2018-08-04

戦前の高度なインテリジェンス/『秘境 西域八年の潜行』西川一三


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 ・戦前の高度なインテリジェンス

・『チベット潜行十年 』木村肥佐生
・『チベット旅行記』河口慧海
・『城下の人 新編・石光真清の手記 西南戦争・日清戦争』石光真人編
『サハラに死す 上温湯隆の一生』長尾三郎編

「あなたは親切心で言ってくれるのでしょうが、私は、ヒマラヤを、この体でこの二本の足で七度も越えて鍛え上げているのだ。私がこんな姿をしているのは、あなたのそんな親切なめぐみを、待ち望んでしているのとは、まったく意味が違う。私達は戦争には負けた。しかし、私は、精神的には負けてはいないのだ」
 日本人と同じ顔をした、栄養状態のよいこの米人は、顔色ひとつ変えずに私のはげしい言葉を聞くと、その軍服を片づけた。
 私とこの通訳とは、さらにその後半年、この個室で同じ毎日をつづけた。私が、自分の足跡の一切を、相手の質問の尽きるまで語りつくしたときは、完全に一年間が経過していた。通訳がこの間に、私から調べ上げた調書の原稿は数千枚にも及ぶうず高いものだった。彼は、この功によって二階級特進した。
 八年間死地をくぐり、日本政府から一顧にも付せられなかった私は、この間、日当一千円を米軍から受取っていた。当時、私にはかなり高額の金である。私は貴重な情報を、アメリカに売るのかという、心のとがめを感じないわけではなかった。が、それならば何故、外務省が私んしかるべき態度をとらなかったのかという反撥の心があった。すべて、敗戦のしからしめるところであったと思う。しかし私は、通訳と向き合う生活をはじめて間もなく、すすめてくれる旧師もあって私なりのひそなか決心を固めていた。なんのためという具体的な目標があったわけではないが、決してGHQには売らない八年間の自分の足跡というものを、自分のものとして真実の記録として残すことを思い立ったのである。

【『秘境 西域八年の潜行』西川一三〈にしかわ・かずみ〉(芙蓉書房、1967年/中公文庫、1990年)】

 西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ちに外務省に報告をするべく訪ねたが、全く相手にされなかったという。直後にGHQから出頭せよとの命令があり、西川の情報を引き出すべく1年にも及ぶ取り調べが行われた。

 小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉のように敗戦後も戦い続けた日本軍兵士や諜報員は数多くいた。たぶん数千人規模でひょっとすると万を超えていた。大半の兵士はアジア諸国独立のために加勢した。そのまま現地で生活をし続け、骨となった人々もまた少なくない。大東亜会議で掲げた理想の旗は日本が敗れても尚、アジアの地で高々と翻(ひるがえ)った。そんな彼らに国家は報いることがなかった。否、見捨てたといってもよい。こうしたところに真の敗因があったと思われてならない。

 日本人は個々人の志操は高いのだが組織になると「村」レベルの惨状を露呈する。武士はいたものの貴族が存在しなかったゆえであろうか。社会学の大きなテーマになると個人的には考えているのだが、小室直樹が触れている程度で手つかずのような気がする。厳しい階級制度がなかったことも遠因の一つだろうし、天皇陛下の存在が悪い意味での安心感を生んでいることも見逃せない点である。長らく外敵の不在が続いたことも体制がシステマティックにならなかった要因だ。そして体制が変わると閥(ばつ)がはびこるのも我が国の悪癖であろう(戦後、組織化に成功した日本共産党や創価学会においても同様である)。優秀な人材がいながらも江戸時代に総合的な学問が発展しなかったのも同じ理由と思われる。

 時代は変わっても日本人には職人肌なところがあるように思う。オタクなどが好例だ。現代にあっても国際的な舞台で活躍する個人は多い(中村哲〈なかむら・てつ〉やビルマの内戦を止めた井本勝幸など)。スポーツ、芸術、音楽、美術においても白人と伍し、漫画に至っては世界を牽引(けんいん)している。我々のDNAは個人や小集団で発揮するようにできているのかもしれない。

 官僚が支配する息苦しい日本で出世競争に血道を上げるよりは、若者であれば単独者として世界を目指せと言いたい。

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西川 一三
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2018-08-02

ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念/『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム

 ・目次
 ・ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念

『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げて、有色民族に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶(おとし)めたことだった。
 極東国際軍事裁判は、なによりも日本が白人上位の秩序にって安定していた、世界の現状を壊した。「驕慢(きょうまん)な民族主義」を大罪として、裁いた。
 事実、日本は白人の既得権益を壊して、白人から見ておぞましい成功を収めた。

【『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン:加瀬英明監修、藤田裕行訳(祥伝社、2015年)以下同】


 禁を破って読書中の本を紹介する。想像した通りジェラルド・ホーンはアフリカ系アメリカ人であった。軽く1000を超えるであろう膨大な量の証言で構成されており、行間から真正の怒りが伝わってくる。いずれにせよアメリカ本国から大東亜戦争を正しく研究する学者が登場したことは歓迎すべきで、破れかぶれになった左翼が大手を振ってデモ行進をする我が国の惨状が情けなくなってくる。著者の日本に対する心酔ぶりはやや過剰に感じるが、長らく虐げられてきた黒人の父祖たちを想えば、数百年間にわたって続いた人種差別に鉄槌を下ろした点において日本をヒーロー視することは決して的外れではないだろう。

 まだ100ページほどしか読んでないのだが90%以上のページに付箋を貼ってしまった。元気と時間があれば全部ここに書写したいくらいだ。

白人側が使った人種差別の宣伝(プロパガンダ)とは

 ところが、事実を捻(ね)じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』に及んでいる」という、宣伝(プロパガンダ)が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。
 白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や、「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。
 アメリカはイギリスよりも、人種問題に敏感だった。先住民を虐殺し、黒人を奴隷(どれい)にすることによって建国したからだった。
 1942年半ばに、アメリカの心理戦争(サイコロジカル・ウォーフェアー)合同委員会は、イギリスに「太平洋戦争を『大東亜戦争』(パン・アジア・ウォー)にすり替える日本の宣伝を阻止(そし)することが、重要だ」との極秘の提案書を送った。
「アメリカの白人社会に対して、有色人種に対する激しい人種差別を和(やわ)らげる宣伝を行なうべきである。そうした宣伝は、人種偏見に直接、言及してはならないが、有色人種のよい面を伝えることで、間接的に可能だ」と提言し、「『こびと』『黄色い』『細目(ほそめ)の』『原住民』といった表現を避ける」ことや、「アメリカの黒人活動家が、白人を非難する日本の宣伝を受け売りしていること」にも言及した。
 戦争が終結に近づくにつれて、後に「ポリティカリー・コレクト」という表現が用いられるようになった戦後の人種への太陽が、形成されようとしていた。過去に人種差別を蒙(こうむ)った人々について、むしろ国際的な場で「黒人のリーダー」を前面に出すことで、黒人蔑視(ジム・クロウ)に対する批判を避けようとした。

 ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい言葉遣い)は自分たちの悪行を覆い隠す狙いがあったというのだから驚きを通り越してあまりの欺瞞に尊敬の念すら覚える。もちろん皮肉であるが。日本人であれば常識と良識にそれほどの差異を感じないが、アメリカ人の古い常識は「白人が奴隷を所有するのは当然の権利」であったがゆえに新しい常識を必要としたのだ。神の名の下に虐殺を繰り返してきた白人にやっと道徳心が絵芽生えたわけではない。飽くまでも戦略として道徳を扱っているだけだ。

 アメリカは広島・長崎における原爆ホロコーストから目を逸らさせるために南京大虐殺を編み出した。わざわざ死者数も同数に揃えている(約30万人)。大東亜戦争という言葉が使えるようになったのはここ数年のことだろう。私自身、数年前まで嫌悪感を抱いていた。ところがアメリカの心理戦争合同委員会は日本の意図を正しく理解していたのだ。だからこそ叩き潰しておく必要があった。彼らの狙いは見事に成功した。我々日本人は半世紀以上に渡って大東亜戦争という言葉を使わなかったのだから。

「1990年代に入ってアメリカで大きく注目された考え方で『偏見・差別のない表現は政治的に妥当である』『偏見や差別の用語を撤廃し、中立な表現を利用しよう』との運動から始まり、差別是正に関する社会運動を内包する場合が多い」〈ニコニコ大百科(仮)〉とされているが、現代のポリコレはフェミニズム論やジェンダー論が推進してきた経緯があり、左派系概念となってしまった。日本ではヘイトスピーチに対する攻撃目的で市民派を名乗る左翼が振りかざしていて逆ヘイトと化しつつある。

 この部分を読んで、ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』のカラクリがわかった。ヒトラーが行ったユダヤ人を中心とする大量虐殺は明白な犯罪であるが、これをテコにしてそれまでヨーロッパ中で殺され続けてきたユダヤ人は彼らなりのポリコレを編み出したのだろう。第二次世界大戦後、サイモン・ウィーゼンタール・センターなどのユダヤ人右翼団体は差別言論を取り締まる検閲役を務めた。日本でも文藝春秋社が発行する『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれたことは記憶に新しい(マルコポーロ事件、1995年)。

 スポーツの世界ではオリンピックや国際大会で日本人が好成績を残すとルールを変更するという手法が露骨に行われている。「統治するのは白人だ」と言わんばかりのやり方である。こうした動きに対抗し得る学問的なバックボーンが日本にはない。戦後教育は自虐史観で覆われ、大学教育は官僚輩出システムに堕してしまった。幕末の私塾にすら到底及ばぬ現状である。

 本書を読めば、大東亜戦争に立ち上がった日本が世界中の有色人種に与えた衝撃の度合いと感激の深さが理解できよう。我々の父祖が戦った本当の相手は「白人による人種差別」であった。日本の近代史は「黄禍論~アメリカの排日移民法~大東亜戦争」を中心に学校教育で教えるのが筋である。



レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア

2018-07-31

読み始める

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だから、日本人は「戦争」を選んだ (オークラNEXT新書)
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人種差別から読み解く大東亜戦争
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生命の跳躍――進化の10大発明
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2018-07-30

オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された/『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子

 ・オーストラリアの安全保障を確保するために日露戦争は煽動された

・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

「イギリスは、日本人に激しい反露感情をたきつけることを、極東政策とすべきである。日本を煽動(せんどう)するためには、あらゆる手段を講じなければならない……ロシアはなんとしても抑えるべきだ。東清(とうしん)鉄道の完成を妨害し、不凍港の獲得・強化を阻止しなければならない……そして、それを日本にやらせるのだ」
 これは、ロンドンタイムズ北京(ペキン)駐在特派員、豪州人のジョージ・アーネスト・モリソンが、同社上海(シャンハイ)特派員J・O・P・ブランドに宛てた書簡の一部である。書かれたのは、1898年1月17日、日露戦争勃発(ぼっぱつ)の6年前である。日露戦争は「モリソンの戦争」といわれ、モリソンは「戦争屋」と呼ばれた。それは、モリソンが、日露戦争を惹起(じゃっき)することと日本を勝利に導くことを自己の使命として全力を尽くしたからであり、また、彼の仕事の効果が日本および世界に認められたからである。
 モリソンは、なぜ、日露戦争を切望したのであろうか。それは、オーストラリアの安全保障を確保するためであった。

【『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)】

 修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた(読書日記転載)。

 このような全体観に立った安全保障的視点を我々日本人は欠いている。どうしても卑怯な手に思えてしまう。たぶん元軍と戦う際に名乗りを上げて一騎打ちに持っていこうとして殺された鎌倉武士のメンタリティから進歩していないのだろう。その点、アングロサクソン人は一枚も二枚も上手(うわて)だ。分割統治も同じ発想から生まれたものだろう。中世のヨーロッパは戦争を繰り返してきた。ひしめき合う国家間の中で狡知(こうち)や奸智(かんち)が育まれ、騙し合いに巧みな文化が形成されたのだろう。

 当時の国際政治の世界は、ジャングルの掟(おきて)のまかり通る弱肉強食の世界であった。そして、清国は列強の帝国主義的侵略の格好のえじきとなっていた。
 日清戦争(1894-95年)の敗北は、清国にとって二重の災難を意味した。
 まず、第一の災難は戦勝国・日本との間に締結した下関条約の履行で、これは敗戦の汚名と共に、重く清国の肩にのしかかった。ちなみに、下関条約とは、清国が朝鮮の独立を承認し、日本に遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)列島を譲渡し、2億両(約3億6000万円)の賠償金を支払うことを規定して、1895年4月に調印された条約である。
 しかし、第二の災難はさらに苛酷(かこく)であった。飢えた猛獣のように西欧列強が襲いかかってきたのである。アフリカ分割の余勢を駆って、アジアに迫った帝国主義的勢力は、清国を「眠れる獅子(しし)」とみなして手出しができず、遠まきにむらがり寄っていた。ところが、清国は新興の小国・日本との戦いにもろくも破れ、その弱体をさらけだしてしまったのである。もう、こうなったら遠慮はいらない。列強は猛然と襲いかかった。

