2020-02-10

依正不二/『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン


『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人
『アファメーション』ルー・タイス
『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン

 ・依正不二

『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス

 あなたの世界は、あなたがどんな人間であるかの現れです。あなたの世界は、あなたの内側の状態が投影されたものであり、これからもそのすべてが、あなたが内側で体験することによって色づけされることになります。
 あなた自身の思い、希望、願望が、あなたの世界をつくり上げています。あなたの世界内にあるものは、たとえそれが、あなたにとって美しいものであっても、喜びであっても、醜いもの、あるいは痛みであっても、そのすべてが、あなたの内側に存在しています。
 あなたは、自分自身の思いによって、自分の人生、自分の世界を、あなたが思いのパワーによって内側の人生を築き上げると、あなたの外側の人生は、その内側の人生に従って自然に築かれることになります。
 たとえあなたが、心の奥底のどんな秘密の場所に、何を隠そうとも、あなたの内側に存在するすべてのものが、やがて必ず、あなたの外側の人生のなかに姿を現してきます。

【『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン:坂本貢一〈さかもと・こういち〉訳(サンマーク出版、2004年)】

 湛然〈たんねん/天台中興の祖。妙楽大師とも〉の十不二門(じっぷにもん)の中に依正不二(えしょうふに)がある。依報(えほう)が環境で正報(しょうほう)が生命主体のこと。報は報いで因→縁→果→報という時間の方向性を示す。身口意の所作は繰り返されることによって業(ごう)の慣性が働く。怒りっぽい人は些細なことでも怒りを露(あら)わにする。彼の世界は怒りの炎に包まれていることだろう。

 人類が犯した残虐さに目を向けてみよう。ナチスの強制収容所シベリア抑留のラーゲリルワンダでも依正不二は通用するだろうか?

 思考は感覚に基づいて比較し、社会もまた比較によって人々をランクづける。幸不幸も比較を通して感じることが多い。強制収容所の内側と外側を比較すれば明らかに理不尽の度合いが異なる。しかしながら外部世界にも悲惨な目に遭ったり、非業の死を遂げた人々は存在した。割合の違いだけを注目すれば比較は比率の問題になる。自由が不自由の中で試されるとすれば、幸福も不幸の中で鍛えられる。

 程度の差こそあれ万人が収容され、強制的な労働を強いられ、自由を損なわれていると考えることも可能だろう。例えば牢獄で生まれた子や孫にとっては牢獄が当たり前の世界と認識するように。現代では経済力が幸不幸を左右するため報酬の高い職業ほど会社に隷属せざるを得ない。社会の至るところで自由と不自由のフェアトレードが行われている。

 世界は塀で截然(せつぜん)と分けられているのではない。人々が織りなす安定と混沌が点在し、明滅しながら色彩を変化させている。不幸な世界であっても幸福な家庭はあり得る。とすれば不自由な強制収容所であっても自由な精神を確立することは可能だろう。

 世界から何を受け取り、何を思い、いかなる行動をしたかで世界観が形成される。幸不幸は解釈の問題であって自分を縛る事実ではない。今日、自分の内側にどんな種を蒔いたかを振り返る。それが憎悪の種ではなく感謝や歓びの種であれば周囲は必ず明るくなる。

2020-02-09

土地の価格で東京に等高線を描いてみる/『我が心はICにあらず』小田嶋隆


 ・洗練された妄想
 ・土地の価格で東京に等高線を描いてみる
 ・真実
 ・「お年寄り」という言葉の欺瞞
 ・ファミリーレストラン
 ・町は駅前を中心にして同心円状に発展していく
 ・人が人材になる過程は木が木材になる過程と似ている

『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
『山手線膝栗毛』小田嶋隆
『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
・[https://sessendo.blogspot.com/2022/01/blog-post_95.html:title=『コンピュータ妄語録』小田嶋隆]
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 この発想が天才的だ。オダジマンは企業の意向に沿って出来上がった町を嫌悪する。これぞ江戸っ子の心意気か。捏造されるのは歴史だけではない。町もそうなのだ。

