2021-07-17

大航海時代の主役はスペイン、ポルトガル、オランダ/『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎


『お坊さんはなぜ領収書を出さないのか』大村大次郎 2012年
『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎 2012年
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎 2015年
『税金を払わない奴ら なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?』大村大次郎 2015年
『お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が古代~現代にガサ入れ』大村大次郎 2016年

 ・大航海時代の主役はスペイン、ポルトガル、オランダ

『お金で読み解く明治維新 薩摩、長州の倒幕資金のひみつ』大村大次郎 2018年
『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎 2018年
『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎 2018年
・『日本人が知らない日本医療の真実』アキよしかわ
『脱税の世界史』大村大次郎 2019年

世界史の教科書
必読書リスト その二

 近現代の世界の権力を読み解くにあたって、最初に取り上げなくてはならないのは、やはりイギリスだろう。
 まず、「イギリスは、いち早く【産業革命】を成し遂げることによって世界の覇権を握った」――と思われがちだが、それは事実ではない。
 イギリスは産業革命以前にスペインの【無敵艦隊】を破り、スペインやポルトガルが世界中に持っていた植民地の大半を横取りした。そうして蓄積された資本によって、産業革命が成し遂げられたのである。
 では、イギリスはどうやってスペインをしのぐほどの強国になったのか?
 簡単に言えば、“国を挙げての海賊行為”である。
 イギリスは【大航海時代】に出遅れている。大航海時代の主役はスペイン、ポルトガル、オランダであり、イギリスは後進国だったのである。イギリスが海洋に乗り出したときには、すでにアフリカ大陸、アメリカ大陸の重要な地域は、スペイン、ポルトガルに占領されていた。
 そんな中、気を吐いていたのがイギリスの海賊たちだった。イギリスの海賊は統率の取れた船団、巧みな航海術によって、スペインやポルトガルの輸送船を襲い、財宝や貴重な産品を次々と強奪していたのだ。
 イギリス王室は、この海賊船団に目をつけ、王室が建造した船を与えて、国家事業としての海賊行為を始めた。その最たるものが、【海賊ドレイク】の航海である。  海賊ドレイクはマゼランに次いで世界一周を行い、スペインの無敵艦隊を破ったことで知られるイギリスの海軍提督である。もともとは普通の海賊だったが、【エリザベス女王】に見込まれて、国家プロジェクト的に海賊行為を行ったのである。その功績が認められてのちにイギリス海軍を任され、海軍提督にまでなったのだ。

【『お金の流れで探る現代権力史 「世界の今」が驚くほどよくわかる』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(KADOKAWA、2016年)】

 厳密に言えばオランダは後発組で、八十年戦争を経てスパインからの独立を果たした。トルデシリャス条約はスペインとポルトガルで世界を二分することをローマ教皇が認めたものだ。後(おく)れを取ったイギリスとフランスが帝国主義を席巻するのだから歴史の有為転変を思わずにはいられない。

 国家が行う犯罪は正当化される。なぜなら国家を裁く機関がないゆえに。イギリス王室はともすると日本の皇室に続く伝統と見なされがちだが、海賊と手を組むようではお里が知れる。たぶん真のエンペラーは日本にしか存在しないのだろう。天皇陛下はつくづく不思議な存在であらせられる。

 第二次世界大戦以降、米ソが世界を牛耳り、46年後にソビエトが崩壊する。パックス・アメリカーナも100年は続くまい。アメリカの威光が翳りを帯び、中国が台頭してきた。世界は今静かに揺れている。チベットやウイグルに対する中国の暴虐に対して、主要国は断乎たる態度を取ることができなかった。最近になってようやくアメリカが重い腰を上げたところである。

 日本にとっては千載一遇の好機である。速やかに憲法を改正し、間もなく訪れるであろう中国戦に備えるべきだ。我が国としては一億玉砕をも辞さずの覚悟をもって戦争に臨み、日清戦争における臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を晴らす秋(とき)である。この際、遼東半島と言わずに満州・チベット・ウイグルの独立にも手を貸すべきである。すなわち防衛や局地戦といった消極的な姿勢ではなく、一朝事ある時は万難を排して中国領土を奪取しなくてはならない。

 歴史を動かすのは強い意志である。専守防衛などという自国独善主義では世界を牽引することが不可能だ。欧米が没しつつある現在、日出る国が世界を照らすのは当然と考えるがどうか。

