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2014-05-20

予言者ヒトラー/『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉


「近い将来、男の性器そっくりの兵器ができるだろう。わたし(ヒトラー)の勃起(ぼっき)した男根を、何百倍にも大型化して小さな翼(つばさ)をつけたようなものだ。
 それが将来の戦争と世界を支配する。さしあたっては、それが飛んで行って英国を焼(や)き尽(つ)くす。いずれはペルシャ湾にもインド洋でも飛ぶだろう。愉快なことだ。わたしの勃起した男根が地球を燃やすことになるのだからな」
(これはもちろん、ロケットかミサイルの出現を見通した予言と受け取っていい。またそうとしか考えられない。
 その証拠に、ヒトラーはそれを予言しただけでなく、側近の前でその簡単なスケッチを描(か)いてみせた。美術学校には落第したが、彼はもともとイラストレーター志望で、絵はお手のものだった。
 そしてこのスケッチにもとづいて、ペーネミュンデ=ナチス秘密兵器研究所=の科学者たちが作り上げたのだが、有名なV1号V2号ロケットだった)

【『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉〈ごとう・べん〉(ノン・ブック、1988年)】

 アドルフ・ヒトラーの洞察力に注目し、彼が見据えた未来を調べるべきだと五島に助言したのは何と三島由紀夫であった。


 今月、ドイツではP&Gが販売する洗剤のラベルに「88」「18」(洗濯可能な回数)と表示したところ、「極右ネオナチの隠語に該当する」と買い物客から指摘を受けて商品の出荷を中止した。アルファベットの8番目がHであり、88は「Heil Hitler」(ハイル・ヒトラー=ヒトラー万歳)で、18は「Adolf Hitler」(アドルフ・ヒトラー)を意味するらしい。ドイツでは公の場でナチスを礼賛すると、刑法の民衆扇動罪に問われる。ただし「88」を禁じているわけではない。

 過去の戦争犯罪に対する反省に徹した態度なのだろう、と以前は考えていた。ナチ・ハンターにしても同様だ。彼らは現在もナチ戦犯を追い続けている(地の果てまで追いかけるナチハンターと高齢化が進むナチス戦犯 : 残虐な人権侵害-決して見逃さない)。

 そもそもアドルフ・アイヒマンを連行した行為がアルゼンチンの主権を侵害していた(1960年)。しかも当初はサイモン・ヴィーゼンタール・センターを始めとする民間人有志の手で捕獲したと発表されたが、後年モサド(イスラエル諜報特務庁)による作戦であったことが判明している。どこか神経症的な振る舞いにも見える。

 私はナチスものを読み続けるうちにヒトラー=悪という単純な構図に疑問を抱いた。そして『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(ノーマン・G・フィンケルスタイン)を読んでやっとわかった。ユダヤ人による壮大なプロパガンダが。世界的という言葉よりも、世界史的レベルといった方が相応しいだろう。

 もちろん私はヒトラーを英雄視しているわけでもなければ、善人と考えているわけでもない。ただあまりにも手垢まみれとなったヒトラー=悪人という図式に与(くみ)しないだけのことだ。純粋無垢な100%の善悪を設定すること自体が子供じみている。


(V1ロケット)


(V2ロケット、以下同)






 アメリカは第一次世界大戦後、ドイツの技術に莫大な投資をしてきた。反共という目的もさることながら、ヒトラーのファンが多かったのも事実だ(『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出)。ドイツの技術は世界の先頭に立つほどであった。世界初の実用的ロケットとして登場したのがV2ロケットである。

 第二次世界大戦が終わるとアメリカはドイツのロケット技術者を自国に亡命させ、戦争犯罪を不問に付した。

 本書には数多くのヒトラーによる予言が紹介されているが、確かに「何かが見えていた」節が窺える。ドイツ国民の熱狂はこうした神秘性にも支えられていたのだろう。

 敗戦国であったドイツと日本が工業大国となったのも実に不思議である。

2011-12-11

高橋和夫


 1冊挫折。

なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫(幻冬舎、2010年)/ナチス・ドイツによって600万人のユダヤ人が虐殺されたという記述があり(29ページ)、そこでやめた。殺されたのはユダヤ人だけではない。それをあたかもユダヤ人だけ殺されたように歴史を改竄(かいざん)してきたのだ。今後、私が高橋の著作を読むことはないだろう。

