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敗戦国ドイツの代表は27に及ぶ戦勝国の首脳の居並ぶ前で、傲然と次のように言い放った。
「われわれはドイツの武力が崩壊したことを知っており、はげしい憎悪の前に立たされていることも知っている。われわれは戦争の唯一の罪人であることを告白するよう要求されている。しかしそのような告白を私がするならば、それは虚言をなすことになるだろう。この世界大戦が惹起した責任を回避する気はすこしもない。だが、ドイツとその国民だけが有罪だということをわれわれは否認する。……」
ドイツ代表の名は外務大臣ブロックドルフ=ランツァウ伯。彼は偏狭なナショナリストではなく、古い家系をもつ誇り高いドイツ貴族であった。
第一次世界大戦の終結にあたり、フランス代表のクレマンソーが口火を切っていわゆるヴェルサイユ条約を突きつけてきた、そのときの最初の発言である。
第二次世界大戦の終結に際しては、ドイツという国家は解体して存在しなかった。逃亡した戦争指導者たちは次々と追求逮捕され、ドイツ国民は全員奴隷として強制労働につかされる可能性さえ論じられていた。第一次大戦ではそのようなことはない。ドイツは主権国家として存続していた。丁度日本が第二次世界大戦の降伏後も辛うじて国家でありつづけていたのと同様である。
第一次世界大戦はまだそれまでの欧州の戦争、ナポレオン戦争、普墺戦争、普仏戦争と同じような性格を残していた所以だが、今から考えるとすでに第二次大戦を予感させるような特徴もいくつか見てとれる。まず第一に、ドイツへの制裁の基礎となった条約231条において「戦争責任」が問われていることである。しかも「国際的道徳に対する最高の罪」として皇帝ヴィルヘルム2世の軍事法廷への引き渡しが要求された。連合軍は800人の戦犯を名指し、その中には有名なルーデンドルフ将軍をはじめ貴族、政治家、学者、士官、兵まであった。「戦争中の残虐行為の罪」を犯した者を引き渡せという要求もあった。従来の国際法にも国際慣行にもまったく例がなく、ドイツ首相ヴィルトはこれを公式に拒絶した。それでもイギリス首相ロイド・ジョージはしつこく、戦犯断罪の裁判を継続して要求、1年有余をかけたドイツ国内の裁判ですべて無罪、あるいは公判中止となって終った。
それにしても、「戦争責任」という言葉が生まれたことも、国家意志で行われた戦争への責任を個人に求めるということも、ついぞ例がなく、ドイツ国民には屈辱であり、衝撃であったに相違ない。
第二次大戦後の日本はまだ「辛うじて国家」だったと先に書いたが、第一次大戦後のドイツのように、戦犯引き渡しを拒否する力は持っていなかった。郷里にいったん生還した将兵までがインドネシアやフィリピンに連れ戻され、BC級戦犯の名で処刑された悲劇はよく知られる。残虐罪は現地政府の裁きに委ねるという第二次大戦後のドイツの戦犯に対する報復の形式が踏襲された結果である。
東京裁判において弁護団は、戦争それ自体は正当な国家行為で、犯罪ではないとの正論をもって弁護に当った。国家意志で行われた戦争の責任を個人に求めるのは国際法に違反しているという論法も使われた。ニュルンベルク裁判でも同じ論法があった。しかしアメリカが中心となった両裁判ではこの論点ははなからほとんど無視された。
それもそうであろう。あまり気づかれていないことだが、すでに第一次世界大戦において、国際法にも国際慣行にもまったく例のない「戦争責任」の概念が出現していたのである。
ヴェルサイユ会議において、「戦争責任」を言うならばそれは戦勝国にもある、ドイツは力尽きて敗れただけで「国際的道徳への罪」を問われるいわれはない、と堂々と拒否の姿勢を示したブロックドルフ=ランツァウ伯の言は、今の私が考えてみても正しい。日本の過去の戦争に対する立言もかくあるべきだという論証が本論の主旨である。
【『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(徳間書店、2007年)】
