検索キーワード「������」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「������」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2011-07-11

バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ


 バッハを知れば知るほど、私には、バッハは深く宗教的な人間であると同時に、狭い意味での宗教を超えた人だ、という印象が強くなってきている。大切なのは、バッハが何を信じたかという信仰の内容ではなく、信仰に貫かれたバッハの生き方、精神の方向性なのである。

【『J・S・バッハ礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

バッハ

J・S・バッハ (講談社現代新書)

2021-11-15

ラバのように子孫ができない野菜/『タネが危ない』野口勲


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 ・ラバのように子孫ができない野菜

『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 もともと地方野菜とは、よそから伝播してその地の気候風土に馴化した野菜ばかりなのだから当然である。これこそ人間が移動手段を提供したために、旅をしながら遺伝子を変化させ続けてきた、野菜本来の生命力の発露なのだ。
 生命にとって変化は自然なことで、停滞は生命力の喪失である。変化を失った生命はもう生命とは言えない。気候風土や遭遇する病虫害に合わせ、己自身の内なる遺伝子に変化を促し続けてきた地方野菜こそ、生命力をたぎらせた野菜本来の姿なのだ。

【『タネが危ない』野口勲〈のぐち・いさお〉(日本経済新聞出版、2011年)以下同】

 読んだのは2014年の7月である。衝撃を受けた。

 と書いた後、パソコンの調子が悪くなった。リフレッシュした後、インターネット接続ができなくなり、その後初期化もできず、仕方がないのでノートパソコンを引っ張り出した。画面が小さいと書く気が失せる。

 話を戻そう。7年経つと些(いささ)か説得力が弱くなっている。私は宗教と科学についてはそこそこ鼻が利くのだが、殊(こと)、食に関しては批判力が弱まる。「ヘエー、フーン」なんて感じで読んでしまうのが常だが、おしなべて狭い考え方が前面に出ており、猛々しい否定でもって「我尊(たっと)し」と主張するものが多い。例えば糖質制限なども書籍によって糖質制限以外のアドバイスがバラバラで統一見解にまで至っていない。何にも増して平均寿命が伸びている現実を無視している著者が多い。まあ、赤ん坊の死亡率減少が最たる理由であったとしても、そこに触れなければQOL(生活の質)もへったくれもないだろう。

 本書では「一代雑種(F1、First Filial Generation)」としているが、Wikipediaでは「雑種第一代:Filial 1 hybrid」となっている。どちらが正しいのかは判然とせず。

 現在スーパーなどで普通に売られている野菜のタネは、ほとんどがF1とか交配種と言われる一代限りの雑種(英語ではハイブリッド)のタネになってしまっていて、この雑種からタネを採っても親と同じ野菜はできず、姿形がメチャクチャな異品種ばかりになってしまう。

 要はラバと同じなのだ。雄のロバと雌の馬を掛け合わせるとラバができる。しかしラバは繁殖することができない。F1種の場合、2代目、3代目はできるようだが異形になるらしい。雑種強勢が働くのだからよしとするのが推進派の考え方だ。「本来の姿」を思えば、ラバもまた人間の都合で勝手に作られた畸形(きけい)と言っていいだろう。私が座敷犬を好きになれないのも同じ理由のため。

 東京オリンピックを契機にした高度成長時代以降、日本中の野菜のタネが、自家採種できず、毎年種苗会社から買うしかないF1タネに変わってしまった。
 F1全盛時代の理由の第一は、大量生産・大量消費社会の要請である。収穫物である野菜も工業製品のように均質であらねばならないという市場の要求が強くなった。箱に入れた大根が直径8センチ、長さ38センチというように、どれも規格通りに揃っていれば、1本100円というように同じ価格で売りやすくなる。経済効率最優先の時代に必要な技術革新であったと言えるだろう。
 これに比べ、昔の大根は同じ品種でも大きさや重さがまちまちで、そのため昔は野菜を一貫目いくらとか秤にかけて売っていた。

 消費者と販売業者と生産者の呼吸が一致したわけだ。F1種は皆の要求から生まれたことがわかる。ただし、そうした事実が消費者に知らされていない。せめて「種のならない一代限りの雑種強勢」であることは伝えるべきだろう。

 近年、全国の種苗店のみならず、ホームセンター、JAでも、F1のタネばかり販売するようになったが、野口種苗は全国で唯一、固定種のタネの専門店を自称している。揃いが悪いので市場出荷には向かないけれど、味が好まれ昔から作り続けられてきた固定種は、家庭菜園で味わい、楽しむ野菜にはぴったりだ。

 野口勲は三代目である。

伝統野菜や固定種の種の通販|野口のタネ・野口種苗研究所

 大学を中退し、手塚治虫の虫プロに入社。『火の鳥』の編集者を務めた。そんな経緯にも触れている。

 私もそろそろ農業に手をつけようと考えているのだが、その時は野口のタネを利用したい。

「一粒万倍」という言葉に示されるように、一粒の菜(な)っ葉(ぱ)のタネは、1年後に約1万倍に増え、2年後はその1万倍で1億粒。3年後には1兆粒。4年後はなんと1京粒だ。健康な1粒のタネは、こんな宇宙規模にも匹敵する生命力を秘めている。

 F1種は遺伝子組み換えではないのだが不自然なことに変わりはない。最も厄介なのは消化機能の化学的メカニズムがよくわかってないことだ。食物のカロリーが全て体内で燃焼するわけでもない。だからといって大自然万歳と言うのもそそっかしい。多くの植物が外敵から身を守るために毒を放っているのだから。

 種苗メーカーや産地指導にあたる農業センターの人の話によると、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるから、味のない野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」ということだそうだ。こうして世の中に流通する野菜は、どんどん味気がなくなり、機械調理に適した外観ばかり整った食材に変化していく。