「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン

2009-04-15

グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・環境・野生動物保護団体の欺瞞
 ・環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義
 ・「環境帝国主義」とは?
 ・環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する
 ・グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない
 ・反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ
 ・有色人捕鯨国だけを攻撃する実態

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

 目的にも大中小の種類がある。仏教ではこれを「上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)」(九品〈くほん〉)と表した。現在使用している上品(じょうひん)・下品(げひん)の語源である。

 私が言いたいことはこうだ――小目的のために大目的が利用されてはいけない。そりゃそうだろう。今日、明日の何かのために人生を棒に振っていいはずがないのだから。

 動物保護運動の大目的は美しい。だが中身はといえば、保護の対象となる動物は意図的に選び抜かれ、自分達の暮らしにマイナスの影響が及ばないものに限定されていた――

 クジラ、アザラシ、象、海亀……。これらの動物に共通しているのは神秘性があり、十分な愛玩性を備えていることだろう。ペットにはできないが、観賞用としては野生動物の中では上位を占める。
 このような動物が有色人種によって無駄に殺され、資源が絶滅に向かっているとのキャンペーンは、欧米諸国で広く深く、そして急速に受け入れられた。そして「この動物を保護するために寄付を」との呼びかけに数百万人が反応した。グリーンピースは、80年代に年間約200億円のカネを集めている。だが、このカネは動物の保護に使われることはなく、組織の拡大と新たなキャンペーンへの経費に充てられた。

【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

 これが連中のやり方だ。誰も反対できない大義名分を掲げておいて、中目的・小目的はやりたい放題。しかも、環境問題・気候変動対策として国家予算が割り振られている現在においては、その気になればいくらでも金を引っ張り込むことが可能だ。

 人間の脳は納得させられると洗脳状態に陥る。自分の概念になかったテーマや問題を突きつけられると、なぜか逆らい難くなる性質を持っている。キャンペーンはお手の物だ。動物が殺される場面の背景に悲しい音楽を流せば、間違いなく人々の同情を集められる。プロパガンダ。

 ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社、2004年)によれば、ドイツがユダヤ人に対して行った戦後の賠償金の大半が被害者の手に渡らず、ユダヤ人組織が収奪しているという。

 嘘にも大中小がある。大きな嘘は見抜くことが難しい。

2008-08-19

環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義/『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人


『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・環境・野生動物保護団体の欺瞞
 ・環境ファッショ、環境帝国主義、環境植民地主義
 ・「環境帝国主義」とは?
 ・環境帝国主義の本家アメリカは国内法で外国を制裁する
 ・グリーンピースへの寄付金は動物保護のために使われていない
 ・反捕鯨キャンペーンは日本人へのレイシズムの現れ
 ・有色人捕鯨国だけを攻撃する実態

『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

必読書リスト その二

「環境」というだけで善なる匂いが立ち込める。しかし、環境問題といっても気候変動といっても、高く掲げた大義名分とは裏腹の、政治的な罠が仕掛けられていた。帝国主義の立場から見れば、問題なのは環境ではなく有色人種だった。「反ホロコースト=善」という構図とそっくりだ。

ノーマン・G・フィンケルスタイン

「環境ファッショ」という言葉がある。「環境帝国主義」や「環境植民地主義」と同じく、過激で独善的な自然、環境、動物保護運動に対する表現である。この環境帝国主義の犠牲者は、アザラシと共に生きるイヌイットや、象の利用で潤うアフリカ民族以外にも、いくつも指摘できる。また捕鯨の禁止で伝統的食文化を奪われたのは日本人だけではない。韓国、トンガ、フィジー、アイスランド、カナダ、ブラジル、ペルーなどの人々も同じだ。
 日本はさらに、母船式サケ・マス漁業とアカイカ、カジキを対象にした公海流し網漁業も、環境保護団体のキャンペーンで禁止に追い込まれている。

