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2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

日本教の社会学
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小室 直樹 山本 七平
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2013-07-20

断章取義と日蓮思想/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

 昔から保守系論壇に登場する学者が苦手だ。知が光となって人間世界を明るく照らすのであれば、やはり世の中の矛盾や理不尽を浮かび上がらせるのが学問の目的ではないのか? 私にはそんな思い込みがある。チャーチル曰く「若いうちに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。大人になっても左翼に傾倒している者は知能が足りない」と(※注)。ま、十代で本多勝一を読んできたせいかもしれない。

 弁当兄さん(finalvent)山本七平を愛読してきた、とツイートしていたので本書を開いてみた。面白かった。

山本 徳川時代の町人学者の行き方は「断章取義」と言われています。章を断って義を取る、つまり原典の文脈をバラバラにして、自分に必要なものだけを取るんですね。(中略)いわば、自分の体系を聖人の片言隻句の引用ですべてつないでしまう。原典は仏教だろうと儒教だろうとかまわないわけで、これはつまり思想を取り入れたということではなく、表現を採用して権威化したに過ぎないんです。そのため真の思想的対決には決してならない。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)】

「あ!」と思った。「俺のことだ」と(笑)。抜き書きの多用、おんぶに抱っこ、著作を杖と頼む行為だ。

「町人」「義」というフレーズで思い出されるのは京都町衆である。断章取義は日蓮思想に由来するのではないだろうか?

日蓮 京都での繁栄と受難

 日蓮の考え方に文義意というのがある。文(もん)は経文、義は経文の意義、意は仏の本意を指す。三重(さんじゅう)に深めてゆくといえば聞こえはいいが、読み手の恣意的解釈を拡大しているようにも思える。日蓮本人としては経文だけあって形骸化した仏教界に警鐘を鳴らしたのだろう。

 日蓮が激しい感情の持ち主であったこともあって日蓮系は極端に走る教団が多い。戦前の右翼に始まり、新興教団の創価学会顕正会にまで至る。

 日蓮系はことごとく断章取義である。日蓮の遺文を切り取っては水戸黄門の印籠みたいにかざす悪癖がある。そこに思想的格闘は見られない。印籠教学といってよいだろう。

 生き方に一貫性がないから「思想的対決」が生まれ得ない。日本人は思想・哲学よりも所属や党派を重んじる。「お前はどこのどいつだ?」。我々は皆、○○村の誰ベエだ。村の掟こそが正義なのだ。

 京都町衆について詳しいことは知らない。知っているのは本阿弥光悦〈ほんあみ・こうえつ〉の名前くらいだ。

 日蓮は鎌倉時代にあって思想的対決を望んだ稀有な人物であった。その末裔(まつえい)が断章取義に陥るのだからこれほどの矛盾もあるまい。

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Estatua de Nichiren del siglo 13

2015-04-28

日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

岸田 つまり日本というのは、あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っているわけですね。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 ま、早い話が親分子分の世界だ。確かにそうだ。後進の育成を我々は「面倒を見る」と表現する。この時点でもう兄貴分だ(笑)。結局、日本の集団は「一家」のレベルに過ぎないのだろう。日本経済をバブル景気まで支えてきた終身雇用制は、まさしく「擬制血縁の原理」が機能していた。

山本 私はね、ヨーロッパが血縁幻想を持つための条件をなくしたとすれば、それは二つあると思っているんです。一つは奴隷制ですね、人間を買ってくる。もう一つは僧院制、これは独身主義です。血縁ができない。したがって、これらは真の意味の組織だけになってくるんです。
 奴隷制度はヨーロッパに唯一神が現れる前から、一種の組織だったんですね。あの時代の自由の概念はきわめてはっきりしていて、契約の対象か売買の対象かで自由民か奴隷かが決まるわけです。ひと口に奴隷といっても、いわゆる技能奴隷、学問奴隷などはムチでひっぱたいてもダメで、報酬を与えないと働かない。その結果、ずいぶん金持の奴隷もいたわけなんです。だけど、金を持っただけでは自由民になれない。奴隷は契約の対象じゃないんですから、いわば家畜が背中に貨幣でも積んでいるような形にすぎないんですね。

「民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に『創られた伝統』に過ぎない」(『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優)としても、やはりヨーロッパには異なる宗教や言語が存在したわけだから「敵」が多かったことは確かだろう。第二次世界大戦に至るまで戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。それゆえ集団内にあっても徹底的に主張をぶつけ合う。日本のように小異を捨てて大同につくなどということはあり得ない。

岸田 やはりヨーロッパは家畜文化であるというところに、根本の起源があるのかもしれませんね。

山本 そうかもしれません。

岸田 日本には奴隷制はなかったわけですからね。

山本 ないです。「貞永(じょうえい)式目」を見ると人身売買はありますが、ローマのような制度としての奴隷制というものはない。これははっきりしている。

 人間を家畜化したのが奴隷である。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 日本に奴隷制がなかった事実が、ヨーロッパと日本の帝国主義の違いにつながる。イギリスやフランスは植民地を奴隷として扱った。日本は一度もそんな真似をしたことがない。朝鮮も併合したのであって植民地ではなかった。イングランドとスコットランドのようなものだ。

 ヨーロッパ人がアフリカ人やインディアンに為した仕打ちを見るがいい。キリスト教による宗教的正義がヨーロッパ人の残虐非道を可能とした。アメリカでは黒人奴隷が動産として扱われた(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)。

岸田 では、日本の集団はどういう原理で動いているでしょうかね。

山本 ただ一つ、言えるだろうと思う仮説をたてるとしますと、日本では何かの集団が機能すれば、それは「共同体」になってしまう。それを擬制の血縁集団のようにして統制するということじゃないでしょうか。ただ、機能しなくちゃいけないんです、絶対に。血縁集団というものは元来、機能しなくていいんですね。機能しなくても血縁は血縁。しかし、機能集団は別にある。しかし、日本の場合、それは即共同体に転化しちゃう。

 これは日本がもともと母系社会であったことと関係しているように思う。父は裁き、母は守るというのが親の機能であるが、日本のリーダーに求められるのは母親的な役回りである。親分・兄貴分も同様で父としての厳しさよりも、母親的な包容力が重視される。考えてみれば村というコミュニティや談合という文化も極めて女性的だ。

 ま、天照大神(あまてらすおおみかみ)は女神だし、卑弥呼(?-248年頃)という女性権力者がいたことを踏まえると、キリスト教ほどの男尊女卑感覚はなかったことだろう。

 今この本を読むと、意外なことに「日本はそれでいいんじゃないか」という思いが強い。自立した人格の欠如とか散々自分たちのことをボロクソに言ってきたが、寄り合い、もたれ合いながらも、奴隷制がなかった歴史的事実を誇るべきだろう。俺たちは『「甘え」の構造』(土居健郎)でゆこうぜ(笑)。今更、砂漠の宗教にカブれる必要はない。自然に恵まれた環境なんだから価値観が異なるのは当たり前だ。それゆえ私は今こそ日本のあらゆる集団が「確固たる共同体」を構築すべきだと提案したい。

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会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2012-04-26

岸田秀、山本七平

1冊読了。

24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。

2018-11-21

いわゆる従軍慰安婦問題を焚き付けた朝日ジャーナル/『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹

 ・いわゆる従軍慰安婦問題を焚き付けた朝日ジャーナル
 ・従軍慰安婦は破格の高給だった
 ・伊藤博文の慧眼~憲法と天皇

『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 予兆!
 この年(平成元年=1989年)、あたかも昭和天皇が神去(かみさ)りまつるを待ち構えていたかのように、日本破滅の予兆が兆(きざ)したのであった。
 この年、忌(い)まわしき「従軍慰安婦問題」が日本人から持ち出された。この年、「朝日ジャーナル」に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」との意見広告が、半年間にわたって掲載された。はじめは、これほどの大事件に発展すると思った人は鮮(すくな)かったろう。しかし、ここに濫觴(らんしょう)を発した(始まった)「従軍慰安婦問題」は、渓流となり、川となり、河となり、ついに滔々(とうとう)たる大河となって全日本を呑みつくそうとしている。
 誰(たれ)か狂瀾(きょうらん/荒れ狂う波)を既倒(きとう)に廻(めぐ)らす(押し返す)者ぞ。

【『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹〈こむろ・なおき〉(クレスト社、1996年ワック出版、2005年/WAC BUNKO、2018年)以下同】

