2018-04-04

自由の限界/『見て,感じて,考える』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘

 ・自由の限界

『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 自由と平和を実現するために、現実の中において、はたして自由と平和が絶対的なもの無制約のものでありうるのだろうか? もしそれに限界があるとすればそれは、どういうところにあるのだろうか?(「門を入らない人々 ――現在の一つの精神的状況について――」)

【『見て,感じて,考える』竹山道雄(創文社、1953年)以下同】

 タイトルについては『見て感じて考える』、『見て・感じて・考える』などがあるが、扉ページのものを採用した(表紙はフランス語)。佐渡出張で二度読んだ。私が生まれる10年前(昭和28年)に刊行された古い本で旧漢字表記だが読み進むと不思議に慣れるものだ。尚、引用箇所は漢字変換が面倒なので新字体に変えた(促音の「っ」は「つ」のママ)。

 私にとって竹山道雄は「近代の穴」を埋める指南役である。時代の激変といっても日々の生活の連続を生きる人々には小さな変化の積み重ねとしか感じ取れない。歴史を鳥瞰すれば数世紀に及ぶ中世が数十年で近代に変貌するわけだが、人の一生において数十年は緩慢な時間となる。まして近代後に生まれた人々が中世を想像することは難しいだろう。新しい時代は古い常識を否定する。つまり人間の集団的意識が一変するわけだ。そこに見落とされるものが生まれる。

「歴史は進歩する」という思い込みが「進歩した歴史は正しい」との単純な答えを導き出す。結局、文明の発達と混同しているだけなのだが、進歩史観の根っこはキリスト教からヘーゲル-マルクスに渡る伝統があって、その深さは我々の想像を超える。進んだ歴史は古い過去をあっさりと否定して、吟味を欠いた精神は軽々と未来に向かって走り出す。

 竹山はそこに「待った」を掛けた。時代は変わっても、人間はそう簡単に変わるものではないと。私は『見て,感じて,考える』と。

 敗戦後の生活は困窮を極めた。竹山とて例外ではなかったことだろう。その中にあって彼は「自由」を模索した。自由の意味を問い、自由のあり方を追求し、自由な精神に生きようと格闘した。

 われわれはいかなる場合においても無抵抗でいることはできない。不寛容に対しては、不寛容でなくてはならない。近代の自由ははげしい闘いによつてようやく獲得された。言論の拘束に対して抗議することは、この不寛容のあらわれである。

 平和が漣(さざなみ)であるのに対して戦争は高波となって人々を押し流す。平和な時に人々は勝手気ままでバラバラだが、一旦戦争に向かい始めると人々は団結し声高な主張を述べ、激しい行動に及ぶ。人間は社会的動物であるゆえ周囲の行動に釣られて動くことが珍しくない。一人が動き出せば赤信号でも横断歩道を渡ってしまうことがある。災害時に避難するしないといった行動も周囲の影響が大きい。

「不寛容」という言葉の背景には旧日本軍の暴走やナチスによるホロコーストがある。

 自由それ自体を守るためにはきびしくなくてはならない。この不寛容は寛容の一属性であり、それを成立させるために不可欠のものである。そして、このためにとられる不寛容の手段は、自由にためには正しいはたらきをする。けだし、自由とは努力してつくりだしてゆくべきものであつて、何の限界もない消極的な受容ではないからである。

 無制限の自由は必ず堕落へと向かい、強権政治を生む温床となる。日本もドイツもその道を歩んだ。竹山の眼は自由の限界をひたと見つめた。深き問いは60年を経た現在にあっても古びることなく、むしろ現代をも照らす光明となっている。

見て感じて考える (1953年)
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2018-04-01

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2018-03-27

自虐史観のリトマス試験紙/『ジェノサイド』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明
『幽霊人命救助隊』高野和明

 ・自虐史観のリトマス試験紙
 ・玉に瑕ある傑作

 不幸というものは、傍観者であるか、当事者であるかによって、見え方はまったく異なる。

【『ジェノサイド』高野和明(角川書店、2011年/角川文庫、2013年)】

 傑作である。ただし自虐史観を除けば。「もったいない」との思いを禁じ得ないが、それにも増して「これほどのストーリーや文章を書ける知性を持ちながらも嘘を信じ込んでてしまう陥穽(かんせい)」を思わずにはいられなかった。

 ルワンダ大虐殺にも触れており、長篇SFの形をとりながらも「異なる人間との共生」がモチーフになっている。ひょっとすると高野和明は「中国人や朝鮮人(大東亜戦争当時)の当事者という立場に寄り添って日本を貶めている」可能性もある。日本だけではなく相手国にまで視野を広げれば違った答えが出てくることはもちろんあるだろう。ところがその目論見はまだまだ浅いのだ。

 視野を世界にまで広げてみよう。大東亜戦争は白人帝国主義による植民地支配を一掃した。国際連盟の加盟国は最盛時で59ヶ国だった(世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント 国際連盟)。第二次世界大戦後に設立された国際連合は51ヶ国でスタート。1961年には100ヶ国を超え、現在は193ヶ国となっている(国連加盟国加盟年順序 | 国連広報センター「後発」社会の発見 ~植民地の独立)。世界的な規模で民族自立を促したのは極東日本が起こした無謀な戦争であった。高野はこうした事実をどのように考えているのか?