私鉄不動産複合体財閥企業がつくった東京の山の手/『山手線膝栗毛』小田嶋隆

 で、土地の価格で東京に等高線を描くとどうなるか――

 現在の東京は大雑把に言えば西高東低の原則で構築されている。この西高東低の原則は、海抜高度、土地価格、住民の最終学歴、住民の平均年収、その地域にある学校の偏差値分布など、かなり広い範囲で適用できる。
 仮に土地の価格で等高線を描くとすれば、東京の地形は港区、千代田区、渋谷区といった中心部をピークにして西側に向かってなだらかなカーブで降りて行く。東急沿線、または小田急沿線の世田谷あたりはちょっとした尾根のようになっており、田園調布、等々力、成城学園あたりは峠になっている。
 東および北に向かう斜面は急であり、等高線の間隔はひどく狭い。そんな中で赤羽は川口市に向かってざっくりと落ちる崖っぷちの斜面に位置している。
 赤羽は国鉄とともに発展してきた町である。町の成立と発展を考える上で、このことは重要だ。国鉄の沿線と私鉄の沿線では全然違う町が出来上がる。つまり私鉄沿線(特に西側の私鉄)では都市計画の一部として線路を通すのだが、国鉄は単に線路を通すために線路を通すのだ。そのため国鉄の沿線では町は無秩序に、雨の後のタケノコのように自然発生してしまうのである。

【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】

 実に見事だ。実際に地図をつくるだけの価値すらある。地価格差地図。これを全国に広げれば、湖のように陥没した地域も数多く出現することだろう。現在は隅田川から東側を下町と呼ぶのが一般的となっている。古くから東京に住む人は「川向こう」と嘲っていた。

 私が青春時代を過ごした亀戸(かめいど)はゼロメートル地帯で昔は大雨が降るたびに川が溢れたという。小学校から渡し舟で家に帰ったことがあると後輩の父親が語っていた。深川から東京湾にかけては江戸時代の埋立地で、隅田川と旧中川を結ぶ小名木川(おなぎがわ)という運河は徳川家康が作った。家康が江戸入りした頃は雨が降れば各所が水浸しになっていたことだろう。

 私が北海道から上京したのは昭和61年(1986年)だが、まず貧富の差に驚いた。新玉川線と東武亀戸線の客層はブティックと洋品店ほどの差があった。しかもその差が老若男女に及んでいた。ま、今時は山の手も下町もユニクロっぽい服装になっているから昔ほどの大差はないことだろう。下町からは木造アパートも姿を消して鉄筋コンクリートのビルになっている。

 昨年の台風19号による水害を思えば、やはり低い土地には危険が伴う。東京に地の利があるのは確かだが、地のリスクも高いことを弁えるべきだろう。

特攻隊員は世界の英雄/『神風』ベルナール・ミロー


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之

 ・読書日記
 ・フランス人ジャーナリストが描く特攻の精神
 ・仏教は神道という血管を通じて日本人の体内に入った
 ・特攻隊員は世界の英雄

『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 実際にこれらの兵器で、戦果をあげ得る前にあえなく散華した多くの純粋な日本の若者たちには、彼らの驚嘆すべき祖国愛の高揚と、その比類ない勇気のゆえに、いっそういたましく、まことに胸えぐられる悲痛さを禁じ得ないものがある。
 しかしこれらの武器が我々の眼にはいかに悪魔的と映り、それによってあたら命を捨てた若者たちの冷たい勇気と決意のほどがいかに我々を畏怖せしめようとも、それでもなおかつこれら日本の若者たちは、言葉の最も高貴な意味において英雄であり、未来永劫英雄として我々の心中に存在しつづけることはまちがいない。

