2018-08-08

自転車運動の利点/『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司


 ・自転車運動の利点

『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春

 自転車運動はそのスピードによって、常に風を受けるので汗が蒸発しやすい運動なのだ。
 自転車運動では、大汗をかきながら苦しい運動をすることなく、汗の蒸発によって体温は適正に保たれる。そのため、必要な心拍数を保ちながら楽しく運動を継続できる。これが、自転車運動の最大のよさかもしれない。

【『大人のための自転車入門』丹羽隆志〈にわ・たかし〉、中村博司(日本経済新聞社、2005年/日経ビジネス人文庫、2012年)以下同】

 文章が硬くて読みにくいが内容はかなり充実している。食事の改善からメンテナンス法まで網羅。エンゾ早川や菊地武洋のような後味の悪さがないだけでも評価すべきか。

 自転車本は良書が少ない。好きなものに対してただ情熱を込めて好きと言われても説得力に欠ける。そこに知性と情緒が加わらなければ読み物としては成り立たない。

 肥満の人は主食(炭水化物)を必ず摂ること。脂肪を燃やすためには炭水化物が必要なので、まったく摂らないのは逆効果だ。

 これは糖質の間違いではないのか? 炭水化物は糖質+繊維である。だが炭水化物=糖質ではない。なぜなら糖質を含む食べ物はごまんとあるからだ(例えば根菜、果物、練り物、乳製品、お菓子など)。糖質が慢性的に不足すると筋肉が細くなるという(タンパク質を分解してアミノ酸からグルコースを合成する)。ただし反論もある。

「糖質制限をすると筋肉が減る」は嘘。根拠なし | 炭水化物は嗜好品

 ま、栄養学なんてえのあ科学とは無縁の学問である。彼らがやってきたことは多くの人々を不健康にしただけといっても過言ではない。そんな曖昧な領域に関して素人が断定的に物を書くべきではない。人の食べ物にまで口を挟む料簡を疑う。

 目立った瑕疵(かし)はこれくらいで他は正確な記述が多い。初心者にとっては有用な一冊である。

大人のための自転車入門 (日経ビジネス人文庫)
丹羽 隆志 中村 博司
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 200,643

2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

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2018-08-06

「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫


『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

 ・「児玉誉士夫小論」林房雄

『大東亜戦争肯定論』林房雄
・『われ敗れたり』児玉誉士夫
・『芝草はふまれても 巣鴨戦犯の記録』児玉誉士夫
・『悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝』児玉誉士夫
・『われかく戦えり 児玉誉士夫随想・対談』児玉誉士夫
・『随想 生ぐさ太公望』児玉誉士夫
・『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』有馬哲夫

 児玉誉士夫を知って早くも30年が過ぎた。互いに仕事の場を異にしているので、会い語る機会は少なかったが、目に見えぬ心の糸はつながっていた。その糸の最も強いものの一つは、この不思議な人物がときどき発表する自伝風の著書である。
 巻数は少なかったが記された文字のすべてが、強く私の胸を打った。私も長く文字の道にたずさわっている者の一人だから、文章の真贋だけはわかるつもりだ。この人は嘘の言えない人、嘘を行えない人である。爆発する激情のみに身をまかせて生きてきた行動家であるかのような印象を、世間の一部の人々は持っているかもしれぬが、そんな単純な人物ではない。深い内省と謙虚を内に蔵している。生れながらの叛骨と権力者嫌いは生涯消えることはないであろうが、あふれる温情を胸底に秘めて、人情の正道を歩き通した。肩をいからした国士面と強面(こわもて)の愛国者顔のきらいな、永遠の憂国者。常に迅速、果断な行動によって裏づけられる適確無比の洞察力と決断力は、これまた天与のものであろう。ある公開の席上で、私は彼を「天才」と呼んだことがあるが、決してお世辞ではなかった。(「児玉誉士夫小論」林房雄、以下同)

【『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(アジア青年社出版局、1943年/広済堂出版、1974年)】

 ま、酒呑みの言葉をそのまま信用するほど私は初(うぶ)ではない。三島由紀夫も最後は林房雄に対して厳しい評価をせざるを得なかった。児玉誉士夫もまた毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物である。この二人には似た面影(おもかげ)がある。良い意味でも悪い意味でも日本人的なのだ。志は清らかなのだが清濁併せ呑むことで自身を汚(けが)していったようなところがある。振り返れば大東亜戦争における旧日本軍もまた同様であった。