 大手チェーン店の正体見たり。そのうち絶妙な味付けをした軟(やわ)らかいプラスチックを食べさせられるかもね。有名チェーン店で食事をするのは危険だな。

 もともと日本にあった野菜はわさびやフキ、ミツバ、ウドぐらいで、それ以外は世界中から入ってきて、日本の気候風土になじんだ伝来種である。遺伝子が本来持つ多様性や環境適応性が発揮されて、3年も自家採種を続ければ、新しい土地の野菜に育ってくれる。

 では古代人は何を食べていたのか? ドングリ、栗、魚、貝は知っている。アフリカから遠路はるばる極東の地まで辿り着いたわけだから、それ相応の知識が蓄積されていたはずだ。人類の進路は食料によって切り拓かれたことだろう。食べ物が乏しい地域では皆が死んでしまったはずだ。水と食料は絶対不可欠だ。

 私が気をつけているのは、まず美味しいと感じること、次に飽きないこと、そして体が温まることの3点である。先日、初めて大根の葉の味噌汁を作ったのだが、それほど美味くなかった。が、体が温まったのでよしとする。赤味噌を混ぜたのがよかったのかもしれない。茎が硬いのには大いに閉口した。

 自然ということを踏まえれば、年がら年中米を食べるのは明らかにおかしい。秋から冬にかけて食べるのが正しいと思う。あるいは根菜もまたしょっちゅう手に入るものではないだろう。でも、そう考えると毎日食べることができるのは魚と葉っぱくらいしか思い浮かばない。そろそろ昆虫食を考えるタイミングだな。

 蜂群崩壊症候群に関してもF1原因説を唱えているが果たしてどうか?



炭水化物抜きダイエットをすると死亡率が高まる/『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

2011-06-12

不確かな道


 ただ独り、不確かな道を歩め。

【『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ:青木隆嘉〈あおき・たかよし〉訳(法政大学出版局、1993年)】

2014-02-23

怒りの終焉/『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ


『仏陀の真意』企志尚峰
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・怒りの起源
 ・感覚は「苦」
 ・怒りの終焉

『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ
『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ

「幸福」「幸せ」「楽しみ」というのは妄想観念です。なぜかというと、「生きることは苦」ですから、「幸福」「楽しみ」は、本当は経験したことがないのです。
 われわれはお腹が空くと苦しいから「嫌だ」と思います。そのとき、おいしいものを食べることが幸福だと思って、食べ物に飛びつきます。あるいは、子どもたちは好きなマンガやゲームを買ったりできれば幸せだと思ったりします。大人になっても同じです。お金に幸せあり。名誉に幸せあり。なにかの記録をつくることに幸せあり。人気があること、有名になることに幸せあり。権力に幸せあり。からだを美しく見せることに幸せあり……限りなく挙げることができます。
 このような生き方を、ブッダは、「それは智慧のない世間が探し求める道である」と説きます。「これがあれば幸せ」というのは、ぜんぶ「嫌だ」という気持ちから出発しているのです。

【『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2010年/だいわ文庫、2021年)以下同】

 さ、書けるうちにどんどん書いてしまおう。ツイッターにうつつを抜かしている場合ではないぞ(笑)。

 現代人は幸福病に冒されている。我々は不幸を実感しやすい環境にあるのだろう。そもそも幸福という言葉は明治期の翻訳語であると思われる。元々「幸せ」は「仕合わせ」と書き「巡り合わせ」を意味した。すると生命の次元においては苦楽が本質なのだろう。たぶん幸福を産んだのは大量生産だ。

「これがあれば幸せ」というのが前々回に書いた「気分が良くなる条件」である。人は特定の条件下で幸福感を覚える。つまり無条件に怒りを抱えているのだ。「幸せになりたい」との願望が現在の不幸を雄弁に語る。幸せを誓った男女が幸せになることも少ない。限りなく少ないな(笑)。ま、幸せをチラつかせるような相手は最初っから信用しないに限る。

「生きることは苦」であり、人は苦から別の苦へ乗り換えているだけ。一度も幸福になったことはありません。経験していない「幸福」をイメージすることはできません。ですから、勘違いの幸福を求めているのです。
「嫌だ」という怒りから、勝手に自分が「幸福」だと思っているものを求めます。その結果どうなるかというと、幸せになるどころか、逆に苦しみ増えるのです。
 本当なら、求めるものを獲得すれば幸せになるはずですが、世間の幸福を求め続けるなら、どんどん苦しみが増えてしまいます。

「苦から別の苦へ乗り換えているだけ」との指摘が鋭い。チビがノッポになり、ハゲ頭がフサフサになり、出っ歯が矯正され、ブスが美女(あるいはブ男がハンサム)になり、病気が治り、老婆(あるいはジジイ)が若返ることが我々の幸福だ(女性差別とならぬよう配慮をした)。だったら後者は元々幸福なはずだろう。しかしそうは問屋が卸さない。皆が皆、それぞれの幸福を追い求めながら不幸をひしひしと感じているのだ。

 苦しみが増えるとは幸福の条件が増えることだ。幼い頃はキャラメル一粒でも幸せになれた。大人の場合そうはいかない。自動車の運転免許が欲しい、自動車が欲しい、もっと大きな自動車が欲しいと際限なく欲望は肥大する。で、ベンツを買った翌日に誰かをひき殺してしまえば、もう何のための人生かわからない。

「このシステムはなんなのだ?」と、とことん現象のあり方を観察してみると、瞬間、瞬間、ものごとが消えていることに気づくのです。滝のように、泡のようにはじけてはじけて、次々に新しい現象が生まれている。「なんだ、そんなものか」とわかるのです。「それならしがみついたって価値がないだろう」と諦めて、無執着の心が生まれるのです。それを仏教は「覚(さと)り」と呼びます。「覚り」にいたる道こそが、聖なる道なのです。「覚り」に至ることで、一切の苦しみがなくなるのです。それが運命的な怒りの終焉でもあります。

