2020-01-16

進歩的文化人の正体は売国奴/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

〈戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛(おおうち・ひょうえ)への告発状〉
第二章 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家

〈日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)への告発状〉
第三章 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)

〈戦後民主主義の理論的指導者(リーダー)・丸山眞男(まるやま・まさお)への告発状〉
第四章 国民を冷酷に二分する差別意識の権化(ごんげ)

〈反日的日本人の第一号・横田喜三郎(よこた・きさぶろう)への告発状〉
第五章 栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

〈進歩的文化人の差配人・安江良介(やすえ・りょうすけ)への告発状〉
第六章 金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人

〈「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収(くの・おさむ)への告発状〉
第七章 恫喝(どうかつ)が得意な権力意識の化身

〈進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一(かとう・しゅういち)への告発状〉
第八章 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯”

〈日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好(たけうち・よしみ)への告発状〉
第九章 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

〈マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎〈さきさか・いつろう)への告発状〉
第十章 最も無責任な左翼・教条主義者

〈現代の魔女狩り裁判人・坂本義和(さかもと・よしかず)への告発状〉
第十一章 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家(きべんか)

〈ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)への告発状〉
第十二章 国家間の原理を弁(わきま)えない謝罪補償論者

〈進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつか・ひさお)への告発状〉
第十三章 近代日本を全否定した国賊

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 錚々(そうそう)たる顔ぶれで谷沢永一の本気が伝わってくる。1990年代は戦後教育の毒がまだ抜けていなかった。小泉訪朝で北朝鮮が拉致(らち)を認めた2002年から東日本大震災(2011年)までの10年間で日本人はようやく目覚めた。この時、民主党政権であったことが国民にとっては二重の不幸であった。菅直人は国旗・国歌に反対する真性の左翼で「君が代」を絶対に歌わない政治家だった。2009年に政権をとった民主党は2012年の暮れに下野する。国民が寄せた期待は無残かつ最悪の形で潰(つい)えた。

 冒頭の一文を紹介しよう。

 戦後50年です。その間、総体として言えば、日本の社会的な風潮は、先の大東亜戦争のため、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してきました。
 しかも、この傾向が一段と高まったのは、時間が進むにつれての“押しつけ”だったのです。すなわち、日韓基本条約昭和40年)と日中平和条約昭和53年)によって、国際関係の諸問題が解決し、国交がきちんと正常化したそのあとから、京城政府および北京政府に、平身低頭すべきであるという時流が強まったのです。まことに、おかしな根拠のない思い込みでした。
 そのため、中華人民共和国や大韓民国などアジアの諸国が、先の大戦にまつわるさまざまな言い掛かりを突きつけてきたとき、その言い分を無条件に受け入れるという習慣が生まれました。それも、正規の外交ルートを通じての公式な申し入れではないのです。一方的な放言として、わが国を攻撃したり、いわゆる不快の意を憎々しげに表明したり、新聞の論調で喚(わめ)きたてたり、という手口でした。すべて、近代国家としての正式な手続きを経ない非公式な恫喝(どうかつ)だったのです。
 それにもかかわらず、わが国のその時その時の政府は、それこそ無条件で頭を下げ、相手側の言い分を全面的に認めて、拝跪(はいき)する姿勢を通してきました。政府よりもっとひどかったのは、新聞とテレビによるわが国の言論界だったのです。本来なら、国民の意向を反映すべきはずの言論界が、一部の国を売る輩(やから)に乗っ取られてしまいました。
 これら言論界を牛耳(ぎゅうじ)っている連中が、北京政府や京城政府の立場に立って、彼らの言い分を増幅してがなりたてる代理人となり、日本にだけ非があると囃(はや)し立てたのです。彼らは日本の国益を代弁するという、当然そうあるべき使命を投げ捨て、その逆に、相手側の国の利益になるように言論を組み立てました。
 他国の利益を重んじて他国の代弁者となり、自分の国の大切な国益を損なう行為に突き進む者、これを「売国奴」と呼ぶのが正当でありましょう。

 日中共同声明(1972年)はよく憶えている。私は小学校3年生だった。担任の先生が昂奮した面持ちで教室に入ってくるなり、「今凄いニュースがあった。中国と日本が仲直りした」と告げた。

 今振り返ると中国は実に巧妙であった。左派政党ではなく公明党を使って国交回復を打診したのだ。キッシンジャーの極秘訪中(1971年)という呼び水もあった。田中角栄首相は飛びついた。「ビンのふた」論も知らずに。

