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2019-07-20

管季治〈かん・すえはる〉-徳田要請問題


『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 ・管季治〈かん・すえはる〉-徳田要請問題

 2009年8月18日に関連リンク集を作成したのだがあまりにもリンク切れが多いため、若干のテキストコピーと共に紹介する。

 しかし、上京して間もない同年2月中旬、日本共産党の徳田球一が在外同胞引き揚げの妨害をしたとする「徳田要請問題」が彼の身に降りかかった。これは「徳田書記長から、捕虜が民主的な分子となってから還してくれるようにという要請がきている」との発言をシベリア収容所のソ連将校から聞いた抑留者が帰国後に真相究明を求めて衆議院に訴えたもので、この問題に際し、彼は抑留時、意図的に誤った翻訳をしたのではないかという嫌疑を掛けられ、国会で証人喚問を受けることになる。菅は「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」、「ナデーエツァというロシア語には『期待する』という意味はあるけれども『要請する』という意味はない」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。また、このとき「天皇制についてどう思うか」と問われ、菅が「天皇制に対して私は批判的です」と答えると、「(天皇制を認めている日本)共産党以上の本物の共産党じゃないか」と罵倒されている。

 続いて同年4月5日に菅は衆議院に証人喚問された。このときハルビン学院の第一期卒業生を自称する調査員が登場し「訳したければ『期待する』と訳すことも可能だが『要請する』と答えるのが自然だ」として、「菅は『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」[4]と厳しい質問を浴びせ(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、菅は精神的に追い込まれた。この結果、翌4月6日の夜、彼は自宅近くの吉祥寺駅付近で鉄道自殺を遂げた。このとき、同居する弟の学生服の上着を着て、ポケットには岩波文庫の『ソクラテスの弁明』が入っていたという。友人の石塚為雄と弟の忠雄に宛てた遺書には、自らの身の潔白と、事実が通らないことに対する絶望が書かれていた。享年32。

 菅の自殺事件は社会的に大きな反響を呼び、木下順二がこの事件をテーマとする戯曲『蛙昇天』(背景も含めすべて蛙の世界の出来事に置き換えたもの)を書いている。またこの事件は証人喚問が証人自身に多大なる精神的苦痛を与えた例とされ、これ以降、国会は菅のような一般人に対する証人喚問には慎重な姿勢を取っている。

菅季治 - Wikipedia



 これに関連し抑留時、ソ連将校の講話を通訳していた哲学者菅季治は、「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。このため1950年4月5日に菅は衆議院に証人喚問され「『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」と厳しい質問を浴び(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、翌日鉄道に飛び込み自殺した。

徳田要請問題 - Wikipedia



 その後、彼は連合軍司令部に幾度も呼び出され、国会にも証人喚問されることになりました。
 自分が通訳したのは「要請」ではなく「期待する」であった事実を、孤立無援のまま、誠実に繰り返し証言しましたが、認められず、果ては「ソ連式共産党員」とのレッテルを貼られ、脅迫状まで寄せられるようになりました。昭和25年4月6日、彼は吉祥寺付近で列車に飛び込み自殺してしまいました。親友石塚為雄氏あての遺書には「あの事件で、わたしはどんな政治的立場にもかかわらないで、ただ事実を事実として明らかにしようとした。しかし政治の方ではわたしのそんな生き方を許さない。わたしは、ただ一つの事実さえ守り通し得ぬ自分の弱さ、愚かさに絶望して死ぬ。/わたしの死が、ソ同盟や共産党との何か後暗い関係によることでないことを、信じてくれ。/(中略)/人類と真理のために生命をささげようとしながら、わたしは、ついに何一つなし得なかった。しかし、死ぬときには、/人類バンザイ!/真理バンザイ!/と言いながら、死のう。」と書かれていました。享年32歳でありました。

ヌプンケシ103号 | 北見市



「わたしはまじめに自分の死について考えてみた。(中略)そして、次のような結論を得た。自分は凡人である、社会を変革したり、歴史の大波を押し返したりすることはできない。そうだとすれば、わたしの生涯でよい事としては、日常の小さな善行の総和以外にない。だから、もうすぐ死ぬ者として、死ぬまでの短い期間にできるだけ多くの日常的善行を積まなければならない。」菅はこう考えて、行動をおこしました。
hango まず私的制裁=リンチを禁止しました。初年兵に「私的制裁の事実があったらすぐ自分の所に知らせろ。」といい、「下士官や古年次兵は大いに不満だった。『なぐられない兵隊は強くならない』という信条が彼らを支配していたのである。わたし自身は軍隊で人をなぐったことはない。」
「見習士官は官物の被服をもらう。兵隊のと同じ型だがもちろん新しく、軍隊用語で『程度のいい』品物である。わたしは、朝鮮人の中でも最も悪い被服を着ている者を呼び寄せる。上衣の悪い者には自分の上衣を、ズボンの悪い者には自分のズボンを、シャツの悪い者には自分のシャツを与える。そしてわたしは、彼らの悪い上衣、悪いズボン、悪いシャツを身につける。自分にあるだけの布ぎれを修理材料として与える。同僚の見習士官はいやな顔をする。わたしだってこんな行為は、前には偽善的に感じたろうけれど、その時は、死の近づきがわたしを勇気づけたのである。」また、兵士に不満や希望を無記名で書かせ、解決できることは直ぐに実行しました。「わたしという見習士官は、中隊で、ひどい変り者と評判されるようになった。」

ヌプンケシ104号 | 北見市



 戦時中から「私的制裁」に反対していた菅には、これら将校たちの行為は目に余るもので、「収容所における軍隊機構改革の必要を感じた。」ものの、菅自身も将校の一人であり、「どうしていいかわからなかった。わたしは、自分だけ階級章を着けず、『五箇條』を唱えなかった。わたしに敬礼する兵隊に『なぜ敬礼するんだ?』と問うた。」と記しています。

ヌプンケシ105号 | 北見市



ヌプンケシ106号 | 北見市」を読めば書き手が左翼であることがわかる。



 私は日本へ還ってから平凡で真面目な国民の一人として生きようとした。今度の事件でも私はありのままの事実を公けにして国民の健全な判断力に訴えようとしたのである。しかし私を調べた人々には私とソ同盟、私と日本共産党との間になにか関係があると疑って、私の証言の純粋さを否定しようとする。いまの世の中は、ただ一つの事実を事実として明らかにするためにも多くのうそやズルさと闘わねばならぬ。しかし闘うためには私は余りにも弱すぎる。(中略)私はただ悪や虚偽と闘い得ない自分の弱さに失望して死ぬのである。私は人類のために真理のために生きようとした。しかし今までそのため何もしていない。だがやはり死ぬときには人類万歳、真理万歳といいながら死ぬ。(菅季治著「語られざる真実」戦争と平和 市民の記録19 1992.5.25)

蛙昇天



 1917年7月19日、愛媛県に生まれた彼は、6歳(数え)のとき、北海道にわたり、尋常少学校、旧制中学校に進みました。学業成績は非常に良く、中学卒業時には、「開校以来の神童」とうたわれたそうです。

蛙昇天



 翌1949年5月、ソ連は、日本人捕虜全員を11月までに送還すると発表、6月27日から引揚が再開されました。この再開第一回目の引揚船は、出迎えた人々を驚かせることになります。労働歌を合唱し、出迎えの家族にふりむきもせずスクラムを組んで、集団で共産党に入党しようとする、ソ連の思想教育の影響を大きく受けた人々だったのです。これらの人々は「赤い引揚者」と呼ばれ、この年に帰国した人の多くが、そうした引揚者でした。この頃の引揚者は、共産主義にかぶれているという先入観が人々の中に生まれていく中、菅季治も11月に帰国します。