 これが諸行無常であり、である。そして諸法無我と悟れば涅槃寂静となる。怒りから希望へ向かう時、欲望が生じる。三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に三毒を対応すれば、瞋(いか)り→地獄、貪り→餓鬼、癡(おろ)か→畜生である。不幸の構図としてこれにまさる生命の実相はあるまい。

 日蓮は「当(まさ)に知るべし、瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者也」(『諌暁八幡抄』)と説いた。日本の中世における個人意識の芽生えと受け止めることも可能だが、私はここに日蓮の限界があったと思う。似たようなことは三木清も言っている(『人生論ノート』)。日蓮が比叡山(延暦寺)で学んだのは天台ルールであった。折伏(しゃくぶく)という言論活動はディベートの様相を呈しており、日蓮は火を吐くように言葉を放った。彼は怒れる人であった。そこに弟子たちが分断・分裂を繰り返す要因があったのだろう。日蓮系教団がいつの時代も混乱に陥るのは日蓮の怒りに由来していると思われる。

 怒りは暴力への扉でもある。大虐殺も小さな怒りから始まる。怒りを正当化する思想を恐れ、忌避せよ。正義の名の下で人類が残虐の限りを尽くしてきた歴史を忘れてはなるまい。

2020-07-04

日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状  「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 この本(※鶴見俊輔著『戦時期日本の精神史 1931-1945』)を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはことごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。

 戦争が終ったとき(中略)ソビエト・ロシア領内に残されているはずの60万人が長いあいだ帰ってきませんでした。(134頁)

 まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した、この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。
 しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。

 60万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人のあいだに不安と苛立たしさを生み、それが戦後の日本政府によって長い年月にわたって植えつけられてきた。また戦後新たに米国の占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦後のひとつの潮流をつくり出しました。(134頁)

 つまり「帰ってきませんでした」ことを怨(うら)んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうですか、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましょうから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめるべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴(おもむ)いたものですから、そのため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。
 それは昔の「赤色恐怖と結びついて」いるイケナイ考え方であるぞよ、と鶴見俊輔は婉曲(えんきょく)に説教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、いかなり理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎んではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日本人だけが、ワルイことをしたのですから。

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 文体が独特でとっつきにくいのだが、ひょっとすると小室直樹の影響かもしれない。1996年に刊行されているが「新しい歴史教科書をつくる会」の結成と同じ年だ。前年の大江健三郎批判本といい時代情況を思えば、その勇気を過小評価してはなるまい。

 私は鹿野武一〈かの・ぶいち〉の生きざまに強く影響を受け、深く感化された。日ソ中立条約を踏みにじってソ連が終戦間際のどさくさに紛れて日本を侵攻したこと、満州の地で日本人女性を強姦しまくったこと、そしてシベリア抑留を思えば、断じてロシアと友好条約を結ぶべきではないと考える。敗戦以降、経済を優先してきた成れの果てが現在の日本である。経団連を始めとする財界は労働力をコストと見なし、その削減のために外国人労働者をどんどん日本に呼ぼうと企んでいる。国の行く末を憂えるような経済人は皆無だ。自分の懐勘定しかできないような輩は国家に巣食う寄生虫のような存在だ。

 それにしても鶴見俊輔の文章は巧妙で老獪(ろうかい)の悪臭が漂う。左翼は自らの知識をもって嘘を真実(まこと)にする詐術に富んでいる。侮れないのは彼らが「物語の力」を理解している点だ。知識の悪用とコンプレックスの利用が左翼の得意技である。

 嘘を嘘と見抜くことが智恵の第一歩である。虚実を盛り込んだ左翼の言論に惑わされてはならない。





満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育/『愛国左派宣言』森口朗

2011-10-02

故郷とは


 人は幼い頃、世界を完全なものとして見ている。大きくなるにつれ、次第にそれらの一切が力を失い、歪(ゆが)んで色あせたものにしか感じられなくなってしまう。“故郷”とは、地理上に位置づけられた地点をさすのではなく、心の中にあって、焼きつけられた様々な時間の集合のことである。どこに行ったとしても再び回復されることはないし、探せば探すほど感光したフィルムのように像は消え失せてしまうはずのものだ。

【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】

汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

2012-09-01

宮城谷昌光


 3冊読了。

 44~46冊目『楽毅(二)』(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)、『楽毅(三)』(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)、『楽毅(四)』(新潮社、1999年/新潮文庫、2002年)宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉/一度徹夜し、三日間で読了す。思わず楽毅Botを始めそうになったほどである。開くだけで背筋が伸びる小説は珠玉に優(まさ)ると思う。『孟嘗君』を先に読んでおいた方がよい。それにしても宮城谷昌光の作品は底が知れない。胸の奥深くで鳴り響く余韻が生涯消えることはないだろう。

2016-07-19

釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた/『人が死なない防災』片田敏孝


『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠
『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

 ・東日本大震災~釜石の奇蹟 生存率99.8%
 ・釜石の子供たちはギリギリのところで生き延びることができた
 ・津波のメカニズム

『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

 大槌湾(おおつちわん)の近くに、この地域唯一の中学校である釜石東中学校があります。その隣には、鵜住居(うのすまい)小学校があります。
 釜石東中学校は、当日、校長先生が不在でした。教頭先生が、すごい揺れのなか、床を這(は)うようにして放送卓まで行ったのですが、停電のために放送できなかった。だけど、そのときすでに、生徒たちがダダダダダーッと廊下を駆け抜けていく音が聞こえたといいます。
 教頭先生は、やっとの思いでつかんだハンドマイクで校庭にいる子どもたちに指示を出そうとして立ち上がったら、すでに子どもたちは全力で走っていました。ある先生が「逃げろ!」と叫んだのを聞いて、最初に逃げたのはサッカー部員たちだったそうです。グラウンドに地割れが入ったのを見た彼らは、校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と大声を張り上げ、そのまま走りはじめて、鵜住居小学校の校庭を横切ります。そして小学校の校舎に向かって「津波が来るぞ! 逃げるぞ!」と声をかけながら、「ございしょの里」という避難場所に向かって全力で走っていきました。(中略)
 この地域では、津波にいちばん詳しいのは中学生ということになっていました。学校の近所に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんたちも、その中学生たちが血相変えて逃げていく光景を見て、それに引き込まれるようにして、一緒に逃げはじめました。(中略)
 ところが、「ございしょの里」の裏の崖(がけ)が地震で崩れかけていた。それに気づいたある中学生がこう言ったそうです。「先生、ここ、崖が崩れかけているから危ない。それに揺れが大きかったから、ここも津波来るかもしれない。もっと高いところへ行こう」。(中略)
 本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。それは、中学生が「先生、ここは危ない。次へ行こう」と言った、このひと言に始まったと思います。