2021-07-15

高橋洋一「学生時代にマルクスの『資本論』を読んで、こいつは馬鹿だなと思った」


自然派志向は老化を促進する/『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン


・『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス
・『盲目の時計職人』リチャード・ドーキンス
・『遺伝子の川』リチャード・ドーキンス
・『赤の女王 性とヒトの進化』マット・リドレー
・『ゲノムが語る23の物語』マット・リドレー
・『やわらかな遺伝子』マット・リドレー
『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー

 ・自然派志向は老化を促進する

身体革命
必読書 その五

 わたしたちのほとんどは、「自然派志向」の商品がブームになる以前の時代を思い起こすことができない。しかし、50年前にはテクノロジーが王様で、わたしたちは自然を改良することになんの良心の呵責(かしゃく)も感じなかった。1950年代、子供はまだ幼い頃に扁桃腺(へんとうせん)を切られた。喉頭感染症のときに赤くなる傾向があるため、医師は自然がミスを犯したと考えたのだ。1950年代、スポック博士は母乳よりも乳製品を推奨していた。もちろん、「12の方法で体を強くする」と宣伝されたワンダーブレッドも忘れてはならない。
 その後の半世紀にわたって、わたしたちは自然食品や化粧品、石鹸、漢方薬、さらには自然素材の洋服などを勧められてきた。自然=健康。医学界は――とても立派なことに――体の働きを第一に考えることを学び、壊れてもいないものをあわてていじくりまわすのではなく、体に協力して自然治癒を推奨するようになった。こんにち、あらゆる病気に対する自然療法は、それが可能であるときはより好ましいと見なされている。
 そこまではいい。しかし、つぎのステップに進むには、すこし考える必要がある。わたしたちは老化に関するべつの現実に順応しなければならない。自然食や天然のハーブ、自然療法などは、老化を防ぐとは思えない。
 本書は「老化は進化のプログラムの欠陥ではなく、自然に正しく選択された設計特性である」と主張してきた。老化はごく深い意味において“自然”なものであり、進化によって生みだされ、遺伝子に組みこまれたものなのだ。
 自然なものへの崇拝は、そもそも進化への信仰から生まれたものだ。自然なものとは、わたしたちの祖先である生物や人間が進化してきた環境の一部である。ゆえに、わたしたち地震も自然なものに適応していると考えられる。自然食がよいものだとすれば、それは進化がわたしたちの体に合わせて授けた食物だからだ(この論理をさらに推し進めると、原始時代の食事をそっくりそのまま再現しようとする「パレオ・ダイエット」に行きつく)。自然選択はジェット機時代の生活のペースや、スモッグを吸いこんだりコカ・コーラを飲んだりする生活に合わせて人間をつくったわけではない。とすれば、現代生活の不満の多くは、わたしたちが送っている生活と、進化がわたしたちに準備した生活がマッチしていないことから起こるのではないか?
 そして実際、わたしたちの病気の多くが現代という時代の産物であるのは正しいように見える――喫煙や都会のスモッグによる肺癌、ジャンクフードによるメタボリック・シンドローム(脂肪の増加、高血圧、高血糖といった要因による2型糖尿病)、過剰な刺激による神経病、分裂した社会に生きることからくる鬱病。

 人は金をかけて使うことばかりにあくせくし、
 自分たちを取り巻く自然に目を向けようとしない。

 詩人のワーズワースがこの一節を書いたのは、1802年のことだ! 21世紀のわたしたちの生活モードを見たら、ワーズワースはなんというだろうか? 現代の西欧文明が生んだ孤独によって人間が負った傷、化学汚染、レトルト食品、人間の心理的欲求やバイオリズムを無視して押しつけられたスケジュール――これらはすべてすごくリアルで有害だ。しかし、老化とはあまり関係がない。
 老化は現代社会が生んだ疾病ではない。きのう生まれたものではなく、古くから伝わってきたものだ。19世紀の人々の写真を見たり、ヴィクトリア時代の小説に描かれた人たちの年齢を考えてみればいい。こうした人たちは、タバコや農薬やジャンクフードやコミュニティの崩壊以前の世界を生きていた。こんにちの標準からすれば、19世紀の人たちはみな自然食を食べていたにもかかわらず、現代の同年齢の人間より、容姿も感覚もふるまいもずっと年寄りじみている。19世紀の小説では、40代の登場人物はバイタリティを失っているし、50代の登場人物は現代の老人のように描かれている。そしてもちろん、当時は60代まで生きる人はごくまれだった。19世紀の平均余命はいまよりずっと短かったのだ。これは、出産で命を落とす母親が多かったとか、壮年の人々が伝染病で死ぬことが多かったとかいった理由からではない。当時の人たちは、現代のわたしたちが人生の最盛期と考えている年齢で、すでに健康を害し、バイタリティを失い、認知機能が低下していたのである。

