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2021-09-27

自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること/『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ


『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男
『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・自動化(オートマチック)、手順自動化(オートメーション)、自律(オートノミー)
 ・自律型兵器の特徴は知能ではなく自由であること

・『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』岩田清文、武居智久、尾上定正、兼原信克
『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール

 合意を基本とする調整は、分権の手法で、スウォーム・エレメント(小編隊)すべてが、互いに同時に通信し、行動の進路を共同で決める。これは“投票”もしくは“オークション”アルゴリズムで、行動を調整することで実行できる。つまり、スウォーム・エレメントはすべて、フライの捕球を“入札”したり“競売”したりすることができる。最高値をつけたものが“落札”して捕球し、あとのものは邪魔にならないように離れる。
 突発的調整は、もっとも分権が進んだ手法で、鳥の群れ、昆虫のコロニー、人間の暴徒の動きのように、周囲の個々の意思決定から、調整された行動が自然発生する。個々の行動の単純な法則から、きわめて複雑な共同行動が引き起こされ、スウォームは“集団的知性”を発揮する。たとえばアリのコロニーは、しばらくすると、個々のアリの単純な行動によって、食べ物を巣に運ぶ最適ルートに集まる。食べ物を運ぶアリは、巣に戻るときにフェロモンの足跡を残す。もっと濃いフェロモンが残っている既存の通り道にぶつかると、そのルートに切り替える。より早いルートでアリがどんどん巣に引き返すうちに、フェロモンの足跡が濃くなり、多くのアリはそこを通るようになる。アリはいずれも最速のルートがどれかを知っているわけではないが、アリのコロニーは集団として最速のルートに集まる。
 スウォーム(群飛)のエレメント間の通信は、外野手が“おれが捕る”と叫ぶのとおなじような直接の信号でも行なわれる。魚や動物の群れがいっしょにいる共同観察のような間接的手段もある。アリがフェロモンを残して通り道の印にするのは、“スティグマジー”と呼ばれるプロセスのたぐいで、環境に残された情報に反応して行動する。

【『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ:伏見威蕃〈ふしみ・いわん〉訳(早川書房、2019年)以下同】

 読書中に必読書にしたのだがその後、教科書本にとどめた。現在多忙につき、体力を整えてから再読する予定である。序盤はいいんだけどね。

 swarmの意味は「群れ、うじゃうじゃした群れ、大群、群衆、大勢、たくさん」(Weblio英和辞書)など。「スウォーム・エレメント」とはドローン兵器を指す言葉で、ドローンの小編隊同士を戦わせる実験が既に行われているという。そこで繰り広げられるのは「戦闘の自律化」である。スウォームの指揮統制モデルは以下の通りである。


 期せずして政治システムを表しているのが興味深い。直接民主制、議会制民主主義、談合、国際関係(安全保障・貿易体制)を思わせる。

 自律といえばアパッチ族の分権システムが知られる(『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム)。自律を支えるのは内発性だ。中央集権のハードパワー体制はリーダーが斃(たお)れれば組織が崩壊する。ヴェトナム戦争でアメリカはヴェとコンのゲリラ戦に敗れた。戦後長きにわたって一人戦争を続けた小野田寛郎もまた内発性ゆえに戦い得たのだ。

 自律には永続性がある。つまりロボットが自律性を獲得すれば「壊れるまで戦い続ける」ことが可能になる。電力供給や自動修復機能、更にはソフトウェアの自動更新が埋め込まれれば、AI兵器は永遠に戦い続けることだろう。精度の高い顔認証システムが完成すれば、ドローンから逃れることは不可能となる。テロリスト対策として開発され、やがては政敵を葬るために使われるはずだ。