 小室直樹は合理主義の塊(かたまり)みたいな人物で思想による色付けとは無縁な大学匠である。ただし日本人であれば当たり前だが尊皇の情緒を保持している。小室は官に就くか野(や)に在るかも眼中になかった。ただ学問の王道を歩んだ。無職でありながらも東大で小室ゼミを開講した。門下生には橋爪大三郎〈はしづめ・だいさぶろう〉・宮台真司〈みやだい・しんじ〉・副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉・大澤真幸〈おおさわ・まさち〉らがいる。

 1979年12月、それまで清貧な学究生活を送っていた小室は、自宅アパートで研究に没頭し栄養失調で倒れているところを門下生に発見され病院に運ばれた。しばらく入院し身体は回復したが自身で入院費用が払えず、友人知人のカンパで費用を支払い、小室の才能を知る友人の渡部喬一弁護士や山本七平などの勧めで本を出版することにし[15]、光文社の用意したホテルにて『ソビエト帝国の崩壊』の執筆にとりかかった。小室の奇行ぶりには、担当者も少々辟易したようであるが、出来上がった原稿は想像以上の価値があった。1980年、光文社から初の一般向け著作である『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』(光文社カッパ、のち文庫)が刊行されベストセラーになり、評論家として認知されるようになる。この本のなかで小室は、ソ連における官僚制、マルクス主義が宗教であり、ユダヤ教に非常に似ていること、1956年のスターリン批判によってソ連国民が急性アノミー(無規制状態)に陥ったことなどをこれまでの学問研究を踏まえて指摘し、またスイスの民間防衛にならい日本も民間防衛を周知させることなどを訴えた。そしてこの本の「予言」通り、1991年にソ連崩壊となる。
『ソビエト帝国の崩壊』の出版から続編『ソビエト帝国の最期 "予定調和説"の恐るべき真実』(1984年、光文社)など十数年間にわたって光文社のカッパビジネス、カッパブックスより27冊の著作が刊行され、光文社にとって小室の著作群はドル箱になった。光文社以外にも徳間書店、文藝春秋、祥伝社などから著作を刊行、こうした著作活動の成功により経済的安定を得ることができた。ベストセラーを書くまでの主な収入は家庭教師で、受験生のほか、大学の研究者(教授など)まで教えていた。

Wikipedia

 その小室が渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉らと共に保守論客として立ち上がった。彼らの言論活動が「新しい歴史教科書をつくる会」(1996年)の呼び水となった。

『朝日ジャーナル』の意見広告がいわゆる従軍慰安婦問題の導火線となった事実を私は知らなかった。こういう具体的な事実が大事である。リアルタイムで問題意識を持っていなければ見落としてしまう。因みに1989年の編集長は伊藤正孝1987年4月-1990年5月)である。筑紫哲也〈ちくし・てつや〉の後任だ。『朝日ジャーナル』は1992年、廃刊に追い込まれるが、その衣鉢(いはつ)を継いだのが『週刊金曜日』(1993年創刊)である。本年9月にあろうことか「従軍慰安婦問題」の火付け役をした植村隆が社長に就任した(社長交代について | 週刊金曜日からのおしらせ)。放火魔に火炎放射器を与えるような印象を受けるのは私だけであろうか。

 誇りを失った国家・民族は必ず滅亡する――これ、世界史の鉄則である。この鉄則を知るや知らずや、戦後日本の教育は、日本の歴史を汚辱(おじょく)の歴史であるとし、これに対する誇りを鏖殺(おうさつ)することに狂奔(きょうほん)してきた。
 その狂乱が極限に達したのが、「従軍慰安婦問題」である。

 面倒なことだが従軍慰安婦問題にはカギ括弧や「いわゆる」を付ける必要がある。そうでないと従軍慰安婦という問題の存在を認めることになるからだ。一旦広まった嘘はかくもややこしくなる。反天皇制という思想は理解できる。だが、国家体制転覆のために自分たちの父祖を貶(おとし)める行為が理解に苦しむ。到底日本人の共感を得るとは思えない。それをやってしまうところに左翼の人格的な異常さがある。

「従軍慰安婦」問題が全教科書に登場することにあった最大の原因は、この平成5年8月4日、当時の内閣官房長官・河野洋平(こうのようへい)が、まったく根拠がないのに「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」を発表したことに始まる。
 河野長官はこの日、慰安婦の募集について「官憲等は直接、これに加担したこともあったことが明らかになった」と述べ、「心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と公式に謝罪したのである。しかし、「明らかになった」というのはどういう事実なのか、何一つ示されていない。

 こうした、史実さえ確認しない謝罪外交がピークに達したのが、平成7年の夏に繰り広げられた“謝罪祭り”である。この戦後50周年の夏、日本は歴史に残る大失敗をした。半世紀以上も前の戦争を「侵略」であると認め、世界中に「謝罪」してしまったのだ。大東亜戦争は「侵略」ではないから、日本国は「謝罪」しないと主張した政治家は一人としてなく、そう論じた新聞は一紙としてなかった。後世(こうせい)の史家の嘆(なげ)くまいことか。
 細川内閣から、日本政府は何かと言われると(いや、何も言われなくても)、すぐに謝るクセがついてしまった。条件反射的にペコリとする「謝り人形」になってしまった。日本は侵略したから謝ります。日本の歴史は罪の歴史である、日本は過去に悪いことばかりしてきた、だから何がなんでも誤ってしまえ……。
 この無条件謝罪主義が極限に達したのが村山内閣である。

 野(や)に下った自民党が権力を奪取するために多少の行き過ぎには目をつぶったということなのだろう。清濁併せ呑む自民党らしさが良くも悪くも現在の日本を象(かたど)っている。自民党の親中派は媚中派に成り下がって国益を毀損している。たぶん女とカネで籠絡(ろうらく)される政治家が多いのだろう。

 20年以上前に書かれた本だが今こそ読まれるべきである。

2017-12-31

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 今年手をつけたのは400冊ほどで読了本は120冊前後だと思う。まずは再読本から紹介しよう。「必読書」たり得るかどうかの検証を兼ねている。

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース/再読。

『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン/再読。

『狂気のモザイク』ロバート・ラドラム/6回目。個人的には『暗殺者』よりも好きな作品だ。

ものぐさ精神分析』『続 ものぐさ精神分析』岸田秀/3回目。

『孟嘗君』宮城谷昌光/再読。

『楽毅』宮城谷昌光/再読。やはり『孟嘗君』の続篇として読むのがいいので必読書入り。

『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー/再読。

 膝痛本は十数冊読んだが一押しがこれ。

ひざの激痛を一気に治す自力療法No.1』マキノ出版ムック『安心』特別編集

 具体的な対処法がコンパクトにまとめられていて、健康本にありがちな誤謬もかなり少ない。

七帝柔道記』増田俊也
北の海(上)』『北の海(下)』井上靖
VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也

 七帝(高専)柔道シリーズ。『北の海』は飛ばし読み。井上靖が経験者だとは知らなんだ。ランクインというわけではないのだが若い人に読んで欲しい。

 次に番外。

『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 飯嶋和一と宮城谷昌光はどれもオススメできる。

出星前夜 』飯嶋和一
狗賓童子の島』飯嶋和一
管仲(上)』『管仲(下)』宮城谷昌光
湖底の城』宮城谷昌光
草原の風』宮城谷昌光

 では、ランキングを。郡司ペギオ幸夫はまだ途中までしか読んでいない。

 15位『いま沖縄で起きている大変なこと』惠隆之介

 14位『春宵十話』岡潔

 13位『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広

 12位『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ペギオ幸夫

 11位『『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷』藤永茂

 10位『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫

 9位『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 8位『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦

 7位『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク

 6位『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン

 5位『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー

 4位『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ

 3位『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

 2位『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー

 1位『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
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2018-11-22

伊藤博文の慧眼~憲法と天皇/『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹

 ・いわゆる従軍慰安婦問題を焚き付けた朝日ジャーナル
 ・従軍慰安婦は破格の高給だった
 ・伊藤博文の慧眼~憲法と天皇

『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ヨーロッパにおける憲法政治(立憲政治)の基礎には宗教という基軸がある。基軸としての宗教が深く人心に浸潤(しんじゅん)し、人心が宗教に帰一(きいつ)している。だから、立憲政治はうまくゆく。
 それなのに日本ではどうか。どの宗教もその力は微弱であって、どれも立憲政治の基軸として機能しうるものはない。さすがに、維新元勲の一人たる伊藤博文の慧眼(けいがん)、立憲政治(民本主義〈デモクラシー〉政治)の本質を見抜いていたのである。