 翌年の1950年の引揚船は、一転して様子が変わりました。右派、いわゆる反ソ組が圧倒的に増えたのです。 1950年1月23日の朝日新聞を見てみましょう。

蛙昇天



 衆議院考査特別委員会は1950年4月5日、菅季治を再度、国会に証人として呼びます。参議院で踏み絵を踏むことを拒否した菅に対して、衆議院は、菅に「共産主義者」というレッテルを貼ることに腐心しました。

蛙昇天



  左派社会党視察団は、過酷な状況で強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、帰国後、「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行った。抑留者帰国後、虚偽の発言であったことが発覚し、問題となる。

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2011-11-17

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ

 ・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 近代ヨーロッパの繁栄を支えたのは奴隷の存在であった。つまり産業革命も国民国家もアフリカ人を踏みつけることで成立したわけだ。

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔

 植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある(Wikipedia)。その後、アメリカ先住民を大量虐殺したヨーロッパ人は労働力として1000万人を超える黒人を輸入した。

Slave trader ledger p.12
(奴隷商人の元帳、1848年)

 奴隷は「物」であった。本書でも法的には「動産」として扱われている。ナット・ターナー(1800-1831年)は実在した人物だ。彼が首謀者となって55人の白人を殺害し、20名あまりが身体に障害を被(こうむ)った。

 本書の冒頭に掲げる《公示》と題した一文は、このボードに関して当時記録された唯一の重要文書に付せられた序文である。この文書は約20ページからなる小冊子で、『ナット・ターナの告白』と大され、翌年初頭リッチモンドで出版されたものであるが、私はその小冊子のいくつかの部分を本書に織りこんだ。物語を書き進めるにあたり、私はナット・ターナーと彼を首謀者とする反乱に関して、【既知の】事実はできるだけ忠実にたどったつもりである。

【『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン:大橋吉之輔〈おおはし・きちのすけ〉訳(河出書房新社、1970年)以下同】

 事実を元にしたフィクションである。当然ではあるが実際のナット・ターナーとは違っていることだろう。しかしながら、ウィリアム・スタイロンの想像力が吹き込まれて、ナット・ターナーが歴史の彼方から蘇ってくるのだ。その意味では著者の己心に実在したナット・ターナーといえるだろう。

Slave

 闇は眼に快かった。長年のあいだ、この時刻には祈りをあげるか、聖書を読むのが私の習慣だった。しかし、囚人となってからのこの5日間、私は聖書を持つことを禁じられ、祈りについては――そう、唇から祈りの言葉をむりやりにでも押し出すことが全くできなくなっていることは、私にとってもはや驚きでもなんでもなくなっていた。だが、この日々の勤行をやりたいという強い欲求はまだあった。それは私が大人になってからずっと長いあいだ、肉体の機能のように単純で自然な習慣になっていたのだ。だがいまは、私の理解を越えた幾何学とか他の不可思議な学問の問題のように、やりとげることがまるで不可能なように思えるのだった。今となっては、いつ自分に祈る力がなくなったかを思い出すこともできない――1ヵ月、2ヵ月、あるいはそれ以上前だったかもしれない。何故その力が私から消え失せたか、その理由でも分かっていれば、せめてもの慰めになっていただろう。ところが、それすらわからず、私と神とへだてる深淵にはいかなる形のかけ橋も見当たらなかったのだ(後略)

 本書のテーマは宗教と暴力である。『一九八四年』は全体主義と暴力を描いた。『黒い警官』は権力と暴力を描いた。この3冊は暴力三部作と名づけていいだろう。私が読んできた小説で最高の部類に君臨する。

 ナット・ターナーは奴隷でありながら読み書きができた。また霊感も強かったようだ。弁護士のグレイはナットのことを「神父さん」と呼んでいる。

 人を疑うことを知らなかったアフリカ人が、まんまとヨーロッパ人に騙されてアメリカへ輸入された。船倉に押し込められ、劣悪な環境の中で死んでいった人々も多かった。鎖に縛られて運ばれたアフリカ人は、アメリカに降ろされると今度は鞭を振るわれた。

whippingPostDover,Del

 鞭を持つのは神の代理人である白人であった。彼らは「神の支配」という妄想に取りつかれているため、その反動として現実世界で支配せずにはいられないのだ。他国をヨーロッパの植民地とするのは当然の権利であり、グローバルスタンダードという名を借りた自分たちのルールを押しつけるのも朝飯前だ。

「南部だけじゃなく北部でも、アメリカじゅうで、みんなが不思議に思った、どうして黒んぼどもがあんなに団結できたんだろう? どうしてあいつらがあんな【計画】を考えだし、それを整然と言ってもいいくらいにおし進めて、実行に移すことができたんだろう、とね。だが、だれにもわからなかった、真相はどうしてもつかめなかった。なにがなにやらさっぱりで、五里霧中の有様だったわけだ」

 白人が黒人を猿同様に考えていたことがよくわかる。

 すべての黒人が12歳か10歳かあるいはそれよりも早くから、自分は白人から見れば人格も道徳観も魂も欠けたただの商品、品物にすぎぬことを自覚するときにもつようになるあの内的な感じ――それは言葉で表わすことはほとんど不可能な実在感だ――を表現したのもハークだった。その感じをハークは【黒ぼけ】と名づけたが、それは私の知っているどの言葉よりも、すべての黒人の心情にひそむ麻痺状態と恐怖とを簡明に表現している。

 黒人が奴隷となる様相を見事に描いている。自由を奪われた人間は無気力になる。奴隷という身分自体が強制収容所と同じ機能を果たすのだ。

「お前の評判は、いわば、お前に先行してるんだ。ここ数年間、ひとりの非凡な奴隷についての驚くべき噂がわしの耳にとどいていた。その奴隷は、このクロス・キーズの近在で何人かの主人に、転々と所有されたが、もって生まれた卑賤な境遇をよく克服して――語るも不思議(ミーラーピレ・デイクトゥ)や――すらすらと読み書きができるようになり、その証拠をみせろとあれば、自然科学のむつかしい抽象的な著作も読解してみせるし、また、口から出まかせの口述筆記もみごとな書体で何ページでもやってのけるし、さらに、簡単な代数が分かるくらいに算数もマスターしているし、他方、聖書のほうの理解もずいぶん深いもので、数少ない神学の大家のうち彼の聖書の知識を試験したものたちは、彼の博学のすばらしさに驚いて首をふり退散したそうだ」彼は言葉を切り、げっぷをした。

「要するに、この呪われた国のもっとも惨めな底辺の一人でありながら、自分の悲惨な境遇をよく克服して物ではなく【人間】になった一人の奴隷の存在を想像するということは――そんなことは、どんな奔放な想像の域をも越えた話だ。否(ノー)、否(ノー)! そんな異形(いぎょう)のイメージを受け入れることを拒否する! 説教師さん、【ネコ】という字はどう書くのかいってみてくれ、え? さあ、この悪ふざけの流言の本当のところをわしに証(あか)してみせてくれ!」

 読み書きは自問自答へといざなった。信仰は神との対話であった。ナット・ターナーの内側では他の奴隷たちと隔絶した自我が芽生えたのだろう。そもそも学ぶこと自体が自由を意味する。そして自由を享受するほど不自由に敏感となってゆく。

 ナットの主人であるサミュエル・ターナーは奴隷制に反対していた。しかし不幸なことにナットの知性は本質を見抜いていた。

 しかしいぜんとして不幸な事実は残る。暖かい友情や一種の【愛情】が(※主人であるサミュエル・ターナーとナットの)二人のあいだに通いあってはいたが、私が養豚とか新式肥料の散布のばあいとまったく同じような実験対象にされていたことに変わりはないのだ。