つまり、石油以外の軍需物資の要求量が大きかったため、オランダ側は日本の同盟国であるドイツに軍需物資が流れることを懸念し、日本側の要求の全ては容認しなかったために交渉が不成立に終わったということがわかる。なお、来栖自身はオランダ側の容認した通りに調印しておけば石油物資の欠乏は避けられたのではないかと考察している。
【ABCD包囲網考【5】・オランダとの交渉経過 - royalbloodの日記】
しかし、上京して間もない同年2月中旬、日本共産党の徳田球一が在外同胞引き揚げの妨害をしたとする「徳田要請問題」が彼の身に降りかかった。これは「徳田書記長から、捕虜が民主的な分子となってから還してくれるようにという要請がきている」との発言をシベリア収容所のソ連将校から聞いた抑留者が帰国後に真相究明を求めて衆議院に訴えたもので、この問題に際し、彼は抑留時、意図的に誤った翻訳をしたのではないかという嫌疑を掛けられ、国会で証人喚問を受けることになる。菅は「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」、「ナデーエツァというロシア語には『期待する』という意味はあるけれども『要請する』という意味はない」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。また、このとき「天皇制についてどう思うか」と問われ、菅が「天皇制に対して私は批判的です」と答えると、「(天皇制を認めている日本)共産党以上の本物の共産党じゃないか」と罵倒されている。
続いて同年4月5日に菅は衆議院に証人喚問された。このときハルビン学院の第一期卒業生を自称する調査員が登場し「訳したければ『期待する』と訳すことも可能だが『要請する』と答えるのが自然だ」として、「菅は『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」[4]と厳しい質問を浴びせ(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、菅は精神的に追い込まれた。この結果、翌4月6日の夜、彼は自宅近くの吉祥寺駅付近で鉄道自殺を遂げた。このとき、同居する弟の学生服の上着を着て、ポケットには岩波文庫の『ソクラテスの弁明』が入っていたという。友人の石塚為雄と弟の忠雄に宛てた遺書には、自らの身の潔白と、事実が通らないことに対する絶望が書かれていた。享年32。
菅の自殺事件は社会的に大きな反響を呼び、木下順二がこの事件をテーマとする戯曲『蛙昇天』(背景も含めすべて蛙の世界の出来事に置き換えたもの)を書いている。またこの事件は証人喚問が証人自身に多大なる精神的苦痛を与えた例とされ、これ以降、国会は菅のような一般人に対する証人喚問には慎重な姿勢を取っている。
【菅季治 - Wikipedia】
これに関連し抑留時、ソ連将校の講話を通訳していた哲学者菅季治は、「要請」について否定も肯定もせず「将校の講話は(徳田の言葉の引用については)『反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している』というものであった」という内容の手記を参議院に提出し、共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」とした(菅はこの件で共産党に対し抗議した)。このため1950年4月5日に菅は衆議院に証人喚問され「『要請』というロシア語を(恣意的に)『期待』と訳したのではないか」と厳しい質問を浴び(菅があたかも共産党のシンパであるかのようにアピールし、その証言が信用できないことを印象づける戦術であった)、翌日鉄道に飛び込み自殺した。
【徳田要請問題 - Wikipedia】
その後、彼は連合軍司令部に幾度も呼び出され、国会にも証人喚問されることになりました。