【『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹〈こむろ・なおき〉(クレスト社、1996年ワック出版、2005年/WAC BUNKO、2018年)以下同】

 伊藤博文がイギリスに留学した期間はわずか半年足らずである(渡航は片道3~4ヶ月を要した)。しかも22歳という若さであった。時代が人を作り、人が時代を作る。明治維新が現代人を魅了してやまないのは綺羅星の如く人材が躍り出たダイナミズムに理由がある。伊藤は松陰門下では下っ端と見られがちだが、高杉晋作や久坂玄瑞が生きていれば上手く運んだかといえば決してそんなことはないだろう。大物であればこそ邪魔な存在になった可能性もある。確実なことは伊藤なくして日本の憲法制定はありあり得なかったという事実である。

 絶対契約という考え方は、啓典(けいてん)宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に由来する。啓典宗教における契約は、本来、神と人間との契約である。ゆえに、その契約(命令)は絶対である。(中略)
 仏教においては、仏との契約という考え方はない。ありえない。はじめに「法」があって、この「法」を悟った者が仏となる。この考え方を「法前仏後」という。「法」は仏といえども如何(いかん)ともできない。はじめに「法」ありき。
 啓典宗教においては、法(戒律、規範、法律、すすんでは、社会法則、自然法則、超自然法則)もまた、神の創造による。神の意志によって作られたものである。仏教的表現を用いれば、「神前法後」。だからこそ、神の意志によって契約が結ばれる。すなわち、絶対者との契約があり、これによって法が作られるのである。(中略)
 儒教にも、聖人との契約という考え方はない。ありえない。聖人孔子でさえも、「述(の)べて作(つく)らず、信じて古(いにしえ)を好む」(述而〈じゅつじ〉 第七)とあるように、道(規範、倫理)の創造者ではない。(中略)
 ゆえに、絶対契約としての統治契約たる憲法は、啓典宗教の他の宗教のもとでは成立しえない、と言えよう。(中略)
 憲法が成立しうるためにはタテの絶対契約(神との契約)が、ヨコの絶対契約(人と人との間の契約)に転換されなければならない。西方キリスト教諸国においては、資本主義発生期に、この転換が行なわれた。資本主義における契約は、対等な両当事者の間の合意に基づくヨコの契約(人と人との間の契約)であるが絶対である。統治契約たる憲法もこれと同じ。

 旧植民地でデモクラティックな憲法が機能しないのは「神」という画竜点睛を欠いたためだ。形だけを真似ても憲法は機能しない。伊藤博文は「立憲政治の前提として宗教なからざるべからず」(憲法草案審議 明治21年〈1888年〉)と気づいた。

 しかし、日本に宗教は無い。どの宗教も、立憲政治の基軸とはなりえないのである。「深ク人心ニ浸潤(シンジュン)シテ、人心此(コレ)ニ帰一(キイツ)セリ」(同右)というようにはなっていないからである。
 では、伊藤をはじめとする日本の指導者はどうしたのか。皇室(天皇)をもって、立憲政治の基軸とすることにしたのであった。
「我国(ワガクニ)ニ基軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」(同右)
 かくて、皇室(天皇)は、「ヨーロッパ文化1000年にわたる『基軸』をなして来たキリスト教の精神的【代用品】」とされることになった(同右)のである。立憲政治のためのキリスト教の代用品――。これが、大日本帝国における天皇の役割であった。
 この驚くべき(いくら驚いても足りない)方法に対して、すぐさま疑問が出てくるであろう。
 そんなことが可能か。天皇がキリスト教的神に成るなんていうことが本当に可能なのか。

 天皇陛下を現人神(あらひとがみ)にしたのは何と憲法制定のためであった。小室は天皇が庶民からの支持を得ていない事実を示し、伊藤の狙いがどれほど困難に満ちたものであったかを解説する。

 まだ白人帝国主義真っ盛りの時代である。有色人種は劣った存在とされていた。日本の望みは不平等条約の撤廃と関税自主権を取り戻すことであった。そのためには文明国であることを証明しなければならない。これが立憲政治に賭けた伊藤の思いであった。

 当時の日本人は世界といえばシナ(清国)~インドまでの認識しかなかった。清(シン)は眠れる獅子としてアヘン戦争以降はヨーロッパ諸国も手をつけていなかった。その大国清に日本は戦争で勝った(1894-95年〈明治27-28年〉)。

 奇蹟である。何が宗教を作るか。奇蹟である。日本国民は「天皇は神である」ということの意味をやっと理解した。

 1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法に魂が入った。

 日英同盟が結ばれるのは1902年(明治35年)のことである。不平等条約は改正され、日露戦争(1904-05年〈明治37-38年〉)を経てやっと日本は半植民地状態を脱して立を果たす。ここにおいて明治維新の目的は達成されたのだ。



封建制は近代化へのステップ/『世界のしくみが見える 世界史講義』茂木誠

2015-03-15

馬渕睦夫、池田清彦、養老孟司、田中英道、他


 5冊挫折、1冊読了。

編集狂時代』松田哲夫(本の雑誌社、1994年/新潮文庫、2004年)/松田哲夫は「ちくま文学の森」を編んだ人物。蒐集(しゅうしゅう)と編集の遍歴。文章は読みやすく、滲み出る狂気も好ましい。しかしこちらのギアがはまらず。

一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平(朝日新聞出版、1983年/文春文庫、1987年)/山本の文章が苦手である。老獪(ろうかい)な体臭を感じる。読み手をコントロールしようとする意図が透けて見える。帝国陸軍の病巣を自己の体験から捉えた作品だが小室直樹ほどの合理性がない。体験は認知の歪みをはらむ。部分から全体を描くのは困難な作業だ。

決算書はここだけ読め!』前川修満〈まえかわ・おさみつ〉(講談社現代新書、2010年)/これは後回し。今読んでも頭に入らないため。

戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』田中英道(展転社、2011年)/学者のせいか文章が読みにくい。チャンネル桜の討論に登場するが、あの語り口を思わせる文章である。独り言っぽい雰囲気で、相手を説得しようとする意志が感じられない。たぶん論証に重きを置いているためなのだろう。ルーズベルト大統領は左翼であるとの指摘あり。馬渕睦夫をフォローする人は読んでみるといい。

ほんとうの環境問題』池田清彦、養老孟司(新潮社、2008年)/粗製濫造気味。養老の部分はインタビューだろう。話し言葉となっている。『正義で地球は救えない』がよかっただけに精彩を欠く。

 20冊目『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)/書評でも触れたがアメリカが左翼に支配されている構造を歴史的に辿る。国際主義はユダヤ人の価値観に基づくもので、米ソが同根から生まれたとする見方が斬新だ。ただし物語としては大変面白いのだが、回顧録などの書籍情報に拠(よ)っているため、絵としてのオリジナリティが色褪せる。そしてややもすると筆致が陰謀論に傾く悪い癖が見受けられる。馬渕もチャンネル桜でお馴染みだが、やはり彼の話しぶりがそのまま文章に反映している。言葉が弱い。内容は駐ウクライナ兼モルドバ大使が綴るウクライナ問題となっていて時宜を得た一冊。

2015-11-20

会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

 ・会津藩の運命が日本の行く末を決めた

・『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子
『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子
『國破れてマッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

日本の近代史を学ぶ

 新政府軍は、警固をキビしくし、「脱走者は発見しだい斬り捨て」の命令を下した。藩主松平容保(かたもり)の謹慎している滝沢村妙国寺でも、警戒はいっそう厳重になった。万一に備えて、大砲の砲口を容保の居室に向けている、という噂もあった。
 そこに夜陰の暴風雨に乗じて、また5人の少年が脱走した。その中には山川健次郎、赤羽四郎、そして柴四朗ら、かつてのフランス語仲間もまじっていた。
 ――これは、じつは会津藩の重役たちの「命令」によるものだった。
 重役の関心事は、藩に下される罪の程度であった。彼らは、さすがに藩士全員が斬罪などということは考えなかったが、家老の何人かが切腹、あるいは斬罪は免れまい――と、覚悟していた。問題は、藩主容保に対する処分である。
 その寛厳をうらなうために、重役たちは少年たちを脱走させた。少年たちは若松城にある政府本営に出頭して、主君の助命嘆願をおこなう。そして、それに対する「敵」の出方をうかがってみよう、という目論見だった。
 まかり間違えば、斬り捨てである。あるいは脱走の罪に問われ、みせしめに切腹におよぶかも知れない。
 しかし、十五、六歳の少年たちには、よもやそこまでの厳科は下さないだろう。そして、その処罰の程度によって藩の将来をうらない、考えよう。……それが藩の重役たちの腹づもりであった。