【『人が死なない防災』片田敏孝(集英社新書、2012年)】

 以下のページに地図と写真が掲載されている。

地域防災に関する実践的研究 岩手県釜石市 津波犠牲者ゼロを目指した地域づくり

 もしも学校の屋上に避難したり、ございしょの里にとどまっていたならば彼らは助からなかった。

 以下のページには避難をしている中学生を撮影した写真があるが、既に町が津波に飲み込まれている様子がわかる。

臨機応変に行動する力が培われていたことで、生徒全員が生き延びることができた

「率先避難者たれ」という片田の教えを守り、まずサッカー部が全力疾走で逃げた。この行動が集団同調性バイアスと正常性バイアスを打ち破った。彼らは地震発生から30分以上避難し続けたことになる。上記ページの地図から察すると、約1.5kmに渡る上り勾配(こうばい)だ。釜石は最も早く大津波が到達した地域と思われるが、地震発生からの30分間は決して余裕のある時間ではないことがわかる。

 中学生の一言はこれまた片田の「想定にとらわれるな」という教えによるものだった。釜石の奇蹟は防災教育の勝利であった。





人が死なない防災 (集英社新書)

2019-12-02

日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞/『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通


『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『新・悪の論理』倉前盛通
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『自然観と科学思想』倉前盛通
『悪の超心理学(マインド・コントロール) 米ソが開発した恐怖の“秘密兵器”』倉前盛通
『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』倉前盛通

 ・日比谷焼打事件でマッチポンプを行い発行部数を伸ばした朝日新聞

『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の宗教パワー 日本と世界を動かす悪の論理』倉前盛通

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 志賀直哉というたいへん高名であるが、そのじつ、たいへん愚かな老文士がいる。彼は日本が敗北した直後、「日本語は野蛮だからフランス語を国語にすべきである」と国会で述べた。いやしくも文筆をもって身を立ててきた人間でありながら、これほど軽蔑すべき人間はいないと私は今でも考えている。
「あれは一時の気の迷いだった」とあとで言ったそうだが、それは日本が復興してからのことである。
 このような輩が国家の指導的地位を占めるとき、その国は大戦略を誤まって敗北の戦(いくさ)をたたかう破目に落ちる。もし日本が勝っていたら、志賀直哉は「日本語は世界で一番すぐれた言葉だから、世界中の人間に強制し、全部日本語に変えるべきだ」と言ったに違いない。今も昔も、このような無節操なお調子者が国を誤まるのだ。
 戦争学といっても特別なものではなく、人間の本性をよく見きわめ、人間集団がいかに愚かな行為をくり返すものかという歴史の教訓を知ることにつきよう。

【『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通〈くらまえ・もりみち〉(太陽企画出版、1984年)以下同】

「小説の神様」と呼ばれた人物が日本語を捨てようとした事実を私は知らなかった。戦争という極限状況は人々の性根を炙(あぶ)り出した。生き延びようとする本能に急(せ)かされる時、論理は見過ごされ、過去は無視される。特に日本人の場合、いつまで経っても「お上には逆らえない」との意識が強く、敗戦後は天皇陛下からマッカーサーに乗り換えた人々も多かった。日本語に見切りをつけたのは志賀直哉だけではない。ローマ字表記にすべきだという意見も堂々と主張された。実に敗戦は惨めなものである。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、東京・日比谷で開かれた日露講和反対国民大会が暴動化した。暴徒と化した市民は、政府のロシアに対する弱腰を批判し、政府系新聞社、交番、馬車などを焼打ちしたのである。さらに、講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。
 このとき、もっとも無責任な講和反対論を掲げて世論に媚び、部数を増やしたのが、ほかならぬ朝日新聞だったことを、私どもはよくよく覚えておく必要がある。
 だが、時の首相・桂太郎は断固とした態度でこれに臨み、軍隊を出動させて民衆を鎮圧した。さらに、9月6日から11月29日のあいだ、東京に戒厳令を敷いてきびしい姿勢を示したのである。
 日本がなぜロシアと講和するのか、国民は真相を知らされていなかった。勝っているはずの日本である。なぜ徹底的にロシアを叩きのめさないのか。国民が不思議に感じ、政府が弱腰なのだと受けとめたのも、無理からぬところがあった。
 だが、日本政府のトップとしては、もうこれ以上ロシアと戦争を続けるだけの国力が残っていないことを、じゅうぶんに知っていた。だから、講和に踏み切ったのである。まさか国民に、もう弾が尽きはてたなどと真相を打ち明けるわけにはいかない。国家としての正しい選択を実行するために、桂首相はあえて涙をのんで、軍隊に民衆を鎮圧させたのである。
 朝日新聞の上層部は、このことを知らされていた。にもかかわらず部数を増やすため、世論を扇動した。まさに商業新聞の権化というにふさわしい。

朝日新聞の変節/『さらば群青 回想は逆光の中にあり』野村秋介

 日比谷焼打事件は知っていたが朝日新聞のマッチポンプは知らなかった。かつては社会の木鐸(ぼくたく)と称した新聞だが、一度でも社会を正しくリードしたことはあったのだろうか? スクープ競争に明け暮れ、抜いた抜かれたの物差しだけで仕事をしている連中だ。特に朝日の場合、虚偽・捏造が代名詞になった感がある。

