2014-09-12

1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ










The Greatest Silence: Rape in The Congo (Official Trailer)

強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2014-09-10

「悪は凡庸」ではない? 有名実験を新たに研究


 普通の人々を悪事に駆り立てるものとは何か──この問いについて哲学者や倫理学者、歴史家や科学者たちは何世紀も論争してきた。

 現代にも大きく通じる考えの一つは「ほとんど誰もが」、命令されれば残虐行為を働くことができるというものだ。独裁的な人物の命令や同調意識によって、我々はブルドーザーで家を押し潰し、本を燃やし、親から子どもを引き離し、彼らを殺すことさえやり遂げることができる。このいわゆる「悪の凡庸さ」は第2次世界大戦(World War II)中に何故、教育を受けた一般的なドイツ人が、ユダヤ人虐殺に加担したのかを説明する理論として引用されてきた。しかし、50年以上前に行われた世論形成実験を再検討した心理学者たちが今、再考を求めている。

「参加する者たちは自分たちが何をしているのか分からずに、ただそれを遂行することが目的になっている『考えや意識の無いしかばね』だとする『悪の凡庸さ』という概念だが、我々がデータを読み収集すればするほどそれを裏付ける証拠が減っていった」と、オーストラリア・クイーンズランド大学(University of Queensland)のアレックス・ハスラム(Alex Haslam)教授はいう。「我々の感覚とは一種の同一化であり、従ってすべての非道な行動の基には概して選択がある」

■偽の拷問実験とホロコーストの指揮者

 今回の検証で焦点となったのは、1961年に米エール大学(Yale University)の心理学者スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)氏が実施した伝説的な実験だ。

 この実験に協力したボランティアは「学習に関する実験をする」と聞かされ、単語を組み合わせて覚えたはずの「生徒役」が回答を間違えると電気ショックを与える「教師役」をさせられた。そして「生徒役」が間違えるたびに「教師役」のボランティアは、実験用白衣を着た博士のような人物から、電気ショックの電圧を上げるように命じられた。電圧の目盛は15ボルトから始まり、最高は致死電圧の450ボルトだった。

 しかし、実はこれは偽の実験だった。「生徒役」は役者で、実際には電流も流されていなかった。実験中、「教師役」のボランティアからは「生徒役」の姿は見えず、聞こえていたのは声だけだった。

 だが驚くことに「生徒役」が止めてくれるよう懇願したり、泣き叫んだりするのが聞こえても、「教師役」のボランティアの3分の2近くが「致死の電圧」に至るまで、実験を続行した。この実験は、命令を受けている下で、いかに良心が抑制され得るかを示す例として様々な教科書で取り上げられるようになった。

 さらにこの実験での発見は、ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関与したナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の1961年の裁判を扱った政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)の画期的な著書と一致するものだった。  アーレントが見たアイヒマンは、思い描いていたような怪物的な人物像とは程遠く、むしろつまらない官僚的な人物だった。このことからアーレントは、普通の人間が周囲に同調することによって残虐行為を犯す可能性を言い表すために「悪の凡庸さ」という言葉を生み出したのだった。

■実験に肯定的だったボランティアたち

 英心理学専門誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー(British Journal of Social Psychology)」に発表された新たな研究は、先の実験の中で「教師役」とされたボランティアたちについて、さらに詳しく調査した。研究チームがエール大学の保管庫から探し出したのは、実験終了後、実験の真の目的と、拷問が嘘だったことを告げられたボランティアたちが書き残したコメントだった。

 ボランティア800人のうち感想を書き残したのは659人。このうち実験中に不安や苦痛を感じたと答えたボランティアは一部で、多くは実験について肯定的に報告し、一部には極端に肯定する者もいた。

 例えば「このような重要な実験に参加することでのみ、人は良い気分になれる」「人間と他者に対する態度の発達について、ささいな方法ながらも貢献できたと感じる」「こうした研究が人類に寄与するものだと考えるのならば、もっとこうした実験を行うべきだと言える」といった感想だ。

 こうした幸福そうなコメントは、電気ショックが偽物で、従って誰も傷つけてはいなかったことが分かった安堵(あんど)感に由来したのだろうか。

 そうではない、と今回の研究の論文は主張する。義務を果たしたことや、価値あることに貢献したという喜びが、コメント全般にみられた。ミルグラムは実験前、ボランティアたちに具体的な内容は告げずに、しかし、これから行う実験は知識を進化させるものだと告げていた。

 参加者たちが名門エール大学に対する畏敬の念も働いた。コネチカット(Connecticut)州ブリッジポート(Bridgeport)のオフィスで同じ実験を行ったときよりも、服従の度合が高かったからだ。論文は、ボランティアたちが「白衣の監視役」に無気力に従ったのではまったくなく、自分たちは「科学」という崇高な目的のために実行しているのだという信念を持って、電気ショックをエスカレートさせていったのだと指摘している。

 クイーンズランド大学のハスラム氏は「こうした場合、倫理的問題は通常考えられているよりも、もっと複雑だ。ミルグラムは明らかに参加者の不安を和らげた。有害なイデオロギー、つまり他の場合ならば非道なことでも、科学という大義のためであれば容認できるという考えを、参加者に信じ込ませることによって」と述べた。

 英セント・アンドリューズ大学(University of St Andrews)のスティーブン・ライヒャー(Stephen Reicher)教授は今回の研究は、一般的な人物が異常なほどの実害を及ぼす行動を起こす可能性を指摘し、しかしそのときに主要因となっているのは思慮の欠如ではないことを示していると述べた。そして教授は「人々は自分たちが何をしているのか自覚していて、しかも、それを正しいことだと思ってやっているのだというのが、我々の主張だ。この根源にあるのは大義との一体化であり、権力がその大義を正当に代表していると容認するところから来ている」と語った。

AFP 2014-09-09

『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス

2014-09-06

知覚系の原理は「濾過」/『唯脳論』養老孟司


『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

 ・唯脳論宣言
 ・脳と心
 ・睡眠は「休み」ではない
 ・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
 ・知覚系の原理は「濾過」

『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 知覚系の原理は、したがって、試行錯誤ではない。それは「濾過」である。現にあるものの中で、どれを取り、どれを捨てるか。目は可視光しか感知しない。同様に耳は可聴域の音しか聞かない。そこではすでに、自然に存在するものは適当に「濾過」されている。
 運動系は別である。間違った行動をして、餌をとりそこなった動物なら、行動を訂正する必要がある。しかし、たとえ行動全体は間違っていても、筋肉は言われたとおり動いている。その点で筋肉を叱るわけにいかないとすれば、運動系はその都度の運動全体の適否の判断を、どこかに預けざるを得ない。そこから目的意識が生じる。目的にとっては、さまざまな手段があり得る、というわけである。しかし、運動全体を基礎づけているのは、そもそも試行錯誤の原則である。

【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

 私は幼い頃から「ものが見える」ということが不思議でならなかった。幽霊なんかよりも、幽霊が「見える」ことの方が重要だ。そしてもっと不思議なことは我々の目は何でも見えるわけではないという事実である。見えるものは可視光線に限られるのだ。つまり膨大な情報にさらされていながらも、実際は限定的な情報でそれを「世界」と認識しているわけだ。

 しかも知覚の原理が濾過にあるとすれば、生存に有意な情報をピックアップし、それ以外は捨て去っていることになる(意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。「お前の目は節穴か?」「御意」。

 言葉にしても同様だろう。我々は自分の興味がない情報に対しては恐ろしいほど冷酷だ。どうでもよいことは無視するに限る。かつて小泉首相が「ワンフレーズ・ポリティクス」と批難されたが、私を筆頭とする国民の大多数はそのわかりやすさに反応した。考えようによってはマントラだってワンフレーズだ。結局のところ人間は覚えていられる範囲の情報しか受け取ることができないのだろう。

 運動は反復によって洗練されるが、知覚を洗練することは可能だろうか? 世界をまったく新しい目で見つめ直すことができるのだろうか? たぶん瞑想するしかない。そんな気がするよ。

巨大グモが街を襲う

2014-09-05

プラハの春と朝日新聞


 そこにいた記者のほとんど全部がウオツカなどで酔っ払っていた。酔い泣きに泣いている者までいた。さほど酔っていない記者が説明してくれたという。「プラハの特派員がこの侵入と弾圧はよくない、と打電してきているのに、その正反対を書かねばならないからだ」▼「酔ってでもなければ、そんなことは書けない」。1968年、チェコスロバキアの民主化の動き「プラハの春」をソ連が戦車で蹂躙(じゅうりん)したあと、モスクワでソ連共産党機関紙プラウダの編集局を深夜ひそかに訪ねたときの光景を、作家の堀田善衛が書き残している。党機関紙であっても記者の心根に変わりはないと知った。▼朝日新聞が一度は掲載を拒んだジャーナリスト池上彰さんのコラムを、「判断は適切でなかった」という謝罪とともにきのう載せた。その間、朝日の記者たちがインターネット上に実名で意見を公にしている。「掲載拒否」に「はらわたが煮えくりかえる」、掲載後は「拒否した理由がますます分からない」というふうに。▼慰安婦報道に対する朝日の検証を、池上さんは「遅きに失した」「謝罪もすべきだ」と批判した。しかし朝日を侮辱しているようには読めない。なのに、なぜ記者の心根とかけ離れた方針になったのか。記者の不満が紙面以外のどこかに噴き出すのはいいことなのか。民主主義の国だってメディアは危うさをはらんでいる。