 これらの例は、自律型兵器についてのよくある誤解――知能(インテリジェンス)〔認知・推論・学習能力〕を備えれば兵器は“自律”するという浅はかな考え――を浮き彫りにしている。システムの知能が高いことと、それが実行するタスクが自律的であることは、次元が違うのだ。自律型兵器の特徴は知能ではなく、自由であることだ。知能は自律を変えることなく、いくらでも兵器に付け加えられる。自律型兵器と半自律型兵器に使用されるターゲット識別アルゴリズムは、これまではしごく単純なものだった。このため、完全自律型兵器の有用性には制約があった。兵器の知能があまり高くない場合、軍は兵器に大幅な自由を委ねるのをためらう傾向があるからだ。しかし、機械の知能が進歩するにつれて、自律目標決定(ターゲティング)は幅広い状況で技術的に可能になった。

「!」――頭の中で電球が灯(とも)った。大人には大人の、子供には子供の、病人には病人の、障碍者には障碍者の「自律」があるのだ。「自律型兵器」を「自律型組織」に置き換えて私は読んだ。

 AIの自律性はヒューリスティクスソマティック・マーカーをも実装し、失敗とフィードバックを繰り返しながら機械学習をしてゆくに違いない。その行く末を思えば「感情なき人間」の姿が浮かんでくる。ヒトの感情は元々集団の中で生存率を高めるためのアルゴリズムだったのだろう。歴史を生み、文化を育み、国家を形成したのは民族的感情に拠(よ)るところが大きい。

 機械やコンピュータは機能で構成されている。ビッグデータは感情や理由は無視する。膨大なデータから関連性・相関性を探るだけだ。それでも因果関係に迫ることができるのだ。

 では人類の未来は薔薇色に輝いているのだろうか? 違うね。『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)みたいな完全管理の碌(ろく)でもない世界が、サーバーの地平から現実世界へ押し寄せるに決まってらあ。

2015-09-11

アミール・D・アクゼル、斎藤充功、舩坂弘、岩下哲典、磯田道史、他


 10冊挫折、6冊読了。

シリーズ日本近現代史10 日本の近現代史をどう見るか』岩波新書編集部編(岩波新書、2010年)/書き手は井上勝生、牧原憲夫、原田敬一、成田龍一、加藤陽子、吉田裕〈よしだ・ゆたか〉、雨宮昭一〈あめみや・しょういち〉、武田晴人〈たけだ・はるひと〉、吉見俊哉〈よしみ・しゅんや〉。岩波書店は戦後、雑誌『世界』の誌面を進歩的知識人(左翼)に提供してきた出版社である。左翼の呻き声みたいな代物で読む価値はないと判断した。

シリーズ日本近現代史1 幕末・維新』井上勝生(岩波新書、2006年)/amazonの★一つレビューを読むと、やはり左翼であると思われる。日本を貶めるのが彼らの仕事だ。

日本の歴史18 開国と幕末改革』井上勝生(講談社学術文庫、2009年)/というわけで1頁も読まず。井上は北大名誉教授。北海道は日教組が強く左翼の巣窟である。北海道に渡った人々には長男が少なく、先祖を敬う気風に欠ける。と道産子である私が断言しておこう。離婚率が高いのも「家を背負っていない」ため。

ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』ランドール・ マンロー:吉田三知世訳(早川書房、2015年)/池谷裕二の書評に騙された。ネット上で寄せられた質問に答えたQ&A集。それほど面白くない。

日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人〈まるたに・はじめ〉(ハート出版、2014年)/ダメ本。文章がいいだけに惜しまれる。イデオロギーとしての右翼はその姿勢において左翼と変わりがない。先入観に染まった景色に興味はない。

面白い本』成毛眞〈なるけ・まこと〉(岩波新書、2013年)・『もっと面白い本』成毛眞(岩波新書、2014年)/全然面白くない。成毛がノンフィクション専門とは知らなんだ。ノンフィクションに重きを置く態度が今ひとつ理解できない。