【『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人〈うめざき・よしと〉(成山堂書店、1999年)】

 国際的な環境保護団体によるキャンペーンは、常に有色人種国家のみを糾弾してきた。こうした詳細が日本のマスメディアで報じられない事実を鑑みると、欧米に対して人種差別を指摘すること自体が日本の国益を損なうことになるのだろう。「日本側の主張は受け入れられなかった」という程度のソフトで簡潔な表現になっていることと思われる。もはや、ジャーナリズムに取材という文字はなく、記者クラブによる報道管制体制がきっちりと出来上がってしまっている。

 米・英・仏といった第二次大戦戦勝国がいまだに敗戦国を虐げている。「国際連合」と翻訳された機関の本当の意味は「連合国」(United Nations)であり、敗戦国はいつまでたっても常任理事国にはなれない。ルワンダに至っては、国連とアメリカによって完全に放置された。その結果、わずか3ヶ月あまりで100万人ものツチ族が殺戮される羽目になった。

2011-10-04

バビヤールのユダヤ人虐殺から70年、ウクライナ


 ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領は3日、70年前にナチス・ドイツ(Nazi)によるユダヤ人の虐殺が行われたバビヤール(Babi Yar)渓谷を追悼訪問した。
 ナチスは1941年9月29~30日、バビヤール渓谷でユダヤ人3万3771人を殺害した。この虐殺は、近年になってようやく正式な追悼が行われるようになった。
 1941年、旧ソ連当局者をキエフ(Kiev)から追放したナチスは同市を占領し、移住を口実に市内に残ったユダヤ人全員を集めた。
 ナチスはキエフで起きた連続爆発事件の責任をユダヤ人に押しつけた。しかし実際には、爆発はキエフに残った旧ソ連の内務人民委員部(NKVD)要員や、旧ソ連の赤軍が撤退前に残した爆弾によるものだった。
 ナチスはユダヤ人を市郊外のバビヤール渓谷に行進させ、そこで射殺した。
 ソ連の作曲家ドミトリ・ショスタコービッチ(Dmitry Shostakovich)は、1960年代にバビヤールの虐殺を主題に作曲をして、エフゲニー・エフトゥシェンコ(Yevgeny Yevtushenko)の詩「バビヤール」に音楽をつけた。

ホロコースト最大の虐殺

 バビヤールの虐殺はナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の中で最大の虐殺だっただけでなく、大都市で行われた戦時の大がかりなユダヤ人抹殺としても初めてのものだった。
 1943年にキエフから撤退するまで、ナチスはバビヤールを処刑場として利用した。少なくとも10万人のユダヤ人やロマ人、レジスタンス運動家や旧ソ連の受刑者たちが処刑された。だが、殺害された正確な人数については現在も議論の的となっている。
 第2次世界大戦(World War II)のソ連はバビヤールの虐殺を大きく扱うことはなかった。ユダヤ人の苦難に注目が集まれば、最大の戦争被害者はソ連国民だったというソ連政府の主張を妨げるからだった。
 1976年に建立された記念碑は、ユダヤ人について触れていない。1991年にようやく、ユダヤ人犠牲者の記念碑建立が認められた。エフトゥシェンコの詩はこう始まる。「バビヤールに記念碑はない。切り立つ崖は荒くれた墓石のようだ」
 2009年には、サッカー欧州選手権2012(UEFA Euro 2012)の観光客向けのホテルの建設計画が上がったが、市民や国際的な反対を受けて市長が建設を断念していた。

AFP 2011-10-04

「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)」という表記は意図的なものだろう。ワシントンに米国国立ホロコースト記念博物館がある。これは常識的に考えてもおかしなことだ。「アメリカ先住民大虐殺記念館」なら理解できる。ユダヤロビーがどれほどの力を持っているかが窺えよう。で、宣伝工作を行っているのがエリ・ヴィーゼルだ。

「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
「アメリカ・ホロコースト記念館: 高くついた危険な誤り」セオドア・オキーフ

2014-08-15

魔女狩りは1300年から激化/『魔女狩り』森島恒雄


『科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳
『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳

 ・魔女は生木でゆっくりと焼かれた
 ・魔女狩りの環境要因
 ・魔女狩りの心情
 ・魔女狩りは1300年から激化

『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 フランスのジェルベールは、中世における科学ルネサンスの最初の曙光として科学史の上で記念される人物であるが、当時は呪術師として有名であった。しかしそれにもかかわらず、シルヴェステル2世(999-1003年)としてローマ法王の位にすらつくことができたのである。「呪術師」は、魔女裁判時代では「魔女」となる。もう500年後だったら、法王どころでなく、焼かれたかも知れなかった。