 意外と知られていないことだが児玉誉士夫は創価学会と間接的な縁がある。大日本皇道立教会(1911年設立)には牧口常三郎(創価学会初代会長)や戸田城聖(同二代会長)に遅れて参加しているし、岸信介と親(ちか)しいところも共通している。すなわち戦後の保守における本流にいたことは間違いないと思われる。

 私が児玉に注目したのは神風(しんぷう)特別攻撃隊の生みの親である大西瀧治郎中将(ちゅうじょう)の末期(まつご)に立ち会ったことを知った時である。

 終戦を迎えた翌日、1945年8月16日に児玉と懇意にしていた大西が遺書を残し割腹自決した。児玉誉士夫も急行し、駆けつけた児玉に「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。」と話した。児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」といさめた。

Wikipedia

継母への溢れる感謝/『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

「児玉は死期が近づいた時、『自分はCIAの対日工作員であった』と告白している」(Wikipedia)。正力松太郎(元読売新聞社主)もポダムというコードネームを持つ工作員だった(『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫)。保守というよりは反ソ感情を利用されたのだろう。敵の敵と組むことには一定の利がある。やがては大きすぎる利に目が眩(くら)んだのかもしれない。

 敗戦後、独立独歩の道を塞(ふさ)がれた日本はGHQの占領期間において完全なコントロール下に置かれたと見てよい。それは今もなお解けない呪縛だ。

 児玉誉士夫は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。
 まだつきあいの浅かったころは、これは体質的なもので、即ち“下戸”なのだろうと思っていた。私の方は親譲りの“上戸”で、豪酒というよりも暴酒というべき、浴びるような飲み方をして、乱に及ぶこともしばしばであった。見兼ねたのであろう、彼は時折り私に言った。
「あんたは酒をつつしみなさい。わたしは、このとおり飲まぬ」
 その言葉の意味がわかったのは、だいぶ後になって、彼自身の口から次のような告白を聞いた時であった。
 若いころには、人並みに飲み、飲めばいい御機嫌にもなり、つきあいとなれば酒場の梯子も辞さなかった。ある晩、酒場のカウンターで友人たちとグラスを片手に放談し、さて帰ろうとして気がつくと、上着の背が鋭い刃物で縦一文字に切り裂かれていた。
「これはいけない」と思ったそうだ。「生死の覚悟というような問題ではない。酒場で酔って刺されるなどは男の名誉ではないし、しかも、刺されたのならまだしも、背中に刃物を当てられて、それに気がつかなかったというのは醜態以外何物でもない。こんな飲み方と酔い方はやめよう」
 以来、飲めないのではなく【飲まない】児玉誉士夫が生れた。

 国士とか壮士の気風が確かに残っているエピソードである。上場企業の社長がTシャツで公の場に出てくる時代は、もはや正すべき襟(えり)すらないのだろう。信念とは誰も見ていないところで貫かれるものである。口にして宣伝する道具ではない。

 児玉がCIAの工作員であることを吐露したのは、CIAに裏切られたためではあるまいか。そんな気がしてならない。日本人は人が好(よ)すぎて国際関係で失敗することが多い。最大の原因は情報機関と国軍がないことに因(よ)る(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。帝国主義はまだ死んでいない。先進国と名前を変えてのうのうと生き続けている。

獄中獄外―児玉誉士夫日記 (1974年)
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2018-08-04

川内康範の侠気(きょうき)/『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎


『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『蓮と法華経 その精神と形成史を語る』松山俊太郎

 ・川内康範の侠気(きょうき)

「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫

 海外同朋の遺骨引揚げ運動は10年間も続くんです。1955年までですよ。このとき俺に協力してくれたのが竹中労なんだ。

 ――竹中さんといえば、当時はバリバリの共産党員だったのでは?