 朝鮮独立の立役者が日本だったとは知らなかった。韓国の学校教育でどのように教えているのか気になるところだ。それにしても隔世の感とはまさにこのことで、1世紀後の中国がアメリカや日本を脅かすようになるのだから歴史が動くスピードは想像以上に速い。

 いつの時代も大衆は煽動される。民主政においても変わらない。むしろメディアを通じた煽動は広告技術や心理学をも駆使してマインドコントロール並みに行われる。群れを形成する動物には「従う」本能がある。従うことと引き替えに何らかの優位性を手に入れているのだ。一匹狼という言葉はあるが実際にはそのような狼は存在しない。狼もまた群れをなす動物だ。もしも 一匹狼がいたとすれば確実に飢え死にする(笑)。

 中国は必ず日本を攻めてくることだろう。戦火を開くのは尖閣諸島あたりか。モリソンが日露を戦わせたのと全く同じ手法でアメリカが日中をぶつけるのだ。自分たちの手で憲法改正すらできないとなれば米軍は日本から撤収するに違いない。トランプ大統領が掲げるアメリカ・ファーストとは、アメリカが世界覇権から一歩退いて内向きになることを雄弁に物語っているのだ。大東亜戦争(1937-45年)の「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念は後付ではあったものの、決して間違ったものではない。1919年のパリ講和会議で日本が主張した「人種的差別撤廃提案」とも整合性がとれている。帝国主義の本質はキリスト教に基づく人種差別であった。本来であれば来る日中戦争を契機に日本がアジア・太平洋地域の警察として機能すべきであるが、学校教育で近代史すら教えていないのだからそうした気風が涵養(かんよう)されるに至っていない。ビジョンなき国家の弱味である。

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白虎隊の落し児、柴五郎/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子


『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛

 ・白虎隊の落し児、柴五郎

『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子
・『辛亥革命とG・E・モリソン 日中対決への道』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

日本の近代史を学ぶ

白虎隊の落し児、柴五郎

 交民巷の要・王府の防衛は、籠城者全員の命にかかわる。この大役を柴が担い、日本軍は度胸をすえた。そこへ、イタリア軍がのこのこ入ってきた。このイタリア兵と日本兵の組合せが実に奇妙で、イタリア兵は心ならずも日本兵の引立て役を演ずることになってしまった。それについては、外国人の口から語ってもらおう。以下は、ピーター・フレミングの著書『北京籠城』の一節である。
「戦略上の最重要地・王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵であった。
 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」
 P・C・スミス嬢の前述の書における柴観は次の通り。
「柴中佐は小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。なぜならば、第1回目(6月21日)の朝の会議では、各国公使も守備隊指揮官も別に柴中佐の見解を求めようとはしませんでしたし、柴中佐も特に発言しようとはしなかったと思います。でも、今(7月2日)では、すべてが変わりました。柴中佐は王府での絶え間ない激戦で怪腕を奮(ママ)い、偉大な将校であることを実証したからです。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです」
 スミスの記述にはだんだん熱が入り、柴から日本兵へ、そしてイタリア兵へと及んでいく。
「彼(柴中佐)の部下の日本兵は、いつまでも長時間バリケードの後に勇敢にかまえています。その様子は、柴中佐の下でやはり王府の守護にあたっているイタリア兵とは大違いです。北京に来ているイタリア兵はイタリア本国の中でも最低の兵隊たちなのだ、と私はイタリアの名誉のためにも思いたいくらいです」
 清帝国海関勤めのイギリス人下級職員、23歳のB・レノックス・シンプソン(ペンネームはパットナム・ウイール)は、籠城中、義勇兵となり、柴のもとに派遣されて戦った。彼は当時の日記を、1907年になって出版した。『率直な北京便り』というその題が示すように、実に遠慮のない日記である。彼の6月21日付日記をみよう。
「数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢日本軍は、王府の高い壁の守護にあたった。その壁はどこまでも延々と続き、それを守るには少なくとも500名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官・柴中佐である。彼は他の日本人と同様、ぶざまで硬直した足をしているが、真剣そのもので、もうすでに出来ることと出来ないこととの見境をつけていた。ぼくは長時間かけて各国受持ちの部署を視察して回ったが、ここで初めて組織化された集団をみた。
 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめ込んでいた。彼は自分の注意を要する何千という詳細事を処理することに成功していた。彼は部下たちを組織化し、さらに、大勢の教民を召集して前線を強化した。実のところ、彼はなすべきことはすべてした。ぼくは自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。ぼくは間もなく、彼の奴隷になってもいいと思うようになるだろう」
 このように、ウイール青年は籠城第1日目にして、柴にほれこんでいる。

【『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1989年)】


 ウッドハウス暎子ジョージ・アーネスト・モリソン(タイムズ紙特派員/1862-1920年)の研究者である。著作はすべてモリソンに関するもので、ジャーナリストが歴史を見つめ、歴史を動かしゆく様を実証的に描く。カテゴリーを「自伝・評伝」としたが学術書である。

 日清戦争(1894-95年)後、義和団という白蓮教(びゃくれんきょう)の秘密結社が貧困に喘ぐ農民を糾合して戦闘に至ったのが義和団事変(北清事変/1900-01年)である。

 義和団は清国各地で外国人やクリスチャンを襲撃した。言うなれば帝国主義・キリスト教宣教に対する攘夷運動である。北京にあった列国大公使館区域に襲いかかり、西太后がこれを支持したことで戦争状態に突入した。最終的には日本を含む8ヶ国の連合軍が出動して鎮圧したが、公使館区域での籠城(ろうじょう)は2ヶ月間に及んだ。

 阿片戦争(1840-42年)からの100年は中国大陸にとって蹂躙(じゅうりん)の季節だった。結局、清朝は亡び、中華民国は台湾へ追いやられた。鬱屈したエネルギーが共産主義革命の原動力となったに違いない。

 阿片戦争は日本の進路をも変えた。明治維新の直接的なきっかけとなったのは黒船来航(1853年)だが、指導層や知識人の問題意識は阿片戦争によって生まれた。

 大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を通して帝国主義が生まれ、ヨーロッパ人はキリスト教宣教の旗をなびかせながら有色人種を殺戮(さつりく)し、あるいは奴隷にした。逸(いち)早くそれに気づいた日本は鎖国(1639-1854年)をして侵略から防いだ。そのおかげで戦乱とは無縁の平和な時代が200年にも渡った。