【『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛〈むらかみ・ひょうえ〉(光人社、1992年/光人社NF文庫、2013年)以下同】

 まだ読み終えていないのだが書き残しておく。文庫で774ページの大冊。読書日記としては155冊目の読了本ということにしておく。光人社は2012年に同系列の潮書房と合併し、現在は潮書房光人社となっている。潮書房は軍事雑誌『丸』で知られる。光人社NF文庫も殆どが戦争・軍事・戦記ものである。NFはノンフィクションの略だろう。

 柴四朗は五郎の兄で、白虎隊の一員であったが病で戦線から離れ生き永らえた。西南戦争では谷干城〈たに・たてき〉に目をかけられた。その後、岩崎弥太郎の援助を得てアメリカへ留学。帰国後、東海散士〈とうかい・さんし〉のペンネームで帝国主義と小国の民族解放を描いた小説『佳人之奇遇』(かじんのきぐう/4篇全16巻)を著しベストセラーとなる。1892年(明治25年)以降は長く政治家を務めた。

 山川健次郎は東京帝国大学・京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長。赤羽四郎は外交官となる。いずれも日新館出身の逸材といってよい。そして柴五郎は、乃木希典東郷平八郎に先んじて世界に勇名を馳せた日本軍将校である。

 参謀の乾退助(のち板垣)の部下、伴中吉が少年たちを引見した。「自分らは藩主の身を思うあまり、あえて規則を破って推参したものでございます。どうか主君の処置を寛大にして頂きたい」との申し立ては「聞きおく」にとどめられたが、彼らの命がけの行為には好感が寄せられた。長く待たされた後、贅(ぜい)を尽くした膳が供された。

「遠慮なく、食べるがよい」
 係の侍はそういって退いたが、頃を計って部屋に戻ってみると、誰一人箸をつけている者がない。
「いかが致した……?」
 山川健次郎が5人を代表してこたえた。
「謹慎中の藩士たちは、十分な食事も摂(と)らずにおります。せっかくのご好意ながら、私どものみが、このようなご馳走をいただくわけには参りませぬ」

 敗者であり、かつ力弱き少年たちの嘆願を知った瞬間、頭の中で閃光がほとばしった。「これは大東亜戦争に敗れた日本の姿そのものではないか!」と。日本の首脳陣は国体すなわち天皇陛下の処遇を最優先事項とし、提出した憲法草案は明治憲法と変わるところがなかった(『國破れてマッカーサー』西鋭夫、1998年)。京都守護職を務め、孝明天皇からも信頼されていた会津藩がなにゆえ朝敵となったのか? ここに明治維新の矛盾がある。新生日本を牛耳ったのは薩長閥で、やがて大東亜戦争を招き(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)、現在にまで影響を及ぼす(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人、2008年)。

 もともと朝敵であった長州藩がなにゆえ官軍となり得たのか? その疑問はまだ晴れていない。調べれば調べるほど南北朝の歴史、岩倉具視や徳川慶喜の役割がはっきりしなくなる(落合莞爾『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』2013年、『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』2012年)。

 更にたった今、驚くべき事実を知った。戊辰戦争を前にした会津・庄内両藩がなんとプロイセン(ドイツ)のビスマルクに北海道の一部売却を打診していたというのだ。

維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認

 東大史料編纂(へんさん)所の箱石大准教授らが、会津、庄内両藩が戊辰戦争を前にプロイセン(ドイツ)との提携を模索したことを物語る文書をドイツの文書館で確認した。日本にはまったく記録がないが、薩摩、長州を中心とした新政府軍に追いつめられた両藩が、外交に活路を求めていたことが明らかになった。

 ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。

 船便なので届くのに2カ月ほどかかったようだ。「軍港の候補になるが、断るつもりだ」と宰相ビスマルクは10月8日に海相に通知。この日は、新政府軍が会津若松の城下に突入した日に当たる。ほぼ1カ月後に会津、庄内は降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想していなかったのだろう。

◆顧みなかったビスマルク

 ビスマルクは欧米列強間の協調と戦争への中立という視点から、両藩の提案を退けた。それに対して海相は「日本が引き続き混迷の一途をたどった場合は、他の強力な海軍国と同様に領地の確保を考慮すべきだ」と10月18日に返信していた。

 箱石さんらは当時の政治状況や人間関係も調査、研究した。新政府の背後には英国がいて、新式の武器や弾薬は英国商人が供給していた。幕府が頼りにしてきた仏国は中立に転じていた。

「会津、庄内両藩は新政府軍の最大の標的であり、懸命に活路を見いだそうとしてブラントの意向と合致したのだろう」と箱石さんは見る。

 ドイツの公文書と同時に東大には貴重な資料がもたらされた。スイス在住のユリコ・ビルト・カワラさん(86)が長年調査したシュネル兄弟の記録だ。会津藩の奉行で戊辰戦争で戦死したカワラさんの曽祖父と親交があった。

 国学院大栃木短大の田中正弘教授によると、新潟港を拠点に東北諸藩に武器をあっせんしたシュネル兄弟は会津藩の軍事顧問をつとめたが、国籍不明で謎の人物とされてきた。兄が政治面を、弟がビジネス面を、分担したという。

 カワラさんの調査で兄弟の出自が判明。プロイセンの生まれで、父の仕事の都合でオランダの植民地だったインドネシアで育ち、開港直後に横浜にやってきていた。

 オランダ語ができたことが兄弟の強みだったようだ。プロイセンの外交文書は、ドイツ語の原文をオランダ語に訳し、2通そろえて幕府に出した。そうした文書が東大史料編纂所に残っており、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調べて、オランダ語への翻訳に兄のサインを見つけた。武器商人に転じるまで兄はプロイセン外交団の一員だったことが確認された。「会津、庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」と田中さん。

 一連の研究は明治維新に新たな視点をもたらした。「英―仏の対抗図式に目を奪われるあまり、維新や戊辰戦争をより広い世界の中に位置づけることや、東北諸藩が武器、弾薬をどのように調達したのか分析する視点が不足していた」と東大の保谷徹教授は話している。

朝日新聞DIGITAL 2011年2月7日

戊辰戦争の史料学』を読まねばなるまい。

 最後にもう一点だけ。村上兵衛は「あとがき」で「『ある明治人の記録』もすでに出版されているが、潤色がある。私はそれには拠(よ)らなかった」と記す。私が確認し得たのは、犬の肉に難儀する少年五郎を父が叱責する場面くらいだ。村上は「自著に潤色なし」と言いたいのであろう。表現者としてはいささか狭量の謗(そし)りを免れない。原文と違うから潤色では短絡が過ぎるだろう。老境の柴本人から聞いた可能性も考えられる。事実を重んるあまり想像力の翼を畳んでいる印象を全体から受ける。ただしそれで柴五郎という素材が曇るわけではない。

【付記】「お家存続」は日本の価値観のテーマたり得ると思う。山本七平が「日本において機能集団は共同体(擬制の血縁集団)と化す」と指摘している(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平、1980年)。小室直樹も同じことを主張する。これは日本全体が天皇陛下を中心とする「家」を形成しているためと考えてよさそうだ。血脈信仰といってよいかどうかは今のところ判断しかねる。女系天皇を巡る問題の本質もこのあたりにあるのだろう。尚、藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉によれば、血液型と性格には相関性があるという(『脳はバカ、腸はかしこい』2012年)。



マッカーサーが恐れた一書/『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ

2014-02-27

憲法は慣習法/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平

 ・下位文化から下位規範が成立
 ・税金は国家と国民の最大のコミュニケーション
 ・イギリス革命は税制改革に端を発している
 ・憲法は慣習法

『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一
『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん

 アメリカの例でも明らかであるが、また、ヒットラーも同じである。
 ヒットラーは4年(全権委任法で定められた期間)経っても、権力を国民に還(かえ)す積(つも)りなんか全然なかった。
 それどころか、独裁権力は、増々強力にされるばかりであった。
 それでも、ワイマール憲法が改正される事はなかった。
 より正確に言うと、改正の手続きが取られる事はなかった。
【形式上】、ワイーマール憲法は【生きていた】。
 しかも、【実質的】にはワイマール憲法は【死んだも同然】であった。
 こんな時、どう解釈する。
 ワイマール憲法は改正されたのか、未だ改正されてはいないのか。
 この場合、ワイマール憲法は改正された。
 こう解釈される。
【憲法学者は、全権委任法成立の時点を以って、ワイマール憲法は廃止された】。こう解釈する。
 1933年3月24日を以ってワイマール憲法は死んだ。
 そして、ヒットラーのドイツ第三帝国が生まれた。
 ワイマール憲法改正の為の手続きが取られようと取られまいと、そんな事は結局どうでもいい事なのである。
 憲法は、本質的には慣習法である。
【前例が慣習として確立されると、それは憲法の一部となる】。
 と言う事は、【憲法改正したも同じ事だ】。
 こう言う事なのである。
 この際、形式的に憲法改正の手続きが踏まれようと踏まれまいと、それは所詮どうでもいい事なのである。

