ――》というため息が聞こえ、また沈黙になった。野球のボールを打つカーンという音、走れ、走れと叫ぶ子どもの笑い声が電話の向こうで響いた。
理屈ではなく、幸不幸でもなく、弱い人生が一つあるというだけのことだった。
【『レディ・ジョーカー』高村薫〈たかむら・かおる〉(毎日新聞社、1997年/新潮文庫、2010年)】
冒頭の怪文書を読んでいて不思議な気分に浸(ひた)った。創作された存在が目の前に立ち上がってきたのだ。存在は目撃される。しかし、それを誰かに伝える時、存在は言葉と化す。死者を語る行為は新たな生を吹き込む営みでもある。旧字体で綴られた文書を通して私の中に岡村清二という男を立ち上がらせる。本来、不在のはずの人間が存在する不思議に目眩(まめい)がした。
それにしても文章がいい。澱(よど)みなく流れる速度の心地よさを感じる。野球に興じる子供たちが障碍を持つ娘の姿を際立たせる。「踏ん切り」と「弱い人生」というキーワードの重みがまた心地よい。
ビッグネームなので敢えて必読書には入れなかった。尚、相変わらずの同性愛傾向が腐女子っぷりを示しているようで感心しない。もう一つ、合田・半田・倉田と田がつく苗字が多いのも瑕疵(かし)と言える。