2011-06-13

フランク・シェッツィング


 1冊挫折。

 挫折26『深海のYrr(イール) 上』フランク・シェッツィング/北川和代訳(ハヤカワ文庫、2008年)/120ページほどで止める。クライブ・カッスラーのダーク・ピット・シリーズと似た作風だ。エンタテイメント色が強すぎて好みではない。それでも翻訳がよくてスイスイ読める。巻末見返しに著者近影が掲載されているが、見るからにナルシストっぽい。登場人物の造形も鼻につく。致命的なのは、自己鏡像認知が可能なのは「チンパンジーとオランウータンだけ」(116ページ)としているところ。直前に象はできないと書いてあるが、これは完全な誤り。他の記述も眉に唾したくなる。

投げやりな介護/ブログ「フンコロガシの詩」


 妙なブログを見つけた。明らかに変だ。

フンコロガシの詩

 まず書き手の性別がわからなかった。で、古い記事を最初から辿ると、要介護者である父親は投資詐欺に引っ掛かっていた(5400万円!)。介護と詐欺被害が奏でる二重奏は、スキー場で骨折した直後、雪崩(なだれ)に襲われたも同然だ。あまりにも気の毒で、「気の毒」と書くことすらはばかられる。

 何の気なしに読み進むと更なる違和感を覚える。軽妙な筆致と投げやりな態度に。「ったく、面倒くせーなー」オーラが全開なのだ。

 介護は介が「たすける」で、護は「まもる」の謂いである。そして実はここに落とし穴があるのだ。人は弱者を前にすると善人を気取りたくなる。障害を「障がい」と書こうが、個性だと主張しようが、弱者であるという事実は1センチたりとも動かない。

 どんな世界にも論じることが好きな連中がいるものだ。実際に介護をする身からすれば、オムツ交換を手伝ってもらった方がはるかに助かる。

 この書き手は善人ぶらない。それどころか偽悪的ですらある。認知症はわかりやすくいえば「自我が崩壊する」脳疾患といってよい。じわじわと本人の記憶が侵食され、溶け出してゆく。介護は労多くして報われることが少なくなってゆく。

 多くのケースだと、親身になりすぎて介護者が音(ね)を上げてしまう。「ここまで一生懸命尽くしているのに……」となりがちだ。

 ところがどっこい、藤野ともねは「投げやりな態度」で一定の距離感を保っているのだ。ここ重要。星一徹は一方的に息子の飛雄馬(ひゅうま)を鍛えたが、これを介護とは呼ばない(←当たり前だ!)。介護者から要介護者への一方通行では関係性が成立しないのだ。相手に敬意を払うのであれば、たとえ寝たきりで閉じ込め症候群(locked-in syndrome)になったとしても、反応を確かめる必要がある。

 反応を確かめるわけだから、近づきすぎることなく適当な距離感が求められる。この距離感を藤野は「投げやりな態度」で表現しているのだ。

 ブログが書籍化されるようなんで一丁読んでみるか。

【※本が上梓されることとなったので、敢えて敬称を略した】

カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために

頑張らない介護/『カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために』藤野ともね

犀の角のようにただ独り歩め


『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳

 ・犀の角のようにただ独り歩め
 ・蛇の毒
 ・所有と自我
 ・ブッダは論争を禁じた

『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
ブッダの教えを学ぶ

 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1958年/岩波ワイド文庫、1991年)】

ブッダのことば―スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)

Rhino

宗教とは何か?/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
初期仏教の主旋律/『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

2011-06-12

教育の機能 2/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


 ・自由の問題 1
 ・自由の問題 2
 ・自由の問題 3
 ・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
 ・教育の機能 1
 ・教育の機能 2
 ・教育の機能 3
 ・教育の機能 4
 ・縁起と人間関係についての考察
 ・宗教とは何か?
 ・無垢の自信
 ・真の学びとは
 ・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
 ・時のない状態
 ・生とは
 ・習慣のわだち
 ・生の不思議

