2018-08-10

辺境文化とバイタリティ/『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『ビルマの竪琴』竹山道雄
・『歴史的意識について』竹山道雄
・『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

 ・辺境文化とバイタリティ

『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

辺境文化とバイタリティ

竹山道雄●元に戻しまして、石田さんは、日本人は軽佻であってバイタリティがあるということを書いていますが、軽佻浮薄というと、これはネガティブな価値観をふくんだ言葉ですね。それと関係づけると共に、もっと別な、ポジティブなものを考えたいと思うんですよ。軽佻でバイタリティなものと裏腹をなすものというと、感受性の鋭さとダイナミックであるということではないでしょうか。

石田英一郎●ええ、そうですね。

竹山●だからそう考えるとそのセンシビリティは、『古事記』以来やはり日本人に独特なものです。ダイナミズムのほうが出てきたのは、どうも応仁の乱あたりからで、それまでは、特に激しいバイタリティを示さなかった。人口が少なかったせいもあるでしょうが……。それで、応仁の乱あたりから進取的になって、結局一番実力のある者が天下を統一し、自分の思うままの社会をつくった。つまり「人工作品としての国家」という絶対制をつくったのは信長以来で、それまでは、日本は西洋の昔と同じように多元的であった。それからあとは一元的になったわけです。信長、秀吉のころなどは、おそろしく拡張して、外へ出ていく。ちょうどイギリス人みたいなもので、海賊になって出ていった。それが鎖国のためにふさがれた。その鎖国も、結局実力のある者が天下を治めるためだったので、一種の歴史の流れに沿った絶対制というものをつくったものかと思うんです。
 そこのこまかいところはともかくとして、日本にだけセンシビリティとダイナミズムがあって近代化ができた。日本は東洋での例外であるように思えますが、一体例外なのか、もしそうだとしたらなぜ例外なのかということは大きな問題ですけど、わからないのです。そこのところをひとつやってくださいませんか。

石田●いや、また難しい問題を……。

竹山●むずかしいですね。それに日本じゃ文化の発展が絶えずあったでしょう。イタリアにはローマとルネッサンスだけで、あとはない。16世紀、17世紀と、あとはないといったふうに、よそではポツンとできて、あとはだめになるのが多い。シナなんかも、ぐらいまでは文化的創造力があったけれども、次に来るものがない。日本も、徳川の後半期とか、それからわれわれが学生だった大正、昭和の初めとか、あんな気分が続けば滅びていたと思うんですよ。しかし、いつも新しいものが興って、新しい状態になって生まれかわってきているところは、東洋で日本だけが例外と違いますか。

石田●まあ現実的にそうでしょうね。

竹山●なぜですか。

石田●なぜということを完全に解釈しつくすことは不可能だと思うんです。ぼくの一つの観点としては、いわゆる辺境文化というもの、日本がユーラシア大陸文明のさいはての辺境に位置して、しかも大陸から適当に隔離されていたというその条件は、やっぱり無視できない。イギリスも辺境だったけれども、ドーバーにくらべると、対馬海峡は5倍も広い。そして大陸から外敵の侵入や征服を受けるという危険なしに、今度の大戦まで、とにかく千数百年――まあ建国の事情はどうだったか知らないけれども――適当に隔離された大陸から、自分の好きな文明だけを一方的に吸収していくことが可能であった点ですね。陸続きにいろんなまわりの民族と、侵入したり侵入されたりの、あの対立相剋を繰り返し、異民族にいじめ抜かれたという経験なしに、大陸のおもしろいと思ったものをどんどん取り入れてきた。
 それから辺境文化というものは、一番おくれて何でも進んだ文明を取り入れ取り入れていく。そのうちに今度は文明の中心が、元の発生の地から辺境へと移動していく。どうも世界史の一般的な形式としてそういう傾向が認められます。その意味ではアメリカもソ連も辺境だったし、日本も辺境だった。古代オリエントの文明から見れば辺境にすぎなかった西ヨーロッパに文明のピークが移ったときは、オリエント文明はもとより、これにつづくエーゲ海ギリシア、ローマの文明も衰亡してますし、西ヨーロッパもすでに文化の生命力の衰えを示しはじめているのかもしれません。ところが最後に日本は、まだ生命の焔が下火になる条件が熟さないままに、西ヨーロッパよりももっと長い歴史を経てきたんじゃないか。それで説明の全部にはならないけれども、この世界の一般形式は無視できないだろうと思うんです。
 それで、さっき応仁の乱以後とおっしゃったんですが、その前でも、たとえば大化改新前後は、やはり非常なエネルギーの爆発したものがあったのではないか。船がどれだけ沈んでも、次から次へとこりずに遣唐使を、大陸に送り出す。そして大唐の文明を貪るように吸収しようとした。聖徳太子から大化改新、壬申の乱あたりまでの民族的エネルギーには、応仁の乱以後に似たものが見られないでしょうか。