春秋/日本経済新聞 2014年9月5日

2014-09-01

ヨーロッパの拡張主義・膨張運動/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀


『ものぐさ精神分析』岸田秀

 ・現代心理学が垂れ流す害毒
 ・文明とは病気である
 ・貧困な性行為
 ・ヨーロッパの拡張主義・膨張運動

『唯脳論』養老孟司

 実際、この伝染病(※=ヨーロッパ文明)の基本要素である、他人(他の生命)を単なる手段・物質と見るあくなきエゴイズムと利益の追求、不安(劣等感、罪悪感)に駆り立てられた絶対的安全と権力の追求、最小限の労力で最大限の成果をあげようとする能率主義は、いったんその方向に踏み出せば、そのあとは坂道をころげ落ちる雪ダルマのような悪循環がかぎりなくつづくのみである(原水爆は、ヨーロッパ近代的自我の確立、エゴイズムと能率主義の必然的帰結である)。どこにも歯止めがない。そして無菌者は必ず保菌者に負け、同じ保菌者になるか(日本)、滅び去るか(インディアン)、あるいは閉じこもって難を避けるか(未開民族)しかない。歯止めのないこのヨーロッパ文明に歯止めをかける文明が現われ得るであろうか。それとも人類は悪循環の果てに奈落の底に落ち込むのであろうか。

【『続 ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、1982年/『二番煎じ ものぐさ精神分析』青土社、1978年と『出がらし ものぐさ精神分析』青土社、1980年で構成)】

 ヨーロッパの拡張主義・膨張運動はアレクサンドロス大王(紀元前356-紀元前323年)に始まり、十字軍(1096-1272年)、大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を経て、産業革命(18世紀半ば-19世紀)・資本主義経済に至り、帝国主義植民地主義を生んだ。

 その歴史的な結晶がアメリカであると考えてよい。新自由主義は世界各国に壊滅的なダメージを与え(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)、サブプライム・ショック~リーマン・ショックとなって破裂した。こうしてシカゴ学派は敗れ去った。大銀行は国家の資本注入によって辛うじて生きながらえた。先進国という先進国が社会主義色の強い保護主義に舵を切った。

 それにしても「無菌者は必ず保菌者に負け、同じ保菌者になるか(日本)、滅び去るか(インディアン)」との指摘が手厳しい。平和的な民族は必ず攻撃的な民族によって滅ぼされる。

 本来であればアメリカやEUに対抗し得るアジア・ブロックを形成すべきだとは思うが、中国と韓国の反日感情がそれを許さない。中国の共産党支配を引っくり返すか、日中戦争になるかはこの10年ではっきりするだろう。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2014-08-31

南ア歌姫ミリアム・マケバさんの生涯、マンデラ氏が追悼の辞


 10日に死去した南アフリカの歌手、ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)さんの悲報を受け、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領は同日、追悼のコメントを発表した。

 マンデラ氏は、「彼女は南アフリカの歌の世界におけるファーストレディーであり、『ママ・アフリカ』のタイトルにぴったりの人物だった。われわれの闘争(=反アパルトヘイト闘争)、われわれの新生国家の母親的存在だった」と語った。

 マケバさんは9日、著書『死都ゴモラ(Gomorra)』をめぐってマフィアから命を狙われている作家のロベルト・サヴィアーノ(Roberto Saviano)氏のためにナポリ(Naples)近郊のカステルボルトゥルノ(Castel Volturno)で開かれたコンサートに出席。30分熱唱した後に倒れ、アンコールの大合唱の中、手当を受け、病院に運ばれたが心臓発作のため間もなく死亡した。

 1932年3月4日にヨハネスブルク(Johannesburg)で、スワジ(Swazi)人の母親とコサ(Xhosa)人の父親の間に生まれた。南アフリカの人気バンド「マンハッタン・ブラザーズ(Manhattan Brothers)」の女性ボーカルとしてデビュー。1959年の全米ツアーで、その名を世界に知らしめるにいたり、アフリカ大陸を代表する伝説的な歌姫となった。2005年に引退を決意し、さよならコンサートを世界各地で開催した。

■生涯の光と影

 マケバさんは、反アパルトヘイト闘争を展開していたマンデラ氏が獄中生活を送っていたころ、歌を通じてアパルトヘイト反対を訴えていた。1959年、映画『キングコング(King Kong)』のミュージカルに出演して南アフリカでの名声を確立したが、同年に反アパルトヘイトの映画『Come Back, Africa』に出演したことで、南アフリカ政府は1960年、マケバさんの市民権をはく奪。持ち歌の放送なども禁止した。母親の葬式に参加するための帰国も許されず、30年以上にわたる亡命生活を欧米やギニアで送った。

 その後、1965年にハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)との共作でグラミー(Grammy)賞を受賞。1967年に「パタ・パタ(Pata Pata)」が大ヒットする。

 生涯に5回結婚したが、1968年に3人目の夫、米国で急進的な公民権活動を展開していたブラックパンサー党(Black Panthers)の指導者ストークリー・カーマイケル(Stokely Carmichael)氏と結婚した際には、米国内で怒りを買い、いくつかのコンサートがキャンセルされるとともに契約も解消されるという事態にまで発展した。 

 生活はしばしば困窮した。ひとり娘が1985年に36歳で亡くなったときには、ひつぎを買うお金も持ち合わせていなかった。

 自伝の中で、子宮頸(けい)がんをわずらっていることを告白。アルコール中毒とのうわさは否定した。

 1987年に米歌手ポール・サイモン(Paul Simon)が「グレースランド・ツアー」で、南アフリカの隣国ジンバブエで公演を行った際には、マケバさんも参加した。1990年代初頭にマンデラ氏が釈放され、アパルトヘイト体制が崩壊すると、約30年ぶりに帰国を許された。

■各界から追悼の辞

 南アフリカの与党アフリカ民族会議(African National Congress、ANC)のジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)党首は、「ミリアム・マケバは人々を楽しませるだけではなく、アパルトヘイトの下で抑圧された数百万人の気持ちを代弁するために、自分の声を駆使した」と追悼の弁を述べた。

 セネガルの歌手ユッスー・ンドゥール(Youssou Ndour)さんは、マケバさんの死を「アフリカにとって、アフリカ音楽とすべての音楽にとって、大きな損失だ」と惜しんだ。

AFP 2008年11月13日









わたしは歌う―ミリアム・マケバ自伝 (福音館日曜日文庫)

2014-08-29

ドゥードゥー・ンジャイ・ローズ / Doudou N'Diaye Rose


 ドゥードゥー・ンジャイ・ローズはセネガルの人間国宝。マイルス・デイヴィスやローリング・ストーンズとも共演したことがある。

軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り/『ものぐさ精神分析』岸田秀


宗教とは何か?

 ・唯幻論の衝撃
 ・吉田松陰の小児的な自己中心性
 ・明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物
 ・軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り

『続 ものぐさ精神分析』岸田秀

 日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。そのアメリカへの憎悪にはすさまじいものがあった。この憎悪は、単に鬼畜米英のスローガンによって惹き起こされたのではなく、100年の歴史をもつ憎悪であった。日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。
 軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤りである。いくら忠君愛国と絶対服従の道徳を教えこまれていたとしても、国民の大半の意志に反することを一部の支配者が強制できるものではない。この戦争は国民の大半が支持した。と言ってわるければ、国民の大半がおのれ自身の内的自己に引きずられて同意した戦争であった。軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう。

【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】

 特定の思想・信条・宗教を持つ者は必読のこと。岸田唯幻論に価値観を揺さぶられるのは確実だ。吉本隆明が『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)で国家というシステムは共同幻想であると説いたが、岸田は価値観そのものを幻想と捉えている。

 抑圧された感情は消えることがない。意識から無意識へと追いやられても超自我となって自我に影響を及ぼす。

 黒船来航を「強姦」と表現したのは司馬遼太郎であった(『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー:トレヴィル、1986年)。そこから太平洋戦争敗北に至るまでの日本を一人の人格と見なして岸田は精神分析を試みた。

 黒船来航(1853年)から88年後に太平洋戦争(1941年)が始まった。1945年の東京大空襲と原爆投下は日本人のメンタリティをずたずたにした。東京裁判を経て戦後教育が自虐史観を植えつけても抑圧された感情は消えることがない。そして今まさに日本国民は歩調を揃えるようにして右方向へ歩みつつある。

 何事においても責任を自分の外部に求めることは、その容易さゆえに自分を変革することがない。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2014-08-28

斎藤喜博著『君の可能性 なぜ学校に行くのか』が文庫化


 ちくま少年図書、1970年/ちくま文庫、1996年

君の可能性―なぜ学校に行くのか (ちくま文庫)

 君はどうして学校へ行って勉強しなければならないのだろう、と考えたことはないだろうか? また、僕なんかもうだめなんだ、と思ったことはないだろうか? 人間はだれでも無限の可能性を内に秘めているのだ。どうしたらその可能性がひらかれるのか、数々の事実に基づいて“君の可能性”について語ってくれる本。