【『魔女狩り』森島恒雄(岩波新書、1970年)以下同】

 呪術と科学の親和性は、錬金術から化学が生まれたことを思えば別に不思議ではない。「化学を英語でケミストリー(Chemistry)というのが、この語源となっているのが錬金術を英語で指す言葉のアルケミー(Alchemy)なのである。近代になるまで化学と錬金術は同一視されていたのだ」(『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編)。中世は宗教から科学へと向かう季節であった。ヨーロッパでは教会が学問を支配していた。グーテンベルク革命(1439年)の後も識字率はまだ低かったことだろう。当時、科学的な発見は神の絶対性を証明するものだった。

 ともあれ、以上で明らかなことは、魔女は12~13世紀ごろまではまだ安泰であったと結論できることである。
 ところが、1300年を境として事態は一変する。魔女に対する教会の態度が、にわかに硬化するのである。魔女の歴史は、ここで、平穏だった古い魔女時代を終えて、不安動揺の時代に入ることになるが、その転機は「新しい魔女」の大量出現であった。

 環境史的に見ればちょうど小氷期に当たっている。戦争を始めとする人類の混乱は寒さに由来すると考えてよさそうだ。

 しかし、教会のこの寛容さはしだいに失われていき、12世紀の終りごろ、にわかに態度は逆転し、13世紀に入れば異端者の処罰は火刑が通則となり、審問には拷問も法皇によって許可されることになるのである。
 この教会の態度の急変は、12世紀に勃発した大規模でラディカルな異端運動が教会当局に与えた深刻な衝撃、危機感であった。

 様々な研究によって現在では魔女狩りの規模を縮小する傾向が強く、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」(Wikipedia)と考えられている。歴史とは現在を正当化するものゆえ、常に書き換え・更新が繰り返される。ナチスによるホロコーストの歴史ですら定かではないのだ(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

 ヨーロッパの歴史は血塗られている。十字軍(1096-1272年)、百年戦争(1337-1453年)、三十年戦争(1618-1648年)、そしてレコンキスタ(718-1492年)。帝国主義・植民地主義を生んだのもキリスト教であった。アングロサクソンが第二次世界大戦で勝利を収め、キリスト教世界は今尚延命している。

 一神教を深く問い直す学問が必要だ。そうでなければ人類はいつまでも戦争に向かうことだろう



欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人

2009-04-17

国民的物語「忠臣蔵」に代表される「意地の系譜」と「集団主義」/『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄


 ・悪しき「私化」の進行
 ・社会学者が『妖怪人間ベム』を鮮やかに読み解く
 ・国民的物語「忠臣蔵」に代表される「意地の系譜」と「集団主義」

 文化は世代間で継承される。つまり、世代を超えて継承される普遍性があるわけだ。思い切り簡単に言ってしまえば、「老若男女みんなの好きな物語」となる。

「好き」とは「逆らえない状態」である。なぜか心が惹かれる、魅了される、虜(とりこ)になる――何らかの不満・鬱積・抑圧がカタルシスを求めて、かような内面的状況に至るのだろうと私は想像している。

 熊田一雄は、継承される文化としての「忠臣蔵」に注目する――

 それでは、近代日本における覇権的男性性はいかなる種類のものだろうか。関東学院大学の細谷実の研究をヒントに私なりに考えてみた。それは時代に応じて微修正を繰り返しながらも、基本的には「忠臣蔵」という国民的物語(四十七士的男性連帯)に代表される「意地の系譜」と「集団主義」にかたちづくられているといえないだろうか(そしていまでも依然としてある程度まではかたちづくられている)。  ここで言う忠臣蔵幻想とは、1702(元禄15)年に起こった史実としての赤穂浪士討ち入り事件のことではなく、事件を題材に日本人が300年間にわたって、時代によって微修正を繰り返しながら延々と紡ぎ続けてきた「国民の物語群」総体のことを指す。討ち入り事件発生直後から、江戸の庶民の世論は四十七士をスーパースターとみなした。庶民はこの事件を幕藩体制に対する「叛乱」の物語としてとらえ、世論に配慮した幕府は事件を「忠義」の物語という解釈を与え、両者は吉良上野介をスケープゴートとすることで一致し、この時点で四十七士は当時の日本社会の全階級から「男のなかの男たち」と称賛されることになった。