 ある日のこと、仲間が売られてしまったことにナットは気づく。サミュエル・ターナーは弁明した。

「たしかに、真の人間といえるものはまだどこにもいはしない。【たしかに】そうなんだ! なぜなら、これまでの人間は分別のない愚かものばかりで、それだけがおのれの同属、同胞と卑劣きわまる関係を保って生きているのだ。それ以外にどうしてあんなにぶざまで恥かしい憎むべき残酷さを説明できようか! ふくろねずみやスカンクでさえもっと分別がある! いたちや野ねずみでさえ自分の同類い対しては天性の愛情というものをもっている。人間と同じように低劣ことがやれるのはただ虫けらだけだ――夏になるとポプラの木に群がって、甘い蜜を分泌する小さなあぶらむしどもと貪婪(どんらん)に結ばれようとする蟻のように。そうだ、たぶん真の人間らしい人間はまだどこにもいはしないのだ。ああ、神はどんなにか痛恨の涙を流していらっしゃることか、人間の他の人間に対する所業をごらんになって!」急に言葉がとぎれた。見ると彼は発作を起こしたように首をふり、とつぜんこう叫んだ、「それもすべて金の名において行なわれているのだ! 【金】の!」

 サミュエル・ターナーは罪悪感を隠せなかった。そしてナットをも手放すことになる。新しい主人はエップス牧師だった。

「話によるとだな、黒んぼの男は一般にふつうよりも1インチ長い一物(いちもつ)をもっとるそうだが、そうなのかい、ぼうや?」
 私は、ふるえる指を太腿に感じながら、じっと押し黙っていた。

 エップス牧師は男色家だった。ナットが拒むや否や苛酷な労働を命じ、あろうことか近隣の人々に無料でナットを貸し出した。この二つの出来事がナットの心に暗い影を落としたことは容易に想像がつく。

 飢えと同様、私は鞭も経験したことがなかった。鞭がふりおろされて首筋に火縄のようにまきついたとき、痛みが光のように炸裂して頭蓋の空洞のなかでぱっと花ひらいた。私は思わずあえいだ。痛みは喉の内側につきぬけて尾をひき、私を窒息させてしまいそうな気がしたので、さらにまたあえいだ。そのときになってはじめて、つまり数秒後のことだが、やっと鞭の音が私の心に知覚され――それは空を切る鎌のような妙にもの静かなひゅうという音だった。またそのときはじめて、私は片手をあげて生皮鞭が肉にくいこんだ箇所をさわってみたが、熱くねばねばした血の流れを指先に感じた。

1863
(鞭打ちによる傷痕、1863年)

 白人に対する鋭くはげしい憎悪は、もちろん、黒人たちが心のなかに容易に抱きうる感情である。しかし実をいえば、すべての黒人の心のなかにそのような憎悪が充満しているわけではない。それが至るところで華々しくはびこるには、あまりにも多くの神秘的な生活や機会の様式(パターン)が必要なのである。そのような真実の憎悪――それは非常に純粋かつ頑固な憎しみで、どんな人間味のあるあたたかい気持も、どんな共感や同情も、その石のような表面には微細な刻み目やひっかき傷すらつけられないほどのものだ――は、すべての黒人に共通しているものではない。それは、残忍な葉をつけた花崗岩の花のように、育つときには育っていくが、それももとはといえば不確かな地面にまかれた弱い種子から出てくるのである。その憎悪が完全に結実するには、悪意にみちた充分な育ち方をするには、多くの条件が必要だが、そのうちでも、黒人がそれまでのある時点において白人とあるていど親しく暮らした経験があるという事実はもっとも重要な条件である。黒人が自分の憎悪の対象をよく知るということ、白人の策略、欺瞞、貪欲さ、腐敗の極致、を知るようになるということは、もっとも必要なのだ。
 なぜなら、白人を親しく知らなければ、その気まぐれで不遜な温情に屈服したことがなければ、その寝具や汚れた下着や便所の内部の臭いをかいだことがなければ、自分の黒い腕が白人女の指にさりげなく横柄にさわられたことがなければ、また、白人がふざけたり、くつろいだり、心にもない信心をしたり、下劣な酔っ払いかたをしたり、干し草畑で欲情まるだしに不倫の交接をしたりするところを目撃したことがなければ――そういう打ちとけた内輪の事実を知悉していなければ、黒人の憎悪はあくまでたんなる【見せかけ】にすぎないのだ。そんな憎しみは抽象的な幻想にすぎない。

 奴隷が立ち上がるには白人の権威を失墜させる必要があった。権威とは神格化の異名でもある。天上人(てんじょうびと)と思い込んでしまえば、手が届かないから殴る気も起こらない。

 ナットは実際には一人の白人娘を殺しただけであった。そのことについて書かれたページがあるのを今思い出した。

ウイリアム・スタイロン 『ナット・ターナーの告白』をめぐる諸問題

 ナットは弁護士のグレイにこう告げた。

 しかし、これだけはいっておきたい、それをいわなければ黒人の生存の中心にある狂気を理解していただけないからだ――すなわち、黒人というものは、叩きのめし、飢えさせ、自分自身のたれた糞の中にまみれさせておけば、これは生涯あなたのいいなりになるだろう。突拍子もない博愛主義のようなものを仄めかして畏れさせ、希望を持たせるようなことをいってくすぐると、彼はあなたののどをかっ切りたいと思うようになるだろう。

Nat Turner -Nat_Turner_captured
(ナット・ターナー)

 この複雑性を理解するのは難しい。ただしヒントがある。

 夕食時限に近い頃、もしやと思っていた鹿野が来た。めずらしくあたたかな声で一緒に食事をしてくれというのである。私たちは、がらんとした食堂の隅で、ほとんど無言のまま夕食を終えた。その二日後、私ははじめて鹿野自身の口から、絶食の理由を聞くことができた。
 メーデー前日の4月30日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
 これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

 恵まれた位置から施される優しさは、時に暴力と等しい力を発揮する。人間らしさに触れることで苦しみの純度が高まるのだろう。単なる惨めさではない。相手と自分との間に存在する世界の深淵を垣間見てしまうためだ。微温的な態度が人を傷つけることは日常でも決して珍しいことではない。

 またナットが叛乱を成功に導くことができなかったのは、ただ単に暴力への耐性がなかったためだろう。

William Styron
(ウィリアム・スタイロン)

 出版直後から異論・反論も多かったようだが、ウィリアム・スタイロンは見事にナット・ターナーを蘇らせた。

 ナットの人間的な資質もさることながら、私はキリスト教に巣食う暴力的な側面を見逃すことができないと考える。バイブルには暴力と死がゴロゴロ転がっている。で、一番人殺しに手を染めているのは神様自身なのだ。神は人間に命令する。それが妄想であったとしても、敬虔なクリスチャンであれば実行するに違いない。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた

 絞首刑に処されたナットの遺体は皮をはがれ、首を切られ、八つ裂きにされた。そして復讐の念に燃えた白人の暴徒は手当たり次第に黒人をリンチした。


ナット・ターナーが反乱を起こした日
キリスト教の浸透で広がった黒人霊歌の発展
ついに自由を我らに 米国の公民権運動(PDF)
クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平
愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎

2020-10-28

ストア派の思想は個の中で完結/『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳


『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳

 ・ストア派の思想は個の中で完結

必読書リスト その五

 「なぜ多くの逆境が善き人に生じるのですか」。善き者には悪は何一つ生じえない。正反対のもの同士は混ざらないからである。それはちょうど、かくも多数の河川が、上空から落下した、かくも多量の雨水が、鉱泉のかくも多大な成分が、海の味を変えないどころか、薄めすらしないのと同じである。同様に、逆境の攻撃は勇者の精神を背(そむ)かせはしない。同じ姿勢を保ち、生じ来(きた)るいっさいを己の色に変える。いかなる外部の事象よりも協力だからである。それらを感じないというのではない。打ち克つのだ。そして、いつまでも、平穏に穏やかに、襲いかかるもの抗して屹立(きつりつ)し、あらゆる逆境を鍛錬とみなす。しかし、いかなる男子が、高潔な行為へと一度その意を定めた者ならば、正義の労苦を熱望しつつ、危険のともなう任務を志願せずにいられようか。