斎藤喜博
便所に咲いた美しい花/『詩の中にめざめる日本』真壁仁編

2014-08-25

大人数のいたずら


 仕掛けがいつになく凄い。ま、社会もこんなもんだろう。

ジョー・オダネルと日本人の交流


 昭和20年の夏も盛りを過ぎたころ。占領軍の一員として日本に上陸した米国の従軍写真家ジョー・オダネルさんは福岡の農村で、ある墓を見る。木で手作りした十字架に、「米機搭乗員之墓」とある。墜落した米軍機の搭乗員を、地主夫妻が手厚く葬ったものだと知る。▼「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」と地主の妻は語った。別の日、ある市の市長宅でごちそうを振る舞われる。奥さんが作ったのだと考え「奥様にお会いしたい」と請うと、市長は穏やかに答えた。「1カ月前の爆撃で亡くなりました」。オダネルさんは動揺し、おわびを述べ、逃げるように宿舎に帰った。▼敵国日本を憎み軍に入ったオダネルさんは、こうして現実の日本人と交流を重ねる。教会で仲良く並ぶ米兵の靴と日本人の草履を見て、このように皆が平和に暮らせればいいと思うようになった。撮影された写真と体験記は「トランクの中の日本」という題で出版され、2007年の没後も増刷されるロングセラーになる。▼日本の最大の資産は誠意、寛容、潔さを備えた日本人だとの説がある。戦後、政府と占領軍の交渉でも日本側の誠意が米側の好意を引き出したと、五百旗頭真氏は「占領期」に書いている。オダネルさんの場合も市井の日本人が元敵兵の価値観を変えた例だ。毎年この時期、混乱の中で礼節を失わなかった先人たちを思う。

【春秋/日本経済新聞 2014-08-25】

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
米軍カメラマンが見た長崎

2014-08-23

土砂災害の前兆現象



2014-08-22

和気優 魂の弾き叫びロード


 和気はロックバンド「JACK KNIFE」のリードボーカルを務めたミュージシャン。和気孝典改め優。消費よりもコミュニケーションを選ぶところに本物の歌手魂を見る。





2014-08-19

化け物とは理性を欠いた動物/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世


『魔女狩り』森島恒雄

 ・コロンブスによる「人間」の発見
 ・キリスト紀元の誕生は525年
 ・「レメクはふたりの妻をめとった」
 ・化け物とは理性を欠いた動物

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔
『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書
必読書リスト その四

 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。

【『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、1996年)以下同】

 すなわち彼らが認識する理性とは、「神を理解できる能力」を意味する。東アジアの道理とは異なるので注意が必要だ。アウグスティヌス(354-430年)については、ま、アリストテレスに次ぐ思想的巨人と考えてよかろう。で、奴の議論は植民地主義の理念そのものである。大航海時代の1000年も前からこういう人物がいたのだから堪(たま)ったものではない。

 普遍史的な世界では、ヨーロッパ以外の地は、妖怪的な人間、つまりは劣った人間たちの住む世界であり、ヨーロッパ人と同一の人間が住む場所ではなかった。こうした伝統的世界観への執着が、この議論の、もう一つの心理的背景となっていると考えるのである。

 聖書に基づく史観を普遍史というのだが、これに対するキリスト教の反省はなされたのだろうか? ひょっとすると我々ジャップはいまだにイエローモンキーと見られている可能性がある。

 ダグラス・マッカーサーが「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である」(日本人は「12歳」発言)と述べたことは広く知られるが、彼にとって民主主義の成熟度は日本をキリスト教化することに他ならなかった。あいつは偉大なる宣教師のつもりだったのかもしれない。

 学問的にキリスト教を検証し、普遍史の誤謬を衝くメッセージをアジアから放つべきだろう。

2014-08-17

目撃された人々 59

2014-08-16

癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン


 私の治療法は主として、肉体の栄養状態の改善を武器とする治療法である。この領域で発見されたこと、およびその応用法の具体的な内容の多くは、すでに科学的な研究によってその確かさが確認されている。

【『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン:今村光一訳(徳間書店、1989年)以下同】

 原書が刊行されたのは1958年(昭和33年)のこと。マックス・ゲルソン(1881-1959年)は1946年にアメリカ議会の公聴会で自身の研究を発表したが耳を貸す人はいなかった。きっと半世紀以上も時代に先んじていたのだろう。

 その後、様々な技術が進展することで、農業・畜産業は工業と化した。土壌のバクテリアを死滅させ、農薬をまき散らし、現在では遺伝子をも操作し「自殺する種」(『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子)が世界中に出回っている。

 家畜には成長を促進するためのホルモン剤や抗生物質が大量に投与されている。加工食品には防腐剤や得体の知れない食品添加物がてんこ盛りだ。市場に出回る食料品はそのすべてが微量の毒に侵されているといっても過言ではあるまい。

 公認の治療法とは別のガンの治療法を世間に公表することには、大きな困難が伴う。また非常に強い反応が起きることもよく知られている。しかし慢性病、とくにガンの治療に関して、多くの医者が持っている根深い悲観主義を一掃すべき時期はもう熟したはずである。
 もちろん何世紀にもわたってきたこの悲観主義を、一挙に根こそぎにするのは不可能である。医学を含む生物学の世界が、数学や物理学の世界のように正確なものでないことは、誰でも知っている。
 私は現代の農業や文明が、われわれの生命に対してもたらしてきた危機を全て一掃し、修復するこはすぐには不可能だろうと心配している。私は人々が人間本位の立場から一つの考えにまとまり、古来のやり方によって、自分の家族と将来の世代のためにできるだけ自然で精製加工していない食品を提供するようになることこそが、もっとも大切なことだと信じている。
 一般的な退化病やガンの予防、そしてガンの治療に必要な有機栽培の果物や野菜を入手することは、今後は今までよりなお難しくなりそうである。


「大きな困難」「非常に強い反応」とは医学界の保守的な傾向もさることながら、製薬会社の利権に関わってくるためだ。世界1位のファイザー(米国)の売り上げは500億ドル前後を推移している(世界の医薬品メーカーの医薬品売上高ランキング2013年)。国内トップは武田薬品工業で157億ドル弱となっている。

 薬漬けにされる精神疾患の場合が特に酷い。エリオット・S・ヴァレンスタイン著『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』を読めば、病気そのものがでっち上げられていることがよくわかる。しかし溺れるものが藁(わら)を掴(つか)むように病者は薬を求める。医療は現代の宗教であり呪術でもある。我々は医師の言葉を疑うことが難しい。ひたすら信じるだけだ。よく考えてみよう。医者は裁判官のようなものだ。彼らは過去の例に基づいた発想しかできない。しかも西洋医学は対症療法である。患部を切除あるいは攻撃する治療法が主で、身体全体に対する視線を欠いている。患者はまな板の上の鯉みたいなものだ。

 私の基本的な考えは、当初から次のようなものであり、これは今もまったく同じである。
 ノーマルな肉体は、全ての細胞の働きを正常に保たせる能力を持っている。だから、この能力は異常な細胞の形成やその成長を防ぐものでもある。したがってガンの自然な療法の役割とは、肉体の生理をノーマルなものに戻してやるとか、できる限りノーマルに近いものに戻してやることに他ならない。そして次に、代謝のプロセスを自然な平衡状態の中に保たせるようにするのだ。

 自然治癒力の発揮と言い換えてもよい。病は身体が発するサインなのだ。マックス・ゲルソン博士は友人であったアルベルト・シュバイツァーの糖尿病とシュバイツァー夫人の肺結核をも食事療法で完治させている。

 マックス・ゲルソンは2冊目となる著書の出版を準備していた時に急死する。そして跡形もなく原稿も消えていた。毒殺説が根強い。その死を悼(いた)んでシュバイツァーは次のように語った。

「ゲルソン医師は、医学史上もっとも傑出した天才だと思う。いちいち彼の名は残っていないが、数多くの医学知識のなかに、じつは彼が考え出したというものが多くある。そして、悪条件下でも多くの成果を出した。遺産と呼ぶにふさわしい彼の偉業が、彼の正当な評価そのものだ。彼が治した患者たちが、その証拠である」(マックス・ゲルソン医師について

 尚、本書は医学書のためかなり難解な内容となっている。関連書と私がゲルソン療法を知った動画を紹介しておこう。具体的な食事療法については「ゲルソン療法とは」のページを参照せよ。一人でも多くの人にゲルソン療法を知ってもらえればと痛切に願う。

ガン食事療法全書決定版 ゲルソンがん食事療法ゲルソン療法―がんと慢性病のための食事療法あなたのがんを消すのはあなたです 厳格なゲルソン療法体験記


『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
筋肉と免疫力/『「食べない」健康法 』石原結實

2014-08-15

魔女狩りは1300年から激化/『魔女狩り』森島恒雄


『科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳

 ・魔女は生木でゆっくりと焼かれた
 ・魔女狩りの環境要因
 ・魔女狩りの心情
 ・魔女狩りは1300年から激化

『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 フランスのジェルベールは、中世における科学ルネサンスの最初の曙光として科学史の上で記念される人物であるが、当時は呪術師として有名であった。しかしそれにもかかわらず、シルヴェステル2世(999-1003年)としてローマ法王の位にすらつくことができたのである。「呪術師」は、魔女裁判時代では「魔女」となる。もう500年後だったら、法王どころでなく、焼かれたかも知れなかった。