【『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学』熊田一雄〈くまた・かずお〉(風媒社、2005年)以下同】

「覇権的男性性」とは、オーストラリア人の社会学者ボブ・コンネル(※性転換後、レイウィン・コンネルに改名)が提唱した概念で、「覇権的(hegemonic)/従属的(subordinated)/周縁的(marginarized)」という類型のこと。ジャイアン、スネ夫、のび太が見事に当てはまっている。固定されたヒエラルキー――あるいはステレオタイプによる人間関係――を掻き回すトリックスターがドラえもんなのだろう。

「史実としての赤穂浪士討ち入り」と「国民の物語群としての忠臣蔵」という二重性は、「ナチ・ホロコースト」と「ザ・ホロコースト」(ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』三交社、2004年)と響き合う。事実から創出された物語という点において。

 私は少なからずドラマを何度か見ており、大佛次郎〈おさらぎ・じろう〉の『赤穂浪士』も読んでいるが、まったく感情移入することができなかった。道産子特有の淡白さのゆえかと思ったがそうではない。私の目には、浅野内匠頭が短気な男として映った。であるからしてこの物語は、激情に駆られて刃傷沙汰を起こした主君のために、四十七士が犠牲になったというアウトラインとなり、主従関係という封建時代の矛盾を示した物語にしか見えないのだ。

 しかし、私が何をどう主張しようとも、年末になれば「忠臣蔵」がテレビで放映されることだろう。こうした文化そのものに、私は日本人特有の「短慮」を感じてしまう。

 熊田一雄は、「忠臣蔵」という物語に込められたテーマを、「プロジェクトX」に結びつける――

「意地の系譜」と「集団主義」の持続力を見せつけているのが、NHKのテレビ番組「プロジェクトX」(放映は2000年から)の国民的人気である。この番組では、「挑戦者たち」に女性が参加していても、ナレーションは必ずといっていいほど「その時、ひとりの男が立ち上がった」で始まり、男性の私生活(家事・育児・介護)は基本的には切り捨てられている。もちろん、「集団主義」がある程度は後退し、「男女共同参画社会」と少なくとも表面ではうたわれる時代に対応して、時々アリバイ工作程度には男性の私生活に触れることはけっして忘れられていないのだが。そして、「男の意地」を貫き通して、「挫折から最後には再生した」男たちの「男泣き」で締めくくられ、集団主義の男性の連帯が称揚され、中島みゆきの曲『地上の星』が、男たちを力づける「妹の力」(伝統的民俗信仰において兄弟を支える姉妹の霊力)として利用されている。

 こいつあ、お見事。ジェンダー論の切れ味を鮮やかに示している。思想や価値観は、語り手次第でいかようにでも面白くなるという証拠だ。

2018-04-16

当局の片棒を担いで赤化教員の転向を推進した創価学会/『創価学会秘史』高橋篤史


 ・当局の片棒を担いで赤化教員の転向を推進した創価学会

『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明
『週刊東洋経済 2018年9/1号 宗教 カネと権力』

 まったく感心できないことだが、創価学会は過去の歴史を正しく伝えていない。それは対外的な宣伝だけでなく組織内の学会員各層に向けたものでも同じである。とりわけ1950年代までの歴史に関しては、むしろ隠したがっているようにすら見える。
 創価学会の歴史を知る最も有力な手掛かりは、その当時の機関紙誌を調べることである。創価学会の主な機関紙誌類としては古いものから順に『新教』(のちに『教育改造』と改題)、『価値創造』の戦前版、『大善生活実証録』、『価値創造』の戦後版、『大百蓮華』、そして現在誰もが知るところの『聖教新聞』の六つが挙げられる。(中略)
 では、東京・八王子にある創価大学や創価女子短期大学はどうか。信じがたいことに、1951年4月創刊の『聖教新聞』のうち、付(ママ)属図書館が所蔵・公開しているものは1980年1月以降の分だけである。丸々30年分が所蔵すらされていないのだ。
 さらに首をひねりたくなるのは1949年7月創刊の『大百蓮華』である。創刊号からほとんどを所蔵しているものの、公開しているのは1971年1月以降の分だけなのだ。つまり創価大学の学生・教職員でもそれ以前のもの、丸々20年分は、原則、見ることができないのである。