【『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳(岩波文庫、2008年/『怒りについて 他一篇』茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳、岩波文庫、1980年)】

 旧訳と併せて読むのが正しい。茂手木訳には「神慮について」が、兼利訳には「摂理について」と「賢者の恒心について」が収められている。甲乙つけがたい翻訳だ。

 ストア派の思想は個の中で完結している。時代や社会がどうあれ、問われるのは己の生き方だ。否、「あり方」というべきか。人の悩みや葛藤は往々にして比較と競争から生まれる。そこに社会的動物の所以(ゆえん)もあるのだろう。

 他人にどう見られるかよりも、自分がどうあるかを問う。集団の中で生きれば様々な問題を他人のせいにしたくなるのは人情だが、「あいつが悪い、こいつが悪い」と言ったところで、そこにあるのは「変わらぬ自分の姿」だ。他人をコントロールすることは難しい。自分で自分を動かす方が賢明だ。

 セネカの言葉はあたかも鹿野武一〈かの・ぶいち〉を語っているかのようである(『石原吉郎詩文集』石原吉郎)。酷寒の地シベリアに抑留されながらも自分の人生を決して手放すことのなかった稀有な人物だ。私はどんな功成り名を遂げた有名人よりも鹿野の生き様に憧れる。

 西洋哲学はおしなべて思弁に傾く嫌いがあるが、セネカの言葉には決意の奔流ともいうべき勢いが溢れ、2500年を経ても留(とど)まるところを知らない。

2009-10-04

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳


『われら』ザミャーチン
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳

 ・現在をコントロールするものは過去をコントロールする
 ・修正し、改竄を施し、捏造を加え、書き換えられた歴史が「風化」してゆく

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
SNSと心理戦争 今さら聞けない“世論操作”
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
ドキュメンタリー映画『プランデミック 3 ザ・グレート・アウェイクニング』〜PLANDEMIC 3: THE GREAT AWAKENING〜

必読書リスト その五

 ディストピア小説の傑作が新訳で蘇った。信じ難いほど読みやすくなっている。高橋和久が救世主に思えるほどだ。世界を読み解く上で不可欠の一書である。舞台設定を未来にすることで、権力の本質が管理・監視・暴力にあることを描き切っている。一見、戯画化しているように思われるが、むしろ細密なデフォルメというべき作品だ。

 それにしてもこんなに面白かったとは! 私は舌なめずりしながらページをめくった。権力は、それを受け容れる人々を無気力にし、自由を求める者には容赦なく暴力を振るう。暴力を振るわなければ維持できない性質が権力にはある。

 優れた小説は人間精神の深奥に迫る。そして精神の力は、肉体に加えられる暴力によって試される。アラブ小説が凄いのは、「想像力としての暴力」ではなく、「現実の暴力」に立脚しているためだ。

 もう一つの太いテーマは、「歴史と記憶」である。権力者は歴史を修正し改竄(かいざん)する。なぜなら、権力の正当性は常に過去に存在するからだ。過去は現在という一点に凝縮され、その現在は未来をも包摂している。つまり、過去と未来は現在を通してつながっているのだ。このため、過去に異なる情報が上書きされると、現在の意味が変質し、未来までもが権力者にとって都合のいいように書き換えることが可能となる――

 党は、オセアニアは過去一度としてユーラシアと同盟を結んでいないと言っている。しかし彼、ウィンストン・スミスは知っている、オセアニアはわずか4年前にはユーラシアと同盟関係にあったのだ。だが、その知識はどこに存在するというのか。彼の意識の中にだけ存在するのであって、それもじきに抹消されてしまうに違いない。そして他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば――すべての記録が同じ作り話を記すことになれば――その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言う、“過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする”と。それなのに、過去は、変更可能な性質を帯びているにもかかわらず、これまで変更されたことなどない、というわけだ。現在真実であるものは永遠の昔から真実である、というわけだ。実に単純なこと。必要なのは自分の記憶を打ち負かし、その勝利を際限(さいげん)なく続けることだ。それが〈現実コントロール〉と呼ばれているものであり、ニュースピークで言う〈二重思考〉なのだ。

【『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳(ハヤカワepi文庫、2009年/吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年/『世界SF全集10 ハックスリイ オーウェル』村松達雄・新庄哲夫訳、早川書房、1968年新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫、1972年)】

 恐ろしいことに記憶よりも記録が歴史を司る。そして、記録が抹消されれば過去の改竄はたやすく行われる。移ろいやすく変質しやすい記憶は、記録によって塗り替えられる。

「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」という党のスローガンはこの上なく正しい。民衆をコントロールできる権力者は、歴史をもコントロールできるのだ。

 仏教では権力者の本質を「他化自在天」(たけじざいてん)と説いた。「他を化(け)すること自在」というのだ。しかも、人界の上の天界が住処となっているから、上層で君臨している。本書に照らせば、「他」というのは「他人の記憶」までもが含まれることになる。

 二重思考(ダブルシンク)は人間の業(ごう)ともいうべき性質である。例えば理性と感情、分析と直観、意識と無意識など我々はいつでもどこでも二重性に取り憑かれている。なぜなら、人間の脳が二つ(右脳と左脳)に分かれているからだ。そう考えると、人間は元々分裂した状態にあると考えることも可能だ。

 そして権力者は人々を分断する。自他の間に懸隔をつくり出す。悪の本質はデバイド(割り→分断)にある。

 オーウェルが象徴的に描き出したビッグ・ブラザーは社会のそこここに存在する。それにしてもオーウェルはとんでもない宿題を残してくれたもんだ。

【問い】ビッグ・ブラザーのような権力者とあなたはどのように戦えるかを答えなさい。制限時間は死ぬまで。



岡田英弘
岡崎勝世
野家啓一
『死生観を問いなおす』広井良典
寿命は違っても心臓の鼓動数は同じ/『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄
将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー
読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
人間と経済の漂白/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す/『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ
過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる/『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
コミンテルンの物語/『幽霊人命救助隊』高野和明
『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介
パーソナルデータは新しい石油である/『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2012-11-27

文体とスタイル/『書く 言葉・文字・書』石川九楊


 表現のなかで、人間がいちばん惹(ひ)かれるのは、その文体、スタイルである。人間を好きになる場合でも、その人のスタイルを好きになるのだ。どう生きているか、といった対他的、対社会的スタイルに共鳴するかしないか、である。

【『書く 言葉・文字・書』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(中公新書、2009年)】

 挫折本である。読書日記に書くのも忘れていた。多分今年の1月に読んだと記憶する。石川の頑(かたく)なさが、どうも肌に合わない。書字にこだわって主張が勝ちすぎている。相手の話に耳を傾けるゆとりが感じられない。文章は神経質で生硬さを帯び、『一日一書』のような軽やかさに欠ける。主張をすればするほど人間の幅が狭く見えてくる。

 それでも尚、この一文は光っている。私の内側でモヤモヤとした疑問が立ちどころに形をなして、そのまま氷解した。我々が物語に感動するのはストーリーや構成よりも、文体や語り口によるところが大きいのだろう。

歴史とは文体(スタイル)の積畳である」とまで石川は言い切っている。

人間の表出と表現の積畳が歴史

「生の本質は反応である」という我が持論からすれば、「反応は常に表現的である」と導かれる。これは意図や演出があろうとなかろうと、相手の瞳には「表現」と映ることを意味する。

 こう書くと何だか小難しい話に聞こえるかもしれないが、好きなヒーローやヒロインを思い浮かべると腑に落ちる。例えばロバート・B・パーカーが描くスペンサー、例えば私が敬愛してやまないアフマド・シャー・マスード鹿野武一〈かの・ぶいち〉など。そのスタイルを我々は「生きざま」と呼ぶのだ。

