2021-12-12

身体が憶えた智恵や想像力/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一


 ・蝶のように舞う思考の軌跡
 ・身体から悲鳴が聞こえてくる
 ・所有のパラドクス
 ・身体が憶えた智恵や想像力
 ・パニック・ボディ
 ・セックスとは交感の出来事
 ・インナーボディは「大いなる存在」への入口

『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『日本人の身体』安田登
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『ニュー・アース』エックハルト・トール
『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー

必読書リスト その二

 なにか少年や少女の事件が起こるたびに、こころのケアやこころの教育がどうのこうのといった声があがるが、わたしはすぐにはそういう発想がとれない。ちょっと乱暴かもしれないが、お箸をちゃんともてる、肘をついて食べない、顔をまっすぐに見て話す、脱いだ靴を揃えるなどということができていれば、あまり心配ないのではないかと思ってしまう。とりあえず、ごはんはかならずいっしょに食べるようにしたら、と言ってみたくなる。なにか身体が憶えた智恵や想像力、身体で学んだ判断を信じたいと思うのだ。

【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

 思索の人にありがちな「気取り」に鼻白むが、日常において精神性よりも生活所作に重きを置くのは賛成だ。

 私には信じ難いのだが、「我が子がいじめられていることに気づかなかった親」がそこかしこにいる。愚かな親元に生まれると死ぬ確率が高くなる。学校帰りの小学生を見れば一目瞭然だ。歩く姿が雄弁に物語っている。俯(うつむ)き加減で独りでトボトボと歩く小学生を見掛けるたびに胸が痛む。数年前、中学1年生くらいの少女が車止めの柵を蹴飛ばしている姿をベランダ越しに見たことがある。何か嫌なことがあったのだろう。家の前で蹴ったということはお母さんにも言えないようなことなのだろう。私でよければ話はいくらでも聞くし、何なら仕返しを手伝ってもいい。だが、それは私の役割ではない。人生には自分で乗り越えなければならない小さな坂がいくつもある。

 上記テキストの最後の部分は観念論だ。山野で生きてゆける程度の身体能力がなければ、智恵など出てくるはずもない。

死こそが永遠の本源/『出星前夜』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『始祖鳥記』飯嶋和一
『黄金旅風』飯嶋和一

 ・死こそが永遠の本源

『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

キリスト教を知るための書籍

 キリシタンに対する火あぶりの刑は、1本の太柱に手足を後ろで縛りつけ、周囲に薪を積んで、初めは遠火にてあぶり、次第に薪を受刑者の縛られている柱へ寄せていく。後ろ手と両足に縛りつけた藁縄(わらなわ)は1本だけで、それも緩(ゆる)く、背後には薪を積まず、いつでも逃げ出せるように退路を確保してある。燃えさかる灼熱(しゃくねつ)の苦痛に逃げ出せば、それは棄教したことと見なされ、そこで刑の執行は取りやめられる。刑を受ける者にとっては何より殉教への意志が試されることとなっていた。マグダレナはもちろん、6人ともが逃げる素振りも見せず業火に身をよじりながら絶命したと秀助は青ざめた顔で語った。鯨脂を焼いたような臭いが胸に溜(た)まり、突き上げてきた嘔吐(おうと)感を抑えきれず恵舟〈けいしゅう〉はその場でもどした。

【『出星前夜』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2008年/小学館文庫、2013年)以下同】

 島原の乱を描いた時代小説だが天草四郎時貞は脇役である。主役は庄屋の鬼塚甚右衛門と医師の外崎恵舟〈とのざき・けいしゅう〉、そして弟子の北山寿安〈きたやま・じゅあん〉の3人である。

キリシタン4000人の殉教/『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文

 よく言われることだが、「交通事故でさえスローモーション映像にすればホラー映画たり得る」。死は恐ろしい。恐ろしいがゆえに生きる者は想像力を働かせてしまう。そこに罠がある。戦後教育を受けると「生きる権利」という錯覚にとらわれる。生きることが権利であれば、死ぬことはその権利を奪われることになる。だから我々は死を理不尽なものとして受け止める。なぜなら死は「生を奪う」からだ。死は終焉(しゅうえん)であり、不幸であり、悲劇である。そう考えてしまうところに現代の不幸があるのだろう。