自分が通訳したのは「要請」ではなく「期待する」であった事実を、孤立無援のまま、誠実に繰り返し証言しましたが、認められず、果ては「ソ連式共産党員」とのレッテルを貼られ、脅迫状まで寄せられるようになりました。昭和25年4月6日、彼は吉祥寺付近で列車に飛び込み自殺してしまいました。親友石塚為雄氏あての遺書には「あの事件で、わたしはどんな政治的立場にもかかわらないで、ただ事実を事実として明らかにしようとした。しかし政治の方ではわたしのそんな生き方を許さない。わたしは、ただ一つの事実さえ守り通し得ぬ自分の弱さ、愚かさに絶望して死ぬ。/わたしの死が、ソ同盟や共産党との何か後暗い関係によることでないことを、信じてくれ。/(中略)/人類と真理のために生命をささげようとしながら、わたしは、ついに何一つなし得なかった。しかし、死ぬときには、/人類バンザイ!/真理バンザイ!/と言いながら、死のう。」と書かれていました。享年32歳でありました。
【ヌプンケシ103号 | 北見市】
「わたしはまじめに自分の死について考えてみた。(中略)そして、次のような結論を得た。自分は凡人である、社会を変革したり、歴史の大波を押し返したりすることはできない。そうだとすれば、わたしの生涯でよい事としては、日常の小さな善行の総和以外にない。だから、もうすぐ死ぬ者として、死ぬまでの短い期間にできるだけ多くの日常的善行を積まなければならない。」菅はこう考えて、行動をおこしました。
hango まず私的制裁=リンチを禁止しました。初年兵に「私的制裁の事実があったらすぐ自分の所に知らせろ。」といい、「下士官や古年次兵は大いに不満だった。『なぐられない兵隊は強くならない』という信条が彼らを支配していたのである。わたし自身は軍隊で人をなぐったことはない。」
「見習士官は官物の被服をもらう。兵隊のと同じ型だがもちろん新しく、軍隊用語で『程度のいい』品物である。わたしは、朝鮮人の中でも最も悪い被服を着ている者を呼び寄せる。上衣の悪い者には自分の上衣を、ズボンの悪い者には自分のズボンを、シャツの悪い者には自分のシャツを与える。そしてわたしは、彼らの悪い上衣、悪いズボン、悪いシャツを身につける。自分にあるだけの布ぎれを修理材料として与える。同僚の見習士官はいやな顔をする。わたしだってこんな行為は、前には偽善的に感じたろうけれど、その時は、死の近づきがわたしを勇気づけたのである。」また、兵士に不満や希望を無記名で書かせ、解決できることは直ぐに実行しました。「わたしという見習士官は、中隊で、ひどい変り者と評判されるようになった。」
【ヌプンケシ104号 | 北見市】
戦時中から「私的制裁」に反対していた菅には、これら将校たちの行為は目に余るもので、「収容所における軍隊機構改革の必要を感じた。」ものの、菅自身も将校の一人であり、「どうしていいかわからなかった。わたしは、自分だけ階級章を着けず、『五箇條』を唱えなかった。わたしに敬礼する兵隊に『なぜ敬礼するんだ?』と問うた。」と記しています。
【ヌプンケシ105号 | 北見市】
私は日本へ還ってから平凡で真面目な国民の一人として生きようとした。今度の事件でも私はありのままの事実を公けにして国民の健全な判断力に訴えようとしたのである。しかし私を調べた人々には私とソ同盟、私と日本共産党との間になにか関係があると疑って、私の証言の純粋さを否定しようとする。いまの世の中は、ただ一つの事実を事実として明らかにするためにも多くのうそやズルさと闘わねばならぬ。しかし闘うためには私は余りにも弱すぎる。(中略)私はただ悪や虚偽と闘い得ない自分の弱さに失望して死ぬのである。私は人類のために真理のために生きようとした。しかし今までそのため何もしていない。だがやはり死ぬときには人類万歳、真理万歳といいながら死ぬ。(菅季治著「語られざる真実」戦争と平和 市民の記録19 1992.5.25)
【蛙昇天】
1917年7月19日、愛媛県に生まれた彼は、6歳(数え)のとき、北海道にわたり、尋常少学校、旧制中学校に進みました。学業成績は非常に良く、中学卒業時には、「開校以来の神童」とうたわれたそうです。
【蛙昇天】