「ざま=様、態」とは「さま」が訛(なま)った言葉で、その意味は次の通りだ。「1.物事や人のありさま。ようす。状態。 2.姿かたち。かっこう。 3.方法。手段。 4.理由。事情。いきさつ。 5.おもむき。趣向。体裁」(「大辞林」による)。

 つまり「物」ではなく「事」である。固定ではなく変化。単独ではなく関係性。

 思考や性格を支えているのも多分文体である。石川の指摘はそれほど深い。


香る言葉/『ストーナー』ジョン・ウィリアムズ
思想する体/『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
「自己」という幻想/『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』ローン・フランク

2018-04-28

安倍首相辞任の真相/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 最近、ブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライスが回顧録を出しましたが、そのかで北朝鮮に対する日本政府の対応を痛烈に非難しています。ライス国務長官は、当時のチェイニー副大統領などの強硬派の意見を退けて、ブッシュ大統領に北朝鮮との話し合い路線を進めていたからです。アメリカは「テロ支援国家」の名簿に入れていた北朝鮮を、名簿から外す方向で考えていたのです。
 しかし安倍さんは、日本人を拉致するというのはまさしくテロではないか。北朝鮮はテロ支援国家どころかテロ国家そのものだと主張しつづけてきた。それで2007年9月9日にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)がオーストラリアのシドニーで開催されたとき、「北朝鮮をテロ支援国家から外さないように」とブッシュ大統領に懇願したのです。それに対してブッシュ大統領は「考えましょう」と返事をした。
 ところが帰国した翌日、安倍さんは午後の衆院本会議で施政方針演説をやる予定でしたが、その午前中に、アメリカ大使館から「ノー」という返事がきた。「大統領は北朝鮮のテロ支援国家指定解除をやります」と。安倍さんはいわばアメリカから梯子(はしご)を外されてしまったのです。これで完全にギブアップした安倍さんは、2日後の9月12日に「健康上の理由」で突如、辞任を表明することになってしまったのです。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った」の続きを。この事実をどう捉えるか? 中には「そんなことぐらいで……」と思う人もいるだろう。安倍首相は拉致問題に政治生命を懸けていたに違いない。小泉首相訪朝後、拉致被害者5人が日本に帰国したが、小泉は彼らを北朝鮮に帰すつもりだった。これに猛反対したのが安倍晋三官房副長官と中山恭子拉致担当内閣官房参与だった。

「戦後レジームからの脱却」とは史実に基づく日本近代史の見直しと、自立した国家すなわち自分の国は自分で守るという当たり前の姿を目指すものだ。アメリカに国家の安全保障を委ね、左翼政党や進歩的文化人に配慮する中で拉致被害が発生した。当初は政府はおろかどの政党もその事実を認めようとはしなかった。シベリア抑留の二の舞を踏んだといってよかろう。

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

 そして今再び北朝鮮を巡って世界が揺れている。アメリカは二度にわたって日朝国交正常化を阻んできた(『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘)。もう一つ重要な歴史として米中国交回復のためにアメリカは沖縄を返還した(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)事実を忘れてはならない。

 トランプ大統領が安倍晋三を信頼しているのは確かだが、アメリカ・ファーストのためとあらばまたしても梯子を外す可能性を考えておく必要がある。もしもアメリカがアジアから一歩退くとなればそこに中国が攻め込んでくる。アメリカ頼みの防衛は極めて危険である。インド・ロシアそしてASEAN諸国・台湾との連携を模索すべきだ。今直ぐに。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
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2014-10-02

ジェノサイドの恐ろしさ/『望郷と海』石原吉郎


 ・目次
 ・ジェノサイドの恐ろしさ

『海を流れる河』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆

 確認されない死のなかで
   ――強制収容所における一人の死

百万人の死は悲劇だが
百万人の死は統計だ。
アイヒマン

 ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、【ひとりひとりの死】がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害において自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。

【『望郷と海』石原吉郎:岡真理解説(筑摩書房、1972年/ちくま学芸文庫、1997年/みすず書房、2012年)】

『望郷と海』が復刊された。みすず書房は最初から売れないものと決め込んだのだろう。3240円は高い。重複した内容が多いので『石原吉郎詩文集』の方がオススメできる。

 本書を「日本版 夜と霧」と評する向きもあるようだが的外れだ。石原吉郎は日本版プリーモ・レーヴィであり、本書は「日本版 アウシュヴィッツは終わらない」というべきだろう(『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ)。石原は長く生きたが、その末期(まつご)まで酷似している。

 強制収容所は労働を強制する場所だ。働けなくなればその場で殺されることも珍しくはない。石原自身何度も目の当たりにしてきた。彼らは単なる労働力であって人間と見なされることがない。石炭や石油と同じくエネルギーに例えることも可能だろう。

 石原が抱いた恐怖は存在に関わるものだ。まずシベリア抑留という国家から見捨てられた立場があり、次にいつ殺されるかわからない情況がある。つまり彼らは二重に否定された存在なのだ。

 人は尊厳を奪われるとただの動物と化す。石原は帰国後、失語症となり実際に言葉まで失った。

 血で書かれた言葉は石に彫(ほ)られた文字のように重い。その目方に耐えることのできる下半身の力が読み手に求められる。そんな本だ。

望郷と海 (始まりの本)
石原 吉郎
みすず書房
売り上げランキング: 182,218

2012-08-26

寿福寺再訪


 鎌倉は風がいい。少し歩いただけで潮の香りと山の匂いを味わえる。颯々(さっさつ)という言葉がしっくりくる。

 ふた月ほど前に再び寿福寺を訪ねた。3年振りのことだ。

石原吉郎と寿福寺/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

 亀ヶ谷坂切通しを歩きたかったので、わざわざ遠回りした。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の左手を上り、道元鎌倉御行化顕彰碑をやり過ごし、建長寺を越えた辺りからまざまざと記憶が蘇る。切通しの入り口に迷うことはなかった。

 寿福寺に迫ると傍らの線路を電車が通過した。以前、「私は、〈走る留置所〉と呼ばれるストルイピンカを想った」と書いたが、その電車は何と総武線快速であった(※横須賀線も走っている)。私が長らく住んだ亀戸(かめいど)の隣町である錦糸町へ向かう電車だ。思わず「嗚呼(ああ)」という言葉を吐きそうになったが、ぐっと飲み込んだ。ひょっとしてこの線路が私と石原吉郎をつないでいたのかもしれぬ。

 寿福寺は木漏れ日を用意して私を迎えてくれた。あちこちにある鎌倉石が色鮮やかな苔(こけ)をまとっていた。私は足早に歩き、北条政子と源実朝の墓を一瞥した。新しい発見は何もなかった。

 階段を下りてゆくと私を呼ぶ声がした。振り向くと木漏れ日を揺らすように風が吹き渡った。

 鎌倉駅へ向かうと観光客がごった返していた。雑踏を柔らかい夕日が包み始めた。

 石原が何度も歩いた北鎌倉の道だったが私は一度で飽きた。それでも尚、いつの日か寿福寺を訪ねることになるだろう。なぜかそんな気がする。

2012-06-16

羽田正、フォークナー、マーク・ローランズ、香月泰男、小室直樹、苫米地英人


 3冊挫折、3冊読了。

興亡の世界史 第15巻 東インド会社とアジアの海』羽田正〈はねだ・まさし〉(講談社、2007年)/タイミングが合わず。別の機会に読む予定だ。

フォークナー短編集』フォークナー:龍口直太郎〈たつのくち・なおたろう〉訳(新潮文庫、1955年)/フォントが小さすぎる上、訳文が私の口に合わなかった。最初の「嫉妬」すら読了できず。

哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン』マーク・ローランズ:今泉みね子訳(白水社、2010年)/著者の人相が悪すぎる。獣じみた顔つきをしている。文章もまだるっこしい。

 32冊目『没後30年 香月泰男展図録/香月泰男〈私の〉シベリア、そして〈私の〉地球』(朝日新聞社、2004年)/シベリア・シリーズの鈍い金と黒に沈黙を強いられる。個人的な心情として鹿野武一〈かの・ぶいち〉の態度が、石原吉郎の言葉が思われてならなかった。香月泰男〈かづき・やすお〉はふてぶてしいまでの生命力でシベリアを生き抜いた。絵、というよりはイコンに近い作品群であろう。絵画を見て肚の底から唸(うな)ったのは初めてのことだ。

 33冊目『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)/やはり小室は凄い。合理的思考を学ぶのなら小室の著作を読むのが手っ取り早い。目から鱗が落ちることを請け合おう。後半は経済学の話題が豊富で実に勉強になった。ただしこの人の文体は少し癖がある。

 34冊目『「生」と「死」の取り扱い説明書』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(KKベストセラーズ、2010年)/粗製濫造気味ではあるが、要所要所に卓見が散りばめられており予断を許さないところがある。恐ろしいほど自我が肥大している人物だけに、最新科学から見た仏教解説と割り切って読むべきだろう。ま、仏教を語りながら自分の宣伝にいそしんでいるだけのことだ。

2019-08-12

人間は権威ある人物の命令に従う/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス


『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 ・服従心理のメカニズム
 ・キティ・ジェノヴィーズ事件〜傍観者効果
 ・人間は権威ある人物の命令に従う
 ・社会心理学における最初の実験

『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ

権威を知るための書籍

 このびっくりするような実験は、今現在に至るまで心理学の歴史のなかで重要なものとして、議論を巻き起こし続けている。なぜならば、人は権威のある人物に命じられれば、力で強制されなくても破壊的な行動をしてしまうことがあること。そして、悪意もなく異常でもない人が、非道徳的で非人間的な行為を行うことがあり得ると言うことが明らかになったからである。さらにいえば、ミルグラムの実験は、個人の道徳性について私たちが思っていたことを根本から揺るがせてしまった。道徳的なジレンマに直面したとき、普通は、人は良心に従って行動すると考える。しかし、権力が社会的な圧力を加えているような状況では、私たちが持っている道徳概念などはたやすく踏みにじられてしまうことをミルグラムの実験は劇的な形で示したのである。

【『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス:野島久男、藍澤美紀〈あいざわ・みき〉訳(誠信書房、2008年)】

 道徳心を塊(かたまり)にしたような若い男がミルグラム実験に参加したと仮定しよう。彼は被験者に与える電圧の上昇を頑なに拒んだ。「続行してください」。若者は突如として恐るべき勢いで白衣の男に襲い掛かった。まず小指の骨を折り、軽く鼻の下にパンチを加え、猛然と喉仏に手刀を叩き込んだ。白衣の男は既に事切れていた。若者は実験に関与していた人々を全て殺害し、更にはミルグラムをも撲殺した。こうして人間の道徳心は見事に証明された。

 心理学の実験が胡散臭いのは人々の反応を見下す実験者の眼差しが原因だ。彼らは箱庭みたいな特殊な状況を設定し、易々(やすやす)と人間を語ってみせる。ミルグラム実験によっていくばくかの死人が出てしまうと思い込んでしまえば、上述したような男性が出てきてもおかしくはない。とすると極限状況における暴力やテロ行為を容認せざるを得ない結果となろう。

 私が知る限り良心を行動に移せるのは暴力的傾向の強い男性である。例外は鹿野武一〈かの・ぶいち〉くらいなものだろう。

2010-04-02

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔


 ・大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった

『果糖中毒 19億人が太り過ぎの世界はどのように生まれたのか?』ロバート・H・ラスティグ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その四

 貿易の二大スターは織物と砂糖だそうだ。万人が欲するヒット商品が現れた時、世界はどのように動くかがわかりやすく描かれている。こういう本が学校の教科書であれば、学習は「強いて勉める」必要はなくなることだろう。さしずめ現代であれば、石油や兵器が砂糖同様に世界を席巻しているはずだ。

 砂糖は当初、薬としても利用されていたという──

 じっさいのところ、砂糖には、驚くほど多くの用途や「意味」がありました。ルネサンス以前の世界では、イスラムの科学の水準がヨーロッパのそれなどよりはるかに高かったのですが、そのイスラムの医学では、砂糖はもっともよく使われる薬のひとつでした。中世のヨーロッパでも、事情は同じです。砂糖が本格的に使われはじめた16〜17世紀には、砂糖には、結核の治療など10種類以上の効能が期待されていました。

【『砂糖の世界史』川北稔〈かわきた・みのる〉(岩波ジュニア新書、1996年)以下同】

 当時はまだ食欲が満たされるような生活ではなかったであろうから、カロリーが高く、真っ白い砂糖が薬として使用されることに全く不思議はない。初めて味わった人であれば、ドラッグを服用したような感覚に捉われたことだろう。

 インドを支配したことによって、イギリスでは紅茶がもてはやされるようになる。そして紅茶に砂糖を入れる習慣が上流階級の間で生まれた。イギリス大衆はこうした嗜好(しこう)に憧れを抱いて真似るようになる。砂糖をもっと生産する必要があった。そして、そのための労働力も確保しなければならなかった──

 砂糖と奴隷制度の悪名高い結びつきは、こうしてすでにイスラム教徒が世界の砂糖生産を握っていた時代から、はじまりました。(8世紀)

 16世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ人が大西洋をこえて、カリブ海やブラジル、アメリカ合衆国などに運んだ黒人奴隷は、最低でも1000万人以上と推計されています。なかでも、ポルトガル人とイギリス人、フランス人がこの非人道的な商業を熱心に展開したのです。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 いつの時代も平和に暮らす人々が暴力にさらされた。平和は暴力に対してあまりにも無力だった。イギリスの豊かな生活を支えるために、黒人は鞭を振るわれながら働かされた。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教の正義は、独善となって異民族に襲い掛かる。戦争を始めるのは必ず彼等である。神の名を借りた暴力は手加減することを知らない。神の僕(しもべ)以外は虫けら同然だ。人種差別も同様で、差別する側は常に白人である。そして元はといえばアブラハムの宗教であるにもかかわらず争いが絶えることがない。

 人類最大の詐欺こそは「神」であると私は思っている。人間は神の似姿として造られたなんて、まことしやかに伝えられているがそれは逆だ。人間を投影したものが神なのだ。大体、いるのであれば、もっと頻繁に顔を出せって話になるわな。氷河期の時も、戦争の時も神様は一度だって姿を現した例(ためし)がないよ。神が存在するなら、これほどの怠け者は他に見当たらない。きっと神隠しにでもあったのだろう。

 奴隷の労働によって生み出された価値は、そっくりイギリスに持ってゆかれた──

 産業革命がまずイギリスに起こったのも、奴隷や砂糖の商人たちの富の力によるのだ、と主張する意見もあるくらいです。

 つまりイギリスという名前の大泥棒がいたってことだ。泥棒野郎はいまだにでかい顔をしてのさばっている。これがジェントルマンの国の正体だ。

 人類の癌はキリスト教、白人、欧米、ナショナリズムである。これに替わる新たな文明の台頭が待たれる。



ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
あらゆる事象が記号化される事態/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール
黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

2015-10-31

子供を虐待するエホバの証人/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
エホバの証人の輸血拒否

 ・読後の覚え書き
 ・子供を虐待するエホバの証人

『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの島』目黒条
『杉田』杉田かおる
『マインド・コントロール』岡田尊司