 自虐史観のリトマス試験紙として一読をおすすめする。何も気づかない若者は「日本の近代史を学ぶ」に挙げた書籍を読むこと。

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言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人/『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘


『昭和の精神史』竹山道雄

 ・言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人
 ・志村五郎「竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」

『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 竹山道雄(1903-84)は、昭和前期は旧制第一高等学校のドイツ語教師であったが、敗戦後は『ビルマの竪琴』の著者として知られた。しかしそれ以上に日本の戦後の論壇では一大知識人として群を抜く存在感があった。左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和15)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾し、そしてそれと同じように敗戦後は、反共産主義・反人民民主主義で一貫していた。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。その信条は自由を守るということで一貫しており、そのために昭和30年代・40年代を通しては、雑誌『自由』によって日本が世界の自由主義陣営に留まることの是(ぜ)を主張した。豊かな外国体験と知見に恵まれた文化人の竹山は、当代日本の自由主義論壇の雄で、この存外守り通すことの難しい立場を「時流に反して」守り通した。その洗練された文章には非常な魅力があり、論壇の寵児と呼ばれたこともあり、少なからぬ愛読者や支持者もあったと私は考えている。

【『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉(藤原書店、2013年)】

 平川祐弘は竹山の教え子であり娘婿でもある。身贔屓(みびいき)とならぬよう努めているのは確かだが、思い出の甘い味が筆を滑らせたような箇所がいくつか見受けられた。例えば上記テキストに「ナチス・ドイツの非人間性を――弾劾し」とあるが、私には「穏当な批判」としか感じられなかった(『独逸・新しき中世?』)。

 竹山が政治的にはリベラル志向であったことは確かだが彼は「主義者」ではなかった。オールド・リベラルに位置づけられるのはやむを得ないが、決して政治的メッセージを目的にした文章を書くことがなかった。つかみどころのない大きさがあり「作家」「評論家」という肩書きも相応(ふさわ)しいとは思えない。一言でいえば「教養人」となろうか。

 当初、「穏やかな批判者」と題したのだが、どうもしっくりこなかった。竹山は確かに批判したのだが「批判者」ではない。むしろ、「言うべきことを言い書くべきことを書いた教養人」と呼ぶのが適切だろう。

『昭和の精神史』と本書および『見て,感じて,考える』は佐渡出張で、『西洋一神教の世界』は新潟出張で読んだ。仕事ではあったが私の精神は竹山道雄を旅した。幼い頃から散々本を読んできたにもかかわらず、これほど大きな人物を見逃していたということは、やはり百田尚樹が言うように「朝日新聞によって抹殺された」というのが事実であったのだろう。更にその温厚な人柄や、ダンディを絵に描いたような風采、学生や外国人との人間交流は、日本人の美質を示しているように感じられた。

2018-03-25

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戦後の精神史
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2018-03-21

二流の帝国だった戦前の日本/『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫

 ・二流の帝国だった戦前の日本

・『日本人が知らない最先端の「世界史」2 覆される14の定説』福井義高
『昭和の精神史』竹山道雄

必読書リスト その四

 比較的自立した歴史を歩んできた江戸時代までと異なり、明治以降の日本は、帝国主義全盛の世界に放り込まれ、日露戦争以降、列強の一員と認められるようにはなったものの、米英ソのような本物の大帝国には遠く及ばない、二流の地域大国に過ぎなかった。そのなかで我が国は、唯一の超大国のジュニア・パートナーあるいは「属国」である今日とは違い、独立独歩のプレーヤーとして行動し、結果的に大敗北を喫したのである。
 にもかかわらず、歴史学者を含め知識人の間で根強い、戦前日本暗黒史観によれば、軍国日本が東アジアの平和な秩序を掻(か)き乱し、米英中ソを振り回した挙げ句、最終的に武力制覇を意図したゆえ世界大戦となったとされる。悪役ながら、まるで世界史が、少なくともアジアでは、日本を中心に展開したかのようである。

【『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高(祥伝社、2016年)】

 福井義高は青山学院大学の教授で専門は会計制度・情報の経済分析である。そうした人物がいかに造形が深いとはいえ専門外の日本史本を書かざるを得ない事実が、まともな国史を教える学者が不在であることを物語っているように思える。