【『神風』ベルナール・ミロー:内藤一郎〈ないとう・いちろう〉訳(ハヤカワ・ノンフィクション、1972年)以下同】

 日本人の殆どが特攻隊を忘れていた時に異国の人物が丹念に軌跡を辿り英雄と仰いでいた。その落差に私は愕然とした。更に本書が絶版となっている出版状況に心底落胆した。フランスには敵国の軍人を「若き英雄」と讃(たた)えるほどの精神性があるのだ。全くもって羨ましい限りである。

 日本は戦争に敗れたのだからどんな仕打ちをされようと致し方ない。だが問題はサンフランシスコ講和条約以降である。1951年(昭和26年)9月8日に署名され、翌1952年(昭和27年)4月28日、日本は主権を回復した。「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」も行った(1953年/昭和28年)。しかし憲法を破棄せず国軍を創設しなかった。吉田茂は経済の立て直しを優先して安全保障をアメリカに委ねた(『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行)。

 中野好夫が“もはや「戦後」ではない”と書いたのは1956年の『文藝春秋』2月号であった(1956年度〈昭和31年度〉経済白書に引用され流行語となった/もはや戦後ではない―経済白書70年(2) | 小峰隆夫)。高度成長は1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月まで19年間も続き(Wikipedia)、その後経済成長率は鈍ったものの実質国民総生産は1997年まで増え続けた(戦後の日本経済の歩み 高度経済成長期:TERUO MATSUBARA)。

 国家にとって最大事は安全保障である。外交は軍事力で決まる。その軍事力を日本はアメリカに委ね、外交はひたすらカネをばらまくことで対処してきた。経済発展を遂げてからも一度として国民が憲法改正を望んだことはなかった。それどころか左翼の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許し、1989年の参院選ではマドンナブームの旋風が吹き荒れて社会党が大勝した(社会党46、自民党36議席)。その後、北朝鮮による拉致事件が発覚するが社会党は消え去ったものの立憲民主党という左翼政党が今でも野党第一党となって政治を混迷させている。

 戦時下の日本はたしかに奇妙な国であった。近代技術社会に育ちながら中世的倫理を棄てようとしなかった日本人は、いわば稚すぎる翼であまりにも速く飛ぼうと焦りすぎる若鳥のようでもあった。彼らは国体の新価格化をぼやけさせてしまうようなあらゆるものを拒否した。そして個人主義に接することが最も遅かった。日本は人間精神の進展の流れの中での不毛の地を一時形成していたといってよく、日本人は近代社会の人間の特権のひとつである個人をかちとる闘争をすら行使しようとしなかった。そして工業化社会の中で伝統を保ち、伝説の中にとじこもろうとしていたのである。
 この日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期の数カ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去からひき出してきた。すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。
 このことをしも、我々西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと筆者は考える。
 たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動などという観念を認容することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。彼らを活気づけていた論理がどうであれ、彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。彼らは人間というものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。

 国を超え、時代を超えて響き合い、通い合う何かがある。これこそが人間の出会いであろう。日本人が消費という幸福に酔い痴れ、戦争を忘れ去った時に特攻隊を讃えるフランス人が存在した。西洋の常識から完全にはみ出した特攻隊に感動を禁じ得ないとまで言い切る。