【『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹(ビジネス社、2012年)以下同/カッパ・ビジネス、1989年『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』・天山文庫、1990年『悪魔の消費税』を改訂・改題】

 PKO(国際連合平和維持活動法案(1992年のPKO国会)がこの典型か。それまで平和と福祉を標榜してきた公明党が外交政策を転換して賛成に回った。後に自衛隊はインド洋イラクにも派遣される。

 また昨年暮れに自民党は自衛隊の海外武器携行制限を撤廃する方針を決めた。

 憲法とは国家権力に対する国民からの命令である。既に解釈改憲がまかり通っている以上、国家は民意に背いているといってよい。つまり憲法も民主主義も死んでしまったのだ。どおりで原発もなくならないわけだ。

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―
小室直樹
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2021-11-26

日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 この日本国、日本国民という問いは、幕末維新期の国学者をはじめ、内村鑑三の言説などに読みとることができます。会津藩出身のキリスト者井深梶之助は、クニといえば会津であり、長州でしかなかった世界が、日清戦争によって日本国あるを知ったと、戦勝の報にうながされて問い語っています。
 この思いは、内村鑑三をして、日本国という観念を生み育てる器を用意した、頼山陽を想起せしめた世界に通じるものです。いわば日清戦争による日本国の発見は、その後、10年ごとの戦争によって、日本と日本人はどのような世界を思い描いたかという問いを生むこととなります。それは、戦争によって日本人は何を識り、どう生きようとしたかということであり、日本人がとらわれてきた「愛国心」とは何か、ということにほかなりません。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 見落としがちな視点である。封建制度の封建とは「封土を分割して諸侯を建てる」の意である(『自然観と科学思想』倉前盛通)。現代にまで伝わる「一国一城の主」という言葉も国=藩で大名のことを指す。近代化の最大の果実が国民国家であるが、フランス革命だと直ぐに思い浮かぶが、明治維新-国民国家という発想が私は全くなかった。例えば江戸の識字率が世界最高基準であったことは広く知られているが、地方の識字率がかなり低かったことを弁えている人は少ない。日清戦争に駆り出された農民の多くは文字の読み書きができなかった。

 つまり日清戦争後、三国干渉を経て、臥薪嘗胆を迫られ、そして日露戦争の勝利に至る中で日本国民は生まれ育ったのだ。

 あまり関係ないが鎌倉時代に国の行く末を憂え、安国(あんこく)へとリードしようとした日蓮の国家観は時代の束縛を軽々と超えているように思う。

2020-03-15

「シナ」と「中国」の区別/『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹
『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一

 ・「シナ」と「中国」の区別

『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
・『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹

〔付記〕

 対談の中で、「シナ」と「中国」は区別して用いた。中国は中華人民共和国や中華民国の略称としてのみ正当と言うべきであり、地理的、文化的概念としては用いることはできない。地理的概念、あるいは古代以来の文化的概念を指す場合は、「シナ」(英語のチャイナ)を用いることが正当であると、私は考える。中国という言葉の背景には、外国を夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)と見なし、自らを高いものとする外国蔑視がある。
 また、コリアという擁護は、現在の北朝鮮、大韓民国の双方を含んで呼ぶ場合や、朝鮮半島を地理的概念として呼ぶ場合に用いている。
渡部昇一


【『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹〈こむろ・なおき〉、渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(徳間書店、1995年)】

 かつて石原慎太郎が「三国人」(2000年)とか「シナ」(2012年)とか言って問題にされたことがある。この発言をヘイトスピーチの嚆矢(こうし)とする人もいる。私自身、報道を真に受けて問題だと考えていた。本書を読むまでは。冒頭の付記で日本を取り巻く言論情況が一瞬にして理解できた。ちょっと考えてみれば誰でも気づくことだが「東シナ海」や「支那そば」に差別意識は全くない。「支那(しな)とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである。日本では、江戸時代中期から第二次世界大戦末期まで広く用いられていた」(Wikipedia)。

 中華思想によれば朝廷に帰順しない民族は東夷(とうい)・北狄(ほくてき)・西戎(せいじゅう)・南蛮(なんばん)と呼ばれ、禽獣(きんじゅう)と同じ扱いを受ける(四夷)。つまり我々が中国と呼ぶことは日本人を東夷と貶(おとし)めていることに通じる。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 現在左翼が糾弾するヘイトスピーチは在特会(在日特権を許さない市民の会)が始めたものだ。彼らはコリアンタウンで「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「朝鮮人首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書いたプラカードを掲げ、「殺せ、殺せ!」と街宣活動を行った。



「不逞鮮人を死ぬまで追い込め」「朝鮮人をガス室に送り込め」「朝鮮人なんて人間じゃないぞ」…今日の新大久保・嫌韓デモで飛び交った醜悪なシュプレヒコールをあえて記す。許さないためにも。

「ばーかばーか」「あっかんべー」とはデモのコーラーが用いていた表現です。この他、「ウジ虫」「ゴキブリ」「殺せ殺せ」「死ね」「不逞朝鮮 人を死ぬまで追い込むぞ」「ガス室に朝鮮人を叩き込め」「ぶさいく」「クサレマンコ」等の聞く(読む)に堪えない表現が多数用いられています。

日刊ベリタ : 記事 : 新大久保でまたもや在特会デモ  2月9日、「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」のプラカード掲げ

 百田尚樹は桜井誠の選挙演説を「カッコいいね」と称えた。竹田恒泰は「(在特会の主張は)部分的には正しいことも言っている」とテレビで語った。彼らの性根が垣間見えた瞬間である。

 新しい歴史教科書をつくる会が結成される2年前に週刊文春編『徹底追及 「言葉狩り」と差別』(文藝春秋、1994年)が出た。『週刊金曜日』の創刊が1993年である。失われた20年はリベラルな雰囲気に包まれた時代であった。折しも1986年に施行された男女雇用機会均等法によって看護婦・スチュワーデス・保母さんが禁句となった。そういえば径書房〈こみちしょぼう〉編『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房、1990年)を読んだのもこの頃だ。ダッコちゃん人形が製造停止(1988年)となり、カルピスのマークも使用停止(1990年)に追い込まれた(黒人差別をなくす会)。

 平等を極限まで推し進めて古い伝統や文化を破壊するのが左翼の手口である。「言葉狩り」に異を唱えた書籍は他にもあったが、まだまだ左派系作家の影響が大きかった。現在でも『「徘徊」使いません 当事者の声踏まえ、見直しの動き』(朝日新聞デジタル、2018年3月24日)といった記事からも明らかなように一部の声を居丈高に拡大して言葉狩りを行っている。

 戦時中の「シナ人」という言葉に差別感情があったのは確かだろう。だが、「中国」という言葉が中華民国(現在の台湾)と中華人民共和国の違いすら見えなくし、第二次世界大戦後に建国された中華人民共和国があたかも戦勝国の一員であったかのような錯覚を抱かせる現状を思えば、我々はもっと歴史に忠実であるべきだ。青少年に反日教育を施す中国や韓国に遠慮するのは実に馬鹿げた行為だ。

2021-10-29

尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

【専制君主・天皇親政ではなく、第4章でも挙げた天皇が「治(し)らす」姿が1000年以上つづてきた日本の伝統的統治体制であり、「国柄」「国体」というべきもの】なのです。

 その一方で、【神話とも紐づけながらその世界観への復古を理想とし、天皇を崇拝して死も厭(いと)わないという激烈な尊皇思想が、中世のある段階から登場】します。これを中国の朱子学の影響だと見抜いたのが山本七平〈やまもと・しちへい〉でした(『現人神の創作者たち』〔上・下〕ちくま文庫)(第3部393ページ参照)。(中略)
 朱子学は、【主君と臣下の区別を重んじる「大義名分論」、中華(文明)と夷狄(いてき/蛮族)を厳しく峻別(しゅんべつ)する「華夷(かい)の別」】という二つのキーワードで要約できます。
 謀反人や夷狄による政権奪取は天が定めた「大義に反する」から絶対に認めない、たとえ武力で屈しても精神において屈することはない、という不屈の精神は、モンゴルの侵略を受け続けた中国人の心をとらえました。
 南宋からの亡命者は鎌倉時代の日本にも来ており、彼らが日本にこの朱子学を伝えたのです。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