エホバの証人批判リンク集

 エホバの証人には細かい儀式や規則がなく「自由な民である」という主張とは裏腹に、実際にはさまざまな抑圧の決まりごとがあった。誕生日、クリスマス、正月など全ての行事はご法度。学校では体育の武道の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず校歌を歌うのも禁止。タバコはもちろんダメで、さらに乾杯の行為そのものまで禁止された。(中略)
 婚前交渉はおろか、思春期のデートも禁止である。エロ本は見てはならないし、男子であればオナニー禁止という異常な規則が敷かれる。陶然、結婚相手は信者同士でなくてはならない。

【『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅〈さとう・のりまさ〉(河出文庫、2017年/河出書房新社、2013年『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』改題)以下同】

 宗教とは「タブー(禁忌)を共有するコミュニティ」を意味する。仏教だと戒律、キリスト教だと十戒となる。

「してはならない」「せよ」との命令に宗教の本質がある。アブラハムの宗教は性的抑圧が顕著で、その反動と考えられる犯罪――聖職者による児童強姦など――が後を絶たない。イスラム教過激派は「天国に行けば72人の処女とセックスしまくることができる」と囁いてジハードを勧める。イスラム法で禁じられているアルコールも飲み放題だ。「♪天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」(「帰ってきたヨッパライ」)というわけだ。

 幼い子供は親を批判し得るほどの知識を持ち合わせていない。動機を欠いたまま彼らは信仰を強要される。私はエホバの証人が格闘技や武道を禁じていることを知っていた。それが戦争参加を拒んできた長い歴史に基づく考えなのだろうと勝手に称賛の思いを抱いてきた。だが上記の細かい禁止事項の数々を知ると、やはり首を傾(かし)げざるを得ない。型によって成型された異形の人間が見える。24時間にわたってレフェリーが見つめるような生活から伸び伸びと子供が育つわけがない。

 少なからずエホバに抱いてきた共感が木っ端微塵となったのは、母親たちが喜び勇んで子供を虐待する事実を知った時であった。

 でもやっぱり子供たちだから、集会時間が長くなると退屈になりぐずることになる。子供がじっと座っていないと恐怖のムチが待っていた。80年代は熱血的な証人たちの親が多く、スパルタ教育を行っていた。集会には小学生の子供がたくさんいた。集会中に悪さをすると、親が耳を引っぱってトイレに連れていった。そしてしばらくして「パシン!」と音が一発する。いつものことなので、講演者も何事もなかったかのように話を淡々と進める。トイレの扉が開いて顔を拭いながら友達が出てくるとそのまま席に戻る。
 ある時、2歳か3歳ぐらいの小さな子供がぐずりはじめた。何度か注意されたが止まらなかった。それで母親は子供をつかんで、立ち上がった。子供はもっと叩かれると分かっているので、大騒ぎをした。その子の母親は、暴れる我が子をトイレまで腕に抱えて連れていった。すぐに子供の泣きわめく声が響きわたる。それから「ピシ!」と音がする。子供はもっと大きい声で叫んだ。それでまた「ピシ!」と音がする。母親が子供に怒鳴っているのが分かる。子供の叫び声はもっと大きくなる。今度は「ピシャン!」というより大きい音がする。10分間ぐらいトイレからピシャ!ピシャ!と叩く音と、子供の泣き叫び声と親の怒鳴り声が続く。この間、同席している子供たちはみんな気まずくなり、神妙な顔をしてお互い見合わせた。大人たちは普通にメモ帳に、講演者の講話をペンでメモし続けている。
 やがてトイレのドアが開き、親子が出てくる。泣きじゃくったあとの子供が、ヒクヒク言いながら母親に抱えられて帰ってくる。集会が終わると、姉妹たち(※女性信者)がそのお母さんのところに寄っていく。
「姉妹、子供をしっかりとムチで教えることは、子供の救いのためよ」
「本当に頑張っておられて偉いわね。エホバも喜んでくださるわ」
「クリスチャンの子供はこうやってお行儀がよくなるから立派よね」
 といった励ましの言葉をお互いかけあっていた。
 こういった光景は日常的であった。日本の会衆ではムチ用にゴムホースが会衆に置かれていたところもあった。この懲らしめも子供を愛していれこそである。箴言22章15節の聖句には、『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』と書いてある。さらに、箴言13章24節では『むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり、子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』と宣言している。
 だから子供を叩かない親は、「子を愛していないわよ」と姉妹たちから諭される。子供が叩かれると、集会の終わりに姉妹たちが嬉しそうにその母親のもとにやってくる。

 思わず私は唸(うな)った。「ここに宗教の神秘を解明する鍵がある」と。昨今、認知科学や行動経済学によって他人の感情や感覚は操作可能であることが判明しているが、宗教の目的は「認知の書き換え」にあるのだろう。宗教的正義や信仰の情熱が小さな暴力を容認する。戦争に反対する彼女たちが勇んで子を殴る姿はおぞましいと言わざるを得ない。

 姉妹たちは聖書の文言に額(ぬか)づき、神の意志に沿うべく、あらゆる工夫を惜しまない。

 ムチをしない親は子供を愛していないのである! だから親同士でしょっちゅうどのムチが効くか話し合っていた。
「姉妹のところ、ちゃんとムチしてる? しないとダメよ」
「スリッパは音がするだけで、痛くないわよ」
「うちなんて定規で叩いたら折れちゃったから」
「ベルトが結構効くわよ」
「ちゃんとズボンを脱がさないと効かないわよ」
 そして一人の熱心な姉妹は、ゴムホースにマジックで『子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める』という聖句を書いて配り歩いていた。
「日本の姉妹たちはこれを使っているのよ。音がしないうえにとっても効くからどうぞ」
「あら姉妹、ありがとう。助かるわ!」
 そうして彼女が集会に持ってきた10本ぐらいのホースがすぐになくなった。私の母親も喜んでそのゴムホースを持って帰ってきた。このゴムホースは30センチぐらいなのだが、叩いても音がしない。それで力加減が分からず、思いっきり叩くことになる。木の棒やベルトとちがってゴムは皮膚にめりこむので、これが一番痛い。実際に、ある医療サイトには、体の内側の血管が切れるのでゴムで人を叩かないようにと記載されていた。

 中学生になった佐藤は弟と二人で母親から鞭を振るわれる。しかもケツを出してだ。既に抑圧傾向が見て取れる。普通の中学生男子なら母親の前でズボンを下げる真似はしないし、できないものだ。もし私だったら、甘んじてケツを出しておいて、その後直ちに反撃をし、母親をゴムホースで滅多打ちにすることだろう。以前書いたが私は小学5年生くらいから、理不尽に母親から叩かれると、思いきり足に蹴りを入れてやった。翌日、母の足には大きな青あざができていた。暴力に対抗し得るのは暴力のみだ。

 エホバの証人は邪教である。子供を虐待する宗教はやがて子供たちから手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。

 ルワンダ大虐殺においてフツ族のエホバ信者がツチ族を匿(かくま)ったというエピソードを聞いたことがある。その時は痛く感心したものだが、ひょっとするとそのフツ族も子供を虐待していた可能性があることを思うと、まったく興(きょう)が冷める。弱い者、小さき者をいじめる宗教は信ずるに値しない。


ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

2012-04-09

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹


『青い空』海老沢泰久

 ・キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」
 ・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
 ・宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『世界史の新常識』文藝春秋編
『日本人のためのイスラム原論』小室直樹
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

「歴史は勝者によって書かれる」と陳舜臣〈ちん・しゅんしん〉は喝破した(『中国五千年』1989年)。蓋(けだ)し名言である。

 中世までは文明においても学問においてもアラブ世界がリードをしていた。

 歴史をさかのぼってみよう。まず十字軍(1096-1272年)によって西洋の暴力性は噴出した。

 セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。この呼びかけにこたえた騎士たちは途上、イスラム教徒支配下の都市を攻略し虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した。(第1回十字軍)