翌1949年5月、ソ連は、日本人捕虜全員を11月までに送還すると発表、6月27日から引揚が再開されました。この再開第一回目の引揚船は、出迎えた人々を驚かせることになります。労働歌を合唱し、出迎えの家族にふりむきもせずスクラムを組んで、集団で共産党に入党しようとする、ソ連の思想教育の影響を大きく受けた人々だったのです。これらの人々は「赤い引揚者」と呼ばれ、この年に帰国した人の多くが、そうした引揚者でした。この頃の引揚者は、共産主義にかぶれているという先入観が人々の中に生まれていく中、菅季治も11月に帰国します。
翌年の1950年の引揚船は、一転して様子が変わりました。右派、いわゆる反ソ組が圧倒的に増えたのです。 1950年1月23日の朝日新聞を見てみましょう。
【蛙昇天】
衆議院考査特別委員会は1950年4月5日、菅季治を再度、国会に証人として呼びます。参議院で踏み絵を踏むことを拒否した菅に対して、衆議院は、菅に「共産主義者」というレッテルを貼ることに腐心しました。
【蛙昇天】
左派社会党視察団は、過酷な状況で強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、帰国後、「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行った。抑留者帰国後、虚偽の発言であったことが発覚し、問題となる。
【したたかな中国 台湾政策にいよいよ本腰か | 草莽の記 杉田謙一 - 楽天ブログ】
【ちょっと待て】元徴用工判決を巡り河野太郎外務大臣は韓国の南官杓駐日大使を外務省に呼び抗議。大使が努力してる趣旨の見解を述べたことから、大使の発言を遮って発言。「ちょっと待って下さい。提案は受け入れられないと伝えている。知らないふりをして改めて提案するのは極めて無礼だ」
— Mi2 (@mi2_yes) July 19, 2019
頼もしい pic.twitter.com/sdskilU3Qz
凄いよなあこれ。河野大臣が韓国大使を無礼だと一喝した会談後のぶら下がり会見で、今まさに韓国が喉から手が出るほど欲しい言質に繋がる質問をバシバシぶつけて来るこの日本の記者はどこの社の記者だろう…
— 虎@1225 (@tiger_1225) July 19, 2019
政府は最低でも所属くらいちゃんと名乗らせるよう申し入れてほしい。 pic.twitter.com/zZdp6onTTf
そのシフトダウン時もクラッチを切ってギヤを下の段に入れ、そのままパッとクラッチをつなぐと回転差が生じガクッと大きなシフトショックが出てしまう……。そのシフトショックを軽減するために半クラッチを使う方法もあるが、できればシフトチェンジに合わせ軽くブリッピング(空ぶかし)をして回転数をシンクロさせてあげれば、半クラッチを使わずシフトショックのないシフトチェンジができるのでこれは鍛錬してもらいたい。
【教習所で教わる半クラッチ! 無意味な多用は寿命を縮めるので要注意 – WEB CARTOP】
「朝日新聞」と言った場合、どんなイメージが思い浮かぶだろうか。
「インテリの新聞」、「高所得者が読む新聞」、「受験に出る新聞」、「リベラル色が強い新聞」といったイメージが一般的なのではないか。「自らのイデオロギーのためにはプロパガンダもいとわない新聞」、「利潤のためであれば、いくらでも節操を曲げる新聞」だと正確に理解している良識派は少ないはずである。
北朝鮮のことを「地上の楽園」と呼び、カンボジアのポルポト派が大虐殺を行っているときに、ポルポトをして「アジア的優しさにあふれている」と書いた朝日新聞。それにもかかわらず朝日新聞のことを、今なお正しく認識している日本人は、残念ながらまだまだごく少数に留まっている。
【『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』岩田温〈いわた・あつし〉(オークラ出版、2008年)以下同】
門田隆将「朝日新聞はイデオロギーに基いて事実に角度をつけてる。論評面で自らの主義主張をするのはいいが、主義主張でストレートニュースまで捻じ曲げてるからダメ。どんどん偏向が深まってる」
— Dappi (@dappi2019) July 16, 2019
その通り!
