2021-08-11

クエン酸は万能薬/『新健康法 クエン酸で医者いらず』長田正松、小島徹


 ・クエン酸は万能薬

『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之

必読書リスト その二

 クエン酸の有機酸としての働きは酢の3倍です。しかも「酢の強さ」は酢の3分の1と弱いので、酸っぱい味が苦手な人にもたいへん飲みやすく感じられるのです。
 これが、クエン酸が酢よりも健康効果が得られやすい理由の1つです。

【『新健康法 クエン酸で医者いらず』長田正松〈おさだ・しょうまつ〉、小島徹〈こじま・とおる〉(日東書院本社、2003年)以下同】

 クエン酸だけだと飲みにくいので私は重曹を混ぜている。便の色が黄色っぽくなってきたので効果はあるのだろう。水に浮くまでには至っていない(食物繊維不足はこれでチェック!|大塚製薬)。

 クエン酸と重曹は元々掃除のために買ったのだが、飲めるとなれば一石二鳥だ。効果が実感できない人は掃除に使えばよい。

 ところが、野菜や果物よりも酸性体質改善に効果的なアルカリ食品があるのです。それが酢、つまりクエン酸です。

 クエン酸は「酸」という文字が入っているものの、実はたいへんに優れたアルカリ性食品なのです。その字の示すようにクエン酸そのものは確かに酸性です。ところが、クエン酸を服用すると、胃に到達するまでは酸性なのですが、十二指腸に入ると膵臓から出た強いアルカリ性の重曹と化学反応を起こし、クエン酸ソーダとなってアルカリ性になるのです。クエン酸を身体が吸収すると、すべてアルカリ性として働くのです。
 つまりクエン酸を効果的にとっている限り、私たちの身体は弱アルカリ性に保たれやすくなるのです。

 少し調べたのだがエビデンスが見つからず。「胃からくる酸を中和するのに必要な大量の炭酸水素ナトリウム(重曹の成分)を十二指腸に分泌する」(膵炎の概要 - 03. 消化器の病気 - MSDマニュアル家庭版)。膵液は弱アルカリ性なので、「強いアルカリ性」が何を意味するのかが判らず。

 最初から最後に至るまで「クエン酸は万能薬である」と主張している。自分で試してみるのが一番であろう。尚、長田正松は薬事法違反と公職選挙法違反で有罪となっている。

2021-08-10

老後の楽しみ/『ブナの山旅』坪田和人


 太古の昔から幾世代も世代交代を繰り返しながら同じような原生林を維持してきたのだろう。人間は世の中の進歩に合わせて生き方を変えてきたが、ブナたちは生き方を変えることがない。ブナたちは何の野心も持たずに、与えられた環境のなかでせいいっぱい生きて子孫を残すことに徹している。これが生き物の純粋な生き方なのだ。人間は悲しいとき、苦しいときに救いを求めて森の中に入る。そんな人間をブナの森はいつでも優しく包み込んで癒してくれる。人間は昔は森の中でこんなブナたちと一緒に暮らしていたのだ。私たちの遺伝子のなかにそんな思い出が刻み込まれている。ブナの森の中に入ると昔の記憶が蘇って、昔の仲間であるブナたちと心の交流をはじめるのだ。道南のブナの旅の終わりに、こんな見事なブナ林に出会えて大いに満足した。

【『ブナの山旅』坪田和人〈つぼた・かずと〉(山と渓谷社、1999年)】

 2年前、突然ブナに興味が涌いた。検索するごとに私は「ブナだな」と呟いた。今まで「これだ」と思う森に出遭ったことがなかった。多分ブナが欠けていたのだろう。そんな気がした。

 上記テキストは賀老(かろう)高原(北海道島牧郡島牧村)を紹介したものだ。

【賀老高原】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet


ブナ

 本書を読んで「老後はブナを巡る旅でもするか」と閃いた。収められている写真がまた素晴らしい。


 私は美しい写真やフィルター処理された画像に興味はない。むしろ、ありのままのスナップショットこそ好ましいと考えている。老後はそう遠くない時期にやってくる。密かな楽しみを温めておこう。



潜在自然植生/『宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け』一志治夫

歩幅と認知症の相関関係/『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『足・ひざ・腰の痛みが劇的に消える足指のばし』湯浅慶朗
『本当に必要な「ゆるスクワット」と「かかと落とし」』中村幸男