「棄教すれば許す」というところに日本的な優しさがある。西洋の魔女狩りとは全く異なる精神風土である。ただし、少ならからぬ人々を殉教に走らせる社会的要因があったのは確かだろう。閉塞感や鬱積が日常から跳躍させるバネとして働く。それが殉教であったり、テロであったり、クーデターであったりするのだろう。

「寿安さん」喜平の幼子が呼んだ声音を思わず真似(まね)ていた。大勢の病んだ子どもらが皆そう呼んだ。今ここにいる「寿安」が、やっと現実(うつつ)のことに感じられた。幼い頃は耐えがたいものを感じていた呼び名は、いつの間にか少しの抵抗も感じられなくなっていた。蜂起でも、傷寒でも、赤斑瘡でも、多くの生命が目の前で消えて行った。死こそが実は永遠の本源であり、生は一瞬のまばゆい流れ星のようなものに思われた。その光芒(こうぼう)がいかにはかなくとも、限りなくいとおしいものに思えた。

 恵舟と寿安は感染症と戦った。飢餓と病気は人類史において最大のテーマである。それは死に直結しているためだ。私からすれば、「死は永遠」というよりも「死は無限」と感じる。既に亡い人は数百億人に及ぶだろうし、動植物や細菌を含めれば天文学的な数字になるだろう。量子世界で時間にはプランク時間という最小単位が切り取り線のように連なっている。信じ難いことだが時間は直線的につながってはいないのだ。ひょっとすると瞬きするたびに我々は生と死を繰り返しているのかもしれない。

2021-12-11

父は悪政と戦い、子は感染症と闘った/『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『始祖鳥記』飯嶋和一
『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一

 ・父は悪政と戦い、子は感染症と闘った

『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子

日本の近代史を学ぶ

 奥座敷で供された二つの塗り物膳(ぜん)には、季節の飛び魚の吸い物から黒鯛(くろだい)の刺し身、あわびの膾(なます)、焼き茄子(なす)などが所狭しと並べられ、白米の飯と素麺(そうめん)、清酒まで出して庄三郎がもてなした。
 弥左衛門〈やざえもん〉にすすめられ常太郎〈じょうたろう〉は初めて酒を口にした。陣屋からここまでずっと己(おのれ)の身を案じてついてきた島民達といい、科人(※とがにん)として流されてきた先で思いがけないもてなしを受け、戸惑いばかりが深まっていた。
「……流人の身でありますのに、なにゆえ皆様方がこのように温かくお迎えくだされるのかがわかりません」
「貴殿は何の罪も犯していない。それに西村履三郎〈※にしむら・りさぶろう〉様の倅殿だから」
 常太郎は顔を上げて目を見開いた。はるばる流されてきたこの島の人々が、父親の名を知っていることに驚いたようだった。
「河内随一と言われる大庄屋だったお父上が、大塩平八郎先生とともに、なぜ何もかも捨てて挙兵されたか、それを島の者たちはよく知っています」(中略)
「誰のためにお父上は蜂起に身を投じたのか? 出鱈目な幕政の結果、困窮し飢餓に瀕している民のためだ。お父上は、民のためにすべてを捨てて戦ってくれた。この島の民も同じく困窮している。お父上は、自分たちのために戦ってくれた、言ってみれば恩人なのですよ。そして、それゆえに貴殿がこんな目に遭(あ)うこととなった。お父上に対する感謝と貴殿への申し訳ないとの思いです。大塩先生の檄文はご覧になったことは?」
「いいえ。……存じません」
「もちろん知るはずがない。周りにいた方々も常に監視されて、とても常太郎さんにそれを伝えることなどできなかったはずだ。大塩先生の檄文には、『やむを得ず天下のためと存じ、血族の禍(わざわい)をおかし、この度、有志の者と申し合わせ、下民(かみん)を悩まし苦しめている諸役人をまず誅伐(ちゅうばつ)いたし、引き続き驕(おご)りに増長しておる大坂市中の金持ちの町人どもを誅戮(ちゅうりく)におよぶ』とある。『血族の禍をおかす』すなわち、貴殿や母上、親類縁者にも禍がおよぶことはお父上もわかっていた。貴殿は、当時数え六つ。可愛(かわい)い盛りだ。お父上も断腸も思いだったろう……。(後略)」