 選民思想はユダヤ教に基づくものだがキリスト教もこれを受け継いでいる。神を理解せぬ者は虫けら以下の扱いを受ける。我々のような「一寸の虫にも五分の魂」という情緒は彼らに通用しない。虫に魂を認めないのが西洋の流儀である。血塗られた思想は20世紀に入りナチズムと共産主義の母胎となった。

 薩長の陰謀によって逆賊とされた会津藩出身の柴五郎がヨーロッパ人からの信頼を勝ち得たことに妙味を覚えてならない。しかも事変が起こった翌日は柴の40歳の誕生日であった。北京籠城を共にしたモリソンの報道や、イギリス公使クロード・マクドナルドの柴に対する篤い信頼が、やがて日英同盟(1902年)として花開く。1822年から「光栄ある孤立」を貫いてきたイギリスが初めての同盟国に選んだのが日本であった。

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2018-07-28

55歳から始めるロードバイク


ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと
ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)

 ・55歳から始めるロードバイク

格安ロードバイクを嗤(わら)うことなかれ
余生をサドルの上で過ごす~55歳の野望


 5月に買ったのだが昨日デビューを果たした。愛機は「FUJI BALLAD Ω 2018年モデル」である。相模川の辺りを23kmほどぶらついてきた。体力の衰えをつくづく思い知らされた。「これは、あと20年もすれば確実に死んでるな」と実感するほどであった(当たり前)。大学教授の伊藤礼は何と定年間近の68歳でサイクリングに目覚めたというから、50代で遅いということはない。

 いやあでもね、前傾姿勢が辛いッスよ。もはや苦行のレベルである。しかもその姿勢のせいでハンドル操作がしにくい。帰宅してからビジネスバイクにまたがったところ、後ろに反っくり返っているような錯覚を覚えたほどだ。今朝、目覚めると腰と背中に痛みを覚えた。先が思いやられるが私は断固として明るい未来に向かって進む。

 1年ほど入念に調べてきたが、クロスバイクのストレートハンドルをドロップハンドルに替える人が何人もいた。ストレートハンドルは同じ場所を握っているため長距離走行だと掌が痛くなるようだ。ってなわけで私はドロップハンドルを選んだ。

 ここで自転車の選び方について一言申し上げておこう。

 通勤・通学や街乗りであれば5万円前後のクロスバイク一択である。盗難の可能性がないわけではないが低い。その辺に駐(と)めても鍵を切断したり破壊してまで盗むことは考えにくい。距離だって十分走れる。少し前まではGIANTのESCAPE R3かGIOSのMISTRAL(ジャイアント エスケープR3とジオス ミストラルを徹底比較 GIANT ESCAPE R3 vs GIOS MISTRAL | クロスバイクラボ)という選択肢しかなかったが、最近はいい自転車が陸続と登場している(尚、GIANT社は通販禁止)。とりわけアートサイクルスタジオはもはや価格破壊といっていいレベルである(楽天通販のみ)。

 次にシマノコンポが搭載されているとほぼ確実に盗難対象となる。コンポだけ盗まれるケースもあるようでこれは防ぎようがない。つまり自宅保管が前提となる。私は4階に住んでいるのだが車重が10Kgを切っているので持ち運びはさほど難儀しない。ただし中高年女性の場合、そうはいかないだろう。高額スポーツバイクの選択は飽くまでも自宅保管という軸から考えるのが筋である。すなわち階段の上り下りが大変な人は折り畳み式バイク一択となる(※ホイール径が短いミニベロではなく折り畳みである)。

 続いてコンポーネントだが、「最低でもシマノ105」などと御託を述べているブログが多い。私としては「ふざけるな」と申し上げたい。そんな高性能のコンポを必要とする脚力がお前にあるのかよ? エッ、どうなんだ?――私にはありません(涙)。また、ビンディングシューズは事故に遭った時のことを考えると極めて危険で(足がペダルから外れない)、素人は避けるべきだと考える。大体、引き足を推進力にする前に基本的な脚力を鍛えるのが先だ。私は最初っからギョサンで乗ることを前提にしていた。フラットペダルであればSORAかClarisで十分だろう。

 シフターはシマノSTI一択である。特にドロップハンドルの場合、ダブルレバーだとハンドルから手を離すことも難しいと思われる。セール品はダブルレバーが多いので要注意。


 我が座右の銘はブログトップに掲げている通り「ただ独り、不確かな道を歩め」(エリアス・カネッティ)である。不確かな道を不確かな前傾姿勢で歩んでみせるよ(笑)。

2018-07-27

エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける


ひょっとして電池よりも安い!? 中国製激安サイクルコンピュータ

 ・エアロスポーク(扁平形状)にサイクルコンピュータのマグネットを取り付ける

 中華サイコンのマグネットを上手く取り付けることができなかった。本来であればマグネットを横向きにしなければならないのだが、スポークが平たいため縦向きになった。案の定、コンピュータは反応せず。どこかの工場に持って行ってマグネットの溝を切ってもらおうかと考えていたのだが、検索したところ答えを見つけた。

エアロスポークについて

サイコン用マグネットはネオジム磁石NK022が美しい(笑 - 自転車で旅しよう!
サイクルスパイス:純正品?すごくしっくりくる二六製作所のネオジム磁石をサイコンマグネットにしました。

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2018-07-26

科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス/『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク

 ・科学革命を推進し、現代文明を支えるガラス

必読書リスト その三

 これはグーテンベルクの発明がたどった不思議に並行する道筋である。印刷が長年、科学革命と結びつけられている理由はいくつかある。ガリレオのような異端者とされる人たちの小論文や専門書が、教会の批判にとらわれることなくアイデアを広めることができ、最終的にその権威を弱体化させた。同時に、グーテンベルクの聖書から数十年を経て発展した引用と参照のシステムは、科学的手法を応用するにあたって不可欠のツールになった。しかしグーテンベルクの発明は、別のあまり知られていないところでも、科学の前進を促している。すなわち、レンズ設計の可能性、ガラスそのものの可能性を広げたのだ。私たちは二酸化ケイ素の特異な物理的特性を、自分の目ですでに見えていたものを見るのに初めて利用しただけでなく、持って生まれた人間の視力の限界を超越してものを見ることができるようになった。