 ・歩幅と認知症の相関関係

『5秒 ひざ裏のばしですべて解決 壁ドン!壁ピタ!ストレッチ』川村明
『ベッドの上でもできる 実用介護ヨーガ』成瀬雅春
『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『足の裏は語る』平澤彌一郎

身体革命
必読書リスト その二

 2017年の厚生労働省の人口動態統計によると、【転倒や転落などによって命を落とした人の数は年間約9600人。】これは交通事故によって命を落とした人の数(約5000人)より多い数字です。
 また、命を落とすほどではなくても、転倒すると「寝たきり」へとつながる可能性が高まります。

【『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明〈まえだ・のりあき〉監修(池田書店、2018年)以下同】

 少し調べた。


 転倒・転落で死亡するのは頭部打撲が原因か。溺死は風呂。水溜まりに顔をつけて死んだ場合も溺死となる。死は日常のそこここにあるということだ。また、寝たきりの要因となるのは骨折である。特に高齢者の場合、わずかな期間で骨折→入院→寝たきりとなる。たとえ大腿骨を骨折したとしても入院させないのがよろしい。病院だと動けないのもさることながら、コミュニケーションの乏しさが認知症を促進させる。

 高齢者の事故は家の外よりも家のなかで起こっているのです。
 しかも、家庭内での事故発生場所の第1位は、階段でもお風呂場でもなく、居室で、その割合は45%にもなります(2017年の内閣府の高齢社会白書より)。加齢により足腰が衰えると、わずかな段差でも転んでしまうのです。

 50代になると誰もが実感することだろう。この私ですらそうだ。本書で紹介されている足指じゃんけんや、腿上げ、大腰筋強化が必要だ。

 最近のさまざまな研究によって、【「歩くスピードが遅くなる=認知症の危険度が高くなる」】という関係が明らかになっています。とくに注意したいのが、歩くテンポより歩幅です。東京都健康長寿医療センター研究所の研究によると、歩幅が狭い人は、そうではない人よりも認知機能が低下する危険性が2.8倍も高くなるということです。

 常歩(なみあし)だと歩幅が狭くなるので判断しにくい。フロントランジやバックランジの動きを確認するのがよさそうだ。

 私はどちらかというと、自分のためではなく高齢者を手助けするために運動の勉強を行っている。そこそこ知識は集積されてきたので、そろそろ近所にチラシでも配布しようかと思っているところだ。賢く生きれば認知症はいくらでも防ぎようがある。愚か者は後悔の海に沈みながら死ぬしかない。

人を大事にしなかった国は滅びる


2021-08-09

手放すこと/『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト


『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人
『アファメーション』ルー・タイス
『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン
『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン
『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト

 ・手放すこと

『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス
『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也

必読書リスト その五

【この本のメッセージは、手放すことだ】。

【『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト:桜田直美訳(サンマーク出版、2015年/サンマーク文庫、2019年)以下同】

 よもや、アメリカ人から仏教を教わる羽目になるとは恐れ入谷の鬼子母神である。この一言だけでも必読書にする価値がある。

【もしもあなたがすばらしい人生を自分で創造したいと思っているなら。がらくただらけの引き出しをきちんと片付けることが大切だ】。

 今あなたが大切に思っているものが実はがらくたの可能性がある。なぜなら大切であるがゆえに自分が束縛されてしまうからだ。ひょっとするとそれは会社や組織であるかもしれないし、パートナーや子供であるかもしれない。

 がらくたを片づけると身も心も軽くなる。少し頑張れば空を飛べるかもしれないほどだ。

【新しい可能性を受け入れるのを拒否しているかぎり、その可能性はあなたの視野には入ってこない】。

 一番わかりやすいのは人である。嫌いな人物に善良な資質を見出すことは難しい。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となりがちである。逆もまた真なりで好きな人には「あばたもえくぼ」となりやすい。

【ルールは自分で決めよう。大切なのは、実際に行うことと、遊び感覚で楽しむことだ】。

 強制されて遊ぶ子供はいない。自由に遊ぶのである。また遊びには「ハンドルの遊び」など余裕の意味もある。女遊びなる言葉もあるが、下劣な欲望みまみれていてさほど自由がない。遊びは勝敗とも無縁である。かくれんぼをしていて最初に鬼に見つけられたからといって泣く子供はいないだろう。遊びに陰湿な陰はない。

 深夜の公園を眺めていて時折子供たちのさざめく声の形跡が漂っているように見えることがある。遊ばなくなった人々を大人と称するのであれば、失ったものはあまりにも大きい。