【『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2015年/小学館文庫、2019年)以下同】

 父親の履三郎は蜂起の後、伊勢から「仙台、江戸へと渡り、江戸で客死」した。幕府は墓所から遺骸を取り出し、大坂の地で処刑した(大塩ゆかりの地を訪ねて④「八尾に西村履三郎の故地を訪ねる」: 大塩事件研究会のブログ)。

10月例会・フィールドワーク「西村履三郎・常太郎ゆかりの地を訪ねる」: 大塩事件研究会のブログ

 御科書(ごとがしょ)には「十五歳」とある。満年齢だと十四歳か。西村家は土地を没収され、一家断絶となる。まだ幼かった常太郎と謙三郎は親戚預かりを経て、15歳で配流(流罪)の処置が下った。

 飯嶋作品は歴史的事実に基づく小説である。言わば事実と事実の間を想像力で補う作品である。それを可能にしてしまうところに作家の創造性が試されるのだろう。

 大塩平八郎の乱が鎮圧され、1か月後に潜伏先を探り当てられて大塩が養子格之助とともに自害した際、火薬を用いて燃え盛る小屋で短刀を用いて自決し、死体が焼けるようにしたために、小屋から引き出された父子の遺体は本人と識別できない状態になっていた。このため「大塩はまだ生きており、国内あるいは海外に逃亡した」という風説が天下の各地で流れた。また、大塩を騙って打毀しを予告した捨て文によって、身の危険を案じた大坂町奉行が市中巡察を中止したり、また同年にアメリカのモリソン号が日本沿岸に侵入していたことと絡めて「大塩と黒船が江戸を襲撃する」という説も流れた。これらに加え、大塩一党の遺体の磔刑をすぐに行わなかったことが噂に拍車をかけた。

Wikipedia

 幕府の恐れと影響力の大きさが窺い知れる。京の都が餓死者で溢れ、流民が大坂へ流れて治安が悪化したという。政治は無策から暴政へ様変わりしていた。大塩平八郎はもともと怒れる人物であった。激怒は憤激と焔(ほのお)を増し、自ずと立ち上がらざるを得なくなったのだろう。英雄とは民の心に火を灯す人物だ。その輝きこそが未来への希望となる。

「最後に言っておきますが、もうあなたが本土の土を踏むことはないと思います。赦免だの何だのを願えば、苦しむだけのことです。そんなことはありえないと、覚悟を決めるしかありません。もちろん全く道理に反することをわたしが申し上げていることもわかります。ただこの島へ来て苦しみ早く死ぬのは、本土へ戻ることばかりを願っている者たちです。それでは生きられない。苦しみしかないのです。本当の人生などどこかにあるものではありません。ここで生きていることが真のあなたの姿であり、あなたの本当の人生だと思ってください。まことに申しわけないことですが。
 もちろん、あなたがこれまで誰にも教えられなかったこと、大塩先生の蜂起に関して、わたしが知っている限りのことはお教えします。あなたには知る権限がある。なぜお父上が蜂起し、なぜあなた自身がここへ流されて、ここで生涯を送ることになったのかを。それを知らなくてはとても生きていけないこともわかります。わたしが知る以上のことを知りたければ、わたしの朋輩(ともがら)に託します。それは約束します」

「淡い期待は持つな」との戒めである。弥左衛門は「幼さを許さなかった」とも言える。つまり大人として遇したのだろう。現実が苦しくなると人の思考は翼を伸ばして逃避する。虐待された子供は幻覚が見える(『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳)。大人だって変わりはあるまい。苦しい現実から目を逸(そら)して都合のよい妄想に浸(ひた)る。弥左衛門は「生きよ」と伝えたのだ。「ただ、ひたすら生きよ」と。