 自然が体にいいという説は、「進化はわたしたちを組み立てるにあたって、最高の健康が得られるように設計したはずだ」という考えに由来する。「自然食を摂取することは、自然選択によって設計されたとおりに体を機能させる手助けをしていることであり、わたしたちは一歩うしろの退いて、体がわたしたちを癒すためにしていることを勝手にやらせたほうがいい」――この仮定は、若者の病気にはよく合致する。しかし、本書をここまでお読みになった方なら、老化は遺伝子に組み込まれた自己破壊プログラムであることを理解しているはずだ。この場合、体は自分を癒すためにベストをつくしたりはしない――それどころか、反対に自分自身に対して害をなすことをしている。
 自然食や自然療法は、体が自分自身を破壊する手助けをするのである。

【『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン:矢口誠訳(集英社インターナショナル、2018年)】

 マット・リドレーを読んだのは2年前である。まだ書評を書いていなかったとは……。小難しい本を後回しにするのは悪い癖である。

 本書はネオダーウィニズム批判を旨としており、読みやすい上に豊富なトピックで飽きさせることがない。訳文も平仮名の多用で読むスピードに配慮している。ドリオン・セーガンはカール・セーガンの息子。

 文句なしの面白さだが結論に異議あり。寿命を伸ばすことに固執しすぎだ。もっときれいにスパッと死ぬ準備をするのが進化の道理だろう。

 そもそも健康を意識すること自体が不健康な証拠である(三木清)。菜食主義者は植物の毒を省みることがない。そういう意味では健康もスタイルと化した感がある(石川九楊)。

 19世紀どころの話ではない。磯野波平が54歳と知った時の驚きは今でもありありと覚えている。当時私は52歳だった。『サザエさん』の連載が始まったのは昭和21年(1946年)のこと。昭和40年代あたりまでは特に違和感がなかったように思う。つまり年寄りが若々しくなったのは終戦前後に生まれた世代と考えてよさそうだ。

 栄養学が散々デタラメを流布してきたのも戦後の特徴である。しかしながら、その一方で平均寿命は確実に伸びた。私が二十歳(はたち)の時分は30代の女性が熟女で、40代は年増(としま)と呼称していた。ところが今時と来たら、40代で結婚したり出産することは特段珍しくない。バブルの頃は女性の年齢がクリスマスケーキになぞらえ、26歳になると「売れ残り」みたいな言われ方をしていた。

 社会全体が高齢化することで周囲から「年寄り扱い」をされることが少なくなったのが最大の要因かもしれない。

「19世紀はヨーロッパ――とくに英国――の時代で、地主階級が存在の正当性を失いつつあるときだった。地主階級はその特権的な地位を正当化するために、社会ダーウィニズムの原理に飛びついた」。私の乏しい知識ではネオダーウィニズムと社会ダーウィニズムの違いもよくわからない。

 マット・リドレーを読むとどことなく新自由主義と同じ体臭がする。以前からネオダーウィニズムを批判している人物に養老孟司と池田清彦がいる。灯台下暗しであった。

2021-07-12

青紙2号割込「無銘」黒打和ペティ(柳)4.5寸焼栗柄


 新品の包丁は硬くもろいものです。日本鋼の包丁は使い込み、研ぎ込むことで、だんだん粘りが出てきて、刃に力が付いて切れ味の良い包丁になります。
 一気に研ぎ込まず少しずつこまめに研ぎ込んで下さい。

 同封されていた注意書きより。こういうちょっとした心遣いが嬉しい。Yahoo!オークションで2500円即決。ただ単に黒打ちの庖丁が欲しかったのと、青紙(あおがみ)の研ぎにくさを確認する目的で買った。



 本当は研ぎやすい白紙(しろがみ)2号の庖丁が欲しいのだが手頃な値段のものが見つからない。ま、青紙は刃が硬いので、山に行く際は熊対策のために持ち歩こうとも考えている。具体的には自分の左腕を噛ませた上で熊の喉を切り裂くのがよさそうだ。

2021-07-07

肥田春充の食事/『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀


『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
・『幻の超人養成法肥田式強健術 腰腹同量正中心の鍛錬を極めよ!』佐々木了雲
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行

 ・肥田春充の食事

『武術を語る 身体を通しての「学び」の原点』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史

身体革命
悟りとは

 また、宗教団体自体が巨大な霊術団体の趣きがあった近代の典型例としては「大本」がある。
 この現代新宗教群の最大の産みの親である大本は、今でこそ目立たない小教団になっているが、現在大本が産んだ新宗教群とそれらに絡む政財界人、文化人の顔ぶれをみても、それにこの“裏の体育”の源流である霊術を語る上からいっても、無視できない巨大な存在であったことは確かだ。

【『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀〈こうの・よしのり〉(地方・小出版流通センター、1986年/PHP文庫、2016年)以下同】

 amazonだと「オンデマンド2750円」で販売されているが、楽天などではPHP文庫が754円で売られているので注意されよ。

 甲野の初著(※既に「処女作」という言葉は使いにくい)である。霊術に注目したのは卓見で日本近代の宗教的変遷に鮮やかな色彩を施している。2/3ほどは肥田春充〈ひだ・はるみち〉に関する記述で、その引用の多さを思えば書籍タイトルに肥田の名前を入れないのは詐欺に近い。

【私の食物に対する注意は、控え目に食べる、菓子を止めるという、ただそれだけのことであり、しかも滋養とは、獣鳥魚肉、牛乳卵等が、最なるものと思っていた。だから間食しない、食べ過ぎないという注意だけで、何でも食べて居り、ことに御馳走は、喜んで摂って居ったのである。
 しかるに鍛えて鍛えて、真健康を獲得し、更に次第に、中心力が強くなるのに従って、私が食物に対する、嗜好と要求とは、自然に変って来た。
 それは淡白なアッサリした食物を、好むようになったことである。麦飯と味噌汁と香の物位が、一番美味しい。御馳走なんかは、かなわんという気になった。ことに濃厚な西洋料理などは、殆ど堪え得られないように感じた。
 日本料理でも、種々の御馳走は閉口で、生漬の香のもの、生煮えの野菜の味噌汁などを、最も要求するようになった。(中略)
 演説する前だけは、飯を五六杯、香の物を副て食べる。うどんのかけだと、四ッ位、平げて、腹を拵える。二三時間熱弁を振って、三十分間も、猛烈な練習をするのには、その位食べた方が、良いようだ。だが、卵だの、牛乳だの、肉だの、魚だのと動物性は、全然摂らない。
 その方が晴々して、気持が良くて、力が湧き溢れて来る。種々と、濃厚な所謂栄養物を摂らなくては、体が続かないなどと、考えるのは、飛んだ間違いであることを、私は明らかに体験している。】

 肥田春充〈ひだ・はるみち〉のテキストである。肥田式強健術に関しては3冊ほど読んできたがこの部分は記憶にない。あるいは私の関心が変わったのかもしれない。食事法についてはここ数年重点的に学んできたが、これほどの粗食にはお目にかかったことがない。ひょっとすると人間離れした強靭な身体(しんたい)の肥田だから通用した可能性もある。または日本人であれば適用できる可能性もある。

 ここで思い出されるのはブッダの弟子が行っていた托鉢である。午前中一食のみで、余っても翌日に持ち越すことは禁じられた。選り好みも許されなかった。仏弟子の生活は托鉢が前提となるゆえ都市部周辺にサンガは形成される。中には傷(いた)んだ食べ物を施す者もいたようだ。受け取った食料は食べるか捨てるかのどちらかであった。

 人間の最も基本的な欲望は食欲・性欲・睡眠欲の三つである。托鉢は食欲から離れる目的もあったと思われるが、完全に食を軽視しているようにも見える。「何かを食べれば死ぬことはない。むしろ食べ過ぎることが不健康の原因である」と喝破していたのかもしれない。人体は飢餓には強いが飽食には弱い。

 そもそも食事に注意を払う行為そのものが不健康の証と言っていいだろう。肥田春充は運動を通して悟りに至り、最後は自ら餓死を選んだ。己(おのれ)の意思で植物が枯れるように死んでいった。このような日本人が昭和に存在したのである。