中立なふりして全力で偏向報道してるからタチが悪い pic.twitter.com/azrgFfxuyB
チベット問題に関してはチベット側に一点の瑕疵(かし)もないことは明らかである。(中略)それゆえに論説や社説で堂々とダライ・ラマを批判できないから、奇策として、風刺と言いながら誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を行う。
オリーブ油おから
生おから 300g
オリーブ油 50g
黒こしょう 小さじ1
1.生おからは、耐熱容器に入れてかるくラップをしてレンジで約3分間加熱する。
2.1にオリーブ油と黒こしょうを加えて混ぜ合わせる。
【『からだの中からキレイにやせる おからレシピ100』浜内千波〈はまうち・ちなみ〉(東京書店、2014年)】
業務スーパーのカナダ産オートミールは食物繊維いっぱいで便秘がちな方におすすめです。 | ちょっとお得に暮らしたい https://t.co/N1p5OWTyoE pic.twitter.com/9cAFBAaw44
— 小野不一 (@fuitsuono) July 14, 2019
国内最安値?!業務スーパーの『素煎り 大豆』はおすすめ | すべらない BLOG https://t.co/YJFWmTuGiR pic.twitter.com/DdhfzFKNnH
— 小野不一 (@fuitsuono) July 14, 2019
業務スーパー『大豆の水煮』のおすすめ度は? 気になるサイズや食べ方をチェック - mitok(ミトク) https://t.co/kRigFFa7EQ pic.twitter.com/RcGSZvnzZV
— 小野不一 (@fuitsuono) July 14, 2019
業務スーパーの大容量のふりかけは買うべき|普通に生きていきたい40代NEET https://t.co/rp91HhN7tC pic.twitter.com/jV4bGLz0x6
— 小野不一 (@fuitsuono) July 14, 2019
石●「レッドからグリーンへ」というのが、最近の皮肉をこめたスローガンとなっているぐらいです。つまりマルキシズムの居城を失った思想家たちの一部が、環境に生きる道を見出したわけです。
【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年/新版、2013年)】
石●結局イスラムは、ブタを捨ててヤギとヒツジに頼ったわけです。ヤギとヒツジは、ある意味でいちばん自然を破壊する家畜ですよ。イスラム文化の支配したところが砂漠化していったのは理解できます。アラビア半島から始まってインド亜大陸、中央アジア、北アフリカ、スペイン南部まで、イスラムの支配した地域はほとんど砂漠です。ヤギとヒツジのせいだといってもいい。
湯浅●根まで食べちゃうわけですからね。
安田●インドがなぜ肉食をやめたのかということは、いずれにしても21世紀の大きなテーマになる。いずれ人類はそんなに肉を食えない時代を迎えるはずです。インドの紀元前5世紀における肉食の放棄は、結局、放棄するしかなかったということかもしれません。
【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年)以下同】
石●石炭ガスが登場する以前、大都市の街頭の燃料にクジラの油を使っていて、1740年代のロンドンでは5000もの街灯が鯨油でともされていたそうです。これでは、いくら捕鯨をやっても足りないですよ。欧米で捕鯨の圧力が少し下がるのは、19世紀に入って石炭ガスが普及してきてからです。
(中略)
石●アメリカの捕鯨産業は1650年頃東海岸で始まり、1700年頃にはそこも捕り尽くして北極海に出ていく。それも、湯浅さんがいわれたとおり、1830年頃には資源は枯渇して太平洋に進出を余儀なくされる。19世紀半ばには、もう太平洋の東ではクジラが壊滅し、さらに西へ西へと進出したわけです。しかし、捕鯨船への燃料や水の補給ができなくなり、そこで強面のペリー提督を日本に送り込んで、捕鯨船への補給のために開国の圧力をかけることになる。
【『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之〈いし・ひろゆき〉、安田喜憲〈やすだ・よしのり〉、湯浅赳男〈ゆあさ・たけお〉(洋泉社新書y、2001年)/新版、2013年】