【『創価学会秘史』高橋篤史(講談社、2018年)】

 秀逸なノンフィクションである。しかも創価学会が発行する昭和期前半の機関紙・誌という第一次資料にこだわっており、学術論文に引用できるレベルの高さとなっている。更に感情の暗い翳(かげ)が微塵もなく公正さに心を砕いた跡が窺える。『小説 人間革命』と『若き日の日記』を資料として採用していないのはさすがである(『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS)。

 本書の目的は創価学会の歴史修正主義を指摘するところにあり、単なる教団批判に陥っていない。誰しも好き嫌いという感情から自由になることは難しいが、公正な視点に立とうと努めるところに理性の本領がある。これをもう一歩進めるとメタ認知となる。

「この歴史修正主義が否定的な意味で使われているのは、それこそ歴史的な経緯があるのです。その大きな理由は、ナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)の否定論者が自分たちのことを『歴史修正主義者』としたからです」(真屋キヨシ)。徹底したプロパガンダでホロコーストを神話にまで高めたユダヤ人(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)がこれを許すはずもない。

 昨今、日本の近代史を見直すムーブメントを歴史修正主義と非難する左巻きが多いが、新たに判明した事実を基(もと)に行うのは「歴史の修正」であり、「主義」や「主義者」とは無縁である。尚、歴史修正主義の意味についてはWikipediaよりもニコニコ大百科の方が優れている。

 創価学会の歴史修正主義は正当を問う西洋的な性質ではなく、第3代会長の正統を巡るシナ文化を踏襲している。ところが高橋はもっと初期の段階から、現在創価学会が唱える平和主義と異なる歩みがあったことを資料によって明かす。

 牧口の論文のなかで特に興味をそそられるのは、長野行きにあたりあらかじめ内務省から長野の警察部に電話をかけてもらっていたという記述だ。牧口の論文タイトルがまさにそうであるように、このことは当時、国がとっていた転向政策と創価教育学会が乗り出した折伏による会員拡大とが軌を一にしており、そのため連絡を密にしていたことを意味する。当局からすれば左翼思想にかぶれた本来優秀な元教員たちを転向させてくれる団体は好ましい存在であり、牧口らからすれば弾圧で心に傷を負ったそうした元教員たちは折伏するのに格好の相手だった。

 当局の片棒を担いで赤化教員の転向を推進した創価学会の歴史は、教団の汚点というよりは黒歴史そのものといってよい。公明党が政権与党入りしたのもむべなるかな。

 ここから底の浅い批判を加えることは避けたい。当時の牧口常三郎(1871-1944年)の立場を思えば、戦争になることも敗戦することも知らないのだから。

 それにしても近現代史におけるマルクス主義の影響は計り知れない。人は【概念の中で生きる】動物である。概念というソフトを上書きしたり、インストールし直したりすることをやめることはできない。

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2018-05-20

文学者の本領/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄

 ・文学者の本領
 ・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
 ・人間としての責任

『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 いつの世にも残虐な事件はあった。戦争が長びいて生活が苦しくなれば、人心は荒廃してモラルは低下する。軍隊が戦闘の後に殺気をおびたまま都会を占領したり、ことに敗けて逃げるような際には、むざんなことがおこる。人々は正気を失っているのだから、その心理を正常の標準から律することはできない。こうしたことは、人間のすべてが確実な向上をつづけているという楽天的な信仰を裏切って幻滅をあたえるものではあっても、とくに異常不可解とはいえない。非人道は原則としては否定されているのだけれども、一時の錯乱に対して規制の力が及ばなかったのである。
 ところが、ナチスの焚殺やソ連の裁判や中国の洗脳などは、国家がその目標を遂行するためにやったことである。それを行った人々は、かれらとしてはよき良心をもって行った。ある歴史の必然的実現のごときものが確信されて、そのための努力であった。犠牲者たちは歴史の進行を阻む悪であるとて、抹殺された。一種の消毒だった。かれらはもはや人間として認められなかった。抽象的理念の前に人間が消えうせた。
 国家がその世界観にしたがって、最高の首脳が国策として決定して、公的の機関が行ったことだった。(「妄想とその犠牲」)