 日本が敗れた後、GHQは共産党員を獄から放ち、更には労働組合の結成を奨励した。振り返ればロシア革命(1917年)の風は日本にも及び、大正デモクラシーの思潮と相俟(ま)って日本人の権利意識は格段に高まった。そして翌年の1918年には全国各地で米騒動が起こる。

 騒動が広がると、各新聞は、騒動のようすを、寺内内閣の無策ぶりとあわせて報道しました。これにより参加者は「自分たちの行動が正義である」という意識をもちました。

大正デモクラシー~社会運動の発展~ | 日本近現代史(日本史A)の授業中継

 大正期に生じた社会主義的な意識の目覚めは戦後になって知識人という知識人を「進歩」の方向へと追い立てた。戦後教育は日教組にジャックされ、21世紀に至るまで義務教育では自虐史観を教え込んだ。

 転換点となったのは「新しい歴史教科書をつくる会」の結成(1996年)と「日本文化チャンネル桜」の設立(2004年)であった。どちらも当初はキワモノ扱いを受け極右集団と目されたが、時を経てみれば重大な仕事をしたことに気づく。「つくる会」は日本の近代史に多くの人々の眼を開かせ、「チャンネル桜」は保守系言論人のサロンとして人材を輩出した。

「独立独歩」という言葉ほど戦後日本と無縁だったものはあるまい。まともな軍事力も持たず、国家の安全保障を他国に依存して平然と構えているのが我々日本人なのだ。

 出張で佐渡へ行った折、NHKのクローズアップ現代で「被爆調査を拒否する作業員の実態」を報じていた。何の保障もなく危険にさらされる作業員の仕事を知り、「これは形を変えた戦争だな」と思わざるを得なかった。つまりこうだ。今まで散々嘘まで盛り込みながら原子力エネルギーを推進してきた政治家・新聞・御用学者、そしてそれまで高い業績で甘い汁を吸ってきた東京電力の最高幹部が何一つ責任を取ることなく、汚れ仕事を下請け企業に押し付け、下請けは更に孫受けに押し付け、最終的には7次・8次下請けの人々が日本の安全を命懸けで守っているのだ。

(c)具体的事故対処についての官邸の関与

 菅総理は、平成23年3月12日18時過ぎ頃、海江田経産大臣から、その直前に同大臣が発した福島第一原発1号機原子炉への海水注入命令について報告を受けた際、炉内に海水を注入すると再臨界の可能性があるのではないかとの疑問を発し、その場に同席した班目春樹原子力安全委員会委員長(以下「班目委員長」という。)がその可能性を否定しなかったことから、更に海水注入の是非を検討させることとした。その場に同席していた東京電力の武黒一郎フェロー(以下「武黒フェロー」という。)は、同日19時過ぎ頃、福島第一原発の吉田昌郎所長に電話し、「今官邸で検討中だから、海水注入を待ってほしい。」と強く要請した。菅総理が再臨界の可能性についての質問を発した際、その場には、班目委員長のほか、平岡英治原子力安全・保安院次長、武黒フェロー等の原子炉に関する専門的知見を有する関係者が複数いたが、的確な応答をした者はおらず、誰一人として専門家としての役割を果たしていなかった。また、安易に海水注入を中止させようとした東京電力幹部の姿勢にも問題があった。このような、すぐれて現場対処に関わる事柄は、まず、現場の状況を最も把握し、専門的・技術的知識も持ち合わせている事業者がその責任で判断すべきものであり、政府・官邸は、その対応を把握し適否についても吟味しつつも、事業者として適切な対応をとっているのであれば事業者に任せ、対応が不適切・不十分と認められる場合に限って必要な措置を講じることを命ずるべきである。当初から政府や官邸が陣頭指揮をとるような形で現場の対応に介入することは適切ではないと言えよう。

PDF:最終報告(概要) 平成24年7月23日 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 > 1 主要な問題点の分析 > (2)事故発生後の政府等の事故対処に関する分析 > d その他の具体的な対応に関する分析(7ページ目)】

 国民からは英雄と称された吉田昌郎〈よしだ・まさお〉所長(福島第一原子力発電所)に対して、班目春樹〈まだらめ・はるき〉原子力安全委員会委員長は不満を露(あら)わにし、東京電力の武藤栄〈むとう・さかえ〉副社長は解任処分を口にした。

 原発事故が戦争であるならば、この最終報告書はシビリアン・コントロールを否定している。大東亜戦争では軍部が暴走したが、文民が愚かな場合も我々は想定する必要がある。孫子曰く「君命をも受けざる所有り」(『香乱記』宮城谷昌光)と。

 今の日本がこのまま戦争に至れば原発事故と同じ結果になるだろう。

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