【『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン:大田直子訳(朝日新聞出版、2016年)以下同】

 これは気がつかなかった! 印刷技術には誰もが注目するがガラス(二酸化ケイ素)が科学革命の推進力であったとは。眼鏡の発明が1284年頃のイタリアとされているので、ルネサンス(14世紀イタリア発)の導火線となった可能性も高そうだ。

 現在、あなたが住んでいる部屋を見回せば、二酸化ケイ素があるからこそ存在するもの、もっと言えばケイ素という元素そのものに依存しているものが、軽く100個は手の届くところにあるだろう。窓や天井にはまっているガラス、カメラつきスマホのレンズ、コンピューターの画面、マイクロチップやデジタルクロックが入っているものすべて。1万年前の日常生活の化学に登場する主役を選ぶとしたら、上位の序列は現在と同じになるだろう。私たちは炭素、水素、酸素のヘビーユーザーである。しかしケイ素はクレジットタイトルにさえ出てこないかもしれない。ケイ素は地球上にふんだんにある――地殻の90パーセント以上がケイ素化合物でできている――が、地球上の生命体の自然な代謝にはほとんどなんの役割も果たさない。私たちの体は炭素に依存しているし、私たちのテクノロジーの多く(化石燃料やプラスチック)も同じ依存関係にある。しかしケイ素の必要性は現代になってから強まったものだ。

 細いガラスの糸を作る実験が繰り返され、チャールズ・ヴァーノン・ボーイズが19世紀末に約27メートルのガラス繊維を作り出した。驚くべきはその繊維の強靭さであった。次の世紀の半ばにはガラス繊維が撚(よ)り合わされてグラスファイバーとなる。奇蹟の新素材は「家の断熱材、衣類、サーフボード、クルーザー、ヘルメット、最新のコンピューターのチップを接続する回路基板、エアバスの主要ジェット機」に使われている。そしてインターネットをつなぐ光ファイバーもまたガラス繊維でできている。「ワールド・ワイド・ウェブはガラスの糸で織り上げられているのだ」。

「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」の六つに焦点を当て、全く新たな角度から文明を切り取ってみせる手並みが鮮やかである。こうした良書を読むと、白人の説明能力の高さにたじろいでしまう。私が知る限りではポピュラーサイエンスの分野だと日本人に勝ち目はない。

ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)


ロードバイクを走らせる前に必要な準備
ロードバイク 後輪の外し方
ひょっとして電池よりも安い!? 中国製激安サイクルコンピュータ
ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと

 ・ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)

55歳から始めるロードバイク

 自転車本には必ず「ロードバイクは最寄りのショップで買うべきだ」とのご託宣が書かれている。「てめえらはどうせグルなんだろ?」と最初は思ったのだが一定の根拠がある。ま、一度最寄りのショップに足を運んで欲しいバイクがあるかどうかを確認するのが先だろう。やはり高価な物は一目惚れするかどうかが重要だ。

 私がロードバイクを購入したのは娯楽目的ではなく飽くまでも健康増進のためだ。エコカーに減税するくらいならロードバイクの半額程度は国や自治体で出しても、社会保険料を考慮すれば十分お釣りが来るだろう。

 本日、防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)取得のために確認したことを書き残しておこう。

 防犯登録はどこの自転車屋でもやってくれる。問題はTSマークである。あちこちに電話をしてわかったのだが、まずTSマークを取り扱っていないショップがある。次にTSマークを取り扱っていても他店購入は断られる場合がある。更にTSマークには青(第一種)と赤(第二種)があるが両方扱っている店はない。「どうしてなんだ?」と訊ねたがきちんと答えた店は一つもなかった。

・セオサイクル――他店購入はお断り
・サイクルベースあさひ――調整○、TSマークは青のみ
・ダイシャリン――調整×、TSマークは青のみ、取扱メーカー以外はできないケースがある
・個人ショップ――TSマークの取扱なし

 何ということだ。しかも今は多忙で1~3日待ちになると告げられた。尚、「自転車安全整備店検索」は当てにならないので必ず電話で確認しておくこと。

 私は最初から保障額の高い赤にするつもりだったので、結局一番家から近い地元の自転車屋に頼んだ。

 初めてのロードバイクは恐ろしかった。やはり前傾姿勢に慣れるまで時間がかかりそうだ。ブレーキにきちんと手が届かないのだ。明日、ロードデビューする予定である。

【追伸】自転車ショップはロードバイクメーカーとの契約に縛られているため、自由に各社メーカーの自転車を取り扱えるわけではない。ここがオートバイショップとの最大の違いである。ダイシャリンの店員と話して判明したのだが、罪はショップではなくメーカーにあることを我々サイクリストは理解しなければならない。

【追々伸】他店購入のロードバイクを持ち込む場合、販売証明書(あるいは譲渡証明書)が必要になる。慌てて探したらカタログの間に挟まれていた。車体番号まであったのね。

ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと


ロードバイクを走らせる前に必要な準備
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 ・ロードバイク~乗る前に必ずマスターしておくべきこと

パンク対策:チューブ交換~CO2ボンベ(インフレーター)
ネット通販で購入したロードバイクの防犯登録とTSマーク(自転車向け保険)
55歳から始めるロードバイク

 ロードバイクは慣れると100km程度は軽く走ってしまうマシンである。当たり前だが山奥や田舎道を走っていればパンク修理は自分で行う必要がある。携帯用の空気入れを持つサイクリストも多いようだが、空気圧が高いため難儀をすることは必至である。手っ取り早い方法としてはチューブ交換をしてCO2インフレーターボンベで充填するという手がある。また空気圧が高いので走らなくても空気が抜ける。つまり走る前には必ず空気を入れなくてはならない。









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自己治癒コンクリート/『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

 ・自己治癒コンクリート
 ・人生を変える発見

『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン

必読書リスト その三

 自己治癒コンクリートには、このバクテリアとその餌になるデンプンの一形態が混ぜ込まれている。バクテリアは普通の環境下ではケイ酸カルシウム水和物フィブリルに閉じ込められて休眠状態を続ける。だがひびが入るとバクテリアがフィブリルの結合から解放され、水の存在によって目を覚まして餌を探しはじめる。そしてコンクリートに加えられていたデンプンを見つけると、それを食べて成長し、増殖する。その過程で炭酸カルシウムの一形態である方解石を排泄する。この方解石がコンクリートと結合し、ひびをつなぐような鉱物構造をつくりはじめ、ひびのさらなる成長を止めてふさぐのである。