【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)】

「妄想とその犠牲」は『文藝春秋』1957年11月号、1958年1~4月号に掲載された。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と経済白書の結びに書いたのが1956年(昭和31年)のこと。竹山は戦前において東大の前身である一高の教授を務めながら翻訳家として知られた。戦後、『ビルマの竪琴』で毎日出版文化賞を受賞してから精力的に評論を発表するようになる。決して時代に流されず、時代を上から見下ろす視点をもち、自分の立つ位置を揺るがせにすることがなかった。

 私は50代で竹山を知ったのだが、その衝撃を一言で申せば「これほどの日本人がいたのか」ということに尽きる。無論、竹山は英雄タイプの人物ではない。だからこそ尚更深い感興を覚えるのだ。昨今は「文学者」といえば他人を嘲(あざけ)る言葉として用いられることが多い。だが激動の時代を生きた竹山の言葉に触れれば、文学者の本領を理解することができる。その思索の深さは認知科学をも志向し、キリスト教やキリスト世界に対する批判の鋭さはリチャード・ドーキンスも比ではない。

 竹山道雄についてはいくらでも書きたいことがあるのだが、書こうとすれば自分の語彙(ごい)の貧しさが先立ってしまう。私にとっては保守とか自由主義者とかいうよりも、古きよき日本人の善良さを体現した人物である。

昭和の精神史』(1956年)を発表した後でキリスト教世界に迫ったのも、極めて良識的な順序といえよう。

 ナチスによるホロコーストを社会主義国の悪行として並べるのも日本人ならではの視点だろう。西洋世界では歴史的事実としてのナチ・ホロコーストがザ・ホロコーストとして絶対視され神聖化されている(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

西洋一神教の世界 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第2巻〕
竹山 道雄
藤原書店
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2018-08-02

ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念/『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム

 ・目次
 ・ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念

『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』会田雄次
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温
『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』加瀬英明
『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げて、有色民族に誇りをいだかせることによって、白人の誇りを貶(おとし)めたことだった。
 極東国際軍事裁判は、なによりも日本が白人上位の秩序にって安定していた、世界の現状を壊した。「驕慢(きょうまん)な民族主義」を大罪として、裁いた。
 事実、日本は白人の既得権益を壊して、白人から見ておぞましい成功を収めた。

【『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン:加瀬英明監修、藤田裕行訳(祥伝社、2015年)以下同】


 禁を破って読書中の本を紹介する。想像した通りジェラルド・ホーンはアフリカ系アメリカ人であった。軽く1000を超えるであろう膨大な量の証言で構成されており、行間から真正の怒りが伝わってくる。いずれにせよアメリカ本国から大東亜戦争を正しく研究する学者が登場したことは歓迎すべきで、破れかぶれになった左翼が大手を振ってデモ行進をする我が国の惨状が情けなくなってくる。著者の日本に対する心酔ぶりはやや過剰に感じるが、長らく虐げられてきた黒人の父祖たちを想えば、数百年間にわたって続いた人種差別に鉄槌を下ろした点において日本をヒーロー視することは決して的外れではないだろう。