「治(し)らす」については後日紹介する。

 メモ書きしておくと、朱子学を重んじた明朝が滅ぶ→満州族が建てた清朝が中国全土を支配→長崎に来航した明朝の亡命者の中に朱舜水〈シュ・シュンスイ〉がいた→噂を聞いた水戸光圀〈みと・みつくに〉が江戸に招く→水戸藩の事業として『大日本史』を開始→「万世一系の天皇が日本を統治した」という朱子学的大義名分論で貫いた大著(1906年/明治39年完成)→水戸学の編纂に携わったグループが水戸学→尊皇攘夷思想の誕生、という流れになる。いやはや勉強になった。

 これが三島由紀夫の陽明学にまでつながるとすれば、朱子学の影響を決して軽んじてはなるまい。


2020-03-30

勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す/『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦

 ・勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す

『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵(ぞう)す。
 勝った戦争にも敗(ま)けたかもしれない敗因が秘められている。敗けた戦争にも再思三考(さいしさんこう)すれば勝てたとの可能性もある。
 これを探求して発見することにこそ勝利の秘訣(ひけつ)がある。成功の鍵(かぎ)がある。行き詰まり打開の解答がある。これが歴史の要諦(ようてい)である。(まえがき)

【『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹〈こむろ・なおき〉(講談社、2000年/講談社+α文庫、2001年)以下同】

 21世紀の日中戦争はもはや時間の問題である。マーケットはチャイナウイルス・ショックの惨状を呈しており、4月に底を打ったとしても実体経済に及ぼす影響は計り知れない。既にアメリカでは資金ショートした企業が出た模様。既に東京オリンピックの延期が決定されたが、国民全員が納得せざるを得なくなるほど株価は下落することだろう。そして追い込まれた格好の中国が国内の民主化を抑え込む形で外に向かって暴発するに違いない。

 小室直樹は学問の人であった。自分の知識を惜し気(げ)もなく若い学生に与え、後進の育成に努めた。赤貧洗うが如き生活が長く続いた。あまりの不如意に胸を痛めた編集者が小室に本を書かせた。こうしてやっと人並みの生活を送れるようになった。日本という国には昔から有為な人材を活用できない欠点がある。小室がもっと長生きしたならば中国が目をつけたことと私は想像する。

 日本はアメリカの物量に敗(ま)けたのではない。たとえば、ミッドウェー海戦において、日本は物量的に圧倒的に優勢だった。それでも日本は敗けた。ソロモン消耗戦においても、アメリカの物量に圧倒されないで、勝つチャンスはいくらでもあった。
「勝機(しょうき/勝つチャンス)あれども飛機(ひき/飛行機)なし」などと、日本軍部は、勝てない理由を飛行機不足のせいにしたが、この当時、ソロモン海域(ウォーターズ)における日本の飛行機数はアメリカに比べて、必ずしもそれほど不足してはいなかった。
 アメリカの物量に敗けた。これは、敗戦責任を逃れるための軍部の口実にすぎない。
 あの戦争は、無謀な戦争だったのか、それとも無謀な戦争ではなかったのか。答えをひとことでいうと、やはり、あの戦争は無謀きわまりない戦争だった。
 しかし、無謀とは、小さな日本が巨大なアメリカに立ち向かったということではない。腐朽官僚(ロトン・ビューロクラシー)に支配されたまま、戦争という生死の冒険に突入したこと。それが無謀だったのである。
 明治に始まった日本の官僚制度は、時とともに制度疲労が進み、ついに腐朽(ふきゅう)して、機能しなくなった。軍事官僚制も例外ではない。いや、軍事官僚制こそが、腐朽して動きがとれなくなった。典型的なロトン・ビューロクラシーであった。
 そんな軍部のままに戦争に突入したのは、たしかに無謀だった。その意味で、あの戦争は「無謀」だったのである。

 大東亜戦争の敗因が腐朽官僚にあったとすれば、戦後の日本は「敗者敗因を重ねる」有り様になってはいないだろうか。特に税の不平等が極めつけである。官僚は省益のために働き、天下りを目指して働いている。巨大な白蟻といってよい。日本のエリートがエゴイズムに傾くのは教育に問題があるのだろう。やはり東大が癌だ。

 侍(さむらい)は官僚であった。語源の「侍(さぶら)ふ」は服従する意だ。責任を問われれば切腹を命じられた。個人的には主従の関係性を重んじるところに武士道の限界があると思う。主君が道に背けば大いに諌め、時に斬り捨てることがあってもいいだろう。

 日本は談合社会であり腐敗しやすい体質を抱えている。特に戦後長く続いた自民党の一党支配は政治家を堕落させた。金券腐敗は田中角栄の時代に極まった。そんな政治家に仕えている官僚が腐敗せずにいることは難しい。政官の後を追うように業も落ちぶれたのはバブル崩壊後のこと。日本からノブレス・オブリージュは消えた。

 国防を真剣に考えることのない国民によって国家は脆弱の度を増す。この国の国民は隣国からミサイルが飛んできても平和憲法にしがみついて安閑と過ごしている。日中戦争は必至と考えるが、負けるような気がしてきた。

2017-11-19

人間の知覚はすべて錯覚/『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ


『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ:田中三彦訳
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎

 ・人間の知覚はすべて錯覚

必読書リスト その五

 哲学者は何世紀ものあいだ、「現実」の正体について、および、わたしたちが経験している世界は現実なのか幻影なのかという問題について論じてきた。しかし現代の神経科学によれば、人間の知覚はある意味、すべて錯覚とみなすべきだという。わたしたちは、知覚による生データを処理して解釈することで、この世界を関節的にしか認識しない。その作業は無意識による処理がやってくれていて、それによってこの世界のモデルがつくられている。あるいはカントが言うように、「物自体」と、それとは別に「わたしたちが知る物」が存在するのだ。
 たとえば、周囲を見回せば、自分は三次元空間を見ているという感覚を抱く。しかし、その三つの次元を直接感じ取っているのではない。網膜から送られた平坦な二次元のデータ配列を脳が読み取って、三次元の感覚をつくりだすのだ。無意識の心は映像をとてもうまく処理してくれるため、目のなかに映る映像を上下反転させる眼鏡をかけても、しばらくすると再び上下正しく見えるようになる。眼鏡を外すと再び世界が上下逆さまに見えるが、それもしばらくのあいだでしかない。このような処理がおこなわれているため、「私は椅子を見ている」という言葉は、実際には、「脳が椅子のメンタルモデルをつくりだした」という意味にほかならない。
 無意識は、知覚データを単に解釈するだけでなく、それを増幅する。増幅する必要があるということだが、それは、知覚から送られるデータがかなり質が悪く、使えるものにするには手を加えなければならないからだ。

【『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳、茂木健一郎解説(ダイヤモンド社、2013年)】

 53歳から54歳になってわかったことだが中年期後半の疲労がジワジワとはっきりした形で生活に現れる。疲れは気力を奪う。そして激しい運動をすると体のあちこちに痛みが生じる。私の場合だとバドミントンで右ふくらはぎを立て続けに3回肉離れを起こし、よくなったと思ったら膝痛が抜けなくなった。もう4ヶ月ほど経つ。更に左手親指の付け根が内出血したまま痛みが引かない。こちらもひと月以上になる。

 というわけで今年は読書日記もままならず書評も思うように書けなかった。ついでと言っては何だが、2017年に読んだ本を振り返ってみよう。

 1位は文句なしで『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ。

 2位は『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー、そして本書が拮抗している。

 続いて『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン、『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク、あたりか。

 その次に、『春宵十話』岡潔、『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ぺギオ-幸夫、『日本教の社会学』小室直樹、山本七平、『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア。

 武田邦彦が以前こう語った。「工学の世界はある程度のレベルに達すると女性がついてこれなくなる。そして更に高いレベルになると韓国人や中国人の男性もついてこれなくなる。世界を見渡すと工学の世界で通用するのは自動車産業が強いアメリカ人、ドイツ人、日本人に絞られる」。もちろん一般論として語ったものであるが「言われてみればそうだな」と私は思った。後で知ったのだがイギリスは産業革命以降、木材の工作機械までは世界をリードしていたが、鉄鋼の工作機械においてアメリカに水を開けられた(『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦〈はしもと・たけひこ〉)。マザーマシンとしての工作機械(機械の部品を作る工作機械)の分野はドイツと日本が世界を席巻している。また3ヶ国は戦争に強い共通点も見逃せない。