クリシュナムルティ著作リスト
必読書リスト その五

 前の段で教育とは何かを問うよう促し、教育の目的が「生の理解」にあることをクリシュナムルティは指摘した。

 それで、教師だろうと生徒だろうと、なぜ教育をしていたり、教育をされているのかを自分自身に問うことが重要ではないでしょうか。そして、生とはどういうものでしょう。生はとてつもないものでしょう。鳥、花、繁った木、天、星、河とその中の魚、このすべてが生なのです。生は貧しい者と豊かな者です。生は集団と民族と国家の間の絶え間ない闘いです。生は瞑想です。生は宗教と呼ばれているものです。そしてまた心の中の微妙で隠れたもの――嫉妬、野心、情熱、恐怖、充足、不安です。このすべてともっと多くのものが生なのです。しかし、たいがい私たちは、そのほんの小さな片隅を理解する準備をするだけです。私たちは試験に受かり、仕事を得て、結婚し、子供が生まれ、それからますます機械のようになってゆくのです。生を恐れ、怖がり、怯えたままなのです。それで、生の過程全体を理解するのを助けることが教育の機能でしょうか。それとも、単に職業やできるだけ良い仕事を得る準備をしてくれるだけなのでしょうか。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

「なぜ教育をしていたり、教育をされているのか」とわずか一言で教育が手段と化している現状を言い当てている。教える側と教えられる側の向かい合う関係性が社会の奴隷を育成する。生徒は教師に隷属せざるを得ないからだ。大人が教えるのは「社会における正しい反応の仕方」である。

 コミュニティはルールで運営される。それがマフィアのオメルタであろうと村の掟であろうと一緒だ。ルールを破った者は制裁されるか、村八分となって保護を失う。社会の本質は交換関係にある。

「生は貧しい者と豊かな者です」という対比、「このすべてともっと多くのものが生なのです」というカテゴライズの超越、ここにクリシュナムルティ講話の真価がある。つまり細心の注意を払って言語化しながら、言語化された思考を破壊するのだ。なぜなら思考は生の一部ではあっても全体ではないからだ。

 ここに哲学と宗教の根本的な相違がある。哲学は言葉を信頼するあまり、現実から遠ざかってどんどん抽象化せざるを得ない。形而上へ向かって走り出した言葉は庶民の頭上を素通りしてゆく。私は半世紀近く生きているが、哲学によって生き方が変わったという人物を知らない。

 言葉の本質は翻訳機能である。コミュニケーションの道具といってもよい。こちらの表現が拙くて相手が誤解することは決して珍しいことではない。

 本来であれば宗教は悟りによって言葉を解体してゆくべきであるにもかかわらず、教団はドグマ(教条)でもって人々を支配した。教義は言葉である。教義が絶対的な真理であるならば、悟りや啓示は思考の範疇(はんちゅう)に収まることとなる。

 思考は様式化しパターン化に至ることを避けられない。我々は昨日と同じことを繰り返し、今日という日を見失うのだ。自我の正体は「私という過去」であろう。今まで行ってきたこと、言ってきたこと、思ってきたことの集成が自我である。

 同じことを一貫して繰り返す人を社会では「信念の人」と呼ぶ。信念を枉(ま)げることを我々は自由と認めない。変節漢は裏切り者の烙印(らくいん)を押される。

 人間は適度に束縛されることを好む。胎児の時は羊水に守られ、赤ん坊の時は母親に抱かれ、衣服で身を包む。人間が集団を形成する理由もここにあるのだろう。

 ブッダは「犀(さい)の角(つの)ようにただ独り歩め」と説いた。クリシュナムルティは「単独であれ」と教えた。

ただひとりあること~単独性と孤独性/『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 単純に社会を否定した言葉ではあるまい。関係性を問い直しているのだ。

 家族、地域、職場、自治体、国家の全てが帰属を要求する。「義務を果たせ」と言い募る。我々は依存することで生を見失ってゆく。そして経済はすべてのものを商品化し、売買対象へと貶(おとし)める。

 親は子供たちをいい学校へ、いい企業へ送り込もうと頑張る。子供を高い値段で買わせるのが目的なのだろう。学歴は付加価値である。



無記について/『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元

キリスト教を知るための書籍


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』町山智浩
『科学と宗教との闘争』ホワイト
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ
『魔女狩り』森島恒雄
『奇跡を考える 科学と宗教』村上陽一郎
『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『青い空』海老沢泰久
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
『〈私〉だけの神 平和と暴力のはざまにある宗教』ウルリッヒ・ベック
『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士
『イエス・キリストは実在したのか?』レザー・アスラン
・『仁義なきキリスト教史』架神恭介
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『死生観を問いなおす』広井良典
『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクション第2巻』竹山道雄:平川祐弘編
『みじかい命』竹山道雄
『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