竹山●応仁の乱ちょっと前、足利時代なんかにも、貿易や海賊なんかずいぶん出ているわけですね。

石田●吉野朝から和冦の話題が見られますし、それからずっと八幡船(ばはんせん)とか御朱印船とか、安土桃山から徳川初期にかかての日本人のヴァイタリティー(ママ)は相当なものだった。

竹山●その辺境にあって、あとからあとからと新しい文明のチャレンジを受ける。その常にチャレンジを受けてリスポンドするアティテュード――心がまえが日本人の中に定着していると、そういうこともいえるでしょうね。

石田●ええ、それはもう主体の側にチャレンジを受けて立つだけの条件が具わっていたということがもちろん前提になるでしょう。しかも侵入や征服のような形式でないチャレンジをほどよく、何度も繰り返して受けてきた。これは大陸の民族とは違った大きな特徴ではないでしょうか。したがって非常にホモジーニアスな、等質的な民族がこの島の上ででき上がった。陸続きにヘテロジーニアスな民族と民族とがひしめき合ったような、ユーラシア大陸と比べて、適度の隔離が、日本の島の中で同質的な文化を持った単一民族を形成せしめた。この単一民族の間では、ことばや、論理を媒介しないでも、いわゆるハラとハラとがツーカーで通じ合えるコミュニケーションの世界が特に形成されやすかったのではないか。それがまた日本人の情緒性の発達とも関係があるだろう、とこんなふうにぼくは考えるわけです。

竹山●異質の文化はあとからあとから入ってきて、日本独特のベールを上へかけて、結局同質に近いようなものにしてしまいますね。

石田●してしまうんですね。それは、ほかから力で押しつけられないからそれができるのではないか。主体性をもって、その点を歴史家は見落としてはならないと思うんです。模倣模倣というけれども、単なる模倣でもないんですね。(『自由』昭和43年8月号)

【『石田英一郎対談集 文化とヒューマニズム』石田英一郎〈いしだ・えいいちろう〉(筑摩叢書、1970年)】

「チャレンジ・アンド・レスポンス」とはアーノルド・J・トインビーの史観で「文明発生の原因は、自然環境や社会環境からの挑戦(チャレンジ)に対する人間の応戦(レスポンス)にある。創造的少数者が大衆を導きながら文明を成長させてゆくが、やがて創造性を失い、支配的少数者になり、文明は挫折する。--------(そこから、宗教的文化を内包した新しい文明が生まれる)」(歴史観(3) 文化史観 | ”現在・過去・未来” 歴史の日暦)というもの。

 親しみが漂う阿吽(あうん)の呼吸で対談が進むのは長年の友情によるものだろう。実はこの二人、同い年で旧制中学(東京府立第四中学校〈現東京都立戸山高等学校〉)~旧制一高以来の友人なのだ。本書に収められている九つの対談のうち三つが竹山との対談である。内容は『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』に先んじるもので、文明史を通して日本の文化や特性を浮かび上がらせる稀有(けう)な視点となっている。

 竹山としては当然、左翼の進歩史観に対する忸怩(じくじ)たる思いがあり、就中(なかんづく)ナチス・ドイツと日本を同列に裁いた東京裁判に対する拭い難い嫌悪感があったに違いない。そこから正視眼に基づく日本文明の再検証を行うところに対談の眼目を置いたのであろう。