【『魔女狩り』森島恒雄(岩波新書、1970年)以下同】

 呪術と科学の親和性は、錬金術から化学が生まれたことを思えば別に不思議ではない。「化学を英語でケミストリー(Chemistry)というのが、この語源となっているのが錬金術を英語で指す言葉のアルケミー(Alchemy)なのである。近代になるまで化学と錬金術は同一視されていたのだ」(『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編)。中世は宗教から科学へと向かう季節であった。ヨーロッパでは教会が学問を支配していた。グーテンベルク革命(1439年)の後も識字率はまだ低かったことだろう。当時、科学的な発見は神の絶対性を証明するものだった。

 ともあれ、以上で明らかなことは、魔女は12~13世紀ごろまではまだ安泰であったと結論できることである。
 ところが、1300年を境として事態は一変する。魔女に対する教会の態度が、にわかに硬化するのである。魔女の歴史は、ここで、平穏だった古い魔女時代を終えて、不安動揺の時代に入ることになるが、その転機は「新しい魔女」の大量出現であった。

 環境史的に見ればちょうど小氷期に当たっている。戦争を始めとする人類の混乱は寒さに由来すると考えてよさそうだ。

 しかし、教会のこの寛容さはしだいに失われていき、12世紀の終りごろ、にわかに態度は逆転し、13世紀に入れば異端者の処罰は火刑が通則となり、審問には拷問も法皇によって許可されることになるのである。
 この教会の態度の急変は、12世紀に勃発した大規模でラディカルな異端運動が教会当局に与えた深刻な衝撃、危機感であった。

 様々な研究によって現在では魔女狩りの規模を縮小する傾向が強く、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」(Wikipedia)と考えられている。歴史とは現在を正当化するものゆえ、常に書き換え・更新が繰り返される。ナチスによるホロコーストの歴史ですら定かではないのだ(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

 ヨーロッパの歴史は血塗られている。十字軍(1096-1272年)、百年戦争(1337-1453年)、三十年戦争(1618-1648年)、そしてレコンキスタ(718-1492年)。帝国主義・植民地主義を生んだのもキリスト教であった。アングロサクソンが第二次世界大戦で勝利を収め、キリスト教世界は今尚延命している。

 一神教を深く問い直す学問が必要だ。そうでなければ人類はいつまでも戦争に向かうことだろう



欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人

2014-08-13

合理性を阻む宗教的信念/『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳


『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳

 ・自由とは良心に基いた理性
 ・合理性を阻む宗教的信念

『魔女狩り』森島恒雄

 普通の人の心の世界は、自分が文句なしに容認し固く執着している信念から成り立っている。このなじみ深い世界の既成の秩序を覆(くつがえ)すようなものに対しては、普通の人は本能的に敵意をもつものである。自分のもっている信仰の一部分と矛盾するような新しい思想は、その人の頭脳の組替えを要求する。ところがこれは骨の折れる仕事であって、脳エネルギーの苦しい消耗が強要される。その人と、その仲間の大衆にとっては、新しい思想や、既成の信仰・制度に疑惑を投げかけるような意見は不愉快であり、だからそれは彼らには有害な意見に見えるのである。
 単なる精神的なものぐさに原因する嫌悪感は、積極的な恐怖心によってさらに増大する。そして保守的本能は、社会機構をも少しでも改変すると社会のよって立つ基盤が危うくなるとの保守的理論へと硬化する。国家の安寧(あんねい)は強固な安定と伝統・制度の変わりない維持とに依存するものだという信仰を人々が放棄しはじめたのは、ようやく最近のことである。その信仰がなお行なわれているところでは、新奇な意見は厄介視されるばかりでなく、危険視される。公認の原則について「何故に」とか「何のために」というような面倒な疑問を発するような人間は、有害な人物だとみなされるのである。
 保守的本能とそれに由来する保守的理論とは、迷信によってさらに強化される。慣習と見解の全部を包含する社会機構が、もしも宗教的信仰と密接に結びつき、神の比護のもとにあると考えられているような場合には、社会秩序を批判することは涜神(とくしん)を意味し、また宗教的信仰を批判することは超自然的神々の怒りに対する直接の挑戦となる。
 新しい観念を敵視する保守的精神を生み出す心理的動機は、既成の秩序やその土台となっている観念を維持するのに利害を共にする階級、カースト、祭司というような、地域社会の有力な諸階層の積極的な反対運動によってさらに強化される。

【『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳(岩波新書、1951年)】

 人類にパラダイムシフトを促してきたのは常に冷徹な科学的視点であった。現実を鋭く見つめる科学者の頭の中から世界は変わり始める。それは緩やかに知の積み重ねを通して人々に広がってゆく。かつて地球は平面であると考えられていた。天動説や魔女の存在を信じていた時代もあった。

 科学の世界とて例外ではない。アインシュタインは一般相対性理論から宇宙が収縮するケースが導かれることを見出し、宇宙定数を方程式に盛り込むことで帳尻を合わせた。それから12年後、エドウィン・ハッブルの観測によって宇宙が膨張している事実が判明した。アインシュタインは宇宙定数を「生涯最大の過ち」と悔いた(『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン)。彼は定常宇宙を信じていたのだ。

 信念が相関関係を因果関係に書き換える。脳を支配するのは物語だ。その最たるものが宗教であろう。

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 不幸が祟(たた)りの物語をつくり、僥倖は祝福の物語を形成する。脳は偶然をも必然と捉える。

 ホワイトの指摘は認知科学によって具体的に証明されている。

誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 私が不思議でならないのは、なぜキリスト教よりも合理的な仏教から学問的な統合知が生まれ得なかったのかという一点である。これは研究に値するテーマだと思う。



新しい信念と古い信念が拮抗する/『ゾーン 最終章 トレーダーで成功するためのマーク・ダグラスからの最後のアドバイス』マーク・ダグラス、ポーラ・T・ウエッブ

ガザを見よ




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巨利をむさぼる 精神医療業界


診断・統計マニュアルDSM精神医学による悪徳商法

2014-08-11

武田邦彦:また起こったメディア殺人…笹井さんの自殺と浅田農園の老夫婦の自殺


 旭化成(母体は水俣病を引き起こしたチッソ)にいた武田であればこそメディアバッシングの本質が見えるのだろう。

化物世界誌と対蹠面存在否定説の崩壊/『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳


『科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳

 ・権威者の過ちが進歩を阻む
 ・化物世界誌と対蹠面存在否定説の崩壊

『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳
『魔女狩り』森島恒雄
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 神が保障した法皇の《無過失性》によってこの古い神学的見解はあらためて再確認され、人間は地球の片側だけに存在するものだという説はこれまで以上に正統的となり、教会にとっていっそう尊重すべきものとなった。(8世紀)

【『科学と宗教との闘争』ホワイト:森島恒雄訳(岩波新書、1939年)以下同】

 これを対蹠面(たいせきめん)存在否定説という。対蹠とは正反対の意で、対蹠地というと地球の裏側を指す。当時のヨーロッパではまだ地球が球形であるとの認識はなかった。そのため対蹠【面】との訳語になっているのだろう。ただしギリシャでは紀元前から地球は丸いと考えられていた。

 神が万物を創造したとする思考において世界とは聖書を意味する。つまり聖書に世界のすべてがあますところなく記述されており、あらゆる学問を神の下(もと)に統合した。これが本来の世界観である。決して世界が目の前に開いているわけではなく、価値観によって見える外部世界は大きく変わるのだ。

 当時、神の僕(しもべ)である人間はヨーロッパにしか存在しないものと考えられていた。そしてヨーロッパから離れれば離れるほど奇っ怪な姿をした化け物が棲息していると彼らは想像した。これを化物世界誌という(『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世)。

ヘレフォード図(クリックで拡大)→化物世界誌を参照せよ

 しかし、1519年にいたって、科学は圧倒的な勝利を博した。マゼランがあの有名な航海を行なったのである。彼は地球がまるいことを実証した。なぜなら、彼の遠征隊は地球を一周したからだ。彼は対蹠面存在説を実証した。なぜなら、彼の乗組員は対蹠面の住民を目撃したのだから。だが、これでも戦いは終らなかった。信心深い多くの人々は、それからさに200年の間この説に反対した。

 これが世界観の恐ろしいところだ。ひとたび構築された物語があっさりと事実や合理性を拒絶するのだ。ただしマゼランの世界一周が化物世界誌と対蹠面存在否定説崩壊の端緒となったことは間違いない。

 クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸の島に上陸したのは1492年のこと。インディアンと遭遇した彼らが戸惑ったのは、インディアンの存在が聖書に書かれていなかったためであった。

 信心深い人々は妄想を生きる。ニュートンを筆頭とする17世紀科学革命はまだ神の支配下にあった。しかし魔女狩りの終熄(しゅうそく)とともに、科学は神と肩を並べ、やがて神を超える(何が魔女狩りを終わらせたのか?)。

 例外はアメリカで今尚ドグマに支配されている(『神と科学は共存できるか?』スティーヴン・ジェイ・グールド)。世界の警察を自認する国が妄想にとらわれているのだから、世界が混乱するのも当然だ。



「エホバの証人」と進化論

2014-08-08

物語に添った恣意的なデータ選択/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・ギャンブラーは勝ち負けの記録を書き換える
 ・知覚の先入観
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦』デイヴィッド・J・チャーマーズ

必読書リスト その五

 重要な点はまさにここにある。後づけでならば、どんなデータでも最も特異な部分を見つけて、そこにだけ都合のいい検定法を施すことができるのである。しかしながら、正しい教育を受けた科学者は、(あるいは、賢明な人であれば誰でも)こうしたことを行なわない。というのも、統計的な分析を事後的に行なうと偶然の要因を正しく評価することができず、分析そのものが意味のないものになってしまうことをよく理解しているからである。科学者たちは、上述のような見かけ上の偏りからは仮説を立てるにとどめ、その仮説を独立な一連のデータによって検証しようとする。こうした検証に耐えた仮説だけが、真の仮説として真剣に検討されるのである。
 不都合なことに、一般の人々の直感的な判断は、こうした厳密な制約を受けることがない。ある結果にもとづいて形成された仮説が、その同じ結果によって検証されたと見なされてしまうのである。ここでの例がそうであるように、人々は、データを事後的に、また選択的に読み取ることにより、見かけ上の特異性を過大評価し、その結果、何もないところに秩序を見つけ出すことになってしまうのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子訳(新曜社、1993年)】

 内容は文句なしなのだが翻訳が悪い。文末が「ある」だらけで文章のリズムが最悪。茂木健一郎に新訳をお願いしたいところ。

 トヨタの自動車を購入した人の殆どはホンダ車の優れた情報には注目しない。それどころか過小評価をする傾向がある。つまり我々は常に「自分の選択が正しかった」ことを証明する目的で情報の取捨選択を行っているのだ。

 もっとわかりやすい例を示そう。ロシアにおけるスターリン、中国における毛沢東の評価だ。このご両人は人類史上最大の殺戮者である。社会主義国では党が価値観を決定する。ま、資本主義の場合はメディアが価値観を決めているわけで、それほど大差はない。錯覚としての自由があるかないかだけの話だ。

 特定の思想や信仰、はたまた理想や強い憧れを抱く者ほど「物語に添った恣意的なデータ選択」を行う。結婚詐欺師に惚れてしまった女性を説得することは難しい。我々の眼はアバタをエクボと認識することが可能なのだ。

 相関関係は因果関係ではない(『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン)。ところが我々は「火のないところに煙は立たない」はずだと確信して評判や噂話の類いを真に受け、縁起を担ぎ、名前の画数や星座・血液型に運勢を委ねる。朝、目が覚めて枕元にプレゼントがあればサンタクロースの存在を信じるような判断力だ。

 思考も複眼でなければ距離感をつかめない。プラスだけではなくマイナスをも考慮し、誤差にまで目を配り、外側だけではなく内側からも見つめ、ひっくり返して裏側を確認するのが合理性なのだ。群盲が象を撫でても象の全体像は浮かび上がってこない。

 得られる情報は常に限定されている。それを自覚するだけでも錯誤を防ぐことができるはずだ。



カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

リッチ・ビジネスマンのいたずら

2014-08-07

唯識における意識/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった
 ・右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか?
 ・意思決定そのものがストレスになる

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この研究所の中心を成す考えの数々を初めて公に概説したのは、1969年9月にワシントンで行なった米国心理学会の招聘講演でのことだった。(プリンストン大学にて、1982年)

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2005年/原書、1976年)以下同】

宗教とは何か?」の順番で読むことが望ましい。副読本については「手引き」を参照せよ。

 当然ではあるが意識は宗教と歴史の発生に深く関わっている。ジュリアン・ジェインズの主張は実に刺激的だ。3000年前の人類に意識はなく左右の脳は分裂状態に置かれていた。当時の人類は右脳が発する神の声に従う自動人形であった。そして脳が統合され意識が誕生する。と同時に神の声は聞こえなくなった――というもの。つまり人類全体が統合失調症だったわけだ。

 とすると宗教は右脳から生まれ、左脳で教義に置き換えられたと考えることが可能だ。しかし悟りは論理ではない。牽強付会を恐れず申せば教義(論理)から悟りに至ることは不可能だ。

 ジュリアン・レインズはゾウリムシが学習できるのであれば意識があるに違いないと考えていた。この思い込みの誤りに気づいたのは数年後のことだった。

 その理由は、言わばある大きな歴史上の強迫観念の存在にある。心理学にはこうした強迫観念が多い。心理学を考える上で科学史が欠かせぬ理由の一つは、それがこうした知性の混乱から逃れ、それを乗り越える唯一の方法だということだ。18世紀から19世紀にかけて心理学の一学派を成した連合主義(訳注 あらゆる心理現象を刺激と反応の関係で説明しようとする考え方)は、あまりにも魅力的に提示された上に、高名な学者多数に擁護されていたため、この学派の基本的な誤りが一般の人びとの考え方や言葉にまで浸透してしまった。当時ばかりか今なお残るその誤りとは、意識は感覚や観念などの要素が占める実際の空間であるという考え方、そして、これらの要素は互いに似通っていたり、同時に起きるように外界によって設定さていたりするから、これらの要素間の連合こそ学習であり、心であるという考え方だ。こうして、学習と意識は混同され、曖昧極まりない「経験」という用語と同一視されるようになった。

 著者は「学習の起源と意識の起源は異なる」としている。私の「人生とは反応の異名である」という考え方は連合主義と同じだったのね。

 唯識だと五感を統合するのが意識で、自我意識は末那識と立て分ける。認識作用を中心に展開しているため学習と意識という対比はない。学習はむしろ十界論の声聞界・縁覚界として捉えるべきだろう。

 統一された脳から論理が生み出され、正義と不正の概念から意識が芽生えたのかもしれない。我々は一日の大半を無意識で過ごしている。意識的になるのは社会的な場面で自分の権利に関わる時であろう。



サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
ワクワク教/『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
漢字の誕生/『沈黙の王』宮城谷昌光

斉藤道雄、奥山治美、加藤直樹、堤未果、他


 3冊挫折、3冊読了。

「ガンが食事で治る」という事実 済陽式ガンの食事療法vs星野式ゲルソン療法』済陽高穂〈わたよう・たかほ〉、星野仁彦〈ほしの・よしひこ〉(マキノ出版、2010年)/星野式だけ読む。ビタミンCの大量摂取、尿療法などの独自メニューあり。買って読むほどの内容ではない。

ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果〈つつみ・みか〉(岩波新書、2008年)/40万部のベストセラー。「マイホームを持つというマリオの夢は崩れ去り、後には膨大な借金だけが残った」(4ページ)との記述に邪悪な意図を感じて読むのをやめた。アメリカでは住宅を差し押さえられると借金はチャラになるはずだ。ペンが走ったという言いわけは通らない。計算された小さな嘘だろう。

風来記 わが昭和史 1 青春の巻』保阪正康(平凡社、2013年)/『九月、東京の路上で』に紹介された部分だけ読む。

 48冊目『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』加藤直樹(ころから、2014年)/小田嶋隆がラジオで紹介していた一冊。何と関東大震災における朝鮮人虐殺の中心舞台となったのは私が青春時代を過ごした江東区であった。その事実に打ちのめされた。ブログが元になっている書籍だが、編プロにいた人物だけに文章が柔らかく読みやすい。歴史考証もしっかりしていて資料的な価値もある。ただし結論部分で左翼的な姿勢が露呈していて、九仞の功を一簣(いっき)に虧(か)く印象を受けた。プロフィールにも「社会新報に執筆」とある。ヘイトスピーチに対する警鐘は納得できるが、中国・韓国の激化する反日感情という背景を無視しているのはおかしい。

 49冊目『本当は危ない植物油  その毒性と環境ホルモン作用』奥山治美(角川oneテーマ21、2013年)/怒りや恨みつらみが書く動機となっているため非常に読みにくい。説明能力にも問題がある。データ解釈が稚拙に感じた。参考程度に読むのがいいだろう。健康本は明らかに外れが多い。

 50冊目『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄(みすず書房、2002年)/第24回(2002年) 講談社ノンフィクション賞受賞作品。ブログ記事を書こうと古いメールを読み漁っていたところ、後輩から勧められた本を発見。それが本書。べてるの家の名前は知っていたが読むのは初めてのこと。斉藤はテレビマンだ。心の柔らかな部分を丁寧に描ききった傑作だ。読めば価値観がひっくり返る。常識に縛られがちな20代、30代のお母さんに読んで欲しい。べてるの家は精神障害者の共同住宅だ。統合失調症患者が多い。「そのままでいい」「治らなくていい」との開き直りともいうべき姿勢が生きる力を育む。失敗から仕事を失ってしまった彼らは事業を立ち上げる。そして浦河(北海道)の住民とも少しずつ交流を深めてゆく。人は皆、異常な何かを心に抱えている。社会が極端に狂気を抑えることで成り立っている姿が見えてくれば、おかしいのは我々の社会であることに気づく。彼らは病から悟りを得ている。続刊の『治りませんように べてるの家のいま』も早速取り寄せる。必読書入り。

プリーモ・レーヴィ著『溺れるものと救われるもの』が朝日選書で復刊

溺れるものと救われるもの (朝日選書)

 アウシュヴィッツ生還から40年、レーヴィの自死の1年前に本書は刊行された。 善と悪とに単純に二分できない「灰色の領域」、生還した者が抱える「恥辱」、人間が持つ最も恐ろしい悪魔的側面を描いた「無益な暴力」、アウシュヴィッツが風化することへの恐れを論じた「ステレオタイプ」……これらは実際に地獄を体験した者でなければ語れない。

 アウシュヴィッツは、生存者のその後の人生にもつきまとった。生き残ったものたちは、生きる喜びを奪われ、いわれのない罪の意識と戦い続けた。 生還以来、その体験を証言し続けてきたレーヴィは何を思い、生きたのか? そして、地獄を生き抜いた者が、なぜ自ら死を選んだのか――?

 世界中の哲学者、歴史家が、アウシュヴィッツを語るうえで欠かせないとした古典的名著が、朝日選書として待望の復刊。

嘘、悪意、欺瞞、偽善/『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ

2014-08-05

2014-08-04

共犯者のいたずら

 
 たった一人の共犯者がいるだけで物語はこれほど豊かになる。そう。裏切り者だ。

2014-08-03

すき屋の失敗の本質に関する考察



2014-08-01

斎藤秀雄の厳しさ/『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪


 ・若き斎藤秀三郎
 ・超一流の価値観は常識を飛び越える
 ・「学校へ出たら斃(たお)れるまでは決して休むな」
 ・戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」
 ・果断即決が斎藤秀三郎の信条
 ・斎藤秀雄の厳しさ

『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』民主音楽協会編

 トウサイ(※斎藤の逆さ言葉)グループといわれた黒柳守綱は、斎藤と家族ぐるみの付き合いをしていた。夫人朝はこのように語る。
「音楽でそのほかの人たちは斎藤さんの域まで行ってないわけよ。ローゼンシュトックさんも涙を流して、指揮棒を折って、僕がこんなに一生懸命になってやっているのにわかってくれないかというのは、しばしばでしたね。そして、(練習所の)ご自分の部屋に入っちゃうのね、それで斎藤さんとか黒柳とかチェロの橘(常定)さんとかが謝りに行くわけ。今だったらコンクールに受かったような人がぞろぞろいるわけだけど、そのころはプロとはいってもおそまつなものだったと思うんですよ。斎藤さんは厳しいでしょう。だから皆はその厳しさに耐えられないの。ところが、本当に音楽の好きな人は、うちの主人なんかもそうだけれど、それをありがたいと思うのよ。もうなんて言われても。
 うちでカルテットの練習をやってて、黒ちゃんそこのところ違うんじゃないかな、なんていわれると、うちのパパは顔が真っ青になってこめかみがびりびりするの。彼にとっては知らないで気がつかないでいたっていうことは屈辱的だったと思うのね。それで練習が済んでから、私がパパにね、あんなふうに言われてよく癇癪起してやめたって言わないのね、っていったの、家庭ではすぐそうだったから。お膳蹴っ飛ばす、テーブル引っ繰り返すなんてわけない人だったから。そうしたらね、僕は他のことでは我慢しないけど、こと音楽についてはどんな屈辱も受けるって、それを屈辱と思わないって。自分は知らないんだからそれを教えてもらえるっていうことがありがたくて仕様がないって。斎藤さんのことは尊敬してたから」

【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)以下同】

 守綱黒柳徹子の父親である。夫人の名は「ちょう」と読む。

 音楽に対して妥協を知らぬ斎藤への敬意が伝わってくる。斎藤の厳しさは児童や学生に対しても変わらなかった。

 それでやっと先生のレッスンが受けられるようになったわけです。灰皿投げられたり、譜面台蹴飛ばされたりしながら……。(西内荘一:元新日本フィルハーモニー交響楽団首席チェリスト)

 斎藤宅でまだ指揮のレッスンのあったころ、小澤征爾は斎藤の怒りに靴もはかずに飛び出し、そのまま裸足で家に帰った。オーケストラの雑用をひとりでかかえ、指揮の勉強もままならないころだった。翌日、母があやまりにいって、靴をとってきた。秋山(和慶)も、斎藤の怒りに腰が抜けるようになって動けなくなったことがある。

 オーケストラの練習では遅刻は決して許されないことだった。全員が揃うまで、生徒は楽器を構えて待っていた。斎藤は人間が社会生活で身につけるべき基本的な礼儀や作法にも厳しい教師だった。生徒は音楽と一緒にそれを教え込まれた。

 生徒たちはまず初めに斎藤のレッスンを受けるとき、必ずこう言われた。
「プロになるか、そのつもりなら教える」
 女子の場合はこうである。
「お嫁にいって音楽をやめる人には教えたくない。それでもやるか」
 10歳ほどの年齢の子供たちは、それを聞いて、たいへんなことになったと感じた。毎週ただレッスンを受けて弾いていればいい教師とは違う、と子供心に焼きつけられた。子供でもプロになる決意ができるかどうかが、斎藤の洗礼でもあった。

 親が死んだのか、と練習を休んだ者には言った。片手を■疽(ひょうそ)で手術したと訴えても、もう一方の手は使えるといって練習を休むことは許さなかった。

 この厳しさが一流の音楽家を育てたのだろう。それも一人、二人ではない。クラシック界の夜空にきらめく星のような人材群を斎藤はたった一人で輩出したのだ。詳細については動画を参照せよ。

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)


齋藤秀雄生誕100年記念展:民主音楽協会
サイトウ・キネン・オーケストラ

2014-07-30

【美濃加茂市長収賄事件】保釈請求について 郷原信郎弁護士記者会見





2014-07-29

渡邉哲也、若林栄四、六車由実、高橋史朗、ジョン・フィネガン、他


 9冊挫折、2冊読了。

完全にヤバイ!韓国経済』三橋貴明、渡邉哲也(彩図社、2009年)/本書が渡邉の第一作。タイトルに暴力団用語を配するのはどうなのかね? 個人的に三橋の動画は見るが著作は読まない。

ドル崩壊! 今、世界に何が起こっているのか?』三橋貴明:渡邉哲也監修(彩図社、2008年)/パス。

データで読み解く! マネーと経済 これからの5年』吉田繁治(ビジネス社、2013年)/株式よりも市場規模の大きい国債の解説本。ちょっと小難しい。

アップデートする仏教』藤田一照〈ふじた・いっしょう〉、山下良道〈やました・りょうどう〉(幻冬舎新書、2013年)/近頃この手の本が多いね。砕けた調子の対談が肌に合わず。対談本には緊張感が不可欠だ。

空腹力』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉(PHP新書、2007年)/重複した記述が目立つ。構成に難あり。石原の著作は既に2冊読んでいるのでもう十分か。

今あるガンが消えていく食事 進行ガンでも有効率66.3%の奇跡』済陽高穂〈わたよう・たかほ〉(マキノ出版、2008年)/「ビタミン文庫」となっているが文庫本ではなくソフトカバーである。冒頭に体験談を持ってくるという愚を犯している。臨床は重要だが科学的視点を欠けば単なる文学となってしまう。

危険な油が病気を起こしてる』ジョン・フィネガン:今村光一訳(オフィス今村、2000年)/今村光一はマックス・ゲルソンの翻訳者。手に取ったのもそれが理由だ。ちょっと読みにくい。飛ばし読み。

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』高橋史朗(致知出版社、2014年)/文章がよくない。リライトすべきだ。

驚きの介護民俗学』六車由実〈むぐるま・ゆみ〉(医学書院、2012年)/「シリーズ ケアをひらく」の一冊。ツイッターで知った本。六車は民俗学者から介護職員に転身した人物。読みやすい文章で、介護現場での失敗も赤裸々に綴っている。真っ直ぐな性格が伝わってくる。ただし手厳しいようだが、民俗学の領域に至っているかどうかは疑問だ。やはり時間を要することだろう。六車が新しい『遠野物語』を紡ぐしかない。「『回想法ではない』と言わなければいけない訳」は結局、介護の世界に男性が少ないことに起因していると思う。私はノーマライゼーションなんかはなっから信じていないし、介護という世界は教育と似ていてパーソナルな関係性がものをいうと考えている。理論に人を当てはめるのが極めて難しい。体位変換ひとつとってもコツを教えるのが厄介なのだ。思いやりを欠いた人物に「思いやりを持て」と言うのに等しい。もう一つ。要介護者に寄り添うことは大切だが、寄り添いすぎると依存し合う関係となりやすい。そのギリギリのところで距離感を保つことが自立への一歩となる。本書はまだ「民俗学者、介護に驚く」といった内容ではあるが、美智子さんとのやり取りを読むだけでも十分お釣りがくる。六車は表情と声がよく、今後に期待できる。

 46冊目『富の不均衡バブル 2022年までの黄金の投資戦略』若林栄四〈わかばやし・えいし〉(日本実業出版社、2014年)/売れているらしい。テクニカルの参考書。牽強付会が目立つので注意が必要だ。

 47冊目『これから日本と世界経済に起こる7つの大激変』渡邉哲也(徳間書店、2014年)/やや総花的ではあるが、渡邉の説明能力は群を抜いている。一人シンクタンク。しかし、どうやってこれほどの情報を集めているのかね? 米中二極体制は既に終焉、と。有料メールマガジンも購読したのだが、こちらはさほど面白くないので購読中止。

2014-07-27

沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 荷を運ぶ沖仲仕(港湾労働者)の膂力(りょりょく)と思想家の冷徹な眼差しが言葉の上で交錯する。港のコンクリートを踏みしめる足の力から生まれた言葉だ。エリック・ホッファーは言葉を弄(もてあそ)ぶ軽薄さとは無縁だ。

 情熱は騒がしい。そして熱に浮かされている。ファンや信者の心理を貫くのは投影であろう。情熱には永続性がない。エントロピーは常に増大する。つまり熱は必ず冷めるのだ。特に知情意のバランスを欠いた情熱は危うい。

 われわれが何かを情熱的に追求するということは、必ずしもそれを本当に欲していることや、それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合、われわれが最も情熱的に追求するのは、本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから、待ちに待った熱望の実現は、多くの場合、われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
 いかなる情熱的な追求においても、重要なのは追求の対象ではなく、追求という行為それ自体なのである。

 達成よりも行為を重んじるのは現在性に生きることを意味する。功成り名を遂げることよりも今の生き方が問われる。将来の夢に向かって進む者にとって現在は厭(いと)わしい時間となる。追求よりも探究の方が相応しい言葉だろう。

 われわれは、しなければならないことをしないとき、最も忙しい。真に欲しているものを手に入れられないとき、最も貪欲である。到達できないとき、最も急ぐ。取り返しがつかない悪事をしたとき、最も独善的である。
 明らかに、過剰さと獲得不可能性の間には関連がある。

 空白の欺瞞。

 あれかこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。だから、過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段なのである。

 欲望は満たされることがない。諸行は無常であり変化の連続だ。一寸先は闇である。我々が思うところの幸福は我が身を飾るアクセサリーに過ぎない。

 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 名声という名のコスプレ。変身願望を抱く自分からは逃げられない。

 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 これぞ、アフォリズム。

「もっと!」というスローガンは、不満の理論家によって発明された最も効果的な革命のスローガンである。アメリカ人は、すでに持っているものでは満足できない永遠の革命家である。彼らは変化を誇りとし、まだ所有していないものを信じ、その獲得のためには、いつでも自分の命を投げ出す用意ができている。

 大衆消費社会の洗礼だ。

 プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出だせば、ナポレオンやヒトラー、スターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。

 これが情熱の正体なのだろう。衝動という反応だ。脳が何らかの物語に支配されれば、人は合理性をあっさりと手放す。我々は退屈な日常よりもファナティックを好む。生きがいや理想すら誰かにプログラムされた可能性を考えるべきだろう。中国や韓国の反日感情が、日本人の中で眠っていたナショナリズムを強く意識させる。ひょっとすると日本の若者は既に戦う意志を固めているかもしれない。このようにして感情はコントロールされる。踊らされてはいけない。自分の歩幅をしっかりと確認することだ。



一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ

さようなら韓国、さようなら戦後体制


 菅沼光弘が「朴正煕暗殺事件はアメリカによる犯行」と指摘している(1番目の動画32分10秒)。







「瑞穂の国」の資本主義見抜く経済学これから日本と世界経済に起こる7つの大激変 (一般書)日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界

2014-07-26

謀略天国日本 日本は情報戦をどう戦うか?







誰も教えないこの国の歴史の真実この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?この国を脅かす権力の正体 (一般書)この国はいつから米中の奴隷国家になったのか

モノクロ画像の迫力と豊かさ


 画家のパレットかと思った。強烈な陰影だ。カラーだとこの落差を表現することは難しい。色の実体は陰影なのかもしれない。つまり遠近法だ。大地が手前に位置し、水平線が奥行きを広げる。空間は光と影によって構成されていることが理解できる。

2014-07-25

資本主義のメカニズムと近代史を一望できる良書/『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫


『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
『タックス・ヘイブン 逃げていく税金』志賀櫻

 ・資本主義のメカニズムと近代史を一望できる良書

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』柿埜真吾
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤航陽

必読書リスト その二

 キリスト教の記述がしっかりしており、資本主義のメカニズと近代史を一望できる良書だ。『超マクロ展望 世界経済の真実』では控え目だった水野が本気を出すとこうなるのね。いやはや、ぶったまげたよ。

 近代とは経済的に見れば、成長と同義です。資本主義は「成長」をもっとも効率的におこなうシステムですが、その環境や基盤を近代国家が整えていったのです。
 私が資本主義の終焉(しゅうえん)を指摘することで警鐘を鳴らしたいのは、こうした「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にしてしまい、その結果、近代国家の基盤を危うくさせてしまうからです。
 もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中します。そして本書を通じて説明するように、現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れるのです。

【『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫(集英社新書、2014年)以下同】

 先進国が金融緩和をし続けているにも関わらず格差が進行するのは富の極端な集中によるものだ。川の水が海を目指すように、富は富者の口座に滞留する。海水は日光によって蒸発し雲となるが、富裕層の富が蒸発することはない。既にトリクルダウン理論も崩壊した。おこぼれが経済を押し上げることはなかった。

 日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノヴァの記録を更新し、2.0%以下という超低金利が20年近く続いています。経済史上、極めて異常な状態に突入しているのです。
 なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすなわち、資本利潤率とほぼ同じだと言えるからです。資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質なのですから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です。

 2%程度だとインフレ率を上回らない。つまり国債購入者は損をする羽目になる。それでも尚、安全を求めるマネーは国債購入へ向かう。確かに金利=資本利潤率と考えれば行き場を失ったマネーの姿が見えてくる。

 利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロです。そうした超低金利が10年を超えて続くと、既存の経済・社会システムはもはや維持できません。これこそが「利子率革命」が「革命」たるゆえんです。

 金利はマネーの需要を示すわけだから、当然、実体経済において企業は設備投資を控える。リターンなき投資世界が現れたと考えてよい。

 では、この異常なまでの利潤率の低下がいつごろから始まったのか。
 私はその始まりを1974年だと考えています。図2のように、この年、イギリスと日本の10年国債利回りがピークとなり、1981年にはアメリカ10年国債利回りがピークをつけました。それ以降、先進国の利子率は趨勢的(すうせいてき)に下落していきます。
 1970年代には、1973年、79年のオイル・ショック、そして75年のヴェトナム戦争終結がありました。
 これらの出来事は、「もっと先へ」と「エネルギーコストの不変性」という近代資本主義の大前提のふたつが成立しなくなったことを意味しているのです。
「もっと先へ」を目指すのは空間を拡大するためです。空間を拡大し続けることが、近代資本主義には必須の条件です。アメリカがヴェトナム戦争に勝てなかったことは、「地理的・物理的空間」を拡大することが不可能になったことを象徴的に表しています。
 そして、イランのホメイニ革命などの資源ナショナリズムの勃興(ぼっこう)とオイル・ショックによって、「エネルギーコストの不変性」も崩れていきました。つまり、先進国がエネルギーや食糧などの資源を安く買い叩くことが70年代からは不可能になったのです。


 そんなに前だったとはね。で、アメリカはというと、水野によれば「電子・金融空間」を開拓した。15世紀半ばから始まった大航海時代の終焉だ。

フロンティア・スピリットと植民地獲得競争の共通点/『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 原油価格の長期的な価格変動はWikipediaのチャートがわかりやすい。今からだと信じ難い話だがオイルショック前の原油価格は1バレル=2~3ドルであった(※現在は100ドル強)。

 私が経済書を読むようになったのは40代からのこと。出来るだけ若いうちから学んだ方がよい。金融・経済の仕組みを理解しなければ、自分が奪われている事実にすら気づかないからだ。

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)
水野 和夫
集英社 (2014-03-14)
売り上げランキング: 9,154

エリック・シュローサー著『ファストフードが世界を食いつくす』が文庫化

文庫 ファストフードが世界を食いつくす (草思社文庫)

 ハンバーガーやフライドチキン、いまや全世界を席巻するファストフードの背後には、巨大化した食品メーカーや農畜産業の利益優先の不合理がはびこっている。化学薬品、香料まみれのハンバーガーの味を刷り込まれる子どもたち、専属契約で廃業に追い込まれる農地や牧場、そして労働者の搾取。ファストフード産業は地球環境と人々の健康を害し、自営農民や労働者、そして文化の多様性を破壊している。わずか半世紀で荒廃したアメリカ人の食と農業構造を緻密な取材と圧倒的筆力で描いた衝撃の書。最新状況をふまえた追記も掲載。

アメリカ食肉業界の恐るべき実態

2014-07-24

目撃された人々 58



ジョン・クラカワー著『信仰が人を殺すとき』が文庫化

信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

「彼らを殺せ」と神が命じた――信仰とはなにか? 真理とはなにか? 1984年7月、米ユタ州のアメリカン・フォークで24歳の女性とその幼い娘が惨殺された。犯人は女性の義兄、ロナルド・ラファティとダン・ラファティであった。事件の背景にひそむのは宗教の闇。圧巻の傑作ノンフィクション、ついに文庫化。

 弟の妻とその幼い娘を殺害したラファティ兄弟は、熱心なモルモン教信徒であった。著者はひとつの殺人事件を通して、その背景であるモルモン教とアメリカ社会の歴史を、綿密かつドラマチックにひもといてゆく。人間の普遍的感情である信仰、さらには真理や正義の問題を次々突きつけてくる刺激的傑作。

モルモン教の創始者ジョセフ・スミスの素顔
モルモン教の経典は矛盾だらけ
モルモン教原理主義者と一夫多妻制

米国が隠したヒロシマとナガサキ - Democracy Now!


アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル

借金人間(ホモ・デビトル)の誕生/『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート


「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
30分で判る 経済の仕組み
「Money As Debt」(負債としてのお金)
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治

 ・借金人間(ホモ・デビトル)の誕生

『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫

必読書リスト その二

「負債は、支払い終えることのできない債務者と、汲めどもつきぬ利益を得つづける債権者という関係となる」(ニーチェ)
 人類の歴史において〈負債〉とは、太古の社会では「有限」なるものであったが、キリスト教の発生によって「無限」なるものへと移行し、さらに資本主義の登場によってけっして完済することのない〈借金人間〉が創り上げられたのである。

【『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート:杉村昌昭訳(作品社、2012年)以下同】

 富の源泉は負債である。実に恐ろしいことだ。現代社会において経済に無知な者はいかなる形であれ必ず殺される。少しずつ。

 この主題の核心にある“債権者/債務者”関係は、搾取と支配のメカニズムやさまざまな関係性を横断して強化する。なぜならこの関係は、労働者/失業者、消費者/生産者、就業者/非就業者、年金生活者/生活保護の受給者などの間に、いかなる区別も設けないからである。すべての人が〈債務者〉であり、資本に対して責任があり負い目があるのであって、資本はゆるぎなき債権者、普遍的な債権者として立ち現れる。新自由主義の主要な政治的試金石は、現在の“危機”がまぎれもなく露わにしているように、今も“所有”の問題である。なぜなら“債権者/債務者”関係は、資本の“所有者”と“非所有者”の間の力関係を表現しているからである。
 公的債務を通して、社会全体が債務を負っている。しかし、そのことは逆に【不平等】を激化させることになり、その不平等は、いまや「階級の相違」と形容してもいいほどのものになっている。

 借金がないからといって胸を撫で下ろしてはいけない。税という名目で我々全員に債務が押しつけられているのだ。収奪された税金は富める場所を目指してばら撒かれる。

 もしも完璧な政府が生まれ、完璧な税制を行えば、支払った税金は100%戻ってくるはずだ。否、乗数効果を踏まえれば増えて戻ってくるのが当然である。

政府が100万円支出を増やせば、GDPが233万円増えるということになる/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信
乗数効果とは何だろうか:島倉原

 国家や地方の予算で潤っている連中が存在する。それを炙(あぶ)り出すのがジャーナリズムの仕事であろう。天下り法人についても追求が甘すぎる。

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

 日銀によるドル円の為替介入もアメリカに対する日本からの資金提供と見ることができる。利益が出ているにもかかわらず、東日本大震災の被災者を支援するために使われなかった。つまり利益を確定することができないのだろう。意外と知られていない事実だが、アメリカの不動産バブルを全面的に押し上げたのもゼロ金利のジャパンマネーであった。

 相次ぐ金融危機は、すでに出現していた【ある主体の姿】を荒々しく浮かび上がらせたが、それは以後、公共空間の全体を覆うことになる。すなわち〈借金人間〉(ホモ・デビトル)という相貌である。新自由主義は、われわれ全員が株主、われわれ全員が所有者、全員が企業家といった主体の実現を約束したのだが、それは結局、われわれをアッという間に、「自らの経済的な運命に全責任を負う」という原罪を背負わされた〈借金人間〉(ホモ・デビトル)という実存的状況に落とし入れた。

〈借金人間〉(ホモ・デビトル)――恐ろしい言葉だ。資本主義は遂にホモ属の定義をも変えたのだ。間もなくDNAも書き換えられることだろう。人類は生存率を高めるために、その多くを働き蜂や働き蟻のように生きることを指示し、一握りの女王蜂や女王蟻のみが自由を享受する社会が出現しつつある。

 カネが人を狂わせる、のではない。カネは人類をも狂わせるのだ。資本主義は有限なるものを奪い尽くす。エネルギーや食糧が不足した時、人類は滅びる運命にある。今からでも遅くないから、火の熾(おこ)し方や食べられる植物の見分け方を身につけておくべきだろう。



信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎

不動産屋の原状回復詐欺に気をつけろ








2014-07-22

過去40年にわたって蓄積されてきた負債は返済されない/『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン


『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治

 ・過去40年にわたって蓄積されてきた負債は返済されない

『〈借金人間〉製造工場 “負債”の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート

 経済史とは、マネーの特性を戦場とする債務者と債権者の戦いの歴史であり、現在の危機はその最新の小競り合いにすぎない

【『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン:松本剛史〈まつもと・つよし〉訳(日本経済新聞社、2012年)以下同】
 お見事。資本主義の本質は債権と債務にある。金を融通すると書いて金融とは申すなり。借金こそが資本主義の生命線だ。もちろん返したり返せなかったりするわけだがマネーが消えることはない。誰かが損失を被ったとしても投資されたマネーは経済市場の中を移動してとどまることがない。

 人生の大切な時期に、人は借金をする。子供の教育費を支払うため、耐久消費財や持ち家を買うために、負債を抱える。国が借金をするのは、われわれ国民が進んで納める税金の額が国民の望む公的支出の総額になかなか見合わないためだ。
 負債(debt)の別名「クレジット」(credit)はラテン語の credere (信じる)に由来する。お金の貸し借りとは、信用(クレジット)と信頼(コンフィデンス)の両方から成る行為だ。貸し手は、借り手がお金を返してくれることを信じなくてはならない。家を買う人が、賃貸よりもローンを借りるほうを選ぶのは、住宅の価格が上がるという信頼があるためだ。銀行は顧客がクレジットカードを使って借金を増やしていくのに任せる。顧客が元本と利子を返済するという信頼があるからだ。

 これを与信という。現代社会における信用とは「いくら借金ができるか」(与信枠)を意味するのだ。

 過去40年にわたって蓄積されてきた負債は、もはや全額を返すことはとうてい不可能だし、実際に返済されもしないだろう。ギリシャ、アイルランド、ポルトガルの債務危機は、単なる始まりにすぎない。いくつかの国、特にヨーロッパの経済情勢の悪化の原因は、人口の高齢化にある。労働者の数に対する引退者の数の割合がどんどん大きくなっているのだ。その結果、こうした国では、収入増加のペースが負債の利子の増加に追いつかなくなる。そして形式的なデフォルト、つまり借り手が負債の一部だけを返す、もしくは事実上のデフォルト、つまり通貨切り下げやインフレによって購買力を失った通貨で返済するといった事態が起こる。今後10年間の経済と政治は、この問題を中心に展開していくだろう。そして最も大きな痛手を被るのはどの社会階級、どの国になるかといったことが論じられていくだろう。

 新自由主義が世界を席巻してからというもの、明らかに雇用の質が低下している。昨今のマーケットはアメリカの雇用統計に過激な反応を示すが、アメリカの失業率は求職者だけが分母となっていて、パートタイマーが増えても失業率は改善されたことになる。先進国の国内格差は拡大する一方で中流階級の没落が顕著だ。

 大きすぎて潰せない企業には税金が投入される。負担するのは国民だ。つまり可処分所得が低下する中で税負担は増え続ける。これが負債の本質だ。企業は利益を出しても設備投資を手控え、内部留保や配当に回しているのは世界的な傾向だ。富は持てる者に集中し、持たざる者には負担だけが押し付けられる。

 金融緩和が通貨の切り下げである。マネーストックが増えるのだから当然マネーの価値は下がる。で、物の価値が上がるかといえば中々上がらない。インフレは借金を相対的に減らす。ところがどっこいアメリカやEUはデフレに向かいつつある。

 膨大なマネーが津波を起こすのも時間の問題だ。資産家の資産価値が激しく下落すれば、少しはまともな世界となることだろう。

紙の約束―マネー、債務、新世界秩序

マレーシア機撃墜を巡ってロシアがウクライナへ質問状







ミツバチ大量死、原因は害虫用殺虫剤 分析で成分検出


 夏に北海道などの北日本で多発しているミツバチの大量死現象は、害虫のカメムシを駆除するため水田に散布される殺虫剤が原因の可能性が高いとする調査結果を18日、農研機構畜産草地研究所(茨城県つくば市)などの研究チームがまとめた。

 研究チームは2012年夏、北日本の水田地帯に養蜂家がミツバチの巣箱を置いた8地点(計415箱)を調査。1カ月間に5地点で、巣箱の近くで死んだミツバチが山のように積み重なっているのを確認した。

 死んだミツバチを分析したところ、全てからネオニコチノイド系を中心に2種類以上の殺虫剤成分が検出された。ウイルスによる病気やスズメバチの襲来などはなく、カメムシ用の殺虫剤が原因の可能性が高いと結論づけた。

朝日新聞デジタル 2014-07-19