 全国紙の朝夕刊セット価格は月額4037円らしい(日経は4900円)。私が購読していた頃は2600円でそれから2800円に値上がりした。当時、主婦が気楽に支払える金額は3000円と言われており、3000円を超えると部数が減ることは避けられないと見られていた。消費税増税を推進する新聞社が何と自分たちには軽減税率を適用せよと署名まで集めた。結局、日刊の新聞にだけ適用され赤旗日曜版が狙い撃ちされる格好となった。聖教新聞はOKというわけだ。言っていることとやっていることが違う人間は社会で信用を得られない。販売店に不要な新聞を買わせる押し紙問題もクローズアップされた。

 ジャーナリズムといえば聞こえはいいが、映画に登場する新聞記者はただの野次馬である。ただただ問題を掻き回し、騒ぎ立て、センセーショナルな言葉を並べる。民主政にジャーナリズムは不可欠と言われるが、民主政を誤らせ続けてきたのもまたジャーナリズムであった。

 嘘を撒き散らす新聞を購読するくらいなら、毎月4000円で数冊の本を購入した方がはるかに賢明だ。

2013-08-01

「風立ちぬ」ポスターにパクリ疑惑

2021-01-28

アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム/『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
・『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・利益率97%というクリントン財団のビジネスモデル
 ・アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム

・『クリントン・キャッシュ』ピーター・シュヴァイツァー

必読書リスト その五

ヒラリー・クリントン アイデンティティ・リベラリズムの象徴 その一

 2016年7月26日、民主党は同年11月の大統領選候補にヒラリー・クリントンを正式指名した。本書でこれまで明らかにした疑惑の数々を知っている読者にとっては、なぜ民主党が彼女を選択したのかいぶかしく思うに違いない。その原因は、メディアにあった。
 CNNを筆頭にした米国主要メディアは、ネオコン系資本の支配下にあり、リベラル国際主義(干渉主義)を絶対善とする論陣を張った。彼らは、ヒラリーの疑惑をほとんど報じないか、報じても矮小化(わいしょうか)した。クリントン財団を利用した利益誘導外交は、本来であれば政権を揺るがす大スキャンダルであった。しかし、メディアはこの問題を深追いせず、次期大統領はヒラリーになると報道した。メディアの偏向については後述するが、そもそも民主党はなぜスキャンダルを抱えるヒラリーを選出したのだろうか。
 民主党は、19世紀半ばの時代、人種差別的政党であった。民主党の基盤は、南部白人層つまりコットン・プランテーション経営(奴隷労働経営)者層にあった。1861年に始まった南北戦争は、北部の商工業者の支持を受けた共和党リンカーン政権に対して、南部民主党に率いられた南部連合が離脱したことから始まった。南部連合は戦いに敗れ奴隷解放に応じたが、ナブ諸州の政治は、民主党が牛耳ったままであった。彼らは、南部白人の結束を訴え(ソリッド・サウス政策)、黒人隔離政策を推進した(ここでは当時の空気を正確に記すために、政治的用語であるアフリカ系とせずあえて黒人と表記する)。交通機関、トイレ、食堂なども肌の色で隔離する法律を次々と導入した。黒人に対するリンチも止まらなかった。これらは州の独自の権限(州権)に基づく州法であったため、連邦政府は口出しできなかった。黒人隔離(差別)の諸法律はジム・クロウ法と総称され、第二次大戦後も続いた。これが廃止されたのは1964年のことである。
 戦後になると、民主党の主たる支持層であった南部白人層が相対的に豊かになった。豊かさが人種差別的意識を希釈した。支持基盤の喪失を恐れた民主党は、「弱者のための政党」へカメレオン的変身を企てた。かつて、黒人を激しく嫌悪し、隔離政策をリードした首謀者でありながら、当時は【国全体が人種差別的】であった、と言い逃れをし、責任を他者に押し付けた。民主党の責任については洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込んだ。
 弱者はどこにでもいた。かつて自らが差別していた黒人層、西部開拓の過程で白人に姦計(かんけい)を弄(ろう)され居住地を追われた原住インディアン、遅れてアメリカにやってきて嫌われたアジア系・ラテン系・東欧系移民、宗教的に阻害されてきたユダヤ系移民、職場でパワハラやセクハラを感じている女性層、性的嗜好マイノリティ層(LGBT)。探せばどこにでもいた。
 相対的弱者とされる層が必ずしも弱者と自覚しているわけではない。したがって、彼らを「票の成る木」に変えるには、「弱者であることを能動的に意識」させなくてはならない。その上で、強者(国家あるいはエスタブリッシュメント白人層)への怒りを煽(あお)る。いかなる国にも誇れない過去がある。理不尽であった過去の振る舞いは、先人たちの努力で十分とはいえないまでも矯正がなされてきた。しかし権力を奪取したい、あるいは維持したい民主党にとっては、矯正の歴史はどうでもよいことであった。対立、いがみ合い、非妥協の継続。それが票になった。
 民主党は、ターゲットとした弱者層に、「失われた」権利を回復しなくてはならないと訴えた。弱者であることを意識させることは難しくない。ほとんどのケースで、外見だけで弱者に所属していると自認できた。所属するグループ(黒人、移民、少数民族、女性など)を見渡せば、容易にわかった。この思想ともいえない権力を摑(つか)むための主張(戦術)が、アイデンティティ・リベラリズム(IL:Idetity Liveralism)である。
 ILの考え方の延長が「多様化礼賛」だった。いわゆる「多文化共生思想」である。社会的弱者にも優しくすべきだという主張は美しい。社会的優位にあった白人エスタブリッシュメントも白人中間層もその訴えに同意した。こうして弱者救済に政治が積極的にかかわるべきだとする運動(アファーマティブ・アクション〈積極的差別撤廃措置〉)が始まった。この言葉を初めて使ったのはジョン・F・ケネディ大統領(民主党)だった。大統領令10925号(1961年3月)は、求職の際に、人種(肌の色)、宗教的信条、出身国などによって差別されてはならないと規定した。そうした行動を雇用者が【積極的】にとるよう勧告した。それがアファーマティブ・アクションであった。
 次のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)もこの施策を引き継いだ。ただ二人の主張は、「競争は弱者を差別することなくフェアに行なわれるべきだ」と勧奨するにとどまっていた。
 この主張に、法的拘束力をもたせたのはジョンソンに続いたリチャード・ニクソン大統領(共和党)だった。ニクソンは悪い意味で人種を強く意識した政治家だった。彼は、人種間には自然科学的な違いがあると信じていた。ユダヤ人を創造力に富むが倫理観に欠ける、黒人は白人よりIQは低いが身体能力は高い、アジア人は勤勉でなかなか頭が良い、などという「科学的」な決めつけが得意だった。
 ニクソンが人種差別的信条をもっていたことは間違いなかったが、皮肉にも、その彼が、大統領令11478号を発し、アファーマティブ・アクションに法的強制力をもたせた(1969年8月)。これにより、雇用均等委員会(1965年設置)が、政府および連邦政府資金で運営される組織全体(大学や研究機関など)の職員採用に少数派(主として黒人)を積極的に採用させる監視機関となった。その結果、1970年代初めになると、黒人男子大卒者の57%、女子の72%が公務員となった。
 アファーマティブ・アクションは次第に拡大され、政府の下請け企業の受注においても、マイノリティの経営する会社が入札なしで優先的に選ばれる制度(Set-aside)も生まれた。こうしてマイノリティ利権が制度的に確立していった。マイノリティの定義は当初想定していた黒人層から、女性、原住インディアン、あるいは遅れてきた移民層にまで拡大された。マイノリティに属していることが採用に有利になった。これが少数派利権の始まりだった。
 人種差別主義者であったニクソンがアファーマティブ・アクションを促進したのには訳があった。黒人隔離(差別)のジム・クロウ法が廃止されたのは1964年だと書いた。60年代は黒人公民権運動が吹き荒れた時代だった。1969年に大統領に就任したニクソンは、外交に専念したかった。「騒いでいる」黒人活動家の憤りを「ガス抜き」することで内政を落ち着かせたかった。それが、強制力をもたせたアファーマティブ・アクション導入の背景だった。