米中国交回復のためにアメリカは沖縄を返還した/『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘
李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘

 日本人は近代史を学ぶことを禁じられたも同然だった。戦後教育は東京裁判史観に染まっていた。結局のところGHQの蒔(ま)いた種が中国・韓国という花を咲かせたということなのだろう。

 そして中韓の反日運動が日本人にとって目覚まし時計の役割を果たすのだから歴史というものは一筋縄ではゆかないものである。



中国の核実験を礼賛した大江健三郎/『脱原発は中共の罠 現代版「トロイの木馬」』高田純

2020-01-15

行き交う過去と未来/『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰


・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰
『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰
『心晴日和』喜多川泰
『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰
『書斎の鍵  父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
『ソバニイルヨ』喜多川泰

 ・行き交う過去と未来

【死後の世界と交信】有名人を顧客に持つ凄腕霊媒師がタクシー運転手に扮して乗客を霊視!【占いタクシー】
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス

時間論
悟りとは
必読書リストその一

「いいから教えてくださいよ。岡田さんは運がいい方ですか? それとも……」
「フン、人生そうそういいことなんてないよ。運がいい人生なんて俺の人生とは無縁だね。ついてないことばっかりだ」
「そうですか。そんな人の運を変えるのが私の仕事です」
「どんな仕事だよ、それ」
「だから、運転手……です。最初から言ってるじゃないですか。私はあなたの運転手だって」
 修一は余計に意味がわからなくなった。
「俺の運を良くするのが仕事だって? 何を言っているのか余計にわからんよ。君の仕事は運転手だろ? 客が連れて行ってほしいところに車で連れて行くのが仕事じゃないのか?」
「違います。運を転ずるのが仕事です。だから私は、岡田さんが連れて行ってほしいところに、車を走らせるわけではありませんよ。岡田さんの人生の転機となる場所に連れて行くだけです」

【『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年)】

 amazonレビューワーの評価を時折参考にしている。ただし星の数が多いからといって良書とは限らない。「お前らの目は節穴なのか?」と嘆くこともままある。

 本書は運を巡る物語である。凝った構成で未来から現在、そして現在から過去、更にもう一度現在から過去に戻って終わる。芸術とは人が想像したものを形にする作業だが、「思えば成る」というのは唯識のテーマでもある。人は「出来る」と思ったことしかできない。四十不或は今までやったことのないことに対する挑戦の気概を示した言葉である。老いとは「出来ない」ことを受け容れ、できなくて当然と思い込む心に始まる。

 自分が生きる狭い世界にも無限の可能性がある。ほんのちょっとしたきっかけで運命は転じ幸福の扉は開く。「そのためには上機嫌でいること」と運転者は説く。そして「誰かの幸せのために自分の時間を使う」こと。つまり自分の心を開けば転機はどこにでも転がっているのだ。

 もしも親の思いから祖父母の気持ちまでが完全に見通せたとしたら、我々の生き方は今と同じものではないだろう。まして父祖があの戦争をどう戦ったかを知れば、漫然と景気が上向くことを期待しながら無責任で自分勝手な日々を過ごすこともないだろう。

「孝」の字は老いた親を背負う姿に由来する。


 ホモ・サピエンスが登場したのは20万年前に遡(さかのぼ)る。重畳(ちょうじょう)たる歴史を思えば孝の厚みも地層のように増しそうなものだが、世代を重ねるごとに皮膜のような薄さとなっている。孝には「亡き祖先をも背負う」意味があるという。生命の連続性にまさる不思議はない。今生きている人は皆、遺伝的な勝者だ。先祖を辿れば40億年前の生命誕生にまで至る。受け継がれた生命のダイナミズムを父と祖父の生きざまから照射したドラマである。

 12月に本書を読み、その後喜多川作品を8冊読んだ。いずれもローからセカンドのギアに時間がかかるのと、登場人物のネーミングがよくない共通点がある。尚、駄作と判断したものにはリンクを貼っていない。

2020-01-14

「不惑」ではなく「不或」/『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登


『中国古典名言事典』諸橋轍次

 ・「不惑」ではなく「不或」

『日本人の身体』安田登
・『心の先史時代』スティーヴン・ミズン
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】