 そうだよ。僕は竹中を通じて共産党の実態を知ったんだ。彼はのちに共産党を脱党してフリーライターになるけど、その間も僕と竹中のつきあいはずっと続いていた。右翼から見ると「川内は左翼とつきあっていておかしいんじゃないのか」っていわれるんだ。隠れ左翼じゃないのかという声も出てくる。でも「民族派の人間がどう思おうと勝手だ。俺は俺の信念でやっているんだ」と思っていたよ。

 ――実は今回、先生の記事を過去にさかのぼって調べさせていただきましたが、一番驚いたのは、先生は昭和天皇の戦争責任についてはっきり「ある」とおっしゃっていますね。

 僕は陛下の真意として、戦争を望まれたとはけっして思っていない。あれはまわりの軍人や政治家が天皇を利用してああなったんだよ。しかしね、開戦の勅語(ちょくご)に陛下は署名されただろう。その意味での責任は、やはりあると思う。僕は児玉誉士夫さんと会って、「私は天皇に戦争責任があると思う。だから(終戦に際して)自分はどうなってもいいと陛下はおっしゃったんじゃないのか」っていった。児玉さんも「私もそう思う。けれど、そうおっしゃられた陛下を、われわれ日本人がこれ以上責めるのはいかがなもんだろう」っていうんだ。その気持ちも理解できるよな。それ以来、児玉さんとも友だちになったよ。

 ――竹中労さんは、天皇の戦争責任問題に対し最後まで追及すべきだという姿勢でしたよね。

 そう、竹中はそういうことは僕にしかくわしくいわないよ。それはともかく、一緒に沖縄で遺骨を引揚げながら思ったね。この人たちはいったい誰のために死んだんだと。生き残った人間は死者の気持ちを踏みにじっていないか。遺骨は千鳥が淵に納めるしかない。マレーシアからベトナム、カンボジアと僕は遺骨引揚げのために何回もまわった。政府からは援助がないので、自費で出かける。原稿料で稼ぐしかないから、書きまくりましたわ。
 そのうち遺骨の引揚げ援護費が認められたんだ。園田直氏が厚生大臣をやっていた頃ですよ。「川内さんやっと許可が下りたよ」って、園田さんと二人で乾杯しましたよ。児玉さんもロッキード事件であんなことになったけれど、遺骨の引揚げ運動に関しては協力的でしたよ。船をひとつ借りて引揚げなければ、とてもじゃないけれどらちがあかない。それには少なくとも2~3億はかかる。60年代の話ですよ。現在の額に直したらもっとでしょ。児玉さんは「金は用意する」っていってくれたんだが……。用意しているかしていないうちにロッキード事件の心労で倒れたんだよ。病院から出てきた児玉さんから電話をもらって、「金は用意してあったけれど、この事件で銀行の金も動かせない。川内さん、わかってくれ」といわれた。児玉さんは民族派の中でもきちんと筋を通す人だったね。児玉さんと話をすれば、一方で竹中ともつきあう。竹中には俺が何をやったかは書くなといってある。だから彼の書いたものに僕の名前はほとんど出てこないんだ。竹中が「ゴラン高原に行きたい」っていえば、100万を渡してやる。ゴラン高原に行きたいというのは、つまりは赤軍派に会うってことだよ。なのに右翼の俺が金を出す(笑)。彼には彼なりの志があるから俺は協力するんだ。

【『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎〈たけくま・けんたろう〉(河出文庫、2007年)】

 康芳夫〈こう・よしお〉、石原豪人〈いしはら・ごうじん〉、川内康範〈かわうち・こうはん〉、糸井貫二〈いとい・かんじ〉のインタビュー集である。竹熊の作戦勝ちともいうべき内容で、「謀(はかりごと)を帷幄(いあく)の中に運(めぐ)らし勝つことを千里の外(ほか)に決す」(漢書)意気込みすら窺える(笑)。「戦後サブカルチャー偉人伝」とあるが、とてもサブカルの領域に収まる面々ではない。戦前の大陸浪人や明治維新の志士を思わせる雰囲気が漂う。世間から見れば型破りなのだが、彼らなりの信念・哲学がさらりと語られていて引きずり込まれる。

 侮れないのは戦前・戦後の貴重な証言がちりばめられていることで、学術書からは窺い知れない当時の生々しい世情が伝わってくる。彼らはエリート官僚とは正反対に位置する浪人といってよい。自由を論じる人物は多いが、自由に生きる人は稀(まれ)だ。そんな稀有(けう)の生きざまがここにはある。

篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)
竹熊 健太郎
河出書房新社
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