【『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹〈わたなべ・そうき〉(PHP研究所、2019年)】

 これは『ニュース女子』#302「日米新外交関係で日本が取るべき進路は・牙を剥く中国の脅威」(1月26日)で武田邦彦や飯田泰之・江崎道朗〈えざき・みちお〉・門田隆将〈かどた・りゅうしょう〉らが指摘した発言を裏付けるテキストである。

「ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念」(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)という歴史を踏まえれば、差別の細分化~再生産を目的としているのだろう。

 ヒトは大脳新皮質を発達させて、200万年という長大な時間をかけて群れの領域を国家にまで拡大してきた。ザ・コーポレーションDVD)は国家を横断する経済規模に発展した。新型コロナウイルスは国家に強権の発動を許した。国民の移動を禁じる自粛要請や休業要請はたまた学校の休校措置はさながら「現代の空襲警報」といってよい。

 そして自由の象徴であったインターネット空間がビッグテックの完全支配下に降ろうとしている。twitterはトランプ大統領のツイートによってメインストリームメディアの嘘を明らかにした。にもかかわらず、twitter社はトランプ大統領を永久追放した。まるで中国共産党のような仕打ちである。シリコンバレーが民主党支持に傾いている事実を思えば、今後は共和党から大統領が選出されることはないだろう(『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介)。

2016-07-31

三枝充悳、黄文雄、三上修、他


 18冊挫折、3冊読了。

身近な鳥の生活図鑑』三上修(ちくま新書、2015年)/3分の1ほど読む。身近な鳥は30種類ほどもいるという。

ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』クレア・キップス:梨木香歩〈なしき・かほ〉訳(文藝春秋、2010年/文春文庫、2015年/大久保康雄訳、小学館ライブラリー、1994年『小雀物語』の新訳)/著者は第二次世界大戦中に飛べない子スズメを拾う。クラレンスと名づけられたスズメはすくすくと育ち、やがてキップス夫人のピアノに合わせて歌うようになる。その芸は人々の前で行われ、喝采を浴びた。文章に澱(よど)みが感じられるのは一気に書いていないためか。

だから日本は世界から尊敬される』マンリオ・カデロ(小学館新書、2014年)/マンリオ・カデロはサンマリノ共和国の駐日大使である。天皇陛下の美しいエピソードを紹介している。クリスチャンなのだが神道にぞっこんで絶賛している。

「子供を殺してください」という親たち』押川剛〈おしかわ・たけし〉(新潮文庫、2015年)

インドとイギリス』吉岡昭彦(岩波新書、1975年)

東インド会社 巨大商業資本の盛衰』浅田實(講談社現代新書、1989年)

オランダ東インド会社』永積昭(講談社学術文庫、2000年)

ウイルスは生きている』中屋敷均(講談社現代新書、2016年)/以上5冊は暑さのせいか、文章が全く頭に入らず。

なぜ人はキスをするのか?』シェリル・カーシェンバウム:沼尻由起子訳(河出書房新社、2011年)/ダメ本。文章を書く仕事に向いていないと思われる。各ページに「キス」という言葉が20回くらい出てくる。構成も内容も悪い。

呼吸整体師が教える 深呼吸のまほう 体の不調が消える、人生が変わる』森田愛子(ワニブックス、2015年)/飛ばし読み。参考にはなる。構成が悪く、体験談や「治る」という薬事法違反の健康食品みたいなムードが漂う。編集者の問題か。