 孔子時代にはなかった漢字が含まれる『論語』文の代表例は「四十(しじゅう)にして惑わず」です。(中略)
 漢字のみで書けば「四十而不惑」。字数にして五文字。この五文字の中で孔子時代には存在していなかった文字があります。
「惑」です。
 五文字の中で最も重要な文字です。この重要な文字が孔子時代になかった。
 これは驚きです。なぜなら「惑」が本当は違う文字だったとなると、この文はまったく違った意味になる可能性だってあるからです。

【『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】

 twitterのリンクで知った書籍。安田登は能楽師である。伝統的な身体操作は古(いにしえ)の人々と同じ脳の部位を刺激することだろう。温故知新(「子曰く、故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る、以て師と為るべし」『論語』)の温故である。

『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
 孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
 四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。

 整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。

」の訓読みにはないが、門構えを付けると「(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。

「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。

 認知革命から意識の誕生まで数万年を要している。自由と権利の獲得を自我の証と考えれば、自我の誕生はデカルトの『方法序説』(1637年)からイギリス市民革命(清教徒革命名誉革命/17世紀)~フランス革命(18世紀)の国民国家誕生までが起源となろう。ゲーテ著『若きウェルテルの悩み』が刊行されたのもこの頃(1774年)で人類における恋愛革命と言ってよい。すなわち自我は政治と恋愛において尖鋭化したのである。

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2020-01-13

社会学を騙る悪書/『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮


「ネット右翼」という語にしても、1990年代後半に成立した彼ら独自の言説の場「ネット右派理論」ではすでにしばしば用いられていたものだ。たとえば99年4月に結成されたネット上の右翼団体「鐵扇會」に関連し、この語が用いられていたことを示す記録も現存している。当時、「J右翼」「サイバー右翼」など、いくつかの類語の間を揺れ動きながらも次第にこの語が、そしてこの現象が定着していったという経緯がある。

【『ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代』伊藤昌亮〈いとう・まさあき〉(青弓社、2019年)以下同】

 社会学を騙(かた)る悪書だ。最初のページで露見している。

 はじめに

   「ネトウヨの妄言」を軽蔑する前に

 書籍のタイトルは出版社が会議で決めるのが普通だ。とすれば冒頭の表題に伊藤昌亮の本音が出たと考えてよい。

 しかし1991年ごろからそこでは右寄りの論調の記事が徐々に目につくようになる。やがて数々の特集とともにそれらが前面に押し出されるようになり、それに伴って雑誌全体としても、あたかも保守派の新しいオピニオン誌であるかのような趣が強く打ち出されるようになった。特に90年代半ば以降は、小林(よしのり)をはじめとする保守派の新しい論者の一大拠点となるに至る。こうして90年代を通じて徐々に「右傾化」していき、2000年代になるころには新種の「タカ派」雑誌として広く認知されるに至った『SAPIO』だが、ではそうした変化はどのような経緯で引き起こされたものだったのだろうか。

 本来であればその背景を探るのが社会学の仕事なのだが、伊藤にとっては「ネトウヨ」こそが問題であり、一部の行き過ぎた差別発言をあげつらうことで、保守層から安倍首相を支持する人々までをこき下ろすところに目的があるのだろう。

 そもそも高々20~30年の出来事を「歴史社会学」とは言わない。国政を俯瞰すると自民党こそが実は社会民主主義を実践してきた歴史がある。国際基準で見れば自民党は中道左派といってよい。それが証拠に小泉政権が誕生するまで日本は「大きな政府」であり続けた。また実際自民党内には右から左までの政治家を網羅しており、政策を決定する段階の議論で国会質疑以上に政策が練られてきた。改憲勢力ではない公明党が与党入りしてからは更にブレーキの効きが強くなった。

 ネット右派の功績は敗戦以降、ひた隠しにされてきた日本の近代史に目を開かせたことであろう。そして1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、1998年には『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小林よしのり作)が刊行された。当時は「保守=右翼」と見られていた。私自身そう思っていた。圧倒的な逆風が取り巻いていた。

 2004年にはチャンネル桜が開局。保守系論壇の人材を結集した功績は見逃せない。チャンネル桜が「虎ノ門ニュース」や「報道特注(右)」に道を開いたといっても過言ではない。

 伊藤昌亮は致命的な勘違いをしている。今語るべきは左翼である。左翼の鬱屈した感情を満たすだけの学問は恐ろしく不毛である。