 日本語については言語環境の優位性を挙げることができよう。日本語は特殊な言語であるが世界の知が翻訳されており、別段英語を学ぶ必要がないと言われるほどである。たぶん250年余りに渡る鎖国の反動が今尚続いているのだろう。

 だが、1位や2位に挙げた本を読んでいるうちに一つの疑問が湧いてきた。「果たして日本人にこれほどの内容を書ける者がいるだろうか?」と。そして「文字禍」中島敦の書評を書きながら、「日本人は俳句や短歌に代表される文学性で勝負するしかなさそうだ」と思うにまで至った。

 武田の言葉が正しいとすればそれは能力の問題ではない。きっと教育環境の劣悪さが彼我の差を生んでいるのだ。

 認知科学が面白いのは人の数だけ世界があることが示されているためだ。仏教用語の世間とは差別・区別の謂(いい)である。それをレナード・ムロディナウは「世界とは個々人の脳が五感情報をモデル化したもの」と表現する。つまり文字通り「あなたは世界」(クリシュナムルティ)なのだ。

しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する
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2014-03-10

古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた/『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・古代イスラエル人の宗教が論理学を育てた

『日本人のための憲法原論』小室直樹

 近代数学はギリシャに始まった。ギリシャの優れた論理学と結びついたからである。ギリシャの論理学は、アリストテレス形式論理学に結実した。しかし、完璧(かんぺき)な形式論理学を人類精神として成果させたのは、古代イスラエル人の宗教であった。
 古代イスラエル人の宗教(のちのユダヤ教)は、「神は存在するのか、しないのか」の問いかけから始まる。それが、古代ギリシャ人の人類の遺(のこ)した「存在問題」に発展して、完璧(かんぺき)な論理学へと育っていったのであった。

【『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹(東洋経済新報社、2001年)以下同】

 ぶっ飛んでる。数学本の書き出しがこれだ。「論理」というターム(学術用語)でいきなり数学と宗教を結びつける。知的な掘削作業が異なる世界の間にトンネルを掘る。ひとつ穴を開ければ地続きの大地が広がる。言われてみればあっさりと腑に落ちる。神の存在問題が真偽や証明に関わってくるためだ。

 小室の鋭い指摘は人類の知能が進化する様相を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 日本人ははじめ何となく「論理」といってもピンと来(き)にくいが、実は論理こそ数学の【生命】(いのち)なのである。
「論理」という字は漢字であるが、この言葉は西洋からきた。英語で logic' ドイツ語で Logik' フランス語で logique という。その源は logos(ロゴス)である。
 キリスト教に身近い人ならば、「はじめにロゴスあり」(「第一ヨハネ書」)という言葉を思い出すであろう。すべてのはじめにはロゴスがあって、神はロゴスから天地を創造したもうた、というのである。「ロゴス」とは、もともと、神の言葉、神そのもの、神の子イエス、……などという意味である。それが「論理」という意味になっていくのであるが、「論理」とは【論争のための方法のこと】を指す。
 それでは、一体、誰(だれ)と論争をするのか。人と人との論争、と読者は思われるであろうが、究極的には「神と人との論争」なのである。

 キリスト教のロジックについては以下を参照せよ。

教条主義こそロジックの本質/『イエス』R・ブルトマン

 たぶん多種多様な人種や民族の存在が論理を必要としたのだろう。ヨーロッパの血塗られた歴史は魔女狩りを挟んで20世紀まで続いた。「ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年、17世紀においてはただの21年にすぎなかった」(『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳:論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)。

 このように古代イスラエル人の宗教からユダヤ教に至るまでは、神と人間との論争を機軸(きじく)として進歩してきたゆえに、論争は極限まで進んでいった。
 ここに、イスラエルの宗教が機軸(きじく)となって論理学を限りなく育てて、論理学を数学に合体させ、無限の発展の可能性をはらんだ秘密がある。
 論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期(かっき)的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。

 神と人間との関係は「契約」にとどまらず「論理」をも生んだ。そして古代イスラエルの宗教的価値観はキリスト教に受け継がれ、現代世界を席巻しているわけだ。この世界を変えるためには「新しい宗教的価値観」を示す必要がある。

 論証性の欠如(けつじょ)は、何も中国数学だけの特徴(とくちょう)ではない。後述するユークリッド幾何学(きかがく)以外の数学は、みな論証性が欠如(けつじょ)していたといっても過言ではない。このことに関する限り、ある意味では大変発達した古代の諸高度文明における数学も大同小異であった。つまり、論証性が欠如(けつじょ)しているほどであったから、一貫(いっかん)した体系的論理はあり得なかった。
 一貫(いっかん)した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学諸科学の王となり、これらを制御(せいぎょ)し、その下に発展させた理由である。

 中国に歴史はあった(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)が論理はなかった。黄色人種しか存在しない東アジアで重んじられるのは「道理」であった。ここに「天」と「神」の根本的な思想的差異がある。天の定めは神が下した運命とは異なる。

 東洋と西洋の概念の違いを岡田英弘が明快に説いている。

 誤訳の例で言うと、先にも書いたが、「革命」という術語は、中国では本来、天が地上支配の命令を引っこめることなのだけれども、これを「レヴォリューション」の訳語に当てる。「レヴォリューション」は「ころがしてもとへ戻す」という意味で、「回転」ならいいが、「革命」とは訳せない。
 ローマの「アウグストゥス」(augustus)を「皇帝」と訳するのも誤訳で、「アウグストゥス」の実体は「元老院の筆頭議員」だった。中国には元老院はないから、「皇帝」は「アウグストゥス」の同義語ではない。
「フューダリズム」(feudalism)を「封建」と訳するのも、ひどい誤訳だ。秦の始皇帝以前の中国では、首都から武装移民が出ていって、新しい土地に都市を建設し、独自の政治生活を始めることが「封建」だった。のちには、皇帝が派遣した軍隊の司令官が、都市に駐屯して、その一帯を支配し、その地位を世襲することを「封建」と言うようになった。ところが日本人は、「封建」を「フューリダリズム」に当てはめてしまった。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

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2020-11-27

戦争をめぐる「国民の物語」/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 戦争は、多様な従軍記録、日記・手紙などを読んだとき、生活の場である村から外の世界に出ていくことで、新しい世間を具体的に見聞させる世界でした。出征兵士の足跡は、異質な世界との出会いを重ねることで、閉された空間をおしひろげ、多様な見聞をふまえ、己が体験を豊かに結実していく日々にほかなりません。
 この戦争において経験した出来事は、死と向きあって生きたなかで刻印された体験に昇華されたとき、一個の稀有な戦争体験となり、戦争を生き遺(のこ)った思いに重ね、一つの「戦争譚(たん)」として説き聞かされていきます。かくて戦争譚は、戦争をめぐる多様な記憶をとりこむことで、国民が共有しうる記憶として神聖視されたのです。
 歴史は、この聖なる記憶を積み重ねていくなかで、「国民の物語」となりえたのです。かくて国民は、語りつがれてきた戦争譚を身に刻み、記憶として共有するとき、「愛国者」の相貌を顕としました。

 日本の歴史は、こうした戦争をめぐる「国民の物語」を聖なる記憶として共有させるべく、国家のもとに営まれた歩みを記す作業が生み育てた世界にほかなりません。それだけに、歴史像を問い質すには、国民をめぐる記憶の場を析出(せきしゅつ)し、記憶の構造を解析することが求められています。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 出版社名の「刀水」(とうすい)とは利根川の異称である。雪山堂(せっせんどう)の掲示板で私の義兄弟が「刀水」を名乗っていた。

 講演を編んだ書籍なのだが執筆と遜色のない情報密度で、自身に向けた問いの深さにたじろがされる。同時期にやはり講演を編んだ『近代の呪い』(渡辺京二)を読んだが、知識人の良心という点で双璧を成す。他を論(あげつら)い己を省みることのない昨今の言論情況は寒々しい限りである。イデオロギーに基づく言葉は人間を操作対象と捉え、言葉を論理の道具に貶(おとし)める。特に最近はリベラルを装った左翼を見抜く眼が必要だ。

 戦争の功罪を説く文章にハッとした。移動が自由な現代からは、戦争を「新世界との交流」と捉えることが難しい。我々は「自分の眼」でしかものを見ることができない。山頂から山容を眺めることは不可能だ。逆もまた真なりで麓(ふもと)から彼方(かなた)は見えない。