 若き特攻隊員が命を賭して守ろうとしたものは何であったか? それを忘れた時に国は滅ぶのだろう。英霊の魂はどんな思いで現在の日本を見つめていることだろう。

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2020-02-03

仏教は神道という血管を通じて日本人の体内に入った/『神風』ベルナール・ミロー


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之

 ・読書日記
 ・フランス人ジャーナリストが描く特攻の精神
 ・仏教は神道という血管を通じて日本人の体内に入った
 ・特攻隊員は世界の英雄

『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 仏教が日本人に与えた影響がきわめて大きいことを、再度強調しておきたい。なぜなら、仏教は日本人を精神主義化させ、形而上的レベルにまでひきあげることによって、この国にもとからあった伝統や、慣習的思考に一種の帰結、結論をもたらしたからである。この国には伝来当時からほとんど変貌していない、原型を多分にとどめた禅宗という仏教の一派があるが、これを調べてみると、仏教の教義と戒律は、神道という血管を通じて日本人の体内に入ったものであることが判る。そして仏教を通らせた血管の神道は、権威への絶対服従、半神天皇の崇拝から、さらに悔恨や屈辱からまぬがれて愛国的飛躍に達するための自己愛による自己犠牲といった、それまでの仏教になかったものを、それにつけ加えたものであった。
 日本人はこれらのドグマから、国家の真の倫理をひき出すほどまでに、この修正仏教に帰依し、かぶれきった。その影響は多岐にわたり、かつ多様ではあるけれども、とにかく武士も芸術家も居者も、仏教の戒律と仏教的思考法を通じて、日本人はみな同一思考に結びつけられた。これは生まれた土地がちがおうと、階級がちがおうと、差異はなかった。日本人には同じような純粋さ、同じような解脱心、同じような感情の圧殺が生じた。苦悩や死を前にしての日本人の行動、努力するかぎりは栄光のあの世へ行けるのだという観念、大戦を通じて我々の見たこのような日本人像は、疑いもなく主として仏教の形づくったものであり、仏教の真髄であるともいえるのである。

【『神風』ベルナール・ミロー:内藤一郎〈ないとう・いちろう〉訳(ハヤカワ・ノンフィクション、1972年)】

 たまたま今読んでいる小室直樹の『中国共産党帝国の崩壊 呪われた五千年の末路』(カッパ・ビジネス、1989年)に「人民の要諦(ようてい)は、われわれは一つであるという、連帯(ソリダリティ)の意識である。換言(かんげん)すれば、連帯なきところに人民なし、といえる」と書かれている。それゆえ「中国に人民はいない」と。小室によればアメリカ国民が確立されたのは南北戦争を通してのことであった。リンカーンが第二の国父と仰がれる理由もアメリカを歴(れっき)とした国家(ネイション)にした功績による。

 そう考えると日本に国民感情が芽生えたのは元寇(蒙古襲来)の頃だろう。モンゴル軍の実態については杉山正明著『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』(講談社学術文庫、2010年)が詳しい。この時全国の武士が掻き集められた。軍事力に優れた日本だったが自衛戦争であったため、後々参戦した武士に幕府は恩賞を与えることができなかった。これが鎌倉幕府滅亡の遠因となる。日蓮が文永の役の14年前(1260年)に認(したた)めた「立正安国論」も国家意識を雄弁に物語っている。

 私は予(かね)てから神仏習合を「神道と仏教の妥協・歩み寄り」と考えてきたのだが間違っていたようだ。

小林●日本人の宗教という問題で一番の困難は、他の部門の文化と同様に、やっぱりその外来性にあるんだなあ。本地垂迹(ほんじすいじゃく)という難しい問題に衝突してしまうところにあるんだな。
 素朴な宗教的経験のうちから教理が生まれ育って行くという過程がなく、持って生まれた宗教心と外来宗教のドグマとの露骨な対立、その強引な解釈というものがまずあった。そこから宗教の歴史が始まっている。

【『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄(新潮社、2004年)】

 私はこれをリアリズムに基づく折衷主義と考えていた(本地垂迹説/『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基)。だが実は神道というエートスに仏教が骨格を与えたのだろう。それまでアニミズムに過ぎなかった神道が仏教によって行動原理を樹立したのだ。実際の戦闘がないにもかかわらず江戸時代の様式化した武士道が死を見据えたのも仏教の影響が大きいと思われる。

 ミローの慧眼は「修正仏教」の一語に表れている。仏教史から見れば日本仏教は噴飯物だが、国民意識を涵養するための方便と考えることも可能だろう。

 特攻に仏教の精神を見抜くジャーナリストの眼光が行間からほとばしる。