【『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク:松井信彦訳(インターシフト、2015年)】

生物でひび割れを直すコンクリートが日本上陸(前編) | 日経 xTECH(クロステック)
生物でひび割れを直すコンクリートが日本上陸(後編) | 日経 xTECH(クロステック)
ひび割れを自ら修復!自己治癒・自己修復コンクリートへのバイオ技術の活用 | コンクリートメディカルセンター

 一種の創発技術と言えそうだ。生命の不思議を利用して人工物を長く活かす発想がユニークだ。

 人体が老化する原因は二つ考えられており、一つは遺伝情報で、もう一つは細胞のコピーミスである。しかしながら今の段階ではまだ特定するに至っていない。ひょっとすると体にバクテリアを投与する医学が出てくるかもしれない。ま、もともと人体はバクテリアだらけだし、DNAにもウイルスの影響が色濃く残っている。


【右下の左側にある「字幕」をクリック】

 自分が合成物であるとはにわかに理解し難いが、それは意識によって統合されていると錯覚しているためだろう。内蔵を移植した人は食べ物の好みが臓器提供者のそれに変わることが報告されている。

 傷や骨折などに対しては治癒メカニズムが働くが、精神や価値観の治癒は難しい。ま、病の自覚症状がないのだから致し方ないとも言えるが(笑)。

2018-07-25

はかることと分けること/『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝、後藤武


『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編

 ・はかることと分けること

「はかる」ことは分けること(分類)とともに、人間が外界に適応し、働きかけて生きていくうえでもっとも基本的な営みの一つである。

【『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝〈さかがみ・たかし〉、後藤武(中公新書、2007年)】

 そして科学の基本でもある。「はかる」能力が緻密であったからこそ道具を作ることができた。「分ける」能力はリンネ、ダーウィンを経て量子論にまで至った。

 ふと気づいたのだが政治もまた「はかる」ことと「分ける」ことが基礎となっている。徴税や公共事業など。司法も同様か。目隠しをした正義の女神テミスは剣と秤(はかり)を持っている。

 19世紀の科学的心理学を形づくったどの説でも、われわれが世界から得ているセンスデータは不十分であるということが前提にあり、この刺激という単位を採用したおかげで心理学は刺激の貧しさを克服しなければならなかった。どうやらそのときにある種の「心」の働きが構想された。ギブソンは、この手の知覚論を関節知覚論と呼んでいる。

 これはアフォーダンス理論を解説した箇所である。ギブソンは直接知覚論を説いた。アフォーダンスについては勉強不足のためよく理解していない。大体私が理解しにくいのは西洋の伝統的な思考を知らないためだ。

ギブソンの生態学的知覚論とは何でしょうか。 感覚と知覚について、遠くギリシャのアリストレテスからギブソンに至るまでの経緯の中で、 生態学的知覚論の特徴を検討してみました。

 ま、要は環境からの働きかけを情報として読み取る行為を指しているのだが、仏教だと依報(えほう/環境)・正報(しょうほう/主体)の相互性が説かれているので我々にとっては親和性の高い考え方なのだが、ギブソンはもう一歩具体的な次元に踏み込む。

 多分、「つかまりやすい枝」あたりから始まっているような気がするよ。我々のご先祖様がまだ猿だった時代の話だ。

“はかる”科学―計・測・量・謀…はかるをめぐる12話 (中公新書)
阪上 孝 後藤 武
中央公論新社
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辛淑玉がDHCテレビと司会者の長谷川幸洋を提訴




 動画は2週間限定公開。琉球新報・沖縄タイムスが赤旗化・聖教新聞化している模様である。特筆すべきは沖縄二紙が反日左翼のプラットフォームとして言論の場を提供している事実である。佐藤優はレギュラー出演しているラジオ番組で民主党政権を援護射撃し、更に本土主要紙を批判する際に「沖縄の論調は違います」と沖縄二紙の社説や記事を紹介してきた人物である。ひょっとすると辛淑玉〈シン・スゴ〉に対して入れ知恵をしている可能性もある。

 佐藤は「中間層が重要だ」と語っている(佐藤優は現代の尾崎秀実)が、一定のファン層をもつ人物に次々と接近し、対談を行ってきた。その矛先は右翼にまで向かった。刊行された対談も多い。彼は相手よりも、中間層としてのファンに向けてメッセージを放ったのだろう。

 敗戦後の歴史的な汚点はシベリア抑留、沖縄占領、北朝鮮による日本人拉致の三つである。そう考えると日本人にとって沖縄に巣食う問題は無視できるものではない。

2018-07-24

エアコン室外機の水冷システム


2018-07-23

「はかる」という漢字の多さ/『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編


 ・「はかる」という漢字の多さ

『〈はかる〉科学 計・測・量・謀……はかるをめぐる12話』阪上孝、後藤武

 そうした世界統一単位の構想の実現に向けて、まず動き出したのは革命さなかのフランスだった。1790年、政治家で外交官であったタレーランは、統一単位の必要性を説き、パリ科学学士院がこれに取り組むこととなった。新しい単位は、ギリシャ語【原語略】(測定)から「メートル」とした。(中略)
 1792年から1799年にかけて、天文学者のメシェンとドゥランブルが子午線の測定をし、地球子午線全周の4000万分の1の長さを1メートルとした。これをもとに1メートルの長さをもつ白金でできた幅25.2ミリ、厚さ4ミリのメートル原器がつくられた。総裁政府は、この原器に基づくメートル法を含む法律を公布したがなかなか一般には普及せず、メートル法が強制実施されたのは、1840年以降である。

【『なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう』武蔵工業大学編(講談社ブルーバックス、2004年)以下同】

 ウム、やはりフランス革命(1789-99年)は時代を画(かく)す大事件であったことが窺える。ヨーロッパが教会の束縛から自由になったのも多分この頃だろう。1760年代にはイギリスで産業革命が起こった。アメリカ独立戦争が1775年のこと。近代の幕開けだ。因みに明治元年が1868年である。

「はかる」という言葉はたくさんの漢字で表されることでよく知られている。「測・量・計・図・謀・諮」が代表的なところで、そのほかにも「忖・画・度・称・秤・料・評・詢・衡……」など、数多い。要するに、大昔から使っていた「はかる」という言葉に、輸入された漢字を適当に当てているわけだが、この適当ぶりを見てみるとなかなか興味深い。(清水由美子)

「所体のなかにおいて、軽重を権(はか)る。これを権という」(墨子/『孟嘗君』宮城谷昌光)。はかるという訓読みの漢字は34もある(みんなの名前辞典)。

 脳を情報処理装置と考えれば、生きるとは「はかる」ことを意味する。情報処理とは【計】算(≒演算)である。我々の行動は必ず予【測】に基づく。一寸先は闇であるが五感を駆使して測っているのだ。手探りしながら未来を手繰り寄せているようなものだろう。