「ラットレース」から抜け出す方法』アラン・ワッツ:竹渕智子訳(サンガ、2014年/めるくまーる、1991年『タブーの書』改訂版)/スタイルが合わない。アラン・ワッツは1960年代のカウンター・カルチャーにおいて、若者たちのカリスマ的リーダーであったというから、ややニューエイジ絡みの可能性もある。引用はされていないのだが巻末の推薦文献にクリシュナムルティの『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー』が入っている。

東洋の呼び声 拡がるサルボダヤ運動』A・T・アリヤラトネ:山下邦明、長井治、林千根訳(はる書房、1990年/新装版、2003年)/『ぼくは13歳 職業、兵士。 あなたが戦争のある村で生まれたら』の鬼丸昌也がサルボダヤ運動を実践しているようだ。スリランカなので社会参画仏教と関係があるのかと思って読んでみたが外れた。仏教の精神に基づく農村開発運動である。

ブッダのユーモア活性術 役立つ初期仏教法話8』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2008年)/初期仏教法話シリーズを読んできたが初めて挫ける。前置きが長過ぎて読む気が失せた。宗教性よりも出版事業に重きを置いているのではないか?

ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』地橋秀雄〈ちはし・ひでお〉(春秋社、2006年)/良書といってよいと思う。「サティ(気づき)を入れる」との表現がよい。ただし古い体質から脱し切れていない印象を受けた。視点の高さも感じられない。

無の探求「中国禅」 仏教の思想7』柳田聖山〈やなぎだ・せいざん〉、梅原猛(角川書店、1969年/角川文庫ソフィア、1997年)/読む気の起こらない文章だ。

不安と欣求「中国浄土」 仏教の思想8』塚本善隆〈つかもと・ぜんりゅう〉、梅原猛(角川書店、1968年/角川文庫ソフィア、1997年)/出来が悪い。シリーズ7以降の失速は目に余るものがある。

生命の海「空海」 仏教の思想9』宮坂宥勝〈みやさか・ゆうしょう〉、梅原猛(角川書店、1968年/角川文庫ソフィア、1996年)/これも期待外れ。空海の飛躍が描けていない。

 110冊目『スズメ つかず・はなれず・二千年』三上修(岩波科学ライブラリー、2013年)/私がスズメの巣を発見できるようになったのは昨年のことだ。電信柱の変圧器を支える架台の鋼材にあった。スズメは何と言っても声と姿がよい。一度でいいから手に乗せてみたいものだ。スズメの数はかなり減少しているそうだ。

 111冊目『世界が憧れる 天皇のいる日本』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉(徳間書店、2014年)/小林よしのり作『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』の次に読むのがよい。著者は台湾出身の評論家である。日本と台湾で活動している。親日・反共の旗幟を鮮明にしているため誤解されやすいが、想像以上にしっかりした内容で驚いた。

 112冊目『初期仏教の思想(中)』『初期仏教の思想(下)』三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(レグルス文庫、1995年)/下巻は半分以上、飛ばし読みしたのでカウントしないでおく。三枝の研究ノートといってよい。大量のテキストが引用されている。推し進められた思索は称賛に値するが、やはり悟りの輝きは見られない。その意味で「悟りとは」の前に読んでおくと理解がより一層進むことだろう。

2015-07-11

荒ぶる魂、ほとばしる生命力/『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

 ・荒ぶる魂、ほとばしる生命力

セデック族に聞く! 霧社事件はなぜ起こったか?
『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 twitterで教えてもらった台湾映画『セデック・バレ』(「真の人」という意味)を観た。凄まじい映画であった。「一部 太陽旗」「二部 虹の橋」で4時間36分の長尺。日本統治下で起こった霧社事件(1930年/昭和5年)を描く。

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 監督の名前はウェイ・ダーシェンという表記もある。英語名が「Wei Te-Sheng」なので正確には「ウェイ・テシェン」という発音か。この作品に掛けた監督の本気は並々ならぬものがある。最初にウェイ・ダーションは600万円の私費を投じて以下のデモ映像をつくる。


 次に監督は資金集めの目的でまったく別の映画『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)を制作する。


 口コミで人気が高まり、『タイタニック』に次ぐ興行成績を収めた。それでも資金は足りなかったようで、ビビアン・スーは格安のギャラで出演した上、資金提供も行っている(資金援助も話題に 「セデック・バレ」で台湾先住民演じたビビアン・スー)。尚、彼女の母親はタイヤル族であり、セデック族は最近になって公認された部族でタイヤル族系である。

『セデック・バレ』の国際的な評価は惨憺(さんたん)たるものである。

抗日映画「セデックバレ」に各国メディア酷評!「残酷」「過度の民族主義」―ベネチア映画祭

 個人的には魔女狩りで同胞を殺戮し、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺し、世界中を植民地化した挙げ句に惨殺・強姦を行ってきた白人に文句を言われたくはない。とはいえ、第一部を見ながらどうしても行き詰まってしまうのはやはり「首狩り」(出草/しゅっそう)である。つまり、首狩りをどのように理解するかでこの映画の評価は分かれる。

 日本においても武士は合戦で敵の首級(しゅきゅう)を挙げるという伝統があった。戦が終わると首実検が行われ、論功行賞が確定する。ま、我々の先祖も首狩り族と見てよい。首級は「しるし」とも読む。すなわち首はメディアであった。高砂族(たかさごぞく/台湾原住民の総称)の殆どは文字を持たなかった。首狩りは証拠保全の一つと考えられよう。

 それでも「なぜ首狩りが始まったのか?」という疑問が払拭できない。本作品の致命的な失敗は首狩りの必要性・根拠をまったく示していないところにあり、これによってストーリーが破綻(はたん)を来(きた)している。第一部を観ながら「首狩りとは何ぞや?」と私の脳はフル回転をした。