 石田が答えた「辺境の地の利」も絶妙な視点である。論理(ロゴス)は神学によって精錬されたが、所詮相手を言い負かす類いの代物だ。異なる民族をまとめ上げるために必要とされたのだろう。ところが日本の場合、侵略-非侵略という関係性の異民族は存在しなかった。パトス(情念)ではなく情緒に向かったところに日本文化の特徴がある(情緒については岡潔を参照せよ)。

 結局、大陸文化の波は日本の岸辺を洗ったが、押し流すまでには至らなかったということなのだろう。変化を好む性格も各時代の波に応じる中で身につけたのだろう。

 個人的には縦に長い国土が同質性の中にも多様性を育む要因になっていると考える。言葉を文化の尺度とすれば方言の豊かさが多様性を示している。

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2018-08-08

日本はキングではなくエンペラーを持つ唯一の国/『アンダー・プロトコル 政財暴一体で600億円稼いだ男の錬金哲学』猫組長


 日本ではあまり知られていないがヨーロッパにおいては貴族・王族を保有しているかいないかが、その国の価値を決める一つの基準になっている。民主主義国歌となった現在でも、モナーク(君主)を持っているかいないかは、ナショナルバリューにおいては非常に大きな問題なのだ。あの芸術大国を誇るフランス人の最大のコンプレックスこそ、貴族や王族の不在である。18世紀、世界に先駆けて市民革命を起こしたことで、フランスの貴族や王族は滅亡。そのことで、王室外交においてフランスは格下に置かれたのだ。
 IMFが2017年に発表したデータによれば、世界の名目GDPランキングでフランスはイギリスに次いで6位、デンマークはフィリピンより1つ上の35位である。このように経済規模ではフランスに比べて圧倒的に小国なデンマークだが、外交においては非常に尊重されている。その理由はデンマークが、世界で2番目に古い王室を持っているからである。どれほど巨万の富を築いても「歴史」を買うことはできない。つまり、「歴史」は価値なのだ。その歴史が育むものが「文化や伝統」である。【希少性こそが最も価値を創造する要素であり、唯一無二には高いバリューがある。】
 現在、世界に王室は27しかない。
 その中で一番古い君主こそが日本の天皇である。日本はキングではなくエンペラーを持つ唯一の国。天皇家は古事記と日本書紀を信じれば紀元前660年から、きちんとした資料によれば6世紀以降から続く「万世一系」である。現在の世界の覇権国であるアメリカ大統領が、自分より格上の儀礼としてホワイトタイ(白い蝶ネクタイ)で空港まで迎える人物は、ローマ法王とイギリス女王、そして日本の天皇であることを知らない日本人は多い。
 私は特に特定の思想を持たないプラグマティストであるが、プラグマティックに考えれば「天皇」は国家の価値であり、この歴史が日本の文化や伝統を生んだのだ。

【『アンダー・プロトコル 政財暴一体で600億円稼いだ男の錬金哲学』渡邉哲也監修:猫組長(徳間書店、2018年)】

 経済ヤクザの識見恐るべし。嘘が少ない世界で生きているがゆえに物事の本質がよく見えるのだろう。

 浜島書店編集部編『ニューステージ 世界史詳覧』では日本は紀元前3世紀半ばから始まっており、後漢の後でローマ帝国の後半という時代である。日本に遅れてビザンツ(東ローマ)帝国(4世紀末)、フランク帝国(5世紀)、イングランド王国(9世紀)、神聖ローマ帝国(10世紀)となっている。ま、日本以外は新興国と断言しておくよ(笑)。

 そんな古き歴史もGHQの占領によって断絶されてしまった。殆どの知識人が過去を否定して赤く(社会主義・共産主義)染まった。確か朝日新聞だったと記憶するが「報道で天皇に敬語を使うのはおかしい」というキャンペーンを張っていたことがある。もう30年以上も前の話だ。今日に至っても尚、朝日新聞・毎日新聞は不敬な態度を取り続けている。譲位という言葉を使わないで「生前退位」と報じた。毎日はつい先日、「天皇代替わり」とやったらしい。これほど小馬鹿にされると不敬罪を蘇らせた方がいいように感じてくる。