 近代化は戦争によって成し遂げられたと言ってよい側面がある。イギリスで興った産業革命はフランス革命を経て国民国家による総力戦へと道を開いた。日本の義務教育は明治19年(1886年)に始まるが、これは国民皆兵を準備したものである。その後、日清戦争(1894-95年)・日露戦争(1904-05年)を経て一等国の仲間入りを果たす。特に日露戦争は人類史上初めて有色人種が白人を打ち負かした歴史で世界に衝撃を与えた。

 大濱は「玄関からではなく勝手口の視点」に立って歴史を見つめたいとの心情を冒頭で吐露している。生活の息遣いを見失った歴史解釈の不毛を突いた一言である。国家とは「他国が侵略してくれば戦争をしてでも国民を守る」コミュニティであろう。だからこそ国民は徴税と徴兵に応じるのだ。「戦争は悪」という価値観はあまりにも稚拙で子供じみている。

2016-04-06

戦争は制度である/『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹

 ・戦争は文明である
 ・戦争は制度である

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
・『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
・『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹

 国家とか経済とか家とか学校とか、われわれの社会は、多くの制度を生みだした。制度とは、何かの目的を達成するための枠組みである。戦争も同じ制度なのだ。その目的は、国際紛争の解決、ということにある。(中略)
 戦争は高度に【文明】的な【制度】である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握することなくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。

【『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹(カッパ・ビジネス、1981年/光文社文庫、1990年/ビジネス社、2018年『国民のための戦争と平和』改題)】

 戦争は単なる喧嘩ではない。戦争とは政治であり、外交における一つの手段である。

「戦争は制度である」との指摘は感情の次元では容認しかねる。わかりやすい例を挙げるならスポーツである。スポーツは元々「狩り」を制度化したものだが、チーム同士が戦う競技は極めて戦争と似ている。オリンピックを始めとする国際大会ではチームが国家を代表しており、代理戦争の様相を呈している。それぞれの国民が熱狂する様も戦争とそっくりだ。

 生物学的に見れば「限られた資源を巡る競争」である。ただし軍事力の強大な国家が長く繁栄するわけではない。ローマもモンゴルも滅び、スペイン・オランダ・イギリスは没落し、そして今、アメリカも沈みつつある。

 戦争に勝つ力も必要だが、戦争を避ける英知もまた必要なのだ。

 かつて日本はアメリカから石油の禁輸措置を受け、ABCD包囲網で経済封鎖をされ、戦争に打って出た。石油の備蓄は2年分しかなかった。つまり2年以上戦う構想はなかったと見てよい。その後、蘭印(オランダ領東インド、現在のインドネシア)を攻略し、石油を獲得するも、米軍によってタンカーの殆どが沈められた。物量もさることながら戦略の時点で既に敗れていた。日本軍の戦没者230万人のうち60%が餓死・戦病死であった。

 敗戦後、日本は安全保障を米軍に委ね、経済発展を遂げる。GHQの占領を通して歴史は途絶え、敗戦を振り返ることなく日本人は働いて働いて働きまくった。負けた戦争を真摯に見つめる政治家も私は見たことがない。天皇陛下の戦争責任よりも重要なことは、エネルギーと食糧の安全保障をどうするかである。1965年には73%であった食料自給率が2014年には39%(カロリーベース)まで落ち込んでいる(※生産額ベースでは64%:農林水産省)。

 選挙権は兵役とセットである。18歳選挙権に関して左翼が「徴兵制導入の布石」だと騒いでいるが、私は正反対の位置から考えるべきだと思う。北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しても、政府や自衛隊は戦争をする構えすら見せない。この事実は軍事的責任の欠如を示すものだ。日本の軍事における責任を担っているのは米軍である。つまりこの国の真の主権者はアメリカだと見なすことができる。そしてアメリカの意図によってこれから憲法改正が行われ、アメリカからの指示によって日本は戦争に巻き込まれるのだろう。


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2016-04-05

戦争は文明である/『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹


・『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹

 ・戦争は文明である
 ・戦争は制度である

『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方』倉前盛通
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
・『封印の昭和史 戦後50年自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
・『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹
『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠

 それゆえ“野蛮な戦争はもうごめんだ”という主張は、自己矛盾をはらんでいる。戦争は野蛮な行為ではないからである。
 第一次大戦と第二次大戦の戦間期に、パシフィズムといわれる運動が、ヨーロッパを席巻(せっけん)したことがあった。パシフィズムとは「平和主義」という意味だ。学生も労働者も野蛮な戦争はもういやだ、絶対に銃はとらないと叫んだ。(中略)
 それでは平和がもたらされたか。歴史は皮肉なことになった。パシフィズムは、世界史上、もっとも悲惨な、もっとも大きな戦争をもたらした。彼らの平和運動は、ヒットラーの揺籃(ようらん/ゆりかご)となったのだ。なぜ、そんな馬鹿なことになったのか。それは、一(いつ)にかかって、全員が、戦争を野蛮な行為と誤解した点にある。
 本質を誤った運動は、たいへんな副作用をもたらす。平和をとなえ、願えば、平和がくるという、心情的な「念力主義」は、役にたたないだけでなく、危険だ。戦争を、人類が生みだした最高の文明として、とらえ直し、論理をそこから再出発させる必要がある。

【『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹(カッパ・ビジネス、1981年/光文社文庫、1990年/ビジネス社、2018年『国民のための戦争と平和』改題)】

 迂闊(うかつ)であった。読書日記に記していなかった。昨年の8月に読了している。小室作品における戦争もの・国家論の筆頭に位置すると考えてよい。

 ひとつ言いわけをさせてもらうと、一方でクリシュナムルティやブッダの初期教典を読みながら、他方で歴史認識の再構築やリアリズムを追求することは離れ業といってよい。クリシュナムルティ流にいえば「分離の過程」そのものである。理想と現実の狭間(はざま)で時折、混乱気味になることもあると思われるが、ご了承願いたい。

 複数の国家が連合する大きな戦争の原因は地球の寒冷化にあると私は考える。この環境史に基づくスケールを超える視点はまだ出てきていない。具体的には食糧とエネルギーを巡る争いであると見なすことができよう。21世紀になった今日においても尚、アメリカの国防戦略は原油を中心に構築されている。中東はその犠牲者である。

 小室の場合は文明史的かつ社会科学的な視点である。ヒトの脳は宇宙を思わせる領域で膨大な情報と精密なシステムから成る。エリック・J・チェイソンは、ヒトの脳よりもはるかに複雑なシステムが「文明化した社会」であると指摘する。これは複雑系科学の創発・自己組織化・相転移などを踏まえると納得できる(『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ、2012年)。

<パシフィズム(平和主義)は、臆病・『卑劣』を意味する>:チャンネル桜・瓦版、朝日廃刊が日本を救う

 日本における平和主義は「文学」といってよい。心情的な物語が合理性を無視する。歴史を振り返れば一目瞭然だが、平和的な国家・民族は必ず侵略され、後に滅んだ。白人の奴隷にされたアフリカ人、突然やってきたヨーロッパ人に虐殺されたインディアン、ユダヤ人を受け入れたパレスチナを見よ。

 江戸時代のミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)を可能にしたのは鎖国であった。しかし帝国主義の大波が押し寄せ、日本は内を守るため外に向かって打って出ざるを得なくなった。これが日清・日露戦争である。

「戦争は文明である」という事実は少し冷静になれば理解できよう。社会や組織が一つの目的に向かって進む時、集団は必ず軍隊性を帯びる。つまり意思決定に始まり計画立案~目的遂行というシステムが戦争に集約されている。日本が大東亜戦争に敗れたのは最初から最後まで合理性を欠いていたためだ。日清戦争における三国干渉(1895年)が国民の間に強いストレスとなって不満が溜まりに溜まっていた。尊王の精神も裏目に出たと言わざるを得ない。

 戦争が文明であるならば、負ける戦争を絶対にしてはならないし、万が一戦争になっても最小限の戦闘で最大限の効果を得る戦略が求められる。相手が攻めてきた時に平和主義は通用しないのだ。


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人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

2019-01-22

五百旗頭真


 ローズベルトとハルの確執。アメリカは権力闘争が政治向上の機能として働いている(『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図(上)』67ページ)。当時の日本は政党政治が力を失い藩閥・軍閥がまかり通っていた。日本における集団は共同体と化す(『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平)。そこに初めてメスを入れたのが小室直樹だ(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』『日本「衆合」主義の魔力 危機はここまで拡がっている』)。