 図・謀・諮は集団内におけるコミュニケーションである。「謀る」には悪巧みのイメージが強いが、実際は騙す側に生存の優位性がある。ただし集団規範を崩壊させるゆえに課罰のリスクが伴う。

 また、「慮(おもんぱか)る」とは思いをはかる謂(いい)である。情けの深さが人の心を動かす。

 工業と科学技術は計算能力を格段に進歩させ、文明の力は時空を圧縮する。そして我々は現在性を見失った。「はかる」行為をやめて、現在というゼロ地点にとどまるのが瞑想である。止まって観るがゆえに止観と名づける。

2018-07-22

期待外れ/『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編


『湘南鎌倉自転車散歩』

 ・期待外れ


【『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編(山と渓谷社、2010年)】

 画像の連結を行うのは初めてのことで出来栄えが悪いのは見逃してくれ給え。食指を動かされるコースではあるが私は輪行をする予定がないので部分的にしか走らないと思う。順番から申せば、「道志みち-山中湖-R246」が先で、「河口湖-西湖-本栖湖」は富士山一周コースとなる(200km強)。1年後くらいには実現したい。

『湘南鎌倉』篇で失望・落胆・悲哀を味わっていたためさほど期待はしていなかったのだが、それでも期待外れの感を深めた。私が社長なら編集者を首にするだろう。せめて神奈川県に住むサイクリストに取材をしていたならこんな結果にはなっていなかったはずだ。

 私は東京方面に関しては奥多摩以外行く予定がないため東京篇を買うことはない。汚れなき心は都会を避けて山や湖に向かうのだ。

 サイクリストにとって神奈川県は関東で最も魅力的な場所である。ヒルクライム(登坂)の聖地に数えられるヤビツ峠もある。そのまま登れば宮ヶ瀬湖だ。ただし神奈川の道路事情は決してよくない。東京よりも悪い。片側にしか歩道がない道路が目立つ。しかも幹線道路が東京都心から放射状に伸びているため、南北の往来がわかりにくい。国道246号はところどころ自転車通行禁止となっている。

 結局のところサイクリングコースは本なんぞ当てにしないで自ら試行錯誤を繰り返しながら我が道を探り当てるしかない。

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2018-07-21

境川サイクリングコース/『湘南鎌倉自転車散歩』


 ・境川サイクリングコース

『神奈川・伊豆・箱根・富士自転車散歩』山と渓谷社編



【『湘南鎌倉自転車散歩』藤原祥弘、DECO、麻生弘毅(山と渓谷社、2010年)】

 距離は55.4kmである。境川は大和市・藤沢市のよく知られたサイクリングコースだが源流が城山だとは知らなかった(ただし城山湖ではない)。大地沢青少年センター付近で以前よく散歩していた場所だ。この辺りは八王子と町田と相模原が入り組んでいる場所だ。JR高尾駅からだと徒歩1時間ほどの位置にある。


 因みにGoogleマップで徒歩を選択すると上記地図のコースとなる。境川がかなり東側を迂回しているのがわかるだろう。源流付近は川沿いの道がないはずだ。他の道路も決してサイクリングに向いているとは言い難い。ま、そのうち私が確認してこよう。

 本書自体は私にとって噴飯物という以外になく、「どうして自転車で鎌倉なんぞに行かなくてはならないのだ?」と言わざるを得ない。鎌倉は道が悪いのだ。しかも観光客が多い。気取った店はもっと多い。

 読者層が不明の地図だ。強いて挙げれば「盗まれる可能性が低い自転車に乗っている人」に限られる。でも、ママチャリ~クロスバイクで観光する人っているのかね?

「なぜ我が津久井湖、相模湖、宮ヶ瀬湖がないのだ?」と思っていたところ、別本であることが判った。神奈川南部で私が目指すのは三浦半島の城ヶ島公園や箱根、真鶴程度である。湖巡りや道志みちほどの胸の高鳴りは覚えない。

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2018-07-19

武士道はまだ死んでいない/『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』増田俊也


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『七帝柔道記』増田俊也
『北の海』井上靖

 ・武士道はまだ死んでいない

『木村政彦外伝』増田俊也

 決勝の相手ヒクソン・グレイシーは顔面を大きく腫らしながら決勝に上がってきた小兵の中井に敬意を表したような戦い方をした。私たちは流れるような2人の寝技戦に魅入った。
 この大会が、本当の意味で日本のMMAの嚆矢(こうし)となった。
 神風を起こしたのは、たしかにグレイシー一族でありUFCであった。
 しかし、神風が吹くだけでは大きな波がおこるだけで、その波を乗りこなせるサーファーがいなければ、波はただ岸にぶつかり砕けて消えるだけだ。
 神風が起こした大波を、右目失明によるプロライセンス剥奪という死刑宣告と引き替えに乗りこなした中井祐樹がいたからこそ、日本に総合格闘技が根付き得た。それだけは格闘技ファンは絶対に忘れてはいけない。

【『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』増田俊也〈ますだ・としなり〉(イースト・プレス、2014年/角川文庫、2018年)】

 増田が4年の時に北大柔道部に入ってきたのが中井祐樹〈なかい・ゆうき〉だった。そして中井が最上級生になった時、北大は12年ぶりに優勝旗を奪還する。中井はその後シューティングへ進み、格闘家として歩む。ヴァーリ・トゥード・ジャパン・オープン1995に参戦し決勝でヒクソンに敗れる。意図的な目潰しをしたのはオランダ人空手家のジェラルド・ゴルドーで、レフェリーの制止を振り切って執拗に行い、中井の眼球の裏側にまで親指を入れた。それ以前にも佐竹雅昭との対戦でサミングをしている。根っからのクズというか、白人なら有色人種に対して何をやってもいいと思っているのだろう。

 本書はノンフィクション短篇集である。『七帝柔道記』のその後や、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の執筆エピソードと共に、決して目立つことのなかった本物の武道家たちに光を当てる。

 自分の背負い投げさえ完成すればそれですべては解決する。この背負いさえ完成すれば……。
 すでに尻尾は見えていた。
 堀越はさらに背負いの習得に没頭した。
 そして、ある日、ふとタイミングをつかんだ。
 高校1年から大学4年まで、実に7年近くかけて野村豊和の背負い投げを完全マスターしたのである。自分の形にもっていけば相手が誰だろうと必ず投げることができるようになった。だが、それだけの力がついてきたころには天理大柔道部も代替わりしていた。だから堀越の柔道が大化けしていることに誰も気づかなかった。