「天皇制打倒」とのコミンテルンの指示がまだ生きていることに恐れを抱く国民は少ない。他国の意のままに動き、国家を転覆して、別の国家をつくろうとする連中が山程いるのだ。そのマインドコントロールの度合いは宗教のレベルに達している。

 平成の30年間はバブル崩壊に始まり、地下鉄サリン事件、二度の大震災など、とても平成とは思えぬ時代であった。次の元号に「安」の字がついたとしても戦争は避け得ないことだろう。

アンダー・プロトコル: 政財暴一体で600億円稼いだ男の錬金哲学
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自転車運動の利点/『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司


 ・自転車運動の利点

『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春

 自転車運動はそのスピードによって、常に風を受けるので汗が蒸発しやすい運動なのだ。
 自転車運動では、大汗をかきながら苦しい運動をすることなく、汗の蒸発によって体温は適正に保たれる。そのため、必要な心拍数を保ちながら楽しく運動を継続できる。これが、自転車運動の最大のよさかもしれない。

【『大人のための自転車入門』丹羽隆志〈にわ・たかし〉、中村博司(日本経済新聞社、2005年/日経ビジネス人文庫、2012年)以下同】

 文章が硬くて読みにくいが内容はかなり充実している。食事の改善からメンテナンス法まで網羅。エンゾ早川や菊地武洋のような後味の悪さがないだけでも評価すべきか。

 自転車本は良書が少ない。好きなものに対してただ情熱を込めて好きと言われても説得力に欠ける。そこに知性と情緒が加わらなければ読み物としては成り立たない。

 肥満の人は主食(炭水化物)を必ず摂ること。脂肪を燃やすためには炭水化物が必要なので、まったく摂らないのは逆効果だ。

 これは糖質の間違いではないのか? 炭水化物は糖質+繊維である。だが炭水化物=糖質ではない。なぜなら糖質を含む食べ物はごまんとあるからだ(例えば根菜、果物、練り物、乳製品、お菓子など)。糖質が慢性的に不足すると筋肉が細くなるという(タンパク質を分解してアミノ酸からグルコースを合成する)。ただし反論もある。

「糖質制限をすると筋肉が減る」は嘘。根拠なし | 炭水化物は嗜好品

 ま、栄養学なんてえのあ科学とは無縁の学問である。彼らがやってきたことは多くの人々を不健康にしただけといっても過言ではない。そんな曖昧な領域に関して素人が断定的に物を書くべきではない。人の食べ物にまで口を挟む料簡を疑う。

 目立った瑕疵(かし)はこれくらいで他は正確な記述が多い。初心者にとっては有用な一冊である。

大人のための自転車入門 (日経ビジネス人文庫)
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2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

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2018-08-06

「児玉誉士夫小論」林房雄/『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫


『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

 ・「児玉誉士夫小論」林房雄

『大東亜戦争肯定論』林房雄
・『われ敗れたり』児玉誉士夫
・『芝草はふまれても 巣鴨戦犯の記録』児玉誉士夫
・『悪政・銃声・乱世 児玉誉士夫自伝』児玉誉士夫
・『われかく戦えり 児玉誉士夫随想・対談』児玉誉士夫
・『随想 生ぐさ太公望』児玉誉士夫
・『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』有馬哲夫

 児玉誉士夫を知って早くも30年が過ぎた。互いに仕事の場を異にしているので、会い語る機会は少なかったが、目に見えぬ心の糸はつながっていた。その糸の最も強いものの一つは、この不思議な人物がときどき発表する自伝風の著書である。
 巻数は少なかったが記された文字のすべてが、強く私の胸を打った。私も長く文字の道にたずさわっている者の一人だから、文章の真贋だけはわかるつもりだ。この人は嘘の言えない人、嘘を行えない人である。爆発する激情のみに身をまかせて生きてきた行動家であるかのような印象を、世間の一部の人々は持っているかもしれぬが、そんな単純な人物ではない。深い内省と謙虚を内に蔵している。生れながらの叛骨と権力者嫌いは生涯消えることはないであろうが、あふれる温情を胸底に秘めて、人情の正道を歩き通した。肩をいからした国士面と強面(こわもて)の愛国者顔のきらいな、永遠の憂国者。常に迅速、果断な行動によって裏づけられる適確無比の洞察力と決断力は、これまた天与のものであろう。ある公開の席上で、私は彼を「天才」と呼んだことがあるが、決してお世辞ではなかった。(「児玉誉士夫小論」林房雄、以下同)