モチーフで読む美術史』宮下規久朗〈みやした・きくろう〉(ちくま文庫、2013年)/説明に傾き過ぎて文章が平板。エッジを効かせた文体が欲しいところ。

生きていくための短歌』南悟(岩波ジュニア新書、2009年)/定時制高校に通う生徒諸君の歌集。短歌は著者サイトでも読める。授業の成功と短歌の良し悪しは別物であろう。あまり心に引っ掛からず。

時間の図鑑』アダム ハート=デイヴィス:日暮雅通〈ひぐらし・まさみち〉訳、山田和子協力(悠書館、2012年)/ヴィジュアル本はフォントが小さくて読みにくい。前半は素晴らしいのだが後半まで息が続かない。仏教と量子力学までフォローしてもらいたかった。高価な本はまず図書館で借りてから購入を検討するのがセオリーだ。

 102冊目『いくらやっても決算書が読めない人のための 早い話、会計なんてこれだけですよ!』岩谷誠治〈いわたに・せいじ〉(日本実業出版社、2013年)/今まで読んだ中では一番わかりやすかった。それでも決算書を読めるようになるには遠い道のりである。

 103冊目『日本人の叡智』磯田道史〈いそだ・みちふみ〉(新潮新書、2011年)/著者は大学教授にして古文書オタク。題材で読ませる。文章に締まりを欠くが内容は素晴らしい。読むだけで背筋が伸びる。

 104冊目『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)/文章に冴えがない。黒船来航といえば「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」との狂歌が思い出されるが、この歌が後代の作であることを示す。ペリー来航は予想された出来事であった。当時のインテリジェンス能力は現在の政府よりも遥かに上である。しかも適切な対応ができた。阿部正弘、黒田斉溥、島津斉彬を中心に、佐久間象山・吉田松陰らの役割が明らかにされている。阿片戦争に対する危機意識の高さが彼らの能力を十二分に引き出したのだろう。

 105冊目『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記』舩坂弘〈ふなさか・ひろし〉(光人社NF文庫、1996年/新装版、2014年/文藝春秋、1966年『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル』を改題)/舩坂弘は超人的な身体能力と体力の持ち主で「不死身の分隊長」と呼ばれた人物。白兵戦における強さは和製ランボーといってもターミネーターといってもよい。隣のペリリュー島の玉砕については知られていたが、アンガウルの戦いを公にしたのは本書が嚆矢(こうし)と思われる。剣道を通して親交のあった三島由紀夫が一文を寄せる。偉大なる父祖の戦いに涙止まらず。大小20ヶ所以上の傷を抱えながら船坂は米軍司令部で自爆攻撃を試みる。が、手榴弾の安全ピンを抜こうとした瞬間に狙撃される。阿修羅のような船坂にアメリカ軍人たちは「勇敢なる兵士」の名称を送り絶賛した。

 106冊目『日本スパイ養成所 陸軍中野学校のすべて』斎藤充功〈さいとう・みちのり〉、他(笠倉出版社、2014年)/小野田寛郎の任務が山下財宝(丸福金貨)の秘匿であったという想像が紹介されている。全体的には悪くないのだが、いささか予断と臆見が目立つ。

 107冊目『量子のからみあう宇宙』アミール・D・アクゼル:水谷淳訳(早川書房、2004年)/アミール・D・アクゼルの本には外れがない。量子力学を築いた人々の系譜。各章もすっきりしていて実にわかりやすい。図や式は飛ばして構わない。私もチンプンカンプンであった。量子力学の天敵アインシュタインを巡る物語でもある。

2020-01-28

三島由紀夫の霊に捧ぐ/『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー

 ・三島由紀夫の霊に捧ぐ

日本の近代史を学ぶ

 三島由紀夫から、かつて次のように指摘された。君は日本の宮廷文化の優美とか光源氏の世界の静寂を称賛してきたが、その賛美を書くことで日本の民族性が持つ苛酷かつ峻厳そして悲壮な面を覆いかくしてはいないか、と言うのである。私はここ数年、短命な生涯を送り、しかもその生涯が闘争と動乱とに彩られた、現実社会に行動する人間群像に目をすえてきた。私の日本文化に対する見方に偏重があったとすれば、そうすることで均衡をもり返し得るのではないかと思う。以下の文章は、そのため、三島の霊に捧げられるべきものである。彼とは意見を異にすることが多かった。政治問題に関してとなると特にくい違うことが多かった。だが、考え方の相違が三島由紀夫に対する私の敬意と友情をそこなうことは、まったくなかった。