 豊和は野村忠宏の叔父である。動画を見るとわかるがその背負い投げは光速と形容するのが相応しい。まさしく人間離れしたスピードである。手首の使い方にコツがあるようだ。

 堀越英範は地味な選手だった。戦績も冴えなかった。しかし一つの技を牛の歩みの如く着実にマスターしていった。そしてスター選手の古賀稔彦と対戦する。

 堀越から組んだ。
 切られた。
 激しく組み手争い。
 組めない。
 まだ組めない。
 組んだ。
 瞬間、堀越は勝てると思った。
 応援の声や会場のざわめきはまったく聞こえなかった。古賀の息遣いだけが耳元で聞こえた。(中略)
 古賀が堀越の左釣り手を切って絞った。
 堀越はこれを待っていた。
 切られた左釣り手で古賀の右腕ごと引っぱり出して抱え、左一本背負いで叩きつけた。一瞬のことだ。あまりに速い背負い投げだった。
 会場の福岡市民体育館はしばらく水を打ったように静まり返り、そして揺り戻すような大歓声が上がった。
 その瞬間、堀越は我に返った。
 勝った……。
 わずか39秒の出来事だった。
 古賀が一本負けしたのは1990年の全日本選手権で小川直也の足車に屈して以来。同階級の日本人に一本負けしたのは生まれて初めてだった。自身得意の背負い投げで投げられたのは中学1年のとき一度きりである。

 流した汗の量だけで勝てるほど甘い世界ではない。技が不可欠なのだ。来る日も来る日も同じ行為を繰り返し、技に磨きをかけ、考える前に動く精密機械のように肉体を鍛え上げるのだ。「なぜ、そこまで?」と問うのは愚かだ。ただ、そういう高みで生きる人間がいることを我々は目撃するだけだ。

 日本の武士道はまだ死んでいないことを思い知らされる。






骨盤体操/『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子

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2018-07-18

昭和黎明期のバンカラ柔道部/『北の海』井上靖


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『七帝柔道記』増田俊也

 ・昭和黎明期のバンカラ柔道部

『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

「稽古はそんなに烈しいですか」
「まあ、烈しいと言えましょうね。朝稽古、昼稽古、夜稽古」
「ほう、すると、勉強は?」
「勉強なんて、そんな余分なものはしませんよ。勉強しに学校へはいって来たんじゃないから」
「じゃ、何のためにはいったんです」
 遠山が訊くと、
「もちろん、柔道をやるためですよ。僕は今年入学して来た1年下の連中に言ったんです。学をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え」
「ほう」
 洪作は、ここでもまた“ほう”と言う以外仕方なかった。

【『北の海』井上靖(中央公論社、1975年)、新潮文庫、1980年】

『しろばんば』、『夏草冬濤』(なつぐさふゆなみ)、そして本書で自伝三部作となる。井上靖は明治40年(1907年)生まれだから、旧制四高(しこう/現金沢大学)に入ったのは昭和2年(1927年)である。私と同じ旭川出身だとは知らなかった。旧制中学に主席で入学したというのだから元々秀才だったのだろう。主人公の洪作は複雑な家庭環境で育ち、非常に冷めた性格の持ち主となる。ところが受験を控えた時期に蓮見と出会い、春秋の色合いが深まる。

「それにしても、たいへんな学校ね。よくそんなところへはいる者がいると思うね。勉強もしないで、柔道ばかりやって」
「そう思うでしょう。僕もそう思う。だから、考えたらだめなんですよ。考えたら、柔道なんて、やれません。別に柔道家になるわけじゃない。高専大会で優勝することだけが目当なんですからね。でも、練習量がすべてを決定する柔道というものを、僕たちは造ろうとしている。そういう柔道があると思うんです。そういう柔道があるかどうかは、僕たちが自分でやってみないことには判らない。それをやろうと思っている」

 洪作は四高受験を決めた。「練習量がすべてを決定する柔道」との言葉が胸の内に響き渡り、全身を震わせた。まず感心するのは柔道部のスカウト活動である。様々な地域に足を運び、柔道経験者を次々と寝技の餌食にし、「勝つために力を貸して欲しい」と熱弁を振るうのだ。共産党のオルグ活動や日蓮系の折伏といい勝負である。柔道部の人間関係も軍隊というよりは宗教的な次元に近い。二十歳前後の若者とは到底思えぬほど立派な振る舞いである。

 杉戸は説明してくれた。なるほど少し登ると折れ曲り、また少し行くと折れ曲っている。
「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ。あんたも、あしたから、僕の言っていることが嘘でないことが判る。稽古のひどい時には、この辺で足が上らなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわかねればならぬかと、自然に涙が出て来る」
「ほんとに涙が出るんですか」
「そりゃあ、出る。1年にはいって、1学期の間は、毎日のように、この坂の途中で涙を出す。実際に足が上らなくなるんだから、涙だって出て来ますよ。だが、1学期が終ると、大体諦めてしまう。こういうものだと思ってしまう。僕などは、現在、そうしたとこへ来ている。鳶のように深刻に考えたりしない。たいしたことではない。3年間、捨ててしまうだけの話なんだ」
「鳶さんも1年ですか」
「そう」
「僕は2年生かと思いました」
「2年の部員はすじ金入りですよ。人間らしい血なんて、1滴も持たなくなる。さかさにして振っても、人間の血なんか1滴も出て来ない。出て来るのは汗ばかりだ。そうなると、みごとですよ。六高(※現岡山大学)に勝つことしか考えなくなる。親のことも、兄弟のことも考えなくなる。考えることは、六高に勝つことばかりだ。人生も、学校の成績も、落第も、及第も考えなくなる。全く、ねえ、変な学生があるものだ」

 バンカラという言葉はハイカラをもじったもので蛮カラとも書く。だが、ここまでくると野蛮そのものである。獣のように力だけが支配する世界のわかりやすさがヒトの古い脳を刺激する。我々の社会にはびこる悪知恵や誤魔化しは一切通用しない。

 読み進むうちに『七帝柔道記』との違いがわからなくなり、不思議な混迷に襲われる。時代は違えども彼らは全く同じ青春を生きているからだろう。

 余談ではあるが、井上が育った静岡の言葉が味わい深く、洪作の四高行きを知った人々が集まってくる場面では、田舎の人々が実にしっかりとした口上で挨拶をしており、失われた文化を思い知らされる。

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