Wikipedia

 彼らは神からの免罪を勝ち取るために、別の罪を犯しながら進軍したのだ。この病根は今もなお西洋を支配している。根っこにあるのは「神という被害妄想」であろう。

 ところが十字軍は9回に渡って遠征が繰り返されているが、明らかな勝利を収めたのは第1回だけであった。ざまあみやがれってえんだ。

 当時、アジアからは大モンゴル帝国の蹄(ひづめ)が高らかに鳴り響いていた。圧倒的な武力を誇るモンゴルはヨーロッパ世界にまで辿りつく。(Wikipediaのgif画像を参照せよ)

 西洋は八方塞(ふさ)がりであった。これを打開したのが大航海時代(15-17世紀)である。以下に三つのテキストを紹介する。

 しかも、毎年毎年同水準の生活や産業を維持してゆくだけなら、同じ規模の土地を「エンクロージャー(囲いこみ)」して守っていけばいいが、その水準をあげてゆくためには、土地の規模を拡大していかなければならない。かくして、北フランスやイギリスなどの石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地(テリトリー)を外に拡大する動きを生む。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカやアフリカやアジアでの植民地獲得競争(テリトリー・ゲーム)を激化させるのである。
 つまり、西欧に成立し、ひいてはアメリカにおいて加速されるフロンティア・スピリットは、本来、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の本質を「外に進出する力」としたわけである。これは、ヨーロッパ文明に先立つ、15~16世紀のスペイン、ポルトガルが主導したキリスト教文明、いわゆる大航海時代の外への進出と若干その本質を異にする。
 いわゆる大航海時代の外への進出は、17世紀からのイギリスやオランダやフランスが主導した、国民国家(ネーション・ステイト)によるテリトリー・ゲームとは若干違う。大航海時代というのは、キリスト教文明の拡大、つまり各国の国王が王朝の富を拡大するとともに、その富を神に献ずる、つまり「富を天国に積む」ことを企てるものであった。

【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年)】



 ベルは、近代の終焉についても述べている。彼によると、近代の特徴は「超越(beyound)」にある。しかし、ポスト・モダーンは「限度(limit)」である。確かに、近代がルネサンス、宗教改革、大航海時代から始まるとすると、その特徴は「超越すること」にあった。近代の原理は「無限への衝動」であり、「ファウスト的衝動」とも呼ばれる「もっと、もっと」の精神によって営まれてきたのである。言い換えれば、「無制限の無条件の顧みるところなき」衝動によって駆動されてきたのが、近代の特徴であった。(訳者解説)

【『二十世紀文化の散歩道』ダニエル・ベル:正慶孝〈しょうけい・たかし〉訳(ダイヤモンド社、1990年)】



 モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった。

【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】

 すなわち陸路を阻まれた西洋世界は行き場を失った格好で海へ飛び出したわけだ。船を出すからには金がかかる。また航海で命を失うリスクもある。一方、新天地に辿りつけば香辛料などを獲得できる可能性がある。こうした利益とリスクをバランスすることで共同資本という概念が生まれた。ここに株式会社の起源がある。

資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦

 ヨーロッパ人は新天地で何を行ったのか?

 15世紀から17世紀後半にかけての大航海時代、コロンブス(イタリアの航海者。1451頃~1506)やマゼラン(ポルトガルの探検家。1480頃~1521)が未知の国へ向けて航海した。そこで新大陸に上陸した彼らは一体何をしたか。
 正解は、罪もない現地人の鏖(みなごろし)! 大虐殺である。別に住民たちがこぞってこの侵入者たちを襲ったわけでもないのに。何と酷いことをするのだ、と怒ってみても詮(せん)はない。侵入者たちのほうからすれば、キリスト教の教義(おしえ)に従って異教徒を殺したまでなので、後ろめたさなどあろうはずもないのだ。

【『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹(徳間書店、2000年)以下同】

 彼らは貴重な食料や資源の獲得とともに、キリスト教を宣教することを目的としていた。思想的侵略といってよい。神の僕(しもべ)は神の代理人でもあった。

 小室直樹はヨーロッパ人の暴力性を一文で解き明かす。

 その答えは『旧約聖書』の「ヨシュア記」を読むとわかる。(中略)
「ヨシュア記」にこそ〈宗教の秘密〉は隠されているのだ。
 神はイスラエルの民にカナンの地を約束した。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていた。そこで、「主(神)はせっかく地を約束してくださいましたけれども、そこには異民族がおります」といった。すると神はどう答えたか。「異民族は皆殺しにせよ」と、こういったのだ。
 神の命令は絶対である。絶対に正しい。
 となれば、異民族は鏖(みなごろし)にしなくてはならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたことになる。それは罪だ。
 したがって、「ヨシュア記」を読むと、大人も子供も、女も男も、一人残さず殺したという件(くだり)がやたらと出てくる。(中略)
 異教徒の虐殺に次ぐ大虐殺、それは神の命令なのである。

 長らく抱えてきた西洋世界への疑問が氷解した。モンゴルと中東からの圧力から解放されたヨーロッパ人は、アメリカでインディアンを虐殺し、国内では魔女狩りを行っていた。

侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
「コロンブスの新大陸発見は先住民虐殺の始まり」、チリ先住民が抗議デモ
魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄
「欧米人が仕掛ける罠」武田邦彦、高山正之

 更に小室は驚くべき指摘をする。

「隣人にかぎりなき奉仕をする人」が、同時に大虐殺を行っても矛盾ではない。両方とも神の命令であるからである。

 つまりヨーロッパ人が虐殺と慈善活動を同時に行うことには合理性があるのだ。「理」とは東洋の道理とは異なり、この世界を創造した神の摂理を意味する。

 信仰とはただ神を仰いで神の言葉に従うことだ。厳密にいえば仏教の信心とは異なる。まず西洋と東洋の言葉の溝を理解することが重要だ。それゆえ西洋世界の信仰とは教条主義(ドグマティズム)となる。

 日本語の「絶対」は副詞として使われることが多く、「どうしても、なにがなんでも、必ず、決して」(Weblio 辞書)との意味合いである。だが西洋の絶対は違う。絶対とは動かし得ない座標軸である神を意味するのだ。

 であるからして天動説が地動説にとって変わろうとも、神だけは不動の位置を占めている――などと説明を試みる私の文章もまだまだ甘い。「神が絶対」なのではなく「絶対とは神のこと」なのだ。

 神という絶対の前に自分が存在する。これが「個人」である。「個人」とは翻訳語であって明治以前の日本に「個人」という概念は存在しなかったと考えてよい。柳父章〈やなぶ・あきら〉は「個人ではなく身分としての存在」であったと指摘している。

 そして神という絶対性に対置するところに自我が立ち現れるのだ。キリスト教の自我と仏教の我も異なる。自我は存在性で、我は当体・主体を意味する。自己実現病に取りつかれている人々が増えているのは、キリスト教文明による害毒であると思えてならない。

 絶対の前では自我が揺らぐ。自我は絶対ではないからだ。それゆえ確実な存在性を示すためにデカルトは考え続けた――「我思う、ゆえに我あり」。あいつが思っていたのは神様のことだ。生きている間の存在証明はできたとしても、死を前にしては無力な哲学だ。やつらの死後は神に祝福されることが約束されているから、死と取り組む必要もなかったのだろう。

 神という絶対性が人間を言葉の奴隷にした。そしてヨーロッパ人は殺戮(さつりく)の限りを尽くした。一方ブッダは存在=我を打ち破り、諸法無我と悟った。時間軸においては諸行無常である。これが「空」(くう)の思想だ。神は点であるが、空はあらゆる次元へと広がっている。

川はどこにあるのか?

 世界を平和にするためには神に死んでもらう他ない。本気でそう思う。



虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
エンリケ航海王子
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト
ポルトガル人の奴隷売買に激怒した豊臣秀吉/『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温