【『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス:斎藤和明訳(中央公論社、1981年)以下同】

「序」の冒頭で著者はこう記す。取り上げた英雄は日本武尊〈やまとたけるのみこと〉、捕鳥部万〈ととりべのよろず〉、有間皇子〈ありまのみこ〉、菅原道真源義経楠木正成天草四郎大塩平八郎西郷隆盛、そして神風特攻隊である(全10章)。


 英雄たる者の生涯とは、たとえいかにはなばなしい武勲に飾られようと、その最期が悲劇的でなければならない。日本の勇者たちはその生涯の幕の閉じ方を充分に心得ている。悲劇的最期とは浅薄な思考や誤算から、あるいは精神や肉体に欠陥があり持久力がないから、またある偶然の不運からもたらされるものではない。むろんそれらの要因が皆無であるとは言えまい。だがしかし、何よりも現世における英雄の生涯を支配する前世からの宿縁(カルマ)のため自力では避けることができない悲劇があって、英雄にふさわしい最期がもたらされるのである。宿縁のため彼は悲惨な運命を受け入れて生きる。
 そこで英雄たる者の不可欠の条件とは、その崇高な最期に対する覚悟であることになる。英雄は最期を迎えるための自らの行動の細目一切をわきまえていなければならない。日ごろから心の用意を備えて、生存本能のためその他人間の弱点のため、最後の瞬間に失態を演じてはならない。また、英雄は、生涯の最終点での、自らと自らの運命との間の火花散る対決こそ勇士たる者の人生に最大の意味を持つ出来事だということを知っている。勝目がいかに少ない苦闘であろうと彼は戦いを中断してはならない。最後の段階にいたって彼は自らの責務を、勇士にふさわしい死をもって完遂しなければならない。それによって彼のその死にいたるまでの努力と犠牲的行為とが初めて正当性を持つようになる。もしその死に方を誤ったならば、それまでの自己の生涯に意味を与えてきたすべての努力と功績は嘲笑の的にすぎなくなろう。そのため英雄たる者はつねに死ぬことを考えて生きねばならない。

 時代と戦い、時代を開くのが英雄の使命だ。そして英雄は潔く次代の犠牲となるのだ。英雄とは生き様であり死に様でもある。英雄は走り続け天翔(あまが)ける流れ星のように消えてゆく。三島は英雄たらんと欲して悲劇を選んだ。

 大きな事故や災害が起こると英雄が次々と登場する(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー)。社会には自己犠牲を犠牲と思わぬ人々が一定数存在する。見る人が見れば普段から惜し気(げ)もなく親切な振る舞いをしていることに気づくだろう。

 誰も見ていなければこれ幸いと手を抜く。そんな輩は英雄的行為と無縁だ。いざとなれば年寄りや子供を踏みつけても逃げようとするに違いない。

 三島が死んだのは1970年(昭和45年)のこと。学生はヘルメットをかぶり鉄パイプを振り回して学業を放棄していた。大人たちは高度成長の甘い汁を吸いながら冷めた眼で世間を眺めていた。三島の割腹自決はニュースの一つに過ぎなかった。この国は小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉の帰還もニュースとしてしか受け止めなかった。アイヴァン・モリスの誠実を思わずにはいられない。