 常太郎が流されたのは島後島(どうごじま)で、隠岐諸島(おきしょとう)の一つである。常太郎は狗賓童子(ぐひんどうじ/島の治安を守る若衆)としての訓育を受け、更に医学を学んだ。父は悪政と戦い、成長した子は感染症と闘った。

 私が全作品を読んだ作家は飯嶋和一だけである。丸山健二は途中でやめた。『神無き月十番目の夜』以降の作品を読むと、圧政-抵抗という図式が顕著で戦前暗黒史観(進歩の前段階と捉えるマルクス史観)と同じ臭いがする。「ひょっとしてキリスト教左翼なのか?」という懸念を払拭することができない。

2021-12-08

自律神経免疫療法/『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔


『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
『血管マッサージ 病気にならない老化を防ぐ』妹尾左知丸
『いつでもどこでも血管ほぐし健康法 自分でできる簡単マッサージ』井上正康
『「血管を鍛える」と超健康になる! 血液の流れがよくなり細胞まで元気』池谷敏郎

 ・自律神経免疫療法

・『効く!爪もみ』鳴海理恵、一般社団法人気血免疫療法会監修
『自律神経が整う 上を向くだけ健康法』松井孝嘉
『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之

身体革命
必読書リスト その二

 じっさい、福田先生ほど欲のない人物を、私は知りません。
 一般に大病院で医師の職についていると、当たり前に仕事を続けていれば、それなりの地位が保証されているものです。ましてや福田先生は、新潟では腕利(うできき)きとして知られた外科医です。おとなしく普通に仕事をしていれば、輝かしい地位が約束されていたことでしょう。しかし、福田先生は、そんなものには、まったく拘泥(こうでい)することなく、自らが正しいと思う道を歩き続けているのです。その心の強さにはただただ頭が下がります。(安保徹〈あぼ・とおる〉)

【『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔〈ふくだ・みのる〉(講談社+α新書、2004年)以下同】

 安保徹は武田邦彦が「本物の医師」と太鼓判を押した人物である。専門は免疫学。著作が多いのでご存じの方もいるだろう。

 そうして(※浅見鉄男が主催する井穴刺絡〈せいけつしらく〉療法の勉強会に参加して)新潟に帰った私は、自律神経の動きを調べ、まずはアトピーやリウマチに悩まされている知人、友人数名を対象におそるおそる治療を始めたのである。治療というと何やら、大仰(おおぎょう)に聞こえるかもしれないが何のことはない、注射針を用いて頭や背中、それに手足の指の爪の生え際など、自律神経のツボをチクチクと刺激するだけのことである。
 するとどうだろう。それまで何年病院に通っても、効果らしい効果が現れなかった彼らの症状が、この簡単な治療をほんの数回、施すだけで、ほとんどの症例で、目に見えて好転しはじめたのである。「ほんとに効くんだ」――予想を上回る効果に患者も驚き、私自身も驚いた。
 そして、その結果に気をよくして私は、すべての病気にこの治療法で立ち向かおうと、固く心に決めたのである。こうして、注射針で自律神経を刺激する「チクチク療法」、いや「自律神経免疫療法」が誕生した。

 つけ加えておくと、私は長年、持ちなれたメスを捨てることにも、それまで最低でも週に2~3回はこもっていた手術室に足を向けないことにも、いささかのためらいも感じなかった。方法論なんぞ関係ない。患者がよくなればそれでいいのだ。

 そしてセルフ療法として編み出されたのが「爪もみ」である。やり方は簡単だ。


 爪の生え際の両際(2mm離れたあたり)を、反対側の親指と人差し指の爪で挟む。あるいは爪楊枝などで押す。10秒間を2~3回繰り返す。薬指は行わない。たったこれだけだ。足の指も同様に行う。

 私は耳鳴りが酷いので直ちに行った。まだ効果は現れないが気長に構えている。風呂上がりや寝る前に行うのがよい。