黒船来航、そのニュースはまたたく間に国内を駆け巡った。公文書、浮世絵、狂歌・狂句、瓦版(ミニ新聞)、手紙、日記、そして口コミ。
◎泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん) たつた四はいで夜も眠れず
煎茶の銘柄に「上喜撰」があった。「蒸気船」と同音である。煎茶を四杯も飲めば目が冴えて眠れない。四隻(四杯)の蒸気船では「夜も眠れず」。作成年代は不明、後の明治期とする説もある。似た歌に「アメリカを茶菓子に呑んだ蒸気船 たつた四杯で夜もねられず」があり、アメリカに飴をかけている。
◎井戸の水あつてよく出る蒸気船 茶の挨拶で帰るアメリカ
井戸とは、2名置かれた浦賀奉行の一人(江戸城詰め)の井戸石見守(いわみのかみ)との語呂合わせである。水質が合って程よく出た上喜撰を飲んで、茶飲み程度の軽い挨拶で帰帆。確かに、ペリーの第1回滞在は、わずか10日間である。
◎アメリカが来ても 日本はつつがなし
筒(大砲)がないことと、恙無い(無事)を掛けている。
◎日本へ向ひてペロリと下をだし
ペリーの名はオランダ語風にペルリ、ヘロリなどとも書かれている。ペロリ、あかんべ~か。
◎馬具武具屋 渡人さまとそつといひ
泰平の時代がつづき、馬具や武具を扱う商売はさびれていたが、黒船来航でいいよいよ天下大乱か。商売繁盛、だが大声では言えない。
◎兵糧の手当に米の値があがり 武家のひそかに黒船さま
武士の俸給は米である。まずは食用にしたが、残りは売って現金に換えた。兵糧手当に米の値上り。ありがたや。
◎永き御世(みよ)なまくら武士の今めざめ アメリカ船の水戸のよきかな
水戸とは警世家で対外強硬派ともいわれた御三家(ごさんけ)の水戸(茨城県)の徳川斉昭(なりあき)をさす。目の前の黒船が、長い平和ですっかりなまくらになった武士の覚醒剤となった。水戸殿は溜飲を下げる。
内容からみて、これらの歌は、10日間で終わった第1回ペリー来航の時に詠まれたものであろう。安堵した気配や、揶揄や好奇心が強く出ている。艦砲射撃で街が焼かれた、武士達が艦隊に切り込んだなど、緊迫した様子のものは一つもない。これがほかならぬ現実であった。
【『幕末外交と開国』加藤祐三〈かとう・ゆうぞう〉(ちくま新書、2004年/講談社学術文庫、2012年)】
おやおや足立センセイ、統一教会系団体で講演したときA会長の前で見せた態度とは全然違いますねぇ。凄い二面性。
— 加藤 健 (@JapanLobby) July 4, 2019
昨年4月18日の世界戦略総合研究所第95回例会では素敵な笑顔でしたね。写真ありますよ。
さて足立センセイに大事な質問。維新と統一教会の関係は? 霊感商法についてのご見解は? https://t.co/LmyFnXzBvf
加藤健先生もツイートしてくださったので、私も足立康史議員と維新に関するネタ、随時投入していこうか。今までスルーしてきた諸々。某氏が、有本は心が広いと褒めツイートしてくださったけれど、私は一線を越えたらダメなんです。「バカ」の一言じゃなく併せ技ね。関係者の皆さん、悪く思わないでね。
— 有本 香 Kaori Arimoto (@arimoto_kaori) July 4, 2019
足立さん、僕は貴方が我が党の政策において誰と議論しようと咎める事はありません。しかし、現状の貴方の発言は、相手を罵倒するものであり、組織の資質を問われる事態となっています。結果現在闘っている仲間に迷惑をかけるものであり代表として看過出来ません。選挙後に党紀委員会で対応します。 https://t.co/JOXEqIvXP2
— 松井一郎(大阪市長) (@gogoichiro) July 5, 2019
大丈夫ですよ!善意の編集力⭐︎がちゃんとしたまとめをして下さっていますから!
— 中庸@Yoshi (@tktn4486) July 5, 2019
【10分で分かる靖国問題】Twitter大バトル(橋下徹+維新勢 vs 百田尚樹・有本香)暴言 - NAVER まとめ https://t.co/IFQgyLdGkz
僕のブログでも橋下・足立vs百田・有本の討論をまとめました。
— たけにゃん (@take_nyan0926) July 5, 2019
頑張って、全文を時系列でまとめました。全文です!読んでみたい人は読んでください。
ただ、字数が48419字ありました。かなり読み応えがあると思います。
よかったら勉強にもなるのでぜひ読んでみてください!https://t.co/IaJwe4HHDZ