 今年は三島の死から半世紀となる。三島の魂は震え続けて後に続く若者の登場を待っている。

2016-07-09

エキスパート・エラー/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠

 ・集団同調性バイアスと正常性バイアス
 ・エキスパート・エラー

『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 9.11同時多発テロ事件発生時、世界貿易センタービルで勤務していたジョンソンさんのケースを見てみよう。55階のオフィスにはジョンソンさんを含め約10名のスタッフがいた。テロ発生後、彼らは、ビルの防災センターに電話をかけた。マニュアルでは災害や火災が発生したときは防災センターの指示に従うことになっていた。「我々はどうしたらいいのか」と尋ねると、警備員が出て「救助に行くから、待機していてください」と答えた。ジョンソンさんたちは待った。しかし煙がオフィスにまで迫ってきたので再度電話をすると「もう少し待ってください」。さらに煙は立ち込めて「これ以上ここにいるのは危険です」と言うと警備員は「それじゃ、すぐ非常階段で脱出してください」と言ったのだ。ジョンソンさんたちは愕然とした。直ちに脱出したがスタッフのうち4人は、命を落とした。自分たちで判断していれば、もう少し早く逃げていれば助かったと、ジョンソンさんは専門家の意見を信頼しすぎた自分を責めていた。
 一般の人は、専門家が指示するとそれを疑わず信じてしまう。【専門家の言うことだからと依存しすぎることを「エキスパート・エラー」という】。
 たとえ専門家といえども事故現場にいない以上、完全に正しい指示をくれるとは限らない。現場の情報は現場にいる人が一番把握しているはずである。だから、【生死に関わることは、自分の五感で確認した情報に基き、自分で意思決定をすることが重要】なのである。

【『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦(宝島社、2015年/宝島社、2005年『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』改訂・改題)】

 ここでいうところのエキスパート(専門家)とは安全管理責任者・消防・警察などと考えてよい。彼らは「動くな」と指示する傾向が強い。ところが大規模災害の場合、災害の全容と動向を把握することは極めて困難である。9.11テロの場合、世界貿易センタービル・ツインタワーが崩落することは誰も予測し得なかった。根強い陰謀説があるのもこれが原因となっている。

 要は生きるか死ぬかという危機に際しては、専門家の権威を当て込むのではなく自らの責任で判断し、行動する他ないということだ。もちろんエキスパートですらエラーするわけだから、各人の判断も誤る可能性は高い。だが人生最後となるかもしれない選択を他人に委ねるか、自分が決めるかの差は大きい。

 韓国旅客船セウォル号沈没事故(2014年)でも「動かないで下さい。動くと危険です。動かないで!」(CNN 2014-04-17)との指示が再三に渡ってアナウンスされた。助かったのは直ぐ動いた人々だった。乗員・乗客 476人のうち295人が死亡する大惨事となった。そのうち250人が修学旅行中の高校生であった(海外「韓国・セウォル号から生還した高校生のクラス写真が切なすぎる…」)。

 災害に限らず専門家の言葉が当てになるのは平時のみである。経済学者やアナリストが経済危機を言い当てたことはない。専門家は事が起こった後で理屈をこねくり回すのが常だ。「わかったつもり」の専門家が一番怖い。

 タイトルにある通り、人は皆「自分だけは死なない」と思っている。我々は「自分が死ぬ」という前提で物事を発想することができない。文明は死から目を背け、死を忌避することで発展してきた。現代社会においては死を目撃することすら稀(まれ)である。死は病院に封印され、社会から隔離している。

 災害から学ぶといっても特別なことではない。日常生活の中から不注意を一掃することに尽きる。外へ出歩けば、いつ交通事故に遭ってもおかしくない。注意を払えば危険は至るところに見出すことができる。その意味で大東亜戦争を生き抜いた小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(『たった一人の30年戦争』)や坂井三郎(『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子)から学ぶことは多い。

2010-02-20

光り輝く世界/『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清


 ・光り輝く世界

『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん

悟りとは

 ベストセラーには食指が動かない。所詮、出版社のマーケティングやプロパガンダに乗せられた人々が買ったというだけの話であろう。そんな私が30年前のミリオンセラーを開いたのには理由がある。田坂広志の講演(なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか)で本書が紹介されており、どうしてもその部分を確認したかった。