【『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(アジア青年社出版局、1943年/広済堂出版、1974年)】

 ま、酒呑みの言葉をそのまま信用するほど私は初(うぶ)ではない。三島由紀夫も最後は林房雄に対して厳しい評価をせざるを得なかった。児玉誉士夫もまた毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物である。この二人には似た面影(おもかげ)がある。良い意味でも悪い意味でも日本人的なのだ。志は清らかなのだが清濁併せ呑むことで自身を汚(けが)していったようなところがある。振り返れば大東亜戦争における旧日本軍もまた同様であった。

 意外と知られていないことだが児玉誉士夫は創価学会と間接的な縁がある。大日本皇道立教会(1911年設立)には牧口常三郎(創価学会初代会長)や戸田城聖(同二代会長)に遅れて参加しているし、岸信介と親(ちか)しいところも共通している。すなわち戦後の保守における本流にいたことは間違いないと思われる。

 私が児玉に注目したのは神風(しんぷう)特別攻撃隊の生みの親である大西瀧治郎中将(ちゅうじょう)の末期(まつご)に立ち会ったことを知った時である。

 終戦を迎えた翌日、1945年8月16日に児玉と懇意にしていた大西が遺書を残し割腹自決した。児玉誉士夫も急行し、駆けつけた児玉に「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ。」と話した。児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」といさめた。

Wikipedia

継母への溢れる感謝/『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編

「児玉は死期が近づいた時、『自分はCIAの対日工作員であった』と告白している」(Wikipedia)。正力松太郎(元読売新聞社主)もポダムというコードネームを持つ工作員だった(『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』有馬哲夫)。保守というよりは反ソ感情を利用されたのだろう。敵の敵と組むことには一定の利がある。やがては大きすぎる利に目が眩(くら)んだのかもしれない。

 敗戦後、独立独歩の道を塞(ふさ)がれた日本はGHQの占領期間において完全なコントロール下に置かれたと見てよい。それは今もなお解けない呪縛だ。

 児玉誉士夫は酒を飲まない。飲めないのではなく、飲まない。
 まだつきあいの浅かったころは、これは体質的なもので、即ち“下戸”なのだろうと思っていた。私の方は親譲りの“上戸”で、豪酒というよりも暴酒というべき、浴びるような飲み方をして、乱に及ぶこともしばしばであった。見兼ねたのであろう、彼は時折り私に言った。
「あんたは酒をつつしみなさい。わたしは、このとおり飲まぬ」
 その言葉の意味がわかったのは、だいぶ後になって、彼自身の口から次のような告白を聞いた時であった。
 若いころには、人並みに飲み、飲めばいい御機嫌にもなり、つきあいとなれば酒場の梯子も辞さなかった。ある晩、酒場のカウンターで友人たちとグラスを片手に放談し、さて帰ろうとして気がつくと、上着の背が鋭い刃物で縦一文字に切り裂かれていた。
「これはいけない」と思ったそうだ。「生死の覚悟というような問題ではない。酒場で酔って刺されるなどは男の名誉ではないし、しかも、刺されたのならまだしも、背中に刃物を当てられて、それに気がつかなかったというのは醜態以外何物でもない。こんな飲み方と酔い方はやめよう」
 以来、飲めないのではなく【飲まない】児玉誉士夫が生れた。

 国士とか壮士の気風が確かに残っているエピソードである。上場企業の社長がTシャツで公の場に出てくる時代は、もはや正すべき襟(えり)すらないのだろう。信念とは誰も見ていないところで貫かれるものである。口にして宣伝する道具ではない。

 児玉がCIAの工作員であることを吐露したのは、CIAに裏切られたためではあるまいか。そんな気がしてならない。日本人は人が好(よ)すぎて国際関係で失敗することが多い。最大の原因は情報機関と国軍がないことに因(よ)る(『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行)。帝国主義はまだ死んでいない。先進国と名前を変えてのうのうと生き続けている。

獄中獄外―児玉誉士夫日記 (1974年)
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