 まだ100ページほどしか読んでないのだが90%以上のページに付箋を貼ってしまった。元気と時間があれば全部ここに書写したいくらいだ。

白人側が使った人種差別の宣伝(プロパガンダ)とは

 ところが、事実を捻(ね)じ曲げて、「日本軍がアジア人に対して、ありとあらゆる『残虐行為』に及んでいる」という、宣伝(プロパガンダ)が行なわれた。日本軍が白人に対して「残虐行為」を行なっていると報告すると、かえって「アジア人のために戦う日本」のイメージを広めかねなかったからだった。
 白人と有色人種が平等だという戦後になってからの人種政策や、「白人の優越」が否定されることは、日本軍の進攻によってすでに戦時中から明らかになっていた。
 アメリカはイギリスよりも、人種問題に敏感だった。先住民を虐殺し、黒人を奴隷(どれい)にすることによって建国したからだった。
 1942年半ばに、アメリカの心理戦争(サイコロジカル・ウォーフェアー)合同委員会は、イギリスに「太平洋戦争を『大東亜戦争』(パン・アジア・ウォー)にすり替える日本の宣伝を阻止(そし)することが、重要だ」との極秘の提案書を送った。
「アメリカの白人社会に対して、有色人種に対する激しい人種差別を和(やわ)らげる宣伝を行なうべきである。そうした宣伝は、人種偏見に直接、言及してはならないが、有色人種のよい面を伝えることで、間接的に可能だ」と提言し、「『こびと』『黄色い』『細目(ほそめ)の』『原住民』といった表現を避ける」ことや、「アメリカの黒人活動家が、白人を非難する日本の宣伝を受け売りしていること」にも言及した。
 戦争が終結に近づくにつれて、後に「ポリティカリー・コレクト」という表現が用いられるようになった戦後の人種への太陽が、形成されようとしていた。過去に人種差別を蒙(こうむ)った人々について、むしろ国際的な場で「黒人のリーダー」を前面に出すことで、黒人蔑視(ジム・クロウ)に対する批判を避けようとした。

 ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい言葉遣い)は自分たちの悪行を覆い隠す狙いがあったというのだから驚きを通り越してあまりの欺瞞に尊敬の念すら覚える。もちろん皮肉であるが。日本人であれば常識と良識にそれほどの差異を感じないが、アメリカ人の古い常識は「白人が奴隷を所有するのは当然の権利」であったがゆえに新しい常識を必要としたのだ。神の名の下に虐殺を繰り返してきた白人にやっと道徳心が絵芽生えたわけではない。飽くまでも戦略として道徳を扱っているだけだ。

 アメリカは広島・長崎における原爆ホロコーストから目を逸らさせるために南京大虐殺を編み出した。わざわざ死者数も同数に揃えている(約30万人)。大東亜戦争という言葉が使えるようになったのはここ数年のことだろう。私自身、数年前まで嫌悪感を抱いていた。ところがアメリカの心理戦争合同委員会は日本の意図を正しく理解していたのだ。だからこそ叩き潰しておく必要があった。彼らの狙いは見事に成功した。我々日本人は半世紀以上に渡って大東亜戦争という言葉を使わなかったのだから。

「1990年代に入ってアメリカで大きく注目された考え方で『偏見・差別のない表現は政治的に妥当である』『偏見や差別の用語を撤廃し、中立な表現を利用しよう』との運動から始まり、差別是正に関する社会運動を内包する場合が多い」〈ニコニコ大百科(仮)〉とされているが、現代のポリコレはフェミニズム論やジェンダー論が推進してきた経緯があり、左派系概念となってしまった。日本ではヘイトスピーチに対する攻撃目的で市民派を名乗る左翼が振りかざしていて逆ヘイトと化しつつある。

 この部分を読んで、ノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』のカラクリがわかった。ヒトラーが行ったユダヤ人を中心とする大量虐殺は明白な犯罪であるが、これをテコにしてそれまでヨーロッパ中で殺され続けてきたユダヤ人は彼らなりのポリコレを編み出したのだろう。第二次世界大戦後、サイモン・ウィーゼンタール・センターなどのユダヤ人右翼団体は差別言論を取り締まる検閲役を務めた。日本でも文藝春秋社が発行する『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれたことは記憶に新しい(マルコポーロ事件、1995年)。

 スポーツの世界ではオリンピックや国際大会で日本人が好成績を残すとルールを変更するという手法が露骨に行われている。「統治するのは白人だ」と言わんばかりのやり方である。こうした動きに対抗し得る学問的なバックボーンが日本にはない。戦後教育は自虐史観で覆われ、大学教育は官僚輩出システムに堕してしまった。幕末の私塾にすら到底及ばぬ現状である。

 本書を読めば、大東亜戦争に立ち上がった日本が世界中の有色人種に与えた衝撃の度合いと感激の深さが理解できよう。我々の父祖が戦った本当の相手は「白人による人種差別」であった。日本の近代史は「黄禍論~アメリカの排日移民法~大東亜戦争」を中心に学校教育で教えるのが筋である。



レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア