2018-10-23

骨盤を起こして肩甲骨を開く/『ロードバイク初・中級テクニック』森幸春


『大人のための自転車入門』丹羽隆志、中村博司

 ・骨盤を起こして肩甲骨を開く

『自転車の教科書』堂城賢
『自転車の教科書 身体の使い方編』堂城賢

「初級者が上級者のようにいきなり100回転/分でペダルを回そうとすると、よけいなところに力が入って、むしろ心拍数が上がってしまいます。まあ、いずれはできるようになればいいことなんで、まずは90回転/分くらいからはじめてみましょう。これくらいの回転数なら、さほど筋力が必要なわけでもないし、十分に低い負荷で効率よく走ることができるはずです。とにかく小手先……っていってもこの場合は足ですが……を使うんじゃなくて、ふとももの付け根からさらに上、お腹の奥のほうを意識します。もちろんクランクの長さは同じなんですけど、ペダルを大きな円で回すイメージがほしいですね」と森師匠は言う。

【『ロードバイク初・中級テクニック改訂版 BiCYCLE CLUB別冊』森幸春(エイ出版社、2011年)】

「森師匠」と呼ぶのは編集部のおべんちゃらではないようだ(「日本ロード界の師匠  森幸春さん逝く」)。既に物故していることを今知った。謹んでご冥福を祈る。

 大きな雑誌の体裁でパラパラとめくって一通り読んだのだが、何度となく読み返して「ああ、そうか」と腑に落ちるところが多かった。7月27日から自転車に乗り始め、10月12日でやっと1000kmを走破した。まだまだ体作りの段階だ。焦ってオーバーワークしてしまえば必ず怪我の原因となる。今は走りたくて脚が疼(うず)き出すのを待っている。それでもケイデンス90は難しい。週に二度リカンベントタイプのエアロバイクに跨(またが)っているが、私が心地よく回せるのはせいぜい80回転/分である。

 ペダリング革命で多少は股関節を動かせるようになっていると思う。まあ、この辺はまだまだ気にするレベルではない。今はとにかくひたすらペダルを踏むことに力を注ぐ。



 骨盤を起こして肩甲骨を開くとあるが、肩甲骨を開くのが案外難しい。1000km走ってもまだまだ上半身に余計な力が入ってしまう。上半身をリラックスさせないと肩甲骨は開けない。また、堂城賢〈たかぎ・まさる〉は骨盤を寝かせた方がよいと説く。ポジショニングに関しては自分の体に耳を傾けるしかない。一番楽な姿勢が正しいのだ。

 初心者にとってはわかりやすい内容であるが、なぜかエンゾ早川が登場して読み手のやる気を思い切り削(そ)いでくれる。

ロードバイク初・中級テクニック 改訂版 (エイムック 2120 BiCYCLE CLUB別冊)
エンゾ早川 森 幸春
エイ出版社 (2011-02-15)
売り上げランキング: 111,208

「ならば、変えなければならない」/『果断 隠蔽捜査2』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏

・「ならば、変えなければならない」

『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 世間のことを知らなければ的確な指示が出せないという警察官僚もいるが、竜崎にいわせれば、その程度の者は警察官僚になるべきではない。一生現場にいればいいのだ。
 国家公務員がすべきことは、現状に自分の判断を合わせることではない。現状を理想に近づけることだ。そのために、確固たる判断力が必要なのだ。竜崎はそう信じている。世俗の垢にまみれる必要などない。指揮官に求められるのは、合理的な判断なのだ。

【『果断 隠蔽捜査2』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2007年/新潮文庫、2010年)以下同】

 家族の不祥事で左遷の憂き目に遭った竜崎は警察署長となった。主人公が現場の最前線で指揮を執ると、やはりストーリーの精彩が上がる。立場が変わっても竜崎の信念が揺らぐことはなかった。彼は警察の仕事に心から誇りを抱いていた。

 前巻では父子の対話であったが、本巻ではPTAとの会話がエリートと大衆の落差を象徴している。発想が違うのだ。竜崎の発言にPTAはさることながら、教師や同行した警察幹部までが唖然とする。

 竜崎は、手を止めて貝沼を見つめた。貝沼の表情は読めない。真意がまったくわからなかった。
「じゃあ、方面本部が死ねと言えば、君は死ぬのか?」
「時と場合によありますが、そういうこともあるという覚悟はしております」
「警察の指揮系統と言ったが、それは幹部がまともな命令を下すという前提で重視されるべきものだ。そうじゃないか? 理不尽な命令に盲従する必要などない」
「ですが、それが警察というものです」
「ならば、変えなければならない」
 貝沼副署長が無表情のまま見返してきた。斎藤警務課長も、無言のまま立ち尽くしている。
「なんだ?」
 竜崎は、二人に尋ねた。「私は何か、おかしなことを言ったか?」
「いえ」
 貝沼副署長が言った。「本当に、野間崎管理官のことはよろしいのですか」
「いい」
「では、お任せします」
 ようやく二人は出て行った。
 竜崎にだって、二人が何を恐れているかくらいはわかる。警察というのは、古い体質が残っている。それは、ひょっとしたら明治に警察庁ができて以来変わらないのではないかとすら思えてしまう。冗談のようだが、いまだに薩長閥が幅をきかせている。

「ならば、変えなければならない」との一言に竜崎の真骨頂がある。清濁併せ呑んで物分かりがよくなることが大人なのではない。大人とはある責任を引き受けた上で若者の手本となる人物をいうのだ。幾度となく煮え湯を呑まされている内に精神が澱(よど)み、濁ってゆく男がそこここにいる。彼らが上司に逆らったり、組織を改革することはないだろう。せいぜい酒場で他人の悪口を言うのが関の山だ。

 官僚組織の複雑さを初めて知った。野間崎は役職が竜崎よりも上だがノンキャリアだ。キャリア組も同様で役職よりも入庁年度がものを言うらしい。

 もちろん竜崎一人が頑張ったところで警察組織が変わるはずもない。だが署内は確実に変わってゆく。

 捜査が差し迫ってゆく中で竜崎の妻が倒れる。ラストシーンでやり取りされる夫婦の会話が短篇小説のように味わい深く、静かな余韻を響かせる。

2018-10-22

真のエリートとは/『隠蔽捜査』今野敏


『半沢直樹1 オレたちバブル入行組』池井戸潤

 ・真のエリートとは

『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏
『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏
『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
『探花(たんか) 隠蔽捜査9』今野敏
『惣角流浪』今野敏

ミステリ&SF
必読書リスト その一

 東大以外は大学ではない。それは実を言うと竜崎自身の考えというよりも、省庁の考え方だ。
 毎年国家公務員I種試験の合格者が省庁詣でをする。人気の高い省庁の側では、すでに対応は決まっている。どんなに試験の成績がよくても、私立大学や三流大学の卒業生は取らない。人気省庁にとって、大学というのは東大と京大しかないのだ。

【『隠蔽捜査』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2005年/新潮文庫、2008年)以下同】

 主人公は警視庁のキャリア官僚という毛色の変わった警察モノだ。役所と聞けば「融通が利かない」との答えが導かれる。竜崎は原理原則に忠実な堅物で節を枉(ま)げることがない。それは「決まりだから」という言いわけによるものではなく、原則が合理性に基づいているとの信念からである。時を経て信念は生き方そのものになっていた。

 彼の判断が厳しく感じるのは、我々が情に傾き理を侮っているためか。竜崎は周囲や家族に対して情け容赦がなかった。そして自分自身にも。

 それまで顧みることがなかった家庭が揺れる。大学浪人の一人息子がトラブルを起こしたのだ。

「それって何だ?」
「自分が正しいと思っていることを、家族に押しつけてんだよ」
「これ以上に正しいいことがあるか? 官僚の生活というのはこういうものだ。父さんなんてまだましなほうだ。財務省や外務省の高級官僚は、それこそ週に何日も家に帰れないんだ」
「だから、俺は嫌だったんだ」
「何がだ?」
「東大に入って、官僚になるという父さんの押しつけが、だ。俺、そんな人生、まっぴらだ」
「おまえは、何年生きた?」
「18年だ。子供の年も覚えていないのかよ」
「父さんは、46年だ。若い頃は全国を転々として見聞も広めた。おまえとは人生経験が違う。どちらの判断が正しいと思う?」
「そういう問題じゃないだろう」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「俺の人生は俺のものだってことだ」
 竜崎は、この陳腐な言い回しに、またしてもあきれてしまった。
「そんなことはわかりきっている。だから、若いうちに可能性を増やせと言っただけだ。官僚になるかどうかは、東大に入ってから考えればよかったんだ。別に官僚になることを強制したわけじゃない。いいか。東大には日本の最高の英知と技術が集中している。東大に入るだけで、できることが格段に増えるんだ。それを利用しない手はない」
「利用だって……?」
「そうだ。おまえの人生はおまえのものだと言った。ならば、その人生のためにあらゆるものを利用しないと損じゃないか。利用するなら、最高のものを利用したほうがいい。東大はそのための一つの条件に過ぎない。だが、その条件すらクリアできないで、人生、好きに生きたいなどと言っているのは、所詮、負け惜しみに過ぎないじゃないか」
 邦彦は、ぽかんとした顔で竜崎を見ている。何も言い返せない様子だ。

 これは大衆とエリートとの対話だ。竜崎の言葉は常に単純なため時に誤解を生む。ところが彼の言い分には明確な目的意識があった。

 省庁が「東大以外は大学ではない」と考えるのも一つの見識なのだろう。そんな彼らが仕える政治家の多くが東大出身ではない。ネット上で元官僚の人物が安倍首相の学歴を嘲るのを見たことがある。で、その元官僚はといえば、全く売れない本を上梓しながら糊口(ここう)を凌(しの)いでいるのだ。学歴至上主義は知性を野蛮な性質に変える。しかも、よくよく見つめればそれは知性というよりも記憶力中心の学力に過ぎない。極論を述べれば、「東大生だけで、いざ戦争となった場合に勝てるかどうか?」まで考える必要があろう。

 偏屈な官僚が少しずつ魅力的な人間に変わってゆく。このシリーズで今野敏も化けたに違いない。思わず一気に全作を読破した。

 ここに描かれている真のエリート像を通して、日本型ピラミッド組織の脆弱さを思わずにはいられなかった。それを面白がって読む自分にも問題がある。竜崎は官僚の域を脱しておらず、武士道にまで至っていない。次の戦争の弱点が露(あら)わになっているような気がしてならない。

 かつて「近藤史恵は男が描けていない」と書いた(『サクリファイス』近藤史恵)。本書を読めばたちどころにその意味がわかるだろう。

2018-10-21

あらゆる国民が非人道的行為をした/『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄


『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『昭和の精神史』竹山道雄
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄

 ・あらゆる国民が非人道的行為をした

『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編

  I

 六百万分の一の確率
 私は拷問をした
 ジャングルの魂
 喫茶店の半時間
 最後の儒者

  II

 ゴッドの最初の愛
 狂信からの自由
 バテレンに対する日本側の反駁
 天皇制について

  III

 南仏紀行
 エーゲ海のほとり
 リスボンの城と寺院

 あとがき

【『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄(読売新聞社、1974年)以下同】

 何とはなしに1970年代のベストセラーを調べてみた。

1970年代 ベストセラー本ランキング | 年代流行

「1970年代半ばから続いた『雑高書低』と呼ばれる状態」があった(日本経済新聞 2016/12/26)。出版販売額は1996年をピークに下降線を辿っている(日本の出版統計|全国出版協会・出版科学研究所)。いわゆる出版不況だ。人が一日に読む活字の量はある程度決まっているため、インターネットに奪われた格好だ。

 1970年代といえば進歩的文化人がでかい顔をして学界やメディアを取り仕切っていた時代である。今読むと笑ってしまうよな文章が多い。今日読んだ本だと「政治実践」とか「歴史への参加」などといった革命用語(?)がゾロゾロ出てくる。

 竹山道雄の文章は不思議なほど古さを感じない。問題意識の深さが現代にも達しているからである。つまり第二次世界大戦で露見した人類の問題は今尚解くに至ってないのだ。

 私は人を拷問したことがある。自分で手を出したわけではないが、もしその事件の責任者を問われれば、それは私だった。そして、異様なことだが、他人が苦しめられているのを見ているあいだ、私は悪が行われているという罪責感をもたなかった。
 最近に「追求」という、アウシュヴィッツでの残虐行為者をドイツ人みずからが裁判した、その実録を劇化した芝居を見た。被告たちは罪責感をもっていない。ナチスがユダヤ人のみならず、ポーランド人や最下級のジプシーまで、「劣等人種」を掃滅しようとしてそれを実行した人々は、たとえばアイヒマンのように罪悪感をもっていない。そしてドイツ人だけではなく、あらゆる国民がつねに多少なりとも非人道的行為をした。まったく潔白な国民はいない。西欧的ヒューマニズムの本家と自他共に認めているフランス人も、解放の時期やアルジェリアでは狼藉をはたらいた。前者についてはできるだけ語られないでいる。後者についてははじめのうちはただアルジェリア人側の残虐行為のみが報道されていたが、やがていよいよアルジェリアを独立させる方針が決ったからであろう、マルロー文化相の許しによって、一人のアルジェリア娘の手記が本になり、有名な画家(ピカソ?)の装幀に飾られて、ひろく読まれた。その娘の父も独立運動者として捕えられ、フランスの憲兵によって拷問された。「人体のもっとも敏感な部分」に電流をかけられ、苦しみのあまり「すこしは人道(ユマニテ)を――」と憐みを乞うた。フランス兵たちは「回教徒に対してはユマニテは不必要だ」と、拷問をつづけた。娘は裸にして吊され、水槽については引き上げられた。フランス兵たちはビールを呑みあおりながら追求をしていたのだったが、「ビール瓶の口で彼女の処女性をやぶった」
 このような乱暴が行われたのには、人間に潜んでいる獣性とかサジズムとかがはたらいたのだろうし、その場の群集心理もあったのだろう。しかし、人間はいったん他者に対して敵意や憎悪をもつと、相手は抽象的な「悪」に化してしまって、それに対する人間的な感情移入が断たれてしまうのではなかろうか。それであのようなことが起こるのではあるまいか。親衛隊の士官たちはガス室のすぐ近くに普通の家庭生活をして、モーツァルトの音楽をたのしんでいた。ある収容所の指揮官が残虐行為の故に告訴されると、友人たちは驚いて、「彼は慈悲ぶかい男で、田舎道を歩くときには、カタツムリなどを踏み殺さないようにと、注意ぶかくガニ股で歩きました」と懇願した。(「私は拷問をした」)

「あらゆる国民が非人道的行為をした。私もその一人である」との告白である。ハンナ・アーレントはアイヒマンの公開裁判を全て傍聴し、その無思想性を「悪の凡庸さ」と指摘した。大量虐殺を推進したアイヒマンの正体は職務に忠実な小心者の公務員だった(『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』1969年/1963年『ザ・ニューヨーカー』誌に連載)。時を同じくしてスタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験の論文を発表した。尚、アイヒマン実験から派生したスタンフォード監獄実験(1971年)はアーレントの著書から考案されたもの。最近になってヤラセ疑惑が浮上している(スタンフォード監獄実験は仕組まれていた!?被験者に演技をするよう指導した記録が発見される : カラパイアスタンフォード監獄実験、看守役への指示が行われていたことを示す録音の存在が明らかになる | スラド サイエンス)。映画化したのが『es〔エス〕』で、同様の心理状況を描いたものに『THE WAVE』がある。

 竹山が行った拷問は私に言わせれば他愛ないものである。戦時中、旧制一高の寮に連続して泥棒が入った。ある晩、遂に捕まえたのだが中々白状しない。そこで居合わせた連中でしたたかに殴りつけた。泥棒はやっと罪を認めた。謂わば日常の延長線上にある小さな暴力である。ところが竹山はホロコーストの芽をそこに見出す。泥棒をとっちめることは倫理的に許される。とすれば「相手を殺す正当な論理」さえ編み出せば大量虐殺は可能となる。

 例えば中国や韓国では反日教育が行われているが幼い頃から憎悪を植え付ける営みは、日本人を大量虐殺する可能性を開くことに通じる。日本に対する戦争準備ともいうべき教育を行う国に惜しみなくODA(政府開発援助)を施す日本政府の方ががどうかしているのだ。しかもそのODAが日本の親中派政治家に再分配されている実態がある。

 竹山の随想は極めて内省的なもので読者に対してある考えを強要する姿勢は全くない。ただし私はここで巷間、左翼活動家が繰り広げるポリティカル・コレクトネスについて一言付言しておきたい。

 当たり前だが日本人にも差別感情はある。現代でも部落出身者や朝鮮人に対する蔑視は確かにある。戦時中は多くの日本人が中国人を馬鹿にしていた。しかしながら日本に奴隷が存在しなかった事実をよくよく弁える必要があろう。日本人は外国人を「人間ではない」と考えたこともなければ、外国から多くの人々を奴隷労働者として輸入することもなかった。そもそも奴隷文化はヨーロッパの家畜文明から生まれたものだ。

 また割譲された台湾や、併合した朝鮮においても、日本は本国以上に力や資本を注いで発展に務めた。皇民教育はやや行き過ぎの感があるが、それでもホロコーストと比べればさしたる問題ではない。これに対して西洋白人の植民地はただ削除される対象でしかなかった。

 戦後、欧米で日本軍の残虐さが流布したのは、飽くまでもナチスと同列に持ってゆくためであり、更には戦闘員でもない婦女子を殺戮したアメリカ軍の非道(原爆ホロコースト、東京ホロコースト)を隠すためであった。南京大虐殺も原爆死者とバランスを取るために30万人とされている。

 日本人は敗戦の原因を探ることもなく、敗戦後になされたマインドコントロールを自覚することもなく、安閑として平和を享受してきた。いつになったら眠れる精神が目覚めるのか。目覚めた人々は竹山の問いを受け継ぐべきであろう。

乱世の中から―竹山道雄評論集 (1974年)
竹山 道雄
読売新聞社
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竹山道雄を再読しよう 「乱世の中から」 竹山道雄評論集を読みつつ思う: 橘正史の考えるヒント