・『逝きし世の面影』渡辺京二
・『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
・『日本人と戦争 歴史としての戦争体験』大濱徹也
・問いの深さ
・世界史の教科書
・必読書リスト その四
では、近代とは何でありましょうか。このような民衆世界の国家と関わりない自立性を撃滅したのが近代だったのであります。ただし近代といっても、アーリイ・モダン段階まではヨーロッパにおいても、このような自立した民衆世界は存在していたのでありますから、18世紀末以降のモダン・プロパーのことになります。モダン・プロパーの成立は実体的にいえば国民国家の創出であります。ヨーロッパにおいては、これがフランス革命でありまして、その意義はブルジョワ支配の確立なんてところにあるのではなくて、国民国家の創出にこそその第一の意義が認められねばならない。フランス革命が創造したのはナショナル・ガード、つまり国民兵であります。お国のことなんて知らねえよと言っていた民衆が、よろこんでお国のために死ぬことになった。これは画期的なことでありまして、フランス革命のキー・ポイントは民衆世界の自立性を解体するところにあったのです。 国民国家の創成には、絶対主義国家という前史があります。しかし、この絶対主義国家というものはもちろん国家の統合・中央集権を強化しましたけれども、国民を直接把握したわけではないのです。国民と王権の間には様々の中間団体がありまして、絶対主義王権はそれを解体することはしなかった。この中間団体を解体したのがフランス革命であります。中間団体が解体されるということは、民衆の自立性が浸食されてゆくということです。 戦争という点をみても、この時代の戦争は国民全体を巻きこむものではなかった。だから、イギリスとフランスが戦争をしているのに、イギリス人が自由にフランス国内を旅行するということが可能だったのです。国民と国民が全体的に戦争によって対立するというのはナポレオン戦争が生みだした新事態であって、それがすなわち国民国家の創出ということであったのです。 国民国家の創成については、世界経済の成立という点も併せて考えてみる必要がありましょう。先に述べましたように、世界経済は環大西洋経済として出発したのでありますが、この環大西洋経済圏のヘゲモニーを握るためには、民衆を国民として統合する強力な国家が必要でありました。もちろん、インドから日本に至るアジア経済、具体的にいえばインド洋貿易圏と南シナ海貿易圏のヘゲモニーを握る争いも重要でありました。そういった世界経済におけるヘゲモニーは、スペイン、オランダ、英国という順に推移してゆくわけでありますが、結局は強力な国民国家を創出できた者がヘゲモニーの保持者となります。 幕末において、日本の先覚者といわれる連中が直面したのは、こういったインターステイトシステム、つまり世界経済の中で占める地位を国民国家単位で争うシステムであります。それを彼らは万国対峙の状況と呼んだのである。このシステムは、ぼやぼやしている連中は舞台の隅に蹴りやって冷飯を喰わせるシステムでありますから、幕末の先覚者たちが、天下国家のことには我関せず焉(えん)という民衆の状態にやきもきしたのは当然です。ぼやぼやしていたら、冷飯どころか植民地にされてしまうかもしれないのです。
【『近代の呪い』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社新書、2013年)】
ポストモダン用語に苛々(いらいら)させられるがアーリーモダンは「初期近代」(その前にプレモダンがある)、モダンプロパーは初耳だが「本格的な近代」といったところか。
『逝きし世の面影』で外国人の手記を通して幕末から明治の日本を鮮やかに抽出した渡辺だが、私は信用ならぬ感触を懐(いだ)いていた。その後、石牟礼道子に心酔した渡辺が身の回りの世話までするようになった事実を知った。対談にも目を通した。『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)は紛(まが)うことなき傑作だが、実はノンフィクションを装った文学作品である。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退したのは石牟礼の良心が疼(うず)いたためか。水俣の運動はやがて市民色を強めていった。彼女は『週刊金曜日』の創刊時にも参画している。
「どうせ、リベラルの仮面をつけた隠れ左翼だろうよ」という私の疑問は本書で完全に氷解した。渡辺京二は臆することなく左翼であることを白状しているのだ。嘘がないことはそれだけでも人として称賛できる。しかも現代を照射するための近代への問い掛けの深さが生半可ではない。渡辺は時代と世相を問いながら、更に自分自身をも問う。もはや評論の域を超えて哲学にまで迫っている。
「中間団体」なる言葉を私は佐藤優の著書で知った(『人間の叡智』)。佐藤は精力的に中間団体へアプローチし、現在も例えば創価学会などに秋波を送り続けている(『AERA』)。
宗教と個人主義の関係について重要な指摘がなされているのは、ウェーパーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神』([1904-5] 1920)においてである。「個人」意識が発生する契機になったのは中世的構造原理の解体であったが、なかでも宗教改革によって促進された教会の衰退が大きく作用している。教会という中間集団が弱体化し、神と信者を媒介していた教会や司祭は、この時に取り除かれることになったのである。
【アメリカにおける個人主義とニューエイジ運動 現代宗教の問題と課題:藤本龍児】
カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。
【世界大百科事典内の中間集団の言及】
ひょっとしたら共産主義革命のセオリーなのかと思いきやそうではなかった。エミール・デュルケムも『自殺論』などで中間集団論を述べているようだ(中間集団論 社会的なるものの起点から回帰へ:真島一郎)。
「インターステイトシステム」はイマニュエル・ウォーラステインの世界システム論で説かれた概念である。
佐藤優がいう中間団体は党や組合を思わせるが、渡辺京二が説く中間団体は政治被害を防ぐ目的があるように感ずる。渡辺が抱く民衆世界への郷愁には共感できないが、その気持ちは理解できる。