 ストーリーを追うとどうしてもついてゆけなくなる。そこで私は論理を司る左脳のスイッチを落とした。途端にわかった。かつて人間は「もの言う存在」であったのだろう。白川静は漢字の口部を「■(サイ)」と見抜いた(『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽)。■(サイ)は祝詞(のりと)を入れる箱であるが、書かれた文字の重みは元々言葉が持っていた重みであったのだろう。文字が生まれる前は論理や思考よりも、直観や閃(ひらめ)きが優位であったことと想像する。これを古代社会の宗教性と言い換えてもよい。神は右脳に御座(おわ)し(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)、サードマン現象も右脳で発生する(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。首は脳や顔よりも、口を奪うところに目的があったと私は考える。

 首狩りがセデック族の荒ぶる魂の象徴とすれば、山谷を駆ける姿がほとばしる生命力を表す。「走る映画」といえば真っ先に『ポストマン・ブルース』が思い出されるがその非ではない。彼らは岩場ですらものともしない。たぶん、ランボーより強いよ。


 彼らの足は手のように開いている。霧社事件から11年後、大東亜戦争で高砂義勇隊が結成される。高砂族は日本人となってフィリピン、ニューギニアで大活躍をするが、当初は却下されていたものの戦局が行き詰まると「靴を脱ぐ」ことを許された。彼らの足は手のように大地をつかむことができたことだろう。

 出演者の殆どが台湾原住民と日本人で実は中国語が使われていない。しかも主役のモーナ・ルダオを始めとする主要キャストの大半が映画初出演である(公式サイト:キャスト)。明らかに日本人キャストが見劣りする。学芸会レベルにしか見えなかった。

 そしてやはり注目すべきはセデック族の「歌」である。時に優しく時に勇壮な歌声が不思議なほど血液の温度を上げる。彼らの顔は琉球とそっくりで、入れ墨や口琴(こうきん)、衣服の意匠はアイヌを思わせ、踊る姿は縄文人さながらである。もちろんインディアンとも酷似している。尚、台湾原住民はオーストロネシア語族であるが、かつてはインドネシア・フィリピン方面から渡ってきたと考えられてきたが、現在は台湾から南下したと判断されている。




 更にモーナ・ルダオが大地を踏みしめる舞は相撲の四股(しこ)とよく似ている。

 首狩りは勇気の証(あかし)であった。我々は首狩りをやめた。そして資本主義文明のもとで「カネ狩り」を行っている。経済的に見れば「カネは命」である。だから借金を苦にして自殺する人や、カネを奪うために殺人に手を染める者が出てくるのだ。これが「長期的な時間をかけた首狩り」でなくて何であろう? そして文明は知恵に重きを置き、知恵は知識となって共有される。「我々が行う首狩り」に勇気は認められない。きっと文明の進歩は人類から勇気を奪ってしまったのだろう。

 狩猟民族にとって狩場の死守は民族の存亡に関わるものゆえ、首狩りを女たちが喜んだのは当然だ。子孫の生存率が高まるわけだから。

 映画における最大の脚色はセデック族が日本軍を殺害するシーンである。実際の死者は「日本軍兵士22人、警察官6人、のみであった」(Wikipedia)。尚、モーナ・ルダオの妻やそれ以外の女性たちの振る舞いは史実に基いている。

 冒頭シーンの声とラスト近くの子供の声が信じらないほど美しく優しく響く。涙が込み上げくるほどだ。この声を聴くだけでも視聴に値する。

 霧社事件を通して少年たちが戦士へと変貌する。セデック族が夢見た「虹の橋」を超える理想を我々は持たない。彼らの首狩りと比べれば、映画や漫画の暴力シーンはあまりにも安っぽい。失った勇気を取り戻すためにもこの映画は広く見られるべきだ。

 映画の基調としては反日色が濃い。「よい日本人も描いている」との評価は甘い。ステレオタイプの威張り散らす日本人が殆どで、描き方としては拙劣だ。霧社事件には長年にわたる複雑な背景があり、文明移行期に生じた真空と解釈すべきだろう。単純な抗日行為ではなく、モーナ・ルダオ自身の政治的思惑もあったはずだ。その意味で私は幕末期に起こった会津戦争と霧社事件は似た性質があったと考える。セデック族は白虎隊であった。
セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】[DVD]餘生~セデック・バレの真実 [DVD]セデックバレ(賽德克.巴萊) OST (台湾盤)

霧社事件
モーナ・ルダオの遺骨
恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2011-10-05

スティーブ・ジョブズ

Fortune: The trouble with Steve Jobs

 スティーブ・ジョブズとのトラブルを説明するために作られたモザイク画像のようだ。表示を拡大するとわかるが小さな画像を集めたもので錯視画像の一種だ。せっかくなんで、伝説のスピーチもどうぞ。



スティーブ・ジョブズ I スティーブ・ジョブズ II スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則 スティーブ・ジョブズ名語録 (PHP文庫)

【付記】この記事をアップした日にスティーブ・ジョブズは逝去した。哀悼。

《速報》米アップル社のジョブズ氏死去

 米アップル社の創業者で、取締役会長スティーブ・ジョブズ氏が5日、亡くなった。56歳だった。CNNなど米主要メディアが報じている。同社のホームページでもジョブズ氏の逝去を報告。ジョブズ氏のモノクロ写真とともに、「アップル社は独創的な天才を亡くしました。世界にとっても輝かしい功績を残した人を亡くしました」と追悼のメッセージを掲載している。ジョブズ氏は米カリフォルニア州出身。iPhoneやiPadなどの人気製品を次々と生み出したカリスマ経営者として知られる。04年にすい臓がんを患い、09年には肝臓移植のため休職。今年1月、病気を理由に再び休職することが発表され、8月には最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

tv asahi 2011-10-06

 哀悼の意を表して画像を追加。(10月7日)

WBK steve jobs

Remembering Steve Jobs Wallpaper by Matt Fairbrass

Steve Jobs

Steve Jobs iPad - Time Magazine

Steve Jobs 1955-2011

金で人生を台無しにされたりなんかしないぞ
スティーブ・ジョブズは仏教徒だった