 2005年に新版が出ていた。夫人の原稿が加えられている。癌のため31歳で絶命した医師が、我が子に宛てて書いた手記である。

 読み物としてどうこうというよりも、一人の青年の死にゆく姿が圧倒的な重量で胸に迫ってくる。井村は元々命のきれいな人物だったようだ。淡々と清水のように綴られた文章から、人柄が浮かび上がってくる。

 様々な患者との出会いがスケッチされていて、人生の深い余韻がこちらにまで伝わってくる――

「ズキン、ズキンとするのは痛いけれど、私にはそれが、建築現場の槌音(つちおと)のように感じるのです。ズキン、ズキンとくるたびに、私の壊(こわ)れた体が健康な体へと生まれかえさせて頂(いただ)いている。そう思うと、勿体(もったい)なくて、手をあわせているのです。ですから、少しも苦しいと思わないのです」
 おだやかに話されるお婆さんの目は優しく、まるで観音(かんのん)さまのようでした。そのお婆さん、今はすっかり元気になられ、またあちこちを飛びまわっておられます。

【『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清(祥伝社ノンブック、1981年/祥伝社黄金文庫、2002年/〈新版〉祥伝社、2005年)以下同】

 病(やまい)によって人生の意味を見つめ直す人は多い。限りある生の現実を思い知らされた時、人は謙虚にならざるを得ない。病気の前では地位も名誉も通用しない。強靭な肉体を誇るプロスポーツ選手ですら病気にはかなわない。病は万人に生が平等であることを教える。

 お婆さんの言葉が胸を打つ。何らかの真理を悟った者に特有の「高貴な香り」が漂う。「少しも苦しいと思わない」という言葉は決して強がりではなかったことだろう。苦(く)から離れ、達観しているのだ。

 病に臥(ふ)すと、どうしようもない孤独感が忍び寄ってくる。何となく、置いてきぼりを食ったような感覚に捉われ、家族や社会の足を引っ張っている事実に苦しむ。「病は気から」なんて言うが、身体が病んでしまえば自動的に気も病んでしまう。病院へ入院すれば、そこは病気であることが普通の場所である。深夜にもなれば廊下をひたひたと音も立てずに死の影がうろついている。

 そんな孤独や申しわけなさを乗り越えると、自分自身と向き合わざるを得なくなる。「生きる自分」と「死ぬ自分」が見えてくるのだ。お婆さんの言葉には生きることへの感謝が溢れている。それこそが死を受け容れた証拠であろう。生に対する執着心が、人を不幸のどん底に追いやることは決して珍しいことではない。

 だが、井村は若かった。そして幼い娘がいた。癌が発病し、片足を切断した。しかし、無情にも肺に転移していた――

 その夕刻、自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いてみえるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。犬が、垂れはじめた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いてみえるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊(とうと)くみえたのでした。

 講演で引用されたのはこの箇所だ。死を自覚した時、世界は光り輝いていた。日常の風景が荘厳な世界に変わった。死のショックが視覚野か側頭葉を刺激したのだろうか? 私はそうは思わない。それまでは見えなかったものが、見えるようになったのだ。自分が生の当体であり、死の当体であると悟った瞬間に世界は劇的に変化したのだ。井村が見た光景はこの世の現実であり、真実であった。クリシュナムルティが言う「生の全体性」の一部を彼は覚知したのだ。

 私は既に井村よりも15年長く生きている。だが、井村が見た世界を私は知らない。井村は二人目の娘の顔をみることなく逝ってしまった。それでも、彼が生きて生きて生き抜いたことは確かだ。二人の子は井村を上回る年齢になった。亡き父は、沈黙の中から多くのことを娘達に教えているに違いない。

 

小野田寛郎の悟り
本覚思想とは時間的有限性の打破/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